ACT.98 スキー −前編− (2001.02.22)

 日記にも書いているが、去る2月17日に21世紀初のスキーへと出かけてきた。
 それも久しぶりに東日本でのスキーだ。それもあってか、スキーに行く前日まで、まるで遠足を心待ちにする子供のような心境で過ごした。
 そもそも私がスキーを生まれて始めてやったのは東日本のゲレンデだった。高校時代のことだったと思うが、正直あまり覚えていない。ただ、関越道の関越トンネルを抜けた途端、雪国へと変貌する世界に感動したことと、へっぴり腰のボーゲンで初めて初級者コースを滑り降りることの出来た喜びだけが印象に残っている。
 高校卒業後、四国へと戻った私はしばらくの間スキーから離れていた。それは時間がなかったせいもあったし、そもそも四国にゲレンデが少なかったのも理由の一つだ。それでも、再びスキーを始めるようになったのは、第一印象の良さが起因しているのだろう。
 スキーから離れて4年、西日本で最初に行ったスキー場は確か愛媛にあるスキー場だったと思う。彼女と2人で出かけたのだが、そのゲレンデのあまりの小ささに、四国は改めて南国なんだなと寂しい想いをしたのを覚えている。しかしそれでも、スキーは楽しかった。そして、そのシーズンから毎シーズン必ず1回はゲレンデへ赴くようになった。
 その中でもよく行ったのは兵庫にあるハチ北スキー場だ。お世辞にもアクセスがいい場所とはいえなかったが、雪質とコースの多彩さは関西でも屈指のものだと思う。まあ、そんなに行っていないんで、いいゲレンデは他にもたくさんあるだろう。しかし、僕は妙にそこを気に入ってしまい、神奈川に引っ越してくる昨シーズンまで3年連続で行っていた。
 他にも何箇所かのゲレンデに行ったことがあるが、どこのゲレンデでも感じたのは、コースの狭さと雪の量である。思い出にかすかに残る初めて行ったゲレンデに、この2点で勝るゲレンデはなかった。
 そして、今シーズン。私は本当に久しぶりに東日本のゲレンデに向かうことになった。
 向かった先は湯沢高原スキー場。関越自動車道、湯沢インターチェンジから車で10分、越後湯沢駅から徒歩10分という立地の良さで人気のスキー場の1つだ。
 湯沢高原スキー場は標高1800メートルほどの山の山頂付近に広がり、その山の麓には布場スキー場が広がっている。また、湯沢高原スキー場からはGALA湯沢スキー場までのロープウェイが走っており、更にGALA湯沢スキー場から石内丸山スキー場へ行くことも可能だ。
 山頂付近にあるということで、湯沢高原スキー場まではロープウェイに乗って向かうことになる。このロープウェイはおよそ160人もの人を一気に運ぶことのできる、世界最大級のものだそうだ。
 朝8時40分。
 今回のスキー旅行にやってきた私達4人は、そのロープウェイの中にいた。乗客はわずかに10人程度。つまり、次のロープウェイが来るまではその人数で貸し切り状態というわけだ。
 秒速5メートルでゆっくりと、そして確実に上昇していくロープウェイ。その眼下に広がる白い世界に、嫌が上でも気持ちが盛り上がっていく。
 約10分弱の空中散歩を終え、ロープウェイ乗り場から出ると、光が反射した真っ白な世界のまぶしさに目を細めた。
 ほんの20分前まで降っていた雪も止み、空に黒く垂れ込んでいた雲も徐々に風に流され、青い空が顔を出し始めていた。ほとんど誰も足を踏み入れていない新雪の上をギュッギュッと音を鳴らしながら歩く。はやる気持ちを抑えるように、ゆっくりとスキー板を履き、静かに雪の上を滑り始める。
 わずかな風でも舞ってしまうパウダースノーを踏みしめながら、寒さの中にも心地よさを運んでくれる朝の風を頬に受け、ゆっくりとゆっくりと雪面を滑ってゆく。
 1年ぶりの雪とスキー板の感触を確かめながら、右へ左へと緩やかなカーブを描く。隣をすり抜けていく別のスキーヤーが巻き起こした風で中に舞う雪が、雲の隙間から顔を出した太陽の光に反射して、まるでダイヤモンドダストのような輝きを放つ。
 静かに、そしてゆっくりとした時の流れの中で、1年ぶりのスキーは始まったのだ。

 普段やらない情況描写を続けるのは辛いので、話題変更。
 で、私のスキーの腕前は、とてもじゃないが誉められたものではない。
 間の数年の空白を入れて、スキー暦は10年以上を数えるが、未だに上級者コースは怖くて滑れない。まあ、中級者コースの間に突然急勾配がやってきて、逃げ道がない場合などは意を決して滑ることもある。だが、ノンストップで下まで滑り降りることは絶対にない。
 そもそも、私がスキー場に来るのは1シーズンに最高3回までであった。通年はせいぜい1、2回である。多分、今シーズンも2回行けるかどうかは微妙なところだろう。そんなわけだから、せっかく上達した腕も、翌シーズンにはものの見事に忘れ去っているのである。
 スキースクールにでも通えばいいのだろうが、どうも人に教わるという姿勢作りが下手くそなので、変な見栄を張ってしまいそうなのだ。まあ、それ以前にそんな金なぞないというのが本音なのだが。
 だから、まず最初は必ずボーゲンからのスタートとなる。そして、板の感覚を取り戻して、ようやく板を揃えるようにする。ただ、曲がるとなるとなかなか板を揃えることが出来ない。一応、止まるときは板を揃えることができるのだが、滑ってる最中となると、どうもうまくいかない。特に左足に体重を乗せるのが苦手で(これは初心者誰にも言えることで、利き腕の反対側に体重を乗せるのはかなりの度胸を要するのである)右に曲がる時はどうしても足がボーゲンのように八の字に開いてしまうのだ。それでも、ここ2、3年の練習で、多少無様ではあるが、右に曲がるときは右足を上げ、板を無理やり揃えるところまではできるようになったのだ。
 で、今シーズン。
 湯沢高原スキー場の熟練度によるコース割合は、上級・中級・初級=30%・40%・30%である。だが、上級のコースでも最大斜度は28度ほどで、いわゆる本当の上級者コースはほとんどない。つまり、中級者向けのコースがメインということである。これは、私にとって絶好の練習ポイントだ。そこでまず、中級者コースで足慣らしをした。このコースの最大斜度は20度強。決して緩やかではないが、怖くてどうしようもないほどの急斜面ではない。と、甘く考えていたのだが、1年ぶりのスキーは甘くなかった。いくら人がいなくて、コース幅が広くても、坂の上から見るとものすごい急勾配に見える。私は極力スピードが出ないように、エッジを効かせながら斜面を斜めに滑り降りる。その横を、爽快なスピードで滑りぬけていく他のスキーヤーたち。そんな彼らを羨む余裕もなく、私はただひたすら転ばないようにということだけに気をつけて、慎重に滑り降りる。
 無事、転ばすに一番下まで滑り降りることのできた私は、次に2本のリフトを乗り継ぎ最頂部まで向かう。ここからはまっすぐに滑り降りる上級コースと、緩やかに迂回している初級コースがある。当然、私は初級コースへと向かう。書くまでもないことだ。
 ややコース幅は狭くなったが、傾斜は一気に緩やかになり、油断すると簡単に止まってしまうほどだ。
 ふと立ち止まって耳を澄ます。聞こえてくるのは、ゆっくりと近づいてくる友人が雪を踏みしめながら滑ってくる音だけ。しばらく滑った先は少し開けていて、見上げた空は完全に青く澄み渡り、遠くまで連なる山並みが視界に飛び込んでくる。まるで、そこだけ合成された作り物の景色のような違和感を覚えたのは、ここまで壮大な風景にしばらく出会っていなかったからだろう。年を取るうちに少しずつ心が荒んでしまっていたようだ。
 こうしてゆっくりと、これは大してスピードが出せないのである意味仕方なくではあるが、初級コースを滑り降りる。さすがに1.5km近くもあると滑り応えがある。
 このコースを更にもう1本滑ると、大分昔の勘を取り戻すことが出来、徐々に板を揃えられるようになってくる。ここで、今回一緒に行ったうまい人に具体的なコツなんぞを教えてもらったりする。ざっとした説明ではあったが、これがかなりポイントを押さえていて、今までよりもスムーズな体重移動ができるようになってきた。これを2時間ばかりやっている内に、緩やかな傾斜であれば、そこそこ板を揃えたまま曲がることができるほどまでになったのだ。
 途中、止まっている私にスノボをやっていた男が正面衝突をしてくるなどというトラブルもあったが、確実に腕が上達していることの喜びに私は打ち震えていた。

 なぜか、安っぽい大したことない味なのに、やたらうまく感じるゲレンデのラーメンを食べたのち、一旦宿へと戻ることにした。なぜなら、やたらと天気が良くなってしまい、雪の照り返しで日焼けしそうだったからだ。つまり、日焼け止めを塗りに戻ろうということになったのである。
 本来なら、行きに使ったロープウェイを使って戻るところなのだが、このスキー場には麓の布場スキー場まで下山する下山コースがあるので、それを使うことにした。何せこのコースは3km近くあるロングコースなのだ。ただ、コースの入り口に立っていた立て札に上級者コースと買いてあったのは気になったが。
 さて、その下山コース。上級者という名に恥じず、いきなり斜度28度の坂がお出迎え。そして、それを乗り越えた先にはやたら狭い本格的な下山コースが顔を出した。傾斜こそさほどきつくないとは言え、片側は急な崖であり、それも1本の細いロープで区切られただけである。さらに、なぜかこのコースだけは雪面がアイスバーンのようになってしまっていて、思うように速度の調整や、曲がることが出来ない。それは嫌でも崖に対する恐怖感を増していく。慎重に慎重を重ね、ゆっくりとゆっくりと滑り降りていく。そして、結構な時間をかけてようやく下山をすることができたのである。
 こうして一旦宿にと戻ってきた私達は日焼け止めクリームを塗り、今度はGALA湯沢の方へ行こうということになった。しかし、それがあんな恐ろしい体験につながることになろうとは、この時の私には知る由もなかったのである。

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