ACT.94 わたしのそばに (2000.12.14)

 最近の私のマイブームはズバリ「蕎麦」である。
 蕎麦といっても、老舗の香りが漂うような店の蕎麦ではない。
 駅前などに多い、立ち食いの蕎麦のことである。
 私の蕎麦に対する思いを述べる前に、どうしても言っておきたいことがあるので書いておく。
 私の出身は散々書いているが香川の高松である。
 いわゆる饂飩の郷である。
 へぇ、うどんってこんな字を書くのだね。前にも見た記憶はあるけど、絶対覚えられないよね。
 で、香川では本当に蕎麦を見る機会が少ない。
 そりゃ、まったくないわけじゃない。駅の構内にある店は、旅行客のことを考えて蕎麦を置いているし、専門の蕎麦屋だってある。
 が、香川の人間がその暖簾をくぐる機会はほとんどないといっても過言ではないだろう。これはあくまで私の憶測であるが、香川の人間が蕎麦を食べるのは大晦日だけである。
 そんな私であったから、蕎麦を食べる機会というのも必然的に少なかった。少なくとも香川で食べた記憶は数度しかない。
 だからといって蕎麦に対して特別な嫌悪感のようなものはなかった。しかし、蕎麦を食べたいという欲求が生まれることはなかった。
 さて、私は散々書いているが、今は神奈川県に住んでいる。おかげで讃岐うどんを食べる機会もめっきり減ってしまった。
 昔はうどんを1週間食べないと禁断症状が出るなどと、よく言っていたのだが、一概に嘘だと言い切れないから始末が悪かった。前に住んでいた高知県では、よくうどんを食べるためだけに帰省をしたものだ。ちなみに、さらにその前の埼玉県に住んでいたときなどは父親が讃岐うどん屋を経営していたためうどんに困るということはなかった。その時にうどんの打ち方を覚えたのは、また別の機会に。
 で、今までは多少無理をすれば香川にいなくとも、讃岐うどんを食べることが可能だったのだ。
 しかし、今はそうはいかない。一応、定期的に、といっても2、3ヶ月に一度程度だが、讃岐から冷凍でうどんを取り寄せている。しかし、打ちたてのうどんはそう簡単に食べることはできない。まあ、こっちにも讃岐うどんの看板を掲げお店はあるのだが、まず私はそういう店に入ることはない。過去に思い出したくない屈辱的な思い出があるためだ。詳細は本当に思い出したくないので書かない。それぐらい辛い思い出なのだ。察してくれ。
 こうして、讃岐うどんを食べない日々が続き、私ももうだめなのかと諦めにも似た心境が心を覆いかぶしていく……なんてことは全くなく、いとも簡単に慣れてしまった。
 食べたいと考え出すと止まらないということはあるが、食べられないと始めから考えていると、それならしょうがないよと体が納得してくれる。こうして私は讃岐うどんからの呪縛を解き放ったのだ!いや、別に呪縛でも何でもなくて、今でもうどん大好きっ子なんですけどね。
 さて、ようやく話を蕎麦へと戻そう。
 こっちへやってきてから、バイトやら就職やらで色々な駅に行く機会がある。
 そして、それぞれの駅にはほとんどの確立で立ち食い蕎麦(うどん)屋がある。
 これは都会では至極当たり前のことなのだろうけど、田舎出身の私からすれば驚くべきこと。いや、その前にも色々と驚くべき事実があるんだけども、今回は蕎麦の話なので書いていない。決して私の食い意地がはっているとか関係ないので、誤解のないように。
 で、その立ち食い蕎麦屋の前を通るたびに鼻孔をくすぐるダシの香り。讃岐うどんのだしとは明らかに異質なものなのだが、やはり私も日本人。カツオや醤油の香ばしい香りに誘われないはずがないのだ。
 しかし、そういう時に限って急いでいたりするものだから、そのたびにものすごく後ろ髪を引かれる思いであった。
 そこで、今度こういう蕎麦屋の前を通る機会があったら必ず入ろうと考えていた。しかし、どうも立ち食い蕎麦屋の神様に見放されていたのか、時間やお腹に余裕がないことが数回続き、店の前に漂う香りで満足するよう体に言い聞かせるしかないなぁなどと考えるようになっていた。
 しかし、そうやって言い聞かせようとしていると、食べられる機会が巡ってくるのだから、立ち食い蕎麦屋の神様も気まぐれだ。
 実はこの時こそが、私が生まれて初めて食べた立ち食い蕎麦なのである。あ、そういえば過去に2度だけ駅で立ち食いの蕎麦を食べたことがあったのを思い出した。でもあれは徳島県の阿波池田駅というものすごい物悲しさがあふれている駅で食べた名物祖谷蕎麦だったから、ここでいう立ち食いとは少々趣が違う。よって、ここでの初体験とは観光客目当てではない立ち食い蕎麦屋で食べたことになる。
 いや、別にそんな細かいところまで考えることはないのだが、ともかく初めて食べたのである。はっきり言って、特別うまいことはなかった。さすがにインスタントよりはうまかったが、ゆで麺を温めただけの麺に作り置きしている天ぷら、明らかに業務用であろう出汁、と見事なトライアングルが完成されている。
 まあ、それに見合う値段なので特に不満はない。ようするに、味よりも早さと安さが優先されているわけだ。最近は行かないからどうか分からないが、昔の吉野屋のようなものだな。
 ここまで読んで感のいい方なら気づいたかもしれない。そう、私が立ち食い蕎麦にはまったのはその手ごろな安さと早さにあるのだ。
 基本的に私は浪費家だ。大きな買い物は滅多にしないが、小さな買い物を大量にする癖がある。本などがいい例だ。私は本屋に行くと必ず1冊は何かしら本を買ってくる。まあ、ほとんどが安い雑誌なのだが、ほぼ毎日本屋に行くということを考えると、馬鹿にならない額になる。食事なんかも、後々のことなどは一切考えず、その時に食べたいものを食べてしまう。食べに行くときなら、食べたい料理1品で済むのだが、コンビニやスーパーに行ってしまうと、食べたいものをすべて買ってしまうのだ。安く上げるつもりで入った店で、結果的に外食以上に金を使っていることも多い。全く持って無意味である。だから、始めから単価の安い料理店=立ち食い蕎麦屋という図式が完成したわけである。
 そんなわけで、立ち食い蕎麦屋の前を通るたびに時間とおなかに余裕さえあれば、そこを利用するなんてことを繰り返していた。おかげで、今では立ち食い蕎麦屋の前を通るだけで腹が減ってくるようになってしまった。まさにパブロフの犬状態である。おまけにうどんを食べられない状況もまったく気にならなくなった。
 正直これは讃岐の人間としてはちょっと寂しい話だ。

余談:この3週間で私が昼飯として蕎麦を食べた回数……11回
   この3週間で私が昼夜問わず蕎麦を食べた回数……22回
結論:私は実に単純な生物である

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