25  白池


「何か良いバイトないでしょうか」
 バンド練習が休憩に入ったところで、耕平が言った。
「なんだよ。ひょっとして今月赤字?」
 曇った銀ブチ眼鏡をタオルでふきながら白池が聞く。
「ギターも買ったし、それにサイクリングでもお金使っちゃったから」
 そういえば、耕平は先日合コンの女たちとサイクリングに行ってきたとか言ってたな。
何か楽しいことでもあったかな。気分良さそうだ。
「そうだ。耕平のヌードを描くって話もあったじゃないか。モデル料とればいいよ。お前なら日当二万には
なるだろ。こないだのやつら以外にも、美術部とかも描きたいだろうし」田頭が横から割ってはいる。
「それいいな。俺がマネージャーやろうか?」白池も同意する。
「いえ。モデル料だなんて無理ですよ」
「バカだな。あいつら、お前をモデルにしてBL漫画描いて同人誌で儲けるんだぞ。当然の取り分じゃないか」
 田頭が言うが、耕平は首を振る。
「俺、考えてるんだが、バンドとしてクラブか何かで演奏のバイト。どうかなって思うんだけど」
 それまで黙っていた島田が言った。
「無理無理。素人を金払って雇う経営者なんていないって」
 すぐに田頭が否定する。当然だろう、特別演奏がうまいってわけでもないし。
「今までなら無理だと思うよ。でも、今は耕平がいる。プロモーションビデオ作るんだよ。それをクラブなんかに
配って回るわけだ。俺は絶対受けると思う」
 なるほど、このバンドは耕平の加入でビジュアル面ではそこらのプロのバンドすら凌駕するものを持つことになったわけだ。
 耕平が主演のプロモーションビデオを想像して、白池は島田の目の付け所は間違っていないと確信した。

プロモーションビデオの作成は、一応手慣れた放送研究会の連中に頼むことになった。
 翌日、午前中の講義が済むと、島田と白池、それに耕平が揃って、放送研究会の部室に向かった。
 昨日のうちに電話でアポイントメントはとってある。
 部室では、黒ブチ眼鏡をかけたおかっぱ頭の小太りの男と、顎の尖った眉の細い痩せぎすの女が三人を迎え入れた。
「あたしが部長の瀬戸洋子。こっちはビデオ編集担当の川原順次、よろしく」
 素っ気ない挨拶だ。
 島田を最初に、白池、耕平と順番に自己紹介した。
 殺風景な部室の中に、撮影用機材と思われる機器類がゴロゴロ転がっている。
 機材のためなのだろうか、雑然としてはいるが意外と掃除は行き届いていた。

「なるほど、この子が有名な耕平くんね。確かに美女としか言いようがないわ」
 瀬戸洋子が言った後、川原が叫んだ。
「閃いた! この子にセーラー服を着せて波打ち際で波と戯れさせる。バックの曲は松任谷由実で春よ来い、
これで決まり!」
 いきなりかよ。セーラー服は無いだろう。オタク臭がプンプンの男だと思ったが、想像以上かもしれない。
 白池は、やはりレンタルの機材でも借りて自分たちで作った方がマシなのではないかと思う。
「ばかばかしいと思うかもしれないけど、川原のひらめきは案外当たるんだよね。こいつの中でもうPVできてるよ、きっと」
 あからさまに嫌な顔をした白池を軽く睨んで瀬戸洋子が言う。
「製作費用は10万」瀬戸洋子が付け加えた。
「ちょっと高いんじゃないか、そんな金ねえだろ。無駄だったな、帰ろうぜ」
 白池が席を立つ。島田と耕平はまだ迷っているようだ。
「制作費は後払いでいいわよ。PVでバンド演奏の依頼が来たら、そのギャラの中から払えばいいしね。
もし依頼がこなかったら、PVの責任でもあるから費用はいらない。どう? これなら」
 白池の腰がストンと椅子に落ちた。
「いいな、それ。しかし、耕平にセーラー服だなんて、それはさすがに冗談だよな。似合いすぎて怖いっての」
 白池の言葉に、川原は首を振った。
「PV作るならそのキャラの一番良い部分をクローズアップしなきゃ意味ないんだよ。佐川の場合は女っぽいキャラを
前面にだす」
 川原は白池の方には見向きもせず、耕平の顔をジッと見つめて言う。
「まあいいだろ。製作費用は10万で、ギャラの中から後払い。PVについてはそちらに任せる。それで決まりだな」
 島田がまとめる。
「耕平はどうなんだよ。セーラー服だぜ」
 白池が耕平にふった。
「ちょっと抵抗あるけど、いいPVにしてくれるのならやります。任せますよ」
 耕平がいいのなら白池が反対する理由もない。
「じゃあ、今度バンド練習の時、撮影にいくから。『春よ来い』を演奏してね」
 瀬戸洋子の言葉を最後に、三人は席を立った。

 契約の三日後の金曜日。放送研究会のメンバー五人が加わった貸しスタジオは満員だった。
 三台のカメラをセットし終えたあと、部長の瀬戸洋子が島田のそばに来た。
「演奏の方は大丈夫?  ちゃんと練習できたかな、あれから日が無いけど」
 島田が聞かれたが、奥の白池が代わりに答える。
「大丈夫だって。それよりきちんと撮ってくれよ」
 瀬戸洋子が白池を見た。
「じゃあ、さっき言ったように三回演奏して」
 それだけ言うと、カメラの後ろに引っ込んだ。
 しかし愛想の無い女だ。何かギスギスしてるし。でも、あれでも女。耕平はあれでも男なんだよな。
 チラリと耕平を覗き見て、白池はゆっくり首を振る。
 仮にどちらかとセックスしなければならなくなったら、自分はどっちを選ぶだろう。
 これは考えてみるまでもない。耕平を選ぶに決まっている。
 俺は変態になってるんだろうか。それとも、こういう感覚はまだ普通なのだろうか。
 どこまでが普通で、どこからが変態だろうか?
 白池は大きく首を振ると、楽譜に目をやった。

 三回同じ演奏をするが、違っているのは耕平のビジュアルだった。
 最初は髪をアップにしてなるべく男っぽくした顔で。
 衣装はスリムジーンズにこげ茶のピッタリしたティーシャツというもの。
 二度目は、衣装はそのままで髪の毛を普段どおりに下ろして、口紅だけ塗る。
 そして三度目は、耕平はセーラー服を着て、しかも化粧もばっちり決める。
 その三つの映像を順にしながら、間に先日言っていた、耕平の砂浜シーンを入れるのだろう。
 ありふれたプロモーションビデオだが、唯一ありふれていないのが耕平だ。
 耕平の化粧した顔なんてまだ見てなかったが、いったいどう変わるんだろう。
 ブスが化粧で美人になるというのは驚くが、元から美人では化粧してもたいして変わらない気がするが。
 一回目の演奏が終わったところで、瀬戸洋子が耕平のメイクを始めた。
 今回は口紅だけということだが、髪をきちんとセットた耕平はそれだけでもかわいい女だ。
 口紅しただけで、ぐっと色っぽさがました。
「やっぱりちょっと違うな」
 島田が白池に言った。耕平の色っぽさに感動した人間がここにも一人か。
「耕平ってさ、普段は爽やか系だけど、どうかするとすごくエロい感じになるよな」
 白池の言葉に島田が薄く笑った。
 そう言えば最初のころと違ってきたな、と白池は思った。
 島田の耕平に対する態度というか、対応がだ。以前はもっとべったりな感じでちやほやしていたのに、
最近は必要な亊以外話さないみたいだし、むしろ耕平を避けているようにも見える。
 二人の間に何かあったのだろうか。そういえば、同じようなのがもう一人。
 安岡もそんな感じだった。最初のころみたいに気軽に冗談を言ったりしないようになった。
 惚れたかな? 特に何も思って無ければ普通に接することができても、特殊な感情を持ってしまうと、
態度がぎこちなくなる。特殊な感情というのはこの場合もちろん恋愛感情だ。
 最近の自分の耕平を思う気持ちがその感情に近くなっていることを、白池は半分苦々しく思っている。
 自分は体育会系でも同性愛者でもないのだから、こんな感情があってはいけないと何とか自制しようとしている。
 自分さえこうなのだから、体育会系できた二人がすっかり惚れ込んでも無理が無い気がする。


 26 安岡


 二回目の演奏が終わった。演奏自体はまあまあの出来だった。
 島田のドラムがいつもと比べてややパンチが無かった気もするが、耕平のボーカルは一回目以上にのっていた。
 一回目が終わったときに、瀬戸洋子から、もう少し身振り手振りを入れて感情を表現するようにと言われたのだった。
 ベースを弾きながら斜め後ろから見る耕平は、ウエストの締まり具合がまるで女だ。
 その耕平の歌声は、ユーミンのオリジナルから半音下げてはいるが男の歌声とは思えない艶やかな情感あふれるものだった。
 しかし、その後がすごかった。
 まずはティーシャツの上からセーラー服を、そして、膝丈のスカートを履いた上でジーンズを脱ぐ。
 足元は素足に赤いパンプス。
 化粧といえば、まだ口紅を塗っただけの耕平だが、その姿にはくらりとくる。膝下しか見えないが、
そのほっそりしたふくらはぎ。
 耕平を抱いた夜を思い出す。
 全裸で立つ耕平。少しだけ胸が膨らんで、細い肩幅とくびれた腰、それに男にしてはやや大きめのお尻。
 全部が俺を虜にした。安岡は耕平を凝視していた視線を無理やり外して、天井のライトに目をやる。
 目を瞑ると緑色の残像が暗闇を突き破るように視界を占領する。
 まるでこの残像みたいに、耕平は俺を占領した。俺の心を奪い取った。
 あの日からの安岡は、ふとした拍子にいつも耕平のことを考えている。裸の耕平をしっかり抱きしめたあの夜から、ずっと。
 もう一度抱きたい。あの尻を抱きたい。
 女よりも女らしいあの尻を。
 化粧の決まった耕平をみて、安岡は恋愛感情には限度というものは無いのかと、ほとんど絶望感を感じた。
 わりと薄めの耕平の顔つきが、目元を中心にくっきりとメイクアップされていた。
 どちらかというとパッチリ系と言うより切れ長の耕平の眼が、マスカラやアイラインで印象深くなっている。
 すごく色っぽい。夜道を一人であるいていたら、絶対襲われる顔だった。
 男だ、女だなんて関係ない。誰でも夢中になるに違いない顔だった。
 その時、このPVは絶対成功すると、安岡は確信を持った。
「うひょー。めちゃキレイじゃないか耕平。いやーこれは驚いた。美人は化粧してもそんなに変わらないと思ってたけど、
はっきり言って呆れました」
 田頭が無邪気な声をあげた。他の三人は声もなく見つめるだけのようだ。
 こうなったらマジで告白するしかない。
 耕平の部屋での気まずい別れのあと、安岡は少しずつ耕平との距離を縮めてきた。
 すぐ後はほとんど顔を合わせないようにしていたが、徐々に軽い挨拶からちょっとした会話まで、少しずつならしてきた。
 最初のころは固い表情だった耕平も、最近は割と以前のように普通に話してくれるようになっていた。
 そして今日。
 スタジオに入ったあと、安岡の眼をしっかりと見て、よろしくお願いしますと言って笑ってくれた。
 しっかり眼を見て話してくれたのも、笑いかけてくれたのも久しぶりだった。
 耕平も、何かが少し吹っ切れたように思える。
 この撮影が終わったら、帰る途中で告白しよう。
 帰る方向は同じだから二人になる機会はあるだろう。
 これまでは、気まずさからわざと時間をずらして帰っていた。今日はダメ元で特攻しよう。
 
 三回目の演奏は耕平の女装の素晴らしさに皆が感嘆した所為か、これまでになくのりのいい、弾んだ演奏だった。
 切れがよく、どこに出しても恥ずかしくない。耕平のボーカルもよかった。
 一発でオーケーを出した後、耕平が女装をとく。
「何かもったいないな。セーラー服は着替えるしかないけど、化粧はそのままにしておけば」
 田頭が横から耕平を覗き込んで言う。
「でも、ちょっと派手じゃないですか?」
 スタジオのガラス扉に顔を映して耕平が聞いた。
「お前の場合、普通にしていて女に思われてるんだから、すっぴんの方が不自然なんだよ。そっちが自然」
 安岡は、田頭の言うのがもっともだと思った。自分も田頭みたいに軽く声をかけてやりたいと思ったが、
思わず声がうわずりそうで止めておいた。

 撮影が済んで、安岡が、どういうふうに耕平と二人で帰ろうかと思案していると、耕平の方から声をかけてきた。
「今日は寄る所ないんですか?」
 ソフトケースに入れた自分のギターを肩に担いだ耕平が安岡を見上げる。
「いや、まっすぐ帰るだけだけど」
「じゃあ、よかったら練習見てくれませんか。だいぶん弾けるようになったんですよ」
 屈託なく笑う耕平がまぶしい。二人の間のわだかまりは時が解決してくれたようだ。
 チラリと島田の方を見ると、目があった。
 嫉妬で睨まれるかと思ったが、意外なことに薄笑いをして頷いた。まあガンバレってことか?
 島田と耕平はその後どうなのだろう。あんまりべったりしてる感じじゃない。
 島田は振られたのだろうか。
 貸しスタジオを出て、二人で歩いていると周囲の視線を痛いほど感じた。
 ただでさえ綺麗な耕平が今日はばっちりメイクしているのだ。
 セーラー服は脱いでしまったが、スリムなブルージーンズと茶色のティーシャツ姿でも、じゅうぶんいけている。
 細い首筋、胸元は少しふくらみ、くびれた腰つきは伸びやかな長い足につながり、道行く男の目を惹きつけている。
 
 最寄りの駅で電車を降りると、耕平の部屋までは歩いて二十分ほどだ。
「ギター、重くないか?」
 華奢な耕平と歩いていると、つい女の子といるような気になってしまう。
「大丈夫ですよ。それよりちょっとそこの公園によっていいですか?」
 耕平の指差す公園は、以前三人組に襲われた場所だった。
 鼻の下にナイフを当てられて、もう少しで鼻を削がれそうになった。
 あの時の恐怖が一瞬蘇り、背中に冷たいものを感じる。
「部屋の中じゃ思い切り弾けないから、たまにここで練習してるんです」
 耕平が公園の敷地に足を踏み入れる。あの時のことは、もう思い出しているはずだ。
 襲われたことももう気にしていないということだろうか。
 耕平に連れられてきた所は、あの時のベンチだった。
 そう。そのベンチに裸の耕平が立たされたのだ。
 そのベンチに耕平は腰かけると、ソフトケースから青いギターを取り出した。
 音があっているのを確かめた後、おもむろにストロークを始める。
 スピッツのチェリーだった。
「君を忘れない……」
 耕平の歌がかぶさる。一瞬自分のことを言われたのかと思った。
 耕平は俺とのことを思い出にして、新しい世界に羽ばたいているのかもしれない。
 でも、そうだ。俺のことを忘れないでいてくれたら、それでもいいのかもしれない。
 耕平を抱いたあの部屋でのシーンが頭の中で再生される。
「……いつか、またこの場所で、君とめぐり会いたい」
 耕平が最後のフレーズを歌い終わる。
 まったく、この場所が二人の思い出の場所ということか。ハマりすぎておかしくなってしまう。
 後ろから拍手が聞こえて、振り向くとベンチの周囲には五人ほど聴衆が集まっていた。
 若い男の二人組から、耕平最高、と声もかかる。
 耕平を見ると、その二人組に対して小さく手を振っていた。
 顔見知りのようだ。
「うまくなったな。Fもちゃんと音でてるし」
 思った以上に騒がしい未来が耕平を待ってるんだろう、そう思いながら安岡は言った。
「春よ来い、弾いてもらえますか?」
 耕平が安岡に聞いた。
 安岡は頷いて耕平からギターを受け取る。見ると聴衆は既に十人を越えていた。
 この時間よく耕平はここで弾いてるんだろう。公園のファンたちは耕平目当てで集まってきたみたいだ。
 前奏を弾き、歌いだしの合図を送る。
 立ち上がった耕平は、いつもの聴衆に向けて笑顔で歌い始めた。

 
 27 安岡


 適当に座ってくださいといわれて、安岡は狭い部屋の隅にあぐらをかいた。
 500CCのビールとグラスを二つ、耕平は座卓の上に置いた。
 ビールが出てきたのは意外だった。耕平、部屋で一人で飲んでいるのだろうか?
「公園じゃ人気者だったな」
 注がれたビールを喉に流し込んで、安岡が言った。
「若い男の二人づれがいたでしょ」
 部屋の窓を開きながら耕平が言う。
 ライムグリーンのカーテンが、夕暮れの涼しい風に煽られる。
「ああ、耕平最高って声かけてた二人組か?」
 名前を知っていたってことは、以前ナンパでもされたんだろうか。
 二人掛かりの男達に無理やり卑猥なことをされる耕平が浮かんできて、安岡の股間が硬くなる。
「あの二人組、実はカップルなんですよ」
「カップル? 男二人だったよな」
「同性愛者のカップルらしいです。声掛けられたときはちょっと警戒したけど、彼らにとっては女っぽい男は
性的には興味の対象外なんですね。ちょっと新鮮でした」
「おもしろいな。お前の場合、女好きの男の方がむしろ寄ってくるってことか」
 言いながら、そういえば自分も同性愛者というわけではないのだったと改めて思う。
「今まで、同じ男同士でも性的な対象として見られることが多くて、そうじゃない友人っていなかったんですよ。女の人は
やっぱり友人にするには趣味が違いすぎるし。そう考えると僕って割と孤独だったかなって」
 耕平は自分で注いだビールを一息に飲み干した。
 酔ったら淫乱になる耕平に、安岡の期待が高まる。しかし、どういうつもりなのだろうか。
 告白されるのを予想して、あえて受け入れることを考えて飲んでるのか?
 酒でも飲まなければ俺を受け入れるのは無理だということか?
 ムッときたが、ここは顔に出さずにとにかく当面の目的を果たすことを考える。
「俺は同性愛者じゃない。でもな、お前のことが好きだ。もうどうしようもないくらいに好きなんだ。
お前に他に好きな奴がいるのなら、きっぱり諦める。先輩として好きですとか、友人として付き合ってとか、
そういう台詞はいらないから、俺を受け入れるかどうかはっきりして欲しい」
 これまでずっと心に貯めていた言葉を、安岡は一気に吐き出した。心を堰き止めていたものがふっとなくなり、
一瞬心が軽くなった。
 向かいに座った耕平は、手に持ったグラスを見つめている。
「夏はやっぱりビールですよね。コーラじゃ甘いし」
 言って一つため息を吐く。はぐらかすつもりなのか?
 安岡が睨むと、耕平はふっと笑った。
「自分を好きになってくれる人には、いつもありがたいなって思います。やっぱり嫌われるより好かれる方が嬉しいし。
でも、僕は今まで誰かに恋をしたことないんです。恋愛感情っていうのがよくわからないんです。しかも
男同士ですよ。一応のゴールの結婚というのもないし。こんな場合どうしたらいいのかな?同性愛者じゃないんだから
カップルになるというのもちょっと違いますよね」
 逆に聞かれて安岡は返答に困った。
「受け入れるというのが、身体の関係というのなら、すでに安岡先輩を僕は受け入れたし。でも、あの時のことは
悪かったと思ってます。僕の方から誘惑するようなことしたんでしたよね。そのくせそれを忘れるなんて、本当に
ごめんなさい」
 こくんと耕平が頭を下げる。頬が少し赤らんでいる。
「別に、俺は謝ってほしいわけじゃないから……」 
 言いながら、確かに自分はどういうことを望んでいたのかと疑問に思う。
 カップルの相棒として認めてもらったとしても、結婚がない以上その先に進みようがない。
 ふと、同性愛者の行き場のない関係性というのを想像して暗い気持ちになった。
「お詫びってわけではないんですけど、僕の気持ちとしては安岡先輩の事受け入れてますから。抱いてもらっていいですよ」
 安岡の待ち望んでいた言葉だというのに、安岡は素直に喜べない。
 

 28 山田


 真夏の日差しのまぶしさを感じながら、学食に向かっていると、吉野宏美の声が後ろから聞こえてきた。
 りゅうちゃんと呼ばれるのは久しぶりだ。
 振り向くと、先日サイクリングに行った宏美と龍子、それにもう一人女がいた。
「こんにちは、ちょっといい?」
 有無もいわせず広美は山田の左腕に抱きついてきた。
「なんだよ」
 振り払うのも面倒くさくてされるがままだ。
「お昼おごるから、こないだの話聞かせて」
 ということは、もう一人の女も腐女子の仲間って事か。
 思わずため息が出るが、宏美が色々聞きにくるだろうというのは予想していた事だった。
 
「こっちはスキー同好会で一緒にやってる沢渡舞、かわいいでしょ。よろしくね」
 宏美に紹介された小柄な女が笑顔で会釈した。
 混んだ学食の中で何とか窓際に席を見つけた四人はボックス席に向かい合わせに座った。
 とんかつ定食大盛りを、龍子が買ってきて山田の前に置く。
 沢渡舞は四人分のコーヒーを乗せたトレイを運んできてテーブルに置いた。
「せっかく大盛おごってもらって悪いけど、たいして話すこと無いぜ」
 割り箸を袋から出すと、二つに割る。
 右側が途中で折れて長さが不揃いになってしまった。何か調子悪いな。
 山田は、耕平とのサイクリングからこっち、何となくモヤモヤを抱えていた。いつもの調子じゃないのを実感している。
 そういうのがこういう所にも現れるものなのだ。
「何か浮かない顔ね。サイクリング楽しくなかった?」
 宏美の質問に三日前の東屋でのことが思い出される。
 このところずっと山田の心の中に渦巻くシーンが、また出てきた。
「楽しかったさ。普通にな。耕平って奴も思ったよりいい奴だったし」
 耕平という名前を出すのに抵抗感を感じる。口に出してしまうとその美しい呪いに死ぬまで囚われてしまうかのようだ。
「最初は顔はかわいいけど性格悪い奴って思ってたわけだ」
 こういうのを誘導尋問って言うのかな。ぼんやりそう思いながら頷く。
 仕方なく、耕平と二人で古槌山に上った過程を手短に話す。耕平の足がつってマッサージした所で一旦話すのを止めた。
 耕平が女性ホルモン飲んでたって話はしない方がいいだろう。あれは二人だけの秘密だ。

「ふんふん、なるほど。それで、帰りに雨に降られて脇道の東屋に雨宿りに入ったと。そこで二人はキスするわけだ」
 アイフォンを操作しながら吉野宏美が言った。録音していたのか?
「何言ってるんだよ。キスしたなんて言ってないだろ」
 驚いて山田が否定する。まるで心の中を見透かされたかの様な気がしてぞっとした。
「はいはい、この部分は創作だから構わないで。舞の同人誌のストーリーにちょっと使わせてもらうだけだから」
 宏美の自身ありげな表情が癪に障る。まるで弱みを握られている様な気になってしまう。
 俺はこいつに何か弱みを握られているだろうか。考えて見るが思い当たらない。
「でも、タオルもってました? 濡れたんでしょ」
 橋本龍子が左から声をあげた。
「タオル? ああ。耕平がもってたよ。俺にも一枚貸してくれて、それで髪の毛拭いたな」
「濡れた背中を拭いてあげたりしました?」
 またも鋭い一言にギクリとする。思わず顔を逸らしてしまった。
「ああ。背中濡れたままだと風邪ひくからさ。そのくらい普通だろ?」
 つい言い訳してしまう。
「絵的な事で聞きたいんですけど、その時、耕平くんのジャージを上まで捲りあげました? それともジャージの
中に手を入れて?」
 今度は沢渡舞が片手に小型のスケッチブックを開いて質問してきた。こいつが同人誌の作者か。
「ええと、手を入れて、だったかな」
 山田が答えると、すかさず沢渡舞の右手が動いて簡単なスケッチが描かれる。
「女殺しの山田隆一が、あんなかわいい子落とさなかったの?」
 再び吉野宏美。三人がかりで袋叩きにあってる気がしてきた。
「確かに美人だと思ったけどな。男だぜ。手出すわけないだろ。何をどう手を出せってんだよ」
「山田隆一にも落とせなかったわけだ。ふふ、逆じゃない? 落とされたんでしょ」
 またも見透かすような目つき。何か知ってるんだろうか、先日の事。
 隠れて見ていたとかじゃないだろうな。
 朽ちかけたテーブルに横たわる耕平の裸体。あれからずっと山田の意識を支配している映像が、またも現れる。
 やや膨らんだ乳房。女性ホルモンの所為で女性化乳房になっているのだ。
 女にするように、その乳房に口付けをする。甘い匂い。あれは男の匂いじゃなかった。
 自分が自分じゃなくなったようなあの感覚が蘇る。
「ばかばかしい」
 思わず山田が怒鳴ると、三人が席を立った。
 見上げる山田に宏美が頷く。
「どうも有難う。ここまででいいよ。ストーリーは使わせてもらっていいよね。もちろん名前は出さないし」
 勝手にしろと言う山田に、捨て台詞のように宏美が付け加えた。
「そうだ。今、放送研究会でPVの上映会やってるんだけど、すごい人気だよ。行列できるくらい。300円で
有料なんだけどね。毎回満員みたい」
 何の話だ? 厳しい表情で首を傾げる山田に、宏美が笑いかける。
「碧い空と白い雲のプロモーションビデオだって。耕平くんがボーカルやってるバンドだよ。化粧した耕平くんが
めちゃキレイで。完全にブレークしたよ、あれは」
 三人が立ち去ると、まだ半分しか食べていないとんかつ定食をそのままに、山田も席を立った。
 耕平のプロモーションビデオか。でも、どこでやってるんだ? 部室は狭すぎるだろうし、図書室か?
 ふらふらと正面玄関脇の掲示板に向かうが、途中で男たちの話し声が聞こえてきた。
 次の上映会何時だっけ? 確か三時だったぜ、耕平絶対いいよな。おれ、ファンクラブはいるわ。
 三人づれの男たちだった。彼らを呼び止めて場所を聞く。
 第二予備室でやってるよという声に、一言礼を言ってきびすを返す。
 速歩きからだんだん小走りになる。次が三時からなら、まだ一時間以上時間はあるが、つい急いでしまう。

 第二予備室の前に来てみると、扉にポスターが貼ってあった。
 波打ち際でセーラー服を着た少女がこっちを振り向いて笑っている。
 真っ赤な口紅を塗った柔らかそうな唇が、そのポスターを眺める男たち全員に呪文をかけている。
 一発で心を捕らえて縛り付ける呪文。恋の呪文だ。
 俺も完全にこの魔法にかかってしまった。
 山田は、そのポスターと眼を合わせたときにはっきり自分の状態を悟った。
 あれから数日の間のモヤモヤの正体。自分では認めたくなかった体調不良の正体だ。
 これって恋わずらいって奴かよ。すごく陳腐な気がして一人で笑ってしまった。
 来たときは自分一人だったが、三十分前くらいから人が集まり出した。
 十分前になると自分の後ろに二十人以上の列ができていた。
 列の先頭に立ってしまっているのが恥ずかしかったが、今更後ろに並び直すのもバカらしいからそのままでいると、
放送研究会の部員だろうか、痩せぎすの女がやってきた。
「では、三時からの上映会始めます。入場料は300円です」
 扉を開いたあと、その女は手に持った空き缶を山田に示す。300円入れて入れということだ。
 慌てて財布から小銭を取り出して入れる。
 中に入ると、折りたたみ椅子が何列も並べてあった。高校の時の普通の教室くらいの広さにパイプ椅子が30くらい
並べてある。
 適当な場所に腰かけた。後からもぞろぞろ入ってくる。たちまち満席状態だ。
 観客は男と女が半々くらいだった。皆、目当ては耕平なのだろうか。
 ざわついた室内に、ピアノの音が響き始めた。『春よ来い』の前奏が始まったのだ。
 目の前の大型液晶モニターが砂浜の情景を映し出す。
 セーラー服の少女が左から裸足であるいてきた。耕平の歌声がかぶさってきた。
 話していた時の声とはやはり少し違う。こちらを向き、恥ずかしそうに笑う少女。
 アップになると、周囲の観客からため息のようなどよめきが漏れ出した。
 一転してスタジオで歌う耕平の映像。髪の毛を結んでアップにしているのがかわいい。
 あれでも精一杯男っぽくしているつもりなんだろう。少しおかしくなった。
 他のメンバーの演奏風景も瞬間的に入るが、これはもうバンドのというよりも耕平のプロモーションビデオと
いった方が適切な作りだった。
 再び海岸での映像。波と戯れるほっそりした少女。このビデオを見せられただけじゃ、あれが男だと見抜くものは
いないだろう。
 いやあ、かわいい子だね。あんなかわいい女の子始めてみた。右横の方で声が小さく聞こえた。
 ばかね。あんなかわいい子が女の子のわけないでしょ。女の声がそれに続く。
 右を見るが、それらしい二人組はわからなかった。
 すぐに気づいた。ビデオの中に入れられていた声だと。結構手が込んでるな。
 観客は既にみんなわかっているのだろうが、始めて何も知らずにこのビデオを見るものは、今の声で知ることに
なるのだろう。
 佐川耕平という美女の存在を。

 あの子を、俺は抱いたのだった。
 再び東屋での情景が山田の頭の中の液晶モニターに映り始めた。
 ぷっくらした乳首を舌で転がすと、小さく甘い声を出す耕平。その表情を見ると、山田の頭がさらに熱くなる。
 レーサーパンツに手を滑り込ませると、男の勃起が触った。
 普通なら右手の指が感じるのは、じんわりと濡れた亀裂になるはずなのだ。
 そこに中指を差し込んでくいっとひねると、手の中の女は眉をしかめてさらに甘い声を出す。
 いつもと勝手が違うことに右手は戸惑っていたが、別な状況でなら手慣れているのも事実だ。
 自分のをそうするように、握ってしごいてやる。耕平の息が荒くなる。
 う、うんという甘いつぶやきが耳に心地いい。
 男だ女だという理屈は、こいつが好きだという感情の津波に押し流されてしまった。
 もはや、感情のおもむくまま。
 性感帯をちょいと刺激してやると、耕平の甘い声がして表情がキュンとかわいくなる。
 もっと気持ちよくしてやりたい。
 レーサーパンツを膝下までずり下げると、山田は耕平の股間に顔を埋めた。
 いつも女にしてるみたいに、両足を広げさせ、その中心にキスをする。
 いつもは亀裂に舌を入れるが、その時はやや勝手が違った。
 小さいながらも必死に固くなっている勃起の先端を口に含む。
 ちょっぴり塩辛い。ネロネロになっているなめらかな先端部を舌で舐め回すと、耕平の背筋が反って、あ、ダメと
いう声がした。
 そのままいかせてやろうと思ったが、そこからは耕平の反撃にあってしまった。
 身体を起こした耕平が、山田のジャージに手をかける。
 すっかりでかくなった股間のものが、耕平の色白で繊細な手によって導き出される。
 痛いほど勃起したものを口に含まれると、山田がこれまで感じたこともないような快感が股間から脳天を直撃する。
 テーブルに四つん這いになった耕平が、直立した山田のものを咥えている。
 耕平の裸の尻が山田の目の下で卑猥に揺れている。
 その尻に手を伸ばす。
 肛門に指を当てると、まるで女の亀裂のようにじんわりと濡れていた。
 スルリと中指を入れるとすんなり指の第二関節まで入っていく。そこはダメというように尻が左右に揺れる。
 処理してないから汚いってことか。
 さらに中指を奥まで入れる。
 アナルセックスについては、山田は初めてじゃない。当然、女とだが何度か経験があった。
 その時の経験から、処理せずにアナルセックスするのはあんまりよくないとわかっていたが、逆に、中指を
根元まで入れても奥の便に触れなければ、さほど問題ないというのもわかっていた。
「尻をこっちに向けろよ」
 自分の声がかすれてしまって、まるでエロ映画の中の台詞のように聞こえた。
「ダメですよ。汚いから。口でいってください」
 口を離した耕平が山田を見上げる。
「いいから。水道もあるんだし、終わったらすぐ洗うから、いいだろ」
 そういうと、耕平は、小さくはいと言って反対向きになった。
 白くなめらかなゆで卵みたいな耕平の尻がこっちを向く。
 思わずその中心にキスをした。アヌスの匂いを思い切り吸いながら、舌を入れ込む。
 あーんと言う声に、山田の血圧がぐんと上がる。もうプッツンしそうだ。
 いや、もう既にプッツンしていた。常識とか、山田のそれまでの生き方。そんなものが、耕平の前に粉微塵に
なってしまった。
 しかし、山田が耕平の尻に硬くなった物の先端を当てたとき、山田の運は尽きた。
 駐車場の方に霧の中からライトを灯した車が入ってきたのだ。
 東屋は駐車場から少し高い位置にあるから、すぐに見つかることはないが、止めるしかなかった。

 プロモーションビデオが終わってエンドロールが流れている。
 周囲の観客たちはなかなか立ち上がらない。その中で山田は席を立つと、通りにくい通路を何とか通って部屋を出た。

 めまいがした。


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