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「夏海、しっかりして」
 潮騒をバックに桜の声が聞こえる。誰かが私の頬を軽く叩いた。
 目を覚ました夏海に最初に襲ってきたのはひどい頭痛だった。
 後頭部がづきづきする。スタンガンの後、さらに一撃受けて気を失っていたようだ。
「桜、助けに来てくれたの?」
 起きようとしたが、夏見は身動きできなかった。縛られていたのだ。
 コンクリートむき出しの床にダンボールが敷かれていて、その上に寝かされていた。
 見回すと倉庫の中のようだった。潮騒が聞こえるということは、海辺の倉庫街か。
 蒸し暑い倉庫の中で、汗にぬれた脇の下が気持ち悪かった。
 はやく解いてよと言おうとして、それが無理だとわかった。
 桜も同じように縛られて倒れていたのだ。
 頬をたたいていたのは桜の足だったようだ。
「桜も捕まってたんだ。郁子は?」
 あたしはここ、という返事がすぐに聞こえた。
 寝返りを打つと、郁子も同じだというのがわかった。
 三人とも捕まってしまった。しかも、自分を拉致したのは先日の男じゃなかった。
 いよいよ組織的に動き出したということか。
 目の前が暗くなるような展開だというのに、桜達は平然としている。
「ふふふ、クライマックスは近いみたいね」
 桜が言って夏海にウインクして見せた。
「あたしたちが死ぬのがクライマックスなら、近くないほうがいいんだけど」
「夏海何沈んでるのよ。こうなるのは半分計算ずくなんだから」
「どういうこと?」
「今朝早く右京から電話があったんだ。多分あたしたちが狙われるだろうから家によって
いけって」
「そこで電波発信機をつけてもらったの」桜の言葉を郁子がつないだ。
「どうして右京が?」
「オタクの爺さんに言われたんだって。あたしたちの所在はわかってるからとりあえず心
配はないわけ。では縄抜けしましょうか」
 桜は身体を丸めて後ろ手に縛られた手に靴を近づけていた。
 何をするのか見ていると、踵に隠してあったナイフを取り出している。
「でもさ。襲われるのがわかってるのならそのときに相手を捕まえれば早かったんじゃな
いの」
 郁子が夏海も感じていた疑問を口に出した。
「相手の出方がはっきりわかってたわけじゃないし、戦う気満々だったら相手も手を出し
てこないんじゃない?」
 桜はそんなことを言いながら器用に腕の縄を切った。気づかれないように、全部切って
しまわないで、力を入れれば千切れるくらいにしておく。
 後の二人も縄を切ってもらったが、すぐに脱出しないでしばらく縛られたままの格好で
敵の出方を見ることにした。今何時頃だろうと、時計を見てみると、すでに十一時を回って
いた。
 欠席の知らせは、すでに家に連絡がいてるだろう。
 おじいちゃんは私たちが拉致されたことを確信しているはずだ。
 そんなことを考えていたら、倉庫の入り口が開いて男たちが数人入ってきた。
「船が来るまでどのくらいかかる?」
 聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 間違いない。連続レイプ魔の声だ。
 桜を見ると、かすかにうなずいた。
 視界から外れて、彼らの様子は見えなかったが、倉庫の端に置かれたテーブルを囲んで
座ったように思えた。缶コーヒーか何かのニップルをあける音がいくつか聞こえた。
 その中の一人の足音が近づいてくる。
「よう。お嬢さんたち。ご機嫌いかがかな。今更泣いて許してなんて言っても無駄だぜ。
俺の顔を見られたからには生かしちゃ置けない。まあ殺しても始末に困るから、殺しは
しないがね。死んだほうがましだったなんてことが先に待ってるかもな」
 タバコの煙を吐きながら、レイプ魔は夏海の顔をつま先で持ち上げるようにした。
「そいつらは結構高く売れるんじゃないですか」
 テーブルの方から声が聞こえた。
 外国の人身売買組織に売りつけようという魂胆か。
 今はその船を待っているのかもしれない。
 おじいちゃんは何をしてるんだろう。そろそろ助けに来てもいいころなのに。
 しかし夏海はそうやって助けられる事にも忸怩たる思いがあった。
 これまで三人で追っていたレイプ魔を、とんびに油揚げ掠め取られるような気がしたのだ。
 幸い今は彼らは油断していて、自分たちは自由に動ける。
 今三人で襲い掛かったら、このレイプ魔でも倒せそうな気がしていた。
 桜を見ると、かすかに首を振って、今はまだだという合図をくれた。
 確かに、レイプ魔を倒しても他の男たちが拳銃を持っている可能性が高い状況だから、そ
れを考えると、もう少しチャンスを待ったほうがいいのかもしれない。
 
「しかし、現役女子高生なんでしょ。そのまんま売り飛ばすのはあまりに芸がなさ過ぎませ
んかね」
 若い男の声がした。その男が近づいてくる。
 顔が見えた。二十代前半のチンピラという感じの男だった。
 よれよれのジーンズにしなびた開襟シャツをたらしている。
 一重まぶたの切れ長の目には、下半身の欲情がすでに溢れるようにぎらついていた。
「やりたけりゃやってもいいぜ。しかしこいつら並大抵のやつらじゃないからな。二人ばか
りで拳銃を構えてもらって、抵抗できないようにしてからやんな」
「木谷さんにそこまで言わせるくらいだから、大したもんですね。でも、そっちの二人はと
もかく、この娘は俺一人でも大丈夫だと思うけどなあ。俺、こう見えても元プロボクサーっす
よ。大麻で捕まってボクシングは止めたけど、今でもトレーニングは欠かしたことないんすか
らね」

 若い男は言いながらファイティングポーズをとり、虚空に向かって左右のストレートを繰り
出した。
 空気が切り裂かれる音で、その男のパンチが相当速いのがわかる。
「自信があるのはいい事だ。過剰にならない程度ならな。それとも俺がどじ踏んだとでも言い
たいのかな」
 木谷と呼ばれたレイプ魔が一歩近づいたのだろう。
「おっと、木谷さんを疑ったりはしてませんよ」
 若い男はそう言うが、二人の間に殺気がぴしりと音を立てるのが聞こえたような気がした。
「おいおい、仲間内でやりあうのは止めてくれよ。血気盛んなのはいいことだが、どっちが
勝っても俺たちの損害になるだけじゃないか」
 奥から、年配の男の声が止めに入った。
 このグループ内のリーダー格になるのかもしれない。
 彼が暴力団の幹部で、木谷は傭兵というところだろうか。
「しかしまあ、裕輔の言うのもわかる気がするな。どう見てもそこらにいる可憐な女子高生
という感じだもんな、そっちの二人はヤンキーっぽいが」
「でしょう、浜岡さんもそう思いますよね」
 リーダー格の男の言葉に、わが意を得たりと、よれよれジーンズの裕輔が嬉しそうに手を
叩く。
「そこまで言うのならこの女だけ解いてやってみればいい。力ずくで犯してみろよ、できる
もんならな。おまえがノックアウト食らったら俺がフォロー入れてやるさ」
 レイプ魔、木谷が冷たく言い放った。
 なんだか変な方向に話が進んでいる。ボクサー崩れの男か。男子柔道部の主将よりは手ご
わそうだ。
 たぶん桜なら得物さえあれば彼に勝つことも難しくはないだろう。
 でも自分はどうだろうか。
 夏海は緊張するとともに戦意の高まる興奮を感じていた。


 
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柔道女4