放課後。
 じゃあまた明日ね。と言い合って桜や郁子と別れた夏海は薄い学生かばんを持っていっ
たん靴脱ぎ場に来たが、桜たちの姿が見えなくなるときびすを返して教室に戻った。
 
 しかし、右京はすでに帰った後のようだ。教室の中には数人の女子しか残っていなかっ
た。
「どうしたの夏海、忘れ物?」
 黒板を掃除していたクラス委員の片岡由希子がチョークの粉で咳き込みながら聞いてき
た。
「片岡さん、右京君の家、どのへんか知らないかな」
「なに? 右京に用事なの? うふ、怪しいなあ。まあいいけどね。確か浦河町のほうだ
ったと思うよ」
 由希子のニヤニヤ笑いには辟易してしまうが今はそんなことかまっていられない。
 ありがとうと言って教室を出た。
 校門を出ると浦河町方面のバス乗り場に向かう。街中にある学校だったから学校の周辺
には三箇所のバス停があった。
 その中の一つに向かったが、着いてみると右京はいなかった。そばの女子生徒に聞いて
みる。
「バスもう行っちゃった?」
 メガネをかけた丸顔の女子生徒は、首をふって答えた。
「私、二十分待ってるけどまだ来ないよ。もうすぐ来るんじゃない?」
 ということは右京はバスに乗らずにどこかに歩いていったという事か。あるいは別のバ
ス停で乗ったのか。
 とにかく自宅にまっすぐ帰ったわけではないことは確かだ。
 でもこうなると尾行するのは不可能だ。
 相手がどこに行ったのかさっぱりわからないのだから。
 諦めてまた今度にしようかと思っていたら、携帯電話のバッハが鳴った。
 
「夏海、今浦河町方面行きのバス停なんだろ。私達は浜口街のアーケードを過ぎたところ
なんだけど、すぐおいでよ」
 桜の声だった。
 やっぱりお見通しだったのか。
 浜口町は坂道を走って下れば十分でいける距離だ。夏海の足なら五分でいけるだろう。
「わかった。すぐ行くわ」
 携帯を切って、一つ舌打ちすると夏海は坂道を、階段を三段飛ばしでスカートが翻るの
もお構いなしにカモシカのように駆け下り始めた。
 普段鍛えているから、昇りならともかく下りでは息も切れない。思うように躍動する筋
肉と、目の前を過ぎ去る景色のスピード感はちょっとした快感だった。
 まだ明るい町並みにアーケードのネオンが白々しくともり始めるのが見え始めたのは、
電話を受けて五分もたっていない頃だった。
 商店街の入り口に郁子が立っているのが見えた。
 角のバーガーショップの前だ。郁子が片手を上げて夏海に合図をよこした。
 走るスピードを落として早歩きで郁子のそばに夏海は到着した。
 
「桜は? 右京をつけていったの?」
「そうよ。あたしはあんたのお出迎え。全く、最初から三人で行動すればこんな面倒くさ
い事しなくてすんだのに」
 郁子は少しご機嫌斜めのようだ。
「どうしてあたしが右京をつけてみようと思ってる事がわかったの?」
「そんなのわかるわよ。あいつの様子明らかに変だったじゃない。仲間に入れられる位に
信用できるか確かめないとね」
 その時郁子の携帯電話が鳴った。軽いジャズの音楽が周囲の雑踏に浮き上がる。
 顔に似合わないピンクの携帯を取り出してしばらく話した郁子が、了解と一言言って携
帯を閉じる。
「じゃあ行こうか」
 二人がその場を離れようとしたときに、二人組みの男が話し掛けてきた。
「ねえ、君達、暇だったら俺達とどう?」
 軽薄な軟派野郎を相手している場合ではない。
 無視してアーケードを進んでいくが、二人の男は得に夏海に好感を持ったらしくなかな
か引き下がらない。
「ねえ君、モデルやらない? 俺の知ってる会社で募集してるんだけど、水着写真数枚取
らせてもらうだけで数万円のバイト料になるよ」
 薄い色のサングラスをかけた男が夏海にまとわりつくようについてくる。
 一発蹴りでも入れて引き下がらせたいところだが、人通りの多いアーケードではそう
もいかない。
「あんたたちいいかげんにしなさいよ。この人たち痴漢ですって大声出すわよ」
 郁子のそんな脅しもむなしく空振りだ。
「痴漢なんかしていないじゃないか。俺達はバイトのお誘いをしてるだけなんだから。そ
んなの周りの連中にだって見てわかるだろう」
 小太りの男がウエストバッグからデジタルカメラを取り出した。
「写真なんて取ったら承知しないからね」
 郁子が凄むが焼け石に水だ。
 そうこうしているうちに桜の居る所まで来てしまった。
 こじんまりとした安っぽい看板の出た映画館の前に桜は居た。
 二人の状況をすぐに察知した桜は、一つ頷いて笑顔を見せた。
「変なのに絡まれてるみたいだけど、案外好都合だったかもよ」
 桜の言葉に郁子と夏海は顔を見合わせる。
「この映画館、女は入れないのよね」
 桜の視線を追ってみると、確かに男性専用の文字が見えた。
「なんだ? こんなところになんか用事があるの?」
 薄いサングラスの男が不審な表情で夏海達を見た。
「友達が中に連れこまれちゃったのよ。助けに行きたいんだけど、女は入れないんでしょ
ここ。それで困ってたの」
 桜が上目遣いに軟派な二人組みを挑発する。
「友達って、男?」
 小太りのほうが聞いてきた。
「そう。いかにもな美少年系だから心配で……」桜の考えがなんとなくわかってきた。
 夏海は桜の機転に舌を巻く思いだった。
 警察に電話してみれば? というサングラス男に、本当に無理やり誘われたのかはっき
りしないからそれは無理だと桜が答えた。
「というわけだから、お願い。中の様子を探ってきてよ。友達はこの子なんだけど」
 桜は右京の写真まで用意していた。携帯で撮ったそれを二人に見せている。
「いや、でも。俺達もあんまり入りたくない場所なんだよなあ。変な事になると困るしな
あ」
「そうだよ。女を好きな男がくるところじゃないんだよこんな場所は」
「言う事きいてくれたら、夏海がデートしてくれるかもしれないよ」
 夏海の意に反してこの言葉は二人には効果覿面だった。
 鼻の穴を膨らました二人はわれ先に発券場に消えていったのだ。
 
 
 10

 十分が過ぎ、二十分が過ぎた。なかなかさっきの二人連れは出てこない。
「やっぱり無理だったかな。頼りなさそうな奴らだったからね」
 桜がため息を吐いて、時計代わりの携帯電話をポケットに仕舞ったとき、やっと二人組
みのうちの一人、サングラスの男がよたよたしながら出てきた。
 通りを隔てた三人に気づくと車に気をつけながら道路をわたってきた。
「どうだった?」
 息を切らしているサングラス男に、桜が尋ねる。
 映画館で何やってきたんだろう。格闘する場面もないだろうに。夏海は不思議そうに彼
の顔をまじまじと見つめる。
「いたよ。薄暗かったから時間かかったけど、何とか見つけた」
「それで?」
 息切れしている男の話を桜が促す。
「じいさんと一緒だったよ。帽子かぶってたんで顔はよくわからなかったけど……」
 おじいさん? ちょっと予想外の答えだった。てっきりあいつだと思っていたのに。
「本当に老人だったの? 若いのが変装していたとかじゃないの?」
 桜も同じ気持ちだったのだろう、聞きただしている。
「そんな事言われても、あまり近づけなかったしな。でも白髪が帽子から出ていたし、体
つきでもわかると思うけどな」
「どんな服装だった?」
 方向を変更して桜が聞く。
「ええと、茶色いジャケット羽織っていたと思う。下は普通のグレーのズボン姿だったか
な」
「変な事はしてなかった?」桜の表情が急ににやつく。
「周囲はいろいろだったけど、その二人は話しこんでるだけだったよ」
 上を向いて思い出しながら男が言う。
「ありがとう。大体わかったからもういいよ」
「え、デートしてくれるんだろ」
 男が不満げな声を上げる。
「今日は忙しいから駄目なの。それより、あんたの相棒を介抱してあげたら?」
 桜が映画館の方を顎で示して言った。
 見ると、もう一人の軟派男が、何故かズボンをずり上げながら転がるようにして映画館
から出てくるところだった。

「なんか全然話が見えなくなっちゃったね。てっきり右京はあいつに利用されてるって思
っていたのに」
 映画館の出口が見えるビルの二階の喫茶店で夏海が桜に言う。
 アイスコーヒーが三つ運ばれてきたところだった。
 桜も郁子も頷いてコーヒーをすすりだした。

「郁子はどう思う?」
 ずっと黙っている郁子に桜が尋ねた。
「私にわかるわけないじゃない。考えるのは桜と夏海に任せる。あたし考えるの苦手だか
ら」
 自慢にもならないことを自慢げに郁子は言ってふふんと鼻で笑った。

「実はあたし、右京とは古い付き合いなんだよね。幼馴染ってほどじゃないけど、中学も
一緒だったし、変な意味じゃなくて仲も良かったんだよ」
 桜が窓の外を見ながら言う。
「だから桜に内緒で何かしているのが納得できないって言うわけ?」
 夏海の言葉に、桜は素直にこくりと頷いた。
「でもさあ。右京は助けたいって言ってた訳だろ。あまり勘ぐるのも良くないんじゃない
の。素直に受け入れてやればどうかな。後はなるようにしかならないって事で」
「郁子にしては珍しい素直な意見だね」
 桜と郁子ってこの高校に入って初めて会ったって話だったけど、話を聞いていると昔か
らの知り合いのように思えてくる。親友同士という雰囲気が夏海には感じられた。
「ひょっとしたら、今日映画館で会ってたじいさんって全く関係ないのかもしれないじゃ
ない。とにかく出てくるのを待ってみようよ」
 夏海は二人に行って窓の外の映画館入り口を凝視した。
 時折二人連れの男たちが入っていったり、出てきたりしているが別に変わった点はない。
 あえて言えば女性客が全くないのが変わっているが、そう言う類の映画館らしいからそ
れは当然だ。
 見張りながら夏海の頭に浮かんでくる顔があった。
 じいさん。この映画館ってそんなおじいさんもくるところなのかしら。
 さっき桜に聞いたら、脂ぎった男の社交場だって言っていたけど。
 まさかうちのおじいちゃんがこんなところに来るとは思えないし。でも茶色いジャケッ
トというので、どうも気になっていた。
 おじいちゃんの余所行きの恰好に似ているのだ。

 なかなか右京は出てこなかったが、一時間半ほど待ったときにやっと顔を見せた。
 少しふらついた足取りは、上気した顔とともに何かを語っているようだった。
「一人だね。まあ二人連れで出てくるほど考え無しとは思えないから当然か。茶色いジャ
ケットのじいさんはとりあえず置いておいて右京を問い詰めよう」
 桜は立ち上がりながらそう言うとレシートを持ってすぐにレジに向かった。
 夏海と郁子もかばんを持って後を追う。
 喫茶店を出ると、すでに夜になった街は、あちらこちらに赤や黄色のネオンが光ってい
て、空の暗さとは正反対に昼間のように路上を照らしている。喫茶店に入ったときよりも
明るいくらいだった。
 ふらふら歩いている右京を追っていると、横から右京に声をかける男が出てきた。
 二言三言話して右京が首を振る。でも男は必要に食い下がっているようだった。
 右京の右手の手首を握って店の中に引き込もうとしていた。
 強引過ぎるやり方は単なる客引きには思えない。
 桜がすっと歩くスピードを上げた。抵抗する右京の横に立つと、男の頬をひっぱたいた。
 つかみ掛かる男に、今度は右ひざをボディに入れると、男は少しだけうめいて沈没する
船のように路上に倒れこんだ。
 
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放射朗
柔道女4