翌日、夏海の高校ではその話題で持ちきりだった。
 とうとう負傷者が出たのだ。北公園のレイプ犯は今まで女を犯すだけだったが、昨夜カ
ップルを襲って女を犯しただけでなく男にも負傷を追わせたという事だった。
 抵抗した男を殴った程度ならまだ納得できるが、噂では縛った男の睾丸を切り取ったと
いうのだ。新聞に載ってはいなかったが、近所の事件だ。なんとなくそんな話が流れてい
た。
「ひどい犯人だよね。これってちょっと異常者だね」
 新聞を片手に、夏海の横で鼻の穴を膨らませて憤慨しているのは青井桜だった。
 夏海の前の席が桜の席だ。桜は椅子に後ろ向きで足を広げて座り、夏海の机に片肘かけ
ていた。桜の額の傷が前髪の隙間から少し見えた。古い微かな傷だ。
 彼女もちょっと変わった性格で、中学では結構な悪だったらしいが、高校の同じ教室で
眺めた感じではそれほど悪い人間には見えなかった。
 悪い人間どころかなんとなく親しみを感じる。同類のようにも思えるのだ。
 異性はもちろん同性の友達も少ない夏海にとって、ほとんど唯一の話相手だった。
「あたし、昨夜このカップル見たのよね」
 悔しさに眉をひそめて夏海が言う。あの時あそこに隠れて待っていればレイプ犯を捕ま
えられたのだ。そしてカップルも助けられたはずだった。
「え、あんた公園の覗きが趣味だったんだ。なかなかいい趣味じゃない、今度連れて行っ
てよ」
 桜が夏海の顔を覗き込む。茶色い前髪の間からきれいな瞳が夏海を凝視する。
「何言ってるのよ。偶然見かけただけよ」
「でもさ、そんな夜に何でまた北公園にいたのよ。クラブはとっくに終わってる時間だし、
危ないからあそこには行くなって先生に言われていたでしょ」
「ちぇ、やっぱり桜はごまかせないね。実は犯人を捕まえてやろうって思ってたの」
 別に悪い事をしていたわけではない、あっさり白状した。
「夏海は柔道が強いってのは知ってるけど、あんまり無茶はしないほうがいいよ。弱い男
ばかりじゃないんだから」
 桜がすっと顔を遠ざけて窓の外に目を移した。
 夏海の柔道部での活躍を桜は知ってるのか。ひょっとしたら柔道部内の淫靡な事件もす
でに知ってるのかもしれない。
 少し背中がひやりとした。あの事はあまり知られたくない事だった。特に友達には。
「今日一緒に帰ろうか」
 桜が急に表情を変えて夏海に笑顔を向けた。
「でもクラブがあるし」
 反射的に、そう返事してしまったが、考えてみると墓参りのために今日はクラブはサボる のだった。
「昨日はサボったんでしょ。今日もサボんなさいよ。どうせ女子柔道部になんて夏海にか
なう相手は三年にもいないんでしょ」
 いまいち桜の目的が分からないが、夏海は笑顔で頷いた。
 下校時間になり、二人は学校の門を出て桜並木を下っていく。
 葉桜が半分くらい。道に散った桜の花がアスファルトをピンク色に染めている。
 喫茶店にでも連れて行くつもりかしらと思っていたら、桜の足はどうやら北公園に向か
っているようだった。
「公園に行くつもり?」
 桜もレイプ犯を捕まえる事に興味を持ったのかと思って夏海は聞いた。
「別にどこでもいいんだけど、人目がなくて広いところが良いかなって思って」
 桜の返事は要領を得ない。
「警官のパトロールが増えたようだけど、今の時間はいないだろうしね」
 ますますわからない。

 広い立体的な公園の、隅の芝生広場に着いた。
 桜は夏海の不思議そうな顔を尻目に並木の中の地面をまさぐっている。
 何してるの、と夏海の口から出そうになったとき桜があったあったと言って木の枝を拾
い上げた。
 ナイフを取り出して不要な枝を刈り取り一本の棒にする。
「夏海は得物を持った相手をあまり経験してないみたいだから少し稽古をつけてやろうか
と思ってさ」
 桜は軽くその棒を振り回して手ごたえを確かめている。
 桜がある程度強いのはなんとなく感じていたが、自分のライバルになるほどとは思って
いなかった夏海だから、あまり気が乗らない。
「ほら、かかってきなよ」
 桜が棒を構えて夏海を挑発する。
 変な構えだった。剣道でもないし棒術でもない。
 杖術か。杖を武器にする武道だ。夏海は黙ってかばんを置き上着を脱いだ。
 相手の隙を窺うが、桜には付け入る隙が見当たらない。
 柔道はこういう場合確かに不便だ。相手を捕まえなければ技がかけられないのだから。
 仕方なく夏海は空手の技を使うことにした。
 構えをとると素早く踏み込んで杖を持つ桜の腕を左足で蹴りに行く。これはフェイント
で、避けられるのを見越して、その後さらに踏み込んで右後ろ回し蹴りから相手の懐に入
り一本背負いでしとめるつもりだった。
 しかし最初の蹴りの段階でもくろみは崩れた。
 桜は体を回して杖で夏海の支え足、つまり右足をはらったのだ。
 仰向けに倒れる夏海。そこに杖の攻撃が入る。夏海は素早く身体を回転して避ける。
 今度は逆に桜の足を狙って足ばらいをかけに行く。
 ジャンプして逃れる桜。
 今だ、空中では体を交わすことは無理だ、夏海は瞬間的に起き上がると桜に渾身のま
わしげりを放った。
 ばきっと音がして桜の持っていた杖が真っ二つになる。
 はっと見上げたら、桜は二メートル後ろの鉄棒に立っていた。杖で地面をついた反動で
さらに後ろに飛んだのだ。
 その身軽さは夏海も舌を巻くほどだった。
「やっぱり思った通り、夏海はやるね。これくらいならレイプ犯を捕まえようって気にな
るのもわかるわ」
 高さ一メートルくらいの鉄棒から桜が飛び降りる。まるで重さというものが無いような、
華麗な舞いを見てるようだった。
「桜ってすごいわね。武道やってないって言ってたくせに。でもあたしに稽古つけるには
まだまだだよ」
「そうかな。あんたの格好を鏡で見てから言いなよそれ」
 ふと見下ろすと、夏海のシャツのボタンは全部ちぎれ飛んでいた。おまけにフロントホ
ックブラのホックも取れて上半身裸に近い格好だった。
 いつの間にこんな。それによく見ると身体にいくつか杖で突いたあとが残っていた。
 ほんの軽く突いただけなのだろう。痛みは全然感じなかった。
 体の痛みよりも心のダメージのほうがずっと大きい。
 今まで女はもとより、男にだって父と祖父以外には負けた事無かったのに。
「あんたの負けってわけじゃないから気にしないで。あたしも素手ではあんたにかなわな
いと思うから」桜が折れた杖を並木の奥に放った。
「でも、どういうつもりよ」
「レイプ犯は多分あたしらより強いって思うわけ。一人で捕まえるのは無理だと思うのよ。
でも二人なら何とかなるかもしれないじゃん」
 ため息をつくと夏海は上着を着てしっかりボタンを止めた。かばんを持って帰路につく。
「じゃあ、あたし達仲間ね」
 桜を向いて言った。うなずく桜。
 二人がここにきて去るまで、ほんの五分も過ぎていなかった。



 



 

 先日公園で自分をおびき寄せようとしていた女の身元がわかった。
 本名、由利夏海。この公園近くの私立高校の一年生だ。デジタルカメラで取った写真を
そこの高校生に見せて確認をとった。
 住所も割れた。家族構成は父親と祖父。父親は船員だから一年間の間に一ヶ月くらいし
か家にはいない。ほとんど祖父との二人暮しだ。
 柔道部に所属していて、男子の部員さえもかなわないくらいに強いらしい。
 先日見た外見からは想像もつかないプロフィールだった。
 清楚な感じの美少女だったのに。柔道部とは縁もゆかりもなさそうな感じだった。
 次の標的に最適かもしれない。
 いいかげん普通の女を犯すのにも飽きてきたところだったのだ。
 少しは手ごたえのある女、それもプライドが高ければ高いほどいい。こいつは絶好の獲
物だ。壁に貼った夏海の写真に、男はダーツを放った。
 二メートルはなれた夏海の写真の心臓部にダーツは吸い込まれるように刺さっていった。





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