ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人

 




 会社近くのラーメン屋は、昼休み時とあって満員に近い状態だった。
 何とかカウンターの隅に僕と田上は席を確保できた。
 僕は味噌チャーシュー麺を、田上は醤油ラーメンを頼んだ。

 コップの冷水を一口飲んで、田上が話し出した。
「実はあいつのことで困ってるんだ」
 あいつが誰を指してるかは、さっきチラッと話したときを思い出せば見当はつく。
「坂口みゆきがどうかしたわけ?」
「結婚したいなんてむちゃくちゃ言ってきたんだ」
「それで、どうするつもり?」
 料理が来る前に、食欲のなくなりそうな話題だ。
「どうもできないだろ、離婚なんてできないし、するつもりもないよ」
「遊びだったわけだ、完全に」
「当たり前じゃないか。向こうもわかってて付き合ったんだから、今更それはないだろうって感じだ」
「じゃあ、手切れ金でも渡せば。それが目当てかもしれないし」
 僕はすっかりこの話題に興味がなくなっていた。

 料理人の手先を見て、自分の分が作られるのを見つめてみる。
「金で済むのなら、まだいいんだけどな」
「すみそうもないわけ?」
「まあそういうことだ」
「あの夜、その話をしてたのか」
「そうなる。まあそろそろ終わりにしないとって思ってたんだけど、それ言い出したら……あの夜は参ったぜ」
 いわゆる自業自得って奴だ。
「僕に相談されてもどうしようもないんじゃないか。力になってやれそうもないけど」
 一体どういうつもりで僕なんかに話してるんだろう。

「いや、そういうわけでもないんだ。お前ならあいつも言うこと聞くかなって思う」
「なんでまた」
 いきなり変なことを言い出した。
「実は……」
 田上がそう言ったとき、僕らのラーメンが出来上がった。
 カウンター越しに受け取ると、味噌の香りがぷんと鼻に来て、少しは食欲が出てきた。
 割り箸を裂きながら、田上を見る。
 田上はラーメンそっちのけで言った。

「坂口は、お前のことが好きなんだよ」
 一瞬、聞き間違えたのかと思った。
「なんだって? よく聞こえなかったけど」
「だから、坂口が本当に好きだったのはお前なんだよ」
「面白い話だけど、矛盾してるんじゃないか」
「最初は、あいつに相談されたんだ。杉田さんのことを好きになってしまったけど、どうしようってさ」
「何でお前に相談しないといけないんだ」
「まあ酔った勢いもあっただろうけど、誰かに聞いて欲しかったんだろ」
 その後、ラーメン食べながら聞いた話では、そうやって相談に乗るうちに二人は急接近したということだった。

「だから、お前の説得なら言うこと聞くはずなんだよ」
 どうしてそういう結論が導けるのか、やや短絡的な気がする。
「頼む。一回あいつと話をしてみてくれ」
 僕が黙っていると、田上は手を合わせて拝みだした。
「わかった。話すくらいはしてやるよ。でもうまくいくとは限らないからね」
 僕が言うと、やっと彼は合わせていた手を離した。
「助かった」
 大きく息を吐いている。
「それはまだわかんないよ。まあ努力はしてみるけど」
 食べ終わった食器をカウンターの上に差し出して、僕は席を立つ。
 田上が勘定を済ませるのを待つ間、外の冷たい空気を僕は思い切り吸い込んだ。

 会社に戻って、受付の前を通るとき、奥にあるデスクに座ってる坂口を見た。
 目が合う。
 そういえば、彼女とはなんだかよく目があっていたような気がした。
 僕が向こうを見たときは必ず彼女もこっちを見てる、見たいな。
 ひょっとしたら僕はずいぶんと鈍感な男なのかもしれない。
 いや、妻子もちという立場上、女性のことは無視するようにしていたと言った方がいいかな。
 田上は僕の横を通り過ぎて、事務室に入っていった。
 まさか今ここで話をしろというつもりはないだろう。
 僕は足を止めずに自分の部署に向かった。


「グランドホテルの喫茶室に行ってくれないか。仕事終わったら」
 手早くセッティングを済ませてきた田上が僕に耳打ちした。
 今日は特に用事もない。
 わかった、と一言答えた。
 
 仕事が終わったのは6時半を過ぎた頃だった。
 受付は六時に閉めることになっているから、坂口みゆきはすでに喫茶室にいるはずだ。
 一体どう言えばいいだろう。
 台詞を考えながらロッカールームでジャンパーを取り出した。
 グランドホテルは、うちの会社の道路沿いに50メートルほど行った所にあるホテルだ。
 時々ランチを食べることがあった。
 680円で、まずまずの日替わりランチが食べられる。

 今夜も風が冷たかった。
 フードを立てるほどでもないが、50メートル歩く間に少し耳が痛くなっていた。
 ホテルに入り、喫茶室への階段を上がる。

 窓際に座ってる坂口みゆきを確認して、僕は奥に進んだ。
 彼女は一人だ。
 やっぱり、田上はいない。
 顔を上げた坂口みゆきの会釈に小さく右手で答えて、僕は席に着いた。
 すぐにボーイが注文をとりに来る。
 みゆきの方を見ると、コーヒーカップがひとつだけあった。
 同じように僕もコーヒーをひとつ頼んだ。

「なんだか変な感じだね。なんと言えばいいのかわからないよ」
 冷水を一口飲んで切り出した。
「田上さんからはどんな風に聞いてるんですか?」
「どんな風って言われても。君との付き合いに終止符を打ちたいけど、君がごねてるってことくらいかな」
 なんだか身もふたもない言い方になってしまった。
 テレビドラマの脚本家だったらどんな台詞を用意するんだろう。

「私が杉田さんを好きだというのは聞きましたか?」
「うんまあ、だから僕に説得してくれと言ってきた」
 僕のコーヒーが運ばれてきた。
 一瞬会話が途絶える。
 ほっとしながら、コーヒーを一口すすった。
「私、騙されたんです」
 いよいよ戦闘開始か。
 心の中で、僕は大きくため息をついた。

「杉田さんのこと格好良いなって、忘年会のとき田上さんにもらしてしまったんですけど、その後の新年会のとき、
一次会が終わった後に田上さんから電話があって、二次会に誘われたんです」
 新年会は1月7日だった。僕はそのときは一次会で帰ったのだった。
 ローズビーズに寄りたかったけど、正月休み返上で営業していたローズビーズは、その日曜日は休みになって
いたのだ。

「杉田さんは一次会で帰ったんですよね」
「うん、最近二次会は行かないようにしてるんだ。酒に弱くなってしまってさ」
 実は他のメンバーとは違う二次会に一人で行ってるわけなのだが。

「私も、二次会まで行くつもりなかったんです。でも、田上さんが、杉田さんが来ていて私にも来て欲しいって
言ってるって言うから」
 そんなことがあったのか。
 あきれた奴だ。
「二次会の店に入ってみると、田上さんと、他に数人の男の人がいただけでした。女性は一人もいなかった」
「ひどいな。それは」
「最初は、杉田さんはちょっと外で電話かけてるなんて言って。私もそれを信じてたのに、いつまでたっても杉
田さんは来ない。田上さんに聞けば、そんなにあいつが好きなの? なんて冷やかすし。結局そこでかなりお酒
飲まされて、私はふらふらになってしまったんです」
 そういうことがあったのか。
 再びあきれてしまった。
 しかしあきれる話はまだまだ続いた。

「ふらふらになった私は、田上さんにアパートまで送ってもらうことになりました。そして、そこで……」
 坂口みゆきは言葉を切るとうつむいてしまった。
「まさか、田上に無理やり?」
 そこまでする奴だったのかな、あいつ。
 みゆきは黙ってうなずいた。
「そんなことがあったのか。でもそれってひどいな。警察沙汰になってもおかしくないじゃないか」
 みゆきは黙ったままだ。
 田上の感じだと、その後二人は付き合うことになったようだった。
 そんな始まり方で交際が始まるなんて信じられない。
「田上さんに復讐してやろうって思ったんです」
 急に顔を上げてみゆきが言った。
「復讐?」
「その後、何度か私の部屋で関係を持って、そこをこっそり写真とテープに収めました。それを奥さんに送って
やろうと思ったんです」
 ぞっとしてしまった。
 復讐のために田上に抱かれていたということか。
 憎しみはそこまで人を駆り立てるのか。

「それをこの前の金曜日に田上に言ったわけ?」
「そうです」
 田上は罠にかけられたと知って、恐れおののいただろうな。
 大して仲良くもない僕にラーメン奢って拝み倒してまで頼んできた気持ちが少し理解できた。
 藁にもすがりたいってことだったのだ。
「でも、それは止めていた方が良いよ。そこまですると田上の家庭はめちゃくちゃだ。田上はもちろん自業自得
だけど、奥さんと、それに子供さんには何の罪もないんだし、復讐しても後味悪くなるだけだよ」
 口ではそう言ったけど、田上が奈落の底に落ちるのも見てみたい気がしていた。
「杉田さんだって、頭に来るんじゃないですか? 自分の名前を使って女を吊り上げてるなんて」
 見つめられて、今度は僕が視線をはずした。
 コーヒーを飲んだ後、窓の外に目をやる。
 車のヘッドライトが、右から左に流れていった。

「そりゃ、むかつくけど。でも田上の子供がかわいそうだ」
 彼女を見ると、みゆきは口元だけで笑った。
「そうですね。止めておいたほうが良いかな」
「そうだよ、僕からもお願いするよ、十分田上はびびってるんだから、このくらいで勘弁してやってくれよ」
 この一押しで何とか思いとどまってくれるだろう。
 僕は確信を言葉に込めて押し出した。
 その後に、彼女の方から、今度は思ってもいなかった言葉が返ってきた。

「じゃあ、復讐はあきらめますけど、その代わりに私を抱いてください」




 NEXT