ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人

 




 昨夜のことがあっても、寝覚めの気分は上々だった。
 今夜のデートが楽しみなのだ。
 いつものように家を出ると、マンションの駐車場で休んでいるエイトに乗り込んだ。
 エンジンをかけて、しばらくアイドリングが安定するのを待つ。
 相変わらず天気はいいが、午後からは雨模様になるという予報を聞いて、折り畳み傘をひとつバッグ
に入れてきていた。

 西の空に黒い雲が少しのぞいてる中を、滑らかに道路に走り出した。
 エンジンも、僕の気持ちを察してか、いつになく軽やかに回っていた。
 
 その日の仕事で、イージーミスを二回もしてしまったのは、仕方ないと言えば仕方なかった。まったく心
此処にあらずの状態だったから。
 
「おい、何回も時計見てるけど、いい子でもできたのか?」
 同期入社の田上が、僕の肩をたたいた。
 キーボードから手を離して、彼の方を向く。
「別に、なんでもないさ」
「そうかな、なんか臭いんだよな」
 大げさに田上は僕の身体をかぐまねをした。
「馬鹿やってないで仕事しろよ。俺はもうひとつ片付けておきたいんだ」
 再びモニターに向かう。
「杉田さ、浮気したことある?」
 田上がこっそり後ろから話しかけてきた。
「ないよ、そんなもの、お前はあるのかよ」
「あるさそのくらい」
 恐妻家だと思っていた田上からの意外な返事に、僕は再び彼の方を向いていた。
「あきれたな。それで、いきなり告白してどういうつもりなんだ」
「まあ、そのことは終わってから話そうや。一杯、いいだろ」
 手でコップをあおるしぐさをした。
「いや、今日はだめだよ。車だし」
「なんだよ、車は置いていけばいいじゃんか。明日バスで来いよ」
 確かに、今日はそうするつもりだった。
「いや、車のことはともかく、先約があるんだ」
「やっぱりね。女だろ。お前結構もてそうだもんな。事務の女の子もお前のファン多いみたいだぜ」
 そんな話は初めて聞いた。
「女じゃないって。古い友達だよ」
 田上はひとつため息を吐くと、わかった、今度あけておいてくれよ、といって離れていった。
 何か相談事でもあったのだろうか。
 同期とはいっても、それほど仲がいいわけでもないのに。

 邪魔者が去って、やっと少し仕事がはかどった。
 時計の針が6時半をさす頃、なんとかひと段落ついた。

 パソコンをシャットダウンさせて、帰宅の準備をする。
 会社から駅前までは、それほど離れていないが、七時の待ち合わせ時間には間に合うかどうかぎりぎ
りだった。

『今から会社を出ます、アミュには20分でつくと思います』
 荒木さんにメールを打った後、タイムカードを機械に差し込んで、関係者用通用門を出た。
 すでに周囲は暗くなっている。
 頬に冷たいものが当たったから、雨かと思ったが、見上げると白い粒粒が街頭に照らされながら、ふら
ふらと降りてきていた。
 道路に降りついた雪が風で右に左に動いていた。

 冷たい風に耳が痛くなる。
 ジャケットのフードをかぶると、駅に急いだ。
 ひょっとしたら明日は積もるかもしれないな。
 だったら、車置いてきたのは良かったかもしれない。
 朝から路面凍結では、バスに頼るしかないし、もし明日の朝そんな状態でも帰りには解けてるだろうから。

 高架広場を渡ってアミュプラザに向かう。
 高架広場からの入り口の前に、背の高い人影が立っていた。
 その彼が僕に向かって片手を挙げる。

「寒かったでしょう、中で待ってればいいのに」
 思わず笑顔になりながら僕は言う。
「いや、そろそろかと思って今出てきたところだ、串焼きでも食べる?」
 ビルに入りながら、彼は聞いてくる。
「何でもいいですよ、串焼きは僕も好きです」
 彼の手が僕の肩に触れた。
 肩に積もった雪を払ってくれたんだとわかるまでにしばらくかかった。
 頬が熱くなる。

 結構背が高いんだな。
 180以上はありそうだ。
 40代以上の男性で、自分よりも明らかに背が高い人は余りあったことなかった。
 僕はせいぜい170センチと言うのに、だ。
 日本人の平均身長が伸びたのは、やはり僕から下の世代なんだと思っていた。
 
 レストランや居酒屋の集まる、五階までエスカレーターで上った。
 今日の荒木さんは、普通の背広にトレンチコートを羽織っている。
 僕はと言えば、先日同様黒のN2Bジャケットだ。
 背広を着ることは要求されない会社なのだ。
 でも、インナーにもう少しおしゃれなものでも着て来ればよかった。
 少し後悔した。

「ここでいい?」
 荒木さんは、評判のいい串焼き屋の前で僕に聞いてきた。
 行きかう人は金曜の夜というのもあってか、やや多目だった。
 店の中も空席があるのかちょっと心配なくらい人が多い。
 僕が黙ってうなずくと、彼は自動ドアを開けて中に入った。
 いらっしゃいませーという威勢のいい女の声が響く。
 僕らは速やかに、二人がけのテーブル席に案内された。
 ざわつく中、飲み物はと聞く店員に、生ビールのジョッキ二つ、と荒木さんは即答していた。

「ビールでいいよね」
 頼んだ後、僕に笑顔を向けた。
「ええ、串焼きにはビールがいいですよ」
 僕も笑顔を返すが、なんか自分が卑屈になってるような気がしてきた。
 そんなに気に入られたいんだろうか。この人に。僕は。
 僕は荒木さんにメールを出すのに三日間悩んだ。
 最初から荒木さんを好きになっていたわけではなかったはずなのだ。

 ではどうして僕は自分を卑屈だと感じるのか。
「どうかした? 串焼きはセットを頼んでいいよね」
 相手の顔色を伺っているのは、ひょっとしたら荒木さんも同じなのかな。
「はい、それでいいんじゃないですか」
 荒木さんの目の中にあった不安を見つけて、僕も少し安心した。




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