ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人
 
 
三章 別離


 



 
 

 コタツの置いてある居間に、僕らは腰を下ろした。
 今まで寝ていたのだろう。
 ストーブも今火を入れられたばかりで部屋はまだ冷えている。
 それでも、氷点下に近い外からくらべれば暖かだった。
「お茶入れるよ」
 僕は片岡さんにことわって台所に立った。
 ここには何度か来てるから勝手はわかっている。
 片岡さんはぶすっと黙り込んでるし、荒木さんもしゃべらない。
 お茶を入れている間は、僕の立てる物音だけが生き物がこの家の中にいる証明といって
もよかった。

 二人の前にお茶を置くと、僕は向かい合って座る二人の間に入った。
 二人の手がそれぞれ、僕の入れてきたお茶にのびた。
 なんかすごく気まずい。
 どうしてまたこんな事になってしまったんだろう。
 二人を面と向かわせて、その間に僕が入るなんてあまりにも滑稽だ。

「先日はどうも」
 お茶を一口飲んだ荒木さんが、片岡さんの目を見て言った。
「先日?」
 上目遣いに片岡さんが睨む。
「ハーレーに乗っけて花嫁を奪って行ったでしょう」
「気づいてたのか」
「まあね。それはそうと具合はどうですか」
「あんたも人が悪いな。俺がこんな体調じゃなけりゃ力ずくで勝負してもいいんだが、さ
すがに今は無理なんだ」
 硬く握り締められた片岡さんの右の拳は、力なく震えていた。
「熱はどうですか、微熱くらいかな」
「あんた医者か?」
「いや、医学の心得はないが、素人でも少しはわかる」
「熱は、まあそうだな微熱ってところだ」
「少し肌が黄色いんじゃないかな」
 荒木さんの言うのを聞いて僕もしっかり見ると、確かにいつもよりは黄色っぽい。
 でも、日に焼けた片岡さんのことだから、単に顔色が悪いのだと思っていた。
「下痢とかは?」
「もう二週間くらいかな」
「エイズだと思ったのは、何か根拠があるのか?」
 荒木さんの言葉で、片岡さんは笑い出した。
「あれは冗談さ。そんなこと心配してたのか?馬鹿だな」
 片岡さんは僕を見てそう言った。
「心配するさ。君が彼にあうまでどんなことをしてきたのか、彼は知らないんだからな」
 絶句している僕の代わりに荒木さんが言ってくれた。
「看病してくれるのはうれしかったけどな、もしそう言ったらどんな顔するか見てみたか
ったってのもある。人騒がせな事言ってすまなかったが、俺もかなり精神的にきてたんだ」
 ため息をはく片岡さんの眉間に深いしわがよった。
「大丈夫? きつかったら寝ててください」
 僕が言うと、
「何言ってるんだ。寝込んでるところに押しかけてきたくせに」
 と僕を睨んだ。
「着替えろよ。病院にいこう」
 荒木さんの言葉。
「寝てればなおるさ」
「いや、ただの風邪とかじゃなさそうだ。肌が黄色みを帯びてるのは黄疸の恐れがある。
肝臓悪くしたのかもしれんからな」
「肝臓ですか?」
 荒木さんに僕が質問してしまう。
「肝炎って言ってもA型からB型、C型まであるぞ。ウィルス性肝炎だったら、エイトも
やばい」
 荒木さんが僕に向かって言う。
 あの時うつった可能性があるってことだろうか。
 エイズと比べればまだましかもしれないが、肝炎も嫌に決まってる。
 今更ながら快楽におぼれた自分を張り倒したくなってくる。
 病院にいくかどうかで20分ほど押し問答が続いたが、結局は言うとおりにしないと帰
らない僕らにあきらめたのか、それとも病気で気弱な面が出たのか、片岡さんはしぶしぶ
承諾した。

 「大丈夫でしょうか」
  僕は片岡さんの入った診察室のドアを見つめて言った。
  白い無機質なドアは僕の気持ちを跳ね返すように冷たい表面を見せるだけだ。 
 「だいじょうぶだろ。と言ってやりたいが、何とも言えないな。肝臓悪くしてるのは有る
ようだけど、他にも悪いところがあるかもしれないしな」
 荒木さんの言葉はあくまで冷静だ。
「そうですよね。結局自分が悪いんだし。もしエイズになってたとしても自業自得だから」
「自業自得って言葉は好きじゃないな。自分のやったことが、後になって影響してくるこ
とはどんな時にもあることだろ。悪影響があることもあれば、その逆もある。悪影響の時
だけ、後悔しても始まらない」
「なんだか、わかったようなわからないような話ですね」
 僕が言うと、荒木さんは一つため息を吐いた。
 
「どっちみち、誰でも死ぬんだしな。そう思わないか? 物語にはハッピーエンドとアンハッ
ピーエンドってのがあるだろ。それってどう違う?」
 いきなり変なことを聞いてくるもんだな。
「ハッピーエンドは、その物語の主人公が、目的を果たした終わり方で、アンハッピーエ
ンドは、それができなかった終わり方かな」
「しかし、目的なんていっても、実際の人生には無数にあるわけだ。それをすべて果たす
ことなんてできない相談だろ。どこまでできればハッピーエンドとか、誰にも決められない」
「何が言いたいんですか?」
 それまで、診察室の扉を見つめていた荒木さんが、僕の方に向き直った。
「ハッピーエンドなんて、現実にはあり得ないってこと。でも、だからといってアンハッピ
ーエンドとも決められない。俺たちは皆その中間で生きてるし、死んでいくってことだ」
 そうかもしれないな。どんなに成功した人生でも、いずれ死ぬことは変わりないのだから。

「もし肝炎だとしたら予後はどうでしようか」
 自分の心配ばかりしていたのが恥ずかしくなってきた。
「肝炎だとしたら、一週間ほど入院になるかも知れない。結構衰弱してたからな。でも命に
別状あるほどとは思えない」
 医者の言葉ではないが、自分よりも経験豊富な人に言ってもらうと安心する。

 周囲には、お年寄りの患者が数人いたが、町外れの小さな病院だからか、多いというほど
ではなかった。

皆のんびりと順番を待っている。

白髪を頭に少しだけ張り付けたおじいさんや腰の曲がったおばあさん。
この先何年も生きないような人たちが置物のように腰掛けている。
病院に来るのが仕事、などと揶揄されたりすることもあるが、実際年をとって残りの人生が
余生といわれるようになったらどんな感じなんだろう。
いずれは僕もそうなるのだろうけど、その時側にいてくれる人は誰なんだろうか。

そもそもそんな人がいてくれるだろうか。
恋もしなくなって、体も動かし辛くなってきて、毎日何を楽しみに生きればいいのだろう。

病院の陰気で薬品臭の漂う空気を吸っていると、気分はどんどん沈んでいってしまう。

「何考えてるんだ?」
 荒木さんが僕の頭を小突いた。
「大丈夫。俺がついてるから」
 荒木さんは、何も答えない僕の肩に手を回してぐっと体を引き寄せた。
 密着した身体からほんの少し暖かみがうつってくる。
 僕は荒木さんの肩に頭を預けた。
 男同士でくっついてる事を変に思うような空気は、幸い此処にはなかった。





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