ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人
 
 
三章 別離


 



 
 ホテルを出て荒木さんの車の助手席に乗り込む。
 まだ二日酔いで頭が重い。
 睡眠は十分だからもうしばらくすれば頭痛も治まるだろう。
「くれぐれも言っておきますけど、相手は病人ですからね。けんかしないでくださいよ」
 キーを差し込む荒木さんに念を押す。
「わかってるさ。子供じゃないんだから」
 エンジンがかかると同時に、荒木さんが僕を見て笑いかける。
 無邪気な笑顔は子供みたいだけど。
 口に出さずに、そう思った僕は力を抜くと背もたれに身体を預けた。
 
 車は長崎の市街地に入る道を進みだした。
 フロントガラス越しに見る道路には、細かい雪が風に吹かれて右往左往していた。
 粉雪が降っている。
 ワイパーかけるほどでもないが、車に当たった雪がすぐに解けないということは、かな
り気温が低いと言うことか。
「寒くないか?」
 左カーブを曲がりながら荒木さんが僕を覗き込んだ。
「いえ、大丈夫です」
「そのジャンパー二年越しだな。新しいのプレゼントしようか?」
「どうしたんですか? 急に。これ気に入ってるんですよ。安物だけど、暖かいし」
「ダウンの方が軽くて暖かいぞ。それに、エイトにはカラフルなのも似合いそうだ」
 まあ、確かに僕は冬物と言えば地味なカラーのしか持たないけど。
「実はダウンはあんまり好きじゃないんです、もこもこしてシルエットがダサいと言うか」
「わりとそういうの気にしてるんだな、じゃあ今度二人で買い物に行こう」
 荒木さんとショッピングか。
 ちょっと良いかもしれないな。
 先日以来エイズ騒動で沈んでいた僕の気分も、やっと上昇気流が吹いてきた気がする。
 でも、問題が解決したわけではない。
 片岡さんの病気がはっきりするまで、僕は宙ぶらりんなのだ。
 もちろん、保健所で検査してもらえばすぐに結果はわかる。
 アウトかセーフかその日の内に判定してもらえるのだ。
 しかし、一人で保健所に検査に行くのは怖かった。
 もしアウトだったら、一体どうすればいいのだ?
 響子に何と言えば良いだろう。本当のことを全部暴露するか? それとも最後までごまか
すか?
「もし検査に行くのなら、ついていくよ」
 僕の考えが筒抜けだったのか、荒木さんが前を向いたまま言った。
「どうも、そのときはお願いします」
 フロントガラスに向かって僕はぺこりとお辞儀をした。

 片岡さんの家に続く道を登っていると、途中から道が白くなってきた。
 昨夜からの積雪が凍結しているのだ。
「大丈夫、四駆だから」
 荒木さんがそういってコンソールのスイッチを操作した。
 二駆から四駆に換えるスイッチなのだろう。
 特に切り替えショックもなかったから、本当に四輪が駆動してるのかわからないが、上
り方が安定したような気がする。
 いったん頂上まで来た道を、今度は細い農道に入って下っていく。

「大丈夫ですか? 狭いでしょう」
 小型の207でも精一杯ハンドル切って回らないと回れないくらいの道だ。
「大丈夫。切り返すから」
 荒木さんは無理することなく切り返してさらに降りていく。
「あそこです。あの白い家」
 外壁の白っぽい家だけど、今は屋根も真っ白になっていた。
 車止めにバックで入れる。
 エンジンが止まる前に、僕はドアを開けて外に出た。
 しばらくして荒木さんも降りてくる。
 先に歩いて家に近づくが、ひっそり佇む古い農家は、人の気配を感じさせなかった。
 窓はもちろん、カーテンも閉ざされている。
 メール出してから来ればよかったなと思いながら、玄関の前に立つ。
 荒木さんが来る気配を背中に感じながら、僕は呼び鈴を押した。
 2回押したが反応はなかった。
 寝ているのかもしれない。
 電話してみようかと携帯を取り出したとき、玄関ガラス戸の奥が明るくなったのがわか
った。
 
「片岡さん、僕です。大丈夫ですか?」
 ガラス越しに声をかけてみる。
 じわじわ近づいてきた人影が、ガラス扉を開いた。
 無精ひげ生やして、頬のこけた片岡さんだった。
 眼も濁っていた。
 一瞬笑顔を見せた片岡さんの表情は、僕の後ろに立つ人物を見て不思議な表情になった。
「こちら、荒木さんです。片岡さんのこと、心配してたら、じゃあ自分も行くから見舞い
に行こうって」
 我ながら何の工夫もない説明だ。
「何考えてるんだ。風邪うつるから帰れ」
 片岡さんは目の前のガラス戸を閉じると、鍵をかけた。
「ちょっと、入れてくださいよ」
 僕が叫ぶが、ガラス戸の奥の人影は奥に下がっていく。
「片岡君、開けてくれないか。だいたい君は無責任だぞ。エイズかもしれないなんて、こ
の子を不安がらせるような事言ったりして」
 荒木さんが僕の頭上で声を上げた。
 奥の人影が再び近づいてきた。
 ガラス戸が開く。
「馬鹿な。変なこと大声で叫ぶんじゃない。都会とは違うんだぞ」
 片岡さんは今にも荒木さんにつかみかりそうな勢いだった。
「じゃあ入れてくださいな」
 落ち着いた荒木さんの言葉に、ふんと鼻息をひとつはいて片岡さんが身体を引いた。
 僕ら二人は凍てついた世界から一応火の気のある暖かい屋内に入ることができた。






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