ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人
 
 
三章 別離


 1


 あわただしい正月も過ぎて、一月も半分まで来てしまっていた。
 お年玉つき年賀状の番号あわせも終わり、いつものように景品の付かないはがきの束は、
一瞬の主役を降ろされた万年脇役みたいに、テーブルというステージから居なくなっている。
 正月休み明けで一週間仕事をした後の日曜日だった。
 朝から冷え込んで、マンションの前の坂道にはうっすらと白いものが見える。
 チェーンをするほどではないが、下り坂は注意した方がよさそうだ。
 でも、片岡さんの家のあたりはもっと積もってるかもしれない。
 たぶん昼過ぎればほとんど解けてしまって道路わきにその名残をとどめるだけになるだ
ろうが、長崎は急坂が多いから油断は禁物だ。
 
 買い置きの冷凍お好み焼きで昼食を済ませた。
 今年小学2年生になる修一も好きなメニューだ。
 少しゲームで子供と遊んでやって、パソコンの部屋に入る。
 デスク上に置いて充電している携帯電話にメールが来ていた。

『ちょっと風邪気味。うつすと悪いから今日は来ないでくれ』
 片岡さんからのメールだった。
 このところ日曜日は午後ほとんど片岡さんの家で過ごしていた。
 正月で一週あいただけだ。
 今日も行くつもりだったが、出鼻をくじかれた。
 今日は行けないかと思ったけど、一人暮らしの片岡さんがちょっと心配になってきた。
 熱を出して寝込んだとしても、看病してくれる人がいないわけだから。
 僕は、やはりいつも通り行くことにして家を出た。
 
 部屋を出て野外の冷たい空気の中を駐車場まで歩く。
 空は厚くて灰色の雲に覆われ、昼なのか夕方なのか時計を見なければわからないくらい
だった。
 オレンジの文字盤で午後二時過ぎを確認した後、ドアを開けて207に乗り込んだ。
 途中で栄養のある消化のいいものと、ドリンク剤でも買っていこう。
 キーをまわすと、小気味よい音を響かせて、無音の冬の空に207のエンジン音が響い
た。
 ほぼ毎週会っている片岡さんとは違って、荒木さんとは、去年のクリスマス以来会って
いない。
 時おりメールのやり取りはするけど、二人で会う計画は今のところ特に無かった。
 あの時のプレイが僕を怖気づかせているわけではなかった。
 確かにあの時は荒木さんに対して不信感を持ってしまったけど、その後話すうちに荒木
さんの気持ちも理解できてきたのだ。

「エイトは、もっといろんな男を経験してみるといい」
 あの日の翌朝、荒木さんはホテルのベッドの上でそう言った。
 ジョージはすでに帰った後の二人きりのベッドだった。
 時計の針はオレンジの針が午前6時過ぎをさしていた。
 少し寝不足のだるい身体で裸のままベッドから起き上がると、窓のカーテンを開いた。
 冬の朝は、まだ紺色の影の中に沈んだままだ。
 車のライトがはるか眼下を右から左に抜けていった。
「僕が他の男と寝るのはかまわないんですか?」
 振り向いて聞く僕に、セーターを着ながら荒木さんは答えた。
「ああ。かまわない」
 その答えを聞いた時軽い失望感を味わった。
 荒木さんにとって、僕はたくさんいるボーイフレンドの一人でしかないのだろう。
 それとも先日の片岡さんのことを気にしてるのか。
「怒ってるんですか、片岡さんのこと」
 窓から伝わる冷気に身体が一瞬震えた。
「そんなことは無いよ。今言った通り、ハーレーの彼氏ともこれまで通り付き合うといい、
別に邪魔しないよ」
「僕をとられるとは考えないんですか?」
「絶対にエイトを誰にも渡さない。盗られたらとり帰すさ。返り血浴びてもね」
 それまで淡々と答えていた荒木さんが初めて言葉に感情を込めたように思えた。
 窓からの冷気の所為ではなく、身体がぞくりとした。
 男同士の場合、結婚という法的な拘束力が無いから離れるのも容易だが、奪うのもまた
容易だ。
 結局、誰とも寝るなと言ったとしても、浮気するのはとめようが無いわけだ。
 法的に不倫になるわけでもないのだから。慰謝料請求することもできない。
 ならば、無駄な約束はしない方がお互いに楽なだけましなのかも知れない。
「荒木さんは、ぼく以外にも付き合ってる人居るんですか?」
「そんなもの居るわけない」
 すでに服を着終わった荒木さんは、上着に左手を通しながらそう言った。

 3人でするセックスは衝撃的だったけど、朝の光の中では昨夜の記憶そのものが色あせ
て、毒気も抜けてしまったように思えた。
 荒木さんの目の前で他の男に抱かれた事のショックは、蚊にさされた痒みの様に、しば
らくすると消えていった。
 そのときは掻き毟りたくなるほどの痒さだが、時間がたてばどれくらい痒かったかさえ
忘れてしまう。
 それよりも、ジョージのものを咥える荒木さんの姿の方が後を引いていた。
 荒木さんの顔を面と向かって見ることが恥ずかしかった。
「いい加減服着たら? 朝ごはん食べに行くだろ」
 ソファに脱ぎ捨てて会った僕のジーンズを荒木さんが放った。
「僕の裸もう見たくないんですか」
 両手を頭にやって腰をくねらせた。
「今度、またゆっくり見せてもらうさ」
 荒木さんは指でピストルの形を作ると、僕を撃つまねをした。

 雪は解けているが、まだ路面は濡れている。
 急なくだりカーブでハンドルを早めに切ると、フロントタイヤが少しだけ外側に持って
いかれる。
 荒木さんは、今度旅行しようと言っていた。
 僕はどういう口実をつけて家を出るか、それをこの正月考えていた。
 旅行の行き先はまだ決めていないが、沖縄が有力候補だった。
 長崎から、今の時期ならホテル付きで二泊三日、往復の飛行機代も含めて4万円くらい
でいける。
 問題は響子と修一にどう説明するかだ。
 出張や学会なんていう言い訳は無理がある。
 
 荒木さんという友達ができたことを、響子に知らせておいた方が良いだろう。
 これまで一緒に飲みにいくような友達が居なかったのに、ここに来て二人もできるのは、
不自然だろうか。
 確かに不自然かもしれない。
 しかし、男友達ができたことに対して疑念を抱かれる心配は無いはずだ。
 響子は僕のそばに女の影が見えない限り不信感は持たないはずだから。
 妻にセックスを拒否された夫が、それではと男に走るというのは考えにくい。
 片岡さんの様に、一度家に呼んでみるか。
 でも、どういう理由があるかな。
 そんなことを考えていたら、コンビニエンスストアが見えてきた。
 狭い道路端の雑草の上には、まだ朝の雪が解けずに残っている。




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