ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人
 二章 もう一つの出会い
 




 何か武器になるものがないか、周囲を見回すにしても暗すぎる。
 満月の光があるとはいえ、壁の向こうのライトが逆に陰になるこちら側を暗くしていた。
「おい、お前あっちを頼む。携帯使われるの面倒だから」
 不良の言葉でやっと僕も携帯電話で警察に通報することを思いついた。
 しかしそれを取り出す前に、長髪の男が近づいてくるのが見えた。
 逃げろ、と言う片岡さんの声も追ってくる。
 その片岡さんは金属バットを構えた二人組みに挟まれて身動きできないようだった。
 
 テトラポットの積まれたこの場所は、幅が三メートルほどある。
 僕は海の方にいっぱいまで下がった。
 男が塀に上がって、こちら側に降りた。
 塀の向こう側では、金属バットが地面をたたく音が聞こえてくる。
 ほえる声にうめき声。
 映画かテレビドラマでしか体験したことのないアクションシーンの真っ只中にいるのは、
奇妙な感覚を僕に呼び起こす。
 夢でも見てるような、地に足の着かなさ。
 しかし近づいてくる男の持つ危険な雰囲気は、気持ち悪くなるくらいに本物だった。

「おとなしくこっちに来いよ。金だけ出せば開放してやるからさ」
 長髪のシルエットが言う。
 暗くて足場の悪い場所だ。
 向こうも簡単には近づけないのだ。
 こんな場所で乱闘になれば、バランスを崩して海に二人とも落ちてしまうだろうから。

「こっちに来るな」
 言いながら僕は携帯を取り出すが、それを操作する隙がなかった。
 相手から目を離せば、一気に近づいてきて僕を海に突き飛ばすだろう。
 僕が彼をつかむよりも早く。
 彼も動きが取れないが、僕もまた同じことだった。
 
 しかし、こうしている間にも片岡さんが痛めつけられてるかもしれない。
 僕はじわじわと横に進んで男から距離をとる。
 しかし、男も同じように移動するから、依然として隙を見つけることはできない。
 男が足元を見た。
 そしてかがみこむ。
 棒切れを拾い上げていた。

「言うこときかねえならこいつで突き落としてやるか」
 男の持った棒は二メートル近くある竹だった。
 どこからか流れ着いたのか、誰かが捨てたのかわからない竹の棒は、一気にこっちの形
成を悪くしてくれた。
 海辺に近い僕の周囲にはそういった漂流物はない。
 波で奥に押されるか、流されてしまうからこちら側にはほとんどごみも落ちていないの
だ。
 竹をやりのように男が構えた。

「わかった。降参するよ。金は出すから」
 僕は手に持っていた携帯電話を、相手にわかるようにしながらポケットに収めた。
「最初からそうすりゃいいんだよ、こっちにきな」
 男はそう言って自分から先に岸壁をよじ登った。
 僕もその後に続いて岩壁に手をかける。
 片岡さん、あんまりひどいことになってなければいいが。
 先ほどまで乱闘の物音がしていたが、今、壁の向こう側は静まり返っていた。
 そのとき、男の声で、貴様と叫ぶ声が聞こえた。
 目の前の男が、あわてて岸壁から向こう側に飛び降りた。
 コンクリートの壁に上って見下ろすと、片岡さんが金属バットで男に殴りかかっていた。

 鈍い音が聞こえた。


 ハーレーのエンジン音に負けないように、大声で僕は言う。
「大丈夫だったの? 殴られなかった?」
 風が僕の声を後方に巻き上げていく。
「何発か食らったけどな。どうってことないさ。お前が無事でよかった」
「どこかで休もうよ。あのファミレスは? お腹も減ったでしょう?」
 片岡さんに回す腕に必要以上に力を込めて、後ろのシートから僕は抱きついた。
 まんまと片岡さんの計略にはまってしまったみたいだ。
 強い男に女は弱い。
 それまで思っていた以上の気持ちが、片岡さんの方に傾いていくのを僕はどうすること
もできなかった。

「ラブホテルでもあれば入りたいところだけどな、さすがに今はそんな気にもならんか」
 その言葉は僕にはちょっと残念に思えた。
 片岡さんが街道沿いの安っぽいレストランにバイクを乗り入れた。
 さっきの海岸と比べて明るい光に満ちている。
 黄色いその光たちは、仮にさっきの男達が追いかけてきたとしても、此処は十分安全だ
といってるようだった。

「ああ、あいつらが追ってくるのは心配要らんぞ。タイヤ、パンクさせてきたからからな」
 明るい店内で見ると、片岡さんの左の頬が腫れていて、右耳の上あたりから血が出てる
のがわかった。
 ハンカチを出して、お冷の水で濡らすと、その血をふき取ってやる。
「たいした事はない。バットがかすめただけさ」
「でもすごいな。二人もやっつけるなんて」
 僕の感嘆の台詞に、片岡さんはにやけた笑い顔を作るが、痛みが走ったのか一瞬顔をゆ
がめた。
「一人そっちに行ってくれたのが助かった、しかも素手の奴が行ってくれたからな」
「どうして? バット持った敵二人が残ったのに?」
「複数との喧嘩のときは、タックルされて抱きつかれるのが一番まずいんだよ、動きを止
められるから。金属バットみたいな大物振り回す奴には隙ができるから、まだましだ。あ
いつら、あそこで何度か強盗やってたんだろうけど、喧嘩慣れはしてなかったみたいだな」
「片岡さんは喧嘩慣れしてるわけ?」
「まあな。俺なんか猪と戦ったことだってあるぜ」
 ふざけた言い方だったけど、嘘には聞こえなかった。

 注文していたトルコライスが二つ運ばれてきた。
 チキンライスの小盛に、スパゲティやとんかつ、サラダ、それと小さなハンバーグが添
えてある。
 それまでなかった食欲が、あつあつのとんかつの匂いにつられて膨れ上がった。

 時計の針は九時になろうかとしていた。





 NEXT