ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人
 二章 もう一つの出会い
 

 8

 海岸に下りたところで、ハーレーのうるさいエンジン音が静かになった。
 街灯が遠くにあるだけで、バイクのライトが消えると周囲は真っ暗になる。
 波の打ち寄せる音がすぐ近くに聞こえていた。
 真っ暗だと思っていたが、しばらくして眼が慣れると、案外明るかった。
 頭上に満月が浮いていたからだった。

「うーん、ちょうどいい月だしな。ムード満点じゃないか」
 バイクから降りた片岡さんが、僕から受け取ったヘルメットをバックミラーにかけて言
った。
 岸壁の防波堤は高さが150センチほどか。
 その向こう側から波の音が聞こえて来る。
 風もない穏やかな夜だった。
 
「荒木が好きなのか? 今日は抱いてくれることになってたのかな」
 防波堤に座った片岡さんが聞いてくる。
 僕も防波堤に上がり、彼の横に座った。
「荒木さんは好きですよ。だから僕はこっちに来たんだし」
「こっち?」
「こっちの世界」
「ああ、そういう意味か。じゃあ本当にその前まで、ほんの一年前まではまったく男には
興味なかったのか?」
「そうですよ。ごく普通にアダルトサイトの女のおっぱいや尻の写真を集めてましたよ」
「ガキの頃からも?」
「ええ、もちろんその頃はアダルトサイトは見てなかったけど、普通に女の子を好きにな
ってました。男には友情以上は感じなかった。それに、誘われることもなかったし」
「へえ、もてなかったんだな」
「男にはね。女の子にはそれなりにもててましたよ、自慢じゃないけど」
「じゃあまたなんだって今頃?」
「さあ。自分にもわかんないですよ。まだ戸惑ってるところです、普通のゲイの人とは感
覚的に違うところが多すぎるし、本当に此処が自分の居場所なのかよくわからないんです
よ」
「そんなに違うか?」
「だって、片岡さんも男風呂でタイプの男が近くに来たら、あそこ立てるんでしょ? 僕は
そんな事絶対ないですから。荒木さんや片岡さんのことは好きだけど、その裸見ても興奮
はしないですしね」
「しかし男に抱かれる喜びを知ってしまったと」
 片岡さんはそう言って僕の肩を抱いた。
 ぐっと引き寄せられる。
 波の音が低くなったと思ったら、片岡さんの唇がかぶさってきた。
 ねっとりした苦い舌が入り込んできて僕の舌を引き寄せる。
 シャツのボタンをいくつかはずされた僕の胸元から、肉厚な手のひらが入り込んできた。
 その通りだな。僕は男が好きでもないのに、女として男に抱かれることが好きになって
しまったのだ。
 こうして、半ば無理やりにされることさえ、心臓の鼓動を喜びで早くしてしまう。
 でも、僕は自分が女だと思ってはいない。
 女になりたいとも。

 ではいったい僕は何なのだろうか。
 ゲイでもないのに男に抱かれるのが好きな変態?
 いや、男に抱かれるのが好きだと言う時点ですでにゲイなのか?
 いつ考えても答えは出ない。
 しかしつい考えてしまう問題だった。
 いつしか彼の唇は僕の顔から離れ、左胸の乳首を転がす作業に移っていた。
 キスから開放された僕の唇からは、甘い声が流れ始める。

 野外プレイか。
 男としてしたことはあったけど、女役では初めてだ。
 彼の手が僕のズボンのベルトを緩めようとしたとき、無粋なライトが道を降りてくるの
が見えた。
 車が迫っている。
 片岡さんも気づいて、顔を離した。
 僕は服の乱れを整える。
 ディーゼルエンジンを響かせて、車が近づいてくる。
 ルーフライトも照らしてるその車は、車種まではわからないが背の高い四輪駆動車らし
かった。
 三菱のパジェロか、トヨタのハイラックスサーフあたりだろう。
 てっきりカップルの車が下りてきたものと思っていた。
 それだったら、先客とは離れた位置まで行くか、別の場所に向かうために引き返すだろ
う。
 しかし、その車はそのどちらも選ばなかった。
 ハーレーのすぐ後ろに止まると、助手席のドアが開く音がした。
「おい、防波堤の裏に行ってろ」
 片岡さんが珍しくまじめな口調で言った。
 防波堤の裏と言えば、テトラポットの積み重なった場所だ。
 はやく、と急かされて、僕は腰を上げた。片岡さんは僕より先に立ち上がっていた。
「邪魔して悪いな。おじさん達、手っ取り早く財布置いてってくれないかな。現金だけで
いいからさ。カード類はいらねえから」
 若い男の声が、開いた運転席から聞こえた。
「ほら、はやく隠れてろ」
 片岡さんに言われて、僕は裏側に降りた。
 海面はまだ二メートルくらい下にある。月の光を反射して揺れる海面を見下ろすと、少
しめまいがした。
 甘い雰囲気が急に緊迫した場面に変わる。
 その変化に心がついていかない。
 ヘッドライトの前に浮かんだシルエットは3人だった。
 そのうちの二人は、金属バットのような棒を手に下げている。
 ジャケットのポケットから財布を取り出そうとしてる僕に、片岡さんが出すなと叫んだ。
 まさかこいつらと戦うつもり?
 相手が二人でも無理があるのに、三人で、しかも武器まで持ってる相手と戦うのは荒唐
無稽なアクション漫画だけでたくさんだ。
 現実的じゃない。
 僕に格好いいところを見せて、一気にほれこまさせようという理由だけでは、リスクが
大きすぎる。

「消えうせろ、ハイエナ野郎が」
 その、あまりに非現実的な言葉が、片岡さんの声であたりに響いた。







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