ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人
 二章 もう一つの出会い
 

 7


 
 飲む予定だったから、車は置いて今朝はバスで来た。
 曇り空から、少しだけ雨粒が落ちてきている。
 傘をさすまでもない程度だから、僕は少しだけ急ぎ足で会社に入っていった。
 会社のデスクについて携帯を見ると、メールが二通来ていた。
 片岡さんと、荒木さんから一通ずつだった。
 
 まず荒木さんの方を開いてみた。
『おはよう、あいにくの雨だね。でもこの雨は昼過ぎには上がるらしい、多分きれいな夜
景を見ながら食事ができるだろう。今日は満月だしな』
 そうだったのか、月なんか見上げないからな。

 次に片岡さんのメールを見てみた。
『お疲れ様。今日も仕事遅いのか? 俺は満月でも見ながら焚き火してビール飲んでるぞ』
 燃えた木の枝が弾ける音が聞こえるようだった。
 片岡さんとも今度ぜひ一緒に飲みたい。

 僕は、荒木さんにはありきたりの返事を、片岡さんには、『残業はないですよ、一応忙
しい時期はすんでるので。6時半には終わると思います。今度焚き木に付き合いますよ』
 と返事をした。
 
 そして終業時刻が過ぎて、タイムカードを押す。
 荒木さんは七時に迎えに来るということだったから、30分ほど、近くの本屋で時間を
つぶした。
 平積みにされた流行の推理小説を取り上げて、ページをめくってみるけど、テレビで見た
好意的な評論とは裏腹に、もって回った言い回しの多い文章で読みしくそうだった。
 車の雑誌のコーナーも少し覗いてみる。
 今度出るアルファロメオのMITOの情報を仕入れたかったが、あいにくその特集を載せて
いる雑誌はなかった。
 そして、約束の時間の10分前に本屋を出て、会社近くのバス停に向かった。
 周囲はすでに暗くなっている。同僚たちもほとんど帰っているはずの時間だった。
 車のライトがいくつも前を通り過ぎていく。
 荒木さんのパトリオットはまだかと、車道を覗き込んでいると、うるさい排気音が近づ
いてきた。ハーレーのようだった。
 僕が車道から身体を離すと、そのハーレーは僕の横で止まった。
 
「よお、やっと見つけたぜ。そろそろ出てくる頃かと思ってこの前を何度も通ってたんだ。
三度目の正直だったぞ」
 バイクの上から声をかけてきたのは、片岡さんだった。
「どうしたんですか。今日はだめだって言ったのに」
「ほら、これかぶれよ」
 僕の質問は無視して、自分のかぶっていたヘルメットを彼は脱いでよこした。
「なんですか?」
「後ろに乗れよ」
「だめですよ、約束があるんだから」
「いいから乗れって、その辺一周したら戻ってきてやるよ」
「嘘だ、戻る気なんかないくせに」
 押し問答をしてたら、見慣れた車が近づいてくるのが見えた。
 荒木さんのパトリオットだった。
 片岡さんと一緒のところではとても会えない。
 最悪のタイミングだ。

 僕は仕方なくヘルメットをかぶると、ハーレーの後ろにまたがった。
 バス停の人ごみが壁になってくれてるから、荒木さんには見られていないはずだった。
 スピードを緩めるパトリオットの鼻先をかすめる様にして、騒々しい音とともにハーレー
は加速した。
「もう、勘弁してくださいよ。困るじゃないですか」
 排気音に負けないように、ノーヘルの片岡さんの耳元で叫んだ。
「花嫁をさらったのは俺さ〜」
 僕の抗議には、そんなちょうしっぱずれな歌が返ってくるだけだ。
 パトカーにでも止められれば良いのに。
 しかしいて欲しいときにはいないものだ。
 ノーヘルの片岡さんが運転するハーレーは、小気味いい排気音を響かせて大通りを進
んでいく。
 このままだと荒木さんをすっぽかすことになってしまう。
 それは仕方ないにしても、何とか早くお詫びのメールを打ちたかった。
 待たせっぱなしにはできない。
 
「お願いですから、止めてください」
 スピードがゆるくなった。
 ほっとしたとたん、再び加速しだす。
 交差点の信号の所為だった。
「頼みますよ。荒木さんにメールうつだけさせてくださいよ」
「やっぱり、荒木と会うつもりだったんだな、そうは問屋が卸さないぜ」
「お願いですよ」
「わかったよ、じゃあ今日は俺の言うこと聞くか?」
 こうなってしまっては仕方がない。
「わかりました、言うこと聞きますから」
 旭大橋をわたって、福田に抜ける道沿いで、やっとバイクは止まった。
 すぐにバイクから降りて、携帯を取り出す。

『すいません!急な仕事が飛び込んでしまって、今日はいけなくなりました。今度、埋め
合わせさせてください』
 送信ボタンを押す。
 ほっと一息ついた。

「じゃあ行こうぜ。乗りな」
 後ろから携帯を覗き込んでいた片岡さんが僕の肩をつかんだ。
「もう、ひどいじゃないですか、こんな事する人だとは思わなかった」
 強い口調で非難の言葉を浴びせても、片岡さんは顔色一つ変えない。
「お前が好きなだけさ。恋愛ドラマにだってよくあるだろ」
 横を向き、側の石ころを蹴飛ばす。
「信じられない。僕はタクシーで帰りますから」
 片岡さんの方にバスケットボールのパスの要領でヘルメットを投げると、僕はその場を
離れた。
 車の隙を着いて反対車線に走る。

「待てよ、言うこと聞くって言ったじゃないか」
 バイクの横で片岡さんが叫んだ。
「あれは嘘ですよ」
 僕も負けないくらいの声で返す。
「ひどい奴だな、でももう荒木は帰ってるだろ」
 その言葉は無視して、近づいてくる空車のタクシーに手を振った。
 そのとたん片岡さんが走り寄ってきた。
 車のクラクションが響く。
 車の来るのもかまわず近寄ってきた片岡さんが、僕の腕を抑えた。

「放してくださいよ」
 タクシーが近づいてきた。
 止まろうとするタクシーに、片岡さんが手で行くように合図する。
 僕は抑えられて動けなかった。
 畑仕事なんかで鍛えられた体の片岡さんには、とても力ではかなわない。
 いったんスピードを緩めたタクシーのエンジン音が大きくなって、遠ざかっていった。

「もう、なんですか。頭にきた。片岡さんとはもう会わないから」
 振りほどこうとするけどその手は力強く僕を抱きしめている。
 睨みつけようとした僕の顔に片岡さんの唇が迫ってきた。
 舌が滑り込んでくる。
 噛み付いてやろうと思ったけど、やっぱりできなかった。
 舌を吸われて力が抜けてしまう。
 タバコ味の苦い唾液を飲まされる。
 うわーあれ男同士じゃない、という声がどこからか聞こえてきた。

「いい子だな。バイクに乗るだろ」
 離れた唇は糸を引いていた。
「わかりました」
 僕はそう答えるしかなかった。





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