ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人

 




 彼にメール送るかどうか、三日悩んだ。
 これは浮気になるんだろうか。妻に対する裏切りになるのか?
しかし妻の方から拒否されてのセックスレスが三年目になろうとしている状況では、はっきり言って裏切り
になってもいい気がしてきた。

 先に裏切ったのは、向こうの方なんだから。
 健康に問題ないのに一方的に性生活を拒否する事は、立派な離婚の理由として法的に成立するのだ。
 自分がその気にさえなれば、慰謝料をもらうのはこっちの方なのだ。
 しかしそうしないのは、妻への愛情ではなく、子供を思ってのことだった。
 セックスレスになった一年目は、自分のやり方がまずいのかといろいろ知識を仕入れてみたりもした。
 最初の頃は完全レスではなく、何度かに一度はいやいや応じてくれていたから、自分なりに努力して彼
女の快感を増幅させようと頑張ったつもりだ。

 しかし駄目なものは駄目だった。
 頭を下げてまでベッドを共にする事に自己嫌悪を覚え、次第に自分から誘う事もなくなっていった。
 あの頃のいらいらした生活が思い起こされる。

 それを思うと、メールする事なんてどうってことも無いのではないだろうか。
 しかもメールしたからといって、すぐに深い関係になるわけではないだろう。
 僕は、仕事の合間に携帯電話を取り出すと、新規メールを作成した。

『先日はどうも。メール遅くなってすいません。ポケットの中にメモが無かったから無くしたと思ってたら財布か
ら出てきました。あの日はせっかく誘ってもらったのに、行けないくてごめんなさい。でも、知り合って二十分
では付いていく気にはなれませんでした。多分相手が誰であっても同じだったと思います。荒木さんがイヤだっ
たわけではありませんので、念のため。また店であった時にでもゆっくりお話出来ればと思います。ではまた』

 長いメールになってしまった。
 最初から読み返してみた後、しばらく考えてから送信ボタンを押した。
 その瞬間、僕の周りの世界が色を変えたように思えた。
 三十分くらいたっただろうか、仕事帰りの支度をしていると、胸ポケットからメール着信音が聞こえてきた。
 高鳴る鼓動を感じながら、携帯電話を取り出す。
 じゃあお先に、と言って帰る同僚をやり過ごした後、僕は受信メールを開いてみた。

『メールありがとう。もう無理かと思っていたから、とても嬉しかった。君の時間が空いた時にでも、一度ゆっくり
飲まないか? 俺は自営業だからだいたい合わせる事ができるから』

 自営業というのは意外だった。あの夜はラフな恰好だったが、やり手のサラリーマンという印象だったから。
 僕は先の事も良く考えずに、返信メールを作成しだす。

『いいですね、明日の夜、焼き鳥でも食べますか? 七時くらいには仕事も終わりますから』
 
 送信ボタンを押すと、ほんの一分後には再び返信が帰ってきた。

『了解、七時に駅のアミュで待つから』

 地方都市の長崎市では駅と言えば長崎駅の事になる。アミュというのは、長崎駅に隣接して最近できた多目
的商業ビルの事だった。

 会社の地下駐車場に行くと、リモコンキーのスイッチをポケットの中で押す。
 電子音が鳴り、白いRX−8のウィンカーが、鍵の解除を知らせる点滅をした。
 ドアを開けて運転席に乗り込む。口元が知らず知らず緩んでくるのがわかった。
 いつもなら、これからエンジンをかける車のエキゾーストを待つ笑みのはずだけど、今日は違っている。明日の
夜に心は飛んでいくみたいだった。
 遠くの古びた蛍光灯の点滅に目をやりながら、明日の夜を想像してみた。
 居酒屋の生ビールを片手に、荒木さんと話し合う自分。
 久しぶりに感じる鼓動の高鳴り。
 まるで新しくできた恋人とのデートを楽しみに待つ気分だ。
 僕は彼に対して恋愛感情をもう感じてるんだろうか。
 まだ、一度しか会っていない男に……

 クラッチを踏んでギヤを一速に入れると、軽くアクセルを踏みながらクラッチをつなぐ。

 滑らかに車は進みだした。




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