ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人

 

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 おなじみの風景がなんだか違って見える。
 初めて女性とセックスをしたときにも感じなかった感覚だった。
「あ、あそこの、市立図書館の所で降ろしてください」
 市立図書館は最近できた図書館だ。
 これまでは古びた県立図書館のみが長崎市民の図書館だった。
「ここから歩いて帰るのか?」
 距離的には大してないが、荒木さんに乗せてもらった場所はここからかなり上ったとこ
ろだったのだ。
「はい、この図書館をちょっとまわってみます。嫁さんに聞かれたらここに来てたってこ
とにしたいから」
 来てた事にするには、内部を知らないとまずいだろう。
 僕はまだここに入ったことはなかったのだ。

「なるほど、車使わずに出ることはあまりないって事か」
 さすがに鋭いな。
「ここなら歩いて来れる距離だし、駐車場に車入れるの難しそうって言い訳が立つでしょ」
「わかった。じゃあ、今度また飲みに行こう。今度はローズビーズにも寄らないとな」
 車が道路端によって止まった。
「はい、多分三月になれば送別会なんかも入ると思いますから、その二次会抜け出してロー
ズビーズで会いましょう」

 図書館の中は暖房も効いていて快適だった。
 一階の一般書のコーナーを歩いてみたが、本棚にはまだかなり隙間があり、僕が好きな
作家の本も見当たらなかった。
 一応妻と話をあわせられる程度に中を見た僕は、外に出ようとして入り口の近くにいた
女と目があった。
 
 坂口みゆきだった。
 一瞬戸惑う表情を見せた彼女は、諦めたのか僕の方に歩いてきた。
「お久しぶりです」
 彼女の手荷物の袋には、ここで借りたと思われる本が数冊入っていた。
「うん、でも、辞めるなんて、ずいぶん急だったんだね」
 先日のことは無視するようにして僕が言う。
「あっちに座りませんか?」
 みゆきはテーブルと椅子の置いてあるスペースを指差した。
 うなずいて彼女のあとを追う。
 座った彼女はハンドバッグからタバコを取り出した。
 ラークマイルドだった。
 ライターを取り出したところで、気づいた様子だ。館内禁煙だということを。

「私の嘘、ばれてるんでしょう」
 タバコとライターをハンドバッグにしまった彼女は、ガラス張りの壁の外の光あふれる通り
を見ながら言った。
「田上とは去年の歓送迎会からだって聞いた」
 何で僕はここにいるんだろうか。
 軽く挨拶して別れればよかったのに。
 彼女と話しをする理由なんて何もないのに。

「何がなんだかわかんないでしょうね、杉田さんには」
「確かにそうだ。君の気持ちはわからない」
「でも、好きになっちゃいけないんですか? 結婚してるかどうかなんて、人間の本質とは
関係ないでしょ」
 言葉とは裏腹に、感情を抑えた小さな声で彼女は言う。
「そうかもしれない。そう思ってる人もたくさんいると思うよ」
「結局、私に魅力がなかっただけか」
 いきなり泣き出すかと思って少しひやひやしたが、彼女の態度は悲しみに打ちひしがれ
てる女とは遠かった。ため息をついた後は妙に乾いた笑いを僕によこした。

「僕ができなかったからそんな事言ってるのかもしれないけど、君に魅力がないというの
は違うよ」
「いまさらそんな事言ってくれなくてもいいですよ。奥さんを愛してるというのも違うでしょ、
男の人は奥さんがいても若い女には目がないはずだもの」
 田上のことを言ってるのだろうか。
「僕は田上とは違う」
「もちろんそうですよ。だから杉田さんが好きだった。苦しいですよね、人を好きになるのって」
 お昼のメロドラマでも見てるような展開に、僕も少しいたずら心が芽生えた。

「確かに苦しい。喜びも多いけどね、僕は今そんな気持ちでいっぱいさ」
「もしかして、私以外の人と付き合ってるんですか?」
 感の鋭い魚が食いついてきた。
「今もデートしてきたところ。そこで降ろしてもらったんだ、車から」
「そうだったんですか。お相手は私の知らない人ですか?」
「もちろんそうだと思う。たぶん想像もつかない相手だよ」
「すっごい美人とか?」
 僕は彼女から視線をはずすと、通りを行きかう車を少しの間目で追う。
 そして言った。

「いや、美人というより美男子だな」
 あっけにとられたみゆきの顔がずいぶん間抜けに見えた。 
 一瞬後に笑い声が館内に響いた。
「信じられない。杉田さん、冗談でしょ」
「冗談じゃないさ、僕は女はもう好きじゃないんだ」
 だからできなかったってわけさ、と心の中で続ける。
「あきれた。とんだ変態だったんだ」
 言った後、勢いよくみゆきは立ち上がった。
 そして荷物を持つと、僕に背中を向けた。
 その背中に向かって僕はひとこと言葉を送る。

「男か女かなんて、人間の本質には関係ないだろ」

 




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