ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人

 

 12


 木曜日は朝から天気がよくて、三月も近づいていることを感じさせる陽気だった。
 自宅マンションの下の道路にあるバス停で、僕は荒木さんを待った。
 メール着信音が鳴って、見てみると、今中央橋あたりという一言を受信していた。
 それなら後10分くらいか。
 見上げても、まだ公園の桜が咲くには早いけど、もう一月もしないうちに、ここは長崎
でも有数の桜の名所になるのだ。
 何度か来る車に目を凝らすが、荒木さんの車はまだのようだった。

 どんな車で来るのかはわからない。
 黒塗りのベンツだったらちょっと嫌だな。怖いし。
 軽自動車というのも、荒木さんには似合わない。
 どんな車が似合うだろう。
 普通にマーク]くらいかな。
 案外ポルシェとかだったりして。
 荒木さんにはポルシェも似合いそうだ。

 そんな想像を膨らませてるところに、モスグリーンのごつい4WDがやってきた。
 僕の横に止まったその車は、詳しくは知らないがジープブランドのようだった。
「やあ、乗って」
 こちら側の窓が開いて、奥の運転席から荒木さんの声が聞こえてきた。
 ドアを開いて乗り込む。
 サングラスを上にずらせた荒木さんが、にこやかにうなずいた。
「じゃあ行くか、昼飯食べていくだろ」
 ウインカーの点滅音の後、車が加速し始める。
 はいと答える僕に、
「あがってるのかな、声がかすれてるよ」
 と荒木さんは笑った。
 荒木さんは悪い人には見えないし、店での飲み友達にならなんら問題はない。
 でも、二人っきりで人に言えない秘密を共有することになる相手として、大丈夫なのか、
僕にはまだ確信がもてていなかった。
 悪い人間が悪そうにしてるとは限らないからだ。
 それまで浮かれ気分だったのが、嫌な想像に引っ張られて、急降下しそうだった。

 何とか自分を納得させる方法を探す。
 もし荒木さんが悪い人間だったとすると、僕以前に脅されたりした人間がいるはずで、
そうなるとローズビーズでもその評判は知れ渡ることになるだろう。
 だとすると、あの店のマスターが、僕に何も注意しないはずがない。
 そうか。
 ゲイバーでの出会いというのは、ネット掲示板なんかでの出会いと比べて、そういうメ
リットがあるわけだ。
 マスターが客の本名を知らなくても、その人間を知ることに支障はないのだ。

「この車、なんていうんですか」
 少し気が晴れた僕は運転している荒木さんに聞いた。
「ジープのパトリオットって車さ。2.4リットルのガソリンエンジンを始め、中身は三
菱との共同開発だ」
「そうなんですか、じゃあわりと燃費はいいんでしょうね」
「車重があるから、せいぜい6キロ程度かな」
「じゃあ、僕の車と変わらないですね」
 他愛ない話をしているうちに、目的の店についたようだった。
 時津の町に下る大通りを少し下ったところのあるチェーンレストランだった。

 入り口から入って右側、禁煙席の二人掛けに僕らは向かい合って座った。
 ウエイトレスが、メニューとお冷を持ってくる。
 
 僕はカツどんを、荒木さんはキムチ丼を頼んだ。
 食べ始めた後に、荒木さんがまずったなとつぶやく。
「どうしました?」
「いや、臭いがするかと思ってさ、せっかくの……なのに」
 なるほどそういうことか。
「いいですよ、僕は気にしませんから」
 僕の生まれて初めての体験を、できるだけいいものにしてやろうという気持ちが感じら
れた。
 飲み会のときはともかく、素面のときに男同士二人というのもなんだか気恥ずかしい。
 自意識過剰というやつだろうか。

 店を出るとき、当然のように荒木さんが支払いをしようとしたが、あえて僕は割り勘に
してもらうことにした。
 対等でいたいから。そう言って。

 車はいったん来た道を戻り、滑石団地を過ぎて峠を越えていく。
 そこから少し降りたところに、本日の目的地があった。
「シートを倒して」
 最初荒木さんが何を言ってるのかわからなかった。
 でもとりあえず、少し後ろに倒してみた。
「もっと、真横になるくらいにして」
 そこで僕にもやっと理解できた。
 入るところを見られるのがまずいというわけだ。
 男二人の来店はご遠慮くださいと言われるのだろう。
 真横に寝転んでさらに僕は顔を隠すようにした。
 車がゆっくりラブホテルの門をくぐった。
 
 ラブホテルに来るのなんて何年ぶりだろう。
 結婚する前に響子と行ったきりじゃないだろうか。
 車がぐるりと回って、窓からの日差しが入らなくなった。
「もう大丈夫だ、降りようか」
 促されるまま、僕はシートを起こして、車から降りた。
 目の前に黄緑色のドアが見える。
 その取っ手に手をかけると、重めのドアをひき開けた。
 荒木さんも車を回ってやってきた。

 部屋に上がる。
 ひんやりした部屋は、クリーニングされてるとはいえ、何人もの男女の性愛の香りがま
だ残っている気がする。
 
「後ろの処理はしてきたの」
 荒木さんが後ろから手を回して抱きついてきた。
「はい、一応」
 最近はあまりしていなかったが、中学高校くらいから肛門に異物を挿入するのが好きで
よくやっていた僕にとって、浣腸はそれほど大変でも特別な行為でもなかった。
「とりあえず、風呂にお湯ためるから」
 男女でこういう場所に入ったときの、男の役割をしっかり荒木さんがやっていた。
 僕はといえば、初めて連れてこられた処女のように、ソファに腰掛けることもせずベッ
ドサイドに立ち尽くしていた。
 
 風呂場からなかなか戻ってこない荒木さんの方に行って見ると、彼は歯磨き中だった。
 本当は僕も磨いた方がよかったんだろうけど、まったく頭の中に思いつかなかった。
 冷えていた部屋の空気が、エアコンの風でかなり温もってくる。
 僕はジャケットを脱いで、ソファにおいた。
「じゃあお湯もたまったみたいだし、風呂に入ろうぜ」
 僕の肩に手をのせた彼が、やんわりとエスコートしてくれた。
 服を脱いで脱衣かごに収める。
 僕のすぐ側で、荒木さんも裸になっていた。

 風呂場は楽に二人が入れるように広めにとってあった。
 浴槽も二人分はある。
 僕は荒木さんに背中を向けるようにして湯に浸った。
 後ろから太い腕が回されてくる。
 首元を抱かれた。
「こないだも思ったけど、エイト君は鎖骨がきれいだよね」
「鎖骨ですか?」
「そう。この骨」
 肩から首につながる僕の骨を荒木さんが指でなぞる。
「くっきり浮き上がってる。滑らかな直線だ」
 そんなほめ言葉? は初めてだった。
「やっぱり喜ぶべきなんでしょうか」
「もちろんさ。顔だけがその人間をあらわすものじゃないんだから。もちろん君は顔だっ
てかわいいけどさ」
 かわいいと言われるのには抵抗あるはずなのに、なぜか嬉しくなる。

 後ろを振り向くと、荒木さんの顔がかぶさってきた。
 ねっとりした舌が差し込まれてきて、僕の舌と絡まりあう。
 身体を左半身ずらせる。
 荒木さんの腕がまわりこみ、背中から力強く抱きしめられた。
 ミントの香りが口の中に広がった。
 




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