ハッピーエンドでは終われない

城谷詠人

 

10


 釜風呂には先客が3人いた。
 五つの席が向かい合うようになっていて、10人が入れるようになっている。
 しかし向かい合う人間とは、ほんの一メートルも離れないくらいに狭かった。
 先客は一番奥の左側に一人、真ん中右側に一人、それと一番手前の左側に一人座ってい
た。
 荒木さんは手前から二番目の右側に座った。僕はその隣の一番手前側右に座る。
 僕の向かいには、がっちりした体形の胸毛の濃い男が頭にタオルを巻いて腕組みしてい
た。
 釜風呂では、普通タオルを膝から下半身にかける人が多いが、中にはこんな風に頭に巻
いてる人や、首にかけてる人もいた。
 釜風呂の中では声が反響してしまうから、少しはなれたところにしか客がいなくても話
はできない。
 今の状況では、だまって身体を温める以外になかった。

 ふと見ると、前の男が僕の方をちらちら見てるのが気になった。
 少し入り口側を向くようにして、他の客に見えないところで、彼は股間のものを握って
僕によく見えるように位置を変えた。
 顔にタオルがかかってよく見えなかったが、じっとこちらを見つめてる気配がする。
 僕は隣の荒木さんを見た。
 荒木さんは目をつぶったまま腕を組んでいる。
 汗の玉が体中から生まれては流れ落ちていた。
 僕の前の胸毛男が立ち上がると、釜風呂を出て行った。
 ほっとしてると、隣の荒木さんが僕の肩をたたいた。
 見ると、指で入り口を指している。
「行ってみろよ」
 何を言ってるのかわからなかった。
「面白いかもしれないよ」
 いたずらっ子みたいに笑うその顔を見て、僕にも少しわかってくる。

 釜風呂を出て、ヒノキ風呂の湯で汗をかいた身体を流す。
 さりげなく周囲を見ると、胸毛男は少し離れたプラスティックの椅子に腰掛けていた。
 ヒノキ風呂に入る。
 ここには誰もいなかった。
 一息ついて顔を上げると、胸毛男がこっちに歩いてきていた。
 知らん振りしてると、彼は僕の側のヒノキ風呂のふちに腰掛けて、じっと見下ろしてき
た。
 再び手は股間のものを握ってこっちに差し出すようにしている。
 釜風呂の中では暗くてよく見えなかったが、ライトに照らされたそれを見ると、ぐっと
勃起してるのがわかった。
 かなりでかかった。
 丸い先端がつややかに光ってる。

 僕はさりげなく横を向いて知らん振りを決め込む。
 男が湯船に入って近づいてきた。
「にいさん、一人?」
 二人きりのヒノキ湯で彼は聞いてきた。
「いえ、今日は友達と来ています」
 だからあんたの出る幕はないよと付け加えたいくらいだった。
「ふーん、さっきの背の高い男かな、でもさ、俺の方がずっと楽しませてやれるぜ」
 額の広いやや禿げ上がった頭にタオルを乗せた男が僕の股間に手を伸ばしてきた。
「ちょっと、だめですよ、止めてください」
 まさか手を出してまで来るとは思ってなかったので焦ってしまう。
 お湯の中で身体をずらせて逃げるが、しつこい彼に風呂の端まで追い詰められてしまっ
た。
 もうすぐ荒木さんも出て来るだろう。
 そして助けてくれるはずだ。
 
 そう思った矢先に釜風呂のドアが開いて、荒木さんが出てきた。
 僕の表情を見た胸毛男が、そちらを向く。
 荒木さんはいったん冷水で頭を流した後、一瞬だけこちらを向いて奥のプラスティック
椅子に腰掛けた。
 少し混乱してしまう。
 僕がここにいるのは見えたはずなのに。
 この程度はどうって事ないと思ってるのだろうか。
 まあ、確かに乱暴されるわけでもないし、僕が立ち上がって風呂から出ればすむことな
のかもしれない。
 でも、僕が違う男に絡まれてるのを見て、それを無視しているのはどうなんだろう。
 ちょっと悲しくなってしまう。

「少しくらい遊んでいいって思われてるんだろ、どうだい俺と」
 邪魔をしない荒木さんを認めた後、胸毛が腕を回してくる。
「もう、いい加減にしてください」
 むかついた僕は、きつめの口調で言い放つと、立ち上がって風呂から出た。
 荒木さんを睨んだ後、一回水をかぶって、釜風呂に入る。
 今度はそこには誰もいなかった。
 胸毛男がついてきたらいやだから出ようかと入り口を向くと、荒木さんが入ってくると
ころだった。

 一番奥に二人で並んで座る。
「もう、ひどいじゃないですか、知らん振りして」
「たいしたことじゃないさ。今まであんなことはなかったのか?」
「あそこを擦って見せ付けてくるおじさんには何度か遭遇しましたけど、あんなふうに話
しかけられたのは初めてですよ、夜だからかな」
「この銭湯、けっこうこっちが多いからな」
「僕が声かけられてるのを見ても、平気なんですか?」
「そんなことでいちいち焼きもちやいてたら、イケメン君とは付き合えないだろ」
 言いながら荒木さんの手が僕のものを握る。
 そして上体を倒すと、僕の股間に顔を近づけてきた。
 誰か入ってくるかもしれないというのに。

 僕は荒木さんのことよりも入り口が気にかかる。
 荒木さんが僕のものを口に含んだ。
 思わぬ快感が盛り上がってくる。
 身体は高温のスチームで汗だく。
 その上頭も真っ白になるくらい興奮してしまうから、なんだかめまいがしそうだった。
「大きくなってきたね。なかなか立派だ」
 顔を離して手でしごいてくる荒木さんは、入り口の物音聞きつけてやっと手を離した。
 入り口は二重ドアになっているから、外側のドアが開いた音でわかるのだ。
 心配していた胸毛ではなくて、一般客のようだった。

 その後、風呂から上がった僕達は、休憩室の畳の上で一休みしていた。
 二人に挟まれたテーブルの上には二本の 500ccペットボトルが置かれている。
「自分のことがよくわからないって言ってたけど、少しはわかってきたのじゃないかな。
女よりも男が好きだってさ」
 荒木さんは一口ジュースを飲んだ後、囁く。
「でも、あの胸毛おじさんは勘弁して欲しい。別に男が好きってわけじゃないと思うんで
すけどね」
「それはそうさ。女が好きだからといって、誰でも良いと言う事にはならないだろ、同性
愛だって同じことだよ、好きになった相手が、たまたま同性だったかどうかというだけだ」
 そういえばそうなのかもしれない。
 僕は男が好きなんじゃなくて、荒木さんが好きなんだと思えば、それでいいことなのか
も。
「セックスしてみる気になった?」
 単刀直入に聞いてくるんだな、いつも。
 荒木さんの性格なのかな。
「少しだけ、かな」
 僕は思ったままを口にする。
「まあいいさ。今度一緒に楽しもう。都合のいいときにあわせるから」
 今日は火曜日、今週はどちらかといえば暇な週だ。
 有給休暇もたくさん余ってるから、年度が替わる三月いっぱいにとってしまわないとい
けない分が残っている。

「じゃあ、木曜日に有給休暇とります」
 消え入るように僕はつぶやいた。




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