ちくり屋
 


 まっすぐ帰るものと思っていた百合はバス停を素通りして、その奥の夜の町に足を踏み
入れていく。岡持は不思議に思いながらも、声をかけることもできずに後をつけてみた。
 振り向きもせずに歩く百合の足取りは確固としたものがあり、なんとなく迷い込んだみ
たいな不確かさはどこにもなかった。
 どこに向かうつもりなのだろう。
 
 尾行しながら岡持は百合をバス停のベンチに押し倒すことを想像していた。
 誘うような百合の眼が潤んで自分を見つめる。
 岡持が右手をスカートの中に入れると、百合は眼をつぶり、下着を脱がせやすいように
軽く腰を浮かす。ひんやりした太ももとは対照的に、下着に包まれて湿った場所はとても
温かく、じっとりと濡れた股間に指を這わせると、百合の抑えた声が上がる。
 誰もいない夜の国道沿いとはいえ、時折車のライトが通り過ぎる中、囲いのあるバス停
の屋根の下で二人は隠微な時間を展開するのだ。
 岡持の指が薄いショーツの中に滑り込む。思いのほか濃い百合の陰毛を掻き分けて、さ
らに下に指をもっていくと、すでにぬるぬるになった粘膜の場所に行き着く。
 ふっくらした陰唇は期待に膨れ上がってる。
 ううん、ああ。百合の声は実に耳に心地よく響く。
 そして、岡持の股間のものが痛いくらいに膨らんでくる。
 実際ここまで想像して、岡持のそれは、歩くのが困難なくらいに膨らんでいた。
 前かがみになって何とか速度を落とさずに百合を尾行するが、膨張した股間の棒が下着
にこすれて、苦痛を伴う快感の波間に沈んでしまいそうになる。
 歩くのが困難になり、立ち止まって百合を見ると、百合はやっと目的地に到着したらし
く、人通りもまばらな裏通りの、幅もわずかに1メートルくらいの地下へ下りる階段に消
えていった。
 岡持も少し間をおいてその狭い階段を降りてみた。
 岡持はその店に入るかどうしようか迷った。普通の店じゃないのだ。看板も何もない一
枚ドアの向こうにはどんな世界が待ってるのか想像もつかない。
 しかし他にドアはないから彼女がここに入ったことは確かだ。
 岡持は意を決してドアの取っ手を握った。そして引いた。
 薄暗い狭い部屋がそこにはあった。応接セットがおいてある。そのソファに座っていた
男が立ち上がって岡持の傍によってきた。ひんやりとエアコンの効いた部屋は汗をかいた
岡持の体から急速に熱を奪う。岡持は一瞬ぶるっと身体を振るわせた。

「いらっしゃいませ。会員証を拝見します」
 岡持よりも二十センチは背の高い蝶ネクタイの男が、威圧するように前に出てくる。
 会員制のクラブなのだろうか。岡持は素直に、今ここにきた女性の知り合いなんだよ、
と言うか、機転をきかせるか考えて、ちょうど黒い手帳を持っていたことを思い出した。
 ちょっとくらい背が高いからといって、威圧するようにしている男に反感も感じていた
ことだし。
「今ここに若い女が入ってきたはずだけど」
 ウエストバックのポケットから黒い手帳を覗かせて、岡持は小声で言った。テレビでよ
く見る刑事ドラマの物まねだった。
 あっさり見破られてたたき出されることも覚悟の上だった。そうなったらなったでいい。
 失敗したからといって失うものはなにも無い。駄目でもともとなのだ。
 素直に質問してもたたき出されるのは同じことだろうし・・・・・・。
 しかし男の反応は劇的だった。それまで岡持を圧倒していた彼が、急にへりくだった表
情を見せだした。
「え? 彼女ですか。斎藤さんがどうかしたんですか」
 もみ手をしながら彼は暗い部屋の中でにやけた笑いを浮かべた。
 百合はここでは斎藤と名乗っているわけだ。偽名まで使うなんてものすごく怪しい。
「いや。まだ詳しいことは教えられないんだけど、ある事件の参考人として話を聞きたい
と思ってるんだよ。明日署まできてもらうことになってるんだけど、さっきそこで見かけ
たからちょっと話ができたらと思ってね。そしたら明日は来てもらわなくていいわけだし」
 ものすごく場当たり的でいいかげんなことを言っていると、さすがに岡持も思ったが、
蝶ネクタイの男は経験が浅いのか疑う様子もない。
「じゃあ呼んできましょうか」
 男が奥へのドアを開けようとするのを、岡持は咄嗟に押しとどめた。
「ちょっと待って。その前に彼女の事を少し教えてくれよ。大体ここどういう店なの?」
「え? わかってないんですか。SMクラブですよ。サドの人とマゾの人がお互いに楽し
む場所です。サドといっても新潟の海の沖に浮かんでる島のことじゃないですよ」
 蝶ネクタイは自分で言ったギャグに自分で受けて、腹を抱えてしゃがんでしまった。
「おまえバカかよ。島は普通海に浮かんでるんじゃないんだよ。ちゃんと地面があるの。
って、そういう問題じゃないよな。おまえ妙にハイだけど、薬やってるんじゃないだろう
な。俺は管轄が違うから今日は見逃してやるけど、今度来たときその調子だったら、ちく
るからな」
 ちくるのは得意なのだ。相手の卑屈な態度を見ていると岡持は自分の言葉に自信がみな
ぎってくるのを感じた。昔よく見た探偵ドラマの主人公になった気分だ。
 
「まさか。変なこと言いっこなしですよ。何が聞きたいんですか」
 早いところ岡持を帰したいのだろう。彼が話を先に進めた。
「さっきの女。ここの常連なのか」
 岡持は手帳を取り出して、メモをとるフリをしながら聞いた。
「ええ。そうですよ。斎藤さんはマゾでしてね。ここのサドの人によく責められにくるん
です。週に二回は最低でもくるかな」
 週に二回もくるのなら完全にマニアの領域に足を踏み入れている。
「しかし、そんなだと金も大層かかるんだろうな」
「マゾ女はお金出さなくてもいいんですよ。サドの男たちがその分払うことになるんです
よね。金山でも掘り当てて裕福なんでしょうね。サドの男は ・・・・・・」
 彼はまた腹を抱えて座り込んだ。
 あまりに騒がしい彼の様子を誰かが見にこないか岡持は気が気じゃなくなる。
 様子を見にくる人間がこの男のようなばかとは限らないからだ。
「おまえいいかげんにしろよ」
 しゃがみこんだ男を立ち上がらせようとして、腕をとった拍子に手帳が落ちた。
 男がそれを拾い上げる。
「あ、ありがと」
 すぐにそれを奪い返そうとした岡持の手は空振りになった。
「へ? ダイアリー二〇〇五? なんだこれ」
 手帳が警察手帳じゃないのがばれた。蝶ネクタイの形相が見る見るうちに鬼のように変
化する。
 岡持は手帳をあきらめて全速力で逃げ出した。あの手帳にはたいしたことは書いてなか
ったはずだ。あのばかも自分の間抜けさを雇い主に報告するほど抜けてるとは思えない。
 今日のことは黙っているはずだ。
 しかし、すごいことになったものだ。百合がマゾ女だったなんて。人は見かけによらな
いというやつか。
 明日が楽しみだ。百合の重大な弱点を握ってしまったのだ。彼女をどう料理するも、岡
持の考えひとつで決まるのだ。
 空いたバスの冷気に汗を冷まされてひとつくしゃみをすると、岡持はひょっとして今年
はめちゃくちゃついてるのではないかと思い始めていた。


 


 翌朝、出勤時に岡持が事務室を覗くと、受付のコンピューターの前に百合が座っていた。
 心なしか寝不足の顔に見えるのは、昨夜遅くまでサディストの男たちによってたかって
快楽の渦の中に沈められたからかもしれない。
 どんな風にいじめられたのかは、インターネットでその手のクラブを調べた岡持には容
易に想像がついた。きっと、手かせ足かせされて、大きく両足を広げられた格好で、胸や
下腹部に赤いろうそくを垂らされたのだろう。
 さらに四つんばいにされて鞭の嵐だ。白くてかわいい百合の尻にはきっと今たくさんの
赤い筋ができてることだろう。何人もの男を受け入れて、よだれをたらして快感を感じた
んだろうな。

 岡持はそんな事を知ってるから、微かな兆候に気づくが、知らない人間が見てみも百合
がいつもと変わってるなどとは思わないだろう。
「昨日はお疲れ様でした。あれから帰ってしまったんですね。戻ってくると思って待って
たのに 」
 珍しく百合のほうから話し掛けてきた。
 百合の最後の言葉に、岡持の心臓は高鳴った。
「いやあ。ちょっと悪酔いしちゃったみたいでさ。公園で酔いを覚ましてから戻ろうかと
思ったんだけど、うとうとしてるうちに皆いなくなっちゃっててね」
 カウンターに肘をついて岡持は百合の顔を覗きこむ。
「百合ちゃんは二次会も行ったの?」
 公園で酔いを覚ましていたという岡持の言葉に、少しだけ表情を曇らせた百合が何を思
ってるのか、岡持には痛いほどわかる。
 そして好意を寄せている百合の気持ちが手に取るようにわかることに、激しい満足感を
感じていた。百合がマゾ女らしいことはショックだったが、好きなことには変わりがない。
 むしろ落としやすい百合にますますひかれていくようだった。
「私は今日が早出だったから、バスで帰りましたよ。公園で寝てるって知っていたら岡持
さんと帰るんだったな」
 余計なご機嫌取りの言葉が挟まる理由も岡持にはお見通しだ。
「え? ひょっとして九時半のバスかな。百合ちゃんの家の方向だと最終が十時だけど、
そのひとつ前のバスだよね。俺もそれに乗ろうと思ってバス停まで行ったんだけどね……」
 百合がゆっくりうつむきだした。言葉も出ないようだ。じわじわいたぶりたい気持ちと、
かわいそうに思う気持ちが岡持の中で入り乱れるが、一瞬だけ間をあけて、岡持はすぐに
言葉をつないだ。
「もう少しのところで乗り遅れちゃったんだよ。あれに百合ちゃんが乗ってるって分かっ
てたら、100メートル11秒で走って追いかけたんだけどなあ」
 百合が笑顔に戻った。岡持の目を見つめる瞳は潤んでいた。
「ええ? 岡持さんってそんなに足が速かったんですか?」
 

「よお、朝から百合ちゃんといい感じだったじゃんか」
 昼休みに廊下を歩いていたら、田中が後ろからどついてきた。
 昨夜は二次会以降どういったストーリーだったのだろう。岡持は田中に聞こうとしたが、
彼の顔を見て、たいした収穫はなかったのだと悟った。少なくともこの田中は……。
「百合ちゃんはいい子だよな。昨夜は百合ちゃんだけ帰っちゃったみたいだね。その後は
どうなったんだよ」
 岡持はわざとらしく遠い目をしてつぶやいた。
 田中も百合のことを気に入ってるみたいだが、田中にとっても高嶺の花だ。
 しかし、自分にとってはうまくすれば百合を自分の彼女、いやおもちゃにできるかもし
れないのだ。優越感に浸りそうになる自分を無理やり押さえて、岡持は田中を見た。
「時田さんはうまくいったみたいだな。あの後カラオケにいって二時間ほど歌ってたんだ
けど……」
 田中は周囲を見て、小声で続けた。
「俺がトイレから帰ってくるとき、ちょうど草加さんもいなくて、二人っきりだったんだ
よな。俺がドアを空けたら、慌てて離れていたから、あれはキスしていたに違いない。くー
羨ましいなあ」
「カラオケの後は?」
「さあねえ。二人で、同じ方向だからって夜の闇に消えていったなあ。俺たちはまじめに
帰ったぜ。タクシーでね」
 新人の看護婦はまだ二十歳そこそこだ。その若い肉体を時田は、昨夜自由に抱いていた
のだ。
 時田の毛深い腕に、白くてキメの細かい肌の新人看護婦が、全裸で抱かれ、足を大きく
広げられる姿を岡持は想像し、股間が膨らんでくるのを感じた。
 田中に気づかれないようにちょっとズボンをずらして、股間のものの位置を変えた。時
田がそんなに簡単にやれるのなら自分だってやってやれないことはないはずだ。
 百合を自分のものにする。そのためには多少汚い手を使ってもいい。
 職員控え室で昼食を取るために歩く岡持の歩幅は、知らない間に大きくなり、足取りは
たくましくなっていった。
 


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