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スター・ウォーズのテーマ
 「ホス・プレス」では、今まで、数々の細かな描写、ディテールを発掘してきた。しかし、もっとダイナミックな、スター・ウォーズ全作に通じる、スター・ウォーズのテーマについての考察を、そろそろ始めなくてはなるまい。
 スター・ウォーズのテーマといっても、それは非常に壮大な話である。私はスター・ウォーズのテーマは大きく二つあると考えているが、その一つが「共生」である。もっと、わかりやすく言い直せば、「協力」であり「助け合い」である。 もう一つのテーマについては、後日解説しよう。。

第一章 テーマは繰り返される
 『ファントム・メナス』ではグンガン族がナブーを全面的に協力することで、通商連合に対抗することができた。しかし、『ファントム・メナス』に対する批判に次のようなものがある。『ファントム・メナス』のナブーに対するグンガン族の支援は、『ジェダイの復讐』における反乱軍に対するイウォーク族の支援と全く同じではないのか。同じようなストーリーを繰り返すだけでつまらない、という批判である。
 この批判は実はスター・ウォーズの核心をついているのだが、なぜそれを曲解しなければいけないのか。「協力」はスター・ウォーズ・サガの中で重要なモチーフであり、テーマである。重要なモチーフは、何度も繰り返される。それは、映画の常識である。『ジェダイの復讐』におけるイウォーク族、『ファントム・メナス』におけるグンガン族。その役回りは全く同じなのだが、それはジョージ・ルーカスが「協力」というテーマ繰り返し描きたかったから。「協力」することの大切さを、観客に伝えたかったからに他ならない。したがって、同じような描写が繰り返し描かれる。これは、当然ではないのか。
 スター・ウォーズでは、この「協力」「共生」というテーマが、数十回にわたって繰り返されている。映画のいたるところ、全ての人物関係が「共生」関係になっている。スター・ウォーズ・サガについて、繰り返し描かれる「共生」と「協力」について、以下詳細に考察していく。


第二章 トリロジー各作品における 「協力」と「共生」

『新しき希望』
 まず、『新しき希望』である。『新しき希望』は「協力」が連鎖する映画と言って良い「協力」の二者関係がわらしべ長者的に膨れ上がり、大団円をむかえる。

 まず、帝国軍の追撃を受け、ブロッケード・ランナーで逃走するレイア姫は、SOSのメッセージを二体のR2-D2に託す。 オビ=ワンへのメッセージを抱えたR2-D2は、ライフ・ポッドに乗って、タトゥイーンへと脱出する。レイア姫に対するR2-D2の協力である。

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レイア姫からデス・スターの秘密情報とメッセージを託されるR2-D2
<レイア姫に対するR2-D2の協力>

 そしてR2-D2は、もう一体のドロイドC-3POと不可分の存在である。最初は喧嘩しあう二人だが、バラバラになってお互いの重要性に気づく。離れ離れでは生きていけない存在。
 R2-D2とC-3POは、「共生」関係にある。

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不可分な存在 C-3POとR2-D2
<R2-D2とC-3POは、「共生」関係>



 その二体のドロイドは、ルーク・スカイウォーカーの家に買い取られる。ルークは偶然にレーアの救援メッセージの入ったホログラム映像を見る。無力なドロイドに対してルークが協力し、二体のドロイドとともに、オビ=ワン・ケノービのもとに向かう。

 ルークのドロイドに対する協力である。

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レーアのメッセージを偶然に見たルークは、オビ=ワンをたずねる
<ルークのドロイドに対する協力>

 R2のメッセージを見たオビ=ワンは、レーアの救出へ向かうことを決意する。すなわち、ドロイド(レーア)に対するオビ=ワンの協力が得られる。
 オーエン叔父さんとベルー叔母さんを失ったルークは、オビ=ワンとともに、レイア姫救出に向かう決意をする。しかし、彼らだけでは宇宙に旅たつことはできない。モス・アイズリー宇宙港のカンティーナで、ハン・ソロというならずものの宇宙パイロットを雇う。ここでルークとオビ=ワンに対して、ハン・ソロの協力が得られる。
 そのハン・ソロはチューバッカとコンビを組む。ミレニアム・ファルコン号の操縦も、チューバッカとハン・ソロのコンビであったから、うまくいくのである。すなわち、ハン・ソロとチューバッカは不可分な存在、「共生」関係である。

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常に行動をともにする
ハン・ソロとチーバッカ

<共生関係>

 ミレニアム・ファルコン内で、オビ=ワンはルークにフォースについて教え、ライトセーバーの扱いを伝授する。オビ=ワンは師であり、ルークは弟子である。ジェダイ騎士の師弟関係という、濃密で不可分な人間関係が、ここに成立する。しかし、オビ=ワンはダース・ベイダーの前で消滅する。絶叫し、嘆き悲しむルーク。ルークがここで嘆き悲しむのは、「共生」関係が破壊されたからだ(オビ=ワンとルークの師弟関係=共生)。

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<オビ=ワンとルークの師弟関係=共生>

 デス・スターからレイア姫を救出したルークは、反乱軍のメンバーとなり、デス・スター攻略戦に協力する。ルークの反乱軍への協力(参加)
 デス・スターの攻略は熾烈を極め、多くの犠牲者が出る。Xウィングで、トレンチを飛行するルークだが、その後ろにダース・ベーダーの乗ったタイ・ファイターがつき、ロックオンされる。撃墜寸前のルーク。しかしその瞬間、ミレニアム・ファルコンに乗ったハン・ソロが現れ、ベイダーのタイ・ファイターに攻撃をしかけ、タイ・ファイターは戦線離脱する。そして、ルークの放ったプロトン魚雷は命中し、デス・スター破壊に成功する。
 ハン・ソロの協力なしでは、デス・スター破壊は成功しなかった。
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反乱軍に加わるルーク
 そして、ブロトン魚雷の命中は、ルークの技量ではなく、フォースの力を信じ、フォースの力を借りたからに他ならない。

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プロトン魚雷を打ち込む
ルーク

 

『新しき希望』における脇役キャラの共生関係
 脇役キャラたちの微妙な共生関係についても見逃してはいけない。
カーベとマフタック
 『新しき希望』 カンティーナのシーン。
 カウンターでジュリジュースを飲む少女盗賊カーベ。一方、テーブルで他のエイリアンと談笑する、白い毛を持つタルズ族のマフタック。
 別々な席に座っている異なるエイリアン。しかし、「マフタックはカーベの友人で保護者。」という設定がCCG(コレクタブル・カード・ゲーム)にはある。
 カーベとマフタックは切り離せない存在である。二人のエイリアンはケナー社のフィギュアにもなっており、二人の密接な関係は、単なる裏設定ではなくなっている。

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 1999年、ケナー社より発売された「カーベ・アンド・マフタック」のフィギュア。なぜ、カーベとマフタックのコンビなのか。カーベの保護者がマフタックであるという設定を知っていないと、フィギュアだけ持っていても楽しくない。

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カーベ
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マフタック
ジャワズ
 『新しき希望』に登場するジャワズは、常に団体行動をとる種属である。 R2を捕獲するさいの連携のうまさ。彼らはグループで行動し、サンドロクローラーに乗って移動する。かれらは集団で一つの家族のようであり、生計をともにする存在なのである。ジャワズ(Jawas)は、ジャワ(Jawa)の複数形であるが、かれらは常ほとんど集団で行動するためジャワズ(Jawas)という複数形で呼ばれるのである。

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集団行動をとるジャワズ

タスケン・レイダーとバンサ
 『新しき希望』でルークを突然に襲撃した砂漠の盗賊タスケン・レイダー。そのタスケン・レイダーと彼らが乗り物として使う大型動物バンサ。彼らもまた、不分離な関係である。 以下、オフィシャル・スター・ウォーズ・ホームページのサンドピーブルの解説部分の直訳である。
 「サンド・ピープルは、彼らの乗り物であるバンサと非常に象徴的な共生関係にある。サンド・ピープルは、飼っていた自分のバンサを失うと不完全な存在とみなされ、彼らの集団から追放される。同様に飼い主のレイダーが死ぬとバンサは自滅的ともいえる狂乱状態に陥り、そのバンサは砂漠に放た、生きるも死ぬもバンサ次第となる。」
 オフィシャル・ページに「共生関係」という言葉が直接に使われているのだ。
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タスケンレイダーと
その乗り物バンサ
デス・スターとダイアノーガ
 レイア姫を救出したルーク一行は、ストームトルーパーの攻撃を受け、汚物区画へと逃げ込む。そこでルークは巨大な触手を持つ謎の生物、ダイアノーガの襲撃を受ける。
 なぜ、ダイアノーガはデス・スターの内部のこんな所に棲んでいたのか。ダイアノーガは汚物区画に迷い込んだ生物を捕食して生き延びていた。もし、この汚物区画にダイアノーガがいなければどうなるか。ネズミなどの小動物が大発生して、帝国軍は内なる脅威にさらされることになっただろう。
 ダイアノーガが汚物区画にいたことで、機械と金属のかたまりであるデス・スターに調和のとれた生態系をもたらしていると言える。つまり、デス・スターとダイアノーガもまた、共生関係にあるといえるだろう。
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デス・スター内の汚物処理区画に棲んでいた謎の生物
ダイアノーガ

『帝国の逆襲』

 ワンパに襲われて、雪原で遭難するルーク。ルークを助けるために、ハン・ソロは単身トーントーンで厳寒の雪原へと向かう。ここで重要なのが、ハン・ソロが相棒チューバッカをともなっていない点である。すなわち、ハン・ソロとルークの一体感(共生)が『帝国の逆襲』では描かれる。
 一方、チューバッカと共生関係にあるのが、C-3POである。クラウドシティでバラバラになったC-3POは、チューバッカに背負われて、行動をともにする。チューバッカは親身にC-3POを修理していく。正に二人は一心同体である。

 ダゴバで修業をするルーク。クラウド・シティでのレイアとハンの危機を察したルークは、修行を中断して助けに向かおうとする。レイアとハンへの協力である。しかし、ヨーダは、修行の中断に強く反対する。ヨーダの予想通り、ルークには悲惨な結果が訪れる。ルークの協力が、裏目に出たのだ。

 帝国軍に負われるハン・ソロとレイアは、ハン・ソロの旧友であるランド・カルリシアンを頼り、クラウド・シティーへと向かう。しかし、クラウド・シティは既に帝国軍の支配下にあり、ランドはハン・ソロをベーダーに売り渡す。旧友の協力、それが裏目に出た。

 『帝国の逆襲』では、うまくいかない協力、協力の破綻が描かれる。


 恋愛関係に陥ったハン・ソロとレーア。二人が不可分な存在になったことは、言うまでもない。

 

『ジェダイの復讐』
 イウォーク族が反乱軍に全面協力することで、反乱軍は勝利をてにすることができる。

 ダース・ベイダーの師はパルパティン皇帝である。ダース・ベイダーとパルパティンは不可分な関係であったはずだが、ベイダーはパルパティンではなく息子のルークを選択する。パルパティンとの二者関係よりも、ルークとの二者関係を選択した。アナキン(ベイダー)が迷い、この究極の選択をするまでが『ジェダイの復讐』の、そしてスター・ウォーズ・サガのクライマックスなのだ。

 

二人組みのジェダイとシス
 ジェダイ騎士は、師匠一人弟子一人。シスの暗黒卿もまた、師匠一人弟子一人。それは、なぜだろうか。ジェダイ騎士やシスの暗黒卿は、常に二人で一人。一体の存在なのだ。まさに共生関係。それはフォースのあり方を象徴しているようでもある。

 

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師(ダース・シディアス)と
弟子(ダース・モール)

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師(クワイ=ガン)と弟子(オビ=ワン)
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師(オビ=ワン)と弟子(アナキン)

その他の脇役キャラの共生関係
『帝国の逆襲』
スペース・スラッグとマイノック

 帝国軍の追撃を逃げ小惑星帯に逃げ込むミレニアム・ファルコン号。小惑星の中の洞窟にミレニアム・ファルコンは着陸するが、そこはスペース・スラッグの体内であった。その事実に気付いたハン・ソロは、間一髪のところを脱出に成功する。
 そのスペース・スラッグの体内にいたのが、マイノックという大きな吸盤を持つ気持ちの悪い生物である。スペース・スラッグとマイノックは共生関係にある。マイノックはスペース・スラッグの体内を棲みかとして利用し、金属を食するマイノックはスペース・スラッグの消化を助ける。
 スター・ウォーズに描かれる些細な共生関係である。

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スペース・スラッグ
(宇宙ナメクジ)


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マイノック

『ジェダイの復讐』
ランカーとマラキリ

 ジャバ・ザ・ハットの王宮の地下に飼われる凶暴なモンスター、ランカー。
 王宮に潜入したルークは、ランカーの穴に落とされ、危機的状況に陥るが、機転を利かせてランカーを倒す。
 しかし、ランカーの死に涙する裸の男マラキリ。マラキリは、ランカー・キーパーとして、ランカーを手塩にかけて育ててきたのだ。すなわち、ランカーとマラキリは一心同体、共生の関係であった。その片割れが死んだ。共生の破綻。マラキリの深い悲しみが、短いワンカットに描かれていた。

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ランカー

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ランカー・キーパーのマラキリ

『ファントム・メナス』
ニモーディアンの二人組み
 ヌート・ガンレイとルーン・ハーコ

 何をするのも一緒の二人。ヌート・ガンレイは一人では、重要な判断を下すこともできない。つかまるのも一緒という仲の良さである。

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ナブーとの戦闘に敗れ、
捕まった二人

 

第三章 May the force be with you!
 スター・ウォーズ・サガにおける、最も代表的なセリフ、それが"May the force be with you!"(メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー)である。
 『新しき希望』のデス・スターへの出撃前。Xウィングに乗り込みいざ出撃しようというルークに対して、ハン・ソロは"May the force be with you! "と言う。フォースはまやかしであると信じていなかったハンであったが、ルークとの別れの挨拶と、出撃への祝福をかねて、"May the force be with you!"の言葉を贈ったのである。
 『新しき希望』のデス・スター攻撃のための作戦会議の最後リーカン将軍が、"May the force be with you!"と言うし、『帝国の逆襲』でドドンナ将軍が、ハン・ソロとの別れの挨拶として、あるいは「がんばって行け」という意味をこめて"May the force be with you!"と言う。May the force be with you!"は挨拶として、いろいろなシュチエーションで使える言葉であるが、特に出撃前のはげましとして使うというのがお約束になっている。
 『ファントム・メナス』においても、大勝負であるポッド・レースが始まる直前。レースの準備をするアナキンに対して、クワイ=ガンは、"May the force be with you!"と言う。過去の出撃シーンともオーパーラップして、心に響く言葉になっている。
 "May the force be with you!"は、キリスト教の"May the lord be with you!"「主とともにあらんことを」を一字変えたものである。直訳すると、「フォースとともにあらんことを」となる。
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ポッド・レース開始前に、アナキンに「メイ・ザ・フォース・ビイ・ウィズ・ユー」と言うクワイ=ガン
 個人的には日本語吹き替え版の「フォースがついてるぜ」という訳が好きである。また、「フォースの守りあれ」という訳もあるが、これでは最も重要なニュアンスが伝わらない。
 "May the force be with you !" この言葉の中の「with」が重要である。「フォースがあなたを守る」というのではなく、「フォースと一緒にあること」が重要なのだ。フォースと一緒にあること、それはすなわちフォースとの共生である。フォースとの共生、その重要性が"May the force be with you !"という決め台詞に凝集しているのだ。
 そして、フォースが「共生」の象徴であることは、『ファントム・メナス』において、「シンバイオント」と「ミディクロリアン」という言葉の登場によって証明されることになる。

 

第四章 ルーカスの初期アイデア
 ルーカスは『新しき希望』の初期稿の段階で、いろいろなストーリーを考えていた。本来100ページ程度であるべきシナリオだが、ルーカスは500ページもの壮大なシナリオ書いていた。その初期稿の中に、「主人公たちがウーキーの惑星に行き、チューバッカの家族と会ってしばらくかくまってもらう」というエピソードがあった。プロデューサー、ゲーリー・カーツの「ウーキーは一体でも金がかかるのに、三十五体も登場するなんてとんでもない」と強い反対に会い、このエピソードは止む無くカットされた。

 しかし、この「たくさんのけむくじゃらの動物が女王を守る」という話を、ルーカスは非常に気に入っていた。彼はこのアイデアを何年も温めつづけた。そして、それは、『ジェダイの復讐』において、ようやく日の目を見る。
 それは、ウーキー族ではなく、もっと小柄なけむくじゃら、イウォーク族であった。惑星エンドアで、レイア姫率いる反乱軍は、イウォーク族の全面的な協力によって、帝国軍を撃退することに成功する。
 ルーカスの十年越しのアイデアは、ようやく現実化した。「協力」とはスター・ウォーズの最も中心となる概念であることが、ストーリーの形成過程からもわかるのである。

 イウォーク族が反乱軍を助けるという話は、スター・ウォーズ・ファンの間でも、すこぶる評判が悪い。しかし、この協力のエピソードにこそ、ルーカスのこだわりがあることを知って欲しい。
 「協力」にこだわるルーカスは、『ファントム・メナス』でも、グンガン族がナブー人を助けるという話を、物語のクライマックスに持って来るのだった。

 

第五章 黒澤と共生
 ジョージ・ルーカスは黒澤映画を心から愛し、実際にスター・ウォーズの製作にあたり『隠し砦の三悪人』や『七人の侍』などを参考にしている。スター・ウォーズ・サガは、「協力」をテーマにしていることは既に述べてきたが、黒澤作品の多くも、また「協力」が重要なテーマになっている。
 以前から指摘されているように、『新しき希望』は『隠し砦の三悪人』のストーリーを軸に作られている。具体的に見てみよう。
 戦に敗退した「秋月」の雪姫(上原美佐)と家臣達。「隠し砦」に身を隠すが敵兵に見つかるのは時間の問題である。真壁六朗太(三船敏郎)は秋月復興のための軍資金を雪姫とともに同盟国まで運び出す計画を考えていた。しかし同盟国「早川」への国境は敵の「山名」勢が固めていて身動きが取れない。そこで、二人の百姓又七と太平(千秋実と藤原釜足)の手を借りて、敵の真っ只中を突破する。
 姫と軍資金(R2の抱えたデス・スター)を守りながら、敵中(デス・スター)を突破するという物語の骨子が、そのままスター・ウォーズに受け継がれているが、『隠し砦の三悪人』と『新しき希望』の最大の共通性そのキャラクターである。
 又七と太平のひょうきんな凸凹コンビは、R2-D2とC-3POの関係そのものである。お家再興を願う雪姫は、反乱軍の形勢逆転を狙うレイア姫である。雪姫の男勝りのキャラクターは、そのままレイア姫に受け継がれる。心技体揃った真壁六朗太は、一人のキャラクターではなくて、ルーク、オビ=ワン、ハン・ソロといった数人のキャラクターに分割されている。

 『隠し砦の三悪人』は、姫を守りながら真壁六朗太や又七と太平が協力しながら逃避行する話でありる。
 黒澤明の代表作である『七人の侍』と『新しき希望』の共通点も多い。『七人の侍』を、『新しき希望』のストーリーにあわせて、振り返ってみよう。
 野武士(帝国軍)の襲撃を受ける小さな村(反乱軍)。村の長老(レーア姫)は、村を守ってくれる侍(ジェダイ騎士)を連れてくるよう、利吉たち(R2-D2とC-3PO)を宿場町に派遣する。利吉らは(R2-D2とC-3PO)は、島田勘兵衛(ルーク)と出会い、勘兵衛が中心となり六人の侍(オビ=ワン、ハン・ソロ、チューバッカ)を集める。
 侍たちは、野武士の砦(デス・スター)に夜襲をしかけ、野武士にさらわれた利吉の女房を救出しようとする(レーア姫の救出)。そして、野武士(帝国軍)と七人の侍と農民たち(反乱軍)の全面戦争へと至る。五郎兵衛、久蔵ら(オビ=ワン、レッド・リーダー、ポーキンスら)多くの犠牲を出すが、辛くも農民たち(反乱軍)は野武士(帝国軍)に勝利する。 
 物語の前半部、R2-D2とC-3POが、ルーク、オビ=ワン、ハン・ソロ、チューバッカと、協力してくれる仲間を次々と見つけてくるくだりは、『七人の侍』そのままである。逆に言えば、『七人の侍』でも『新しき希望』同様に「協力の連鎖」が、ストーリーの要になっていたのである。
 R2-D2、C-3PO、ルーク、オビ=ワン、ハン・ソロ、チューバッカ。これにレーア姫を加えると、丁度7人になる。これも、『七人の侍』と同じなのだが、これはおそらく意識したものではないだろう。七人という数字は、一本の映画の中で、過不足なく、かつ魅力的に描ききれる人数の一つの目安であろう。主要な登場人物が九人、十人となると名前を覚えるだけでも精一杯な状態なる。そうした意味で、『新しき希望』の中心人物は偶然に、あるいは必然的に七人になっているのだろう。
 『隠し砦の三悪人』と『七人の侍』以外の黒澤作品にも、スター・ウォーズにおける共通性を見出すことは容易である。黒澤作品には、スター・ウォーズにおけるジェダイ騎士の師弟関係の原型となる二者関係が、しばしば登場している。黒澤のデビュー作『姿三四郎』では柔道家矢野正五郎(大河内伝次郎)と姿三四郎(藤田進)。『赤ひげ』ではベテラン医師の新出去定(三船敏郎)と新米医師の安本登(加山雄三)。『野良犬』では、新米刑事・村上(三船敏郎)とベテラン刑事・佐藤(志村喬)。『七人の侍』では、七田勘兵衛(志村喬)と勝四郎(木村功)。
 いずれも師弟関係でありながら、不分離な一体となった存在でストーリーは展開する。この関係は師弟関係であるが、ともに生きるという意味で「共生」関係と言い換えても良いだろう。共に生きると言えば、「生きる」と言う作品は、まさに共に生きるというテーマそのものを具現している。自分が癌で余命いくばくもない事実を知った男、渡辺勘治(志村喬)。彼はかっての部下である小田切とよ(小田切みき)と出逢い、残りわずかな命を、公園の造成という仕事に賭け、彼女がその仕事を助ける。生きていく意味と自信を失った渡辺の精神的支柱が小田切であり、二人は短い間であったがまさに一緒に生きた。「きる」助け会い、協力の重要性が、映画の中心的テーマである。
 『酔いどれ天使』は、肺病持ちのやくざ(三船敏郎)と酔どれの医者(志村喬)、人間的弱さを抱ええる二人の人間関係を描いた物語である。

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『野良犬』の新米刑事・村上と
ベテラン刑事・佐藤

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『酔いどれ天使』

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『用心棒』の三十郎と権爺

 『用心棒』は、清兵衛(河津清三郎)と丑寅(山花茶究)の二人の親分が縄張り争いを繰り広げる宿場町で、用心棒の三十郎(三船敏郎)が活躍する物語である。三十郎は最初、清兵衛の用心棒となるが、次は丑寅の用心棒となる。すなわち、三十郎がどちらの勢力に加わるか、すなわちどちらに協力するかが、物語の展開の要になっている。三十郎は風来坊であるから、「共生」といえるような密接な二人組みの人間関係はないが、三十郎が居候する居酒屋のおやじ、権爺(東野英治郎)との協力関係は重要である。権爺は三十郎をかくまい、三十郎は丑寅に捕えられた権爺を救出する。三十郎と権爺とのユーモラスなやりとりも『用心棒』のおもしろさの重要なエッセンスである。
 このように、黒澤作品の多くに「協力」、「共生」といえる師弟関係、人間関係が、繰り返し描かれている。スター・ウォーズと黒澤映画の共通点といえば、作品の具体的な類似箇所が指摘される場合が多いが、黒澤映画全般に通じる黒澤イズムをルーカスは継承しているし、単に継承しているだけでなくスター・ウォーズ・サガの中核にそれがおかれていることを見逃してはいけない。

 

第六章 大団円のフィナーレ
 『ファントム・メナス』のラスト。通商連合の危機から逃れナブーに平和が訪れた。それを記念する大パレード。アミダラ女王。ナブー人に反感を抱いていたグンガン族のボス・ナス。ジェダイ騎士オビ=ワンとパダワンになったアナキン。ジェダイ評議会のメンバー。そして、陰謀の仕掛け人であり、最高議長に就任したパルパティン。主要な登場人物が全て集い、一列になって「ピース(平和)」と唱和し、映画は幕を閉じる。
 このラスト・シーンを『新しき希望』や『ジェダイの復讐』のラスト・シーンの焼き直しだという批判があったが、それはかなり見当違いの批判である。
映画にはテーマがある。そして、そのテーマをラスト・シーンで強調するというのは、映画の定石である。スター・ウォーズ・サガが一つの共通したテーマを抱いて作られているとすれば、そのラスト・シーンが共通したものとなるのは当然のことではないだろうか。

 そのテーマとは、何度も繰り返し述べているように、「協力」であり「共生」である。
 長い間反目しあってきたナブー人とグンガン族が、どちらが上という上下関係ではなく同じ高さの壇に横一列に並ぶ。彼らの間に生まれた協調が象徴される。「協力」と「共生」の先には「平和」がある。

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『ファントム・メナス』のフィナーレ

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『新しき希望』のフィナーレ

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『ジェダイの復讐』のフィナーレ

 映画のラストに登場人物が全員で「ピース」と唱和する。映画のテーマを大声で叫んでいる。しかし、この叫び声が多くの観客に届いていないのは残念である。「協力」「共生」とその結果としての「平和」。これほど何度も繰り返されていると いうのに、この重要なテーマに気付いていない人が多すぎる。
 『新しき希望』のラストは、反乱軍の勝利バレード。功労賞としてルークとハン・ソロがレーア姫からメダルを授与される。勝利とつかのまの平和を祝福するという点において、『ファントム・メナス』と同じである。しかし、大きく違うのは『ファントム・メナス』は横一列に並んでいるという点である。『新しき希望』ではレイア姫が一段高いところから、ルークとハンに賞を与えているのである。反乱軍という軍隊の規律であってあたりまえなのだが、『ファントム・メナス』ではそれが横一列になっている点で、「協力」と「共生」のテーマが進化している。突き詰めて考えれば、「協力」関係は上下関係はないはずである。上下関係や階級や身分を越えた協力と共生が、『ファントム・メナス』では描かれている。『ファントム・メナス』のラスト・シーンは、『新しき希望』よりもテーマ的に一段進化したものとなっている。
 『ジェダイの復讐』のラスト・シーンは、トリロジー・バージョン(初期の劇場公開版の大幅なリメイク版)によって大幅に変更された。旧作では、惑星エンドアでルークやレーアたちがイウォーク族と一緒に勝利を祝うというこじんまりとしたラストであったが、トリロジーでは銀河の首都コルサントや『帝国の逆襲』で登場したクラウド・シティーなどで、反乱軍の勝利を祝う歓喜のシーンが追加されている。この改変は反乱軍が帝国軍を打ち破って大勝利を収めたのに、コルサントでそれを祝福しないのはおかしいことから、加えられたと考えられる。
 銀河全体に訪れた「平和」、そしてもたらされたフォースの調和を銀河全体で喜ぶ。トリロジーの改変は、テーマ的に見ても全く理にかなったものであることがわかる。

 

第七章 ルーカスの日本趣味
 「協力」と「共生」は、言い換えれば「和」である。『ファントム・メナス』のラストで叫ばれた言葉は、「ピース(平)」である。そしてアナキンは、ファースに「調(バランス)をもたらす者」ではないかと噂される。ピースとバランスという単語の日本語訳にたまたま「和」という漢字が入っているが、これは偶然ではない。
 ルーカスが黒澤明を尊敬し、黒澤の作品のエッセンスをスター・ウォーズに持ち込んだことは前述した。ルーカスは単なる黒澤明が好きだというだけではなく、日本文化を広く好んでいるようである。黒澤映画に限らず、広く時代劇の影響として、武士道がそのままジェダイ騎士道に継承されている。そしてルークの柔道着のような衣装。アミダラの着物のような衣装や角隠しのような髪型など、日本的デザインが随所に取り入れられている。
 以前、着物を着ているルーカスの写真を見たことがあるが、彼が映画に限らず個人的にも日本文化を好んでいるという証拠であろう。しかし、それは単なるスタイルやファッションといった表面的なものだけではない。
 日本文化の特徴を一言で言うことは難しいが、「和」ということば日本人の精神性をよく象徴している。聖徳太子は十七条の憲法の第一条として「和をもってとうとしとなし」と、「和」の大切さを述べた。日本風のことを「和風」という。皆と協調しうまくやっていくのは日本人の特徴である。「談合」や「根回し」、あるいは和を乱す者への「イジメ」は「和」の文化の暗い部分である。
 その「和」の精神は、日本映画の代表格といわれる黒澤作品では繰り返し描かれていた。黒澤映画を通して、「和」の精神はスター・ウォーズに受け継がれたのである。
「協力」「共生」「平和」「調和」。これらをさらに一言で言い表せば、それは「和」以外の言葉ではありえない。日本人にはわかりづらいが、スター・ウォーズという物語は、非常に日本的なのである。
 ハリウッド映画で「和」をテーマにした映画というものが、今まであっただろうか。アメリカ文化を一言で表せば、「自由」であり「正義」である。自由のための戦い。正義を貫くために戦うというテーマが、ハリウッド映画では好んで描かれる。結果として、勧善懲悪のハッピーエンドが量産されてきた。
 スター・ウォーズにおいて正義という概念はあいまいである。スター・ウォーズでは、アナキンは善から悪に落ち、悪から善に立ち返る。善でも悪でもない中庸が重要であるというもう一つのテーマがそこにはあるわけだが、それについては後日述べる。
 スター・ウォーズは、勧善懲悪のアメリカ映画の代表のように捕えられるが、それは誤りである。『新しき希望』に限定して見ればそうかもしれない。しかし、スター・ウォーズ・サガとして全体像として捉えた場合、ルーカスが従来の勧善懲悪の平板化したアメリカ映画をいかにして突き崩そうとしてきたかの努力を見て取れる。
 スター・ウォーズには日本的な「和」か、あるいはアメリカ的な「自由」や「正義」か。どちらが中心的に描かれている、改めて見直して欲しい。

 

第八章「シンバイオント」と「ミディクロリアン」
 私は、以上の述べてきた事柄を『ファントム・メナス』を見る以前からずっと考えつづけてきたが、うまくまとめられないでいた。また、スター・ウォーズ・サガの中心的テーマが本当に「協力」「共生」なのかという疑問も多少はあった。しかし、『ファントム・メナス』はその疑義を完全に払拭してくれた。というよりも、明確な答えを提出してくれたのである。それは、「ミディクロリアン」と「シンバイオント」という新しい言葉の登場によって示されていた。
 クワイ=ガンはアナキンの腕の怪我の治療をする。そして、どさくさにまぎれてミディ=クロリアンを測定するのに必要な採血をする。アナキンのミディ=クロリアン値は、2万を超えていた。その値はヨーダのそれを大きく上回るものであった。
 ミディ=クロリアンとは、フォースの強さを反映する物質のようであるが、具体的には、どんなものなのか? ミディ=クロリアンとは何か? 劇中のセリフから、ミディ=クロリアンに関する説明を抜粋してみよう。
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 アナキンのミディ=クロリアンを測るための採血をするクワイ=ガン

アナキン 「ミディ=クロリアンって何?」
クワイ=ガン 「ミディ=クロリアンは凄く小さな生命体でね、あらゆる生物の細胞に住んでる。」
アナキン 「僕の中にもいる?」
クワイ=ガン 「そう、細胞の中に。お互いに共存(symbiont)している。」
アナキン 「共存(symbiont)って?」
クワイ=ガン 「別の生命体が互いの役に立ちながら生きることだ。フォースの知識を得たり生命が存在するのも、ミディ=クロリアンがいるからだ。彼らがフォースの意思を私たちに語り続けてくれる。心を静められれば、その声が聞こえる」
アナキン 「よく分かんないや」

 確かにアナキンのセリフ通り、クワイ=ガンの説明を聞いても、よくわからないというのが率直な感想である。
 ミディ=クロリアンがミトコンドリアをイメージして作った言葉であると、ジョージ・ルーカスはインタビューで述べている。全ての細胞に存在する、細胞の生命を司る細胞内小器官という意味で、ミトコンドリアとミディ=クロリアンは言葉尻だけではなく、機能的にも類似している。
 ジョージ・ルーカスが、ミディ=クロリアンを、ミトコンドリアほど現実的な構造体として想定しているかどうかは不明である。むしろ、クワイ=ガンのセリフから考えると、ミディ=クロリアンはフォースを司る存在であり、生命を司る存在というあいまいで、むしろ哲学的な雰囲気すら感じられる。しかし、ミディ=クロリアンという物質を提示しながらも、そこに広がるのは生命科学や物理法則とは無縁なフォースの哲学的世界ではないかと私は感じた。フォースというものをより具象化しながらも、より抽象化、あいまいにしたような側面があるように思える。
 「ミディ=クロリアン」がフォースを物質的なものに還元したと考えるのは誤りであろう。「ミディ=クロリアン」は決して物質的なものではない。スター・ウォーズのいくつかの概念がそうであるように、そこに巧妙な比喩が隠されているのである。ルーカスは『ファントム・メナス』で、「ミディ=クロリアン」という目新しい言葉を出してきたが、それはアナキンの体内に多数ある物質という意味としてとらえるのでは、やや本質からそれるであろう。
 万物に共通するライフフォームであり、呼吸しているという。いわば生命の種であり、生命の基本単位とも言える。全ての生物の根源といってもよい。それが「ミディ=クロリアン」という物質、その固有名詞にたくされているのである。それはある種、フォースを物質化してその可能性を狭めているように見えるかもしれないが、それは全く逆で、生命の基本要素としての重要性を打ち出すことで、全ての生命共通して存在する普遍性を示しているのである。
 フォースという力はというものは、ジェダイ騎士のような選ばれた者にしか備わっていないという旧三部作の考えとは大きく異なる。ミディ=クロリアンが全ての細胞に備わるということは、全ての生き物にフォースが備わっていることを意味する。ミディ=クロリアンの共生、そしてミディ=クロリアンを有する生物同士の共生というテーマがそこに託されている。

 それを象徴しているのが、「シンバイオント(symbiont)」という言葉である。アナキンとクワイ=ガンとの会話の中に登場している。また、グンガン・シティに着いたクワイ=ガンは、ボス・ナスに通称連合の侵略を、ナブーに伝えて欲しいと要求する。その時、オビ=ワンは「グンガンとナブーは共生している」
"You and the Naboo form a symbiont circle." と言う。

 日本語では「共生」または「共存」と訳されている。「シンバイオント(symbiont)」とは、「symbiosis(共生)」の語尾を少し変えた、スター・ウォーズ・ユバースならではの造語である。
 「シンバイオント」とは、「お互いに役立ちながら共存すること」である。人間はミデイ=クロリアンと共生することで生きている。グンガン人とナブー人は共生していた。そして、彼らは自然とも共生していた。
 共生、共存、協力、助け合い。いろいろと言い換えても良い。
 グンガン人とナブー人の協力によって通商連合を打ち破り、平和を手に入れる。ラストの「ピース」という唱和。平和の大切さを訴えるとともに、共生の大切さを訴えている。
「共生(シンバイオント)」そして「平和」こそが、『ファントム・メナス』のテーマであり、スター・ウォーズ・サガ、全体のテーマなのである。

 

 いかがてあろう。スター・ウォーズのテーマ、「協力」と「共生」について理解していただけたであろうか。
 この点を念頭において、もう一度過去の作品を見直していただきたい。
 スター・ウオーズの素晴らしさを再確認できるであろう。