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  ジャンヌ・ダルク

 こんなヤバイ映画が作られてしまって良いのだろうか。
 「神は存在するか? それとも、神は単なる幻覚に過ぎにないのか?」
 神は存在するかどうかという哲学的、宗教学的な問題が扱われる。宗教映画としてくくるのは適切ではないが、「神の存在を問う」という映画史上稀に見る壮大なテーマを扱っている。そうした意味で、私は『オー! ゴッド』を思い出した。『オー! ゴッド』はコメディ映画でありながら、「神の存在を問う」ことをテーマとしていた。『ジャンヌ・ダルク』は歴史映画であり、戦争映画でありながら、やはり「神の存在を問う」哲学的作品化にしあがっている。

 『グラン・ブルー』の世界、あるいはジャンヌ・ダルクの冒険談を期待した観客は、この映画に全くついていけないかもしれない。そうした意味で、今までのリュック・ベッソンの客層には、受け入れられない作品であろうが、映画としてのレベルは極めて高い。二時間半ありながら、時計を見たくなるようなことは一度もなかった。前半は戦闘シーンの緊迫感が、そして後半はジャンヌの心理的葛藤が緊迫感を生む。
 「神は幻覚にすぎない」こんな凄いセリフをよくも採用できたものだ。下手をすると、リュック・ベッソン自身が教会からの異端審問を受けかねない危険なセリフである。
 神にとりつかれたジャンヌ・ダルクに狂気を見出すことは、「神の存在」についてほとんど考えたことのない観客にとっても、難しくはなかったはずだ。ひたすら戦争に突っ走るジャンヌは、まさに「神がかり」なのである。彼女が精神的に問題があったかどうかについての考察は後日改めてするとして、「神」と「狂気」は、正に「神一重」と言える。
 史劇スペクタクル・ファンの私としては、戦闘シーンについてもコメントせずにはおけない。『ジャンヌ・ダルク』は映画史に残る戦闘シーンを作り上げた。『スパルタカス』『フォルスタッフ』『ブレイブ・ハート』等、史劇スペクタクルの白兵戦の傑作は多々あるが、『ジャンヌ・ダルク』も全く負けてはいない。
 リアリティに満ちた砦攻めのシーンは圧巻である。剣が肉とぶつかる音のすさまじいこと。また、中世の戦闘において、最も重要なのは士気である。ジャンヌが「フォーロー・ミー」と先陣を切って走るだけで、彼女を救世主と信じる兵士たちは、最高の士気で猛然と戦う。奇跡が起こっても、何の不思議もない。
 血しぶきが飛び、首が斬られるシーンは、女性観客は驚いただろうが、この映画のテーマから見て、PG16の制限を受けるというデメリットを受けても、余りあるメリットがある。戦争で人間が死ぬという当たり前の事実は、こうしたリアルな死の映像によってストレートに表現される。『プライベート・ライアン』がそうであったように。ジャンヌが人を殺すために戦ったのではない、と苦悩するシーン。彼女の苦悩は、残酷な映像があって、初めて現実味をおびて共感できるのである。
 『ジャンヌ・ダルク』の世間的な評判はかなり悪く心配していたが、その理由は映画を見ると非常によくわかった。『グラン・ブルー』のリュック・ベッソンが好きな彼のファンにとっては、『ジャンヌ・ダルク』はあまりにも重過ぎる。しかし、リュック・ベッソンといえば『最後の戦い』というベッソン・ファンにとって、『ジャンヌ・ダルク』は待ちに待った作品と言えるだろう。『最後の戦い』で描かれた「延々と続く不毛な戦い」、「人は何のために人を殺すのか」というテーマが、『ジャンヌ・ダルク』にはそのまま受け継がれている。
 『ジャンヌ・ダルク』は、あまりにも大人の映画である。しかし、「神は存在するか」という問題を一度でも真剣に考えたことのある人にとって、これほど深く心に響く映画はないだろう。私は映画が終わった後、あまりの衝撃と感動ですぐに立ち上がることができなかったことを、最後に書き加えておく。