「エピソード2 クローンの攻撃」掲示板 議論別採録

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善と悪

第1部 ダーク・サイドとライト・サイド


多様性 投稿者:りょう  投稿日: 7月 5日(金)17時23分27秒

 私はジェダイが恋愛禁止であるのは自然な話だと思っていました。
 ジェダイは強い力(フォース)を持っていますから、強い自律性が求められるのは当然でしょう。
 ジェダイの衰退とダークサイドの隆盛については、多様性か否かという観点で説明するのは私はちょっと抵抗があります。
 強いフォースを持つ者が自分を律することができなくなればダークサイドに落ちる、ということは昔から実例もあり、だからこそジェダイは厳しく自分を縛らねばならないわけです。
 「コントロール」という概念も出てきますが、恋愛感情なんてコントロールできない感情の最右翼でしょ。人間にコントロールできない感情なら遠ざけてしまえ、というのは極めて当然の帰結で、現に私たちの世界でも実に多くの実例があります。多くの宗教で結婚や婚外交渉に対する厳しい戒律が存在するのも、「人間は恋愛感情(もっと判りやすく言えば性欲)を制御できない」ことを長い歴史の中で人間自身が骨身に染みて知っているからでしょう。

 ただ、その恋愛感情や親子の情といった「制御できないほど強い感情」は、エネルギーとしてはとてつもなく強いわけで、ジェダイよりシスの方が強いのは、ある意味当然だと思うわけです。
 アナキンがダークサイドに落ちるのも、ライトサイドに帰ってくるのも、結局は全部それであり、別にベイダーがあの瞬間に息子に対する情を「コントロール」したわけではないんですよね。息子への情が他の全てを上回っただけですから。

 つーことは、「フォースにバランスをもたらした」ものが何であったか、というと、結局は「ダークフォースを破ったのもダークフォース」ということではなかったのでしょうか。


(無題) 投稿者:ニル  投稿日: 7月 5日(金)19時46分56秒

りょうさん

>ただ、その恋愛感情や親子の情といった「制御できないほど強い感情」は、エネルギーとしてはとてつもなく強いわけで、ジェダイよりシスの方が強いのは、ある意味当然だと思うわけです。

まず、「恋愛感情や親子の情といった『制御できないほど強い感情』は、エネルギーとしてはとてつもなく強い」。
これはダークフォースではないのでは?
「愛情」を持った後に、裏切りや別れ、死、などから来る「悲しみ」や「憎悪」なら、とてつもなく邪悪で強いダークフォースエネルギーでしょう。
僕はライトフォースとダークフォースは以下のような違いであると思っています。

ライトフォース=自然界のあらゆる所に流れる、自然のエネルギー
ダークフォース=邪悪な感情のエネルギー
(エピ5でのダゴバのシーンと、エピ6の皇帝の言葉からの予測です)

また、ヨーダはダークジェダイについて「強いのではない、たやすいのだ」
と言っています。
「たやすい」とは、感情にまかせてエネルギーを発することは容易である、と言う意味ではないでしょうか。(逆に、自然界のチカラを見いだすのは、非常に難しく感じます)

ですから、
>ベイダーがあの瞬間に息子に対する情を「コントロール」したわけではないんですよね。息子への情が他の全てを上回っただけですから。
>つーことは、「フォースにバランスをもたらした」ものが何であったか、というと、結局は「ダークフォースを破ったのもダークフォース」ということではなかったのでしょうか。

大変面白い説ですが、上記の説明通り、「息子への情」は、ダークフォースではないと思います。
いかがでしょうか?


ダークとライトの両サイド 投稿者:りょう  投稿日: 7月 5日(金)23時30分15秒

 ニルさん、レスありがとうございます。

>まず、「恋愛感情や親子の情といった『制御できないほど強い感情』は、エネルギーとしてはとてつもなく強い」。
>これはダークフォースではないのでは?

 説明不足、というか自分でも整理できていないまま書いていたのですが、私はライトサイドとダークサイドは表裏一体で「愛はライト」「怒りはダーク」と一言で区別がつくものではない、と受け取っています。
 どんな感情も、ダークサイドへ通じるものであるが、怒りや憎悪もそれ自体がダークサイドを定義するものではない、と思っています。

 でも、アナキンはダースベイダーになるわけで、何か決定的な一線、というものはどこかにあるのでしょうが、それが何なのかは私にはまだはっきりとは判りません。
 EP1とEP2を見た限りでは、「自分自身で制御できなくなったとき」が決定的な一線なのか、とも思います。愛はそれを失うことの恐れに通じ、恐れは怒りに・・というわけで、愛なら愛だけが単独で存在することはないわけで、強すぎる愛は必ずそれを失うことへの恐れとセットになっているわけでしょ。
 ダースベイダーが仮面を被っていたのは、強すぎるフォースが迸るのを制御できなかったからですよね。
 でも、パルパティーンは普段は見事に「堅気の人間」を演じているわけで、それは自分の感情やフォースを制御しないとできないことでしょう。
 なので、「ライトサイドとダークサイドの決定的な一線」というのは、未だ私には判りません。
 それはEP3で明らかになるはず、と楽しみにしていたりします。

 そうそう、EP2でもアナキンの復讐シーン、あれは私の目には「ダークサイドに落ちてしまった」ように見えたのですが、あれでも片足は突っ込んだかもしれないけど「落ちて」はいなかったわけでしょ。決定的な一線、というのがどこかにあるんでしょうね。

 なので、「ダークフォースを破ったのはダークフォース」説をもう少し詳しく書くと、ベイダーの息子への愛→その息子を失う恐れ→その張本人であるパルパティーンへの憎悪、が最後にベイダーにあの行動を取らせたとすれば・・・言えませんか??

 ヨーダの「恐れは怒りに通じる」発言も、よく聞いてみれば怒りも憎しみも苦痛も、「ダークサイドに通じる」と言っているだけで、それらの負の感情がイコールダークサイドとは言ってないのです。
 ですから私は感情そのものには、それがどんな感情であってもライトもダークもない、と解釈しています。フォース自体もそれは単なるエネルギーのようなものであって、ライトもダークもない、ライトだダークだというのはあくまで人間から見た定義、ではないでしょうか。
 ある種の感情や情動の発露とフォースが出会ったときに、その人間にある種の変化が起こり、それを「ダークサイド」と呼んでいるのでは。
 とすれば、「強すぎる愛」はもう十分に「ダークサイドに通じる」感情であると思います。
 先の投稿はそういう意味での「ダークサイドがダークサイドを破った」ということです。

 またの反論をお待ちしています。


Re:ダークとライトの両サイド  投稿者:ニル  投稿日: 7月 6日(土)00時28分58秒

りょうさん
僕のつたない反論に、きちんとお答えいただいて、ありがとうございます。
私の理解力不足のために、長々と書いていただいて恐縮です・・・。

まず、僕の方が完全に論破されてしまった部分があります。
フォースの概念についてです。

>フォース自体もそれは単なるエネルギーのようなものであって、ライトもダークもない、ライトだダークだというのはあくまで人間から見た定義

これはおっしゃるとおりだと思いました。僕は便宜上、「ライトフォース」「ダークフォース」と言いましたが、こんな言葉自体ないですよね。多分。少なくともライトフォースなんて言葉はないはずです。
そう、フォースはフォースですよね。万物の根源。
で、僕は
ライトフォース=自然界のあらゆる所に流れる、自然のエネルギー
ダークフォース=邪悪な感情のエネルギー
こう書きましたが、これはお門違いも甚だしいでしょう。
以下のように訂正。
「フォース=自然界のあらゆる所に流れる、自然のエネルギー」
多分こう言ったようなものが存在する。
そして、このフォースを操るもの、これがジェダイ。
で、「操り手の操り方で、ダークサイドかライトサイドかが決定する」。
こういう解釈でよいのかな・・・

と言うわけで、スタートから僕の理論がおかしかったので、全くちぐはぐな論争になっていました。
この、新しくまとめた「フォースの概念」を同意してもらえれば、次の論争に移れるのですが・・・いかがでしょう?

皆さんも「それ、おかしいよ」って意見がございましたら、お願い致します。


コントロールを失ったパル 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 6日(土)00時37分46秒

>少なくともパルパティーンはベイダーのように溢れ出るフォースを抑えるために仮面を被る必要などありませんし、シスの姿でいるときですら自己を完全にコントロールしているように見えます。

確かにそうですが、ただ『ジェダイの復讐』のルークに電撃攻撃を加えるパルパティーンは、完全にコントロールを失っていますね。当然ながら、「感情をコントロールできない」という意味は、常に感情のコントロールができない人という意味にはならないでしよう。非常に重要な局面で、自分の煮えたぎる激情(あるいは欲望)をコントロールできるのか。そういうことでしょう。
 パルパティーンの最期を見ると、やはりそれができていない。パルパティーンの最期、ヴェイダーになすすべもなく投げ捨てられてしまう。

 今まで、ダーク・サイドに落ちる瞬間というのは、スター・ウォーズでは一度も映画化されていない。したがって、どのように、どんな過程で落ちるのか。その時、落ちた人はどんな気持ちなのか。謎が多すぎます。ライト・サイドに立ち戻ったヴェイダーが、そのヒントになるすぎない。やはり、今のところ想像するしかなさそうです。


ダーク・サイドとライト・サイド 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 6日(土)00時43分20秒

>「操り手の操り方で、ダークサイドかライトサイドかが決定する」。
こういう解釈でよいのかな・・・

 「フォースのダーク・サイド」という言葉を、よくヨーダが用いています。スター・ウォーズのテーマの一つは、「多様性」でありますが、「二面性」として表現されている部分も多い(詳しくは拙著参照)。そのニ面性の根源というか、基礎となるのが、フォースのダーク・サイドとライト・サイド。同じものを表から見るか、裏から見るか。見る方向が違うようなもので、見るもの、あるいは操るものによって、良くも悪くもなるということ。ニルさんの解釈で正しいのではないでしょうか。


私利私欲 投稿者:シルヴィ  投稿日: 7月 6日(土)10時21分29秒

ダークサイドというのは、ジェダイカウンシルの方からの便宜的な呼び名で
シスの仲間になる者をそう名付けただけでは?
自分達と信念が異なる者が『ダーク』なわけです。
『私利私欲にフォースを使用する』シス
『公共の福祉にフォースを使用する』ジェダイオーダー
と考えたとき、ジェダイオーダーが単純にライトサイドとは思えない面が多々あります。
というか、別にジェダイがライトサイドなわけでも何でもないと私は考えています。

クワイ=ガンはカウンシルの決定に反抗する。
アナキンも反抗する。(暗殺犯を突き止めようとする)
ルークもヨーダのいうことをきかず、クラウドシティーに行ったり
オビ=ワンの忠告も聞かず父を説得しようとする。つまり、反抗する。
この反抗する人達はカウンシルの側から見ればダークサイドにとても近いものがあります。
反対に『ライトサイド』とみられるジェダイはカウンシルに絶対服従を貫き
自己決定能力に著しく欠けています。そして、滅びます。
フォースの統合とは、自己決定能力を保ちつつ『私利私欲』にフォースを使用しないということではないでしょうか。
ただ『私利私欲』の定義は非常にムズカシイと思います。
愛さえも?



ダークサイドに堕ちる瞬間 投稿者:ニル  投稿日: 7月 6日(土)11時33分03秒

ダークサイド、ライトサイドの「決定的な一線」
それは「思想の違い」だと僕は思っています。

前の書き込みになりますが、「愛すべきアホっぽいルーク」を書きました。
あれは冗談ぽく書いてありますが、あれが僕の持論です。
あれと同じ話を、少し違うニュアンスで書こうと思います。

「ダークサイドの誘惑」って言葉、良く出てきますよね。
シスの思想は、非常にうまみを感じるものであると思います。
子供っぽい言い方ですが、「フォースをうまく操れば、あらゆることがあなたの思うがままに」みたいなニュアンスのうまみではないでしょうか。
そして「我欲」を大切にし、思うがままに生きるのが、シスの思想だと思います。
後もう一点。「フォースを操る快感」。皇帝が恍惚の表情を浮かべて言いますよね、「ダークサイドのパワーは素晴らしい」。きっとそれは、抑制されたライトジェダイにはない、開放された心地よさなんじゃないでしょうか。一度やったらやめられない、みたいな。操ったことないから分からないですけど。

でも、こんな「おいしいとこだらけ」のダークサイドなのに、フォースの使い手はそうそうダークサイドに堕ちることはない。
なぜなら「確かに心地いいしウマミもあるけど、そんな好き勝手やってたら、回りが敵ばかりになって、最後には自滅するじゃん。」ぐらいのことは、ちょっと考えれば誰でも分かるからです。

ですから、シスとしては、堕としたいターゲットに「ダークサイドへの勧誘」をするとき、「タイミング」が非常に重要となってきます。

それは。勧誘する相手が、精神的に弱っているとき。自暴自棄になっているとき。「俺なんかもうどうなったっていいや」って思っているとき。などですか。

こう言った精神状態のとき、シスはターゲットに上記の「心地よさ」「うまみ」を宣伝する。
さらに、ターゲットが一番気にかかっている、「悪なんて最後は悲惨な末路じゃん」と言う不安をなくしてあげる。
例えば「帝国の足場固めは、もうばっちり終わってるんだ。帝国は1000年続くよ。俺とお前が組めば、悲惨な末路なんか、なりっこない。」とかうまいこといえばいい。
実際、エピ6で、皇帝がルークを勧誘するとき、共和国軍の宇宙の戦い振りを見せて「ほら、みろ。まんまと共和国は我が作戦に引っかかってる。全滅だよ。わしの思惑通りだよ。」みたいなこと言います。ああ言った手法です。
(なんか悪徳商法みたい、って思っている人多いんじゃないでしょうか。その通り、全く同じ手口です)

で、こんな誘惑のときに備え、ジェダイは修行する。「感情のコントロール」、つまり抑制力を、ですね。
でもいくらコントロール法を修行しても、いざと言うとき、例えば「大事な人が皆死んで、俺まじでぼろぼろなんだけど(汗)」みたいなとき、役に立つでしょうか。

やはり、「ダークサイドの素晴らしさを上回る、ライトサイドの素晴らしさ」を熟知していないと、難しいと思います。

でもジェダイって、非常に質素で(根っこ食ったりとか)、金も持ってないし、なんの楽しみもないように見えます。どこが良いんでしょう?

僕の中のイメージでしかないのですが、例えば「ダゴバで目をつぶり、木や風や光の声を聞く」、そして「自然との一体感」、「全ての物欲から開放された究極の瞬間」を見いだし、そして「自分が自然界の一部であることを感じ取る」・・・みたいなものではないでしょうか。生きる者として、真に大切なものを感じ取る、みたいな。言い換えれば「悟り」ですかね。
言葉で説明するのは難しいです。だからヨーダは「考えるな、感じるのじゃ」って言ったと思います。
そしてこの、「言葉にならない感覚」をすべて体現でき、理解するものを「マスター」と呼ぶのでは、と思います。

そしてまた、この「ダークサイドの分かりやすさ」と、「ライトサイドの分かりにくさ」、これを指してヨーダは「ダークサイドは、たやすいのだ」と言ったのではないでしょうか。

ですから、ダークサイドに堕ちる瞬間とは、「誘惑に負ける瞬間」だと思います。


やるならテッテ的に 投稿者:ビンラディン  投稿日: 7月 6日(土)11時39分06秒

 「シスに留まる」という言い方をなさっていたのはりょうさんでしたか?私もその「留まる」という点が常々引っかかってイタんですが。
アナキンがグレてしまう、と言うのはイイとして、なぜわざわざダース・ベイダーを名乗り、そしてベイダーであり続けたのか?
 今回のドゥークの様にある種「俺は俺でやってくよ」というスタンスでも良かったハズなのに、内心ではどう思っていたかは別にして、
それでもわざわざ皇帝に師事するのにはなにか理由があるのか?
 またタスケンを皆殺しにした後一応は反省しているのだカラ、後にベイダーであり続ける自分、悪事を働く自分を全く省みなかった事もないはずです。
 つまりそういった事実の裏には何がしかの「うまみ」がないとおかしいわけで、それが私利私欲にフォースを使用できる、それもダークサイドの強力なものを、という事なのでしょう。となるとやはりアナキンが堕ちるのは「我欲のせい」というのがしっくりきますね。


第2部 アナキンはイエスか? サタンか?


ダーク・サイドとライト・サイド2 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 6日(土)12時18分28秒

>フォースの統合とは、自己決定能力を保ちつつ『私利私欲』にフォースを使用しないということではないでしょうか。

これらの議論を読ませていただいて、ダーク・サイドとライト・サイドというのは、ファンタジーの黒魔道と白魔道からアイデアを得たのかな、と思いました。自らの探求や公共の福祉のために使しい、私欲のために使わないというのが、一般的な白魔道だと思います(個人的に、「グイン・サーガ」大好きだったりします)。

>でもジェダイって、非常に質素で(根っこ食ったりとか)、金も持ってないし、なんの楽しみもないように見えます。どこが良いんでしょう?

ジェダイというのは、警察であり、外交官であり、僧侶でもあります。『ファントム・メナス』では外交官的な側面が描かれ、『クローンの攻撃』では、恋愛、結婚禁止ということでカトリック神父のような精神的な探求者の側面が描かれました。
 「どこが良いんでしょう?」の質問は、そのままカトリックの神父にも当てはまるでしょう。

>ダークサイドに堕ちる瞬間とは、「誘惑に負ける瞬間」だと思います。

ダーク・サイドに堕ちる瞬間を表現する言葉として、「誘惑」という言葉は、非常に適切な言葉だと思います。新約聖書の「荒野の誘惑」にも重なるし。以前、りょうさんが「アナキン=サタン」説を言っていましたが、私はイエスで良いと思います。
 イエスの場合は、悪魔からの誘惑を四十日(実際はもっと短い)悩んだだけで振り払うことができた。アナキンもダーク・サイドに約二十年いたわけですが、これを二十年間悩み続けた結果振り払ったと考えれば、イエスと同じだと思います。なおルーカスは、スター・ウォーズは「荒野の誘惑」を参考にしていることを、インタビューで述べています。


イエスかサタンか 投稿者:りょう  投稿日: 7月 6日(土)13時33分13秒

>ダーク・サイドに堕ちる瞬間を表現する言葉として、「誘惑」という言葉は、非常に適切な言葉だと思います。新約聖書の
>「荒野の誘惑」にも重なるし。以前、りょうさんが「アナキン=サタン」説を言っていましたが、私はイエスで良いと思います。
> イエスの場合は、悪魔からの誘惑を四十日(実際はもっと短い)悩んだだけで振り払うことができた。アナキンもダーク・
>サイドに約二十年いたわけですが、これを二十年間悩み続けた結果振り払ったと考えれば、イエスと同じだと思います。なお
>ルーカスは、スター・ウォーズは「荒野の誘惑」を参考にしていることを、インタビューで述べています。

 まあ確かに細かいエピソードなど、イエスをモチーフにしている部分は多くあるとは思いますが、物語全体(6作全て)としては、プロット上アナキンはサタンの役割を担っている、と考えられませんか?
 イエスは誘惑を振り払ったけれど、アナキンは負けてダークサイドに落ちてしまった。これは決定的な差です。イエスがキリストであるのは誘惑に勝ったからです。負けていたらキリスト(救世主)にはなれなかったし、従ってキリスト教も成立しなかったわけです。
 ベイダーの20年のダークサイドを「悩み続けた」と捉えるのも無理でしょう。その間、ベイダーは実際に悪事に手を染めているわけですから、これを「誘惑に負けた」のではなく「誘惑と戦っていた」と捉えるのは・・・

 私は、物語全体ではサタンの役割を担っているアナキンに対して、故意にイエスを思わせるエピソードを配置しているのだと解釈しています。しかもそれを、旧3部作のルーク(プロット上はこちらがイエス)と対比させることによって、善と悪の境界線の危うさを描いているのだと。
 で、最後はこの2者によって「フォースの調和」が為されるわけで、プロットとして非常に綺麗にまとめることができるかと。
 これが「アナキン=イエス」という配役にすると、旧3部作のルークの立場が浮いてしまい、そのエピソードのほとんどが「神と悪魔」というプロットには直接関係のない「蛇足」になりかねません。「ジェダイの復讐」のラストシーンさえあればプロット上、物語が成立します。

 アナキン=サタン、ルーク=イエス、と読めば、この新旧3部作の対比が綺麗に解釈できる、と思うのですがいかがでしょうか?

 という仮説を前提にすると、イエスの最も有名なセリフ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」がどこかで出てこないはずはないですよね。そのセリフを言った瞬間のイエスは、荒野の40日の時より「迷っている」ように聞こえる、神学上たいへん解釈が難しいセリフですから。
 これは旧3部作では、ルークの「お父さん、助けて」だと思うのですが、EP3でもそれに対比するセリフはアナキンが発するはず、と思います。その結果もルークとは綺麗に対比するはずで。


アナキンはイエスかサタンか? 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 6日(土)15時56分18秒

>アナキン=サタン、ルーク=イエス、と読めば、この新旧3部作の対比が綺麗に解釈できる、と思うのですがいかがでしょうか?

 そうであるともいえるし、そう簡単にもいかないとも言えるでしょう。周知のように、スター・ウォーズは聖書や神話やいろいろな物語を題材に、種々の神やヒーローのイメージが混ぜ合わさっているわけです。それらの中でも、聖書の影響は、ルーカスがクリスチャンであり、アメリカ人である以上、他の神話と比べて多少強めにその影響は出ているものの、全体の割合でいくと、あくまでも一部分にしか過ぎない。したがって、ルーカスは「アナキン=サタン、ルーク=イエス」というほど明確なイメージを区分してスター・ウォーズを作っているとも思えないわけです。正確に言えば、アナキン(ヴェイダー)には、サタンのイメージも、そしてイエスのイメージも両方含まれていると言えるでしょう。ただ、観客として、どちらの側面に着目して、あるいは共感してして作品を見るのか、というのがおもしろいところだと思います。
 私は、アナキンが救世主で会って欲しいという願望もあり、サタン的な部分が多いことを知りながら、イエス的な部分を見たわけです。りょうさんの場合は、その反対ということでしょう。

 この辺の多重のイメージということをふまえた上で、やはりアナキンがサタンとも言い難い部分が少しありますので、以下ちょっと反論します。

>ベイダーの20年のダークサイドを「悩み続けた」と捉えるのも無理でしょう。

「悩み続けた」という言葉に、やや語弊があったとおもいますが、もっと詳しく言うと「100%悪に染まっていたわけではなさそうだ」あるいは、「99%は悪に染まりながらも、残りの1%に良心の呵責をかかけていた」といった意味です。ヴェイダーが100%の悪であったするなら、息子(ルーク)が現れて、いろいろなことを言っても聞き入れる余地など残されていなかったでしょう。良心の呵責をもち続けるサタンというのは、私にはイメージできません。
 ヴェイダーの行動から見ると彼はかなりの悪であることは違いありませんが、その心の中までが完全に真っ黒に染まっていたのか? 旧三部作のヴェイダーに何か哀愁が漂うのも、そうしたことと関係しているでしょう。

>その間、ベイダーは実際に悪事に手を染めているわけですから、これを「誘惑に負けた」のではなく「誘惑と戦っていた」と捉えるのは・・・

 ひどいことをしていた人ほど、回心したときの意味、意義が重要となってくる。例えば、ご存知でしょうが、パウロは回心する前はユダヤ教の急先鋒としてキリスト教徒を迫害していたわけです。キリスト教の天敵みたいな人だった。それが、回心により、180度方向転換し、最も熱心にキリスト教を布教していくわけです。こうした180度の「回心」、「悔い改め」というのが、キリスト教的には「あり」とされている。というか、むしろ推奨されている。
 したがって、「ベイダーは実際に悪事に手を染めていた」から「イエス」と成りえない、という論理はおかしいと思います。逆に、「ひどい悪事に手を染めていたのにそこから回心できるとは普通の人にはできない」と見るべきでしょう。


スターウォーズと聖書 投稿者:りょう  投稿日: 7月 6日(土)23時28分28秒

 今日はちょっと書き込みのペースが落ちてますか?先行を見に行ってる人が多いのかな?

>樺沢さん
>それらの中でも、聖書の影響は、ルーカスがクリスチャンであり、アメリカ人である以上、他の
>神話と比べて多少強めにその影響は出ているものの、全体の割合でいくと、あくまでも一部分に
>しか過ぎない。

 そのとおりだと思います。ただ、少なくとも紀元後に出てきたほとんどの神話や物語が多かれ少なかれ聖書の影響を受けています。聖書からの直接引用の部分は一部分でも、トータルとしてはかなり大きなウエイトは占めている、と思います。私達日本人には理解しがたい部分ですが、欧米人にはキリスト教は骨の髄まで染み通っていますから・・・

>正確に言えば、アナキン(ヴェイダー)には、サタンのイメージも、そしてイエスのイメージも
>両方含まれていると言えるでしょう。

 もちろんここもそのとおりなのですが、私が前の書き込みで書いたのは、「イメージ」ではなく物語の「プロット」としてのアナキンとルークの役割、というあたりのことなんです。
 アナキンにイエスのイメージをも持たせているのは、ルーカスが神と悪魔を「同じものの2つの側面」として描きたかったからでしょう。つまりサタンになるかイエス(キリスト)になるかは、紙一重のことだったと。そのサタンとイエスが2人いて初めてフォースに調和がもたらされたところなど、この人の宗教観が見えて面白いところだと思うのですが。

 聖書ではサタンは最初から徹頭徹尾悪魔であり続け、彼の「物語」はほとんど語られません。天使の時の名前がルシファーだったということと、いつか判らないくらい遙か昔に(A long time ago..)神を裏切って悪魔になることくらいかな。
 それでも、ヨブ記あたりでは妙に人間臭いところを垣間見せたりします。面白いのは、このヨブ記での「神」が妙に悪魔的なところで、ヨブ記は聖書の中でも欧米人にはよく知られている話らしいですから、ルーカスが自分の神話をつくるにあたり、サタンをもっと詳しく人間として描きたかったであろうことは想像できるのですが・・・

> したがって、「ベイダーは実際に悪事に手を染めていた」から「イエス」と成りえない、とい
>う論理はおかしいと思います。逆に、「ひどい悪事に手を染めていたのにそこから回心できると
>は普通の人にはできない」と見るべきでしょう。

 ここについて再反論ですが、「回心」が認められ、あるいは推奨されるのは、あくまでも「人間」のことです。
 イエス本人について言えば、彼は神の子で人間の原罪を背負うために人間界に遣わされた身ですから、たとえ一度でも誘惑に負けて罪を犯せばキリストとしての資格を失い、人間を救済する(キリストになる)ことができなくなった、という立場です。だからこそ荒野の40日やゲッセマネがイエスの物語中に最高に緊迫したシーンとして描かれるわけです。また、だからこそイエスの最後の言葉の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の意味が、2千年経った今も神学者の間で激論が闘わされているのです。
 パウロやペテロが何度迷い、何度罪を犯しても必ず許されたのは、イエスが彼らの原罪を背負って十字架についたからで、だからこそ人間は「悔い改めれば許される」存在になったわけです。
 ですから、パウロやペテロという「人間」と、イエスの立場は決定的に異なります。
 ここで重要なのは、「たとえ一度でも誘惑に負けたらキリストとしての資格を失う」ということです。なので、イメージはともかく、物語全体のプロットとしてはアナキンはイエスの役割を演じる資格はゼロ、なのです。


スター・ウォーズにおける悪と善について 投稿者:IQMI  投稿日: 7月 7日(日)00時29分25秒

 おひさしぶりです。と言っても1日ぶりなのですが。
 私、クリスチャンなので、イエス、サタンについてひとこと言わせていただきたいです。
 まず、私の見方では、スター・ウォーズに聖書的考え方を重ねるとしたら、サタンの役割、つまり「絶対悪」の役割を担っているのは明らかにパルパティーンです。彼だけが、決して曲げられることのない(というか完全に曲がった)絶対的な「悪」という存在として描かれています。
 そして、スター・ウォーズの目指す最終的な「善」は、単純にこの「悪」を倒すことではなく、「悪」による支配に打ち勝つことであると考えます。それは、政治的な面においても、精神的な面においてもです。
 アナキン・スカイウォーカーは一度、パルパティーンの支配の中に完全につかってしまいます。しかしその息子ルークはパルパティーンの支配を拒否し、自らその支配に向かって勝利を宣言します。(「あなたの負けです、陛下」)一方アナキンはというと、やはり彼も同じようにパルパティーンの支配を最終的に自らはねのけ、この支配者を倒すのです。
 アナキン、ルークの辿ってきた道には大きな時間的な差がありますが、二人の歩みは全くと言っていいほど同じです。そして、最終的に、二人は同時に皇帝の支配に対して勝利を宣言したと言えると思います。
 このように、アナキン、ルークともほぼ同じ役割、つまり「フォースにバランスをもたらす者」を担っていると私は考えます。これを救世主イエスとみなす考え方もあるでしょうが、クリスチャン的には彼らはそうは見なせません。キリストは「子なる神」なのですから。むしろ彼らは、「人間」として、「悪の支配からの脱却を選択する」ということを象徴的に表現した存在であると見なすべきではないかと思います。
 ジェダイ評議会は神秘的な誕生と類い希なフォースを持ったアナキンを救世主として見なし、そしてジェダイ・オーダーを絶対悪に対する「絶対善」と信じていたために、大きな過ちを犯してしまいました。ジェダイはこの救世主とともに「悪なるシス」を倒すことでフォースのバランスがもたらされると勘違いしていたのです。
 しかし、そうではなかった。問題はそれぞれが悪という支配に打ち勝つことにあったのです。それを体現した存在として、アナキン、ルークの姿が「フォースにバランスをもたらす者」として捉えられるのではないでしょうか。


アレレ? 投稿者:アヤノコウジ  投稿日: 7月 7日(日)00時54分57秒

>ジェダイ評議会は神秘的な誕生と類い希なフォースを持ったアナキンを救世主として見なし、そしてジェダイ・オーダーを絶対悪に対する「絶対善」と信じていたために、大きな過ちを犯してしまいました。ジェダイはこの救世主とともに「悪なるシス」を倒すことでフォースのバランスがもたらされると勘違いしていたのです。
前段の聖書的な考えは分かりますが、この部分はアレレ?ではないでしょうか。EP3では単純にジェダイVSシスという図式にはならないはずですが・・・・。


盗人にも三分の理 投稿者:りょう  投稿日: 7月 7日(日)00時58分23秒

 と表題には書きましたが、あまり良い言葉ではないですね・・・

 ニルさん言うところの、
>僕の使った言葉「ダークサイドの誘惑に負けた」というのは、あくまでジェダイオーダー側から見た言葉です。

 ですが、この一連の物語が「ジェダイ側」の価値観で描かれている以上、とどのつまりは帝国側が「悪」でジェダイ側が「善」という図式の「勧善懲悪」の物語であることは言える、と思います。
 ただ、「単純な」勧善懲悪物語、ではないですけどね。
 「フォースのバランス」にしても、それを言っているのはジェダイの側で、ダークサイドにいるパルパティーンやベイダーはそんなことは一言も言っていません。それどころか、最終的にはフォースがバランスを得るためにはパルパティーンは滅びなければならなかったわけですから、この物語が語る価値観は明確にジェダイ(主にヨーダ)が語っている、と言えます。

 ただ、パルパティーンは今までの作品を見る限り、明確に「人物」として描かれているわけではありませんよね。何か「絶対悪の象徴」として描かれているような印象を受けます。
 物語中で主に「悪」の立場を受け持っていたのはベイダーに他なりませんし、彼が最終的にフォースにバランスをもたらした、という点がひと味違うところなんですよね。

 フォースにバランスをもたらした、とはいったいどういうこと?という疑問は今までずっと感じ続けているのですが、端的に目に見える描写として受け取ってしまえば、パルパティーンという「絶対悪」を滅ぼしたことですよね。

 これは私が最近思いついた(ここで議論している中で思いついた)「アナキン=サタン説」ともこれは矛盾しない、と思ってます。
 一般的にはサタンは「絶対悪」というイメージが強いですが、聖書中では特に絶対悪として描かれているわけではないです。サタンが絶対悪に「昇格」したのは新約以降の比較的近世になってからで、旧約の中のサタンは神と天使達の会合に何食わぬ顔して参加していたりして、「神の僕の一員」という印象すら与える存在です。まあ実際神の指示で動いたりもしてますし。
 まあ旧約の神自体が時としてものすごく「悪魔的」なんですけど。

 話がそれましたが、このスター・ウォーズの物語にも「絶対悪」は存在していて、それはパルパティーンが1人で背負っている、と思うようになりました。そして最終的にパルパティーンを滅ぼした、という話なのですから、やっぱりこれは「勧善懲悪」の話なんですよ。ただし、たいへんに複雑な・・・

 つーことは、やっぱどう考えてもアナキン(ベイダー)は、この話のプロットの上では、サタンの役割なんだよな・・・考えれば考えるほど確信が強くなります。


IQM1さんへ 投稿者:りょう  投稿日: 7月 7日(日)01時28分14秒

 私達信仰を持たない者達がクリスチャンの方達の気持ちを傷つける議論をしていたのだとすれば、たいへん申し訳なく思います。

 ただ、最近は欧米でもイエス=キリストを「1人の人間として」見つめてみよう、という動きはありますよね。イエスのセックスシーンまで描いてしまった「最後の誘惑」なんて映画もありましたし。
 ましてや、スター・ウォーズシリーズは、決して聖書の物語を映画にしたものではなく、ルーカスが自分の神話を作るときに、プロットとして聖書の登場人物を当てはめている、という性質のものだと思います。
 ですから、アナキンもルークも、もちろんルーカスは人間として闘わせているし、それを見ている私達ももちろん、彼らの悩みや怒りを人間のそれとして見ています。まあ欧米の文芸作品はほとんど全てそのパターンですが。その中にはイエスやサタンを登場させている(プロットとして)作品も多いですよね。

 IQM1さんはパルパティーンを「サタン」と捉えておられますが、私はサタンはアナキンだと思っています。パルパティーンは単なる絶対悪の象徴。
 あくまでも6作にも渡る映画のプロットでの話なので、むしろルーカスはその方面への観客の興味を巧みにそらせながら見せている感もありますが、この6作に渡る物語を10行ほどで簡潔に、しかも「神話」として語ろうと思えば、アナキンをサタン、ルークをイエスに模すような語り方をするのが最も効果的だとは思われませんか?(まだ完結してないけど)

 ただ、クリスチャンでない私でも、アナキンをイエスに模すのは絶対に無理、と思います。

 でもやっぱりスター・ウォーズをキリスト教に模して論じるのは許し難い、と思われるのでしたら、今後この話はもうしませんのでお許しください。


Re:盗人にも三分の理  投稿者:ニル  投稿日: 7月 7日(日)01時42分46秒

りょうさん

はい、全くその通りだと思います!
僕の先ほど書いた内容は、「ダークサイドとライトサイドの境目の探求」
から始まった話でしたので、映画からは見えない「ダークサイド側からの視点」を
含めたもので。


Re:盗人にも三分の理   投稿者:ニル  投稿日: 7月 7日(日)03時21分40秒

りょうさん

僕が「SWサーガは勧善懲悪の物語ではない」、と言ったのは、もちろん映画でない部分も含めてのことです。
映画は勧善懲悪の映画です。ただ、SWという映画は非常に特殊で、映画に描かれてない隠れた部分がたくさんある。いろんな想像がしたくなるように作られてる、楽しい映画です。この隠れた部分が、あちこちに映画の中でヒントのようなものがちりばめてあって、「ルーカスはどういう風に考えてるんだろう」と想像したくなるように作られてます。
そこを、いろんな観点から掘り下げていくと、「ん?これはもしかして、ただの勧善懲悪ってわけじゃなさそうだ。映画はジェダイ側から描かれてて、勧善懲悪ファンタジーに描かれてるけど、シスって設定にも、実はいろいろ隠れた設定があるのでは?」とか考えるわけです。
で実際、小説やコミックとかになったりして、我々を楽しませてくれてる。
「ルーカスは、勧善懲悪ファンタジーを描いたと見せかけて、深遠な部分を観客に想像させるように描く、にくいやつ」ってことです。
お分かりいただけたでしょうか?

「SWサーガって、実は勧善懲悪じゃないよね。」だけで、コアなファンの間では、上記の説明なしに意味が通ると思っていたもので、説明不足でした。

「映画以外の視点から考えること自体だめじゃん」と言われれば、それまでなんですけどね。


勧善懲悪 投稿者:りょう  投稿日: 7月 7日(日)10時44分50秒

>ニルさん
>「SWサーガって、実は勧善懲悪じゃないよね。」だけで、コアなファンの間では、上記の説明なしに意味が通ると思っていたもので、説明不足でした。

 そのとおりです。意味通ってます。
 「SWって単純な勧善懲悪ものという楽しみ方もできるじゃん」というのは、ここで議論していて思いついたことでしたので、自分でも新鮮でああいう書き込みになったのですが、ニルさんの意見には今でも諸手を挙げて同意してます。

 今まで「ルークvsベイダー」という図式でしか見ていなかったのが、「ルーク&ベイダーvsパルパティーン」という図式で見ると、極めて単純な勧善懲悪ストーリーなんですよねぇ。悪の方がなんだかよく判らないけど悪いやつ、という描かれ方をしているのも古典的勧善懲悪ものの文法に綺麗にのっとってますもん。
 なので、「SWって実は古典的勧善懲悪ものなんだよね」という言い方すらできてしまうわけで、そういう見方ができると「発見」したのが昨日のことだったという次第なのです。
 これってもしかしたら新しい視点なのかも?と思ったのですが、もしかしたら今さら、なのかな?


初めまして 投稿者:nao  投稿日: 7月 7日(日)12時56分24秒

ここで語られている善と悪についてですが,非クリスチャンである私がサタン・イエスになぞらえることは不敬かな?と思うので,宗教論は置いておきます。
SWもANの時には勧善懲悪っぽかったですよね?
灰色色の強いハンも,結局は同盟軍のために働くし(お金のためと言う気もするけど)
ESB,RJと進むに連れてどうもそう単純な話ではなくなってきた。
(ルーカス氏自身が変わったのだと考えますが)
ルークはダゴバの森で,ヨーダの示唆によりダークサイドを覗く。
そしてヴェイダーや皇帝との対決で暗黒面に落ちかけますね。
それに,ランドカルリジアン,彼はただ自分と自分の国のためにハンを売った。
そこには善も悪もありません。
純粋に金のために動くボバ・フェットの存在もある。
(エピ2を見ると,私情でJEDIに復讐を考えかねないけど,少なくともESBの時点では)
そして,ヴェーダーのJEDIへの復帰。

フォースのバランスとは,善と悪の,光と闇のバランスかな?とか考えてました。
SWとは離れるけどフランク・オズ繋がりの「ダーククリスタル」で,闇が取り除かれたときに光もまた消えてしまうように,この二つは切り離せない物だと思う。
よくSWは神話に例えられるけど,神が絶対善では無い神話の方が多いように思う。
日本の神は荒ぶる神,自然界の畏怖すべきもの全てが神とみなされた。
これが西洋の方になるとギリシャ神話くらいしか解らないのであまり論じることは出来ないけれど,古代の多くの神が生け贄を必要としていたことを考えるとなんとなく。

ジェダイは,自ら課した戒律により動脈硬化していたのでは?
幼児の頃に親から引き離し,人間的感情を極力抑えるように育て上げる。
これは,かなり不自然なことと考えます。
妙なたとえですが,盲導犬がしっかり自分の仕事を果たすには愛情深いホストファミリーに育て上げられることが不可欠。愛無くしては,人も完全には育たない。
エピ2のポスターがその象徴だと思う。
だから,母の,あるいは叔父の,義父の愛情の元で育てられたスカイウォーカー親子の登場なのだと思う。
アナキンの場合は,10才の時に無理矢理母の元を離されたので,その無理が出てまったき存在とはなれなかった。
完成させるには次世代の登場を待つしかなかった。
だからこそ「新たなる希望」なのだと。


SWと宗教 投稿者:りょう  投稿日: 7月 7日(日)14時19分13秒

 「アナキン=サタン&ルーク=イエス説」がたいへん面白かったので、しばらくそれに熱中していましたが、ここで1歩下がってみると、やはり基本は「完全解読本」P231〜の「聖書的世界観からみたスター・ウォーズ」で樺沢さんが書かれているとおり、だと思います。

 理力さんが、
>時に子孫(ルーク)が信心することで、先祖(ヴェイダー)が救われるというのは、
>仏教の影響とはいえないでしょうか?
 と書かれていたのは、「おお、なるほど」と思いましたし、第一「フォース」の概念そのものがたいへんに東洋的ですよね。

 完全解読本では樺沢さんは、
「ルーカスは、種々の神話や宗教などにちりばめられた人間というものに共通のエッセンスを取り出して、ルーカスなりのアレンジを加えて、我々現代人に分かりやすい形で再構築している。」と書かれています。
 私は、「様々な神話から引用してルーカスの価値観(神話)を構築している」と言いたいところですが、ニュアンスの差でしかないかもしれません。神話を再構築しているのではなく、あくまでルーカスの神話を構築しているという。

 なので、アナキンはサタンを模している、というのは正しくないでしょうね。アナキンはあくまでアナキンで、スター・ウォーズは聖書の解釈をするのが目的の作品ではないからです。
 ただ、アナキンはこの物語でフォースのダークサイドを担っている人物であり、それは聖書に例えるとサタンの役割を演じている、という表現はできるということだと思います。

 余談ですが、「完全解読本」でのコラム「宗教問題勃発」での右派キリスト教団体の批判の件ですが、私は「全くナンセンス」とも思いません。理由はこれまでの「アナキン=サタン説」で書いてきたとおりで、いったん誘惑に負けてダークサイドに落ちてしまうアナキンは、決してそのプロット上もイエスには重ねられないからです。

 ただ、SWは聖書の解釈を提示する作品ではなく、ルーカスの価値観から神話を構成することを目指している作品ですから、その意味で批判は「無意味」だと思います。
 ルーカスの世界での絶対善を象徴するために、というか観客にそれをイメージさせるためにイエスのエピソードを連想させるシーンを入れた。それが観客にも理解しやすいしルーカス自身のイメージもそうで、聖書は作り手と受け手の共通言語だからです。
 ルーカスの善と悪(つまりはライトとダークサイド)の価値観を見せるために、ここでは意図して「絶対善」をイメージさせるシーンを入れたのでしょう。
 ということは、ルーカスもそういう批判が起こるのは十分承知のうえだったのでしょう。
 それに対する反論として、「処女受胎はキリスト教だけのエピソードではない」というのは、それこそあまり意味がないように思います。我々の感覚でこそ、聖書とギリシャ神話は同じ「神話」として同列に語れますが、欧米人の感覚では聖書は別格ですから。他にどれだけ実例があろうと、処女受胎はキリスト教のエピソードでしょう。ある意味キリスト教の象徴ですらあるでしょうから。

 なので、多くの宗教や神話がごった煮状態になって再構築され、1つの価値観を作っている、のはルーカスだけでなく私達もそうですから、ルーカスの意図はどうあれ、それをどう受け取るかは人それぞれという部分も多々あるでしょう。
 なので、例えばアナキンをイエスに重ねて受け取ることも、それがキリスト教への理解不足から起こることとしても、受け手本人にとっては別に間違いではないわけです(ああ、生意気なこと書いちゃった)。だいいち誰も全ての引用元を完全に理解なんてしているわけではないし、それはルーカス本人だってそうですから。
 ただ、自分が誤解して受け取ったことにより、どこかで矛盾が生じてくるかもしれず、その時に「SWはいい加減なお子様向けの話」と見切ってしまうことは、損ですよね。ま、それで人生にどれだけの実害があるかはあれですが・・・
 まあ自分だけで考えていたのでは、分かることなんてたかが知れてますから、いろんな知識や考えを持った人と好き勝手なことを喋り合うのは楽しいことです。


フィル・ジャクソンの例もありますし 投稿者:ビンラディン  投稿日: 7月 7日(日)14時26分28秒

>時に子孫(ルーク)が信心することで、先祖(ヴェイダー)が救われるというのは、
>仏教の影響とはいえないでしょうか?

 私もSWにはキリスト教というよりも仏教、さらにいえば「禅」の思想のほうが強く感じられます。
SWが理想としているのは(救済や贖罪などによるキリスト教的な)「完全なる善の世界」ではなく、悪とされるものと善とされるものとの「調和」にあったハズで、それは禅の思想により近いのではないでしょうか。
 クワイが「フォースを浄化する」ではなく、「バランスをもたらす」と言っていたコトがそれを端的に示しているのではないでしょうか?

 ただ私自身は禅そのものに対してあまり詳しくない(というより殆ど分かっていない)ので、どなたか詳しい方いらっしゃらないでしょうか。


RE: 勧善懲悪 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 7日(日)16時03分29秒

 スター・ウォーズが勧善懲悪なのか、という問題は簡単そうでありながら、非常に難しい。『新たなる希望』は、勧善懲悪と言えるでしょうが、シリーズを通してみるとどうでしょう。結果から言うと、「懲悪」的な部分は多いでしょうが、「勧善」ではないと思います。つまり、善を強く勧めていない。
 「多様性」のテーマとも通じますが、むしろ「100%の善」なるものを否定している(「100%の善」の象徴がジェダイ評議会で、それが滅亡しているので)。「完全な勧善」ではないということです。「フォースの調和」をもっと俗な言葉で言い換えれば、「人間80%くらいが善で、残り20%くらい悪のほうが丁度良いのでは?」とった感じ。「フォースのバランス」、は言い換えるとバランスのとれた人間が大切ということ。
 言われてみると当たり前なのですが、ハリウッド映画というのはそうではなかった。「100%の正義」を振りかざして、ヒーローは戦うわけです。当然、現実的ではないのですが、アメリカ人には現実的に感じられるのかもしれません。そしうした、ハリウッド的な勧善懲悪を、スター・ウォーズは完全に否定していると思います。
 ただし、活劇である以上、「敵を倒す」というプロットがないと分りづらいし、話も盛り上がらない。結局、座標基準として「絶対悪」パルパティーンを設定しているということだと思います。
 ただどいうわけか、映画評論家やライターで、「スター・ウォーズは伝統的なハリウッドの勧善懲悪にのっとった映画だ」と誤解している人が多いのは、不思議なことです。 


「勧善懲悪」の件 投稿者:ニル  投稿日: 7月 7日(日)16時22分13秒

りょうさん

なるほど。りょうさんの意図がわかりました。
SWという勧善懲悪映画を、我々ファンは「いかに勧善懲悪ものでないか」を掘り下げてきましたが、
この視点を180度変えて、「いかに勧善懲悪ものであるか」ということをかんがえたわけですね。
りょうさんのおっしゃる通り、「ルーク&ベイダーvsパルパティーン」という図式で見ると、極めて単純な勧善懲悪ストーリーになってます。この「逆の視点」でここまで確立するとはびっくりです。見事ですね。(絶対悪の役割を、パルパティーンでなくて、「デススター」にしても、筋が通るかもしれませんね。)
で、僕もこのりょうさんが確立した視点で、他の「深みのある勧善懲悪もの」についても考えました。
例えばガンダムなんですが、悪であるべきシャアがどんどん多様性のあるキャラになっていき、絶対悪ではなくなってくる。で、その役割はデギンザビに、最終的にはギレンに移行する。

この法則を考えていくと、正義と悪の物語って、悪に多様性を持たせすぎると、とりとめのないはなしになってしまい、「絶対悪」の役割は必ず必要になってくるものなのかなって思いました。
そう考えると、ウルトラマンや仮面ライダーや水戸黄門みたいな話は、「話が単純で深みがない」って一蹴するのではなくて、「絶対に必要となってくるプロットのみで作った物語」と受け取れて、再評価できるのかもしれませんね。


RE:SWと宗教 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 7日(日)16時38分46秒

>アナキンはこの物語でフォースのダークサイドを担っている人物であり、それは聖書に例えるとサタンの役割を演じている、という表現はできるということだと思います。

この表現であれば、全く同感します。しかし、アナキンをイエスのイメージで見ている人は少なくないと思われますし(スター・ウォーズをキリスト教的な見地から考察しているサイトはいくつもあるし、それらには必ずアナキンの救世主的側面について言及されている)、それは宗教的無知によるものではないでしょう。その証拠が、右派キリスト教団体の批判です。彼らは、ヴェイダーがイエスのイメージに重ねられていると感じたので怒った。もし彼らが、りょうさんのように、アナキンをサタンの役割としてみていたら、批判は起きなかったでしょう。

>右派キリスト教団体の批判の件ですが、私は「全くナンセンス」とも思いません。

 彼らがナンセンスなのは、描写にこだわって、テーマを全く見ていない点です。仮に反キリスト的な描写があっても、テーマがキリスト的を批判しているわけでなければ問題はない。前述のように、スター・ウォーズには、回心なり悔い改めの重要性が含まれており、キリスト教に対してネガティブなテーマは含まれていない。というよりも、むしろ肯定している。結局、木を見て森を見ていないわけです。
 これと同じ議論が暴力描写にも当てはまります。「ファイト・クラブ」や「バトル・ロワイヤル」が暴力描写が強いといって批判されましたが、これらの作品は暴力反対をテーマにしているわけです。映画が暴力賛美のテーマなら確かに上映禁止にしろという言い分もわかるが、暴力描写が含まれるだけで反対するというのはどうみてもナンセンでしょう(詳しくは、http://www.ne.jp/asahi/hoth/press/other_films/pics/fightclub/fightclub_perfect.htm)。


>RE:SWと宗教 投稿者:れもんスカイウォーカー  投稿日: 7月 7日(日)18時55分33秒

私もずっとアナキン誕生は、キリストの引用だと思ってました。

そして、SW関係の本のイラストでは
必ず、シスの本拠地がピラミッドのようなので
シスのモデルは、エジプト。

ジェダイの服が、モーゼに似てるので
ジェダイ評議会のモデルは、ユダヤ教団。

そして、ジェダイから発生したアナキンのモデルは
キリスト。
そう思うんですが・・・

スピルバーグとルーカスが、ユダヤ系と聞いたことがあるんですが、
その辺はどうなんでしょう?

>樺沢さん、ぜひ、教えて下さい。
(クワイガン、オビワン、ドゥークの髭がユダヤの風習の髭に、似ているので・・・)


(無題) 投稿者:りょう  投稿日: 7月 8日(月)01時23分28秒

>樺沢さん
>この表現であれば、全く同感します。しかし、アナキンをイエスのイメージで見ている人は少な
>くないと思われますし(スター・ウォーズをキリスト教的な見地から考察しているサイトはいく
>つもあるし、それらには必ずアナキンの救世主的側面について言及されている)、それは宗教的
>無知によるものではないでしょう。その証拠が、右派キリスト教団体の批判です。彼らは、ヴェ
>イダーがイエスのイメージに重ねられていると感じたので怒った。もし彼らが、りょうさんのよ
>うに、アナキンをサタンの役割としてみていたら、批判は起きなかったでしょう。

 まあ、自分の見方が「こいつはちょっと新しいぞ」と思ったから熱心に掘り下げてみたわけで。
 アナキンに救世主的側面を見る場合、やはり「一度はダークサイドに落ちて悪行の限りを尽くす」ということを、どう捉えるかですよね。
 アナキン=サタンと捉えてみる方が、善悪の区別の危うさ、悪は本当に悪なのか?というプロットが浮き上がって面白いと思うのですが。そのためにパルパティーンという「問答無用の絶対悪」を用意しているようにも見受けられます。
 でもまあ、アナキン=サタン説でも同様の批判は受けると思いますよ。「よりによってサタンとキリストを同一視するとは許せない」って。

 ルーカスが実際明確に「アナキンにサタンの役割をさせよう」と意図してシナリオを書いているのかはともかくとして、少なくともそう考えて物語を見ると、ちょっと深くて面白いことに気づいたので、私的にはルーカスにその意図があったかもしれないという確信は増しています。

 まあ、「推察」をしたからには「予測」もしないと面白くないので、EP3について1つ予言をしておきます。
 EP3でアナキンは父親への助けを求める、または呪詛の言葉を吐く。これが「予言」です。

 つまり、こないだから何度も書いている「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」です。
 私的には、EP3でアナキンがこれに対応する言葉を吐いたら、「アナキン=サタン説」は(あくまで私の中では)決まり、です。
 もちろん、「重力波が検出されたら統一理論の正しさを裏付ける」というような自然科学的な予言ではないですから、その言葉が出てきたところでこの掲示板で「ほらほらぁ」と言えるようなことではないのですが・・・
 まあ、単にEP6のルークの「助けて、お父さん」とリンクさせるためのセリフでしょ?と言われれば「そうですね〜」と言うしかないものね。
 でも、ルーカスがこのフォースの境界線上(ライトとダーク、善と悪)で危なげに揺れる2人のスカイウォーカーを、聖書の善と悪の代表人物にオーバーラップさせながら物語を書いているとすれば、このセリフは絶対入る、と思います。ルークの「助けて、お父さん」もそれを意識して言わせたセリフという可能性もあるし、それならなおのこと、アナキンにも言わせるでしょう。

 となれば、アナキンが言う「お父さん」とは誰のことか・・・
 ドゥークーという説もありますが(私もそれを支持してはいますが、それほど自信はない)、もしかしたらオビ=ワンに対して、かもしれませんね。火口の対決の時、なのかな。

 そして、アナキンがそのセリフを言った時、ルークとは対照的にアナキンは応えてもらえず、その後アナキンは完全にダークサイドに落ちる(または「ダースベイダー」に姿を変える)、というのが私の「アナキン=サタン説の検証のためのEP3予想」です。

 むむむ。これが当たるかどうか、3年も待たねばならないのか・・・

 ま、これで「アナキン=サタン説」のことはひとまず置いといて、また別のことを考えることにします。


いくつか 投稿者:IQMI  投稿日: 7月 8日(月)11時43分55秒

>りょうさん
>でもやっぱりスター・ウォーズをキリスト教に模して論じるのは許し難い、と思われるのでしたら、今後この話はもうしませんのでお許しください。
 遅れてのレスで申し訳ありません。
 いやいや、私はただ参考までに違う立場を提示させていただいただけです。
 みなさんにも、こういうつもりは無かったのですが、なんだか宗教色をよけい濃くしちゃってすみませんでした。

>樺沢紫苑さん
>これも「多様性」という言葉が、鍵となります。共和国も、ジェダイ評議会、バトルドロイド、トルーパー。「多様性」のないものは、ことごとく負けて消え去るのです。
 「多様性」というテーマには大賛成です。こういうことをストーリーや映像を通して何気なく主張しているところにスター・ウォーズの魅力のひとつがありますね。
 「自然」「人間」「テクノロジー」。この「多様性」という問題は、樺沢さんがHPのほうで書かれていた「共生」というテーマと表裏一体の関係にあるように思えました。

 私はスター・ウォーズの中でもう一つ語られるべきことに、「自由」をはずすことができないと思います。
 ルークやアナキンの「自由」に対するあこがれは、人間共通のテーマを表していると思います。また、パルパティーンに勝ったという面における「自由意志」、そして「自己超越」。これは「セルフ・コントロール」とも見ることができるかもしれません。
 やはり、多分に東洋哲学の影響を受けているようですね。



(無題) 投稿者:りょう  投稿日: 7月 8日(月)16時31分49秒

> いやいや、私はただ参考までに違う立場を提示させていただいただけです。
> みなさんにも、こういうつもりは無かったのですが、なんだか宗教色をよけい濃くしちゃってすみませんでした。

 いえいえ、こちらこそすみませんでした。返事をいただく前に書きたいことはあらかた書いてしまいましたから・・
 これでしばらくは(何かまた見つけるまで)宗教論からは離れて見てみようと思ってます。


第3部 アナキンはいかにしてダーク・サイドに落ちるか?


アナキンのダークサイドへの傾倒の考察 投稿者:ama  投稿日: 7月 8日(月)10時55分58秒

はじめましてamaといいます。
皆さんの活発な議論に参加したく投稿にいたりました。
アナキンのダークサイドへの傾倒についての様々な意見読ませていただきました。
僕の意見としては 単純に 強さへのあこがれ が主な原因としてみています。
以下にそうと感じられるポイントをいくつか・・・・。
1.旧三部作でヴェイダーがとにかくダークサイドのパワーについて言及しルークをダークサイドに誘う。
2.EP1でことあるごとにオビ=ワンはアナキンを否定する。
3.アナキンがアミダラに対する気持ちが強いのと対照するようにアミダラはアナキンに対する気持ちはあるが義務を重視する。
等などです。
1.については、旧三部作を見直せば見直すほどヴェイダーのダークサイドのパワーに対する言及が目立ちます。
ルークを誘う際にもとにかくパワーを強調します。人を何かに誘う際自分が傾倒していく形で誘うのはわれわれ現実社会
においてもごく普通のことだと思います。
2.については、これがかなり重要だと思っています。
教育者として教え子をしかってばかりではダメだと思っています。特に男の子は自尊心が強いです。
自分でそれなりに力があると思っている男の子は誰かに認められたがるもんです。
アナキンはことあるごとに自分のほうがオビ=ワンより優れているということをいいます。
これはある程度自分には自信があるけど、認めてくれる人がいないため確信にはならない。
でも自分をアピールしたいがため自分で自分を評価するしかなくなる。
これって現実社会に結構います。自分で自分のことを評価してしまう人・・。
でもそういう人ってなかなか周囲に認められないんですよね。
EP1のときもクワイ=ガンはオビ=ワンに対して非常に厳しいです。
実はこのあたりを見たとき、クワイ=ガンも師匠としてはちょっとまずいなと思いました。
でも、要所でオビ=ワンを誉めたりします。ここがポイントです。単純な話あめと鞭です。
しかしEP2でオビ=ワンはアナキンを否定してばかりです。これでは誰でも師匠に対する不満は出ます。
そこでパルパティーンの存在が効いてきます。パルパティーンはかなりアナキンのことを誉めています。
これ前述したように認められたがっているけど誰も自分を認めてくれないっていうような状態にある
男の子には相当効きます。簡単にコロッていっちゃいます。
3.についてもEP2では随所に見受けられます。
僕がこんなに君のことを思ってくれているのに君は僕より大事なものがある。
って言うのは恋に夢中になった男の子にはかなりつらいものです。
ナブーでの夜の出来事でも君は僕と同じような気持ちなの?と聞いています。(確かそうですよね?)
ジオノーシス戦争の終盤ドゥークーを追っているときアミダラが落ちたとき船を止めろといって聞かない
アナキンにオビ=ワンはアミダラならどうするといって説得します。このときのアナキンの気持ちは
かなりつらいものでしょう。
誰かに引き裂かれるというよりはどちらかの意思で離れるという方がかなり自然に感じます。
ということで、以下にアナキンがダークサイドに移る過程を予想してみました。
1.クローン戦争での立場についてアナキンとアミダラで意見の衝突。
クローン戦争が何対何の戦争なのかがポイントになるのですが
(すみません、これ僕わからないんです。何か設定あったでしょうか?)
かなり過激な方向にアナキンが向かうのではないかと思います。
これはシミがタスケンレーダーに殺されているというのがかなり効いて来ます。
ラーズの家で獣は皆殺しにしてもいいんだ。と思いっきり過激なことをいっています。
2.アミダラはアナキンと離れることになる。
上記の意見の衝突によりあなたとはやっていけないということになっても不思議ではありません。
このとき私のおなかにはあなたの子供がいるわ。なんてことになったら、アナキンの精神はめちゃくちゃになるでしょう。
3.そこにオビ=ワン登場
もちろんオビ=ワンはアミダラ側です。ここでアナキンのことを相当こけ下ろすと考えられます。
アナキンが切れても不思議ではありません。
4.アナキンがオビ=ワンにやられてしまう。
ここが問題なんですが、この時点でのアナキンの実力が問題になります。
まだ完全には覚醒していないということにします。
5.パルパティーンに助けられる。
この時点でパルパティーンに助けられれば、アナキンはもうパルパティーンの思うがままです。
どうやったって、アナキンを自分の側に引き込むことはできます。
ここでダークサイドに入っていくでしょう。
どうでしょうか?
反論等たくさんあるとお思います。
勝手に自分の意見を述べさせていただきました。
また、とんでもない長文になってしまったことをお詫びします。


Re:アナキンのダークサイドへの傾倒の考察  投稿者:ニル  投稿日: 7月 8日(月)18時40分16秒

amaさん
amaさんのおっしゃっている通り、最終的には「強さを求めて」、ダークサイドに行くと思います。理由は、amaさんが書いたことと同じです。
ただ、アナキンがダークサイドに落ちるためには、2つの要素が必要となると思われます。
1. きっかけ
2. シスの信仰

強さを求めるアナキンにとって、シスの理念は大変魅力的なものと思います。
ただ、「強さ」を求めている、と言うだけでは、最終的な「シスの信仰」を決める要素にはなりますが、「きっかけ」としては、弱いと思います。
エピTを見ても分かるとおり、アナキンは基本的には非常に心優しい子として描かれています
彼がダークサイドに落ちるには、自分の優しさを捨ててしもうくらいの大きな「きっかけ」が必要となるでしょう。
いかがでしょうか?

捕捉ですが、アナキン含めて、シスの人間みんな「シスの方がフォースのパワーが強い」と思っていますが、
ジェダイ側から言うと、ダークサイドのフォースは「強いのではなく、たやすい」のです。


旧三部作から、エピVを考察する 投稿者:ニル  投稿日: 7月 8日(月)23時29分48秒

りょうさん
>アミダラ死亡説は、やはり話の辻褄が苦しくなるので、以前ほど自信はなくなってきているのですが、それでもまだ未練はあるなぁ・・・

そうそう、僕も、以前は深く考えずに、「パドメは死ぬもんだ」と思っていたけど、旧三部作を観ると、おっしゃる通り、死ぬと無理が出てくるんですよね。

ではどうなるんでしょう。
今日は、旧三部作から、エピVを予測します。

旧三部作に出てくるキーワード。
エピ6で
@オビワン「皇帝から、君と妹を隠したのだ」
Aヴェイダー「オビワンめ、(娘を)隠しておったな」

この2つの「隠す」と言う言葉、よく考えると微妙に意味が違います。

@は
ヴェイダーは娘の存在を知らなかった。
レイアが産まれたと言う事実を隠していたってことです。

Aは
皇帝に利用されるのを恐れて、双子を隠したのですが、
「産まれた事実を、ひた隠しにした」と言う意味にも、
「皇帝とヴェイダーは、ルークとレイアが生まれた事実は知っているが、
オビワンは双子を利用されるのを恐れて隠した」
と言う意味にも取れます。

これを見て分かるのは、レイアの出生は、シスは知らない。
ルークが生まれたことは、知っていたかもしれない、となります。

僕は、皇帝もヴェイダーも、ルークの存在は産まれた時から知っていると思います。

理由として、ルークは堂々とスカイウォーカー姓を名乗っている。
堂々と、アナキンの出身地、タトゥイーンに住んでいる。

以上のような理由からです。

ではヴェイダーは、なぜタトゥイーンに来てルークを連れ出しにこなかったか。
理由は簡単です。興味が全くなかった。
「え?」と思う人もいるかもしれませんが、ヴェイダーが息子に興味を持ち始めたのは、第一デススターを破壊したのが、息子ルークだと気付いてからです。息子のその異常なフォースを知り、「一緒に手を組んで、皇帝を倒す」と言う野望がヴェイダーの中に生まれる。(しかし最終的には、皇帝の強さを考えたら、「やっぱそれは無理」と思い直す)

以上を踏まえて、僕のエピVの予測。
アナキンは、パドメが子を身篭ってるときに、(何らかのきっかけで)パドメを捨てる。

アナキンは、パドメと死に別れて(もしくは死んだと勘違いして)離れたのではなく、パドメを、(身篭った子供ごと)「捨てる」んだと思います。

順を追って書いてみます。

・身篭ってるパドメを見て、アナキンは、男か女か分からないがとにかく生まれることは知っているが、まさか双子とは想像してない。
・アナキンがダークサイドに落ちて、パドメはアナキンと別れてすぐ、子を産む。
・産んででみたら、双子で、これにはパドメもジェダイもびっくり。
・「アナキンは二人産まれた事を知らないぞ!それ隠せっ」とばかりに、
オビワンは「クローン戦争」の戦友(となるであろう)ベイルオーガナに養子として引き取ってもらう。
・パドメは、ナブーに住みつつ、時折オルデラーンに行って娘に会う。(レイアは母のことを少し覚えている、とエピ6で発言しているため)

・ルークは、アナキンの義兄弟オーウェンに引き取られ、タトゥイーンで暮らすが、子を捨てたアナキンとしては「へっ、せいぜい収穫がんばれよ」くらいにしか思ってない。
・ここで、オビワンも密かにルークを見守るため、タトゥイーンに住むことになるが、アナキンは知らない。(エピ4で、ターキンが「ジェダイの生き残りは、ヴェイダー、君一人のはずだ」と言っているため。クローン戦争で、全滅(もちろんヨーダも)したと思っているんでしょう)

・・・とまあこんな感じに各キャラを配置しておけば、旧三部作にスムーズに移行すると思うのですが・・・いかがでしょう?皆様、反論ください(^-^)


たったひとつの冴えた仮説 投稿者:りょう  投稿日: 7月 9日(火)00時41分46秒

 いや、別に「たったひとつ」なんてことはなくて単なる数ある仮説の1つなのですが、タイトルをパクらせていただいたので、こんなタイトルになりました。
 前の投稿をポストしてから思いついたのですが・・・

 要するになぜ「アミダラ死亡説」にこれほどまでに執着するかというと、他にアナキンがダークサイドに落ちる決定的な転機が考えられないからです。少なくともEP1とEP2を見る限り、アナキンのダークサイドは「肉親の喪失への恐れ」がキーだと繰り返ししつこく語られています。EP1でのヨーダの「お前は恐れている」発言とEP2のタスケン虐殺シーンがそれです。
 なので、EP3でアナキンが一線を越えてしまうきっかけ、または決定的な一撃は、どう考えてもアミダラの喪失以外にないでしょ?と思っていた(いる)わけです。
 でも殺しちゃうと辻褄が合わなくなってしまうし、さりとて「隠された」や「偽装死亡」説にもなんとなく納得できなくて・・・
 「隠された」のなら探せばいいでしょ?「決定的な一撃」なんだからもうまったく逃げ場なし!という状況じゃないと、とミーは思うわけです。
 また、「偽装死亡」なら、それほど大切な人の生死をフォースで判らんのか?と突っ込みたくなるし。

 で、今思いついた仮説ですが、「アミダラを殺す」と言われる、というのはどうでしょう!
 むろん、バトル中かなり形勢不利な状況で相手(やはりドゥークーか)に、「次はアミダラを殺す」と言われ、怒りのあまりダークサイドに突入してドゥークーを殺してしまう、というわけ。
 もうお判りかと思いますが、「ジェダイの復讐」のあのシーンです。なんで今まで思いつかなかったんだろう?それともみんなとっくに思いついていて、私が浮かれているのは「いまさら」なんですか???

 どうでしょう、この説?私はもう「わ、決定的♪」と思ってしまったのですが、どうか浮かれているミーを鎮めてください。


仮説まとめ 投稿者:りょう  投稿日: 7月 9日(火)01時27分06秒

 というわけで、今までの私のEP3予想を一度まとめてみます。

1)中盤でアナキンはドゥークーと対決。その場にはシス(パルパティーン)がいるかも。
 対決の最中、ドゥークーに「お前の次はアミダラを殺す」と言われ、逆上したアナキンは遂にダークサイドに転落、ドゥークーを倒す。
 死ぬ間際のドゥークー本人か居合わせたシスに、「ドゥークーはお前の父親だ」と告げられ、ショック倍増、より深くダークサイドに落ちる。(う〜ん、もうドゥークー父親説はどうでもいいかも)

2)ダークサイドに落ちたアナキンはオビ=ワンと対決。
 しかしアナキンは敗北する。この時、オビ=ワンか霊体で現れたクワイ=ガンに対して「助けて」発言あり。しかし「見捨てられて」火口に落ちる。

3)ダース=ベイダーとして復活。シスの忠実な部下となる。

4)なんらかの陰謀によってジェダイが共和国(もしくは既に帝国)の「反逆者」にしたてあげられ、シスの指示によってアナキンはジェダイ狩りを実行する。まあ短い時間にジェダイ全員は殺せないでしょうが、メイス=ウィンドゥ始め、評議会のメンバーはやられちゃうでしょう。むむ、メイスを殺るのはボバかな??ああ、でもまだ子供かぁ。

5)その頃、アミダラは双子の子を産む。
 ルークはタトゥイーンへ、レイアはオルデラーンに隠される。また、ジェダイの生き残りのヨーダはダゴバへ、オビ=ワンはベンと名前を変えてタトゥイーンへ。

 するとラストシーンはダゴバかなぁ。
 全員集まって、「これからどうする」という話をして・・・という終わり方。ルークが「帝国の逆襲」でダゴバに来たとき「懐かしい感じがする」なんて言っていたので、ちとそんなことを考えてみました。

 それと共和国が帝国に移行する時期ですが、アナキンがベイダーになった時、かな?
 パルパティーンが共和制の廃止と帝政の成立を宣言する傍らに、ベイダーが初めて姿を見せる、というのが映像的にインパクトありそうだから。

 ということで、一応オフィシャルサイトの記述とも辻褄は違ってない、と思うのですが・・・
 読んでから後悔しました。読まずに気楽に仮説たてている方がいいな。


ダークサイド・・・。 投稿者:ama  投稿日: 7月 9日(火)12時47分27秒

きっかけについて。
EP2ですでにかなりのきっかけは描かれていると思っています。
何かどでかい事件があって ってのもありですが、そんなものではないと思っています。
様々な疑心暗鬼が積もり積もって もうジェダイなんてってパターンがいちばんありえるし、そういう伏線だらけだなとEP2を見て感じました。
オビ=ワンとの戦いがダークサイドに落ちてからなのかどうかが問題なんですが、僕はこの戦いでジェダイの限界(本当の意味ではなくアナキンの中の認識として)を感じるのではないかと思っています。(ダークサイドに落ちてからとなるとこの考えは意味がありません。)
そういう意味で、EP3では随所にジェダイの無様な姿が描かれると思っています。
EP2でもドゥークー相手に何もできずにやられています。このことはアナキンの中で何かが変わるに値することだと思います。
もう少し善戦させることもできたはずです、それをなすすべもなくやられている点でそう感じるのです。
ましてやその主たるシディアスの強さは想像を絶することになると思います。
ヨーダですら倒すこともできなかったわけですから・・・。(「まだまだ」というようなことをドゥークーがいいますが、このときのドゥークーが本当に余裕を持って戦っていたかも気になるところです。)

EP3予想としてアナキンがドゥークーを倒して・・・、というのが主流のようで、ルーカスも「Title」で確かにそれをによわす様なことをいってますね。
でもこれにも釈然としないものもあるんですよね。
師一人弟子一人だからドゥークーを倒せば弟子にしてやる、という誘いがあるのでは、と予想されている方も結構いますが、それだと旧三部作でヴェイダーがルークを誘うことに疑問を感じます。
皇帝がルークを誘うことはすなわちヴェイダーが不要になったことを意味するからです。

帝国の逆襲でともに皇帝を倒そうとルークを誘うヴェイダー、EP2で同様にともにシディアスを倒そうとオビ=ワンを誘うドゥークー、ともに似たように描かれていますが、この両者の立場にはかなりの違いがあります。双方、方便なのか、それともどちらかは本気なのか。気になるところです。

ジェダイの帰還でヴェイダーはルークにともに戦おうみたいに誘われたとき、一瞬考え込んだ後、私は皇帝には逆らえない、見たいなこといったはずです。(間違ってたらすいません。)これかなり気になってるんです。このあたりもダークサイドに落ち込むポイントになるんじゃないかなって思ってます。

ニルさんの補足について
ダークサイドが強いではなく、たやすいというのは認識しております。
ここではアナキンがどう思うかという点について記述させていただきました。


ダークサイドへの誘い 投稿者:りょう  投稿日: 7月 9日(火)14時42分14秒

>amaさん
>様々な疑心暗鬼が積もり積もって もうジェダイなんてってパターンがいちばんありえる
>し、そういう伏線だらけだなとEP2を見て感じました。

 確かにEP2でドゥークーにコテンパンにされたことは、アナキンの中に何かの変化をもたらしたでしょうね。「結局はダークサイドの方が強いのではないか」という疑いをアナキンに抱かせるには十分すぎる出来事だったでしょう。
 ただ、旧3部作からEP1、EP2で一貫して描かれているのは、アナキンの肉親への情の深さでしょう。彼の転機には必ず肉親が絡んでいる。
 「帝国の逆襲」でルークに父親だと打ち明けてルークに逃げられたとき、ベイダーはルークを逃がしてしまった提督を見逃しています。それまでは失敗した部下をフォースで殺す場面は多々あったのですが、このルークの対決を機にベイダーは誰も殺さなくなります。「ジェダイの復讐」でも直接手をかけて殺した人物はいません。
 また、「ジェダイの復讐」でベイダーがライトサイドに帰還したのは、息子のルークの危機が動機でした。
 EP1ではヨーダに、「母と離れた怖れ」を指摘されて将来のダークサイドへの転落を示唆されています。
 EP2では母シミの死によってダークサイドに強く傾斜してしまいました。
 ということは、EP3でアナキンのダークサイドへの転落に、肉親(おそらくアミダラ)が絡む何か事件が起こる、と考えることは極めて自然だと思います。

 オビ=ワンとの対決がダークサイド転落前か後かについては、オフィシャルサイトを読む限り・・・やめとこ。ニルさん読んでるかもしれないし。

>師一人弟子一人だからドゥークーを倒せば弟子にしてやる、という誘いがあるのでは、と
>予想されている方も結構いますが、それだと旧三部作でヴェイダーがルークを誘うことに
>疑問を感じます。
>皇帝がルークを誘うことはすなわちヴェイダーが不要になったことを意味するからです。

 「帝国の逆襲」ではベイダーがルークを誘っています。
 これは「2人でパルパティーンを倒して銀河を支配しよう」ということで、ベイダーはパルパティーンを卒業、ルークがベイダーの弟子に、ということです。
 また、「帝国の逆襲」でもベイダーがパルパティーンに「ルークを味方に加える」と進言するシーンがありますし、「ジェダイの復讐」でもパルパティーンはルークをダークサイドに引き入れようとしますが、それもベイダーはパルパティーンを卒業、ルークがベイダーの弟子に、という図式ですね。
 その時ベイダーは「皇帝には逆らえない」と「帝国の逆襲」の時とは裏腹に弱気なことを言っていますが、それはルークから「一緒に皇帝と戦おう」と誘われたときのセリフで、「ライトサイドには戻れない」という意味だったと思います。「皇帝には勝てない」という意味ではなかったんじゃないかと。
 でも、その時の間とか見ると、一瞬「ライトサイドに戻りたい」と思ったけど、「今まで悪行の限りを尽くした自分が戻れるわけがない」と思い直した、というように私には見えたりします。
 ここで「戻りたい」と思ったからこそ、ルークの危機に際してパルパティーンを倒したときに、ダークサイドから解放されたのでは?と感じています。「ルークと2人で銀河を支配しよう」という企みのままだったら、あそこでパルパティーンを倒してもライトサイドには戻れなかったと思うのですが。

 ドゥークーがオビを「共にシスを倒そう」と言うのは、完全に嘘八百の方便でしょ。

 長くなるのでこれは次にします。


ドゥークーの誘い 投稿者:りょう  投稿日: 7月 9日(火)14時53分50秒

 下の続きなんですが、ドゥークーがオビを「共にシスを倒そう」と誘うのは、これもシスの陰謀の1つなのではないか?と考えています。

 つまり、パルパティーンにすれば、どこかで「ジェダイ狩り」をやりたいわけです。邪魔者ですから。
 ただ、ひたすら政略でもって合法的に事を進めているパルパティーンが、ジェダイ狩りだけ問答無用にやるとは考えられません。元老院を解散したのすら、EP4になってからですしその時ももっともらしい理由を付けています。
 ということは、「ジェダイ狩り」をするためにはどこかでジェダイを「反逆者」にしなければならないわけです。
 ドゥークーの「共にシスを倒そう」という誘いに乗るということは、独立星系連合に入るということで、これは文句なしに「反逆者」という汚名を着せる理由になるでしょう。
 まあこの時点でオビがこの誘いに乗るとは、シス側も期待していなかった節がありますね。ラストでは「全て予定通り」なんて言ってますし。
 勧誘が失敗しても、ジェダイ側に「シスが共和国の中枢部にいる」ことをリークすることによって疑心暗鬼にさせる効果は期待できるし、どっちに転んでもOK、ということだったのでは。

 EP3では、ジェダイ側の誰かが遂にシスの罠に落ちて「反逆者」になってしまうはずなんですが、誰が罠にかかるかと考えたらやっぱアナキンが一番可能性が高いですよねぇ・・
 アナキンが罠に落ちてジェダイに「反逆者」の汚名を着せてしまい、アナキン転じたベイダーがジェダイ狩りを実行する・・・なんてえげつないんだ。


Re:ダークサイドへの誘い 投稿者:ama  投稿日: 7月 9日(火)15時26分38秒

> ということは、EP3でアナキンのダークサイドへの転落に、肉親(おそらくアミダラ)が絡む何か事件が起こる、と考えることは極め>て自然だと思います。
これは僕も同意するところです。
しかしアミダラが直接的原因ではないと思いたいのです。
アミダラに危機がおちいり・・・という展開が僕の中にすんなり入ってこないってのがあります。
問題は誰がアミダラに危害を加えるのかということです。
シスの側ではなんかおかしい気がするんですよね。
これは「ジェダイの帰還」のときに猛烈に感じていたのですが、ルークを誘うのにルークの仲間に危害を加えルークをダークサイドに引き込むってのがおかしいような気がするんですよ。
ここでもしルークが怒りを爆発しダークサイドに転落しても結局その怒りの発端は皇帝にあるわけで、皇帝に仕えるようになるってのが不自然でなりません。
それを考えるとシス側がアミダラに危害を加えたとすると、現状のアナキンの性格からするとその怒りはそのままシスに向かうように思います。つまりダークサイドには転落しても旧三部作での従順な態度はなくなるのではないか?(上記に記述したようにジェダイの帰還で皇帝はそうやってルークを誘ってるんで今回もこれでってことはありえる話ですが・・・。)
ここで皇帝がドゥークーのせいにしてアナキンにドゥークーを殺させ、自分の弟子にするってこともあるんですが、その後ジェダイを皆殺しにする皇帝が、むざむざここでシスを一人殺すとも思えないんです。
ジェダイのせいにするのかなあ。そうするとヴェイダーによるジェダイ狩りにつながるなあ。でもどうやってジェダイのせいにするんだろう。

> その時ベイダーは「皇帝には逆らえない」と「帝国の逆襲」の時とは裏腹に弱気なことを言っていますが、それはルークから「一緒に皇帝と戦おう」と誘われたときのセリフで、「ライトサイドには戻れない」という意味だったと思います。「皇帝には勝てない」という意味ではなかったんじゃないかと。
> でも、その時の間とか見ると、一瞬「ライトサイドに戻りたい」と思ったけど、「今まで悪行の限りを尽くした自分が戻れるわけがない」と思い直した、というように私には見えたりします。

これだとこの時点で心はライトサイドに戻っていますね。ぼくもこの時点でライトサイドに戻っていると思っています。
で、なぜ皇帝には逆らえないといったのかが気になるんです。何か物理的なものがあったのか?
りょうさんのおっしゃるように「今までの・・・」といった感情も否定できなくはないのですが、なんか釈然としません・・・。ここがどうやってダークサイドに落ち皇帝の手先となるのかのポイントでもあるような気がするんですが、考えすぎかなあ?


> ドゥークーがオビを「共にシスを倒そう」と言うのは、完全に嘘八百の方便でしょ。

これどっちかっていうとヴェイダーのほうが嘘八百だと思っています。
ドゥークーのほうが本気半分はいっているような気がするんですが・・・。
でも現段階でドゥークーを語るには描写が少ないと思っています。
感情としてドゥークー=父親 はあってくれるなって思ってます。


続ダークサイドへの誘い 投稿者:りょう  投稿日: 7月 9日(火)17時17分22秒

>amaさん
>これどっちかっていうとヴェイダーのほうが嘘八百だと思っています。
>ドゥークーのほうが本気半分はいっているような気がするんですが・・・。
>でも現段階でドゥークーを語るには描写が少ないと思っています。

 「ジェダイ狩り」の予告または伏線として、「ドゥークー嘘八百」は理屈が合いますし、ラストのパルティーンとの会話もそのあたりを裏付けているように思います。
 従って、現時点でドゥークーのオビに対する誘いの意味は、十分描写されているように思います。
 また、ベイダーのルークに対する誘いの方ですが、「私にお前を殺させるな」というセリフやルーク逃亡後の明らかなベイダーの変化(部下を殺さなくなる)ことから、息子と相対してベイダーに変化が起こったことも十分に描写されていると思います。
 すなわち、あの場面の「共に皇帝を倒そう」が嘘八百だとすると、ベイダーがあれ以降ライトサイドに戻り始めているとは言えなくなってしまい、描写と矛盾が生じてしまいます。
 よって、ベイダーの誘いは本気、ドゥークーの誘いは嘘八百(陰謀)ということは、映画の描写からはほぼ疑いがないように思えます。

>感情としてドゥークー=父親 はあってくれるなって思ってます。

 あるかもよ〜。

 ドゥークーの役回りが上に述べたようであり、さらにEP3ではアミダラの生命を脅迫することによってアナキンがダークサイドに落ちるとどめの一押しをする、というものであれば、それ以上「父親」という設定はないかもしれません。必要ない、と思えるので。
 でも、そうでなければドゥークーには「アナキンの父親」という設定でも背負わさないと、プロット上での役割が軽すぎますね。EP3では2時間そこそこの上映時間の間に一気に旧3部作に繋げる展開でいかなければならないので、そんな「軽い」キャラを出す余裕はないはずです。


続々ダークサイドへの誘い 投稿者:りょう  投稿日: 7月 9日(火)17時38分04秒

>amaさん
>ここでもしルークが怒りを爆発しダークサイドに転落しても結局その怒りの発端は皇帝に>あるわけで、皇帝に仕えるようになるってのが不自然でなりません。

 ダークサイドに落ちる、ということは「肉親や親しい人との絆が切れる」ということではないでしょうか?なので落ちた後までは「肉親を脅かされる怒り」は持続しない、のではないでしょうか。
 言うなれば、EP2でのアナキンはシミを殺された怒りでダークサイドに強く傾斜します。 激しすぎて自分でも制御できない怒りや悲しみといったものがダークサイドに近くなる、ということは、一種の逃避ですよね。逃避してダークサイドに近づくということは、落ちてしまえば一種の平安が得られるのではないでしょうか。肉親や愛する者への情を捨ててしまえば、それを奪われることに対する怒りや悲しみからは逃避できますから。

 ということは、パルパティーンやベイダーは、ルークがダークサイドに落ちる前のその怒りが自分に向けられたものでも、落ちてしまった後もその怒りが自分に持続して向けられることはない、ということを知っているのだと思います。
 ま、落ちる前と落ちた後で連続して感情を持続できるとすれば、「ダークサイドに落ちるってなにさ」ってことがますます判らなくなりますし・・・

 なので、「帝国の逆襲」でベイダーがルークに「私にお前を殺させるな」というセリフを吐くのが、今更ながら重大な意味を持つと思えるのです。
 あのとき、ベイダーは「肉親への情」を取り戻しかけていたわけです。つまりそれはライトサイドへ戻る1歩を踏み出していた、ということではないでしょうか?だからベイダーはその直後、ルークを取り逃がしてしまった提督を殺さなかったし、「ジェダイの復讐」でも部下を誰も殺さなくなったわけです。

>で、なぜ皇帝には逆らえないといったのかが気になるんです。何か物理的なものがあったのか?

 ふと我に返って自分がやってきたことを思えば(そもそもそれがライトサイドに戻りつつある、ということですが)、「じゃ、やめてライトサイドに戻る」とは言えないし思えないでしょう。
 自分のやってきたことを考えたら、「もう自分は許されない」=「ライトサイドには戻れない」と思うと思いますよ。良心を持った人間なら。
 なのでその時点では「ルークと組んで皇帝を倒し、銀河を支配する」という考えは捨ててしまっていると思えますが、さりとてルークと共に皇帝を倒すこともできない。
 つまり、あのときのベイダーの気持ちは、「ルークと戦って殺されることが自分の唯一の道」だと思ったのではないでしょうか。

 どうでしょうか?


ドゥークーの陰謀 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月 9日(火)23時59分16秒

>ドゥークーがオビを「共にシスを倒そう」と言うのは、完全に嘘八百の方便でしょ。

私はりょうさんの意見に賛成します。シディアスのことを意図的にリークして、これを評議会に持ち帰らせる。サイフォ=ディアスと同様に、ジェダイ評議会に対する情報操作、疑心暗鬼を生み出す心理攻撃でしょう。ドゥークーはオビ=ワンを殺せたのに、わざと殺さず生かして逃がしたと思われます。


ダークサイドへの誘い考 投稿者:キーノ  投稿日: 7月10日(水)23時29分56秒

amaさん、そしてりょうさん、初めまして。キーノと申します。初めてですが、以前の
書き込みを拝見して面白い視点だな〜と思い、投稿しました。
>>amaさん
>>ここでもしルークが怒りを爆発しダークサイドに転落しても結局その怒りの発端は皇帝
>>にあるわけで、皇帝に仕えるようになるってのが不自然でなりません。

> ダークサイドに落ちる、ということは「肉親や親しい人との絆が切れる」ということで>はないでしょうか?
私も「絆」には注目していましたが、アナキンがクローンだと言う説で、より私は妄想しまいました。
「愛なく生まれた子」(=クローン)は愛を渇望してやまない。愛こそアナキンの最大のトラウマなのだ、と。

アナキンは完璧なクローンとして何らかの形で、父も母もなく創造されたと考えます。
遺伝子の完全性のせいで、完全に近い存在の皇帝に傾倒する。(自分がクローンであることには無意識的にしか気づいていない)
しかし自分が何者であるのか(クローンであることの予感)考える時、アナキンは拠り所のなさに不安になる。ヒトとして生きたいと、本当の人間以上に、「絆」への思いに無意識に執着してしまう。(ここが完全なクローンを創造した人物にとっては誤算だった。)
それ故「絆」を求めてパドメを「絆」(=ヒトであること)の理想型として一目会った時(Ep1)から追い続けてしまう。

故にアナキンは、ヒトとの関係でこそ自分を保てるのだと言えるのでは?。ある意味、皇帝との関係もヒトとの「絆」の一つなのではないでしょうか?
>>なぜ皇帝には逆らえないといったのかが気になるんです。何か物理的なものがあったのか?
つまり皇帝は、アナキンにとって父親像の理想型そのものなのでは?(父の無いアナキンにはそのように映るのではないでしょうか)
よってパドメは母の理想かも(シミが居りますが・・・)。

この点に於いて、アナキンは不完全であり、脆弱で非常に不安定なのでは。
(クローントルーパーはこのようなことでは恐らく悩まないクローンらしいクローンであるのだろうと思います。)

>なので落ちた後までは「肉親を脅かされる怒り」は持続しない、のではないでしょうか。
>肉親や愛する者への情を捨ててしまえば、それを奪われることに対する怒りや悲しみから>は逃避できますから。
愛する者を脅かされる不安のない、つまり父も母もない存在こそ、完全なクローンを創造しようとした人物の理想だったと想像します。(誤算は、育ての親シミの無限の慈愛かも。クローンのアナキンが「絆」を学んでしまった!)
しかし、パドメを何らかの形で失い、オビ=ワンとも何らかの形で仲違いすることで、残る「絆」は皇帝のみとなってしまう。

>「ダークサイドに落ちるってなにさ」ってことがますます判らなくなりますし・・・
私は、アナキンはダークサイドに落ちたのではなく、ダークサイドの側に付いたというように想像しています。成り行き(=運命)がそれ以外の道を許してくれなかったのではと。
完全なクローン故に持ってしまった、不完全な“人間”への「絆」。

>つまり、あのときのベイダーの気持ちは、「ルークと戦って殺されることが自分の唯一の道」だと思ったのではないでしょうか。
私はやはりクローンでしかないのだと、ベイダーがまさに「逃避」に傾いた時、つまり人間の父としてルークの前に立つ自信が持てず、消え入りそうな時、死こそ我が道とベイダーは思ったのかもと、私もりょうさんのこのくだりは、別のとらえ方かもしれませんが共感しました。
では、長々と駄文、失礼しました。


根底にあるのは自信過剰? 投稿者:siduka  投稿日: 7月11日(木)07時07分54秒

はじめまして。
あまりの面白さに一から夢中になって過去ログを読んでしまいました。
今後ともよろしくお願いします。

さて、すでに何度も取り上げられているとは思いますが、アナキンのダークサイドへの転向には"愛"や"絆"といったファクターが、きっかけとして大きくあると思います。
が、それに加えてアナキン自身の自信過剰というか、「オレはジェダイ最強」という思いがあるのではないでしょうか。

Ep2でシミが死んだ直後、アナキンはなぜ自分が母親を助けられなかったのかと激昂します。パドメは、「時にはどうにもならないことがあるのよ」と言ってなぐさめていますが、アナキンはさらに続けて、自分は全能、ジェダイ最強であるべきで、人が死ぬのすら止めてやると言い、さらにオビワン(つまりジェダイ)を批判します(このシーンでは、皇帝とダースベイダーのテーマが流れてるんですよね)。

このときはパドメという支えがいて、愛をはぐくむことができたんですが、おそらくEp3でアナキンは、「パドメの喪失」に直面するのでしょう。
Ep3時点でアナキンはEp2よりもはるかに強く成長しているでしょうし、シミを助けられなかったから今度こそという思いがあるのに、助けられないわけです。
しかも、オビワン(ジェダイ)が妨害して、アナキンが助けられたのにできなかったと思うような状況でになるんじゃないでしょうか。
たとえば、通商連合や分離主義者との戦争が続いていて、ジェダイオーダーやオビワンの命令で、任務としてどこかに行ってる間にパドメが殺される(あるいはそう誤認する)とか。

そういったジェダイ憎しというところで、パルパティーンという新たな支えが登場するのではないでしょうか。
しかも、ジェダイでは最強になってもなしえなかった、人の死すら止める力を秘めたダークフォースという力を携えて・・・。

それとあらためて観なおして気になったというか、気づいたことが2つありました(すでにみなさんお気づきかもしれませんが)。

まず、アナキンは独裁制を肯定してるんですよね。
ナブーでパドメといちゃついてるときに(笑)、いまの政治システムはよくない、強制的なまとめ役が必要だと主張して、パドメにそれじゃ独裁制じゃないって批判されても、それで機能するならいいと言い切ってます。
このあたりもアナキンがパルパティーンに傾倒する一因なのかなぁと思います。
Ep2終了時点では、通商連合や分離主義者と共和国の対立は残ったままです。
アナキンはそれを終息させるには、パルパティーンが強力な権限を持って強引に引っ張っていくのもやむなしと感じるのでは。
特にパドメを殺したのが通商連合や分離主義者で、ジェダイ・オーダーがアナキンを妨害してそれを止めさせなかった場合には、なおのことでしょう。私怨もあるわけですから。
しかもパルパティーンがそれをうまくまとめて、さらに心酔するのではないでしょうか(もちろん、通商連合も分離主義者も裏でシディアスが操ってるので、うまくいかないはずがないんですけども)

あと1つは、ナブー行きの前にアナキンがパルパティーンに謁見するところで、パルパティーンが「いずれ君は自分のフィーリングを信じるようになる。そうなれば無敵だ。マスター・ヨーダすら超える最強のジェダイになるだろう」というようなことを、アナキンに発言してます。
Ep3を予見させるようなセリフだなぁと思ったんですけど・・・深読みでしょうか(^^

ちょっといろいろと主張を詰め込みすぎて、うまくまとめきれてませんが・・・(アセアセ


暗黒堕ち 投稿者:nao  投稿日: 7月19日(金)18時48分59秒

ダークサイド転落に関する私の仮説1

>「アナキンがドゥークーを倒す」→「ドゥークーに代わってパルに弟子入り」
の時点でも良いのですが,ここではまだ決定的ではないと考えています。
もちろん,ここでダース・ヴェイダーと呼ばれることになるとは思いますが,
機械の体になり,マスクを被った時点が,我らがヴェイダー卿としての完成の時だと思う。

ヴェイダー卿が最強の敵役足りえている要素は二つある。その前の暗黒卿達は彼に比べて弱いと言える。
1.ヴェイダーという名による呪縛
2.仮面劇としての要素,人間に対する人工的存在と言い換えても良いですが。
旧三部作の生き物万歳!と言う姿勢と,EP2やEP2のドロイデカ,クローンなど人造物重視という姿勢の違いから,自然VS非自然という図式もあると思う。
機械の体となり,人間とは遠のくから絶対悪に近い存在となる。

ヴェイダーがジェダイに戻った過程からそのように考えます。
1.ルークからアナキンの名で呼ばれ,名による呪縛が揺らぐ(父と息子の情も絡むけど)
2.ルークに右腕を切られ,機械の体を露出,あるいは一部失うことにより善なる心が蘇る
3.ルークにマスクを外して貰った時点で,善なるジェダイへと完全回帰

とすると,オビと対決して火口落ちしなければヴェイダー卿としては完成しない。
まあ,ここには他の要素も絡んでくるし,現実にはオビとの対決前にシスになるとは思います。
シスになっているからこそ,かつての師と対決しなければならないのだし。
ヴェイダーは,他のシスとはひと味違う,という観点に立っての推論です。

と,ここまで書いてまた考えた。順番逆かも知れない。(仮説2)
1.オビとの感情的対立が何かの形で吹き出し(パルの誘導),結果火口落ち
2.生き続けるためには機械の体と暗黒パワーが必要
3.正体をさらけ出し弟子にと誘うシディアス(パルと明言するのは避けておきます)
4.ヴェイダーの名を貰う
あれ?ドゥークーとの対決が抜けちゃった。
しかたない,メイスにでも倒して貰いますか,花を持たせるために

やっぱり,ドゥークーとは対決して貰いますか(仮説3)
1.ドゥークーと対決し倒す。この強敵を倒すには暗黒パワーが必要,パドメが絡むか?
2.「暗黒面を受け入れよ」との皇帝の言葉に心揺らぐアナキン
3.Anakin Nooooのオビの制止,対決,オビ一人では持て余すが,そこに霊体のクワイ登場

ううう,妄想がフル回転しだしてますので,この辺で


re:暗黒墜ち 投稿者:りょう  投稿日: 7月19日(金)19時06分21秒

 今回はライトサイドモードです。いちいち説明しないと自分でも混乱しそう。

>naoさん
>>「アナキンがドゥークーを倒す」→「ドゥークーに代わってパルに弟子入り」
>の時点でも良いのですが,ここではまだ決定的ではないと考えています。
>もちろん,ここでダース・ヴェイダーと呼ばれることになるとは思いますが,
>機械の体になり,マスクを被った時点が,我らがヴェイダー卿としての完成の時だと思う。

 あ、ちゃいますよ。
 私は「ダークサイドへの転落」と「ダース・ベイダーへの転生」は分けて考えてます。
 つまり、オビと対決する時点では、既にアナキンはダークサイド側の人間であり、「シス」ではありますが、「ベイダー」ではないんです。仮面も被ってない。目つきは今より悪くなってるでしょうが・・・
 なのでこの時点では「シス」ではあるのですが、まだ「ダース・ベイダー」というシスとしての名前は持っていない、と思います。
 で、naoさんの言われるとおり、オビに負けて仮面姿で復活したときが我らがベイダーの完成の時、だと思います。
 まあこの2つのエピソードが時間的に近いので、素顔のアナキンとしてのシスの名前はない、というパターンじゃないのかなぁ。名前付けてもらう前にオビと決闘して・・・ということじゃ。


ダースベイダー 投稿者:マンナ  投稿日: 7月28日(日)10時28分10秒

アナキンがダースベイダーになったのはやっぱり「さみしさ」以外にはないと思います。オビワンよりも高い能力を持つアナキンは、オビワンを父親のように慕ってはいるものの、とても慕っているゆえに自分のことを理解しきれていないオビワンをとても歯がゆく思い(天才の悲しき性)、一人残してきた母親を自分の目の前で死なせた悲しみ、パドメとの禁断の愛、、、天才ゆえの感受性の強さ、自我の強さに押しつぶされてしまったんですね。それを助けてくれた、同じく天才のシス。初めて自分の理解者が現れたわけです。かなしみといえども、たかがかなしみではないと思います。理解者のいなかった辛さ、父親がわりに理解してもらえなかった悲しさ、相当なものだったと思います。その後ダースベイダーとなったアナキンはただ利用されているだけなことに気はつくが、それよりも自分の理解者がいることの方が大事だった。さみしさゆえに、善と悪を見分けられなかった。ダースベイダーになり誰からも怖がられる自分。もう虚勢をはり、自分を閉ざしてしまう他なかった。そこで悪のダースベイダーのイメージが出来上がります。そして、、、最後にルークが現れる。本当の理解者。やっとさみしさから本当に救ってくれる人に出会ったわけです。肉親の大事さがよくわかりますね。母親を失った悲しみを自分の子供に救われる。今までの理解者シスを放り投げるまでの間、ベイダーの中ですごい葛藤があったでしょうね。こういうものを観て思いますけど、善と悪って表裏なんですよね。悪ってほんとせつないなって思います。


4 暗黒面の素晴らしさ


暗黒面のすばらしさとは? 投稿者:チイサイコエ  投稿日: 7月20日(土)09時17分04秒

 既に語られていることならごめんなさい。

「暗黒面のすばらしさ」とは具体的にどんなものでしょう?
それは”不死”ではないかと言う仮説を立ててみました。

 アナキンは、シミの死、パドメの死(多分)を目の当たりにし、死の苦痛から
逃げたい。その時暗黒面の真の姿=”不死”を知り、暗黒面に傾倒して行く。
 暗黒面がもたらす”不死の術”は、それを操る者はもちろん他人に対しても有
効で、意中の者にも不死をもたらすことが出来る。
 ところが不死を操れるのは暗黒面を極めた者だけだと知りシディアスの弟子と
なる。
 既に死んでいる者を復活させることは出来ない。アナキンの野望は自分の大切
な人をこれ以上失いたくないと言う想いだけだ。
「不死こそが心に安息をもたらす」と。

 とまぁこんな風です。
 こちらの掲示板に参加させていただいていろんな事をあれこれ考えていますが、
「ジェダイが世界に数千、数万人居るであろうと言う事実に対し、シスはなぜ数
を増やそうとしないのか」という疑問があります。
 シディアスはジェダイをも有していない特別な力があってそれを独占したいと
思っている。それが不死の術ではないかというのが目下の答えです。
 火口に落ちて死にかけていたベイダーも不死の術によって”生かされた”。
 政治的野心が希薄と思われるドゥークーが、既に相当の強さを有していながら
シディアスに仕えるのも、年老いた自分が不死の恩恵にあずかるか、自ら不死を
操ることのどちらかを目的としていると考えればすんなりいくかなと。


 一方で不死の術は”不老”には効き目がない。(だから皇帝はしわくちゃ。動
きももっさり)
 老いるのに死なない。これは命の”バランス”を崩す行為だ。
 方やジェダイは死を受け入れる。いや、それだけではなく死を操るシス(死す)
を見張る。ジェダイは死の番人なのです。
 遺体を火葬する事はそれを象徴しているのかも。
(ちなみにシミは土葬っぽいですよね。アナキンが復活を願っているから???)

 皇帝は最後に死にます。不死の術を操りながらも死にます。つまり「不死の術
を操る者の死はフォースによってのみもたらされる」訳です。
 このことを知っているシディアスは、死の番人であるジェダイを根絶やしにし
ようとし、かつ反乱分子を作らないために黒の戦士を多く育成しようとしない。
 代わりに政治的な権力を操ることで身の回りを固めようとしたのではないで
しょうか。

 ただ一点。怒りや不安に身を任せることがどのように暗黒面=不死に繋がるのか
がまだ見えてません。


猜疑心こそダーク・サイドの源 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月20日(土)10時50分37秒

>チイサイコエさん
>「シスはなぜ数を増やそうとしないのか」という疑問があります

拙著「新三部作完全解読本」P71-74を参考にしてください。簡単にいえば、数を増やした結果、内部抗争が勃発し、ダース・ベイン一人以外、全員死亡したという歴史があるからです。
 ダーク・サイドでは、ジェダイと異なり欲望のコントロールに厳密でない。自分がトップに立とうという欲望を誰もが持ってしまうのでしょう(『帝国の逆襲』のヴェイダーもそうですが)。

 以前、「クローン・トルーパーのもと遺伝子として、シディアス自身の遺伝子を使わなかったのか?」という質問が出ていましたが、それも同じ理由と考えられます。反抗心の遺伝子をつぶして従順な兵士を作っているとは言っても、自分で判断して行動するという特性がある以上、絶対裏切らないという保証はない。そうなったときに、あまりに強い兵士だと、手がつけられなくなってしまう。それと、クローン・トルーパーに狡猾さ、ずば抜けた頭の良さは必要ない。強靭な肉体とあるていどの判断力があれば十分なのでしょう。

>パンフレットの人物紹介覧にシディアスが載っていないのはどういうことか!!!

EP2の公開前までは、オフィシャル・サイトのデータ・バンクの項目に、「ダース・シディアス」の説明がなかったのです。ある意味、パルパティーンとシディアスが同一人物であることを説明しているとも思われます。同一人物なのに、別々の人間として紹介するのはおかしいので。

>ジェダイも数には勝てないと言うのがこのシーンのポイントではないでしょうか。

当然そのとおりです。メイスの言った、「ジェダイは軍隊ではない」の映像的表現です。


Re:猜疑心こそ 投稿者:チイサイコエ  投稿日: 7月20日(土)11時19分02秒

樺沢さま
>>拙著「新三部作完全解読本」P71-74を参考にしてください。簡単にいえば、数を増やした結果、
>>内部抗争が勃発し、ダース・ベイン一人以外、全員死亡したという歴史があるからです。
>> ダーク・サイドでは、ジェダイと異なり欲望のコントロールに厳密でない。自分がトップに立
>>とうという欲望を誰もが持ってしまうのでしょう(『帝国の逆襲』のヴェイダーもそうですが)。

 私は本を読んでいないのでその辺理解していないのですが、上記のことは劇中では一度も
説明されていませんよねぇ?
 スピンオフを別物と捉えるとすると上記の説明では満足がいかないのです。
 後半の”欲望を誰もが持ってしまうのでしょう”には賛成and納得です。


猜疑心 投稿者:樺沢紫苑  投稿日: 7月20日(土)11時32分45秒

>チイサイコエさん

 まず読んでください(笑)。
 この設定は、スピンオフが初出ですが、オフィシャル・サイトのデータバンクの「The Movie」に書かれています。したがって、現在は公式設定ということになっています。

 劇中の描写だけを考えても、シスが仲間を増やさないのは当然のように思えます。ヴェイダーはルークに力を合わせて皇帝を倒そうと言う。ドゥークーはオビ=ワンに力を合わせてシディアスを倒そうという。今まで、三人登場しているシスの弟子の中で、謀反の心が描かれなかったのは、ダース・モールだけです。これ以上、弟子を増やしたらどうなるかは、明白でしょう


re:暗黒面の素晴らしさ 投稿者:マスター・りょう  投稿日: 7月20日(土)14時54分26秒

>チイサイコエさん
>「暗黒面のすばらしさ」とは具体的にどんなものでしょう?
>それは”不死”ではないかと言う仮説を立ててみました。

> ただ一点。怒りや不安に身を任せることがどのように暗黒面=不死に繋がるのか
がまだ見えてません。

 それはそもそも「暗黒面=不死」という仮説が間違っているから、だと思うのですが・・・

 まず、「暗黒面の不死の術」という描写はEP2を含めて過去の5作品には全く出てきません。
 それに「アナキンが死を恐れている」描写もEP2ではまったくありません。それどころか何があっても自分だけは死なない、心のどこかで固く信じているようですらあります。アナキンはまだ「死の恐怖」を知りません。(EP3で知ることになるんだろうな)
 さらに、「誰かのために」ダークサイドに入る、という設定が根本的に矛盾しているであろうことは、過去5作で丁寧に描写されています。他人との絆を断ちきったところからダークサイドが始まるのですから。

 さらに今までにシスとして死んだ2人(パルとモール)は、共に「フォース」によって死んだのではありません。モールはセイバーで切られ、パルはアナキンに投げ落とされたのです。
 ちなみにセイバー戦が「フォースによる闘い」ではないことは、ライトセイバーはジェダイでなくても扱えること(EP5のソロ)、EP2でドゥークーがヨーダに「フォースでは決着がつかない」と言ってセイバー戦を挑むことから明らかだと思います。自分の運動能力や反射神経の向上にフォースは使っているかと思われますが、フォースを攻撃手段としては使っていないです。
 どちらにしても、この2人に「不死の術」がかかっていたとはとても思えません。

>死を操るシス(死す)

 いや・・・だから英語の名詞を日本語で語呂合わせするのは・・・

 「ダークサイドの素晴らしさ」とは「怖れなくて済むこと」ではないですか?
 例えば、肉親を失うことを怖れるならば、その絆を断ちきってしまえば、もう怖れる必要はなくなるわけです。
 つまり一言で言って「墜ちてしまえば墜ちることはもう怖くない」という単純なことです。

 さらに言えば、ジェダイは「ダークサイドに墜ちる」ことを怖れている。怖れているから戦うときに必要となる感情である敵対心や憎悪を抑えなくてはならない。なので「戦士」ではなく「騎士」なのです。
 反してダークサイドに墜ちたら、もう墜ちることはないわけでこれらの感情を制御する必要はありません。思う存分戦えるわけです。そりゃジェダイよりシスが強いのは当たり前です。

 ダークサイドの素晴らしさがお判りいただけましたか?
 ほらほら、そこの貴方もダークサイドって魅力的ぃ、って思ってるでしょ。

 ・・・は、いかん。つい正体を現してしまった。
 後半部分は「ダース・りょう」とHNを代えねばならんかったわい。


あれ? 投稿者:アヤノコウジ  投稿日: 7月20日(土)16時26分07秒

>さらに言えば、ジェダイは「ダークサイドに墜ちる」ことを怖れている。怖れているから戦うと>きに必要となる感情である敵対心や憎悪を抑えなくてはならない。なので「戦士」ではなく「騎>士」なのです。
>反してダークサイドに墜ちたら、もう墜ちることはないわけでこれらの感情を制御する必要はあ>りません。思う存分戦えるわけです。そりゃジェダイよりシスが強いのは当たり前です。

いや、これは驚いた。シスの方が先に滅亡の危機にあったというのに。
また、これでは、シディアスがここまでの忍耐の末に(アナキンにも通じるが)ジェダイを追い詰めてきたストーリーそのものは何なのでしょう。


シス 投稿者:マスター・りょう  投稿日: 7月20日(土)17時23分32秒

>いや、これは驚いた。シスの方が先に滅亡の危機にあったというのに。

 別にシスが「滅亡の危機にあった」なんていう記述はどこにもありませんが?
 1000年前のシス大戦では、勝手に殺し合って仲間を減らしたわけですし、その後「シスは常に2人」というルールが確立してからは、ジェダイにも隠し通してきたわけですから「危機」どころかこの先シスにはいい材料しかないです。事実、そのとおりになりますし。
 さらに言えば、シスには「滅亡」するかしないかはどうでもいいわけでしょ。自分が滅ぶか栄えるか、それだけでしょう。だからこそその昔、ベイン1人を残して滅びたのです。
 「シスは2人」というその「2人」すら、自分のみの利益しか考えないシスには多すぎたくらいで、事実「シスは常に1人」というルールをベインが作っていたとすれば、パルは銀河を征服していたかもしれませんな、極端な話。

 また、「忍耐」といっても特にパルやドゥークー、ベイダーが「忍耐」している描写なんて心当たりはないのですが・・・敢えて言えばEP1でモールが「今こそ復讐の時」なんていうセリフから、それまで耐えて潜伏していたのかな、ということがおぼろげに推察できるくらい。
 パルやベイダーが「忍耐」している、またはしていた描写なんてありましたっけ?

 パルが共和国最高議長になってから全権委任されるまで10年かかっているわけですが、確かにそれだけじっくりと時間をかけて陰謀を巡らせるなんて「忍耐強い」やっちゃな〜、とは思います。
 でもそれは自分の野望のための手駒や条件が揃うのを待っているだけですから、ジェダイが自分の感情を制御しようと努力するのとは次元が違う話だと思いますよ。


暗黒面はすばらしいです1 投稿者:チイサイコエ  投稿日: 7月20日(土)17時56分11秒

マスター・りょうさま
レスをどうもです。

 分量が多すぎて書き込めませんでした。2つに分けますね。

>> それはそもそも「暗黒面=不死」という仮説が間違っているから、だと思うのですが・・・

 ウヒャッ。モールよろしくズバットやられました(笑)。
 手加減して下さい。こちらはまだジェダイ入門者なのですから(汗)。


>> まず、「暗黒面の不死の術」という描写はEP2を含めて過去の5作品には全く出てきません。
>> それに「アナキンが死を恐れている」描写もEP2ではまったくありません。それどころか何が
>>あっても自分だけは死なない、心のどこかで固く信じているようですらあります。アナキンは
>>まだ「死の恐怖」を知りません。(EP3で知ることになるんだろうな)

 過去5作品に出てこないどころかEP3でも出てこないでしょうね(爆)。ただ皇帝の存在
その物がメッセージと受け取れなくもないなと。
 EP2のアナキンは死を恐れていないというより死という物がピンときてない感じがします。
 シミの死によっていきなり死を突きつけられ喪失感と無力感に襲われますが、彼の中では
その感情に対する恐怖こそが死の恐怖以上の物ではないかと。
 彼はベイダーになっても自分の死に関しては無頓着で、誰かに殺されるのならそれでも良
いとすら思っている。けどもうあんな思いはまっぴらだと。


>> さらに、「誰かのために」ダークサイドに入る、という設定が根本的に矛盾しているであろうことは、過去>>5作で丁寧に描写されています。他人との絆を断ちきったところからダークサイドが始まるのですから。

 丁寧な描写って具体的にどのような部分でしょうか? うっかり見逃している可能性大なの
で教えて下さい。
 また”他人との絆を断ちきったところから”っていうのはどの辺がヒントになりますか?


>> さらに今までにシスとして死んだ2人(パルとモール)は、共に「フォース」によって死んだのではありませ>>ん。モールはセイバーで切られ、パルはアナキンに投げ落とされたのです。
>> ちなみにセイバー戦が「フォースによる闘い」ではないことは、ライトセイバーはジェダイでなくても扱え>>ること(EP5のソロ)、EP2でドゥークーがヨーダに「フォースでは決着がつかない」と言ってセイバー戦を挑む>>ことから明らかだと思います。自分の運動能力や反射神経の向上にフォースは使っているかと思われますが、>>フォースを攻撃手段としては使っていないです。
>> どちらにしても、この2人に「不死の術」がかかっていたとはとても思えません。

 シディアスの出すイナズマ状のフォースは唯一映像化されたフォースですが、物を動かす
ときにイナズマが見えないようにフォースは可視化しない場合も多数あります。
 ベイダーが皇帝を放り投げる際の一瞬にフォースを使って殺したと考えても不思議ではあ
りませんよね。(でないと皇帝が普通に落っこちてしまうのがおかしいことになりませんか??)
 モールはまだ修行の身なので不死の術をコントロール出来ません。フォースが無くても殺
せます。
 →しかし、シディアスの擁護を受けているモールを殺すにはフォースが必要か・・。むぐっ。


>>>死を操るシス(死す)
>>
>> いや・・・だから英語の名詞を日本語で語呂合わせするのは・・・

 でも「ジェダイ=時代劇」「シュ・マーイ=シューマイ」とか言われると・・・つい・・・
ダメですか。

つづく


暗黒面はすばらしいです2 投稿者:チイサイコエ  投稿日: 7月20日(土)17時57分58秒


>> 「ダークサイドの素晴らしさ」とは「怖れなくて済むこと」ではないですか?
>> 例えば、肉親を失うことを怖れるならば、その絆を断ちきってしまえば、もう怖れる必要はなくなるわけで>>す。
>> つまり一言で言って「墜ちてしまえば墜ちることはもう怖くない」という単純なことです。

 皇帝には恐れがあります。「ジェダイなど敵ではない」と言いながら軍隊を持っている。
何かにおびえて身の回りを固めようとしているとしか思えないです。いったい何と戦うため
の軍隊なのか?
 絆を断ちきって恐怖から逃れる〜は賛成ですね。面白い展開がありそう。
「近親を殺しまくって恐怖の種を刈ろうとするアナキン。しかしタスケンを殺めた自分に対
する失望感、罪悪感が首をもたげてそれもままならない。板挟みになるアナキン。そして救
いを求めた先は・・・」なんちゃって。


>> さらに言えば、ジェダイは「ダークサイドに墜ちる」ことを怖れている。怖れているから戦うときに必要と>>なる感情である敵対心や憎悪を抑えなくてはならない。なので「戦士」ではなく「騎士」なのです。
>> 反してダークサイドに墜ちたら、もう墜ちることはないわけでこれらの感情を制御する必要はありません。>>思う存分戦えるわけです。そりゃジェダイよりシスが強いのは当たり前です。

 実はシスがホントに強いのか疑ってます。オビにやられたモール、ヨーダに対して劣勢だっ
たドゥークー、ルークにやりこめられたベイダー。EP3でヨーダ対シディアスの肉弾対決(見
たい!!!)が実現したとして、いい勝負じゃないかと思うのです。
 つまり明も暗も強さという点に置いては同等ではないかと。
 感情を抑えることを窮屈に感じて「ダークサイドになればもっと強くなれると思って転向
したのに結局ジェダイにやられてんじゃん」ってことになったら別にダークサイドにとどま
る理由もないですよね。
 何か別の特典があるはずだ。


>> ダークサイドの素晴らしさがお判りいただけましたか?
>> ほらほら、そこの貴方もダークサイドって魅力的ぃ、って思ってるでしょ。
>>
>> ・・・は、いかん。つい正体を現してしまった。
>> 後半部分は「ダース・りょう」とHNを代えねばならんかったわい。

 ダークサイドはすばらしいです。マスター。
 仕事そっちのけでカキコ。もう感染してしまったようです。まだ入門者なのに。

 早いとこ樺沢さんの本を入手して勉強せねば。


re:暗黒面の素晴らしさ 投稿者:ダース・りょう  投稿日: 7月20日(土)18時42分31秒

 チイサイコエさん、ダークサイドの素晴らしさが判ってきましたね。しかし私をマスターと呼ぶためには、naoさんを倒さねばならないぞよ。

 すみませんnaoさん、勝手に弟子にしてしまいました。
 でもライトサイドでは私、naoさんのパダワンになっているので、もしnaoさんが倒されたら師匠の敵は取らせていただきます。
 ま、逆らってばかりのパダワンなので、すぐにダークサイドに墜ちそうですが。

> EP2のアナキンは死を恐れていないというより死という物がピンときてない感じがします。

 EP3ではアナキンは「死の恐怖」を知ることになるでしょうね。おそらくオビ=ワンによって。
 その時、アナキンは既にダークサイドに墜ちていると思われるのですが、いったいどんな反応をするんでしょうか。楽しみぃ。

> 丁寧な描写って具体的にどのような部分でしょうか?

 EP5のラストでルークと対面したベイダーは、それ以後明らかに変化します。具体的には失敗した部下を殺さなくなります。また、皇帝とのやりとりでは間の取り方等が妙に「人間くさく」なる。逆の話になるのですが、ベイダーが息子と対面してからライトサイドへの帰還が始まったのはEP5とEP6で丁寧に表現されています。すなわち、「息子との絆を取り戻したところからライトサイドへの帰還が始まった」というわけです。

 それからEP5でルークが入るダークサイドの洞窟。あの描写は抽象的で判りにくいのですが、洞窟の中でベイダーが出てきて、ルークがベイダーの首を刎ねると仮面の下から自分(ルーク)の顔が出てきますよね。
 あの時点でベイダー=父ということはルークは知らなかったのですが、「ベイダーを殺すと自分を殺すことになる」=「父親との絆を断ちきるとダークサイドに墜ちる」という暗示だったのかな?という気がしてます。
 むろん、「恐怖に駆られて攻撃を行うとダークサイドに墜ちる」という意味もあっただろうし、初めて見る観客はそう受け取ると思うんですが。観客もベイダーが父親ってことを知らないわけだし。
 もう1つ、EP4でベイダーがオビを倒すのですが、それ以降のベイダーが「調子が出てきた」ようにも見えないことはないですよね。シスになってからもオビとの確執(ネガティブな絆)は持ち続けていたわけで、それが断ち切れたのがあのシーンということになります。
 よって息子との絆が復活するEP5の後半まで、ベイダーは「暗黒卿」として完全無欠状態だったのでは?EP5の前半くらいが一番「悪人ぶり」がノッてるし。

 もちろん、絆を断ちきってダークサイドに入っていくアナキンは、EP3で堪能できるはずです。
 楽しみぃ。

> ベイダーが皇帝を放り投げる際の一瞬にフォースを使って殺したと考えても不思議ではあ
>りませんよね。(でないと皇帝が普通に落っこちてしまうのがおかしいことになりませんか??)

 不意打ちであり、いっしょけんめい電撃を出している最中だったので自分の身体を浮かせることができなかったのだ。いや、実際「そんなに素直に落ちるなよ」と思ったんですが。
 ベイダーの方は、電撃を全身に浴びて必死こいてパルを抱きかかえていたので、フォースで攻撃する余裕はなかったはず。投げ落とした後は力つきてるし。

 フォースで思い出したのですが、ヨーダが「攻撃に用いてはならん」と言ってます。
 そう言われてみると、確かにジェダイが「フォースで」攻撃している場面って思い浮かばない。
 後ろに弾いたりするのはありますけど。早い話、「電撃」は出さないでしょ。皇帝にもドゥークーにも使えるのだから、ジェダイにも使えるはずだぁ、とは思うのですが。また、ベイダーやドゥークーがやったように、フォースでものを敵にぶつけるなんてこともジェダイはやってないのでは?いや、今思いついたので記憶に間違いがなければですが。

 「攻撃にフォースを用いてはならない」という理由は単なる騎士道精神なのかもしれませんが、強大な力なのでそれを攻撃に用いると自分の精神の制御ができなくなるからではないでしょうか。
 なまじ武器を持ったために人を殺してしまったなんて話は現実でもザラにあるし。
 とすれば、ベイダーはパルを倒すとき、フォースを使ってはいけなかったのです。使っていたら破門ですな(誰にぃ?)。

 長くなるので続きます。


re:暗黒面の素晴らしさ2 投稿者:ダース・りょう  投稿日: 7月20日(土)18時59分35秒

> 皇帝には恐れがあります。「ジェダイなど敵ではない」と言いながら軍隊を持っている。

 いやぁ・・仮にも「銀河を征服しよう」という野望を持っているわけですから、軍隊くらいは持たないと・・・
 それはさておき、確かに皇帝は「怖れている」と思いますよ。
 ダークサイドは怖れや憎悪などのネガティブな感情を解き放つことによって「忘れている」だけの話で、実は恐れや憎悪がなくなったわけではないのです。なくなったのならそれは「悟り」というべきで、ダークサイドとは対極に位置するものでしょう。
 恐怖や憎悪を「制御する」ということは、それらと常に向き合わなければならないということで、それが「恐れや憎悪に負ける自分」という新たな恐怖を産み、それともまた向き合って・・という自己との戦いになるわけですが、それらを解き放ってしまうと向き合わなくていいわけです。それらの感情は常に自分にではなく他人に向く。なので自分は恐怖や憎悪から解放されて、すっご〜く強くなったように「錯覚」できるわけです。まあ実際戦えばそっちの方が強いだろうし。
 ですからダークサイドに落ちたときに持っていた恐怖や憎悪は、「消化」あるいは「昇華」することができなくなりますから、常に憎悪し、常に怖れる存在になってしまうのだと思います。

 どうだ。ダークサイドは素晴らしいだろう。(どこがぁ?)

> 実はシスがホントに強いのか疑ってます。

 強いのじゃ。
 モールは油断から不意打ちのような形で殺されなければ、オビを軽く葬っていたであろう。
 ドゥークーは手加減していたのじゃ。
 ベイダーの右腕を落としたとき、ルークはダークサイドに入っておった。
 ちなみにパルほどの大物は、ライトセイバーや肉弾戦といった野蛮なことはせんのじゃ。かように強力なフォースがあるのに、なぜそんな下等な戦いをせねばならんのじゃ?

 苦しみを忘れ、強くなりたければダークサイドに来るが良い。
 共に銀河を征服しようぞ。(などといいつつ弟子は捨て駒にする)


あれ?2 投稿者:アヤノコウジ  投稿日: 7月21日(日)02時37分56秒

りょうさんへ

>さらに言えば、ジェダイは「ダークサイドに墜ちる」ことを怖れている。怖れているから戦うと>きに必要となる感情である敵対心や憎悪を抑えなくてはならない。なので「戦士」ではなく「騎>士」なのです。反してダークサイドに墜ちたら、もう墜ちることはないわけでこれらの感情を制御する必要はありません。思う存分戦えるわけです。そりゃジェダイよりシスが強いのは当たり前です。

という考えと、反論の書き込みは全く矛盾していますね。
映画での描写・映画以外の知識・自分の思い込みの3要素がごちゃごちゃ(笑)だからでしょうか?うちのメンバーは、書き込みのし過ぎのせいだろう、といっておりますが・・・



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