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熱帯楽園計画
1.ハングリー・ライク・ザ・ウルフ - Hungry like the wolf -
「瀬戸内、俺と逃げないか?」
そう言った麗の声が珍しく気落ちしている事に、オレは気が付いていた。いつもの悪い冗談だと思いたかったのに。
こういうピロー・トークは初めてのケースだ。
この、心身ともにタフな上司に、何があったというんだろう?
「どちらまでお付き合いいたしましょうか?」
シーツの中で、あえて、いつも通りに、控えめの営業用スマイルで返すと、麗は即答した。
「南の島だ。ちょうどいい物件を見つけた」
「物件?」
いつから不動産屋になったのだろう。道家壇司(どうけ・たんじ)じゃあるまいし。そう思ったオレは、
「物件と言いますと?」
と、説明を求めて、やや可愛こぶって、ほんのすこし首を傾けてみせる。大方の二十七歳成人男子がやったなら、鳥肌ものの動作だ。こんな時オレは、日頃の悩みの種の「童顔・女顔」を、余さず利用する。
「口実を探してた。しばらく、日本を離れる口実をね」
日本を離れるって…? なんでまた。
「『しばらく』とは、どの程度をお考えですか?」
「わからねえ。ほとぼりが冷めるまでって、とこだ」
ほとぼり? 何の?
いつもなら、にやり、と笑って見せるのだろうが、麗は大きなため息を吐いた。
なんとなく、嫌な予感に包まれて、オレは頭の中で「矢切の渡し」を歌ってみた。
それは春とはいえ、まだまだ冬物のジャケットが活躍する季節だった…横浜では。
〜連れて、逃げてよ。
着いて、おいでよ〜
現実―逃亡先―は、演歌など入り込む余地の無い、常夏のリゾート・アイランドだった。空気の密度からして違っている。
「日本とは、空の色が違うな」
色紙のように濃い青空を見上げて、麗が言った。やけに嬉しそうだ。
実は、彼は飛行機が嫌いだ。だからなのか、空港に降り立った途端、ようやくの開放感に饒舌になって、おまけにオレの頭にふざけて麦藁帽子を乗せた。機内で知り合ったアメリカ人の老夫婦が、何故かオレにくれたものだ。「あなたにはこれが必要だから」とか言って。
「やめて下さい」
オレは露骨に嫌な顔で、麗の手首を抑えた。この帽子が女物でなければ、おとなしく被っておいてもよかったが、派手なリボンがひらひらしているのがオレには耐えがたい屈辱だった。
「かぶっておけ。髪が傷むぞ。お前の体質からいって、紫外線とは相性がよくないはずだぞ」
「新婚夫婦じゃ無いんですから。変な世話やかないで下さいよ」
「そうだ、夫婦じゃ無くて、上司と部下だ。だから命令だ」
「御意…」
夏物スーツにはあまりにもアンバランスなドレッシーな麦藁帽子を、オレはしぶしぶかぶった。
「よく似合うぞ」
心底満足したように、麗は言った。
オレは自覚している。自分に南の島は似合わない。
その点、麗は違う。都会的なルックスだが、植民地的環境では、支配者然としたその態度が引き立って、威圧感が倍増している。ユイ君を連れてこなくてよかった。見るからに「色小姓」と思われてしまうだろう。では、オレは? …普通の秘書に見えていればいいけれど。
空港正面まで迎えの車が来ていた。運転手と麗は流暢な英語で挨拶をかわすと、トランクを次々に積み込んでいく。その傍らでオレは所在なげに帽子のリボンを引っ張っていた。
…どうか運転手に、「奥様」なんて言われません様に…
「ここが、その物件ですね?」
車で30分走ったビーチの手前に。ラッフルズを彷彿とさせる白い建物は、建設途中のままそこに有った。
ホテルというより、城のような、デコラティヴな印象。外側はほぼ完成しているらしい。麗が調査したところによると、中身も8割方工事は終了しているという。その段階で、なんらかの問題が起こり、持ち主はここを手放したのだ。金銭的な問題だけでなく、別の何かがこの物件を、宙に浮かせていたのだ。
「リサーチでOKが出れば、『キングスヒル・パシフィック・リゾート』の看板が掛かる訳だ」
麗は会心の笑みを浮かべた。
えらく豪華な『支店第一号』が射程距離内にある。企業のトップとして、わくわくするのも当然だろう。
反対に、オレは不安だらけだった。今日から何日続くのか分からないが、夜伽のお相手を務める事になるのだ。予想通り、部屋に入るなりキングサイズのベッドに押し倒されて、オレは『やっぱり』と観念する。帰国の日まで、体力が持つのだろうか?
「相変わらず白いな、ユイほどじゃないが…妙な日焼け跡がつかない様に、軟禁しておいてやろうか?」
「裸で、でしょう? 小麦先生の家に居た時みたいに」
「当然だ」
麗は相当のストレスを溜めていたらしい。
気がつけばオレは、ベッドの中、一人で熟睡しきっていた。ぼさぼさの頭で身を起こすと、海に向かって開け放たれた大きな窓に目をやる。バルコニーの向こうに、南の島らしい、鮮やかな黄昏が広がっていた。
「無茶するんだから…あの人は」
うなじに麗の煙草の香りが染み付くまで、疲労感で何も考えられなくなるまで抱かれた。『愛し合う』にも程がある。
煙草の香りを洗い流したくてシャワーに向かおうと立ち上がると、裸の背中に強い視線を感じた。反射的に、ベッドの上に投げ出されたシャツを引っ掛け、視線の発せられた方向へ目をやる。途端に椰子の葉が大きく揺れて、何者かが去る気配がする。とても身軽な何かが。
猿?
大きさから言って、チンパンジー以上だろう。日本猿レベルならともかく、そんな大きな類人猿が、うろうろしている島なのか?
冗談じゃ無い。
夕日を反射する海を眺め、オレはため息を吐いた。
夜になって、麗が部屋に戻ってきた。同じ海岸沿いにある、ライバルになるであろう唯一のホテルで夕食を取ろうと言う。まずはホテルの中のありきたりなシーフード・レストランで、敵のお手並み拝見。その後、同じフロアにあるバーに、オレと麗は雪崩れ込んだ。職業意識で、麗はあらゆる角度からチェックを怠らない。席数・従業員教育・味・価格・センス・客層…数え出したらきりが無いチェックリストだ。
「勝てる。勝算アリだ」
カウンターでチャイナ・ブルー片手に、麗は御機嫌だ。
「何か華やかなカクテルとか、色付きの酒を飲まんか」
オレが手にしているのは、いつものアメリカン・ウィスキー。今日はセブン・クラウンのオンザロックスだ。
「ウィスキーだって、奇麗な琥珀色してますが」
オレが口答えすると、
「もっと、きらびやかなヤツ、頼まんかい!」
おふざけで、付け焼き刃の関西弁まで飛び出している。
「ヒーリングとトニックか?」
おまけに。勝手にオレの好きなキング・ピーターをオーダーしようとするし。
「…分かりました。ミモザでも貰いましょうか」
「なるほど?」
麗はオレの意図が読めたらしい。バーテンダーにオーダーし、その後、さりげなく彼の動きを見守っている。オレンジは生を使っているのか、シャンパンはどのランクのものなのか。グラスはソーサー・シャンパン・グラスかフルート・シャンパン・グラスか…そんなところだろう。ミモザ一杯でバーの実力が丸見えになる事もあるのだ。
バーテンダーが遠ざかり、オレがミモザを口に運ぶと、待ちかねたように麗はオレの判定を聞きたがった。
「どうだ?」
「合格です。シャンパンも、オレンジも」
「それなら、酔いつぶれるまで、飲み続けろ」
「酔いつぶれたら、後が辛そうですから」
予想通り、バーでオレが言った通りだった。
元の部屋に戻るなり、麗はやる気を見せた。が、今度は珍しく、口付けからのスタートだった。めったに無い事だ。
「年に1回しか、酔えないんだったな」
「酔わない様に心がけてますから」
アルコールが効かない身体という訳ではない。耐性は鍛えてあるが、精神力で酔いを遅らせているようなものだ。
「ですが、支配人には酔っております」
オレが仕事の口調で言ってみると、
「心酔してる、って言いたいのか」
オレの胸元のボタンを外しながら、麗がシリアスな顔をした。
「なら、すべて捨てろ。ユイも、猫も、双子も。『香織』、もだ」
…麗が奇妙な酔い方をしている。やけに絡んでくるな、今夜は…
2度目に強い視線を感じたのは、朝だった。
が、その正体はすぐ判明した。視線の主は、仰向けに寝ているオレの腹の上に跨って、ハンディ・ビデオカメラをまわしていたのだ。
「支配人…?」
何事かと怪訝な顔をしたオレに、麗は笑いをこらえるようにして言った。
「まだキスしてないのに目覚めるのか、『オーロラ姫』」
「何を撮ってるんですか…?」
「お前に決ってるだろ」
「いつから撮ってるんです」
「10分前からだ。お楽しみは、これからだ」
お楽しみだって?
「何を?」
「ハメ撮り、ってやつをね」
「支配人、本気で?」
オレが眠っている間に、すっかり準備は出来上がっていたらしい。麗は速やかに、行為を開始した。うろたえて抵抗しようとすると、その表情を収めようと、麗はレンズを顔に向けてくる。
「顔と、あっちと。お前はどっちが恥ずかしいんだ?」
「顔…です」
「じゃあ、両方、万遍無く写してやろう」
…それは反則だ。どう答えたって、オレに逃げ道は無いというのか。
仕方なく、両腕でレンズを遮ろうとしたその時。今度は昨日の夕方と同じ強い視線が、オレに向けられているのを感じた。
「待って下さい。支配人、誰か見てます」
「無駄な抵抗だ。見え透いた嘘を…」
そこまで口にして、麗は窓の方を振り返った。麗にも分かったのだ。
視線の主が確定できたのか、ビデオは窓の外へ向けられた。が、すぐに、
「逃げられたな。猿みたいな奴だった」
と、麗はつまらなそうに、目標を元に戻した。
「昨日も窓の外に居たみたいです。いったい…」
「もう、消えた。ん? なんだ、お前。見られてるほうが、燃えるのか?」
「ケース・バイ・ケースで」
オレの答えに突然、麗の表情が険しく変わった。
「お前が俺の前で、ユイとヤってる時。最高にムカつく。お前は俺とユイと両方弄んで、一番おいしい役割を持って行く」
「リバーシブルの特権ですから」
クールに言い放ったオレに、麗は「お仕置き」だと言わんばかりに乱暴に入ってきた。
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* ハングリー・ライク・ザ・ウルフ (hungry like the wolf) song by duran duran
MARE
2001/10/17
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