クラシック演奏会 (2025〜26年)


2025.12.17 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Roman Simovic (violin-2)
1. Miklos Rozsa: Prelude, The Mother’s Love and Parade of the Charioteers from ‘Ben Hur’
2. Miklos Rozsa: Movements 2 & 3 from Violin Concerto (adapted to 'The Private Life of Sherlock Holmes')
3. Bernard Herrmann: Scene d’amour from ‘Vertigo’
4. David Raksin: Laura from ‘Laura’
5. David Raksin: Love is for the Very Young from 'The Bad and the Beautiful' - Suite
6. Max Steiner (arr John Wilson): Opening Title Sequence from ‘Gone with the Wind’
7. William Walton: Selections from 'Henry V' - Suite
8. Nino Rota: Waltz from ‘The Godfather’
9. Ennio Morricone: Gabriel’s Oboe from ‘The Mission’ (Concert Version)
10. Ennio Morricone: Music from ‘Cinema Paradiso’
11. Ennio Morricone: Music from ‘Once Upon a Time in America’

 今年あと一つくらいバービカン行っとこうかと急きょ買ったチケットです。LSOは古くから映画音楽のサウンドトラックでも多数演奏してきておりますが、パッパーノから年の瀬のクリスマスプレゼントのようなものでしょうか。前半は「ベン・ハー」「シャーロック・ホームズの冒険」「めまい」「ローラ殺人事件」「悪人と美女」「風と共に去りぬ」といったハリウッド・アイコン、後半は「ヘンリー五世」「ゴッドファーザー」「ミッション」「ニュー・シネマ・パラダイス」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の80年代大作映画でまとめた構成になっています。どれも映画史を彩る名作ばかりとは言え、よく考えたらちゃんと全編通して観ている映画は、封切り時に映画館で観た「ニュー・シネマ・パラダイス」くらいしかありませんでした…。映画は大好きなんですが、マニアと言えるほどの数を観ているわけでもなく、また古い映画を後追いで観ることは少なかったんだなあと、今更ながら気づきました。
 コンサートはパッパーノがマイクを取り、作曲家ごとに解説を交えながら進行していきますが、とにかく、モノホンのオケが映画音楽やってみた、そのゴージャス感がハンパないです。弦の厚みと美しさ、管の迫力ときめ細かさ、全てが凄すぎました。ただ、ロイヤリティの都合でオリジナルのスコアは使えないようなことをパッパーノが話していた通り、フル編成オケ用に、よりゴージャスにアレンジされていたかと思います。映画のサントラは、レコーディング専用のセッションオーケストラがスタジオで録音し、実際の人数以上に豊かな響きになるよう加工技術を駆使するのが普通ですが、それはそれでオリジナルのスコアとレコーディングのほうが音楽に勢いがあり、映画のシーンと直接結びついている分、思い入れも深い場合があるので、一概に良し悪しは言えませんが。
 ちゃんと観たことない映画でも、音楽は耳に入って来て記憶に定着しているから不思議なものです。また、フォロワーとして似たような(言い方を変えると「パクリ」)劇伴音楽もちまたに溢れているので、何も考えずにそのゴージャスな響きに浸れます。「ベン・ハー」を聴いて一瞬「野性の証明?」と思ってしまったり。「ゴッドファーザー」はメジャーなメインテーマではなく(解説で鼻歌を歌ったのみ)あえて「ワルツ」を選曲されていましたが、エレキマンドリンを使っていたのが新鮮、多分初めて見ました。
 最後はモリコーネ三連発でしっとり終わる、はずもなく、アンコールでは打楽器隊が戻ってきて、待ってましたの「スターウォーズ」メインテーマ。大昔の部活でやったことがあり、けっこう難易度が高くリズムも面倒くさい曲なんですが、もちろんLSOはオリジナルを手がけたオハコなので、完璧以上の仕上がり。あれこれ深く考えず、無心に楽しめたゴージャスな一夜なのでした。


2025.12.07 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Antoine Tamestit (viola-2)
Julia Sitkovetsky (soprano-3), Ashley Riches (bass-baritone-3)
1. Tchaikovsky: Symphony No. 4
2. Vaughan Williams: Flos Campi for Viola and Chorus
3. Vaughan Williams: Dona nobis pacem

 12年ぶりにやっと聴けるLSOは、当時ロイヤルオペラの音楽監督だったパッパーノ大将が現在主席指揮者に就いています。当時から、ゲルギエフの後釜はパッパーノが適任ではないかと思っていたのですが(まさかラトルが来てくれるとは想定外だった)、その12年前にパッパーノの指揮で最後に聴いた演奏会が、くしくも同じチャイコフスキーの第4番というこの偶然。もちろんオケのメンバーはだいぶ入れ替わっているようでしたが、ダイナミックでドラマチックなパッパーノの指揮に圧倒的な演奏力で応えるLSOの組み合わせは、昔と変わらぬ充実感に溢れ、12年のギャップが一瞬で繋がりました。パッパーノは指揮棒なしの指先だけで、オペラの歌手に指示を出すかのように各楽器を操っていきます。管楽器のソロはさすがに皆上手く惚れ惚れしますが、主旋律以外もしっかり聴かせるバランスを保ち、以前「マカロニ・チャイコ」と表した、メランコリックに流れるチャイコフスキーからはだいぶ抑制的に変わってきた印象を受けました。第2楽章の中間部であえてテンポを上げて変化をつけ、第3楽章もしっかりと指揮をしてオケ任せにはせず、決してグリップを離しません。オケの演奏技術力を最大限に発揮した最終楽章は圧巻の馬力と音圧を見せつけました。まだ1曲目なのに全力投球で、ほぼ本日終了です。
 そもそもこのヘヴィーなプラグラムのコンセプトがよくわからないのですが、前半のド派手な「喜びの讃歌」に対し、後半は打って変わって穏やかな音楽が続きます。馴染みのないヴォーン・ウィリアムズのマイナー曲で、しかも苦手分野の合唱曲なので後半は正直よくわからんかったです。後半最初の「野の花(Flos Campi)」は小編成室内オケとヴィオラ独奏に歌詞のないスキャットコーラスが加わる曲ですが、その編成のユニークさに比して、曲調はあくまで落ち着いて穏やか。続く「われに平和を与えたまえ(Dona nobis pacem)」ではオケが大編成になり、合唱に加えてソプラノとバリトンも加わります。ある種の「戦争音楽」になりますが、激しさはそんなにありません。ソプラノがちょっと不安定な仕上がりでハラハラしたのですが、バリトンは芯のあるたいへん良い歌唱でした。しかし最後まで聴きどころが掴めず漫然と聴き流してしまって、自分にはまだ英国スピリットを堪能できるだけの修行が足らんのだとしみじみ思いました。


2025.11.30 Royal Festival Hall (London)
Santtu-Matias Rouvali / The Philharmonia Orchestra
Fazil Say (piano-2)
1. Sibelius: En Saga
2. Fazil Say: Mother Earth (Piano Concerto) (UK premiere)
3. Dvorak: Symphony No. 8

 2021年に若くしてフィルハーモニア管6代目の主席指揮者に就任したロウヴァリは、2014年に一度ミューザ川崎ホールにて東響を振った演奏会を聴いて以来です。1曲目、元々はファリャ「恋の魔術師」がプログラムにあったのですが、数日前にメール連絡があり、シベリウス「エン・サガ」に曲目変更とのこと。直後の韓国ツアーで取り上げる曲に寄せたようですが、個人的にはファリャを聴きたかったので、がっかり。意気消沈して寝てました。
 気を取り直して、2曲目は「母なる地球」をテーマにしたファジル・サイの新作ピアノ協奏曲。昔から気になっていたピアニストですがなかなか縁がなく、見るのも聴くのも初めてです。日本では「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」というキャッチフレーズが先行して、私も鬼才にして怪人と勝手に思っていたのですが、ちょっと思ってたのと違う印象でした。もっとアヴァンギャルドな作風にぶっとんだピアノを想像していたら、既存イメージを寄せ集めたヒーリング音楽のような曲でした。ちょっと悪口っぽく言うと、思想政治的動機があって、芸術的野心はどこにもない感じ。鳥笛、ギロ、オーシャンドラムなどの打楽器を駆使して山と海の大自然を効果音でわかりやすく表現し、また自席からはよく見えなかったのですが、ピアノにもプリペアドの細工をしていたように聴こえました。そういった「飛び道具」を使わずに自然描写をするのが過去の大作曲家たちが取り組んできたクラシック音楽の矜持だと個人的には思うので、安直な効果音頼みは興醒めです。しかしジャンルを超えた人気ピアニストだけあって、ちょっと常識に欠けるファンも多く、演奏中にも写真や動画を撮ってて怒られてる人を多数見かけました。
 メインのドヴォルザーク8番は、全体的に丁寧に作り込んだ演奏で、オケと指揮者が現在最も良い関係にあることがわかります。変に緊張感を煽ることもなく、聴衆のざわつきとか全く気にも留めずとっとと演奏を始めてしまうタイプですね。2014年に聴いた際はまだ20代にも関わらず、ラトルばりに細かいところまで仕掛けを施す恐れ知らずの芸風でしたが、年月が経ってだいぶ肩の力が抜けた感じです。細部まで気を配ったリードながらもあざとい感じはなく、カラッとした都会風のドヴォルザークでした。第9番の「新世界」ではなく、第8番でもそのアプローチを取るのが最近の流行りかもしれません。最終楽章のスピードはブラス泣かせではありましたが。
 ロンドンではこれが今年最後の演奏会になるため、聴衆も招待しての創立80周年記念パーティーが終演後に開催されていましたが、翌日の仕事もあり、泣く泣く帰宅の途につきました。


2025.11.27 Royal Festival Hall (London)
Rafael Payare / The Philharmonia Orchestra
Pacho Flores (trumpet-2)
1. Berlioz: Overture, Le carnaval romain
2. Gabriela Ortiz: Trumpet Concerto (Altar de Bronce) (London premiere)
3. Berlioz: Symphonie fantastique

 早めにサウスバンクに着いたので、18時からの若手奏者による無料の室内楽から聴いてみました。意外とストールの客席が埋まっていたのはびっくり。演目は全く守備範囲ではないですが、ポルトガル音楽界の教祖ルイス・デ・フレイタス・ブランコ及びラヴェルの弦楽四重奏曲で、1時間近くかかった長いプレコンサートでした。ヴィオラの吉村大智君が堂々と物怖じしない演奏で、アンサンブルの軸を担っていました。
 さて本日のメインイベントは、ベネズエラのエル・システマ出身ミュージシャンによるベルリオーズを中心としたプログラム。ドレッドヘアが特徴的なラファエル・パヤーレは、不勉強で名前も知らなかったのですが、ドゥダメルに続け!とのし上がりに奮闘中の若手筆頭株、かと思いきや、年齢はむしろドゥダメルよりも上(1歳だけですが)、すでにそれなりのキャリアを積んでおり、現在はサンディエゴ響とモントリオール響の音楽監督を兼任。奥さんはチェリストのアリサ・ワイラースタイン。ちょうどこの1週間前にはN響定期にも客演していて、グローバルに活躍中の人なんですね。
 1曲目の「ローマの謝肉祭」はキレ良く始まり、躍動的にオケを操ってギミック満載のリズムをダイナミックに生き生きと乗り越えていきます。冒頭のツカミは充分。多分フローレス目当てかと思われますが、ブラバン楽団員と思しきラフな格好の若者集団が聴きに来ていて、地味な高齢者ばかりの普段の客層とは違う空気感がありました。
 2曲目はメキシコの女性作曲家ガブリエラ・オルティスのトランペット協奏曲「青銅の祭壇」。新作なのでほとんど情報がないのですが、プログラムによるとヴァイオリン協奏曲「弦の祭壇」を作曲中に、対となるトランペット協奏曲の発想を得ていたところ、指揮者と同じくエル・システマ出身のトランペッター、パーチョ・フローレスから作曲委嘱の話があり、作曲者がライフワーク的に取り組んでいる「祭壇」シリーズの新曲として誕生したようです。
 フローレスはトランペット3本、追ってパヤーレもさらに1本を手に持って登場。シモン・ボリバルやサイトウ・キネンのトップ奏者を務めた実力者だけあって、冒頭から高速パッセージを披露。ソロトランペットに木管とハープ、さらにはオケ側のトランペットも呼応して、聴いたことがないユニークな展開が続きます。フローレスは艶やかな音色に、ほとんど音を外さない完璧な技巧、見た目は陽気なラテン系、なかなか得難いキャラクターの名手です。新作なのでもちろん初めて聴く曲ですが、いわゆる「現代音楽」のテイストはなく、耳に優しい親しみ深い曲調です。後半はラテンパーカッションが大活躍のカーニバル風になり、指揮者、ソリスト、聴衆が皆ノリノリになっていく中、打楽器陣は笑顔なく生真面目な顔で黙々と叩き続けていたのが可笑しかったです。カデンツァもかなり自由に、客席を指さしてカモン、「テキーラ!」の掛け声など、聴衆を巻き込みながらのパフォーマンスにやんやの喝采を浴びていました。アンコールは、曲名は知らないものの、弦楽合奏をバックにしっとりした曲を披露。こういうのもできるんだぜ、とばかりのトランペット名手は、サックス名手に負けず劣らずのズルカッコ良さでした。
 メインの幻想交響曲は、これまた全力投球が気持ちいいノリノリのミュンシュ系演奏。今どきは当たり前かもしれませんが、スコア上のリピートは全て行っていても冗長に感じず、軽さと明るさが全編通して滲み出ていました。第2楽章はトランペット奏者がコルネットを持って下手に移動し演奏していましたが、コルネット付きの演奏自体、すごく久しぶりに聴いた気がします(メータ/NYPのレコード以来かも)。あとから調べたら、パヤーレがモントリオール響を振った新譜のレコーディングでもコルネット付き版を選択しているそうで、最近の傾向かもしれません。第3楽章のオーボエは舞台裏からちょっと遠目に、しかし音色はあくまで明るく鳴らして掛け合い、こういうところもミュンシュを彷彿とさせました。第4楽章はテンポを必要以上に揺さぶるわけではなく正攻法で盛り上げていましたが、ホルンのゲシュトップ奏法などスコアに書かれた演出は忠実に実行。最終楽章の弦もきっちり弱音器を使いおどろおどろしさを強調するも、鐘の音は高くてキラキラしており、やはり基本は明るいラテン系に終始していました。あまりに聴きすぎて食傷気味の「幻想」ですが、こういう若くて突き抜けた明るさも、真似しようと思ってもなかなか達成できるものではなく、良きかなと思いました。


2025.11.13 Royal Festival Hall (London)
Jakub Hrusa / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 7

 11月4日から21日までロイヤルオペラにて「マクロプロス事件」を上演中のフルシャが、その間隙をついてフィルハーモニア管の指揮台に1日だけ立つという詰め込みスケジュール、大丈夫かいなと思ってしまいましたが、何はともあれ歴史の目撃者(大袈裟)になれるのであれば、喜んで身を投じます。プログラムはマーラーの交響曲第7番「夜の歌」1曲のみ。まあオペラ座公演中のことも考えれば、あれやこれやはやってられないかと思います。しかし私は、マーラー好きでありながらこの曲がいまだに大の苦手。と言いながらも去年もジョナサン・ノット/新日本フィルで聴いてましたが。
 オケは対抗配置で、チェロ、コントラバスが第1ヴァイオリンの奥、向かって左手に位置します。ということは、第2ヴァイオリンは右手の上手側。うーむ、12年ぶりだというのに、フィオナちゃんは自分の席からは背中しか見えない、残念。それはともかく、この曲はまず隠々滅々とした冒頭部分を無事に乗り切って、第一主題でしっかりとした足取りのペースを掴むのが肝要ですが、やはり冒頭のテナーホルンは鬼門、その不安定な演奏に一気に悪い空気が蔓延してしまいます。テナーホルンだけでなく普通のフレンチホルンのほうも不安定が感染し、フルシャも空回りしているように見える、集中力を欠く展開が第2楽章まで続きました。楽章の合間に途中退席する人が複数人いたためにしばらく間を置かざるを得なくなったのも要因かもしれません。
 第3楽章でフルシャ得意のリズムのキレが戻ってきたのですが、全体像のフォルムが掴めないままに突入した、この曲のさらなる鬼門、第4楽章ナハトムジークの色彩感が、予想通り非常に浮いて聴こえてしまいました。マンドリンとギターはどちらも渋いイケオジ系で、収音マイクで音を拾っているようでした。最終楽章はティンパニの音程が抜かりなく正確にチューニングされており、非常に気持ちが良かったです。私が大好きだったレジェンドのティンパニスト、アンディ・スミスさんは10年前に引退されたようですが、ある意味アンディさんとは真逆のスタイルが新鮮でした。最後のコーダ前にオケを極限まで鳴らしてきたのにちょっと驚き、なるほどフルシャはここにピークを持ってくる作戦であったかと、早とちりを反省しました。やはりロイヤルオペラ音楽監督の肩書は伊達ではなく、すでにロンドンで大人気者のフルシャ、終了後はやんやの喝采を受けていました。


2025.11.07 Royal Opera House (London)
Jakub Hrusa / Orchestra of the Royal Opera House
Katie Mitchell (director)
Ausrine Stundyte (Emilia Marty), Heather Engebretson (Krista)
Sean Panikkar (Albert Gregor), Johan Reuter (Baron Jaroslav Prus)
Henry Waddington (Dr. Kolenat), Peter Hoare (Vitek)
Alan Oke (Count Hauksendorf), Daniel Matousek (Janek)
Susan Bickley (Stage Door Woman), Jeremy White (Security Guard)
Jingwen Cai (Hotel Maid)
Alex Gotch, Alex Kristoffy, Sarah Northgraves, Carlo Pavan, Charlie Venables (Actors)
1. Janacek: The Makropulos Case

 12年ぶりに訪れたロイヤルオペラハウスの演目は、今シーズンから音楽監督に就任したヤクブ・フルシャ肝入りのヤナーチェク「マクロプロス事件」という超変化球。私もタイトルしか聞いたことがなく、本来ならスルーしてもおかしくないところ、チケットを買ってしまったのには訳があって、同じ演目を来年1月にサイモン・ラトルがLSOで取り上げるのを先に気づき、これは舞台のほうもぜひ観とかなくてはなるまいと思ったのが全てです。ただ、もっぱら最前列ど真ん中席で観ていた12年前とは時代が変わり、オペラのチケットもだいぶ高額になってしまったので、今日は桟敷横のrestrict vewの庶民席で我慢。しかしこの選択は結果的に失敗でした。
 まずこのオペラ、全3幕ながら各幕30分程度で、通しで90分強、「サロメ」よりも短いです。休憩の入れどころも難しいので、休憩なしの一気通貫上演でした。短いといってもプロットは込み入っており、人気オペラ歌手のエミリアを中心に、財産相続を代々100年以上も裁判で争っているプルス家とグレゴル家の人々、弁護士とその書記、書紀の娘クリスタ、その恋人でプルス家の息子ヤネク、などわやわやと出てくる人が複雑に絡み合って、結局皆が魔女エミリアに魅了されていき、不幸が訪れるという悲劇です。
 元々の時代設定は今からちょうど100年前のヤナーチェクが本作を作曲していたころになりますが、この演出はまさに現代のチェコに時代を置き換え、スマホのチャットやフォトアルバムといった今風テクノロジーが多様されます。また終盤にはドキュメンタリー映画っぽいスローモーション(歌手、演者がわざとスローな動作で演技)も混ぜ込んだ、全くもってモダンな演出でした。スマホチャット等の映像投影は、舞台上の進行に加えて、全編チェコ語の歌詞に対する字幕も同時に追わなくてはならないので、ただでさえ複雑な話を余計わかりにくくしているように思えたのはひとえに、流れていく英文を一瞬で読むことができない自分の英語力の限界からでしょう。
 とにかく、この演目はできるだけ中央寄りの席で観るのが吉です。舞台を広々と大きく使うような場面は一切なく、各場面で小部屋に分けられていて、それぞれで並行に演技が進んでいくので、全てが見渡せる席でないと全体の動きがわかりません。特に、自席からほとんど見えなかった舞台の左側(下手)だけで重要な話が進行する場面も多く、フラストレーションが残りました。そういった個別の事情は置いておくとすれば、いろんな要素をぶち込み、凝りに凝ったこの演出は、凝縮度が高く力強いヤナーチェクの音楽と相まって、わけがわからないままでもぐいぐい引き込まれる迫力を感じました。フルシャは予想通り、ずっと楽譜に目を落としてただ棒を振るだけのデクの棒ではなく、忙しくオケに歌手にと適切なリードを与え、八面六臂の情熱的な指揮ぶりでした。
 主役のオペラ歌手にして300年生きる魔女を演じたリトアニア出身のアウシュリネ・ストゥンディーテは、全く初めて聞く人ですが、主演として舞台を牽引するに相応しい野太く芯のある歌唱。人気ソプラノというキャラに合わないマニッシュな外見は、LGBTを絡めてきたこの演出ならではの役作りでありましょう。とは言え、第2幕のオペラ座の楽屋という場面で、ワルキューレの格好で入ってきたのは笑えました。キャリアを見ると、王道ソプラノ路線よりは「エレクトラ」「期待」といった20世紀以降のモダンでクセのある演目を得意とする人のようです。
 他の歌手陣も総じて質は高かったと思いますが(チェコ語の歌唱、まことにお疲れ様です)、過去に聴いたことがある人がいるかなと備忘録を探ってみたら、プルス男爵役のヨハン・ロイターは2010年「サロメ」のヨカナーン役、ヴィテク役のピーター・ホーレは2011年「魔笛」のモノスタトス役、ハウクゼンドルフ伯爵役のアラン・オケは2011年「ピーター・グライムズ」のボブ・ボレス役、そして名脇役ジェレミー・ホワイトは2011年「トスカ」、2012年「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ラ・ボエーム」、「フィガロの結婚」(以上全てロイヤルオペラ)などで多数聴いていました。備忘録のおかげで、その頃の体験のおぼろげな記憶にも想いを馳せる機会ができて、記録はつけておくものだとあらためて思いました。


2025.10.29 Royal Festival Hall (London)
Kahchun Wong / London Philharmonic Orchestra
Himari (violin-2)
1. Chinary Ung: Water Rings (European premiere)
2. Sibelius: Violin Concerto
3. Dvorak: Symphony No. 9 (From the New World)

 先週に続き、再びロンドンフィルです。今日は日本人とおぼしき聴衆が普段より極めて多い客層でした。特に子連れの日本人家族は、夜の演奏会では滅多に見ないので、明らかにHIMARI効果ですね。さらに、指揮は2023年から日本フィルの首席指揮者を務め、その後英国の名門ハレ管弦楽団の首席指揮者に就任した、カーチュン・ウォン。ロンドン在住の音楽好き日本人大集合でも不思議ではありません。
 1曲目はカンボジア出身で米国在住の作曲家、チナリー・ウンの小品。「Water Rings」は波紋のことでしょうか。また、オペラグラスで楽譜を覗き込むと「Overture」(序曲)と書いてありました。1993年の作品ですが、今日が欧州初演だそうです(イギリスがまだ「欧州」を名乗るのか、というのはさておき…)。私はカンボジアに行ったことがなく、カンボジアの音楽といっても何も頭に浮かばないのですが、この作曲家はガムラン(ってインドネシアですよね?)に傾倒した作風が多いらしく、そういう意味では同じアジアとして通じる「耳慣れた」感が強い音楽でした。私はインドネシア風よりも、中国風よりも、むしろ日本風に近い印象を持ちました。カーチュンは日フィル定期でもこの作曲家を取り上げており、個人的な交流もありそうです。演奏後、聴衆の中からウン本人が立ち上がり、拍手に応えていました。
 続いて、弱冠14歳にして名門カーティス音楽院に通う神童ヴァイオリニスト、HIMARIの登場です。何といっても今年3月のベルリンフィル定期にソリストとして出演したことで話題になり、NHKのドキュメンタリーを見て私も認識した次第です。天才少年・少女系の強引なプロモーションは正直嫌いで、だいたい眉唾で見てしまうのですが、この子の素質はホンモノかもしれない、と思わせるものがドキュメンタリーから感じられました。ちなみにベルリンフィル定期では元々ズビン・メータが指揮だったところ、体調不良で降板し、ヴァイグレが代役でした。メータと言えば、11歳の五嶋みどりと共演して「天才少女デビュー」に一役買った指揮者でもあり、庄司紗矢香とも協演が多く、日本人天才少女とは何かと縁が深い人ですね。
 登壇したHIMARIは、年齢よりもさらに幼く見える華奢な女の子でした。シベリウスのヴァイオリン協奏曲は名人芸をこれ見よがしに披露する曲調ではなく、技巧に加えて抒情的な情緒が求められる大人の曲なので、子供が喜んで弾く曲とは思えないのですが、まず冒頭からの正確な運指と音程に驚かされました。いやもちろんプロなので正確さは当然のこととは言っても、現実には正確さを犠牲にした「味」を意識的あるいは無意識に混ぜ込んで、人それぞれの緩さを見せる演奏が世間の大勢です。不純物を廃し、機械が鳴らしているかのような完璧さで進んでいきますが、決して即物的ではなく、膨大な練習量に裏付けされたと思しきニュアンスも含めた、一所懸命何かを表現しようとするひたむきさが、おじさん、おばさんの心をぐっと掴むのでずるいです。年齢を考えると、驚異的に成熟しているとも言えるかもしれません。ただ一方で、第二楽章などは、あえて目を瞑って聴いていると、拙さがちょっと気になりました。やはりこの曲は単にテクニックだけでなく色気も要求される難曲で、サーカス曲ではないのです。舞曲調の最終楽章は、体型を考えると目一杯以上の力が入った音でしっかりとリズムを刻み、立派なプロの仕事をまっとうしました。終演後は前後左右各方位に丁寧に笑顔で深々と頭を下げて、好感度高いです。やはり、おじさん、おばさんは応援必至。アンコールではトリッキーな曲(後で調べたら、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」という有名なソロ曲でした)も達者にこなして、違う一面もしっかりとPR。もちろん背後に控える「大人たち」の綿密なプロモーションあってのことかと思いますが、何とも末恐ろしい限りです。
 メインの「新世界」は、大昔に部活で演奏したこともあり、今更好んで聴きに行こうとは思いませんが、嫌いな曲ではありません。カーチュンのリードは低音を効かせて重心を低く保ち、決して前のめりにならない丁寧な進行。管楽器ソロも例外なく名人揃いで、安心して聴いていられる至福のひとときでした。あまりにも知られ過ぎたメロディの数々ですが、フレーズの歌わせ方にカーチュンの個性、こだわりが見えました。このように指揮者は人と違うことをどこかでやろうとするのが普通なのに、先日聴いたカネラキスの潔いポピュリズムが、またふつふつと思い出されました。


2025.10.25 Royal Festival Hall (London)
Karina Canellakis / London Philharmonic Orchestra
Paul Lewis (piano-3)
1. Mozart: Overture, Idomeneo, K366
2. Mozart: Masonic Funeral Music, K477
3. Mozart: Piano Concerto No. 25 in C major, K503
4. Rachmaninov: Symphony No. 2

 再びロンドンに住み始めて最初の演奏会がロイヤルフェスティバルホールというのは、なかなか感慨深いです。学生時代に始めてロンドンを訪れた際、着いたその日に早速来たのがここでした。その7年後、2回目のロンドン来訪時も、やはり到着したその日、ホテルチェックインを済ませたら早速ここにやって来ました。回数で言うとバービカンのほうが圧倒的に多くなったものの、自分にとってロンドンの原点は、やはりここです。
 19時半開演なのに19時を超えてもなかなか開場せず、何事かと思ったのですが、開演10分前にやっと開場。指揮者かソリストの会場入りが遅れでもしたのでしょうか。そういえば以前、ここでフィルハーモニア管を聴いた時に、コンマスが地下鉄の遅延で開演に間に合わず、第2コンマスが急遽代役をやったなんてこともありました。
 本日のシェフは、その壮麗なビジュアルで人気の女流指揮者、カリーナ・カネラキス。2021年からLPOの首席客演指揮者に就任しています。今年は7月の都響で日本デビューしたり、オランダ放送フィルを振ったバルトーク「青ひげ公の城」の新譜CDが評判だったりと、話題にこと欠きません。その「青ひげ公」CDは私も当然チェックし、他の指揮者とは一線を画する躍動感ある演奏にちょっと驚き、カネラキスという人に俄然興味を持ちました。7月の都響は都合悪く行けなかったため、今日のLPOが初生演です。
 本日のプログラムは前半がモーツァルトの名曲集、後半がラフマニノフの2番という見本市的な演目。数年前にケイト・ブランシェット主演の「TAR」という映画がありましたが、颯爽と登場したカネラキスの第一印象は、まさにリアル「TAR」。鋭い眼光でオケをロックオンし、素手でキビキビとリズミカルな指揮で、小君良いモーツァルトを奏でます。楽器はトランペットがバルブなしだった他は、特にピリオド系でもなく普通のモダンオケでしたが、ビブラートは少々抑えめに、しかし「モダン」としか言いようがない、ヴァイタルな躍動感に溢れるリードでした。気難しくかしこまったモーツァルトではなく、万人が好きそうな分かり易さというか取っ付き易さを感じました。「イドメネオ」序曲に続き、「フリーメイソンのための葬送音楽」でも縦の線はピッタリと揃っており、指揮の統率力は高そうです。
 英国が誇る人気ピアニスト、ポール・ルイスは、かつてどこかで聴いた気がしていたのですが、記録を辿るとどうも始めてのようです。いかにも英国紳士らしい品行方正さが滲み出た、フラットで堅実なモーツアルト。しかしカネラキスのバックはあくまでモダンで鋭いリズムを刻んでくるので、お互い合わせているようで身体は背を向けているような、そのコントラストが面白かったです。アンコールは無しであっさり終わりました。
 後半のラフマニノフでは、指揮棒を持って登場。ビブラートを解禁し、前半と比べて表情づけがいっそうドラマチックで濃厚になっています。どのフレーズも疎かにせず、縦の線を完璧に揃えて、隅々までコントロールが行き渡っています。よく知っている曲なのでそのうち本質がわかってきたのは、聴衆がこうあって欲しいと思うことをことごとく盛り込む、最大公約数的なある種のポピュリズムで心を掴むのがこの人のアプローチではないかと。決してネガティブに言っているのではなく、ぶっきらぼうに即物的な演奏よりは自分の好みと言えます。アーティストはどちらかというと人がやらないことをやって個性を出そうとする傾向にありますので、こういうポジションを取る人はむしろ希少です。一聴してカッコいいので引き込まれやすい反面、音楽のスケールが広がらないので指揮としては二流と腐す人もいるでしょうが、ここに至る労力と統率力を私はリスペクトします。
 第2楽章のロマンチックな第2テーマで、最初のポルタメントはしっかり効かせつつも2番目はサラッと過ぎるあたりなど、演出がいちいち心憎い。さらにロマンチックで有名な第3楽章は、クラリネット渾身の名演もさることながら、それを支えるホルンも安定感抜群で惚れ惚れします。最終楽章はかなり速めのテンポでぐいぐいと畳み掛けて中弛みするのを回避し、一直線に盛り上げました。満員御礼の聴衆が総立ちの喝采も納得、一期一会でその場限りの演奏会としては非常に満足度の高い名演と言えます。レコーディングになって繰り返し聴くにはどうかな、という一抹の疑念は残りました。ロンドンフィルも久々に聴きましたが、世界の一流オケの実力はさらに進化しているように感じられ、頼もしい限りです。


2025.06.07 サントリーホール (東京)
Gábor Takács-Nagy / 日本フィルハーモニー交響楽団
Miklós Perényi (cello-1)
1. ドヴォルザーク: チェロ協奏曲 ロ短調 op.104, B.191
2. ブラームス: ハイドンの主題による変奏曲 変ロ長調 op.56a
3. モーツァルト: 交響曲第41番《ジュピター》 ハ長調 K.551

 前週に続いてタカーチ=ナジ・ガーボルの日フィル初客演シリーズ、最終日(と前日)は場所をサントリーホールに変え、盟友ペレーニおじさんとの共演です。
 ハンガリーだけでなく世界が認める巨匠のペレーニさん、ブダペスト在住時にハンガリー国立フィル、ブダペスト祝祭管へのソリスト客演と、タカーチ=ナジらと結成したミクロコスモスSQで何度か聴く機会がありましたが、この至極のチェロをこれだけ至近距離で聴ける幸せを毎回ただただ噛み締めていました。最後に聴いたのは2009年のN響への客演で、この時もドヴォルザークのコンチェルトでした。そこから16年ぶりのペレーニさん、顔はさすがに老けましたが(元々老け顔ではありますが)、足取りはしっかりとしていたので一安心。虚飾を一切廃した誠実な芸風は今も健在で、渋いという一言では足りない、音は澄み切ってさらに極上、じっくりと磨き上げた天上のドヴォルザークでした。オケは編成小さめで控えめ、丁寧なバッキングに徹していました。アンコールはバッハの「アルマンド」、ペレーニさんのバッハは今なお進化中で、彼岸に届く透明さを感じました。
 今日の後半戦は、ブラームスもジュピターもあまり好んで聴く曲ではなく、自分にとっては正直オマケです。今日もガーボルさんのスコアは蛍光ペンでびっしりと書き込み。横浜の演奏会と同じ感想になりますが、ガーボルさんのリードは弦アンサンブルが非常に丁寧で、上手いというか細かいです。自分が一人で弾くかのような演奏を合奏させている感じで、こう弾いてほしいという伝え方が(特に弦の奏者にとって)たいへん卓越しているのだと思います。ということで、細部に興味はないので一緒くたで失礼ですが、非常に安定したブラームスとモーツアルトでした。アンコールは今日もバルトークやってくれるかなと期待したのですが、「ジュピター」第3楽章メヌエットのリピートでちょいがっかり。
 終演後、ステージ上では一般参賀を差し置いて、今日で退団される第2ヴァイオリンの加藤祐一氏と川口貴氏に花束贈呈、団員入り乱れての記念写真撮影大会になっていて微笑ましかったです。


2025.05.31 みなとみらいホール (横浜)
Gábor Takács-Nagy / 日本フィルハーモニー交響楽団
三浦謙司 (piano-2)
安達真理 (viola-3) ※客演首席奏者
1. シューベルト: 交響曲第7番《未完成》 ロ短調 D759
2. モーツァルト: ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
3. コダーイ: 組曲《ハーリ・ヤーノシュ》 op.15

 ハンガリーの巨匠タカーチ=ナジ・ガーボルさんが来るとあって、しかも曲は「ハーリ・ヤーノシュ」、躊躇なく横浜まで馳せ参じました。
 1曲目の「未完成」。まず驚いたのが、譜面台上のスコアをオペラグラスで覗くと、赤青黄の蛍光ペンでびっしりとマーキングしてあり、ところどころに付箋まで付いてました。指揮者の生真面目さが伺えます。そこまで分析し尽くしているだけあって、冒頭からおっと思わせる繊細な出だしにまず引き込まれます。元々ヴァイオリンの名手だけあって、弦のコントロールが実にスムース。ボウイング含めたアンサンブル、ニュアンス、バランス、どれを取ってもしっかりと指示を根付かせているのが凄い。管楽器もクリアにくっきりと響かせ、指揮ぶりはリズムをしっかりとキープしつつ細かい指示を出しまくる、まさに職人気質の堅実な指揮者でした。派手さやクセの強さはないものの、安定したクオリティを客演でもしっかりと導き出せる安心感は、世界中で好まれることでしょう。と言いながらもこの曲が超苦手な私は、後半はいつものごとく意識を失ってました…。
 2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲、ソリストは三浦謙司という初めて聞く人。ロン・ティボー国際コンクールの2019年ピアノ部門優勝者という受賞歴を持つ、まだ30代前半の若者です。余談ですがこのロン・ティボー国際コンクールは、近年は財政難で開催自体がスポンサー次第という不安定な状況のようですが、古くはサンソン・フランソワ、アルド・チッコリーニ、フィリップ・アントルモン、パスカル・ロジェなどの巨匠を輩出し、スタニスラフ・ブーニンもショパンコンクール優勝の前にこのコンクールを当時の最年少で優勝しています。とはいえ、三浦氏のピアノはそういったフレンチテイストの巨匠タイプとは異なり、遊びの少ない生真面目タイプに映りましたが、もちろん、不得意のモーツァルトでもあり、この1曲だけでは何ともわかりません。ただ、同タイプの職人ガーボルさんとの組み合わせは非常にやりやすかったのではないかと思います。アンコールはシューマンの「3つのロマンス」第2番をしっとりと。
 さて、ガーボルさんの指揮を今まで聴いたのは、ブダペスト祝祭管を含めてどれも比較的小編成の古典曲ばかりだったので、元々がタカーチ・カルテットで名を馳せた人ということもあり、音楽がミクロの方向に向かっていく傾向にあるのかなと感じていました。ここで一気に大編成になる「ハーリ・ヤーノシュ」はどう攻めるのだろうと思っていたら、やっぱりとことん細かく刻み込む演奏でした。相変わらず蛍光ペンでびっしりと書き込まれたスコアを手に、速めのテンポであまり粘らずにグイグイと進んで行きます。一昨年聴いたマダラシュ/N響がおおらかなスケール感を出していたのとは対照的。オケは金管中心にキズが多く、曲を楽しむよりも必死な感じが奏者それぞれの顔に出ています。ここらへんはN響と地力の差が見えたでしょうか。ツィンバロン、サックス、ヴィオラといったゲストは、飲まれることなくプロの仕事をこなし、しっかりと要所を締めていました。ツィンバロンの斉藤浩さんは一昨年のマダラシュ/N響でも素晴らしい演奏を披露されており、今の大河ドラマ「べらぼう」のテーマ曲にもソロで参加されている、日本ツィンバロン界(というものがあるのかどうか)の第一人者ですね。
 終曲はオケも気合みなぎって大いに盛り上がり、ガーボルさん思わずガッツポーズ。アンコールではメモを持って登場、日本語で紹介した曲は「ルーマニア民族舞曲」。思えば今回の来日プログラムにバルトークがなかったので、思いがけないラッキープレゼントでした。


2025.05.23 Barbican Hall (London)
Sir Mark Elder / BBC Symphony Orchestra
Alice Coote (mezzo-soprano-2)
David Butt Philip (tenor-2)
1. Schreker: Kammersymphonie (Chamber Symphony)
2. Mahler: Das Lied von der Erde (The Song of the Earth)

 前日に続く「久々」シリーズ、今日は12年ぶりのバービカンです。こちらも前のショップは閉鎖されて別のオープンスペースに移転していましたが、他の雰囲気はシャビーなトイレも含めて昔のまま、懐かしいです。
 シュレーカーは自分には馴染みのない作曲家で、世代的にはシェーンベルクとベルクの間、あるいはラヴェルとバルトークの間に位置するので、もっと聴いていてもよさそうですが、記録を辿ると過去には2010年のBBCプロムスで小曲を1つ聴いただけでした。その退廃的な作風は世紀末の時代を反映したもので、それゆえ生前から名声を得ていたものの、ナチスドイツの台頭もあり表舞台からの退場を余儀なくされた後は、上で挙げた強烈な人々と比べると「時代のふるい」にかけられてしまったのかな、という気がします。最も演奏頻度が高いと言われる「室内交響曲」ですら私は初めて聴く曲で、刺激少なく静かに流れていく繊細な音楽に、長い出張の疲れもあってつい爆睡。
 休憩中に恒例のアイスクリームを食べ、気を取り直してメインの「大地の歌」は、他のマーラー交響曲と比べると苦手で、聴いた回数も少ないです。前回聴いたのは2017年のインバル/都響ですから8年ぶり。ステージ上のメンバーを見ていて、トランペットにフィリップ・コブと思しき奏者が座っていたのでプログラムで確認すると、まさにその人でした。LSOから移籍したんですね。前のロンドン赴任でLSOを聴きまくっていたころはコブもまだ20代前半だったかと思いますが、そのシャープでブレない圧巻のトランペットに毎回感服したものでした。今日の「大地の歌」ではそんなに見せ場がないのが残念。しかし、LSOからBBC響への移籍はどっちにせよホールがバービカンなので、ファンやリスナーからしたら遠くに行かなくて一安心かもしれません。
 冒頭のホルンが返す返すも惜しかったですが、やっぱりBBC響は安定して上手いオケです。要となるオーボエ、コーラングレも惚れ惚れするくらい完璧。オケでもオペラでも幅広いレパートリーを誇る仕事人指揮者、マーク・エルダーのリードは予想通りスコアに忠実で全体的にクールな印象でしたが、マーラーの他の交響曲だと多分物足りないものの、この曲はこれでよいんでしょう。なお、今はフルートに一人日本人メンバーがいらっしゃるようです。
 テナーのデイヴィド・バット・フィリップは一昨年の東京春祭で「マイスタージンガー」のヴァルター役を聴いたばかりですが、今がまさに最盛期のようで、ハリのある声と情熱的な歌唱がたいへん良かったです。メゾのアリス・クートを聴くのは2回目で、前回も何と「大地の歌」、2011年のマゼール/フィルハーモニア管でした。このときのマーラーチクルスは交響曲全集としてCD化されていますが、「大地の歌」と同日収録の第10番アダージョは全集から除外されてしまい(CD化に適さないクオリティとダメ出しされたもよう、確かにテナーは酷かったが録り直せばよかったのに)、今となっては演奏を確認できないのが残念です。備忘録を見ると、ぶれることなくしっかりとした歌唱で声も出ていた、と書いていましたが、今回もその印象はほぼ変わらず、高音域がよく通る美声に、静かに情念を燻らせるような堂々とした歌唱が素晴らしかったです。ただし、苦手な曲はやっぱり苦手、なかなか自分の琴線に触れる演奏に巡り会うことはかなわないですねー。


2025.05.22 Royal Festival Hall (London)
Sir Andras Schiff (fortepiano-1,3) / Orchestra of the Age of Enlightenment
1. Schumann: Introduction and Allegro appassionato for piano and orchestra, Op.92
2. Mendelssohn: Excerpts from the Incidental Music to A Midsummer Night's Dream
 (Overture, Intermezzo, Nocturne, Scherzo)
3. Schumann: Piano Concerto

 前週に続いて出張中のオフを利用し、懐かしのサウスバンクへ。そもそも2013年に帰国して以来一度も英国を訪れる機会がなかったので、実に12年ぶりになります。中のカフェとショップはすっかり様変わりしていましたが、ホールの中は昔の通りです。
 啓蒙時代の楽団、OAEを聴くのも12年ぶりなのですが、シフはハンガリーの巨匠なのに何故か巡り合わせが悪く、過去に聴いたのは2011年のBBCプロムス1回だけでした。古楽器集団のOAEに合わせたとはいえ、ブリュートナーの1859年製フォルテピアノを奏でる今夜のシフはだいぶ変化球というか「よそゆき顔」の様子となるかもしれない、と思っていたのですが、確かにちょっと勝手が変わりやりにくそうな感じは見て取れたものの、元々の理知的で奇を衒わない芸風はこのようなピリオド系アプローチと親和性は高そうでした。本日のプログラムはシューマンとメンデルスゾーンという、19世紀前半を駆け抜け、どちらも若くして亡くなったドイツの天才ペアの作品で、今日のフォルテピアノが作られたのもちょうど二人が亡くなった後くらいですが、彼らが慣れ親しんだ「ピアノ」という楽器は、まさにこのようなものだったんでしょう。
 1曲目のシューマン「序奏とアレグロ・アパッショナート」は初めて聴く曲でした。久しぶりに聴くOAEの響きは、独特で新鮮。ノンビブラートの素朴な弦の上に、バロックアンサンブルのようなゴツゴツした木管が乗っかり、全体的に音に芯があって硬質ではあるがふくよかな太さも感じます。ホルンはバルブなしのナチュラルホルンで、浪漫派の曲になってくるとかなり演奏難度が上がると思うのですが、難なく完璧に吹きこなしてめちゃくちゃ上手い。後で調べると、トップのロジャー・モンゴメリーはROHでも首席奏者を勤めている英国ホルン界の第一人者だそうで、さすがと納得。対するシフのピアノは、楽器の特性上オケと音量バランスが合わない部分もあり、本当はガツンと情熱的に盛り上がりたい後半のアパッショナートも、だいぶ地味で落ち着いたものでした。多分モダンピアノにモダンオケで演奏する時はもっと揺さぶる感じになるんじゃないでしょうか。それにしても、過去に4度聴いたOAEも全てこのロイヤル・フェスティバル・ホールだったのですが、このオケのコンセプトでこのホールは広すぎで、何でいつもここでやっているのか不思議です。隣のクイーン・エリザベス・ホールや、あるいはウィグモア・ホールだとビジネス的に難しいのかもしれませんが、せめてバービカンでやってくれたほうが絶対特性に合っているのになあ、と残念に思います。
 2曲目は「夏の夜の夢」の非公式「組曲」としてよく抜粋される選曲から「結婚行進曲」を除いた4曲。一番のメジャーどころを外したのは、楽器編成の都合かもしれませんが、全体的なプログラムのトーンを考えての選曲でもあったかと思います。ここではシフは指揮に専念し、個人的にあまり思い入れのない曲ということもあって、あっさりと流れ過ぎました。
 休憩後のメイン、シューマンのピアノ協奏曲はゴールデンウィークのラ・フォル・ジュルネでも聴いたばかりですが、ここ近年この曲が大好きになってしまい、いろんな演奏を聴き漁っています。その中にはシフがイヴァーン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管と共演したBBCプロムスのYouTube動画もありましたが、やはり弾き振りで、楽器も鳴りにくいフォルテピアノになるとアプローチがだいぶ変わってきます。フレージングがより端正で抑圧的な古典アプローチになっていましたが、曲自体は明らかにロマン派の代表作なので、燃え上がり切れないもどかしさがありました。第2楽章では本来(?)の姿が垣間見え、情感を乗せた深いピアノが聴けましたが、第3楽章では再び即物的なピアノに戻り、ピアノの見せ場を作るよりもオケを快活に進めるほうに腐心している様子でした。
 アンコールではピアノの小曲を弾いた後、蓋を閉じてもう終わりかと思いきや、もう一曲、序曲「フィンガルの洞窟」を指揮しました。アンコールピースにはちょっと長い曲ですが、シューマンの協奏曲だけだとメインとしては短いので、ほど良いサービスでした。オケはますます鳴らしにくそうに演奏していましたが、クラリネットはたいへん美しい音色で、満足です。


2025.05.17 Sala Santa Cecilia, Auditorium Parco della Musica Ennio Morricone (Roma)
Daniele Gatti / Orchestra e Coro dell’Accademia Nazionale di Santa Cecilia
Andrea Secchi (chorus master)
1. Brahms: Gesang der Parzen
2. Brahms: Schicksalslied
3. Bruckner: Symphony No. 9

 私的「まだ見ぬ強豪」の一つ、聖チェチーリア音楽院管弦楽団は、バーンスタイン指揮でドビュッシー管弦楽曲集やプッチーニ「ラ・ボエーム」のレコーディングがあり、1990年代からガッティ、チョン・ミョンフン、パッパーノ、ハーディングといったスター指揮者が音楽監督に名を連ねるイタリアの名門オケです。ローマ出張中のオフ日にちょうど演奏会があったので、ここぞとばかり聴きに行きました。
 映画音楽の巨匠モリコーニの名を冠したホールは北側郊外のちょっと不便な場所にあり、ローマ中心部からだとバスかトラムを乗り継いで行くことになります。大きい本屋を超えて奥に入ると、屋外円形劇場を取り囲むように3つの音楽ホールが階段上に位置し、どれがメインホールなのか外観だけでよくはわかりません。中には多目的のイベントスペースもあり、ジュニアオケと思しき団体がバーンスタインの「マンボ」を練習していました。
 サンタ・チェチーリア・ホールの中は2800席と比較的広く、深い茶色で統一されたシックな内装に、なだらかな球面の天井がイタリアっぽいこだわりのオシャレです。プログラム前半は、ブラームスの「運命の女神の歌」と「運命の歌」という2曲の合唱曲。個人的にはどちらも全く初めて聴く曲ですが、プログラムにはそれぞれ過去の演奏歴が書いてあって、どちらも2010年にジョナサン・ノットの指揮で演奏して以来のようです。またガッティは「運命の歌」のほうを過去に3回も取り上げており、お気に入りなんでしょう。国立アカデミーの合唱団は80人くらい、声楽曲は元々苦手分野で細かいことはよくわからないものの、緻密なコントロールの下に人声の繊細さと迫力を感じることができました。ただし、ドイツ語の発音はちょっとイタリア寄りで、ブラームス臭いドイツっぽい匂いはしませんでした。なお、ガッティは過去2回聴いていますが、全て暗譜で臨むのがトレードマークのところ、今回も譜面台最初からなしの強気の攻めでした。
 買った席がステージ真横だったのはまだよいとして、自席の周辺を見事にいかにも地元勢のおばちゃん時々おっちゃんに囲まれてしまい、開演前はべちゃくちゃ、演奏中でもひそひそとうるさいので、休憩の間に平土間の空いてそうな席に移動。やはり音的にはこっちが大正解でした。ちなみに本日は3日連続公演の最終日で、週末にも関わらず客入りはイマイチ。半分くらいしか埋まってなかったんじゃないでしょうか。もったいない限りです。
 気を取り直してメインのブル9。オールイタリアンによるマカロニ・ブルックナーがどんな感じになるのか想像つかなかったのですが、ガッティもオケもさすがに世界の一流、ローカル色を封印した純度の高い正統派ブルックナーでした。まずこの人はブルックナーであろうともやっぱり暗譜で押し通しますが、前半以上に細かくタクトを操り、テンポを揺らし、非常にきめ細かく表情を付けていきます。自分の中でストーリーが完成されており、流れを大事にするためか楽章間をほぼ間髪入れず繋げます。そしてオケが優れて機能的で、応答が素晴らしく良く、何より音色が美しい。ご自慢の弦は言うまでもなく、金管も角がなく必要十分に鳴り渡り、オケが一体となって極めてナチュラルに、なめらかな盛り上がりを見せます。このようなひたすら美しい系のブルックナーが果たして王道かというと、異論もいろいろあるでしょうが、ヨーロッパの一流オケの誠実な仕事ぶりにいたく感動しました。それにしてもガッティの仕事人ぶりは相変わらずのハイレベルで、この人はとんでもなく優れたオケマイスターなのかもしれません。なお、オケメンバーは基本ヨーロッパ系の人ばかりで、第1ヴァイオリンに日本人らしき女性が一人いたのですが、プログラムを見ると韓国系の人でした。


2025.05.05 東京国際フォーラム ホールA (東京)
ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025
Kensho Watanabe / 東京フィルハーモニー交響楽団
小林愛実 (piano-1)
David Kadouch (piano-2)
1. ロベルト・シューマン: ピアノ協奏曲イ短調 op.54
2. クララ・シューマン: ピアノ協奏曲イ短調 op.7

 ゴールデンウィークのお祭りとして定着したラ・フォル・ジュルネに行くのも実に9年ぶりです。創始のころはけっこうなビッグネームも招聘していてお値頃感があったのですが、音響の悪いホールに加えて、値上がりしていくチケットと反比例してアーティストは年々小粒になり、毎年一応チェックはするものの、興味をそそられる演奏会がなく足が遠のいていました。今回はたまたま、シューマン夫妻のピアノ協奏曲セットという珍しい企画が目に止まり、久々に行ってみることにしました。
 だだっ広いホールAがほぼ満員だったのは、やはり小林愛実さんの人気でしょうか。2021年のショパンコンクールのファイナリスト(結果は4位)で、同じく2位だった幼馴染の反田恭平氏とデキちゃった婚をしたエピソードなどもほぼほぼ興味なく、当日になって、あーそういえば今日のソリストは、と思い出したくらいです。
 曲順とかよく把握しておらず、てっきりクララが先だと思い込んでいたので、颯爽と登場した小林愛実さんがオケと弾き始めたのがロベルトのほうだったのでちょっとびっくりしましたが、初めて聴く小林愛実さんを、よく知っているこの曲で聴けるのはラッキーなことだと思い直しました。ピアノの低音部が響かないホールのハンデはあるとは言え、総じた印象としては「のっぺりとしたピアノ」。運指のお手本のような正確さで、抑揚とかニュアンスとかを極力排除した即物的な演奏でした。終始しかめっ面で演奏されていますが、その表情からしてほとんど変化がない。別に顔芸をしろとは言いませんが、奏でる音楽の内容はある程度以上に顔に出ますので、自分の好みとはだいぶ違ったところにいる人でした。他国の人のことはわかりませんが、日本人の国際コンクール優勝者ってだいたいこのタイプのような気がします。まあ自分的には、反田氏共々しばらく封印でよいかなと。
 続くクララの協奏曲のほうでは別のソリストが登場し、こちらも初めて聴くフレンチピアニストのカドゥシュ。39歳というアブラが乗り切った年齢であり、先ほどの小林愛実とは対極と言える、ニュアンスとメリハリを効かせたヨーロピアンスタイルで、こっちのほうが断然面白かったです。顔芸をするわけではないのですが、その微妙な表情変化がちゃんと演奏とリンクしていて、懐の深さが感じられました。カドゥシュのピアノでロベルトの協奏曲を聴いてみたかったです。今回の2曲を奏者で分けるなら、逆の方が良かったのではないかと。
 なお東フィルはお仕事モードの淡々とした演奏。指揮者のケンショウ・ワタナベも、手堅くこなしたという以上の印象はありませんでした。まだ若く、本格的に売り出すのはこれからと思うので、今後の露出に期待したいところですが、両親日本人で横浜生まれの生粋日本人なのに、米国籍だから漢字を当てないプロモーション方針は、日本ではちょっと足枷になるのではと思います。


2025.04.26 NHKホール (東京)
Fabio Luisi / NHK交響楽団
東京オペラシンガーズ
NHK東京児童合唱団
Olesya Petrova (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調

 本日の演目は、来月アントワープ、アムステルダム、ウィーン、プラハ、ドレスデン、インスブルックを回る欧州ツアーのAプログラムだそうです。日程を見るとこの曲をやるのはアムステルダムの1日だけのようですが、大規模なうえに、合唱団、児童合唱も調達しなければならないので、そうそうどこでもできるわけではないんでしょう。
 にわか雨も上がり、NHKホールは当日券なしの満員御礼。コンマスは読響から移ったばかりの長原幸太氏です。第1楽章、9人揃えたホルンのユニゾンは気合い十分で力強く、その後も高い集中力でキビキビと進みます。全体的に見ても管楽器が途中でヘロヘロになるようなことはなく、特に、身体が温まってきた再現部のホルンはさらに素晴らしかったです。やはりルイージはこのような大オーケストラの交通整理が非常に上手いと感心しました。クサいベルカント風は抑え気味に、スタイリッシュかつ躍動感を際立ててまとめていきます。この圧巻の第1楽章は、欧州の口うるさい聴衆にも十分通用すると思いました。
 第2楽章の前に女性コーラスと児童合唱団が登壇。人数はそれぞれ50人、40人くらいでしょうか。楽器メンバーにとっては第2〜第4の中間楽章は小休止という意味合いもあるのでしょうが、第2楽章はともかく、第3楽章まで来るとちらほらほころびが出てきて、「弱音の弱さ」が見えるようになりました。メゾソプラノが入る第4楽章は特に管楽器が雑になってきたうえ、ロシア人メゾのペトロヴァ自身、調子がイマイチで声が安定せず。オーボエのポルタメントもほとんどかからず、あっさりとした味付けです。
 それでも第5楽章はコーラスがたいへん良かったです。オケとのバランスもちょうど良い感じの人数(声量)で、やはりルイージさんのバランスコントロールは素晴らしいものがあります。エピローグのような第6楽章は、休養十分な金管楽器を中心に、再び大音響のパワープレイに持って行きます。最後良ければ全て良し、この長丁場を耐えた甲斐がある盛り上がりでした。ダブルティンパニのユニゾンが、ずれないように奏者が必死で目配せしていたのが微笑ましかったです。
 第1楽章は非常に素晴らしい出来でしたし、全体的にも良い演奏で、10年ぶりに生で聴いた甲斐がありました。ただ、欧州に出て行ってガチ勝負するとなると、ようやく準々決勝に残った、くらいのランキングが妥当なところでしょうか。
 カーテンコールで、第3楽章の舞台裏のポストホルンではたいへん素晴らしい仕事をしたトランペット奏者がやんやの喝采をもらっていましたが、同じくバンダでがんばった小太鼓奏者にも日の目を当てて欲しかったなあと。


2025.03.15 ムーブ町屋ムーブホール (東京)
俳句×打楽器:會田瑞樹パーカッションリサイタル
1. 會田瑞樹: 《一茶の俳句による打楽器のためのコンポジション》(新作)
2. 木下正道: 《旅心 〜種田山頭火の俳句による〜》(新作)
3. 佐原詩音: 《病牀六尺 〜四季めぐる 子規と夢みる 十四の句〜》(新作)
4. 国枝春恵: 《芭蕉の俳句における4つの時》(新作)
5. 松村禎三: 《ヴィブラフォーンのために 〜三橋鷹女の俳句によせて〜》(2002)

 荒川区の2024年度支援事業「あらかわ文化イベント企画応援プロジェクト」で「俳句」をテーマにした企画公募により採択された演奏会の一つです。演奏に先立ち、會田氏自らこの企画の趣旨解説があり、自身が幼少のころから俳句に慣れ親しんでいたこと、上京後の初演奏会がこのムーブ町屋で荒川区とは縁が続いていること、日本現代音楽の黎明期を支えた指導者の池内友次郎が高浜虚子の息子にして自らも俳人であったことから、「荒川区にゆかりの俳句、俳人をモチーフに打楽器独奏用の新作を委嘱する」というアイデアを思いついたとのこと。
 というわけで、本日のプログラムは出来立て新作4曲の初演のあと、松村禎三作品でシメるという、アプサラスの松村賞披露演奏会みたいな構成です。まず1曲目は會田氏自らによる小林一茶の有名な俳句7句を題材にした組曲。よく通る美声で俳句を読み上げ、スネアドラムとタム各種、ビブラフォン、仏具のような金属打楽器など各種打楽器を駆使して、スナッピーをギターのように指で弾いたり、電動歯ブラシを押し当てたりと小技を効かせて多彩な音色を奏でていました。俳句から想起される情景、情感を素直に表出した作品と見受けましたが、打楽器ソロという制約から、効果音を模した直接的な使い方が主になります。
 続いて、「ゲージツ家クマさん」のような風貌の木下正道氏による、種田山頭火の俳句集「旅心」を題材にした作品。先ほどの一茶が「ザ・俳句」とも言える定型性と大衆性で日本人の耳に馴染むのに対し、定型も季語も無視した山頭火の自由律俳句に当てた音楽は1曲目とは全くアプローチが異なり、スネア、ロータム、ウッドブロック、タンバリンなど限られた小物打楽器をセットに固定して、わざと変な抑揚で読み上げた俳句に打楽器で合いの手を入れるような曲作りになっていました。山頭火の俳句がそもそもぶっ飛んでてわけわからんので、作曲の意図も非常に難解、しばし意識を失ってしまいました。後から突然思い出したのが、高校の国語の授業で習い非常に印象深かった「馬 軍港を内臓してゐる」という短い句。これも山頭火だったのかなと思って調べてみたら、「馬」は北川冬彦の有名な一行詩であって、山頭火の自由律俳句とは別ジャンルのようでした。と言われても、素人にはその違いがよくわかりません。
 次は正岡子規の晩年の随筆「病牀六尺」をタイトルに据え、14の俳句をモチーフにした佐原詩音氏の作品。副題が五七五になっていて、「四季」と「子規」、「めぐる」と「夢みる」が韻を踏んでいてなかなか素敵です。六尺(約1.8m)の病床を模した煎餅布団がひかれ、寝っ転がって咳き込みながらシロフォンを叩いたり、スライドホイッスルで戯けて、鈴をかき鳴らし、なかなかにやりたい放題の多彩な曲でした。普通のオーケストラで「木琴」はマリンバではなくシロフォン、「鉄琴」はヴィブラフォンではなくグロッケンシュピールが定番というか常識ですが、それら4つを全て駆使する曲は珍しいです。長く結核を患い、34歳の若さで亡くなった子規ですが、その俳句や文筆はむしろ明るいものが多く、この作品もその情緒的なものを楽しげな音として捉えようとした様子が伺えます。
 新作の最後は、大御所の国枝春恵氏による松尾芭蕉の有名な4つの俳句から想起される情況、感慨を音に還元した作品。いたずらに音色を試すようなことはせず、ヴィブラフォンを中心に各種銅鑼・ゴング類の金属打楽器と太鼓をはべらせた比較的シンプルな楽器構成。コントラバスの弓でヴィブラフォンを擦ったり、お経のように俳句を詠み上げたりと、多少のトリックを入れながらも、ミニマルな俳句の世界を隙間の多い音で表現したのはベテランのなせる技かと思いました。芭蕉をモチーフにした現代音楽は、昨年亡くなった湯浅譲二がいくつも作品を残しているので、恐れ多いと最初は断ったそうですが、これはこれで一つの世界観として成功しているのではないでしょうか。と言いながら、自分も実はその湯浅譲二作品を一つも聴いたことがないので、単なる素人の感想です。
 演奏会のトリを飾るのは、俳句と打楽器ということでこの曲は欠かせなかったのであろう、松村禎三「ヴィブラフォーンのために」。この曲を聴くのは第1回アプサラス演奏会で初めて聴いて以来になりますが、會田氏も学生時代、まさに同じ日のアプサラス演奏会で師匠の吉原すみれさんの演奏を聴いて感銘を受け、自身の演奏家デビューにこの曲を選ぶくらいに惚れ込んだということです。ここまでの新作群と違ってヴィブラフォンだけと向き合い、完全暗譜で臨んだ渾身の演奏は、とても丁寧で、かつ共感が伝わるものでした。曲としては多分かなり難解な部類になり、モチーフの俳句がいかなるロジックで目の前の音楽に繋がるのか、2回聴いたくらいでは全く理解が追いつきませんが、あれだけ思い入れたっぷりに演奏されると、なんだかわからないけど奏者の心は十分に響いてきます。また、前回聴いたときと同じ感想になりますが、この音響空間の圧巻の迫力は、レコーディングには決して収まらず、その場でライブ体験しないと絶対に感じ取れないものだと思いましたので、今回再びこの曲が聴けたのはたいへん得難い機会でした。


2025.02.18 サントリーホール (東京)
尾高忠明 / 大阪フィルハーモニー交響楽団
1. 松村禎三: 管弦楽のための前奏曲
2. ブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版)

 記憶に間違いがなければ、大フィルを聴くのは1982年の「大阪国際フェスティバル」にて、アレクシス・ワイセンベルクがソリストでラフマニノフ2番とチャイコフスキー1番を一晩で弾くというコンチェルトの夕べ以来、実に43年ぶりです。それ以前にも朝比奈隆などの指揮で何度か聴いているはずですが、金管はよく音を外すし、正直あまりシャキッとしないオケ、という印象しかありませんでした。東京公演を毎年行っていて、近年は音楽監督である尾高忠明の指揮でブルックナーの交響曲と日本人の作品という組み合わせが定番のようですが、オケとしての優先順位は低いので、カップリングが松村禎三でなければ聴きに来ることはなかったでしょう。
 サントリーホールは意外と客入りが良く、9割がた埋まっていました。さっそうと登場したのはソロコンマスのVaundy、ではなく崔文洙。チューニングが始まり、早速嫌な予感がしたのは、あまりに緊張感がなく、音が汚い。というか、安っぽい。大阪人はあまり楽器にお金をかけないのかなと。チューニング自体も、えっそれでやめちゃうの、と拙速な感じを残すものでした。はたして危惧していた通り、冒頭のオーボエは澄み切ったというには程遠い音色で、続くピッコロ6重奏も、最初からあんなにワウってたら繊細なスコアが台無しじゃー、と心で叫んでいました。こういった緩さ、おおらかさが昔から特徴というか、もしかしたら大フィルの魅力なのかもしれません。ただ自分の嗜好とは違うなあ、ということを再認識できました。
 松村禎三「管弦楽のための前奏曲」を生で聴くのも超久々で、多分、CD化もされている1992年の都響定期演奏会(指揮は岩城宏之で、前奏曲、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第1番というヴェリーベストプログラム)以来です。ついでの余談で、尾高忠明を見るのは2011年の札幌交響楽団ロンドン公演(ロイヤル・フェスティバル・ホール)以来ですが、その前に尾高さんを見たのは1998年のサントリー芸術財団主催「作曲家の個展:松村禎三」(この時は交響曲第2番の初演と、交響曲第1番、チェロ協奏曲というヘヴィープログラム)だったことを今ようやく思い出しました。話を戻すと、西洋音楽のフォーマットを使いながらも常に日本的、アジア的な文化の継承を意識し、音符ではなく古代建造物からインスピレーションを得て書かれたこの初期の傑作が、かつてほど取り上げられなくなったのは残念で、実演で聴けたのがまずは感謝です。この曲を聴くと、短すぎず長すぎない20分弱というコンパクトな時間内で巨大な伽藍が組み上げられていく様が脳裏に浮かびます。このような繊細な曲で(いやどんな曲でもそうなのですが)開始から早速ゴホゴホ遠慮なく咳をする輩があちらこちらにいて、コロナの効用で改善されたと思っていた咳マナーも、喉元過ぎればもはや風前の灯火です。
 メインのブルックナー「ロマンティック」は、やはり大フィルの「あかんところ」がしっかりと出ていた演奏と思いました。この曲で特に重要なホルンは音出すだけで必死、出たら万々歳で満足の世界で、その先の「アート」が全くありません。指揮者も最初から野心を捨てている感じで、自分の音楽を淡々とこなすのみ。熱量を感じることができませんでした。第2楽章、ここはプロオケの強みで中音域の弦は充実していて厚みを増していたのですが、第3楽章のホルンはやっぱり音出しているだけの苦しい演奏。最終楽章はそもそも冗長で好きではないのですが、退屈さを凌げるだけの盛り上がりは聴けず。オケのスタミナ配分はきっちり管理していたのか、最後まで管楽器を中心にバテる様子はなく鳴らし切っていました。しかし全体を通してまた聴きたいと思う要素がなく、大フィルのブルックナーは自分のためのものではないなと。クラシックの場合、たいていの曲はどんな演奏だったとしても「実演に勝るものなし」という一面がありますが、ブルックナーだとそうもいかない、ということを悟りました。今日のような演奏を聴きに出かけるくらいなら、家でハイティンクのCDを聴いているほうがずっと心に染みました。(単なる個人の見解ですので、気を悪くされた方がいたらすいませんです。)


2025.01.25 すみだトリフォニーホール (東京)
佐渡裕 / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番 ニ長調

 今年最初の演奏会は、佐渡裕のマーラー9番。佐渡さんお得意のマーラーは、1990年代前半のころに1番、3番、4番を聴いたはずですが、それ以降はご無沙汰です。佐渡さんを見るのも何と12年ぶり、前回はパリ管@サル・プレイエルでした。新日本フィルの音楽監督になってから、演目が面白くないのでちょっと避けていたかも。マーラーの9番を聴くのもえらい久しぶりだなと思ったら、前回は7年前の読響/カンブルラン、まあコロナ禍のおかげでたいがいのものは「久しぶり」になりますね。
 さて、その1990年代頃の佐渡裕は、「レニーの弟子」を看板に、熱気あふれる汗ムンムン演奏というイメージがあり、実際、テンポや間の取り方がバーンスタインのレコードと基本同じだったりして、その分安心して聴ける指揮者ではあったのですが、フランスでのちょっと長めのキャリアの後、ベルリン、ウィーンと渡り歩く過程で、ずいぶんと垢抜けてスタイリッシュな演奏をするようになったなあという印象です。
 開演前に佐渡さんの解説というよりミニトークがあり、バーンスタインのマーラーについての少年時代の思い出話を披露。ほどなく始まった第1楽章は、冒頭の弦のフレージングなどレニーばりに粘った部分もありつつも、テンポは遅めで慎重に進んでいく端正なマーラー像。個人的には山場で感情的な盛り上がりに欠けるのはちょっと退屈しました。第2楽章は素朴なレントラーで、特に仕掛けなし。第3楽章、開始のトランペットが惜しく、周囲では多くの人がビクッと反応していました。最後のコーダに向けて加速していく狂乱はなかなかのもので、ここはレニーを超える激しさでした。終楽章は止まりそうに遅いテンポこそ晩年のレニー風でしたが、他の人があまりやらない執拗なポルタメントをかけ、独自の境地を切り開いていたと思います。もはやレニーチルドレンではない佐渡裕をあらためて認識しました。
 オケはヘロヘロにならず、最後までよく鳴っていたのでその頑張りに拍手。ただ、欲を言えば、いちいち惚れ惚れするようなソロパートを聴かせてくれたロンドン響やNYフィルの演奏をまた聴きたいなあという思いがふつふつと…。


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