クラシック演奏会 (2017年)


2017.12.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Diego Matheuz / 読売日本交響楽団
Peter Erskine (drums-2)
1. バーンスタイン: 「キャンディード」序曲
2. ターネジ: ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演)
3. ガーシュイン: パリのアメリカ人
4. ラヴェル: ボレロ

 ちょうど1年前の今シーズンプログラムの発表から、ずっと楽しみにしていたコンサートです。5月には前哨戦としてコットンクラブにピーター・アースキン・ニュートリオのライブも見に行きました。ステージ奥の一番高いところに置かれたTAMAのドラムセットは多分そのときと同じものですが、メロタムとスプラッシュシンバルが増えて、若干フュージョン仕様になっているような。キックくらいはマイクで拾っているでしょうが、他は特にマイクやピックアップをセットしているようには見えませんでした。
 ディエゴ・マテウスはベネズエラの有名なエル・システマ出身で、N響やサイトウキネンには過去何度か客演していますが、読響はこれが初登場とのこと。振り姿もサマになる、いかにもラテン系の若いイケメンで、まずは小手調べと披露した明るく快活な「キャンディード」序曲。モタらず、ノリが良く、この前のめりな指揮にオケがちゃんとついて行っているのが良い意味で予想を裏切り、なかなかの統率力をいきなりさらっと見せました。
 続く「ドラムセットとオーケストラのための協奏曲《アースキン》」は2013年にピーター・アースキンのために作曲された作品。3本のサックスに大量の打楽器を含む大編成オケと、もちろんドラムセット、さらにエレキベース(意外と地味でしたが)まであり、ステージ上はお祭りの賑やかさです。作曲者のターネジは、前にも聞いた名前だなと思ったら、私は見に行けませんでしたが、2011年に英国ロイヤルオペラでの初演が物議を醸した「アンナ・ニコル」の作者でした。4つの楽章はそれぞれ以下のような表題があり、1は娘さんと息子さん、2は奥さん(ムツコさん)の名前から由来しています。
 1. Maya and Taichi’s Stomp(マヤとタイチの刻印)
 2. Mutsy’s Habanera(ムッツィーのハバネラ)
 3. Erskine’s Blues(アースキンのブルース)
 4. Fugal Frenzy(フーガの熱狂)
 1回しか聴いていない印象としては、曲がちょっと固いかなと。確かに、ドラムセット以外にも打楽器満載で、ラテンやブルースのリズムを取り入れ、派手な色彩の曲に仕上がっていますが、バーンスタインのように突き抜けた明るさがなく、どことなく影が見えます。また、ドラムの取り扱いが思ったほど協奏的ではなくて、普通にドラムソロです。アースキンはさすがに上手いし、安定したリズム感はさすがですが、インプロヴィゼーションの要素がほとんど感じられず、やはりクラシックの舞台では「よそ行き顔」なんだなと感じてしまいました。嫌いなほうではないのですが、単なる「打楽器の多い曲」という印象で、期待したスリリングな「協奏曲」とはちょっと違いました。またやる機会があれば、是非聴きたいと思います。
 後半戦は、管楽器のトップには試練の選曲が続きます。2曲とも1928年に作曲、初演されたという「繋がり」がミソ。「パリのアメリカ人」の実演は5年ぶりに聴きますが、管楽器のソロが粒ぞろいで驚きました。日本のオケで、ソロの妙技に感心する日が来ようとは。マテウスの指揮も全体を見通したもので、散漫になりがちなこの曲の流れを上手くまとめていました。ただし、ジャジーなスイング感はイマイチ。ラテンの人がジャズも得意とは限りません。
 「ボレロ」の実演を聴くのはさらに久々で、7年ぶりでした。「ボレロ」が入っていると名曲寄せ集めプログラムになってしまうことが多いから、あえて避けてきた結果とも言えます。ここでも管のソロはそれぞれ敢闘賞をあげたいくらいのがんばりで(まあ、トロンボーンがちょっとコケたのはご愛嬌)、世界の一流オケが安全運転で演奏するよりも、かえって熱気があり良かったのではと思います。マテウスはこの曲でも若さに似合わぬ老獪さを発揮し、クレッシェンドを適切にコントロール。バランス感覚に優れている指揮者と思いました。このエル・システマの新星は、あくまで明るいラテン系のキャラですが、実力は本物だと確信しました。今後の活躍に期待です。


2017.11.11 The John F. Kennedy Center for the Performing Arts, Concert Hall (Washington D.C.)
Gianandrea Noseda / The National Symphony Orchestra
Corinne Winters (soprano-2)
1. Webern: Passacaglia
2. Luigi Dallapiccola: Partita for Orchestra
3. Beethoven: Symphony No. 3 in E-flat major, Op. 55, "Eroica"

 出張のおり、初のワシントン・ナショナル交響楽団を聴いてまいりました。エッシェンバッハの後を継ぎ、今シーズンから音楽監督に就任したノセダの、これがオープニングの演奏会になります。客入りは良く、温かく迎えられていたように感じました。
 その記念すべき1曲目がウェーベルンの作品番号1番「パッサカリア」とは、なかなか意味深です。このオケを生で聴くのは初めてですが、さすがアメリカのオケ、というような馬力や華やかさは感じませんでした。金管がちょっと緊張気味で、音が安定しない。現代曲はあまり得意なオケではないのかなと。あと、ティンパニの配置がアメリカ式でなくドイツ式だったのが意外でした。ノセダは7年前のロンドン響で聴いたときはどうだったか忘れてしまったのですが、超高齢指揮者以外では珍しく、椅子に座っての指揮。Philharmonia版のちっちゃいポケットスコアを使っていたのは、7年前と変わりません。音楽は生真面目なスタイルで、無調・12音階に突っ走る前のウェーベルンを「歌」として捉えていたように私は感じました。
 1曲目の後マイクを取り、音楽監督としてのオープニングシリーズでなぜこの選曲なのかを解説、モダンな作曲家があえて古いスタイルの音楽に枠をはめて作曲に挑戦したものばかりを選んだ、と言ってました。それはもちろん見え見えでわかりますが、最後はグダグダになり、肝心の「なぜこの選曲なのか」の理由についてははっきり言及しませんでした。
 2曲目はダッラピッコラという20世紀のイタリア人作曲家の「パルティータ」。実は作曲者の名前からして初めて聞きました。12音技法に傾倒した人らしいですが、4曲からなるこの組曲は、まだ調性が残っている初期の作品。第1曲が「パッサカリア」ということで、前の曲とコンセプトが繋がってます。イタリアの陽気な太陽よりも、ちょっとブルーがかった冷たさを感じる作風です。聴きなれない曲ですが、ノセダの歌わせ方が上手いのか、すっと引き込まれる魅力を持っています。第4曲だけソプラノ独唱が入り、コリーヌ・ウィンターがしずしずと入ってきました。前のシーズンで英国ロイヤルオペラデビューも果たした期待の新鋭で、ルックスは抜群の美人。見た目若そうだし、オペラ歌手らしからぬウエストの細さは、こりゃあ人気が出るでしょう。ただし、この曲だけじゃちょっとわからないけど、正直、それほど綺麗な声でもなかったかなと。線が細く、どこかヒステリックになってしまう歌唱は、役どころを選ぶのではないでしょうか。「ルル」なんか、いいのかもしれません。
 メインは私の苦手な「エロイカ」。前半はイマイチと感じていたホルンが、休憩後メンバーがガラッと変わり、レベルアップしたので、意外と飽きずに最後まで聴き通せました。この選曲も、終楽章が4分の2拍子のパルティータ風というところが1曲目と呼応しています。ちょっと理屈っぽい気もしますが、うまい選曲だと思いました。ノセダは、オケの人数は絞ったものの、ピリオド的奏法のアプローチはせずに、普通のモダンオケを使って、裏技なしで明快に仕掛けを見せていく誠実タイプ。今度はいかにもイタリア人らしい、明るくリズミカルな陽のベートーヴェンでした。終演後の熱狂は、地元聴衆の期待感の表れでしょう。上々の滑り出しと思います。
 ケネディセンターは商業施設としてはだいぶ時代遅れ感が否めず、開放的な設計ではないので構造がわかりにくい建物でした。コンサートホールは座席が古くてスプリングがお尻に刺さるのが難点。2400席以上もあり、音響はお世辞にも良いとは言えません。ただし、ステージが低めなので、いっそ最前列とかで聴くのがよいかも。あとは、アメリカでは普通なのかもしれませんが、地下鉄・電車を降りてすぐにホール入り口があるわけではなく、日本や欧州の主要ホールと比べるとアクセスが悪い。またタイミングが悪いことに、隣のオペラハウスと終了時間がかち合い、大量の人が一斉に出てきてタクシーの列に並ぶも、待っていた第一陣のタクシーが一通りはけたらなかなか戻ってこず、地元の待ちきれない人々は続々とUberで車を呼んで逃げていました。結局シャトルバス、地下鉄を乗り継いでなんとか帰れましたが、夜は本数が極端に少なくなるので、ちょっとビビりました。


2017.10.24 サントリーホール (東京)
小泉和裕 / 東京都交響楽団
Alina Ibragimova (vn-1)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
2. フランク: 交響曲ニ短調

 ロンドンでは結局1回しか聴けなかったアリーナ・イブラギモヴァ。そのアリーナが待望の来日、しかもバルトークの2番、これは聴き逃す手はありません。ふと振り返ると、昨年はバルトークの曲自体、1回も聴きに行けておらず、ヴァイオリン協奏曲第2番も一昨年のN響/サラステ(独奏はバラーティ)以来。
 アリーナも日本でそこまでの集客力はないのか、もっと盛況かと思いきや、結構空席が目立っていました。田畑智子似のちょっと個性的なキューティは、三十路を超えても健在でした。さてバルトークの出だし、第一印象は「うわっ、雑」。音程が上ずっているし、音色も汚い。しかしどうやら狙ってやってるっぽい。この曲をことさらワイルドに弾こうとする人は多いですが、その中でも特に個性的な音楽作りです。ステレオタイプなわざとらしさは感じないし、不思議な説得力があるといえば、ある。ちょうど耳が慣れてきたところでの第1楽章のカデンツは絶品でした。繰り返し聴いてみたくなったのですが、録音がないのが残念。オケはホルンが足を引っ張っり気味で、小泉さんの指揮も棒立ちの棒振りで完全お仕事モード、どうにも面白みがない。ただし、終楽章は多分ソリストの意向だと思いますが、かなり舞踊性を強調した演奏で、オケもそれに引っ張られていい感じのノリが最後にようやく出ていました。エンディングは初稿版を採用していましたが、せっかくの見せ場なのにブラスに迫力がなく、アリーナはすでに弾くのをやめているし、物足りなさが残りました。どちらかというと私はヴァイオリンが最後まで弾き切る改訂版の方が好きです。
 メインのフランク。好きな曲なんですが、最後に実演を聴いたのはもう11年も前の佐渡裕/パリ管でした。小泉さん、今度は暗譜で、さっきと全然違うしなやかな棒振り。ダイナミックレンジが広くない弱音欠如型でしたが、力まず、オルガンっぽい音の厚みがよく再現されている、普通に良い演奏でした。小泉和裕は、初めてではないと思いますが、ここ20年(もしかしたら30年)は聴いた記憶がありません。仕事は手堅いとは思いますが、やっぱり、小泉目当てで足を運ぶことは、多分この先もないなと感じます。


2017.09.06 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-1)
1. ヴァインベルク: ヴァイオリン協奏曲 ト短調 作品67(日本初演)
2. ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番 ハ短調 作品43

 5日前に続き、クレーメル客演の第2弾です。前回のグラスに続き、今日のヴァインベルクも日本初演曲ということで、硬派なプログラムに敬意を表します。ヴァインベルクはポーランド生まれのユダヤ人で、ナチスから逃れてソ連に亡命し、そのソ連でもジダーノフ批判の流れで弾圧されたという波乱の人生を送った人ですが、正直、今まで名前すら意識して記憶にとどめたことがなかった作曲家でした。もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初めて聴く曲でしたが、それでもクレーメルの凄みは十分に伝わってきました。齢70歳にして、パガニーニとチャイコフスキーの両国際コンクールを制したその技巧は衰えず、それでいて、円熟味溢れるというのか、深い奥行きを感じさせる豊かな表現力。うーむ、もっと至近距離で聴きたかった。カスプシクは相変わらずオケをよく鳴らすも、重心の低い音作りに終始し、ソリストとのバランスが完璧に保たれている、何と上手い指揮者かと感心しました。アンコールは同じくヴァインベルクのプレリュードから2曲。音と音の間の「間」が独特の雰囲気を出している静かな曲で、俳句のようだと感じました。
 さてメインのタコ4ですが、前に実演を聴いたのは7年前のネルソンス/バーミンガム市立響でした。その時は音響の洪水に圧倒されましたが、本日のカスプシク/読響も負けず劣らずの超爆音系。ホルン8、フルート4、ピッコロ2といった、元々まるでマーラーのような大編成シンフォニーではありますが、こういう曲をやると日本のオケはたいがい途中で息切れするところ、最後まで鳴らし切った引率力はたいしたものです。打楽器もパワー全開で、特にセカンドティンパニはヘッドが破れないか心配になるくらいの爆叩き。一方で、ブラスは全般に頑張っていた中、ホルンのトップにいつものキレがなかったのはちょっと残念。全体を通しては、この曲のメタリックな肌触りを生々しく表出させた、非常に尖った演奏と言えるでしょう。ショスタコの最高傑作と称える人も多い、ということのも、こういう切実な演奏を聴くと大いに納得できます。


2017.09.01 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-2), Giedre Dirvanauskaite (vc-2)
1. ヴァインベルク: ポーランドのメロディ 作品47 no.2
2. フィリップ・グラス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (日本初演)
3. ムソルグスキー(ラヴェル編): 組曲「展覧会の絵」

 けっこういろんな演奏家を広く浅く聴けてきた中で、ギドン・クレーメルは「まだ見ぬ巨匠」の筆頭でしたので、今シーズンのプログラムを見たとき、この演奏会は最高優先度でピックアップしました。5年ほど前出張でリガを訪れた際、夜にちょうどクレーメルのアンサンブル、クレメラータ・バルティカの演奏会があり、チャンスとばかりに当日券を求めたのですが、残念ながらソールドアウトでした。
 1曲目の「ポーランドのメロディ」は、民謡を素材とした4曲から成る小組曲。もちろん初めて聴く曲でしたが、ポルカとかマズルカを取り混ぜた素朴な民謡曲で、カスプシクも軽い小手調といった感じです。ここのホルントップは相変わらず若いのにしっかりとしていて好感が持てます。
 2曲目は待望のクレーメルと、クレメラータ・バルティカのチェリスト、ディルヴァナウスカイテによる、フィリップ・グラスの二重協奏曲。日本初演だそうで、こちらも初めて聴く曲ですが、言われなくても作曲者がわかる、典型的なグラス節。正直、演奏はクレーメルでなくてもよいようなミニマルミュージックで、これをもってクレーメルを語ることはちょっと無理です。ただ、遠路はるばるこの日本くんだりまで来てくれて、ありふれたメンコンやチャイコンではないチャレンジングな選曲でその技巧を聴かせてくれるのは得難い機会です。アンコールは「ラグ・ギドン・タイム」という洒落た小曲。
 メインの「展覧会の絵」は重厚な音作りで、カスプシクの傾向がわかってきました。重心が低く芯のある弦、崩れず鳴らしきる管、相当力の入った演奏で、ラヴェル編曲のフレンチものよりも、完全にロシアものとして捉えています。読響からここまでの馬力を引き出すとは、オケの鳴らし方が上手い指揮者だと思いました。元々好んで聴くほうの曲ではなかったのですが、今日は退屈せずに最後まで聴き通せました。ということで、今日は前哨戦として、本チャンは5日後のもう一つの演奏会。選曲が重厚な分、期待は高まってしまうのでした。


2017.07.26 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
1. スメタナ: 連作交響詩「わが祖国」(全曲)

 今年も「フェスタサマーミューザ」の季節が到来し、貴重な平日夜の演奏会です。ほぼ満員で、客入りも上々。東京・横浜からの集客を考えると週末にブッキングしたいのはわかるのですが、毎度の満員御礼を見て、平日ニーズもそれなりにあるのは確実なので、東響さんも毎月とは言わんがちょっと考えてくれないかなと思います。
 スメタナの代表作「わが祖国」を生で聴くのは、メジャー過ぎる「モルダウ」含め、多分初めてだと思います。要はそのくらい個人的興味の薄い曲でしたが、あらためて全曲通して聴いてみて、やっぱりこの曲は性に合わんなとの認識を再確認しました。あくまで個人的な感想であり、私の感覚などはどう見ても少数派であることは承知の上で言いますと、特に前半の3曲が退屈です。第1曲「高い城」冒頭のつかみも悪い。ハープのデュオは、そりゃー美しく幻想的とも言えなくはないですが、自分としてワクワク感は全くなく、これから始まる退屈な時間を予感させるものでしかない。続く「モルダウ」は、元々好きな曲ではない上に、どうしても手垢まみれ感満載で、素直に耳を傾けることができず、大概このあたりでギブアップ。「モルダウ」まで聴いたのだから、大体わかった、ハイ終了、でいいだろうと。休憩を挟んで気を取り直し、聴いてみた後半3曲は、円熟を感じるシンフォニックな作りで、なかなかカッコイイ曲であると気付けたのが今回の発見でした。レコードで聴くとき、最初から順番に聴こうとしてはいけなかったのですね。
 チェコ人の若手スター、フルシャは、当然のように暗譜で臨みます。超定番のご当地モノとして研究し尽くしているとは思いますが、ある意味指揮者以上に手慣れているチェコのオケを振るときと異なり、バックグラウンドの全く違う日本のオケに短時間で解釈を叩き込むのは、さぞ難儀だろうと思います。前述のように個人的に馴染みの薄い曲ゆえ、解釈の微妙な特徴はよくわかりませんが、フルシャは見るからに正統派の中庸路線で、小細工なしにしっかりとオケを鳴らして起伏を作っていました。チェコフィルのような土着の渋味が出ないのは仕方ありませんが、都響の反応は良かったと思います。オーボエ、フルートを筆頭に、ソロも冴えていました。


2017.07.17 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Anna Larsson (contralto-2), Daniel Kirch (tenor-2)
1. マーラー: 交響詩「葬礼」
2. マーラー: 交響曲「大地の歌」

 インバル/都響のマーラーは、2014年に9番と10番クック版を聴いて以来。どちらも素晴らしかったので、「遺作」交響曲シリーズとして期待は高まります。
 まず1曲目は「復活」の第1楽章の原型である、交響詩「葬礼」。実演で聴けるのは貴重です。楽器編成とスコアの細部はいろいろと違うものの、曲想としてはほぼ同一と言ってよいでしょう。個人的には、「復活」のスコアで言うと練習番号15番(244小節目)からのテーマ再現部、弦の「ジャカジャカジャ」に続く、やけくそのような打楽器群の「グシャーン」という合の手がないのは寂しいです。コンミスが線細なのがちょっと気になったものの、全体的に弦のコントロールがきめ細かくて表現力に富み、都響の金管もインバルの指揮だと何故か穴がなく説得力のある音を出すから不思議です。
 メインの「大地の歌」は、著名曲でありながらマーラーの中ではプログラムに載る頻度が相対的に低く、この曲だけ日本で生演を聴いていなかったので、帰国後のささやかなコンプリートが、これでまた一つかないました。ソリストはどちらも初めて聴く人でしたが、マーラー歌手として評判の高いらしいアンナ・ラーションは、エモーショナルかつ老獪な、期待を裏切らない完成度。一方のちょっと若そうなテナーのダニエル・キルヒは、最初から飛ばし気味で駆け引き無縁のストレートな熱唱を聴かせてくれましたが、案の定、張り切り過ぎで途中で息切れしていました。
 インバルのリードはいつも通り説得力があり、流れは澱みなく、奏者の息もよく合っているので、全体的に引き締まった印象でした。その分壮大なスケール感には欠けていたかもしれませんが、爆演が似合う曲でも元々ないだろうし。ソロではオーボエとホルンが特に良かったです。インバル/都響は、今後もインバルが来日してくれる限り、できるだけライブを聴きに行きたいと思いました。


2017.06.11 Gewandhaus zu Leipzig, Großer Saal (Leipzig)
Kristjan Järvi / MDR Sinfonieorchester
1. J. S. Bach: 'Chaconne' from Partita No. 2 for Violin BWV 1004 (arr. by Arman Tigranyan)
2. Max Richter: Exiles (German premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2 in E minor Op. 27

 ライプツィヒは13年前に訪れて以来の2回目ですが、前回は幼児連れでとても演奏会どころではなかったところ、今回はタイミングよく念願のゲヴァントハウスで演奏会を聴くことができました。オケはやはりゲヴァントハウス管を聴きたかったところですが、あいにくこの日はMDR響(旧ライプツィヒ放送響)。まあでも、ゲヴァントハウス管はロンドンで何度か聴いているし、その昔ケーゲルとの録音がマニアに高評価だったライプツィヒ放送響を生で聴けるとあらば、全く文句はございません。
 ライプツィヒの旧市街は本当にこじんまりとしていて、隅から隅まで回っても半日で足りそうです。その一角にあるゲヴァントハウス、外観は13年前と全く変わっていません。正面右隣にあった旧共産圏の匂いをプンプンさせていた建物は、建て替えられてすっかりモダンになっていましたが。コンパクトなホール内は平土間がなく、どの席からもステージがよく見えて、しかも音場が近そうな、まさに私好みのホール。ここに通えるのならこの街に住んでみたい、と思ってしまいました。
 さて、日曜マチネの公演の客層はシニア層が大半を占めていました(危惧した通り、補聴器のハウリングが当たり前のように起こっていましたが…)。1曲目は地元最大の著名人、JSバッハの「シャコンヌ」管弦楽版。編曲は1979年生まれのロシア人(ですが見るからにスラヴ系ではなく南方スタン系の人)、ティグラニアン。2管のフルオーケストラを駆使した、奇をてらわない正統派の作りで、金管打楽器もふんだんに使い、派手な演出です。ストコフスキーのバッハ編曲を連想させました。ある意味映画音楽みたいで、作家性はあまりないものの、よい仕事をしていると思います。演奏後、編曲者が登場、挨拶させられてました。
 続いて、マックス・リヒターの新作「Exiles」はドイツ初演とのこと。世界初演も今年ハーグで行われており、こちらはパーヴォ兄ちゃんの指揮だったそうです。弦楽器、打楽器、ピアノ、ハープという編成で、全部で30分ほどのスローなミニマルミュージックでした。最初ピアノから始まり、同じメロディを繰り返しながら徐々に徐々に楽器が増えていく、言うなれば現代の「ボレロ」。ミニマル系なので聴きやすい曲ですが、打楽器なぞ25分ごろからやっと登場し、とにかく長い。同じミニマル系でもグラスとかライヒと比べて展開に意外性もなく、先が読める産業音楽に思えました。こちらは作曲家は出て来ず。
 メインのラフマニノフ2番は好んで実演を聴きに行く曲の一つですが、昨年は機会がなかったので約2年ぶり。また、ロンドンで何度か聴き「イロモノ系指揮者」(失礼!)との認識を持っていたクリスティアン・ヤルヴィで、まともな交響曲を聴くのは多分初めてです。全体を通しての印象は、自身も指揮台の上で飛び跳ね、踊りつつ、ノリと歌を大切にする音楽作りだなあと思いました。冒頭からねちっこく歌うようなフレージングにもかかわらず、早めのテンポが功を奏し、甘ったるくなる寸でのところで理性を保っています。第1楽章の最後はティンパニの一撃あり。第2楽章の第2主題は逆に、ポルタメントなんかかけなくても十分歌えるわい、と言わんばかりにさらっと流して、決して無理やり作り込むのではなく、奏者をうまく乗せて、自発的に出てくる歌謡性を拾い上げるような感じでした。実際、第3楽章のクラリネットソロはほぼ奏者の自由に吹かせていました。
 クリスティアン・ヤルヴィが個性的で良い指揮者なのは実体験済みでしたが、MDR響もさすがは旧東独の名門放送オケでした。オケは常によく鳴っていながらも、弦も管もバランスがよく、どのパートもたいへんしっかりしていて、安心して聴いていられます。アンコールはベートーヴェンの「カヴァティーナ」、心地よい余韻でした。


2017.06.09 Wiener Konzerthaus, Großer Saal (Vienna)
Christian Thielemann / Wiener Philharmoniker
Dieter Flury (flute-2)
1. Brahms: Academic Festival Overture Op. 80
2. Jörg Widmann: Flûte en suite (2011)
3. Brahms: Symphony No. 4 in E minor

 出張のおり、5年ぶりのウィーンフィルを聴くことができました。ティーレマンを見るのは初めてでしたし、コンチェルトハウスも前世紀以来行けてなかったので、グッドタイミングでした。
 土日にも楽友協会で定期演奏会があるとは言え、そちらのチケットは入手困難ですし、ティーレマンのブラームスですから、客入りはほぼ満員。席は平土間の脇のほうで、コスパは良かったですが、やはりこのホールは天井が高い分残響が無駄に長すぎて、オケから遠いと音に芯がなくなるのが難点です。
 1曲目の「大学祝典序曲」は昔部活で演奏したこともあるノスタルジー曲。イメージ通り、ティーレマンはいかにも融通の利かなさそうな仏頂面のドイツ人でしたが、音楽は見かけによらず軽やかというか、片意地の張らないリラックスしたものでした。ウィーンフィルもブラームスはヘタなものを聴かせるわけにはいかず、ホルンとかいちいち外さないのがたいへん心地よく、あっという間に安心感に包まれました。
 続いて、首席をソリストに迎えての、ヴィットマンのフルート組曲。初めて聴きましたが、ラトル/ベルリンフィルも取り上げた注目曲で、コンテンポラリーとしては聴きやすい作風。バロックからの引用もあったり、楽しく聴ける曲でした。こういう曲は本来はかぶりつきで聴きたかったのものですが。
 最後はメインのブラ4。たいへんわざとらしいタメを作って冒頭の「嘆きのテーマ」に入ったのは、そういう小細工をいかにもしなさそうなイメージだったので、全く意外でした。ティーレマンは「最後の質実剛健ドイツ人」という先入観のほうがむしろ間違いで、音楽はけっこう緩く、四角四面には当てはまらない流動的なものでした。ダイナミクスのメリハリはそんなに繊細ではなく、あくまでテンポと歌わせ方で起伏を作るスタイルですが、解釈が先にあって細部をコントロールするよりも、元々の音楽の力にまかせて盛り上がりが自然に形成されるという演繹的手法。ある意味、実はこれが伝統的なドイツ流正当ブラームスか、とも思いました。
 ティーレマン、汗びっしょりの燃えつき熱演で、最後は上着脱いで登場の「一般参賀」までありました。いずれにせよ、現地で聴くウィーンフィルの音は、日本で聴く普段の演奏会とはやっぱり別格でした。


2017.05.25 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
明電舎創業120周年記念 N響午後のクラシック
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
Boris Berezovsky (piano-2)
ショスタコーヴィチ: 祝典序曲
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
リムスキー・コルサコフ: スペイン奇想曲
チャイコフスキー: 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 平日はほとんど演奏会のないミューザ川崎。地元民じゃないから週末は川崎に来ない私にとっては、スポンサーの明電舎様様です。木曜日の午後3時開始なのに、やはりシニア層が中心ですが、ほぼ満員の客入り。ほらごらん、やっぱり聴衆は平日の演奏会にとっても飢えているのではないでしょうか。
 さて今日の指揮は先週聴いたばかりのフェドさん。1曲目の「祝典序曲」は、先週全般的に感じた「重さ」がまだ残り、スローテンポでフレーズをじっくり聴かせるような演奏でした。うーむ、この曲はやっぱりもっとギャロップ感が欲しいかな。それにしても、相変わらずトランペットの音が汚い。ただし今日は他の金管、特にホルンは立派なものでした。
 そのホルンで始まるチャイコンは、第2楽章までは意外と淡白とした進行。ベレゾフスキーは、いつもルガンスキーと記憶がごっちゃになるので今一度記録を調べると、ブダペスト(2005年)、パリ(2013年)で聴いて以来の3回目です。テクニックひけらかし系の人だったはずですが、今日はフェドさんに付き合ったのか、ピアノが突出することなくオケの中に溶け込み、ずいぶんと落ち着いてしまった印象。と思わせといて、終楽章ではいきなりフルスロットルの高速爆演が圧巻でした。このために前半は抑え気味だったのか、と思うほど。やはりこの人の凄テクは一聴の価値ありです。
 後半最初の「スペイン奇想曲」は、フェドさんここまでと打って変わって、小躍りしながら楽しそうに振っています。オケも後半でようやくエンジンが温まってきたのか、鳴りが良く、個々のソロも際立ってきました。最後の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、正直苦手な曲だったのですが、途中飽きることなく終始ドラマチックに聴かせ通しました。アンコールはスネアドラムの人が戻ってきて、ガイーヌから「レズギンカ舞曲」。もうノリノリで、このギャロップ感が「祝典序曲」でも欲しかったところです。フェドさんは真っ先にスネア奏者を立たせただけでなく、指揮台のほうまで手を引っ張ってきて真ん中に立たせたのは、普段日の目を見ない打楽器奏者にとっては、何年に1回あるかないかの晴れ舞台だったことでしょう。全体的に、先週と比べると指揮者もオケも随分とリラックスした感じで、私はこっちのほうが断然良かったです。


2017.05.19 NHKホール (東京)
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
1. グリンカ: 幻想曲「カマリンスカヤ」
2. ボロディン: 交響曲第2番ロ短調
3. チャイコフスキー: 交響曲第4番ヘ短調

 フェドセーエフは新婚旅行の際、ウィーンで聴いて以来です。ここ数年何度かN響に客演していたのは知っていましたが、タイミングが合わず、もういいお歳なので下手すりゃ再見できずじまいかと諦めかけておりました。悠々と登場したフェドさんは、風貌が昔とあまり変わっておらず、よぼよぼしたところも皆無だったので、とても85歳には見えず、お元気そうで何よりでした。
 1曲目は初めて聴く曲ですが、そもそもグリンカというと「ルスランとリュドミラ」序曲以外の作品を知りません。しかしこれが意外と小洒落た佳曲で、短い中にもロシアの情景が穏やかに詰まっています。中間部の軽妙なクラリネットソロがたいへん上手かったです。
 続くボロディンの2番は、そこそこメジャーな交響曲の名曲で、レコーディングも多数ありますが、欧州在住時代でも演奏会のプログラムに乗ったのをあまり見たことがなく、生で聴くのは初めて。「だったん人の踊り」くらいは昔どこかで聴いたと思いますが、ボロディン自体、今までなかなか演奏会で聴く機会がなかったような。さて第2番ですが、第1楽章の勇者の主題はたっぷりと重厚に聴かせ、どっしりと行くのかと思いきや、楽章を追うごとに重しが取れて、終楽章などは実にあっさりこじんまりと軽くまとめていて、ある意味小細工なく、アンバランスさも含めてあるがままの曲の姿を浮き彫りにしたと言えそう。金管の音が汚いのがちょっと興ざめです。いちいちアタックが強いのはロシア風なのか・・・。
 メインのチャイ4も何だか同じ芸風で、第1楽章はリズムが死んでいて、第2楽章もスローテンポで弦を重厚に響かせ、とにかく前半が重い。切れ目なく開始した第3楽章は、極めて抑制の効いたピッツィカートがそれまでの重さを払拭してくれました。元々合間をあまり置かないフェドさんなので、終楽章もアタッカで行くのかと思いきや、ここは弦楽器が弓を持ち変えるために一息いれたのがちょっと意外。しかし、第2主題の前は一瞬パウゼを入れる演奏が多い中、スコアに忠実なフェドさんはそんなもの一切入れず、おかげで第2主題の頭が聴こえないという、曲の問題点をやはりそのまま浮き上がらせてしまいます。音が雑だなあと感じてしまうと、そんな細かいことばかりが気になってしかたがない。まあしかし、こんなオハコ中のオハコであろう曲でも常にスコアを追いながらデリケートな音楽作りをするのがフェドさんの真骨頂なれど、理想の「音色」まで引き出すような指導はしないのだなあ、ということがわかりました。チャイ4に関しては、昨年聴いたチョン・ミョンフンのほうが指導力に勝るかなと思いました。


2017.04.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Bálint Szabó (Bluebeard/bass-3), Iris Vermillion (Judith/mezzo-soprano-3)
1. メシアン: 忘れられた捧げもの
2. ドビュッシー: 〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章
3. バルトーク: 歌劇〈青ひげ公の城〉(演奏会形式)

 正直、マイナーとは言わないまでも、このカンブルランならではの渋すぎるプログラムに、ここまで客が入るとは驚きでした。今回の選曲は、バルトークとドビュッシーが共に1911年の作曲で、1曲目のメシアンだけ1930年作曲と、時代が遅れておりますが、むしろメシアンが一番調性寄りの穏やかな音楽に感じてしまいました。「忘れられた捧げもの」は初めて聴く曲でしたが、カンブルランは全てを熟知したようなコントロールで、レガートをきかせてひたすら美しく流れると思いきや、唐突に大きな音で驚かせたりと、素人はなすすべなく遊ばれました。2曲目のドビュッシーも、実演では初めて聴きますが、いかにもというつかみどころのない曲。今日はファンファーレ付きの演奏でした。弦を中心とした精緻な音作りは、他の指揮者のときとはやはり集中力が違いました。
 本日のメインイベントはもちろん久々に聴く「青ひげ公の城」。実演は一昨年以来ですが、帰国してからすでに4つ目のオケですから(東フィル、都響、新日フィル、読響)、日本でもやっと定番レパートリーの地位を得たのであればたいへん喜ばしい限りです。今回の歌手陣はどちらも初めて聴く人でした。青ひげ公役のサボー・バーリントは以前も聴いたような気がしていたのですが、いろいろと記録を辿ると、I・フィッシャー/コンセルトヘボウの映像配信で歌っているのを見ていただけで、その直後に同じ指揮者で実演を聴いたブダペスト祝祭管と共演していたコヴァーチ・イシュトヴァーンと、どうも記憶が混同していたようですが、それはさておき。
 欧州では演奏会形式でも前口上までちゃんとやるのが昨今の主流ですが、現行のペーテル・バルトーク編完全版スコアで用意されているのはハンガリー語と英語だけなので、日本では前口上なしで済ますのが普通になっていて寂しいです。今日はさらに、第1の扉の前などで聞こえてくる「うめき声」も省略されていて、あくまで純粋音楽としてのアプローチでした。カンブルランのちょっとフレンチなバルトークは、ハンガリー民謡のタメなどはほとんど気にせず淡々と進行し、和声の構造を裏側までくっきり際立たせる見通しの良い演奏で、ここまで徹底したのはありそうであまりなかった、非常に新鮮な響きでした。ただしオケは途中から熱が入りすぎて歌をかき消す音量になってしまったので、大部分はもうちょっと抑え気味でも良かったのでは。ユディットはドイツ人のフェルミリオンで、レパートリーとしてはまだ日が浅いのか、この曲を楽譜を立てて歌っている人は初めて見ました。歌は激情型で悪くはなかったのですが、ハンガリー語が不明瞭だったのが気になりました。対するサボーはハンガリー語を母国語とするトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身のバスなので、二重の意味でこの曲はもちろん十八番。席が遠かったので声があまり届いてこなかったのが残念でしたが、多分近距離正面で聴けば渋さが鈍く光る貫禄の青ひげ公だったのだろうと感じました。やっぱり歌ものはなるべく近くの正面で聴きたいものです(が、良席はすでに完売でした・・・)。


2017.04.01 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 8
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation), 田尾下哲 (video)
Arnold Bezuyen (Siegfried/tenor, Robert Dean Smithの代役)
Rebecca Teem (Brünnhilde/soprano, Christiane Liborの代役)
Markus Eiche (Gunther/bariton), Ain Anger (Hagen/bass)
Tomasz Konieczny (Alberich/bass-bariton), Regine Hangler (Gutrune/soprano)
Elisabeth Kulman (Waltraute/mezzo-soprano)
金子美香 (Erste Norn, Flosshilde/alto), 秋本悠希 (Zweite Norn, Wellgunde/mezzo-soprano)
藤谷佳奈枝 (Dritte Norn/soprano), 小川里美 (Woglinde/soprano)
東京オペラシンガーズ
1. ワーグナー: 舞台祝祭劇 『ニーベルングの指環』 第3日 《神々の黄昏》(演奏会形式・字幕映像付)

 3月21日に東京の開花宣言が出たときは、エイプリルフールの頃には上野公園の桜もさぞ麗しかろうと思っていたのに、予想外の冷え込みのせいで開花はまださっぱりでした…。そんなこんなで迎えた東京春祭「リング」の最終年は、直前で主役級2人の降板という、それこそ「エイプリルフールでしょ?」と思いたくなるような波乱含みで、のっけから嫌な予感。「出演者変更のお知らせ」のチラシには、来日してリハーサルをやっていたが急な体調不良で、とわざわざ書いてあったので、まあダブルブッキングとかの理由ではないんでしょう。開演前のアナウンスでは、代役の二人は3月29日に来日したばかりなので、と最初から言い訳モード。これまで世界クラスの歌手陣で質の高い演奏を聴かせてくれたシリーズだっただけに、最後にこれはちと残念じゃのー、まあせいぜいおきばりやす、と期待薄で臨んだところ、ジークフリートを除いて概ね今年も満足度の高いパフォーマンスだったので、良かったです。
 ブリュンヒルデのティームは、出だしこそ不安定さを見せたものの、すぐにエンジンがかかり、多少粗っぽくはあるものの、堂々とした迫力あふれる歌唱で、この日最大級のブラヴォーを浴びていました。もう一方のベズイエンは割りを食ったというか、気の毒なくらいに自信なさげで、声もオケに負け続けで、このパフォーマンスだけを聴く限り、ジークフリートとしてはあまりに力量不足。この人は最初の「ラインの黄金」でローゲを歌っていて、そのときは曲者ぶりがなかなか似合っていたのですが、ヘルデンテナーは元々キャラじゃないように思います。とは言え、調整不足と時差ぼけの中、この超長丁場を歌い切って、とにもかくにも舞台を成立させてくれたのだから、最後は聴衆の優しい拍手に迎えられてだいぶホッとした表情に見えました。予定通りロバート・ディーン・スミスが歌っていたら格段に良かったのかというと、それも微妙かなと思いますし。
 他の歌手も、ほぼ穴がないのがこのシリーズの凄いところ。3年前「ラインの黄金」のファーゾルトを歌う予定がキャンセルし、今回初登場のアイン・アンガーが、やはりピカイチの歌いっぷり。重心の低い落ち着いた演技ながらも要所でしっかりと激情を見せる懐の深い歌唱力は圧巻でした。グンターのマルクス・アイヒェはインバル/都響の「青ひげ公の城」で聴いて以来ですが、鬱屈した役柄なので多少抑え気味ながらも、誰もが引き込まれる美声が素晴らしい。初めて聴くグートルーネのハングラーは、見かけによらずリリックな声質で、振り回される乙女の弱々しさを見事に好演。シーズン通してアルベリヒを歌っているコニエチヌイの安定感は、もはや風格が漂っています。もう一人の常連組、ヴァルトラウテのクールマンも短い出番ながら余裕の存在感。一方の日本人勢は、3人のノルンのハーモニーが悪すぎで、序幕はすっかり退屈してしまいました。終幕のラインの乙女たちはまだ持ち直していましたが。
 繰り返すまでもなく、普段より一段も二段も集中力が高かったN響の演奏もこのシリーズの成功要因で、N響をもう一つ信用できない私としては、キュッヒル様様です。もちろん巨匠ヤノフスキのカリスマあってのこのクオリティだと思いますが、二人とも終演後に笑顔はなかったので、出来栄えとしては気に入らなかったのかもしれません。後方スクリーン映像の演出は、元々私は不要論者でしたが、4年目にもなるともはや気にならなくなっていました。ただし演出で言うと、奏者をいちいち袖から出してホルンやアイーダトランペットで角笛やファンファーレを吹かせていたのは、完璧な演奏でバッチリ決めるのが前提でしょうね。
 「リング」チクルスも終わり、来年の春祭ワーグナーは「ローエングリン」だそうです。フォークト、ラング、アンガー、シリンスと、これまた充実した顔ぶれの歌手陣で、ワーグナーは疲れたのでちょっと一休みしようかと思ったのですが、秋にはまたチケット買ってしまいそう…。


2017.03.10 みなとみらいホール (横浜)
大河内雅彦 / 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
1. シューベルト: 劇音楽「ロザムンデ」序曲
2. ワーグナー: 歌劇「リエンツィ」序曲
3. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

 今年に入ってアマオケばかりですが、慶應ワグネルを聴くのはちょうど3年ぶり。前回もマーラー(7番)でしたが、今回は9番。頻度高いのではと思い過去の演奏履歴を見てみると、例えば京大オケがマーラーを取り上げるのが5年に1度くらいに対して、ワグネルは2年に1度くらいで、確かに多いです。
 さすがは慶應というか、出演者も客層も、ナチュラルな富裕層感がそこかしこに漂っています。オケの方は、3年前とほぼ同じ感想ばかりなのですが、前座の序曲とメインでメンバーがガラっと入れ替わっても演奏レベルが極端に変わらないので、自己責任の放任主義ではではなく、コストをかけてきちんとトレーニングされている感じがします。特に弦は全体的にハイレベルだったのですが、第二ヴァイオリンとヴィオラがしっかりしているので安心して聴いていられます。アマオケとは思えない終楽章の重層感は感動的でした。管ではトランペットがアタックもまろやかで、丁寧な仕事がたいへん良かったです。
 みなとみらいホールも平日夜ならこうやってふらっと聴きに行けるのになあ、と思って年間スケジュールをチェックしましたが、ここもミューザ川崎と同様、平日は基本的に演奏会やってないんですね。残念。


2017.02.12 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
水戸博之 / 三井住友海上管弦楽団
1. メンデルスゾーン: 序曲「フィンガルの洞窟」
2. ビゼー: 「カルメン」第1・第2組曲
3. ブラームス: 交響曲第3番へ長調

 今年の序盤はアマオケが続きます。友人が所属している社会人オケを初めて聴きに行ってみました。その名の通り三井住友海上火災保険(株)の本部、支店、関連会社の社員を中心に結成されているようです。賛助会の正副会長には本体の会長、社長が顔を並べ、このホールでほぼ満員の集客力を見ても、会社あげての盤石のバックアップ体制。また、立派な印刷のチラシ、チケット、パンフを見るに、資金力もある相当恵まれた団体のようです。
 アマチュアオケに対して細かいことを言うのも野暮で、自分も経験者だから、「そうだよな、ホルンってまともに音が出るだけで奇跡だったよな」というようなことを懐かしく思い出したりして、それよりも何よりも大事なのは、音楽をやるパッション。1曲目の「フィンガルの洞窟」はえらくゆっくりとしたテンポで手探りのように弱々しく進む展開に、ちょっとハラハラしたものを感じましたが、2曲目以降はオケもよく鳴っていて、良かったのではないでしょうか。
 カルメンでソロフルートを吹いていた女性が特筆もので、濁りなく透明でありながら、力強くしっかりとした音色がプロ並みに素晴らしかったです。指揮者はまだ若いというか、左手で大きく空をえぐるようなまぎらわしい動きがいちいち気になりました。それにしても、やっぱりブラ3は難敵ですな。1番や2番のように勢いで押し切れない難しさがあります。


2017.01.22 サントリーホール (東京)
京都大学交響楽団創立100周年記念特別公演
十束尚宏 / 京都大学交響楽団
井岡潤子 (soprano-2), 児玉祐子 (alto-2)
京都大学交響楽団第200回定期演奏会記念『復活』合唱団
1. ブラームス: 大学祝典序曲ハ短調 作品80
2. マーラー: 交響曲第2番ハ短調『復活』

 前回京大オケを聴いたのは1997年の東京公演@オーチャードホールだから、実に20年ぶり。京大オケが初めて「復活」を演奏した1981年の演奏会を聴いて以降、マーラーの音楽の破壊力と浸透力にすっかり虜になってしまった私としては、いろんな意味で感慨深い演奏会です。
 1曲目は記念演奏会に相応しい「大学祝典序曲」。自分の記憶にある30数年前と比べたらもちろんのこと、奏者の女性比率がえらい高くて、あと誤解を恐れずに言うと、京大生も時代は変わったというか、イマドキの可愛らしい女の子ばかり。まあ、若い人がとにかく可愛く見える、単なるおじさん現象かもしれません。この曲と「マイスタージンガー前奏曲」は大学オケなら何かにつけて演奏しているだろうから、世代を問わないおハコかもしれませんが、若手中心と思われるメンバーにして予想以上にしっかりとした演奏に驚いたと同時に、非常に懐かしくもありました。このハイクオリティこそ京大オケ。今はどうだか知りませんが、かつての京大オケは学外からも参加可能の上、年齢制限もなく、留年してでも音楽に命をかけていたような「ヤバい人」が多かったので、そりゃー演奏レベルはハンパなく、京響、大フィルといった関西の軟弱プロオケよりもむしろ上では、とすら時折思ったものです。
 メインの「復活」は京大オケとして3回目だそう。さすがにこの大曲は難物で、特に金管は苦しさがストレートに出ており、前半は全体的に浮き足立った感が否めませんでした。3日前の京都公演が実質上のクライマックスで、東京公演は5年に一度のおまけみたいなものだから、ちょっと集中力を切らしてしまったのかもしれません。そうは言ってもやっぱり並の大学オケのレベルじゃありません。良かったのはコンミス嬢のプロ顔負けに艶やかなソロと、全般的に安定していたオーボエとフルート、それに音圧凄まじい打楽器陣。アマチュアならではのパッションはこの曲には絶対にプラスに働き、コーダの盛り上がりは近年聴いた在京プロオケにも勝るものでした。36年前の感動が蘇った瞬間を家族とともに体験できた感慨もあり、ちょっとウルっときてしまいました。京大オケ、東京だと5年に1度しか聴けないのが何とも残念です。


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