クラシック演奏会 (2014年)


2014.12.17 Live Viewing from:
2014.12.16 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Alice’s Adventures in Wonderland
David Briskin / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Sarah Lamb (Alice), Federico Bonelli (Jack/The Knave of Hearts)
Alexander Campbell (Lewis Carroll/The White Rabbit)
Zenaida Yanowsky (Mother/The Queen of Hearts)
Christopher Saunders (Father/The King of Hearts)
Steven McRae (Magician/The Mad Hatter)
Eric Underwood (Rajah/The Caterpillar), Philip Mosley (The Duchess)
Paul Kay (Vicar/The March Hare), James Wilkie (Verger/The Dormouse)
Kristen McNally (The Cook), Sander Blommaert (Footman/Fish)
Marcelino Sambé (Footman/Frog), Michael Stojko (Butler/Executioner)
Meaghan Grace Hinkis, Beatriz Stix-Brunell (Alice's Sisters)
Luca Acri, James Hay, Solomon Golding (Gardeners)

 今シーズンは日本におけるロイヤルオペラハウスのライブビューイング上映館がギリギリまで決まらずやきもきしたのですが、蓋を開けてみれば昨シーズン以上の館数で、選択肢が増えたのはたいへん良かったです。
 さて久々に見るアリス(とは言っても最後に見たのはまだ去年の話か)、「美味しいキャラ」の双璧、ヤノウスキーとマクレーが揃い踏みしているのが嬉しい。ロンドンでは、初演の年は見に行けず、翌年はヤノウスキー降板、その翌年はマクレー降板と、二人揃った公演は(DVD以外で)始めて見ます。やっぱりこの二人のどちらが欠けても、何か損した気分が残ってしまうでしょう。一つ残念だったのは、これまた初演の定番メンツ、エドワード・ワトソンの怪我による降板。代役はセルヴィラとアナウンスされていて、結局アレックス・キャンベルになったのですが、長身でクセモノのワトソンと比べたらずんぐりむっくりで動きもどん臭いキャンベルは、やっぱり残念だったとしか言いようがない。
 そういえば昨年ROHで見た公演でもマクレーの代役がキャンベルで、かなりがっかりしたものでした。そのマクレー様ですが、今日はもう完璧バリバリのマッドハッター、タップのキレがさすがに凄かった。タップと言ってもかかとだけじゃなくつま先でも自由自在に蹴りまくり、そのいちいちがくっきり際立つ名人芸。生じゃないのは残念ですが、今年もこれが観れて良かったです。
 通信障害か、第3幕ハートの庭園の最後クライマックスで何度も映像が止まり中断されたのが残念でした。それよりも、気になったのは客入り。ほとんどガラガラでした。「アリス」にしてこの客入りでは、他の上演はどうなることやら。採算が悪いので来年はまた大幅撤退、ということにならなければよいのだけど。


2014.12.08 東京文化会館 大ホール (東京)
大野和士 / 東京都交響楽団
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106
2. フランツ・シュミット: 交響曲第4番ハ長調

 来年4月から新音楽監督に就任する予定の大野和士がプレお披露目として始動。記録を見ると前回大野さんを聴いたのは2013年2月のBBC響「Sound from Japan」で、遥か昔の印象があったのに、実はまだ「去年」の出来事だったんですね。それにしても、今更「運命」「未完成」「新世界」でもないでしょうが、お披露目でこの選曲は渋すぎます。
 最初の弦チェレは、第3楽章がちょっと猟奇的演出が過ぎる気もしましたが、全体的にかっちりと生真面目な演奏。まあ、バルトークはこれでいいんですよ。弦合奏のレベル高し。しかしピアノがちょっと投げやりで足を引っ張っていたような。緻密だけど淡白で引っ掛かりがないのは、ある意味面白みに欠けますが、大野さんのキャラはこんなもんでしょうか。
 フランツ・シュミットの曲自体、多分初めて聴きますが、バルトークとほぼ同世代、しかも同郷(当時は同じオーストリア・ハンガリー二重帝国)の作曲家ということも初めて知りました。冒頭のアイヴズを連想させる調性不安定なトランペットソロは、他の楽章にも出てきて一種の循環形式になっています。けっこうモダンな作りか、と思わせておいて、途中はけっこうベタな後期ロマン派の音楽で、バルトークとは作風が相当違います。また、全曲通して50分という長大さに加え、第3楽章のスケルツォ以外は全て抒情楽章というさらなる体感時間引き延ばし工作には、普通なら悶絶するところですが、意外と最後まで聴けました。確かに冗長ではあるが上手い具合にメリハリが付けられており、不思議と眠くなりませんでした。まあ、人気がブレークしそうな予感もないですけどね。大野さんの生真面目さはここでも活きたと思います。出だしは上々でしょう。
 曲人気でも雲泥の差がありそうな「弦チェレ」と「シュミット4番」、ほぼ同時期に書かれたこれら2曲の対比がまた面白い一夜でした。


2014.11.04 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Chloë Hanslip (violin-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第2番 ニ短調(ホッガー補完版)
2. ディーリアス: ヴァイオリン協奏曲
3. ウォルトン: 交響曲第1番

 2週間ほど前のサントリーホールに続く都響の英国音楽特集第二弾。最初のノーフォーク狂詩曲第2番は、作曲者の死後に復刻、補筆完成された曰くつきの曲です。日本初演はおろか、これが英国以外では初の演奏会だそう。「ウィリアム・テル」序曲を思わせるチェロの出だしからして第1番とはだいぶ空気が違います。民謡に取材していながらも、旋律的にはかなり甘めのロマンティックな作りで、まるで映画音楽のような箇所もあり。受け入れられる要素をたくさん持っている力作で、埋もれてしまうには惜しい佳曲と思いました。
 続いて、クロエ・ハンスリップは2010年にウィーンでウォルトンの協奏曲を聴いて以来の2度目です。4年ぶりですが、それでもまだ27歳、若い!けど外見はさらに「肝っ玉母さん」化していました。さてディーリアス自体ほとんど聴いたことがない私は、もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初耳。ハンスリップは楽譜を立てて演奏してましたから、彼女にとってもチャレンジなんでしょう。想像していた通り、叙情的な曲想がずっと続く癒し系の曲で、仕事帰りに聴くにはさすがに眠かった。ですので、ようわかりまへん、すいません。ハンスリップは、前に聴いた印象よりはだいぶ角が取れ丸くなったような気がしました。と思ったら、アンコールはラトヴィアの作曲家プラキディスの「2つのキリギリスの踊り」という不気味な小ピース。やっぱりちょっと尖った人のようです。
 ウォルトンの交響曲第1番は難曲として知られていますが、これも全編通してちゃんと聴いたのは初めてで、頭にあったイメージとは随分違って驚きました。もちろん演奏難易度は非常に高そうですが、曲調は決して難解ではなく、むしろハリウッド超大作のようにハイカロリーで派手な曲。終楽章など、そのままハリーポッターのエンドクレジットで流れていても違和感ない感じです。この曲は、理屈抜きにカッコいい。もちろん、ブラビンスのツボを押さえた聴かせ方あってのことなんでしょう。オケは前回同様よく鳴っていたし、ことウォルトンに関しては、曲の魅力が十分に伝わりました。こういう演奏会に巡り合ったときは、本当に、指揮者とオケに感謝です。この日は客もノリノリで、終演後も満場の拍手。疲れの溜まった時期だったのですが、無理をしてでも聴きに行って良かったと思います。


2014.10.20 サントリーホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Steven Osborne (piano-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第1番 ホ短調
2. ブリテン: ピアノ協奏曲 op.13(1945年改訂版)
3. ウォルトン: 交響曲第2番

 都響の英国音楽特集。今更のようですが、かえってロンドンでは英国音楽を聴く機会がほとんどなかったので、どの曲も初めて聴く曲ばかりです。ブラビンズもイギリスの中堅指揮者のようですが、ロンドン在住時、オーケストラの演奏会情報には隈なく目を通していたはずなのに、その名前にどうも記憶がありません。Wikipediaを見てみると、2011年のBBCプロムスでブライアン「ゴシック交響曲」を指揮とあって、そうかこの人か。この演奏会はアルバートホールには行けなかったけど、Radio 3で聴いたのを思い出しました。
 初めての曲ばかりなので、まあさらりと感想を。ノーフォーク狂詩曲は、いかにもといった民謡調の曲ですが、これがまたさらりと聴き流してしまう、引っかかりのない曲です。英国音楽のこの「無表情な素朴さ」が、どうも苦手かもしれない。ヴィオラが重要な役割を負っているのに、ちょっと弱いかも。ブリテンのピアノ協奏曲は、4楽章構成の長大でごった煮のような曲でした。うーむ、よくわからんかったのは承知の上で、以前同じブリテンの「チェロ交響曲」や「パゴダの王子」を聴いた時に覚えた逃げ場のない冗長感がぶり返し、この曲を好きになるにはそうとうハードルが高そうかなあと。オズボーンのピアノは、飛び跳ねて、叩く叩く。この人の元気の良さだけやたらと印象に残りました。なお、アンコールはドビュッシーの何かを弾きました(後で調べたら、前奏曲集第2巻の「カノープ」だそうです)。
 ウォルトンのシンフォニーを一度ちゃんと聴いてみようというのが、この英国音楽特集2夜を聴きに来たほぼ唯一の動機でした。その点は幸い、ブラビンズはさすが十八番だったようで、実に手慣れた棒さばき。オケは安心して着いて行き、最後までヘタレず、この曲の実像を余すところなく見せ切ったと言えるのではないでしょうか。意欲作だけに決して耳に優しい曲ではないですが、初めて聴くのに展開がいちいち腑に落ちるのは、文脈をちゃんと心得ているからでしょう。ノーマークでしたが大した職人です。次も俄然楽しみになりました。


2014.10.05 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Santtu-Matias Rouvali / 東京交響楽団
Michael Barenboim (violin-2)
1. プロコフィエフ: 交響曲第1番 ニ長調 作品25「古典交響曲」
2. プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 作品63
3. プロコフィエフ: バレエ音楽「ロミオとジュリエット」作品64(抜粋)
 (1) 情景
 (2) 朝の踊り
 (3) 少女ジュリエット
 (4) 仮面舞踏会
 (5) モンタギュー家とカピュレット家
 (6) 踊り
 (7) 修道士ロレンス
 (8) ティボルトの死
 (9) 別れの前のロミオとジュリエット
 (10) 朝の歌
 (11) ジュリエットの墓の前のロミオ〜ジュリエットの死

 初めてのミューザ川崎。台風近づく大雨の中、客入りはせいぜい半分くらいと寂しいものでした。このホール、一度来てみたいと思いつつ、改修工事で閉鎖になっていたこともあり今までタイミングが合いませんでした。螺旋状に繋がっている上階の客席がユニークで、あからさまに非対称なコンサートホールは日本では珍しいです。私の経験では海外でも、タイプは違いますが、ベルリンのフィルハーモニーとミュンヘンのガスタイクくらいですか。まあ楽団の楽器配置や楽器そのものは全然左右対称じゃないので、デザイン性を横目で見ながら、こういう設計も解としては十分ありなのでしょう。
 今日は初物づくしで、東響も、サントゥ=マティアス・ロウヴァリも実は初めてです。ロウヴァリはまだ28歳のフィンランド人。年齢といい、モジャモジャ頭といい、ロビン・ティッチアーティとキャラがちょっとカブってますね。私も最初チラシを見たとき、一瞬「ティッチアーティが来るんだ」と勘違いしました。小柄ながらもダイナミックな棒さばきで、テンポを細かく揺らしながら、いろいろと仕掛けてくる指揮者だなという印象です。例えば「古典交響曲」第3楽章のガヴォットで、不意にねじ切るような終わり方は、あっ、バレエを意識しているなと(この曲は「ロミオとジュリエット」の舞踏会場面でも使われます)。でも「古典交響曲」として演奏しているときにその小技は唐突だし、ある意味あざとい。この人がこの芸風を若くして極めることができたらマゼールになれる、かも?ただしオケの応答は、キレと機動性に欠けて今一つの滑り出し。
 続くコンチェルトではこれまた28歳のバレンボイムジュニアが登場。この人は2年前のBBCプロムスでウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラを聴いた際のコンマスとソリストをやってました(指揮はもちろんお父ちゃん)。うーん、よくわからんです。顔は父親そっくりですが、驚くほどオーラがない。「巧い!」と思わせる技巧を持っている訳でもない。擬古典的で上品な、ハッタリの効かないこの選曲もどうなのかと。案の定、盛り上がるポイントを誰もつかめず終わってしまいました。まだ若いと入っても、ヴァイオリニストで28歳と言えば芸風は固まっているはず。この先の伸びしろはあんまり期待できないかも。アンコールはバッハ無伴奏ソナタ第3番のラルゴ。これまた微妙な感じで。アンコールくらい得意中の得意曲をやればいいのになあと。
 メインの「ロメジュリ」は、これを目当てに家族ではるばるやってきたようなもんです。「ロメジュリ」の演奏会用組曲は、作曲者自身が編したものをその通りにやる人はほとんどなく、皆さん演奏会でもCDでもいろいろ変えてはくるけれども、私的にしっくりくる選曲に巡り会ったことは一度もありません。今日の選曲はミュンシュ/ボストン響のレコーディングに倣っているそうで、第2組曲を中心に、第1、第3からも要所を付け足し、物語の順序に並べ換えたもので、理にはかなっています。私としては、この曲は是非前奏曲から開始してもらいたいし、「ロミオとジュリエット」でバルコニーのシーンがないのは「画竜点睛を欠く」と言わざるを得ない。まあ、そこまでやったら長くなっちゃうし、似た曲想が繰り返されて少々しつこくなってしまうんですけどね。選曲のウンチクはともかく、ここでもロウヴァリの指揮はテンポをこまめにいじくって、アイデア投入型の音楽作りでした。ただしこの人、実演のバレエの指揮はやったことないんじゃないかと思いました。何にせよ、メインは特にオケがいっぱいいっぱいだったので、指揮者のコントロールがどこまで表現されていたのかどうか。特にホルンのハイトーンは常に厳しい状況でしたから、ならばトラを入れるとか、プロとしてのレベル感はちゃんとしたものを出して欲しかったです。それでも、オケ全体の鳴りとしてはなかなか良い瞬間もあって、来シーズンのプログラムがけっこう面白いこともあって、また聴きに行こうという気にさせるには十分なパフォーマンスでした。


2014.09.09 サントリーホール (東京)
下野竜也 / 読売日本交響楽団
1. ハイドン: 交響曲第9番ハ長調 Hob.19­
2. ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調 WAB.109

 先週に引き続き読響。下野竜也は多分初めて聴きます。まず1曲目はハイドンの「第九」。なぜに第9番かと言えば、メインがブル9なので番号を合わせた、以上の脈絡はないと思いますが、有名どころの「交響曲第9番」はどれも大曲なので、確かに他の選択肢があるとしたらモーツァルトかショスタコーヴィチくらいですか。ハイドンの第9番は、第1番を書いた5年後くらい、作曲者30歳のときの作品なので、意外と年食ってからの曲なんですね。ちなみにモーツァルトが交響曲第9番を書いたのは16歳ごろのようです。本題に戻ると、もちろん私は全く初めて聴く曲で、3楽章形式ですが4楽章型の舞曲(メヌエット)楽章で終わるような中途半端感が残る曲でした。ハープシコードの通奏低音付きでしたが、他の楽器の演奏は見たところ普通にモダンでした。
 さてメイン。先日のアルプス交響曲を聴いて、もっと金管の洪水のようなブル9が、果たしてまともに演奏できるのか不安を覚えましたが、なかなかどうして、よくまとまった演奏にほっとしました。全体的にブラスは控えめで、特にトランペットが埋もれ気味だったのはかえって良かった。バランスを考えたコントロールは間違いなく指揮者の手柄でしょう。どちらかというときびきびとした進行ながらも、メリハリがあるのでスケール感は出ていて、納得感のある演奏解釈でした。個人的にはもうちょっと低音が効いた重厚感が出ているほうが好みなのと、後半木管が上ずり気味でピッチも怪しくなったり、コーダのワーグナーチューバが厳しかったのがちょい残念ではありましたが、それはオケの力量の限界の話で、それでもこれだけの好演を引き出した下野は相当デキる奴、との認識を持ちました。是非欧米の馬力オケでこれを振って欲しいものです。


2014.09.03 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Cornelius Meister / 読売日本交響楽団
Alice Sara Ott (piano-1)
1. ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15
2. R. シュトラウス: アルプス交響曲 作品64

 8月はシーズンオフだったので久々の演奏会。アリス=紗良・オットはロンドンでも第一線で活動していましたが何故か縁がなく、初めて聴きます。深紅のドレスにDesire(by中森明菜)のオカッパヘアーで登場した実物の紗良オットは、確かに可愛い。顔は変わらず童顔ながらも、髪を切ってずいぶんと大人の色気が出たような気がします。さてその力量はどんなもんぞや、モーツァルトのような長い序奏が終わって入ってきたピアノは、全く肩の力が抜けたベートーヴェン。最上級のテクニックを持ちながらもそれをほとんど意識させない、コントロールされたナチュラルさが見事。学究肌のペリオディックでもない、男勝りに骨太でもない、彼女自身の自然体としか言いようがない、女性らしい演奏スタイルと見受けました。軽めのリリックと言ってしまえばそれまでですが、徹底した姿勢は十分に個性を感じました。バックのオケも全くのロマン派スタイルで、終止ソリストを立てた「合わせ」の演奏でした。指揮者は楽章の間隔を置かずに進めたかった様子でしたが、第1楽章の最後の残響がまだたっぷり残っているうちに起こり始めた咳ばらい(先頭切ったのは何を隠そう臨席のおっさんでしたが)に邪魔され、思いっきり憮然としていました。
 アンコールは意外にも「エリーゼのために」。ある意味、勇気ある選曲です。ここでもまた、プロの「エリーゼ」を見せつけちゃるぜ、というような気負いや仕掛けは一切なく、あくまで曲を素直に研ぎすましたピュアな演奏がかえってプロの凄みを滲ませていました。
 メインの「アルプス交響曲」はちょうど2年ぶりくらい。前回聴いたハイティンク/ウィーンフィルの鉄板Aクラスと比べたらそりゃいかんでしょうが、それにしてもやっぱりこの曲はたいへんなのね、というのを再認識しました。オケは全体的にがんばっていて、ホルンなどは結構良かったと思いますが、他の管楽器は正直苦しい。特にトランペットは、できればミキサーで落としたいくらい邪魔でした。長丁場聴いているのは苦痛で、失礼ながらもこれがオケの力量の限界かと。
 名前からして「巨匠」なこの若手指揮者は、英国ロイヤルオペラも振ったことがあるらしいですが、私は記憶になく。この大曲に暗譜で望む姿勢は評価できるものの、場面ごとの表現、色づけとかはまだ全然説得力がなく、自分の音楽が完成するのはまだまだこれからかと。弦を対向配置にしながらもヴィオラとチェロを入れ替えたそのこだわりは、そもそもこのオケでこの曲をやるには不発だったでしょう。20世紀の大規模管弦楽は、素直にモダン型(低音を上手に集めたアメリカ式)採用でよろしい。個人的な楽しみであった打楽器の派手な活躍は、ウインドマシーンがきめ細やかに回転を変えて表情ある風を作っていたのに対し、サンダーシートは向きが悪くてほとんど聴こえず、不発でした。


2014.07.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第10番嬰へ長調 (クック補完版)

 インバルは今年の4月から桂冠指揮者に退いたので、大野和士が正式着任する来年4月まで都響の音楽監督は空位なんですね。それはともかく、今日(と明日)の演奏会は、インバル/都響が2012年から取り組んできた第2次マーラー・チクルスの番外編で、「ありがとうインバル」の送別的意味合いが強いです。
 3月の第9番はたいへん充実した演奏でしたが、今日もまた、驚くべき完成度に仕上げてきたこの人たちには降参するしかありませんでした。特に第1楽章の集中度は、先のフルシャのときと比べても明らかにテンションが違います。もったいぶらずに冒頭から本題をサクサクと語っていくような進行で、大仰にテンポを揺らしたり、音量を極端に押さえつけたりという彫りの深い表現がなかった分、このアダージョが全く新たな大曲の開始というよりは、第9番の終楽章から繋がった音楽であることを意識させるプロローグになっていたかと思います。
 第2楽章が終わると小休止を入れ、インバルはいったん引っ込みました。チューニングをやり直すと、第2楽章で多少緩んできたかに聞こえた音が、短い第3楽章のプルガトリオで再びキリっと瑞々しさを取り戻しました。その後は最後までブレークなしで緊張感を切らさず進みます。太鼓叩きとしては聞き逃せない、終楽章の大太鼓連打では、わざわざそれ専用に深銅の2台目を用意。奏者は女性でしたが、黒布をかぶせてミュートした、ドライで腹に突き刺さる強打は立派なもの。終演後、ティンパニよりも先に立たされる大太鼓奏者というのも珍しいことです。また、大太鼓強打にかぶさるフルートは、京大オケ出身の主席寺本さんが渾身の濃密ソロを聴かせてくれました。ホルンとトランペットは、若干きつい箇所もありましたが総じて素晴らしいできばえで(インバルのときは魔法のように音色が変わり、音が確実になります)、指揮者が真っ先に立たせ讃えたのも納得できる健闘ぶりでした。このように管・打楽器が光ったのも、最後まで集中力が切れなかった弦アンサンブルのリードがあってのこそ。私も正直第1楽章以外は退屈に思っていたのですが、最後まで飽きることなく聴き通せました。指揮者のタクトが下ろされた後、いつものように叫びたいだけ人のウソくさいのとは違って、心から絞り出されたようなブラヴォーがとっても印象的でした。
 さて、久々に100%日本で過ごした今シーズン(欧州に倣い9月開幕でカウント)は、ライブビューイング3件を除くと結局22回の演奏会に行きました。月平均2回のペースは最盛期と比べたら3分の1以下ですが、何としてもこれを聴いておかねば、という動機付けが極端に難しくなった環境の中で、まあまあ精一杯の数字でした。在京プロオケの様子はだいたいわかったので、来シーズンはさらに厳選して通うことになりそうです。


2014.06.27 サントリーホール (東京)
Pietari Inkinen / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. シベリウス: 交響詩《夜の騎行と日の出》
2. マーラー: 交響曲第6番《悲劇的》

 すいません、このインキネンというフィンランドの若い指揮者は名前も知りませんでしたが、経歴を見るとロンドンとは縁がなかったよう。本職はヴァイオリニストみたいです。このプログラムは2011年に行うはずが、東日本大震災のおかげで中止になり、3年を経てようやく実現したファン待望の演奏会とのことだそうです。そのわりには空席が目立ってましたが。
 1曲目、シベリウスのこの曲は初めて聴きます。著名度ベスト3と言えるフィンランディア、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲の後に作曲された最壮盛期の作品ですが、どうも私はシベリウスが苦手というか、よくわかりません。突き放して接してしまうと着想の退屈さを感じるばかりで、よっぽど体内リズムと合わないのかなあと思わざるを得ない。タイトルのごとく馬が疾走する場面の音楽がキレ悪く、インキネンさん、大仰な指揮ぶりでバトンテクは優秀なんだろうけど、もうちょっと縦線はそろえてくれんかのー。
 最初はLAゾーンで聴いてたのですが、がら空きだったので休憩時間に下の席に移動。メインのマーラー6番は特によく聴きに行く曲ですがこのところチャンスがなくて、実演は2年前のBBCプロムス(シャイー/ゲヴァントハウス管)以来です。スローペースの行進曲で始まった第1楽章は、やはり縦の線がおおらか。今回金管はなかなか頑張っていて、特にホルンのトップは単に巧いというよりもさらに上位の、世界で通用する「音」を手中にしている素晴らしい奏者と思いました。
 中間楽章の順序はスケルツォ→アンダンテといういにしえのスタイル。ここ10年の間に聴いた演奏を思い起こすと、スケルツォ→アンダンテを取っていたのはハイティンク、マゼール、ビシュコフ、ヴィルトナー、その逆のアンダンテ→スケルツォはハーディング、シャイー、ビエロフラーヴェクでした。スケルツォ→アンダンテのほうが若干多めですが、判断は二分されていると言ってよいでしょう。ただしインキネンのように若い指揮者がスケルツォ→アンダンテを採用するのは珍しいと思います。
 楽章を追うごとに指揮者も奏者もどんどん疲弊してきて、まず木管が先に脱落、ピッチが合わなくなってくきてヤケクソ気味の音になっておりました。最後に意表をつかれたのは、3回目のハンマーが正しく初稿通りの第783小節で打ち下ろされたこと(手持ちのCDだとバーンスタインが3回目のハンマーを叩かせてますが、楽譜指定とは違う第773小節でした)。中間楽章の順序は未だ両者の解釈がせめぎ合う中、ハンマーを3回叩くのはさすがに昨今の実演ではほとんど聴かれなくなっていると思います。私も実演では他に記憶がありません。小ぶりのハンマーを両腕を使い刀を振り下ろすかのごとくぶっ叩くのは、なかなか気持ちのよい瞬間でした。
 全体的には、息切れしながらも最後までよくがんばった演奏、と言えそうですが、オケの力量の上限を見てしまったのもまた事実。ただそれよりも、インキネンは北欧人らしいシュッとした若者のくせに、やってる音楽が「昭和」(「前世紀」というよりもこのほうが年代的にもしっくりきます)の大家風の域を出ず、もちろん本人はまだ「巨匠」では全くないので、求心力も包容力も深みも貫禄も、まだまだこれからの話。何が一番気に入らなかったかと言えば、まあそんなところです。
 余談ですけど、私はNAXOSレーベルへの録音実績を誇らしげに経歴に書き込むアーティストは大成しないと思ってます。自分は容易に置き換え可能な存在です、と自ら表明するようなもので、芸術家の姿勢としては、むしろ恥ずかしげに隠すものではないのでしょうか。(今回の場合、日フィルのプログラムに載っているインキネンの経歴が本人承諾の文章なのかはわからないので、評価は保留してますが。)


2014.06.25 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
Piotr Anderszewski (piano-2)
1. オネゲル: 交響的楽章第1番《パシフィック231》
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番 Sz.119
3. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《春の祭典》

 注目株のフルシャ/都響を聴くのは、昨年11月以来です。まず1曲目の「パシフィック231」を実演で聴くのは初めて。有名な曲ですが、あんまりプログラムに上らないかも。冒頭の甲高い汽笛の後、早速機関車が起動しますが、重々しくてキレがなく、ダラリとした走りっぷりは全く意外でした。リアリティを狙ってやってるのかもしれませんが、描写としてはリアルでも、音楽が表現したかったのは当時の人々の「衝撃」だったと私は思うので、それが伝わってこないのはオケの限界か、はたまた、演奏解釈としては弱いんじゃないかと。
 続いてバルトーク。ピアノの編んでるシェフ好き、じゃなくてアンデルシェフスキは1年ほど前にロンドンで1度聴いていますが、言うなれば超天然系。今日も我が道を行く、今まで聴いたことがないバルトークでした。昨今のバルトーク弾きは技術度でいうと相当に高度な人ばかりかと思うのですが、ミスタッチなど全く気にする様子がない自由奔放ぶりがたいへん新鮮だったのと同時に、スタイリッシュでピカピカした演奏にはない、東欧の空気がしっかりと流れていた気がしました。ただし、ピアノに引きずられたのか、オケにはまだキレ戻らず。拍手に気を良くしたアンデルシェフスキはピアノに座るなり弾き出したのがバルトークの「チーク県の3つの民謡」。譜面通りじゃないものをいっぱい盛り込んだ、個性的ながらも正統派の民謡アプローチ、と後から無理矢理に解釈を当てはめてはみたものの、本人はけっこう思うに任せて気ままに弾いているようにも思えました。もう1曲、知らない曲でしたがどう聴いてもバッハ(パルティータからサラバンド、らしいです)を弾いてくれて、最後まで期待を裏切らない超ユニークな演奏で楽しませてくれました。
 メインの「ハルサイ」を日本のオケで聴くのはよく考えたら初めてかも。オケは良く鳴っていましたが、バーバリズムを押し出す演奏ではなくて、リズムのキレはやっぱり悪かったです。破綻とまでは言わないにせよ、トランペットとホルンはちょっと厳しかった。全体的にいっぱいいっぱいという感じで余裕がなかったです。ちょうど今朝見たサッカーW杯日本代表の試合のようなもどかしさ。まあ、一流オケの奏者でも、何度やってもこの曲を演奏するときは緊張して、個人練習に力が入ると言いますし。奏者にとって気の毒なのは、ハルサイの場合、聴衆のほうも曲を熟知しているのでごまかしようがない、ということですか。話を戻すと、若さに対して多少先入観があったのかもしれませんが、フルシャはリスクを取ってオケを振り回すようなキャラではなく、意外と老獪なセンスが持ち味の人で、ハルサイのようなヴィヴィッドな曲は案外得意じゃないのか、と思えました。


2014.06.20 すみだトリフォニーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Isabelle Faust (violin-1)
1. ブラームス: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op. 77
2. ブラームス: 交響曲第4番ホ短調 op. 98

 トリフォニーホールは1998年以来ですから、16年ぶりですか。個人的な利便性からもっと通いたいホールなんですが、新日本フィルとアマオケが多いようで、なかなか「買い」の演奏会がタイムリーに見つからず1年が経ちました。
 今日は前回に続き、ハーディングのブラームスシリーズ第2弾。ヴァイオリン協奏曲は超有名曲なのに何故か縁がなく、初めて実演で聴きます。イザベル・ファウストは3年前の山田和樹/BBC響で聴いて以来ですが、そのときは現代音楽だったので演奏はよく憶えていません。前回はかぶりつき席だったのですらっと長身に見えたのですが、今日のように引きで見ると、小柄なハーディングよりもさらに小さい、華奢でボーイッシュな中性おばさんでした。そのヴァイオリンは、知的でデリケート。熱に浮かされるでもなく、雄弁に語るでもなく、虚飾を排した音と真摯に向き合い丁寧に紡いでいくという演奏で、内面的な志向が私にはちょっと五嶋みどりを思わせました。おそらく(というのは私はこの曲をよく知らないので)パーフェクトに近い演奏だったのでしょう、充実感に溢れた満面の笑みで聴衆に応えていました。アンコールは最近こればっかり聴くバッハのサラバンド。これまた独特な味わいのユニークな演奏でした。
 メインのブラ4。前回サントリーホールで聴いたブラ2、3があまりにも酷かったので正直今日は全く期待してなかったのですが、こないだよりはずっと良かったです。少なくとも、概ねちゃんと音が出てました。先日を聴いてない妻は「この楽団はプロなの?」と、せっかくのハーディングなのにがっかりした様子でしたが。それにしてもハーディングのブラームスはぎこちない表情付けで、無茶な揺さぶりもあり、けっこうヘンな演奏です。オケは、ボウイングが適当ながらも、弦はまだましで、管楽器の集中力がなさ過ぎなのが、全体の品格を落としてます。まあそれでも、衝撃的だった前回のダメダメぶりは払拭されていたので、まだ安心しました。
 本日の収穫は、客演奏者として入っていたチェロの飯尾久香さんという方。目に優しい正統派美人です。客演なので、次はどこでお見かけすることになるやら…。


2014.05.16 NHKホール (東京)
Jesús López-Cobos / NHK交響楽団
Johannes Moser (cello-2), 林美智子 (mezzo-soprano-3)
1. アルフテル: 第1旋法によるティエントと皇帝の戦い (1986)
2. ラロ: チェロ協奏曲 ニ短調
3. ファリャ: バレエ音楽「三角帽子」

 翌日からのタイフェスティバルの準備でドリアンの香り漂う夕刻の代々木公園を突っ切り、5年ぶりのNHKホールへ。音響的にもアクセス的にも、できたらこのホールは避けたいのですが、このプログラムはここでしかやらないので仕方がない。
 1曲目は現代スペインの作曲家クリストバル・アルフテルの「第1旋法によるティエントと皇帝の戦い」という、作曲者も曲名も全く初めて聴く演目です。途中、えげつない不協和音を使ったりはするものの、本質は保守的な調性音楽に見えます。シロフォン2台に加えてマリンバと、色彩はやや硬質。最後のほうは民謡に取材したような展開が続き、位置づけとしては外山雄三の「ラプソディ」みたいなもんか、とふと思いました。それにしてもNHKホールの3階は音響がイマイチ。低音が届かないし、分離が悪くて何だかよくわからない音塊になるので、特にこの曲ような大編成には向かない環境です。ホールはバカでかいですが、むしろ小編成の古典楽曲のほうが向いてるんじゃないかと感じました。初めて見るロペス・コボスは、写真で見るよりずっとスマートでダンディなじいちゃんでした。
 続くラロのチェロ協奏曲も初めて聴く曲。そもそもラロと言えばほとんど「スペイン交響曲」しか知りませんが、こちらもスペイン情緒ある曲ながら、比べるとずっとフォーマルでよそ行きな印象です。チェロがあまりにも「主役」過ぎて、協奏曲というよりも管弦楽伴奏付きソロ曲の趣きがあります。さてそういった、民族ルーツはスペインのフランス人が書いた曲を、ドイツ生まれのカナダ人であるモーザーが演奏する、というインターナショナルな状況の中、そんなに濃いスペイン色を感じなかったのは致し方ないかもしれません。モーザーはよく歌うチェロで、全編通してのちょっと堅物的なカンタービレもさることながら、第2楽章中間部などでの肩の力が抜け切った軽口風チェロが絶妙でした。掛け値なしに上手い人だと思います。
 メインは待望の「三角帽子」。全曲版はCDこそ多数出ているものの、組曲版と違って演奏会のプログラムに乗ることはめったになく(これだけ愛して探し求めていた私がそう思うのだから間違いない)、実演で聴くのは初めてです。指揮者は願ってもない、スペインの巨匠ロペス・コボス。やはりご当地もので得意曲なんでしょう、このての曲では珍しく、全編暗譜で振ってました。聴こえてくる音は最初のアルフテルの曲とは違い、とてつもなくリズムにキレがあって、音の整理もスッキリしていて見通しやすいです。このところ在京のプロオケをいろいろと聴き比べてきた中であらためて思ったのは、さすがは腐ってもN響、管楽器奏者の一人一人の安定感はさすがに別格です。特にファゴット、コーラングレ、ホルン、トランペットなど、ロペス・コボスの速めのテンポにも振り落とされずに自分の仕事を全うしていました。メゾソプラノは最初舞台の中程で、次の出番には舞台袖から歌っていましたが、正直言うと、あんまし上手いとは言えないかなーと。元々出番は少なく、満を持しての歌唱にしては存在感を残せなかったのが残念。3階席には相変わらず低音が響いて来ない、と言う点を除くと、滅多に聴けないこの曲を専門家の手できびきびと聴かせてくれた演奏会にたいへん満足しました。ただし最後の一発は意図せず(してないと思います)何かが抜けちゃったようにパンチ不足で、そこが致命的な不満でした。ともあれ、以前はあまり好印象がなかったN響でしたが、在京オケの中での存在感をあらためて感じたのが収穫でした。


2014.05.12 東京文化会館 大ホール (東京)
Eugene Tzigane / 東京都交響楽団
1. ラヴェル: 道化師の朝の歌
2. ラヴェル: 組曲《クープランの墓》
3. トゥリーナ: セビーリャ交響曲 op.23
4. レスピーギ: 交響詩《ローマの祭》

 ユージン・ツィガーンは日本人の母親を持つアメリカ人指揮者ですが、名前から推測すると民族的ルーツはロマ系ハンガリーでしょうか。顔の外見は北方よりも南方、もろラテン系の感じでしたが。ユージンと言えば、まず思い出すのはピンク・フロイド、次にオーマンディ…。
 さて今日は、コストパフォーマンスで定評のある東京文化会館の5階席を初体験してみました。奏者の息づかいまで聴こえるかぶりつき席が好みの私は、今までなら絶対選ばない(そこしか無いなら行くのを止める)席ですが、東京の演奏会の価格設定にはそろそろ疑念を抱いてきており、各ホールでいろんな席を試しているところです。5階席は椅子が高くて斜度が急なのに転落防止の柵もないので、ちょっと恐いです。高所恐怖症の人には向かないでしょう。天井が近いせいか、ステージとの距離があるわりには至近距離のボリューム感があります。ダイナミックレンジが広くて分離は悪くなく、大太鼓もマンドリンもよく聴こえました。演目にもよりますが、確かにコスパの良い席と認識しました。それにしてもここは、不思議なホールです。側面の壁のよくわからんオブジェとか、下に凸の天井とか、反響を複雑にしていると思うのですが、昔からどこに座っても悪い音に当たった記憶があまりありません。
 本日のプログラムはフランス、スペイン、イタリアのラテン系世界遺産ごちゃまぜ風ですが、1曲目の「道化師の朝の歌」はラヴェル得意のスペイン趣味に溢れた曲なので、スペイン色が若干強いですか。個人的にはあまり聴かない曲で、前回聴いたのはもう5年も前のミュンヘンフィルですが、その遥か以前にこのホールで聴いた山田一雄の生前最後の演奏(オケは新響)がアマオケとは思えない豪演で度肝を抜かれたのをおぼろげに憶えています。ツィガーン/都響のはあまりスペインっぽくなくて、躍動感に欠けリズムに乗り切れてないせいかと思ったのですが、身体がまだ温まってなかったかも。
 続く「クープランの墓」、これは実演で聴くのは初めて。こちらは擬古典的フランス風の小洒落た小品で、ぐっと絞った編成でより透明度の高い演奏になってました。しかし、全体的にもっと柔らかい音が欲しいところ。トランペットなんかちょっとヤケクソ気味で、私的にはぶち壊しでした。
 3曲目のトゥリーナ「セビーリャ交響曲」は全く初めて聴く曲です。コンセプト的には「ローマ三部作」のスペイン版のような写実的交響詩ですが、これは正直言って曲がつまらない。楽想から構成から色彩感から、どこを見てもレスピーギとは比類のしようもなく、この曲がポピュラリティを獲得できなかったのもむべなるかな。
 ここでやっと休憩、前半はちょっと冗長でした。後半メインの「ローマの祭」は大好きな曲ですが、この曲には深みなんかよりもっと直裁的にフィジカルなカタルシスを求めます。金管が最後までヘタレず、オケがガンガン鳴っていれば基本はOKの曲ですが、そう言う意味ではホルンもトランペットもトロンボーンも、各々に残念な箇所はあり、厳しいかもしれませんがインバル指揮のマーラーで見せたような集中力をここでも発揮してもらいたかったところです。ただし最後の畳み掛けは無理をしてでもリズムの加速優先であるべきで、そこは私の好みとも一致して、都響のプロの意地を垣間見ました。計10人の大打楽器チームも健闘しました。この曲はやっぱり生で聴くのが格別ですわ。とここで思い出した余談は、この曲を初めて生で聴いたのも山田一雄(オケは京大)だったなあと、しみじみ…。
 今日のプログラムだけでは何ともわかりませんが、ツィガーンはオケのドライブはちゃんとできるし、スマートなハンサムボーイで見栄えも良いんですが、時には泣き、時には土臭く歌う情感の引出しがまだ少なそうなのと、小さくまとまっていて、カリスマ性というかオーラが足りないです。時には斧を振り回すような狂気を目指してもよいんではないでしょうか。
 あとさらに余談は、上から見ていてふと目に止まった優香似の美人ピッコロ奏者。あとで調べたら、中川愛さんという、東響から都響へ昨年移籍したフルーティストだそうです。今後、都響の演奏会では要チェックです!(何を?)。


2014.05.10 みなとみらいホール (横浜)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
小林美樹 (vn-1)
1. コルンゴルト: ヴァイオリン協奏曲
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番

 みなとみらいホールは超久しぶりです。確か前に行ったのは前世紀かと。
 今日は山田和樹のラフマニノフが聴きたいがために遠路横浜まで出てきたので、コルンゴルドはソリストの名前も知らないし、正直全く期待してなかったのですが、予想外に良かったので得した気分でした。1990年生まれの小林美樹さん、チラシを見た限り、今流行?のぷにぷに系アイドル・アーティストとして売り出したいんだけど事務所がまだそれほどはやる気になってない、という十把一絡げ的な香りがだいぶしたのですが、やっぱり演奏家はまずは音を聴いてから判断しなくてはなりませんね。舞台に登場した小林さん、確かにぽっちゃり系なんですが、実物は写真よりもずっとキュート、という普通とは逆のパターン。意外と体格はがっしりとしていて、男勝りに音がしっかりしており、2階席まで十分な芯を持ちつつ届いていました。時々雑に響くところもありましたが、情緒的でも感傷に走らない大人の表現力は、単に「上手い」以上のプラスαを持っています。ふくよかな二の腕から奏でられる「男のロマン」を体現したようなヴァイオリンは、ジャニーヌ・ヤンセンとかサラ・チャンの系列ですかねえ。また、その若さにして終始落ち着いたマダムの振る舞いは、大した肝の座り方と感服しました。オケもメリハリが利いていて、ソリストを盛り立てました。今後小林美樹の名前を見つけたら、安心して積極的に聴きにいきたいと思います。
 メインのラフマニノフ第2番。山田和樹がBBC響を振ったロンドンデビューの演奏会を聴き、ざっくりとした全体像を上手く抽出してみせて最後まで見失うことなくオケを鳴らせる人、という印象だったのですが、その後BBC Radio 3で放送された当日のライブを録音し、繰り返し聴くうちに、マクロだけじゃなく、特に第2楽章、第3楽章ではミクロにもいろいろときめ細かいリードを利かせていることに気付き、BBC響の卓越した演奏能力も相まって、その演奏が益々好きになりました。日本のオケを相手に同じことがどこまで出来るのか心配もあったのですが、期待を裏切らずきっちりと自分の音楽を作っていたので感心しました。前と同じく遅めのテンポながらも、コンパクトでクリアな印象を与える見通しの良い演奏です。ゆったりやるとゆうに1時間はかかる長大な曲ですが、長丁場を全く飽きさせないのはロードマップが明確で、音の整理がしっかりとできているからでしょう。オケも最後まで破綻せずによく鳴っており、クラリネットもホルンもソロで美しい見せ場をきっちりと作り、そりゃあBBC響のレベルには届かないとしても、プロの仕事として素晴らしい仕上がり。はるばる横浜まで聴きに来た甲斐は十二分にありました。
 あらためて思いましたが、山田和樹はホンモノです。音楽の充実とオケの鳴りっぶりを聴くに、今の日フィルとの良好な関係もうかがえます。しかし、それでもあえて思ったのは、彼には出来るだけ「一流の楽器」を与えてあげて、グローバルスタンダードの世界でタフに成り上がって欲しい、ということ。ヨーロッパの活動を優先し、年に1回くらいは日本に帰ってくる、くらいの露出感でも全く良いのではないかと。


2014.05.02 サントリーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. ブラームス: 交響曲第2番ニ長調 op.73
2. ブラームス: 交響曲第3番ヘ長調 op.90

 新日フィルはえらい久しぶりですし、ハーディングも3年ぶりなので、このところレギュラーで組んでいる両者がいったいどんなことになってるか、楽しみでした。ふむ、このブラームスプログラムの曲順は、2番が後、じゃないのね。3番をメインに持ってくるのは何かしら狙いがあるのかな。
 まず第2番ですが、のっけからテンションが低い。あえてキツく書くと、冒頭からもう管の音はプロのそれではない。弦も痩せていて、重低音まるでなしのさらさらふわふわ。何がやりたいのかわからない、以前に、何もやりたくなさそうに聴こえました。これがハーディングの目指すブラームス?確かに、彼のブラームスはCD含めてまだ聴いたことがなかった。ただ、同じ席で先日都響を聴いたときとは全然違う音響でしたし、ハーディングがロンドン響を振ったときの音作りはずいぶん骨太なものだったので、音の貧弱さは席のせいでも指揮者のせいでもなく、オケのせいであることは明白。見たところ、別にナメているわけではなくて、真面目にやってはいるんだろうけど、力が全然及んでないという感じです。新日フィルってこんなにひどかったっけ?と、軽いショック。ハーディングもそれはわかった上でクールに流し、終楽章コーダでようやくエンジンをかけてピークを作っていくも、トランペットなんかあからさまに真っ向勝負から逃げる始末。うーん、この演奏でブラヴォーを叫べる人は、普段一体どんな演奏を聴いているんだろう?
 続く第3番は第2番よりも落ち着いた曲調なので、テンションが低くてもまだ多少はサマになってましたが、オケのバランスがいびつなのは相変わらず。ロングトーンすらまともに出来ない管は、先日聴いたワセオケのほうが全然ましと思えるくらい。弦もボウイングが適当で揃ってないし、低音は腹に響いて来ない。キズばかりに目が行ってもしょうがないと、聴いてる途中ちょっと反省したのですが、持ち上げる部分は最後まで見つかりませんでした。久々に、時間とお金の無駄だったと心底思ってしまった演奏会でした…(大した席じゃないのにけっこうチケット高いんすよ)。
 ハーディングのようなメジャー級が毎年客演に来てくれるのだから日本の楽壇もなかなか捨てたものではない、と行く前は思っていたのですが、以前の東フィルといい、新日フィルといい、ハーディングってもしかしてオケの品質には全然こだわりがないんじゃないか、とも思えてきました。来月のブラ4はもうチケット買ってますし、来シーズンのブルックナーやマーラーも「買い」かなと思ってたのですが、高いチケットに見合うだけのものは微塵も得られないのではないかと、だいぶ気持ちが萎えてます。


2014.04.29 Live Viewing from:
2014.04.28 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: The Winter's Tale
David Briskin / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Edward Watson (Leontes), Lauren Cuthbertson (Hermione)
Zenaida Yanowsky (Paulina), Federico Bonelli (Polixenes)
Sarah Lamb (Perdita), Steven McRae (Florizel)
Joe Parker (Mamillius), Bennet Gartside (Antigonus)
Thomas Whitehead (Polixenes' steward), Gary Avis (father shepherd)
Valentino Zucchetti (brother clown), Beatriz Stix-Brunell (young shepherdess)
1. Joby Talbot: The Winter's Tale

 2011年の「不思議の国のアリスの冒険」以来の、ウィールドン&タルボットによる長編物語バレエです。ロイヤルバレエの新作を日本に居ながらほぼリアルタイムで見ることができるとは。ライブビューイング様様です。
 「アリス」では特殊効果の映像を多用してファンタジーの世界へ誘う演出でしたが、今回は原点に立ち返り、できるだけ人の動作でストーリーを伝えようとしています。序曲で話の前段をテンポよく表現していったのは、上手いと思いました。振付けは全般的にユニークで、前衛舞踏のように変な動きも入っていて、心に引っかかりを残します。特に第1幕で妊婦のカスバートソンが執拗にいたぶられるのは、あえて不快感を残すまで狙ってやってると思いました。ワトソンの狂気とヤノウスキの忠心はどちらも素晴らしくハマっていて、これらの役は彼らの色があまりにも濃く付いてしまうので、他のダンサーを寄せ付けなくなってしまうのがちょっと危惧されました。プリンシパル6人はもちろん皆さん超一流でしたが、重みで言うと、あとの4人の役は誰がやってもできそうな「軽さ」で、コントラストがありました。
 暗くて暴力的な表現が多かった第1幕と比べ、第2幕は明るい農村で助かりましたが、民族音楽に乗せて躍動的な群舞が延々と続くわりには第1幕よりも退屈しました。まず、音楽が単調。はっきり言って長かった。東欧風民族音楽ベースで押し通すには、バリエーション(のリサーチ)が足りなさ過ぎでしょう。また、慣れのせいかもしれませんが、変拍子リズムにオケがついていけてない。この幕でようやく登場、マクレー・ラムのペアは美男美女で相変わらず全てが美しいのですが、この二人は何度見ても「燃え上がる男女」には見えません。クール過ぎてパッションがないのです。素人の見方なので的外れだったらすいませんが、マクレーはこのくらいのパドドゥだったら余力十分、身体能力を持て余していたんではないでしょうか。
 第3幕はシェークスピアの原作通りに話を拾っていって終結に向かいますが、納得いかないことが多々。エメラルドの首飾りは、ボヘミア王もシチリア王も、すぐ気付けよ。そもそも、盗品かもしれないんだし、これだけで何故に王族?隠れてた王妃は16年経っても同じ容姿なの?だいたい、娘が生きてて、王妃も生きてて、めでたしめでたしって、ちょっと待て、両親の諍いに心痛めて死んでいった息子ちゃんの立場は?などなど、突っ込みどころ満載の話を「喜劇」としてまとめるならまだしも、このように悲劇性を強調した演出にしてしまったら、また何度でも観たいかと言われたら、当分はいいや、という気になります。ということで、なかなか見応えのある新作バレエではありましたが、また観たいなと思うのは「アリス」や「レイヴン・ガール」のほうですね。
 ロイヤルバレエのライブビューイングもこれで3回目ですが、前の2回とは違って今日は一人で見に来ている人が多かったように見えました。2014-15シーズンの予定も発表になってまして、家族としての注目は12月の「アリス」と来年5月の「ラ・フィユ・マルガルデ」、個人的にはまだ観たことが無い「マホガニー市の興亡」くらいですか。でも一番楽しみなのは来年2月のMETライブビューイング、「青ひげ公の城」です。


2014.04.25 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《火の鳥》
2. ニールセン: 交響曲第4番《不滅》

 日フィルに行くのは10数年ぶりで超久々、山田和樹は3年前のBBC響以来です。楽章切れ目なしのビッグピースを2つ並べた超重量級プログラムは、まさに私好み。
 前に聴いた時、山田和樹は細部にこだわるよりも全体の流れを上手く形作ってわかりやすく見せることができる、往年の巨匠の芸風を持った人、という感想でしたが、今日の「火の鳥」ではちょっとそれが裏目というか、オケの限界と曲自体の冗長さが際立ってしまってました。おそらく組曲版であれば上手くハマるのでしょうが、一幕のバレエ音楽では流れをそう単純化はできず、結果途中間延びしてしまう箇所がいくつかありました。こういうときにギャップを埋めてくれる管楽器の個人技があればなあ、と感じるのは無いものねだりでしょうか。一方、クライマックスである魔王カスチェイの踊りでは、小径で深胴の大太鼓を力任せにぶっ叩く暴れっぷりが実に壮快。この快感はライブじゃないと味わえません。なお、トランペットを2階席に配置するなど、何かしらの音響効果を狙った仕掛けがなされていましたが、音量・音圧を補う役目でもなかったので、これは効果のほどがよくわからなかったです。
 メインの「不滅」は、比較的ゆったり目のテンポで開始。「火の鳥」では時々引っかかったリズムのキレの悪さも(多分オケが引きずってますが)、この曲ではそんなに気にならず、おおらかでシンフォニックな展開は、まさに往年の巨匠風です。いろいろ聴いていると、こういうのは実はニールセン演奏としては邪道なんだろうなと感じてきますが、きっかけはバーンスタインで中学のときこの曲にハマった私としては、山田和樹の演奏は心にたいへんしっくりと染み入ります。本日最大の目玉である終結部のティンパニのかけ合いは、先ほどの大太鼓に負けじと渾身の力で叩き込み、期待を裏切らぬド派手な応酬で、たいへん満足しました。やっぱりこの曲は実演で聴くに限りますね。ただしスコアの指示では2組のティンパニをステージの両端に置かなければならないのに、第1が舞台奥中央、第2は向かって右奥という中途半端な配置が残念でした。一方、一つ感心したのは、ティンパニの並び方が一方はドイツ式(右手が低音)、他方はアメリカ式(左手が低音)だったこと。これは二人の奏者が各々たまたまそういう習慣だっただけなのかもしれませんが、対向配置という意味では非常に理にかなっており、目から鱗でした。
 終演後は奏者のところまで行って一人一人立たせるのは、ロンドンで見たときと同じ。ヨーロッパ在住で、スイス・ロマンドの首席客演指揮者でありながら、日本で数多くのアマオケも引き受けているようで、飛び回り過ぎなのがちょっと心配です。せっかく欧州に足がかりができてきたのなら、佐渡裕みたいに無理矢理でもどっしりと腰を下ろして活動すればよいのに、と思ってしまいますが、外野が憶測するよりもずっと厳しい世界なんでしょうね。


2014.04.19 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Christian Ostertag (guest concertmaster)
Nikolai Demidenko (piano-2), Laura Aikin (soprano-3)
1. シェーンベルク: 弦楽のためのワルツ
2. リスト: ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
3. マーラー: 交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」

 昨年末にバルトークを聴いて、ちゃんと仕事をしてるなという好印象だったカンブルランと読響。元手兵の南西ドイツ放送響からゲストコンマスを迎えたのも、自分の音楽を妥協なく響かせたいとの芸術の良心と捉えました。ところが聴き手のワタクシ自身は、土曜日のマチネで普段より寝不足ではなかったはずなのですが、溜まっていた週の疲れがどっと出て、前半戦はほとんど沈没していたという体たらく。1曲目はシェーンベルクが無調になる前のゆるキャラ小品で、こいつが一気に眠りを誘いました…。次のソリストのデミジェンコは3年前にロンドンで1度聴いていますが、あまり音が澄んでいないのに小技中心の内向きなピアノに、これまた睡魔が勝ってしまいまして…。アンコールで演奏されたメトネルの「おとぎ話」という小品が、すっかりリラックスしていて良かったです。メトネル自体を知らなかったので後で調べてみると、ロシア出身だがロンドンに移住して活躍したというのがデミジェンコと共通点なんですね。
 というお恥ずかしい状況で、何とか物が言えるのはメインのマーラーだけなのですが、この日はとにかくローラ・エイキンを聴きたいがために正面席のチケットを買いました。新婚旅行のウィーンで、ほとんど人生初めてと言える本格的オペラ体験が国立歌劇場で観た「魔笛」だったのですが、そのとき「夜の女王」で拍手喝采を一手に集めていたのが、まだメジャーでは駆け出しの頃のエイキンでした。その後のエイキンが「ルル」でブレークしたのは認識していましたが、けっこう長かったヨーロッパ音楽鑑賞生活の中でも何故かニアミスすらなく、名前もほとんど忘れていたところ、今回思いがけずその名前を見つけ、これは行かねばならぬと。
 カンブルランのマーラーは多分ブーレーズみたいなんだろうかと想像していたら、よく考えるとブーレーズの4番は聴いたことがなかったです。冒頭の鈴はリタルダントにつき合わずフェードアウト。その後もインテンポですいすいと進んで行きますが、弦がいちいちレガートが利いててやけに美しいです。ブーレーズと言うより、まるでカラヤン。途中フルートのユニゾンの箇所も濁りが一切なく完璧な美しさ。ユダヤの粘りなどまるで関係ない洒落た演奏でしたが、第1楽章に限って言えば、思わず拍手をしたくなったくらい、世界のどこに出しても恥ずかしくない素晴らしい演奏でした。それが第3楽章まで来ると、チューニングもけっこう乱れてきて、だんだんとグダグダになってきました。うーむ、馬力勝負の曲じゃないのに、やっぱりスタミナがないんかなあ…。弦は相変わらず統率が取れていて良いんですが、全体的にテンポの揺さぶりに着いていけず引きずってしまう箇所が散見されました。終楽章は待望のエイキン。想像よりもずっと老け顔で、だいぶ身体にも貫禄がついてきて、普通のオペラ歌手としたら全然標準でしょうけど、「ルル」をやるにはちょっともう厳しいかと。記憶に残っているような圧倒的な歌唱を期待したのですが、さすがにコロラトゥーラで売っていたころとは違い、すっかり枯れた味わいでした。調子が悪かったのかもしれませんが、高音が伸びず、声が通らないところを老獪な表現力でカバーする、という感じでした。第1楽章のテンションを維持してくれてたら、という思いがあるので後半は辛口になってしまいましたが、全体を通して良質の演奏ではあったと思います。体力が残っていたらこの後川崎に移動し、当日券狙いで東京交響楽団のマーラー9番を聴きに行こうと考えていたのですが、けっこう満足したし、身体がかなり疲れていたのでハシゴは止めました。
 さて土曜日マチネの客層はシニア世代の率が非常に多かったです。それは別にいいとしても、何故あんなに演奏中に物を落とすか。あっちでカラン、こっちでバサリと、手元のおぼつかない人が多くて閉口しました。落とす可能性のあるものはバッグにしまい椅子の下に置いておく、演奏中にアメを探してバッグをまさぐらない、というのは、マナーにうるさい日本じゃなくても常識だ、と思いたいです。


2014.04.05 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 5
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Jendrik Springer (music preparation), 田尾下哲 (video)
Egils Silins (Wotan/baritone), Boaz Daniel (Donner/baritone)
Marius Vlad Budoiu (Froh/tenor), Arnold Bezuyen (Loge/tenor)
Tomasz Konieczny (Alberich/baritone), Wolfgang Ablinger-Sperrhacke (Mime/tenor)
Frank van Hove (Fasolt/bass, Ain Angerの代役), In-Sung Sim (Fafner/bass)
Claudia Mahnke (Fricka/mezzo-soprano), Elisabeth Kulman (Erda/alto)
藤谷佳奈枝 (Freia/soprano), 小川里美 (Woglinde/soprano)
秋本悠希 (Wellgunde/mezzo-soprano), 金子美香 (Flosshilde/alto)
1. ワーグナー: 『ニーベルングの指環』序夜《ラインの黄金》(演奏会形式・字幕映像付)

 東京春祭で結構高品質のワーグナーをやってると、前から噂では聞いてたので、今年からはリングのシリーズが始まるということで楽しみにしておりました。
 まず、今日はN響には珍しく、外国人のゲストコンサートマスターが出てきたのが意表を突かれました。おそらくヤノフスキが手兵のオケから連れて来たであろうこのライナー・キュッヒルばりの禿頭のコンマスは、素晴らしく音の立ったソロに加えて、オケ全体にみなぎる緊張感が実際タダモノではなく、今まで聴いたN響の中でも間違いなくダントツ最良の演奏に「これは良い日に当たったものだ」と喜んでいたのですが、その段に至っても、このコンマスがまさかキュッヒル本人だったとは、演奏中は何故か全く想像だにしませんでした。いったいどういう経緯でN響のコンマスを?こんなサプライズがあるもんなんですねえ〜。
 記録を調べてみるまでは記憶が曖昧だったのですが、今日の出演者の中で過去に聴いたことがあるのは以下の4人でした。ヴォータン役のシリンスは2011年にロイヤルオペラ「さまよえるオランダ人」のタイトルロールで(急病シュトルックマンの代役として)。アルベリヒ役のコニエチヌイは2010年のBBCプロムス開幕「千人の交響曲」と、2013年のハンガリー国立歌劇場「アラベラ」のマンドリーカ役で。フリッカ役のマーンケは2007年のフィッシャー/ブダペスト祝祭管「ナクソス島のアリアドネ」(終幕のみ、演奏会形式)のドリアーデ役で。そしてエルダ役のクールマンは2012年のアーノンクール/コンセルトヘボウのロンドン公演で「ミサ・ソレムニス」を聴いて以来です。
 私はワーグナー歌手に明るくないのですが、実際に聴いた限りで今日の歌手はともかく粒ぞろい、穴のない布陣でした。ヴォータン役のシリンスはソ連のスパイみたいなイカツい顔で、キャラクター付けがちょっと固過ぎる感じもしましたが、細身の身体に似つかない低重心の美声を振り絞って、堂々のヴォータンでした。それにも増して存在感を見せていたのはアルブレヒ役のコニエチヌイ。昨年の「アラベラ」でもその太い声ときめ細かいの表現力に感銘を受けたのですが、得意のワーグナーではさらに水が合い、八面六臂の歌唱はこの日の筆頭銘柄でした。ベズイエンのローゲ、アブリンガー=シュペルハッケのミーメはそれぞれ素晴らしく芸達者で、くせ者ぶりを存分に発揮してました。
 一方、数の少ない女声陣は、フリッカ役のマーンケはバイロイトでも歌っているエース級。いかにもドイツのお母さんという風貌で、声に風格と勢いがありました。ごっつい白人達に混じって、フライア役の藤谷さんも声量で負けじと奮闘していました。ラインの川底の乙女達は声のか細さ(特に最後の三重唱)が気になりましたが、これも周囲があまりに立派だったおかげの相対的なものでしょう。演奏会形式では演技のない分、常に前を向き、歌に集中できるのも、総じて歌手が良かった要因でしょうね。
 御年75歳のヤノフスキは、「青ひげ公の城」のCDを持ってるくらいで実演を聴くのは初めてでしたが、うそごまかしのないドイツ正統派の重鎮であり、オケの統率に秀でた実力者であることがよくわかりました。オケはキュッヒル効果で全編通してキリっと引き締まり、この長丁場でダレるところもなく、ヤノフスキのタクトにしっかりついて行ってました。こんなに最後まで手を抜かず音楽に集中するN響を、初めて見ました。トータルとして、今の日本で聴ける最上位クラスのワーグナーだったと思います。ただ一つ、スクリーンの画像は、この演奏には気が散って邪魔なだけ、不要でした。さて来年の「ワルキューレ」が俄然楽しみになってきましたが、皆さん元気で、どうかこのテンションが4年持続しますように。


2014.03.20 Live Viewing from:
2014.03.19 Royal Opera House (London)
Valery Ovsyanikov / Orchestra of the Royal Opera House
Marius Petipa (Choreography)
Frederick Ashton, Anthony Dowell, Christopher Wheeldon (Additional Choreography)
Sarah Lamb (Princess Aurora), Steven McRae (Prince Florimund)
Christopher Saunders (King Florestan XXIV), Elizabeth McGorian (His Queen)
Kristen McNally (Carabosse), Laura McCulloch (Lilac Fairy)
Yuhui Choe (Princess Florine), Valentino Zucchetti (The Bluebird)
1. Tchaikovsky: The Sleeping Beauty

 昨年末の「くるみ割り人形」に続き、ロイヤルバレエのライブビューイングを見に行ってみました。妻のお目当てはもちろんマクレー様。2011年にオペラハウスで見た際はマクレー&マルケスのゴールデンコンビだったんですが、芸術監督がオヘアに変わってからマルケスはちょっと冷遇されているようで、栄えあるライブビューイングのオーロラ姫はクール・ビューティーのサラ・ラム。マクレーとのペアは、どちらも本当に佇まいの美しい、ある意味よく似たお二人なのですが、あまりにもクールで完璧過ぎて、暖かみに欠ける気がしました。たとえローズアダージョが少々危うくても、マルケスのあの明るさと過剰な顔芸が、実はマクレーとの相乗効果でお互いよく引き立っていたんだな、と今更ながら思いました。そう言えば、サラ・ラムも今回のローズアダージョは意外と余裕ないなと思ったのですが、そんなことより、「不思議の国のアリスの冒険」を見て以来、ローズアダージョの音楽を聴くとハートの女王の爆笑パロディがどうしても瞼に浮かんできます、どうしてくれよう。
 ライブビューイングの司会進行は前回と同じく元プリンシパルのダーシー・バッセル。休憩時のオヘアのインタビューでは日本語字幕がなくなるのも前と同じなので、ここだけは台本なしでやってるんでしょうね。ライブビューイングの映画館は千葉県の田舎でも6割くらいの客入りで、ほとんど女子。バレエスクールから団体で来ているっぽい集団もいましたが、引率の白人先生以外は皆女の子で、なるほど、日本ではかのように男性バレエダンサーの層は薄いのだな、とあらためて認識しました。次のライブビューイングは「不思議の国のアリスの冒険」のウィールドン/タルボットのタッグが手がける新作「冬物語」。ロイヤルの新作が日本に居ながらリアルタイムで見られる機会などそうそうないし、プリンシパルをずらりと揃えたキャスティングも非常に楽しみです。


2014.03.19 サントリーホール (東京)
第33回 東芝グランドコンサート2014
Vasily Petrenko / Oslo Philharmonic Orchestra
諏訪内晶子 (violin-2)
1. モーツァルト: 歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492
2. メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64
3. マーラー: 交響曲第1番ニ長調「巨人」

 オスロフィルも、ワシリーのほうのペトレンコも、生は初めて聴きます。この1週間で3回目のサントリーホールですが、行けなくなった人からチケットを譲ってもらい、予期せず久々に「欧州の息吹き」に触れることができてラッキーでした。
 今日は東芝グラコンですからゲストも豪華、開演前に突如三枝成彰が出てきて長々と曲目解説してました。モーツァルトの説明では演目と全然関係ない「レクイエム」発注の逸話を持ち出して、「今話題のゴーストライターだったんですね」などと茶化してましたが、この人、佐村河内守の交響曲第1番「HIROSHIMA」を、著名作曲家つまりスペシャリストの立場からいち早く絶賛していた「共犯」だったのでは?
 さてそのモーツァルト、軽いジャブで、ヨーロッパクオリティとしては至って普通なんでしょうが、さっそくその雰囲気に呑まれました。2曲目のメンデルスゾーンでは深紅の衣装の諏訪内晶子登場。諏訪内さんは3年前ロンドンで聴いて以来です。さすがにこの曲は弾き慣れていらっしゃるようで、テクニックは盤石で素晴らしい。2階席にもよく届く響きのいいヴァイオリンですなー。ある意味ドライで、音符の処理はたいへん上手いんだけれども、ソリストが伝えたいものがよくわからないというか、心が伝わって来ない演奏ではありました。アンコールはバッハの無伴奏パルティータの確か「ルーレ」でしたが、これはちょっと…。ツアーの疲れが出たかような揺らぎでピリッとしませんでした。
 メインの「巨人」でやっとオケと指揮者の力量が測れます。おっ、第1楽章のリピートは省略か、今どき珍しい。どうも管楽器に名手はいなさそうです。木管は音に濁りがあるし、ホルンもちと弱いな。ヤンソンス統治の伝統か、弦はそれなりに厚いです。ワシリー君はそのイケメンぶりに似合って、なかなか格好のいいバトンさばきで、テンポ良くぐいぐいと進めます。ユダヤの血がどーのこーのは一切排除した、スタイリッシュで粘らないマーラー。その是非はともかく、ちょっと急ぎ過ぎで音の処理が雑に思える箇所が散在しました。まあしかし、「巨人」であれば十分に「アリ」なスタイルです。第2楽章も主題の1回目だけアゴーギグをかけて、あとはサラリとしたもの。第3楽章はさらに磨きがかかり、冒頭のコントラバスソロがこれだけ澄んだ音色で演奏されるのを初めて聴きました。終楽章も翳りなくあっけらかんとした、後腐れのない「これが青春だ」のマーラー「巨人」でした。最後の金管パワーは圧巻で、さすがヨーロッパのオケは基礎体力が違います。ツアーの日程見ると12日からほぼ毎日全国を飛び回っており、時差ボケもあってだいぶお疲れのはずなんですが、最後まで息切れしないのはたいしたものです。まだ一流とは言い難いところはいろいろあれど、こんだけの芸を見せられる日本人の指揮者と日本の楽団は、正直いませんよね、残念ながら。
 アンコールはハンガリー舞曲の第6番。極端にアゴーギグをかませるそのスタイル、どこかで聴いたことがあるぞと思ったら、あっ、コバケンだった。そういえば今回の来日プログラムはショスタコ5番とマーラー1番だったのですが、この組み合わせは1979年のバーンスタイン/NYP来日公演を思い起こさせます(私は聴けなかったけど)。あるいは、「巨人」の後のアンコールでハンガリー舞曲第6番というのは、ヤンソンス/コンセルトヘボウの得意技でしたね。ワシリー君もちょっとずつ、いろんな先人巨匠の影響下にあるのかもしれません。


2014.03.17 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

 インバルのマーラーは、4年前にロンドンでフィルハーモニア管との「復活」を聴いて以来です。その時はフェスティヴァルホールのリアストール後方席だったので、ステージが遠くて音がデッドな上に、深く覆いかぶさった二階席のおかげで最悪の音響のため全然楽しめませんでした。今日もストールの後方だったのですがそこはサントリーホール、二階席が覆いかぶると言ってもフェスティヴァルホールより全然浅く、ブラス・打楽器が直に飛び込んでくる好みの音響で安心しました。
 さて全体を通しての印象は、繊細で丁寧なマーラー。解釈はくっきりとしていてわかりやすい。例えば、タメるところは聴衆に「ここはタメである」とはっきりわからせるような演奏でした。それでも軽くなったり、下品になったりしないのは、楽器バランスとダイナミックレンジが適正にコントロールされていたから。緊張感溢れる第1楽章に続き、息抜きの第2楽章は写実的な田舎風。第3楽章の前で指揮者は一度袖に引っ込み、オケは軽くチューニングし直しましたが、多少くたびれてきていた音色が一転、再び研ぎすまされて光沢が出たのには感心しました。激しい第3楽章で音量が爆発しても、金管は一貫して柔らかい音を出していたので、日本のオケでこれだけ余裕のある演奏もなかなか聴いたことがありません。第4楽章がこれまたドラマチックな入魂の熱演で、ホルンは地味ながらも頑張ったし、クライマックスで弦はボウイングなんか気にせず各人が粘る粘る。ラストの消えゆく弦の弱音は極めてデリケートで、最後まで集中力を欠かさない、たいへん上質の演奏でした。
 今日のマラ9は、この曲のベストかと問われればYESと答えられないけれど、ここまで何回か都響を聴いてきて、一流の指揮者が指揮棒一つでしっかり自分の音楽を作れるだけの地力がオケにあるのだな、と思い知らされました。こんなこと、ロンドンでは当たり前だったかもしれませんが、ここらあたりじゃ全然当たり前じゃないという事実をふと思い出させる一夜でした。


2014.03.16 東京文化会館 小ホール (東京)
東京・春・音楽祭《兵士の物語》
長原幸太 (vn/元・大フィル首席CM), 吉田秀 (cb/N響首席), 金子平 (cl/読響首席)
吉田将 (fg/読響首席/SKO首席), 高橋敦 (tp/都響首席), 小田桐寛之 (tb/都響首席)
野本洋介 (perc/読響), 久保田昌一 (指揮), 國村隼 (語り)
1. ストラヴィンスキー: 兵士の物語

 10年目を迎える東京ハルサイに行くのは初めてです。この10年ほとんど日本にいなかったので仕方がない。ワーグナーのオペラと室内楽がプログラムの中心なので、私的にはビミョーな音楽祭ですが、今回は「兵士の物語」を國村隼の日本語ナレーション付きでやるというので。
 演奏はこの企画のための特別編成で、読響、都響、N響などから首席奏者が集った、日の丸精鋭アンサンブル。演奏は、個々の人は確かにそれなりにキズのない演奏をしているのだけれど、楽譜が追えたらOKの完全なお仕事モード。音を楽しみ、人を楽しませるという音楽の原点を忘れているというか。いかにも打ち解けてない感じの一体感のないアンサンブルだったし、バランスが悪くてナレーションをかき消してしまったり、果たしてやる気はどのくらいだったのか。一昨年聴いたLSOの首席陣による至高のアンサンブルとは、もちろん比べてもしょうがないのでしょうが、「プロ度」という観点では、日本のトップ達はまだまだこんなもんかと、ちょっとがっかりしました。
 最近富みにテレビ・映画で見かける個性派俳優、國村隼のナレーションは出だしから飾り気なく朴訥で、淡々と進みます。後半で悪魔が激高するときに頂点を持ってきてメリハリをつけるという組み立てだったので、トータルの印象としてはテンションの低い時間が多い、眠たいものでした。この人の味は何といってもその「顔」であって声じゃないんだな、と、あらためて思いました。國村隼が声優とかラジオドラマとかDJとか、やっぱりピンと来ないもの。


2014.03.13 サントリーホール (東京)
山下 一史 / 早稲田大学交響楽団
1. R.シュトラウス: 交響詩「ドン・ファン」
2. R.シュトラウス: 楽劇「サロメ」より7つのヴェイルの踊り
3. ブルックナー: 交響曲第7番ホ長調 (ノヴァーク版)

 先月の慶應ワグネルに続き、今月はワセオケです。曲も慶應がマーラー7番だったのに対し、早稲田はブルックナー7番、対極の大曲でがっぷり四つの対局となりました(まー、まさか選曲は対向して決めているわけじゃないから偶然でしょうけど)。
 さて、例によって天気は暴風雨の荒れ模様、最近こんなのばっかですが、そのせいかどうか、満員御礼だったはずなのに客席は空席がちらほら。ワグネル同様、学生オケは曲によってメンツがガラリと変わります。1曲目の「ドン・ファン」は多分下級生の若い団員中心だったと思うんですが、いっぱいいっぱいを超えていて、ちょっとキツかった。これは選曲が背伸びし過ぎでしょう。上級生があたり前にやっているからと言って、「ドン・ファン」をなめちゃダメですな。次は管楽器奏者を総入れ替えしての「7つのヴェールの踊り」。弦は同じメンツなのでまだキツめでしたが、木管の個人技が光り、多少大人の落ち着きになってきました。
 メインで出てきたのがワセオケの「一軍」なんだと思いますが、無駄なメンバーがいなくて、さすがに休憩前とはレベルが違いました。今日は実は、初めて聴く山下一史の指揮も楽しみにしていたんですが、やけに淡々としていて、お仕事モードという感じ。そのせいもあって、オケもアマチュアらしい熱気が感じられなくて、上手いのだけど小さくまとまってしまったのが残念。どちらかというと私はこの曲が苦手というか、人気曲なのにその良さがイマイチよくわからないんですが、今日もその考えが変わることはなく、ちょっと退屈しました。
 アンコールは「都の西北〜」の早稲田校歌。うーむ、そういう会だったのね。どうりでアウェイ感が拭いきれなかったわけだ…。


2014.02.15 サントリーホール (東京)
大河内雅彦 / 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
1. ベートーヴェン: レオノーレ序曲第3番
2. ワーグナー: 歌劇『さまよえるオランダ人』序曲
3. マーラー: 交響曲7番ホ短調『夜の歌』

 しばらくぶり、今年初の演奏会。慶應ワグネルは昨年10月の公演を聴く予定が、台風来襲のため行くのを断念したので、これが初鑑賞になります。よほど天候に嫌われているのか、今回も大雪の影響で交通ダイヤは乱れておりましたが、幸い大きな問題もなく会場には行けました。しかし、満員御礼だったはずが、やはり来るのを止めた人は多かったみたいで、空席がちらほら目立ちました。
 さて初めて聴く慶應ワグネルは学生オケですから曲によってステージに上る奏者が変わります。最初のほうの曲は年次の若い人が多く、初々しい感じですが、こっちがすっかり年を取ってしまったもので、メインの曲でも皆さん十分に若々しい。総じて感じたのは、メンツが入れ替わっても極端にレベルの違いはなく、思ったよりずっと上手かったということ。まあ人海戦術のおかげもあるんでしょうが、そのへんのヘタレプロオケよりもむしろ馬力があり、最後までヘコたれない根性がありました。弦楽器のボウイングも統率取れているし、ずるく逃げると言うと語弊がありますが、破綻しないすべを心得ている。トレーナーがよほどしっかりしているんでしょう。上級生になればさすがにソリストに達者な人が多く、ヴィオラ、トランペット、フルート、ティンパニは特に印象に残りました。久々に聴いたマーラー7番、心地良く堪能できました。ロンドン、ブダペストでも学生オケをいくつか見てきてその比較で一つ苦言を言うならば、ワグネルはもっと笑顔が欲しいです。皆、顔が真面目過ぎ。
 このオケは4年に1回ヨーロッパ演奏旅行をしていて、今年もプラハ、ミュンヘン、ウィーン、ブダペストに行くようです。日本のプロオケはめったに海外に行かないので、日本で最も頻繁に海外公演をしている楽団じゃないかと思ったら、早稲田のオケは何と3年に1回ペースで演奏旅行しているようです。いやはや、さすが早慶、こんなところでも競い合ってますな。個人的にはドイツ、オーストリアばかりの早稲田より、プラハとかブダペストにも行ってくれる慶應に好感が持てますが。


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