クラシック演奏会 (2014〜2017年)


2017.12.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Diego Matheuz / 読売日本交響楽団
Peter Erskine (drums-2)
1. バーンスタイン: 「キャンディード」序曲
2. ターネジ: ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演)
3. ガーシュイン: パリのアメリカ人
4. ラヴェル: ボレロ

 ちょうど1年前の今シーズンプログラムの発表から、ずっと楽しみにしていたコンサートです。5月には前哨戦としてコットンクラブにピーター・アースキン・ニュートリオのライブも見に行きました。ステージ奥の一番高いところに置かれたTAMAのドラムセットは多分そのときと同じものですが、メロタムとスプラッシュシンバルが増えて、若干フュージョン仕様になっているような。キックくらいはマイクで拾っているでしょうが、他は特にマイクやピックアップをセットしているようには見えませんでした。
 ディエゴ・マテウスはベネズエラの有名なエル・システマ出身で、N響やサイトウキネンには過去何度か客演していますが、読響はこれが初登場とのこと。振り姿もサマになる、いかにもラテン系の若いイケメンで、まずは小手調べと披露した明るく快活な「キャンディード」序曲。モタらず、ノリが良く、この前のめりな指揮にオケがちゃんとついて行っているのが良い意味で予想を裏切り、なかなかの統率力をいきなりさらっと見せました。
 続く「ドラムセットとオーケストラのための協奏曲《アースキン》」は2013年にピーター・アースキンのために作曲された作品。3本のサックスに大量の打楽器を含む大編成オケと、もちろんドラムセット、さらにエレキベース(意外と地味でしたが)まであり、ステージ上はお祭りの賑やかさです。作曲者のターネジは、前にも聞いた名前だなと思ったら、私は見に行けませんでしたが、2011年に英国ロイヤルオペラでの初演が物議を醸した「アンナ・ニコル」の作者でした。4つの楽章はそれぞれ以下のような表題があり、1は娘さんと息子さん、2は奥さん(ムツコさん)の名前から由来しています。
 1. Maya and Taichi’s Stomp(マヤとタイチの刻印)
 2. Mutsy’s Habanera(ムッツィーのハバネラ)
 3. Erskine’s Blues(アースキンのブルース)
 4. Fugal Frenzy(フーガの熱狂)
 1回しか聴いていない印象としては、曲がちょっと固いかなと。確かに、ドラムセット以外にも打楽器満載で、ラテンやブルースのリズムを取り入れ、派手な色彩の曲に仕上がっていますが、バーンスタインのように突き抜けた明るさがなく、どことなく影が見えます。また、ドラムの取り扱いが思ったほど協奏的ではなくて、普通にドラムソロです。アースキンはさすがに上手いし、安定したリズム感はさすがですが、インプロヴィゼーションの要素がほとんど感じられず、やはりクラシックの舞台では「よそ行き顔」なんだなと感じてしまいました。嫌いなほうではないのですが、単なる「打楽器の多い曲」という印象で、期待したスリリングな「協奏曲」とはちょっと違いました。またやる機会があれば、是非聴きたいと思います。
 後半戦は、管楽器のトップには試練の選曲が続きます。2曲とも1928年に作曲、初演されたという「繋がり」がミソ。「パリのアメリカ人」の実演は5年ぶりに聴きますが、管楽器のソロが粒ぞろいで驚きました。日本のオケで、ソロの妙技に感心する日が来ようとは。マテウスの指揮も全体を見通したもので、散漫になりがちなこの曲の流れを上手くまとめていました。ただし、ジャジーなスイング感はイマイチ。ラテンの人がジャズも得意とは限りません。
 「ボレロ」の実演を聴くのはさらに久々で、7年ぶりでした。「ボレロ」が入っていると名曲寄せ集めプログラムになってしまうことが多いから、あえて避けてきた結果とも言えます。ここでも管のソロはそれぞれ敢闘賞をあげたいくらいのがんばりで(まあ、トロンボーンがちょっとコケたのはご愛嬌)、世界の一流オケが安全運転で演奏するよりも、かえって熱気があり良かったのではと思います。マテウスはこの曲でも若さに似合わぬ老獪さを発揮し、クレッシェンドを適切にコントロール。バランス感覚に優れている指揮者と思いました。このエル・システマの新星は、あくまで明るいラテン系のキャラですが、実力は本物だと確信しました。今後の活躍に期待です。


2017.11.11 The John F. Kennedy Center for the Performing Arts, Concert Hall (Washington D.C.)
Gianandrea Noseda / The National Symphony Orchestra
Corinne Winters (soprano-2)
1. Webern: Passacaglia
2. Luigi Dallapiccola: Partita for Orchestra
3. Beethoven: Symphony No. 3 in E-flat major, Op. 55, "Eroica"

 出張のおり、初のワシントン・ナショナル交響楽団を聴いてまいりました。エッシェンバッハの後を継ぎ、今シーズンから音楽監督に就任したノセダの、これがオープニングの演奏会になります。客入りは良く、温かく迎えられていたように感じました。
 その記念すべき1曲目がウェーベルンの作品番号1番「パッサカリア」とは、なかなか意味深です。このオケを生で聴くのは初めてですが、さすがアメリカのオケ、というような馬力や華やかさは感じませんでした。金管がちょっと緊張気味で、音が安定しない。現代曲はあまり得意なオケではないのかなと。あと、ティンパニの配置がアメリカ式でなくドイツ式だったのが意外でした。ノセダは7年前のロンドン響で聴いたときはどうだったか忘れてしまったのですが、超高齢指揮者以外では珍しく、椅子に座っての指揮。Philharmonia版のちっちゃいポケットスコアを使っていたのは、7年前と変わりません。音楽は生真面目なスタイルで、無調・12音階に突っ走る前のウェーベルンを「歌」として捉えていたように私は感じました。
 1曲目の後マイクを取り、音楽監督としてのオープニングシリーズでなぜこの選曲なのかを解説、モダンな作曲家があえて古いスタイルの音楽に枠をはめて作曲に挑戦したものばかりを選んだ、と言ってました。それはもちろん見え見えでわかりますが、最後はグダグダになり、肝心の「なぜこの選曲なのか」の理由についてははっきり言及しませんでした。
 2曲目はダッラピッコラという20世紀のイタリア人作曲家の「パルティータ」。実は作曲者の名前からして初めて聞きました。12音技法に傾倒した人らしいですが、4曲からなるこの組曲は、まだ調性が残っている初期の作品。第1曲が「パッサカリア」ということで、前の曲とコンセプトが繋がってます。イタリアの陽気な太陽よりも、ちょっとブルーがかった冷たさを感じる作風です。聴きなれない曲ですが、ノセダの歌わせ方が上手いのか、すっと引き込まれる魅力を持っています。第4曲だけソプラノ独唱が入り、コリーヌ・ウィンターがしずしずと入ってきました。前のシーズンで英国ロイヤルオペラデビューも果たした期待の新鋭で、ルックスは抜群の美人。見た目若そうだし、オペラ歌手らしからぬウエストの細さは、こりゃあ人気が出るでしょう。ただし、この曲だけじゃちょっとわからないけど、正直、それほど綺麗な声でもなかったかなと。線が細く、どこかヒステリックになってしまう歌唱は、役どころを選ぶのではないでしょうか。「ルル」なんか、いいのかもしれません。
 メインは私の苦手な「エロイカ」。前半はイマイチと感じていたホルンが、休憩後メンバーがガラッと変わり、レベルアップしたので、意外と飽きずに最後まで聴き通せました。この選曲も、終楽章が4分の2拍子のパルティータ風というところが1曲目と呼応しています。ちょっと理屈っぽい気もしますが、うまい選曲だと思いました。ノセダは、オケの人数は絞ったものの、ピリオド的奏法のアプローチはせずに、普通のモダンオケを使って、裏技なしで明快に仕掛けを見せていく誠実タイプ。今度はいかにもイタリア人らしい、明るくリズミカルな陽のベートーヴェンでした。終演後の熱狂は、地元聴衆の期待感の表れでしょう。上々の滑り出しと思います。
 ケネディセンターは商業施設としてはだいぶ時代遅れ感が否めず、開放的な設計ではないので構造がわかりにくい建物でした。コンサートホールは座席が古くてスプリングがお尻に刺さるのが難点。2400席以上もあり、音響はお世辞にも良いとは言えません。ただし、ステージが低めなので、いっそ最前列とかで聴くのがよいかも。あとは、アメリカでは普通なのかもしれませんが、地下鉄・電車を降りてすぐにホール入り口があるわけではなく、日本や欧州の主要ホールと比べるとアクセスが悪い。またタイミングが悪いことに、隣のオペラハウスと終了時間がかち合い、大量の人が一斉に出てきてタクシーの列に並ぶも、待っていた第一陣のタクシーが一通りはけたらなかなか戻ってこず、地元の待ちきれない人々は続々とUberで車を呼んで逃げていました。結局シャトルバス、地下鉄を乗り継いでなんとか帰れましたが、夜は本数が極端に少なくなるので、ちょっとビビりました。


2017.10.24 サントリーホール (東京)
小泉和裕 / 東京都交響楽団
Alina Ibragimova (vn-1)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
2. フランク: 交響曲ニ短調

 ロンドンでは結局1回しか聴けなかったアリーナ・イブラギモヴァ。そのアリーナが待望の来日、しかもバルトークの2番、これは聴き逃す手はありません。ふと振り返ると、昨年はバルトークの曲自体、1回も聴きに行けておらず、ヴァイオリン協奏曲第2番も一昨年のN響/サラステ(独奏はバラーティ)以来。
 アリーナも日本でそこまでの集客力はないのか、もっと盛況かと思いきや、結構空席が目立っていました。田畑智子似のちょっと個性的なキューティは、三十路を超えても健在でした。さてバルトークの出だし、第一印象は「うわっ、雑」。音程が上ずっているし、音色も汚い。しかしどうやら狙ってやってるっぽい。この曲をことさらワイルドに弾こうとする人は多いですが、その中でも特に個性的な音楽作りです。ステレオタイプなわざとらしさは感じないし、不思議な説得力があるといえば、ある。ちょうど耳が慣れてきたところでの第1楽章のカデンツは絶品でした。繰り返し聴いてみたくなったのですが、録音がないのが残念。オケはホルンが足を引っ張っり気味で、小泉さんの指揮も棒立ちの棒振りで完全お仕事モード、どうにも面白みがない。ただし、終楽章は多分ソリストの意向だと思いますが、かなり舞踊性を強調した演奏で、オケもそれに引っ張られていい感じのノリが最後にようやく出ていました。エンディングは初稿版を採用していましたが、せっかくの見せ場なのにブラスに迫力がなく、アリーナはすでに弾くのをやめているし、物足りなさが残りました。どちらかというと私はヴァイオリンが最後まで弾き切る改訂版の方が好きです。
 メインのフランク。好きな曲なんですが、最後に実演を聴いたのはもう11年も前の佐渡裕/パリ管でした。小泉さん、今度は暗譜で、さっきと全然違うしなやかな棒振り。ダイナミックレンジが広くない弱音欠如型でしたが、力まず、オルガンっぽい音の厚みがよく再現されている、普通に良い演奏でした。小泉和裕は、初めてではないと思いますが、ここ20年(もしかしたら30年)は聴いた記憶がありません。仕事は手堅いとは思いますが、やっぱり、小泉目当てで足を運ぶことは、多分この先もないなと感じます。


2017.09.06 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-1)
1. ヴァインベルク: ヴァイオリン協奏曲 ト短調 作品67(日本初演)
2. ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番 ハ短調 作品43

 5日前に続き、クレーメル客演の第2弾です。前回のグラスに続き、今日のヴァインベルクも日本初演曲ということで、硬派なプログラムに敬意を表します。ヴァインベルクはポーランド生まれのユダヤ人で、ナチスから逃れてソ連に亡命し、そのソ連でもジダーノフ批判の流れで弾圧されたという波乱の人生を送った人ですが、正直、今まで名前すら意識して記憶にとどめたことがなかった作曲家でした。もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初めて聴く曲でしたが、それでもクレーメルの凄みは十分に伝わってきました。齢70歳にして、パガニーニとチャイコフスキーの両国際コンクールを制したその技巧は衰えず、それでいて、円熟味溢れるというのか、深い奥行きを感じさせる豊かな表現力。うーむ、もっと至近距離で聴きたかった。カスプシクは相変わらずオケをよく鳴らすも、重心の低い音作りに終始し、ソリストとのバランスが完璧に保たれている、何と上手い指揮者かと感心しました。アンコールは同じくヴァインベルクのプレリュードから2曲。音と音の間の「間」が独特の雰囲気を出している静かな曲で、俳句のようだと感じました。
 さてメインのタコ4ですが、前に実演を聴いたのは7年前のネルソンス/バーミンガム市立響でした。その時は音響の洪水に圧倒されましたが、本日のカスプシク/読響も負けず劣らずの超爆音系。ホルン8、フルート4、ピッコロ2といった、元々まるでマーラーのような大編成シンフォニーではありますが、こういう曲をやると日本のオケはたいがい途中で息切れするところ、最後まで鳴らし切った引率力はたいしたものです。打楽器もパワー全開で、特にセカンドティンパニはヘッドが破れないか心配になるくらいの爆叩き。一方で、ブラスは全般に頑張っていた中、ホルンのトップにいつものキレがなかったのはちょっと残念。全体を通しては、この曲のメタリックな肌触りを生々しく表出させた、非常に尖った演奏と言えるでしょう。ショスタコの最高傑作と称える人も多い、ということのも、こういう切実な演奏を聴くと大いに納得できます。


2017.09.01 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-2), Giedre Dirvanauskaite (vc-2)
1. ヴァインベルク: ポーランドのメロディ 作品47 no.2
2. フィリップ・グラス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (日本初演)
3. ムソルグスキー(ラヴェル編): 組曲「展覧会の絵」

 けっこういろんな演奏家を広く浅く聴けてきた中で、ギドン・クレーメルは「まだ見ぬ巨匠」の筆頭でしたので、今シーズンのプログラムを見たとき、この演奏会は最高優先度でピックアップしました。5年ほど前出張でリガを訪れた際、夜にちょうどクレーメルのアンサンブル、クレメラータ・バルティカの演奏会があり、チャンスとばかりに当日券を求めたのですが、残念ながらソールドアウトでした。
 1曲目の「ポーランドのメロディ」は、民謡を素材とした4曲から成る小組曲。もちろん初めて聴く曲でしたが、ポルカとかマズルカを取り混ぜた素朴な民謡曲で、カスプシクも軽い小手調といった感じです。ここのホルントップは相変わらず若いのにしっかりとしていて好感が持てます。
 2曲目は待望のクレーメルと、クレメラータ・バルティカのチェリスト、ディルヴァナウスカイテによる、フィリップ・グラスの二重協奏曲。日本初演だそうで、こちらも初めて聴く曲ですが、言われなくても作曲者がわかる、典型的なグラス節。正直、演奏はクレーメルでなくてもよいようなミニマルミュージックで、これをもってクレーメルを語ることはちょっと無理です。ただ、遠路はるばるこの日本くんだりまで来てくれて、ありふれたメンコンやチャイコンではないチャレンジングな選曲でその技巧を聴かせてくれるのは得難い機会です。アンコールは「ラグ・ギドン・タイム」という洒落た小曲。
 メインの「展覧会の絵」は重厚な音作りで、カスプシクの傾向がわかってきました。重心が低く芯のある弦、崩れず鳴らしきる管、相当力の入った演奏で、ラヴェル編曲のフレンチものよりも、完全にロシアものとして捉えています。読響からここまでの馬力を引き出すとは、オケの鳴らし方が上手い指揮者だと思いました。元々好んで聴くほうの曲ではなかったのですが、今日は退屈せずに最後まで聴き通せました。ということで、今日は前哨戦として、本チャンは5日後のもう一つの演奏会。選曲が重厚な分、期待は高まってしまうのでした。


2017.07.26 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
1. スメタナ: 連作交響詩「わが祖国」(全曲)

 今年も「フェスタサマーミューザ」の季節が到来し、貴重な平日夜の演奏会です。ほぼ満員で、客入りも上々。東京・横浜からの集客を考えると週末にブッキングしたいのはわかるのですが、毎度の満員御礼を見て、平日ニーズもそれなりにあるのは確実なので、東響さんも毎月とは言わんがちょっと考えてくれないかなと思います。
 スメタナの代表作「わが祖国」を生で聴くのは、メジャー過ぎる「モルダウ」含め、多分初めてだと思います。要はそのくらい個人的興味の薄い曲でしたが、あらためて全曲通して聴いてみて、やっぱりこの曲は性に合わんなとの認識を再確認しました。あくまで個人的な感想であり、私の感覚などはどう見ても少数派であることは承知の上で言いますと、特に前半の3曲が退屈です。第1曲「高い城」冒頭のつかみも悪い。ハープのデュオは、そりゃー美しく幻想的とも言えなくはないですが、自分としてワクワク感は全くなく、これから始まる退屈な時間を予感させるものでしかない。続く「モルダウ」は、元々好きな曲ではない上に、どうしても手垢まみれ感満載で、素直に耳を傾けることができず、大概このあたりでギブアップ。「モルダウ」まで聴いたのだから、大体わかった、ハイ終了、でいいだろうと。休憩を挟んで気を取り直し、聴いてみた後半3曲は、円熟を感じるシンフォニックな作りで、なかなかカッコイイ曲であると気付けたのが今回の発見でした。レコードで聴くとき、最初から順番に聴こうとしてはいけなかったのですね。
 チェコ人の若手スター、フルシャは、当然のように暗譜で臨みます。超定番のご当地モノとして研究し尽くしているとは思いますが、ある意味指揮者以上に手慣れているチェコのオケを振るときと異なり、バックグラウンドの全く違う日本のオケに短時間で解釈を叩き込むのは、さぞ難儀だろうと思います。前述のように個人的に馴染みの薄い曲ゆえ、解釈の微妙な特徴はよくわかりませんが、フルシャは見るからに正統派の中庸路線で、小細工なしにしっかりとオケを鳴らして起伏を作っていました。チェコフィルのような土着の渋味が出ないのは仕方ありませんが、都響の反応は良かったと思います。オーボエ、フルートを筆頭に、ソロも冴えていました。


2017.07.17 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Anna Larsson (contralto-2), Daniel Kirch (tenor-2)
1. マーラー: 交響詩「葬礼」
2. マーラー: 交響曲「大地の歌」

 インバル/都響のマーラーは、2014年に9番と10番クック版を聴いて以来。どちらも素晴らしかったので、「遺作」交響曲シリーズとして期待は高まります。
 まず1曲目は「復活」の第1楽章の原型である、交響詩「葬礼」。実演で聴けるのは貴重です。楽器編成とスコアの細部はいろいろと違うものの、曲想としてはほぼ同一と言ってよいでしょう。個人的には、「復活」のスコアで言うと練習番号15番(244小節目)からのテーマ再現部、弦の「ジャカジャカジャ」に続く、やけくそのような打楽器群の「グシャーン」という合の手がないのは寂しいです。コンミスが線細なのがちょっと気になったものの、全体的に弦のコントロールがきめ細かくて表現力に富み、都響の金管もインバルの指揮だと何故か穴がなく説得力のある音を出すから不思議です。
 メインの「大地の歌」は、著名曲でありながらマーラーの中ではプログラムに載る頻度が相対的に低く、この曲だけ日本で生演を聴いていなかったので、帰国後のささやかなコンプリートが、これでまた一つかないました。ソリストはどちらも初めて聴く人でしたが、マーラー歌手として評判の高いらしいアンナ・ラーションは、エモーショナルかつ老獪な、期待を裏切らない完成度。一方のちょっと若そうなテナーのダニエル・キルヒは、最初から飛ばし気味で駆け引き無縁のストレートな熱唱を聴かせてくれましたが、案の定、張り切り過ぎで途中で息切れしていました。
 インバルのリードはいつも通り説得力があり、流れは澱みなく、奏者の息もよく合っているので、全体的に引き締まった印象でした。その分壮大なスケール感には欠けていたかもしれませんが、爆演が似合う曲でも元々ないだろうし。ソロではオーボエとホルンが特に良かったです。インバル/都響は、今後もインバルが来日してくれる限り、できるだけライブを聴きに行きたいと思いました。


2017.06.11 Gewandhaus zu Leipzig, Großer Saal (Leipzig)
Kristjan Järvi / MDR Sinfonieorchester
1. J. S. Bach: 'Chaconne' from Partita No. 2 for Violin BWV 1004 (arr. by Arman Tigranyan)
2. Max Richter: Exiles (German premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2 in E minor Op. 27

 ライプツィヒは13年前に訪れて以来の2回目ですが、前回は幼児連れでとても演奏会どころではなかったところ、今回はタイミングよく念願のゲヴァントハウスで演奏会を聴くことができました。オケはやはりゲヴァントハウス管を聴きたかったところですが、あいにくこの日はMDR響(旧ライプツィヒ放送響)。まあでも、ゲヴァントハウス管はロンドンで何度か聴いているし、その昔ケーゲルとの録音がマニアに高評価だったライプツィヒ放送響を生で聴けるとあらば、全く文句はございません。
 ライプツィヒの旧市街は本当にこじんまりとしていて、隅から隅まで回っても半日で足りそうです。その一角にあるゲヴァントハウス、外観は13年前と全く変わっていません。正面右隣にあった旧共産圏の匂いをプンプンさせていた建物は、建て替えられてすっかりモダンになっていましたが。コンパクトなホール内は平土間がなく、どの席からもステージがよく見えて、しかも音場が近そうな、まさに私好みのホール。ここに通えるのならこの街に住んでみたい、と思ってしまいました。
 さて、日曜マチネの公演の客層はシニア層が大半を占めていました(危惧した通り、補聴器のハウリングが当たり前のように起こっていましたが…)。1曲目は地元最大の著名人、JSバッハの「シャコンヌ」管弦楽版。編曲は1979年生まれのロシア人(ですが見るからにスラヴ系ではなく南方スタン系の人)、ティグラニアン。2管のフルオーケストラを駆使した、奇をてらわない正統派の作りで、金管打楽器もふんだんに使い、派手な演出です。ストコフスキーのバッハ編曲を連想させました。ある意味映画音楽みたいで、作家性はあまりないものの、よい仕事をしていると思います。演奏後、編曲者が登場、挨拶させられてました。
 続いて、マックス・リヒターの新作「Exiles」はドイツ初演とのこと。世界初演も今年ハーグで行われており、こちらはパーヴォ兄ちゃんの指揮だったそうです。弦楽器、打楽器、ピアノ、ハープという編成で、全部で30分ほどのスローなミニマルミュージックでした。最初ピアノから始まり、同じメロディを繰り返しながら徐々に徐々に楽器が増えていく、言うなれば現代の「ボレロ」。ミニマル系なので聴きやすい曲ですが、打楽器なぞ25分ごろからやっと登場し、とにかく長い。同じミニマル系でもグラスとかライヒと比べて展開に意外性もなく、先が読める産業音楽に思えました。こちらは作曲家は出て来ず。
 メインのラフマニノフ2番は好んで実演を聴きに行く曲の一つですが、昨年は機会がなかったので約2年ぶり。また、ロンドンで何度か聴き「イロモノ系指揮者」(失礼!)との認識を持っていたクリスティアン・ヤルヴィで、まともな交響曲を聴くのは多分初めてです。全体を通しての印象は、自身も指揮台の上で飛び跳ね、踊りつつ、ノリと歌を大切にする音楽作りだなあと思いました。冒頭からねちっこく歌うようなフレージングにもかかわらず、早めのテンポが功を奏し、甘ったるくなる寸でのところで理性を保っています。第1楽章の最後はティンパニの一撃あり。第2楽章の第2主題は逆に、ポルタメントなんかかけなくても十分歌えるわい、と言わんばかりにさらっと流して、決して無理やり作り込むのではなく、奏者をうまく乗せて、自発的に出てくる歌謡性を拾い上げるような感じでした。実際、第3楽章のクラリネットソロはほぼ奏者の自由に吹かせていました。
 クリスティアン・ヤルヴィが個性的で良い指揮者なのは実体験済みでしたが、MDR響もさすがは旧東独の名門放送オケでした。オケは常によく鳴っていながらも、弦も管もバランスがよく、どのパートもたいへんしっかりしていて、安心して聴いていられます。アンコールはベートーヴェンの「カヴァティーナ」、心地よい余韻でした。


2017.06.09 Wiener Konzerthaus, Großer Saal (Vienna)
Christian Thielemann / Wiener Philharmoniker
Dieter Flury (flute-2)
1. Brahms: Academic Festival Overture Op. 80
2. Jörg Widmann: Flûte en suite (2011)
3. Brahms: Symphony No. 4 in E minor

 出張のおり、5年ぶりのウィーンフィルを聴くことができました。ティーレマンを見るのは初めてでしたし、コンチェルトハウスも前世紀以来行けてなかったので、グッドタイミングでした。
 土日にも楽友協会で定期演奏会があるとは言え、そちらのチケットは入手困難ですし、ティーレマンのブラームスですから、客入りはほぼ満員。席は平土間の脇のほうで、コスパは良かったですが、やはりこのホールは天井が高い分残響が無駄に長すぎて、オケから遠いと音に芯がなくなるのが難点です。
 1曲目の「大学祝典序曲」は昔部活で演奏したこともあるノスタルジー曲。イメージ通り、ティーレマンはいかにも融通の利かなさそうな仏頂面のドイツ人でしたが、音楽は見かけによらず軽やかというか、片意地の張らないリラックスしたものでした。ウィーンフィルもブラームスはヘタなものを聴かせるわけにはいかず、ホルンとかいちいち外さないのがたいへん心地よく、あっという間に安心感に包まれました。
 続いて、首席をソリストに迎えての、ヴィットマンのフルート組曲。初めて聴きましたが、ラトル/ベルリンフィルも取り上げた注目曲で、コンテンポラリーとしては聴きやすい作風。バロックからの引用もあったり、楽しく聴ける曲でした。こういう曲は本来はかぶりつきで聴きたかったのものですが。
 最後はメインのブラ4。たいへんわざとらしいタメを作って冒頭の「嘆きのテーマ」に入ったのは、そういう小細工をいかにもしなさそうなイメージだったので、全く意外でした。ティーレマンは「最後の質実剛健ドイツ人」という先入観のほうがむしろ間違いで、音楽はけっこう緩く、四角四面には当てはまらない流動的なものでした。ダイナミクスのメリハリはそんなに繊細ではなく、あくまでテンポと歌わせ方で起伏を作るスタイルですが、解釈が先にあって細部をコントロールするよりも、元々の音楽の力にまかせて盛り上がりが自然に形成されるという演繹的手法。ある意味、実はこれが伝統的なドイツ流正当ブラームスか、とも思いました。
 ティーレマン、汗びっしょりの燃えつき熱演で、最後は上着脱いで登場の「一般参賀」までありました。いずれにせよ、現地で聴くウィーンフィルの音は、日本で聴く普段の演奏会とはやっぱり別格でした。


2017.05.25 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
明電舎創業120周年記念 N響午後のクラシック
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
Boris Berezovsky (piano-2)
ショスタコーヴィチ: 祝典序曲
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
リムスキー・コルサコフ: スペイン奇想曲
チャイコフスキー: 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 平日はほとんど演奏会のないミューザ川崎。地元民じゃないから週末は川崎に来ない私にとっては、スポンサーの明電舎様様です。木曜日の午後3時開始なのに、やはりシニア層が中心ですが、ほぼ満員の客入り。ほらごらん、やっぱり聴衆は平日の演奏会にとっても飢えているのではないでしょうか。
 さて今日の指揮は先週聴いたばかりのフェドさん。1曲目の「祝典序曲」は、先週全般的に感じた「重さ」がまだ残り、スローテンポでフレーズをじっくり聴かせるような演奏でした。うーむ、この曲はやっぱりもっとギャロップ感が欲しいかな。それにしても、相変わらずトランペットの音が汚い。ただし今日は他の金管、特にホルンは立派なものでした。
 そのホルンで始まるチャイコンは、第2楽章までは意外と淡白とした進行。ベレゾフスキーは、いつもルガンスキーと記憶がごっちゃになるので今一度記録を調べると、ブダペスト(2005年)、パリ(2013年)で聴いて以来の3回目です。テクニックひけらかし系の人だったはずですが、今日はフェドさんに付き合ったのか、ピアノが突出することなくオケの中に溶け込み、ずいぶんと落ち着いてしまった印象。と思わせといて、終楽章ではいきなりフルスロットルの高速爆演が圧巻でした。このために前半は抑え気味だったのか、と思うほど。やはりこの人の凄テクは一聴の価値ありです。
 後半最初の「スペイン奇想曲」は、フェドさんここまでと打って変わって、小躍りしながら楽しそうに振っています。オケも後半でようやくエンジンが温まってきたのか、鳴りが良く、個々のソロも際立ってきました。最後の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、正直苦手な曲だったのですが、途中飽きることなく終始ドラマチックに聴かせ通しました。アンコールはスネアドラムの人が戻ってきて、ガイーヌから「レズギンカ舞曲」。もうノリノリで、このギャロップ感が「祝典序曲」でも欲しかったところです。フェドさんは真っ先にスネア奏者を立たせただけでなく、指揮台のほうまで手を引っ張ってきて真ん中に立たせたのは、普段日の目を見ない打楽器奏者にとっては、何年に1回あるかないかの晴れ舞台だったことでしょう。全体的に、先週と比べると指揮者もオケも随分とリラックスした感じで、私はこっちのほうが断然良かったです。


2017.05.19 NHKホール (東京)
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
1. グリンカ: 幻想曲「カマリンスカヤ」
2. ボロディン: 交響曲第2番ロ短調
3. チャイコフスキー: 交響曲第4番ヘ短調

 フェドセーエフは新婚旅行の際、ウィーンで聴いて以来です。ここ数年何度かN響に客演していたのは知っていましたが、タイミングが合わず、もういいお歳なので下手すりゃ再見できずじまいかと諦めかけておりました。悠々と登場したフェドさんは、風貌が昔とあまり変わっておらず、よぼよぼしたところも皆無だったので、とても85歳には見えず、お元気そうで何よりでした。
 1曲目は初めて聴く曲ですが、そもそもグリンカというと「ルスランとリュドミラ」序曲以外の作品を知りません。しかしこれが意外と小洒落た佳曲で、短い中にもロシアの情景が穏やかに詰まっています。中間部の軽妙なクラリネットソロがたいへん上手かったです。
 続くボロディンの2番は、そこそこメジャーな交響曲の名曲で、レコーディングも多数ありますが、欧州在住時代でも演奏会のプログラムに乗ったのをあまり見たことがなく、生で聴くのは初めて。「だったん人の踊り」くらいは昔どこかで聴いたと思いますが、ボロディン自体、今までなかなか演奏会で聴く機会がなかったような。さて第2番ですが、第1楽章の勇者の主題はたっぷりと重厚に聴かせ、どっしりと行くのかと思いきや、楽章を追うごとに重しが取れて、終楽章などは実にあっさりこじんまりと軽くまとめていて、ある意味小細工なく、アンバランスさも含めてあるがままの曲の姿を浮き彫りにしたと言えそう。金管の音が汚いのがちょっと興ざめです。いちいちアタックが強いのはロシア風なのか・・・。
 メインのチャイ4も何だか同じ芸風で、第1楽章はリズムが死んでいて、第2楽章もスローテンポで弦を重厚に響かせ、とにかく前半が重い。切れ目なく開始した第3楽章は、極めて抑制の効いたピッツィカートがそれまでの重さを払拭してくれました。元々合間をあまり置かないフェドさんなので、終楽章もアタッカで行くのかと思いきや、ここは弦楽器が弓を持ち変えるために一息いれたのがちょっと意外。しかし、第2主題の前は一瞬パウゼを入れる演奏が多い中、スコアに忠実なフェドさんはそんなもの一切入れず、おかげで第2主題の頭が聴こえないという、曲の問題点をやはりそのまま浮き上がらせてしまいます。音が雑だなあと感じてしまうと、そんな細かいことばかりが気になってしかたがない。まあしかし、こんなオハコ中のオハコであろう曲でも常にスコアを追いながらデリケートな音楽作りをするのがフェドさんの真骨頂なれど、理想の「音色」まで引き出すような指導はしないのだなあ、ということがわかりました。チャイ4に関しては、昨年聴いたチョン・ミョンフンのほうが指導力に勝るかなと思いました。


2017.04.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Bálint Szabó (Bluebeard/bass-3), Iris Vermillion (Judith/mezzo-soprano-3)
1. メシアン: 忘れられた捧げもの
2. ドビュッシー: 〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章
3. バルトーク: 歌劇〈青ひげ公の城〉(演奏会形式)

 正直、マイナーとは言わないまでも、このカンブルランならではの渋すぎるプログラムに、ここまで客が入るとは驚きでした。今回の選曲は、バルトークとドビュッシーが共に1911年の作曲で、1曲目のメシアンだけ1930年作曲と、時代が遅れておりますが、むしろメシアンが一番調性寄りの穏やかな音楽に感じてしまいました。「忘れられた捧げもの」は初めて聴く曲でしたが、カンブルランは全てを熟知したようなコントロールで、レガートをきかせてひたすら美しく流れると思いきや、唐突に大きな音で驚かせたりと、素人はなすすべなく遊ばれました。2曲目のドビュッシーも、実演では初めて聴きますが、いかにもというつかみどころのない曲。今日はファンファーレ付きの演奏でした。弦を中心とした精緻な音作りは、他の指揮者のときとはやはり集中力が違いました。
 本日のメインイベントはもちろん久々に聴く「青ひげ公の城」。実演は一昨年以来ですが、帰国してからすでに4つ目のオケですから(東フィル、都響、新日フィル、読響)、日本でもやっと定番レパートリーの地位を得たのであればたいへん喜ばしい限りです。今回の歌手陣はどちらも初めて聴く人でした。青ひげ公役のサボー・バーリントは以前も聴いたような気がしていたのですが、いろいろと記録を辿ると、I・フィッシャー/コンセルトヘボウの映像配信で歌っているのを見ていただけで、その直後に同じ指揮者で実演を聴いたブダペスト祝祭管と共演していたコヴァーチ・イシュトヴァーンと、どうも記憶が混同していたようですが、それはさておき。
 欧州では演奏会形式でも前口上までちゃんとやるのが昨今の主流ですが、現行のペーテル・バルトーク編完全版スコアで用意されているのはハンガリー語と英語だけなので、日本では前口上なしで済ますのが普通になっていて寂しいです。今日はさらに、第1の扉の前などで聞こえてくる「うめき声」も省略されていて、あくまで純粋音楽としてのアプローチでした。カンブルランのちょっとフレンチなバルトークは、ハンガリー民謡のタメなどはほとんど気にせず淡々と進行し、和声の構造を裏側までくっきり際立たせる見通しの良い演奏で、ここまで徹底したのはありそうであまりなかった、非常に新鮮な響きでした。ただしオケは途中から熱が入りすぎて歌をかき消す音量になってしまったので、大部分はもうちょっと抑え気味でも良かったのでは。ユディットはドイツ人のフェルミリオンで、レパートリーとしてはまだ日が浅いのか、この曲を楽譜を立てて歌っている人は初めて見ました。歌は激情型で悪くはなかったのですが、ハンガリー語が不明瞭だったのが気になりました。対するサボーはハンガリー語を母国語とするトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身のバスなので、二重の意味でこの曲はもちろん十八番。席が遠かったので声があまり届いてこなかったのが残念でしたが、多分近距離正面で聴けば渋さが鈍く光る貫禄の青ひげ公だったのだろうと感じました。やっぱり歌ものはなるべく近くの正面で聴きたいものです(が、良席はすでに完売でした・・・)。


2017.04.01 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 8
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation), 田尾下哲 (video)
Arnold Bezuyen (Siegfried/tenor, Robert Dean Smithの代役)
Rebecca Teem (Brünnhilde/soprano, Christiane Liborの代役)
Markus Eiche (Gunther/bariton), Ain Anger (Hagen/bass)
Tomasz Konieczny (Alberich/bass-bariton), Regine Hangler (Gutrune/soprano)
Elisabeth Kulman (Waltraute/mezzo-soprano)
金子美香 (Erste Norn, Flosshilde/alto), 秋本悠希 (Zweite Norn, Wellgunde/mezzo-soprano)
藤谷佳奈枝 (Dritte Norn/soprano), 小川里美 (Woglinde/soprano)
東京オペラシンガーズ
1. ワーグナー: 舞台祝祭劇 『ニーベルングの指環』 第3日 《神々の黄昏》(演奏会形式・字幕映像付)

 3月21日に東京の開花宣言が出たときは、エイプリルフールの頃には上野公園の桜もさぞ麗しかろうと思っていたのに、予想外の冷え込みのせいで開花はまださっぱりでした…。そんなこんなで迎えた東京春祭「リング」の最終年は、直前で主役級2人の降板という、それこそ「エイプリルフールでしょ?」と思いたくなるような波乱含みで、のっけから嫌な予感。「出演者変更のお知らせ」のチラシには、来日してリハーサルをやっていたが急な体調不良で、とわざわざ書いてあったので、まあダブルブッキングとかの理由ではないんでしょう。開演前のアナウンスでは、代役の二人は3月29日に来日したばかりなので、と最初から言い訳モード。これまで世界クラスの歌手陣で質の高い演奏を聴かせてくれたシリーズだっただけに、最後にこれはちと残念じゃのー、まあせいぜいおきばりやす、と期待薄で臨んだところ、ジークフリートを除いて概ね今年も満足度の高いパフォーマンスだったので、良かったです。
 ブリュンヒルデのティームは、出だしこそ不安定さを見せたものの、すぐにエンジンがかかり、多少粗っぽくはあるものの、堂々とした迫力あふれる歌唱で、この日最大級のブラヴォーを浴びていました。もう一方のベズイエンは割りを食ったというか、気の毒なくらいに自信なさげで、声もオケに負け続けで、このパフォーマンスだけを聴く限り、ジークフリートとしてはあまりに力量不足。この人は最初の「ラインの黄金」でローゲを歌っていて、そのときは曲者ぶりがなかなか似合っていたのですが、ヘルデンテナーは元々キャラじゃないように思います。とは言え、調整不足と時差ぼけの中、この超長丁場を歌い切って、とにもかくにも舞台を成立させてくれたのだから、最後は聴衆の優しい拍手に迎えられてだいぶホッとした表情に見えました。予定通りロバート・ディーン・スミスが歌っていたら格段に良かったのかというと、それも微妙かなと思いますし。
 他の歌手も、ほぼ穴がないのがこのシリーズの凄いところ。3年前「ラインの黄金」のファーゾルトを歌う予定がキャンセルし、今回初登場のアイン・アンガーが、やはりピカイチの歌いっぷり。重心の低い落ち着いた演技ながらも要所でしっかりと激情を見せる懐の深い歌唱力は圧巻でした。グンターのマルクス・アイヒェはインバル/都響の「青ひげ公の城」で聴いて以来ですが、鬱屈した役柄なので多少抑え気味ながらも、誰もが引き込まれる美声が素晴らしい。初めて聴くグートルーネのハングラーは、見かけによらずリリックな声質で、振り回される乙女の弱々しさを見事に好演。シーズン通してアルベリヒを歌っているコニエチヌイの安定感は、もはや風格が漂っています。もう一人の常連組、ヴァルトラウテのクールマンも短い出番ながら余裕の存在感。一方の日本人勢は、3人のノルンのハーモニーが悪すぎで、序幕はすっかり退屈してしまいました。終幕のラインの乙女たちはまだ持ち直していましたが。
 繰り返すまでもなく、普段より一段も二段も集中力が高かったN響の演奏もこのシリーズの成功要因で、N響をもう一つ信用できない私としては、キュッヒル様様です。もちろん巨匠ヤノフスキのカリスマあってのこのクオリティだと思いますが、二人とも終演後に笑顔はなかったので、出来栄えとしては気に入らなかったのかもしれません。後方スクリーン映像の演出は、元々私は不要論者でしたが、4年目にもなるともはや気にならなくなっていました。ただし演出で言うと、奏者をいちいち袖から出してホルンやアイーダトランペットで角笛やファンファーレを吹かせていたのは、完璧な演奏でバッチリ決めるのが前提でしょうね。
 「リング」チクルスも終わり、来年の春祭ワーグナーは「ローエングリン」だそうです。フォークト、ラング、アンガー、シリンスと、これまた充実した顔ぶれの歌手陣で、ワーグナーは疲れたのでちょっと一休みしようかと思ったのですが、秋にはまたチケット買ってしまいそう…。


2017.03.10 みなとみらいホール (横浜)
大河内雅彦 / 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
1. シューベルト: 劇音楽「ロザムンデ」序曲
2. ワーグナー: 歌劇「リエンツィ」序曲
3. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

 今年に入ってアマオケばかりですが、慶應ワグネルを聴くのはちょうど3年ぶり。前回もマーラー(7番)でしたが、今回は9番。頻度高いのではと思い過去の演奏履歴を見てみると、例えば京大オケがマーラーを取り上げるのが5年に1度くらいに対して、ワグネルは2年に1度くらいで、確かに多いです。
 さすがは慶應というか、出演者も客層も、ナチュラルな富裕層感がそこかしこに漂っています。オケの方は、3年前とほぼ同じ感想ばかりなのですが、前座の序曲とメインでメンバーがガラっと入れ替わっても演奏レベルが極端に変わらないので、自己責任の放任主義ではではなく、コストをかけてきちんとトレーニングされている感じがします。特に弦は全体的にハイレベルだったのですが、第二ヴァイオリンとヴィオラがしっかりしているので安心して聴いていられます。アマオケとは思えない終楽章の重層感は感動的でした。管ではトランペットがアタックもまろやかで、丁寧な仕事がたいへん良かったです。
 みなとみらいホールも平日夜ならこうやってふらっと聴きに行けるのになあ、と思って年間スケジュールをチェックしましたが、ここもミューザ川崎と同様、平日は基本的に演奏会やってないんですね。残念。


2017.02.12 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
水戸博之 / 三井住友海上管弦楽団
1. メンデルスゾーン: 序曲「フィンガルの洞窟」
2. ビゼー: 「カルメン」第1・第2組曲
3. ブラームス: 交響曲第3番へ長調

 今年の序盤はアマオケが続きます。友人が所属している社会人オケを初めて聴きに行ってみました。その名の通り三井住友海上火災保険(株)の本部、支店、関連会社の社員を中心に結成されているようです。賛助会の正副会長には本体の会長、社長が顔を並べ、このホールでほぼ満員の集客力を見ても、会社あげての盤石のバックアップ体制。また、立派な印刷のチラシ、チケット、パンフを見るに、資金力もある相当恵まれた団体のようです。
 アマチュアオケに対して細かいことを言うのも野暮で、自分も経験者だから、「そうだよな、ホルンってまともに音が出るだけで奇跡だったよな」というようなことを懐かしく思い出したりして、それよりも何よりも大事なのは、音楽をやるパッション。1曲目の「フィンガルの洞窟」はえらくゆっくりとしたテンポで手探りのように弱々しく進む展開に、ちょっとハラハラしたものを感じましたが、2曲目以降はオケもよく鳴っていて、良かったのではないでしょうか。
 カルメンでソロフルートを吹いていた女性が特筆もので、濁りなく透明でありながら、力強くしっかりとした音色がプロ並みに素晴らしかったです。指揮者はまだ若いというか、左手で大きく空をえぐるようなまぎらわしい動きがいちいち気になりました。それにしても、やっぱりブラ3は難敵ですな。1番や2番のように勢いで押し切れない難しさがあります。


2017.01.22 サントリーホール (東京)
京都大学交響楽団創立100周年記念特別公演
十束尚宏 / 京都大学交響楽団
井岡潤子 (soprano-2), 児玉祐子 (alto-2)
京都大学交響楽団第200回定期演奏会記念『復活』合唱団
1. ブラームス: 大学祝典序曲ハ短調 作品80
2. マーラー: 交響曲第2番ハ短調『復活』

 前回京大オケを聴いたのは1997年の東京公演@オーチャードホールだから、実に20年ぶり。京大オケが初めて「復活」を演奏した1981年の演奏会を聴いて以降、マーラーの音楽の破壊力と浸透力にすっかり虜になってしまった私としては、いろんな意味で感慨深い演奏会です。
 1曲目は記念演奏会に相応しい「大学祝典序曲」。自分の記憶にある30数年前と比べたらもちろんのこと、奏者の女性比率がえらい高くて、あと誤解を恐れずに言うと、京大生も時代は変わったというか、イマドキの可愛らしい女の子ばかり。まあ、若い人がとにかく可愛く見える、単なるおじさん現象かもしれません。この曲と「マイスタージンガー前奏曲」は大学オケなら何かにつけて演奏しているだろうから、世代を問わないおハコかもしれませんが、若手中心と思われるメンバーにして予想以上にしっかりとした演奏に驚いたと同時に、非常に懐かしくもありました。このハイクオリティこそ京大オケ。今はどうだか知りませんが、かつての京大オケは学外からも参加可能の上、年齢制限もなく、留年してでも音楽に命をかけていたような「ヤバい人」が多かったので、そりゃー演奏レベルはハンパなく、京響、大フィルといった関西の軟弱プロオケよりもむしろ上では、とすら時折思ったものです。
 メインの「復活」は京大オケとして3回目だそう。さすがにこの大曲は難物で、特に金管は苦しさがストレートに出ており、前半は全体的に浮き足立った感が否めませんでした。3日前の京都公演が実質上のクライマックスで、東京公演は5年に一度のおまけみたいなものだから、ちょっと集中力を切らしてしまったのかもしれません。そうは言ってもやっぱり並の大学オケのレベルじゃありません。良かったのはコンミス嬢のプロ顔負けに艶やかなソロと、全般的に安定していたオーボエとフルート、それに音圧凄まじい打楽器陣。アマチュアならではのパッションはこの曲には絶対にプラスに働き、コーダの盛り上がりは近年聴いた在京プロオケにも勝るものでした。36年前の感動が蘇った瞬間を家族とともに体験できた感慨もあり、ちょっとウルっときてしまいました。京大オケ、東京だと5年に1度しか聴けないのが何とも残念です。


2016.10.19 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
五嶋みどり (violin-2,3)
1. シューベルト(ウェーベルン編): 6つのドイツ舞曲 D820
2. コルンゴルト: ヴァイオリン協奏曲ニ長調
3. シュタウト: ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)
4. デュティユー: 交響曲第2番「ル・ドゥーブル」

 こんなマニアックなプログラムでも、さすがに五嶋みどりの人気はハンパなく、一般発売日であっという間に完売したプラチナチケットです。当然、読響シンフォニックライブの収録が入っており、いつの間にかAKB48を卒業していた司会の松井咲子がロビーにいたのですが、別段ファンに囲まれるでもなし、普通にスタッフと談笑してらっしゃいました。
 1曲目はウェーベルン編曲のシューベルト「ドイツ舞曲」。今年都響のプログラムにも乗っていた気がするし、そこそこメジャーな曲です。ブーレーズの名高い「ウェーベルン全集」(CBS)には作曲者自身の指揮による歴史的演奏がボーナストラックとして入っていました。贅肉をそぎ落とした可愛らしさが命のこの編曲にしては、音がずいぶん濁っているのが気になりました。磨き上げが足らない感じです。練習時間を贅沢に割けないなら、弦を極限まで減らしてトップ奏者のみの上澄みで臨むべき。
 次のコルンゴルトが私的には今日のメインイベントで、何と言っても、五嶋みどりの同曲レコーディングはまだないはずなので、たいへん貴重な機会です。4年ほど前に、ロンドンでズヴェーデン/ダラス響との共演でこの曲を演奏するはずだったので「おおっ!」と思ってチェックしていたのに、ダラス響の公演自体がキャンセルになってしまって肩透かしを喰らいました。ようやく巡ってきたこの体験は、絶対にハマるはずという私の予想通りに、繊細と大胆を両立させる、素晴らしい演奏でした。ストイックな堅牢さと豊潤な歌い回しを曲によって巧みに使い分ける五嶋みどりの懐の深さからすると、今日の演奏はどちらかと言えば豊潤寄り。ちょっと舌足らずになる箇所も含め、計算され尽くした完璧な作り込みで、圧倒されました。演奏が終わった途端、何よりまず(聴衆への愛想もそこそこに)団員が全員拍手でソリストを讃えていたのが印象的でした。
 後半は正直乗れない曲ばかりで、辛かった。オーストリアの新進気鋭シュタウト作曲の「オスカー」は、2年前のルツェルン音楽祭で初演され、独奏者の五嶋みどりにそのまま献呈されたそうです。当然初めて聴く曲なので予習の機会もなく、全く生真面目なコンテンポラリーという印象で、苦手な部類です。最後のデュティユーも、複合的な大編成オケ構成は、最初は興味深く面白がれるものの、曲としてのつかみどころはさっぱりわからない「疲れ曲」。どちらも、一度聴いただけでは心にすっと溶けこむ縁が見出せなかったので心苦しいのですが、でも二度目を聴きたいともあんまり思わないわなあ。


2016.09.26 サントリーホール (東京)
Gennady Rozhdestvensky / 読売日本交響楽団
Viktoria Postnikova (piano-2)
1. ショスタコーヴィチ: バレエ組曲「黄金時代」
2. ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第1番ハ短調
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第10番ホ短調

 たいへん失礼ながらまだご存命とは思っていなかったロジェベン翁、生を聴ける機会があるとは感動です。同じ旧ソ連のフェドセーエフとほぼ同年齢ながら、フェドさんのデビューがだいぶ遅咲きだったから、フェド=新進気鋭、ロジェベン=大御所という印象がずっと抜けてませんでした。
 敬老の9月にゆっくり登場したロジェベンは、笑顔のかわいい好々爺。よく見ると、長身というわけでもないのに指揮台がなく、やたらと長い指揮棒が特徴的。生演は初めて聴きますが、登壇時のヨタヨタがフェイクかと思えるくらい、85歳らしからぬ切れ味鋭い凄演にのっけから驚き、確かにこの人は爆演系で有名な人だったのを思い出しました。「黄金時代」は、私の記憶の中で鳴り響いていたのが思い違いの別曲で、初めて聴く曲だったので、細かい部分はよくわかりませんが、一人だけ異色な雰囲気を発散していたオールバックの男前サックスの奏でる、クラシックらしからぬ遊び人っぽいソロがたいへん印象的でした。
 2曲目のコンチェルトのソリストは、長年連れ添っている奥さんのポストニコワ。すいません、全く初めて聞く名前だったので予備知識ゼロですが、いかにもロシアのお母さんという感じの風貌とは裏腹に、年齢を感じさせない、肩の力が抜けた屈託ない無邪気さがこれまた意外。軽妙なソロトランペットもソツなくピアノを盛り立て、ご満悦のロシア母さんでした。
 軽い感じの選曲だった前半とは打って変わり、メインはほぼ11年ぶりに聴くタコ10。ハープ、チェレスタ、ピアノ等の飛び道具弦楽器を使わないオーソドックスな3管編成は、それだけで格調高く重々しい雰囲気を醸し出してますが、さらにロジェベン翁は長大な第1楽章の冗長さを隠そうともしない直球勝負で、荒廃した荒野が広がります。読響金管は、ロシアのオケっぽくアタックの強い直線音圧系でよくがんばっておりました。全体の中では比較的軽い第2楽章も重厚に鳴らし、事故かもしれませんが、終了直後に指揮棒でスコアをピシャッと一発叩いたため、奏者と聴衆に一瞬緊張が広がりました。全体を通して演奏中は何故だか不機嫌そうに見え、楽章間の雑音を嫌うようなそぶりも見せていました。
 第3楽章も、まあ長いこと。結論よりもプロセスを重視する進め方は、後から思うとメリハリがよくつかめず、見通しにくい演奏だったのかなと。大御所の棒の下、読響にしては驚異的によく鳴っており、一体感のある好演奏だったと思います。終楽章の終演直後、スコアをバサッと乱暴に閉じて不機嫌を隠そうともしないロジェベン翁は、一旦引っ込んだ後にはもうキュートな笑顔のおじいちゃんに戻っていました。しかし良い演奏だったのに、何が気に食わなかったのだろう…。


2016.07.27 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Myung-Whun Chung / 東京フィルハーモニー交響楽団
Clara-Jumi Kang (violin-1)
1. チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
2. チャイコフスキー: 交響曲第4番へ短調 Op.36

 職場が川崎に変わり、いまだかつてない程コンサートホールに近い環境で働いているにもかかわらず、ミューザ川崎って平日夜にはほとんど演奏会をやってないので、会社帰りに演奏会三昧などという淡い期待はそもそも妄想でした。とは言え、まったくゼロというわけではなく、7〜8月に行われる音楽祭「フェスタサマーミューザ」は貴重な狙い目。チョン・ミョンフンはまだ実演を聴いたことがない巨匠の一人でしたので、渡りに船、一石二鳥でした。
 チャイコフスキーの作品番号が連続した著名2曲というプログラムのせいもあってか、客席はほぼ満員。1曲目のヴァイオリン協奏曲、ソリストは指揮者と同じく韓国系のクララ・ジュミ・カン。まあ所謂「韓流美人」ではありますが、脱色のきつい茶髪のオールバックは品位に欠け、28歳という年齢にしてはババ臭く見えるので、ちょっと考えたほうがいいと思います。演奏のほうは、4階席にも充分届くしっかりした音量でありながら、どこにも押し付けがましいところはなく、それどころか無味無臭の、蒸留水のようなヴァイオリン。テクニックは非の打ちどころなく上手いと思いましたが、何せ色がない。上手いなと感心させるその上手さがことごとくメカニカルな部分のみで、奏者としてはもうあまり伸びしろがないように思われました。指揮者が全体をコントロールしていて、「ミョンフンワールド」のチャイコンは完成度重視、ソリストは指揮者と闘うでもなく、ひたすらノーミスの仕事を心がけるかのようでした。天才ヴァイオリニストを姉に持つミョンフンと協演する人は誰もが萎縮してしまうのもいたしかたないですか。のっけの協奏曲から完全暗譜で臨むミョンフンは、終始前のめりで追い込むタイプで、オケもしっかり食らいついており、「え、これが東フィル?」と最初驚いたくらいヨーロピアン調のまろやかな音が心地よかったです。アンコールはバッハのラルゴ。
 メインのチャイ4も、もちろんミョンフンは全暗譜。この人のオケのドライブは半端なく、決して反応が良いとは言えない東フィルを自由自在にゆさぶります。弦のフレーズは音符を並べただけではない「うねり」があり、管楽器にはアタック音を丁寧に取り除いた柔らかさがあります。金管のキズもほとんどなく、一貫して集中力の高いプロの仕事。初めて、東フィルを上手いと感じました。ミョンフンの統率力あってのことでしょうが、この組み合わせが良好な信頼関係を長年築けている証なんだろうと思います。終楽章は、最近の人はなかなか無茶をしないのですが、限界に挑戦するムラヴィンスキーばりの高速を責任持って引っ張り、ラストのアチェレランドのかけ方も圧巻。あまり期待してなかった分、たいへん納得できたチャイ4でした。正直言うと、顔が芸術っぽくないという全く幼稚な偏見で、あまり興味も持たなかった指揮者だったのですが、今日で認識が一変しました。この人はさすがに世界の一流です。


2016.07.01 すみだトリフォニーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Emily Magee (soprano/罪深き女), Juliane Banse (soprano/懺悔する女)
市原愛 (soprano/栄光の聖母), 加納悦子 (alto/サマリアの女)
中島郁子 (alto/エジプトのマリア), Simon O'Neill (tenor/マリア崇敬の博士)
Michael Nagy (baritone/法悦の教父), Shenyang (bass/瞑想する教父)
栗友会合唱団, 東京少年少女合唱隊
1. マーラー: 交響曲第8番変ホ長調 『千人の交響曲』

 2010年から新日フィルのミュージックパートナーを務めていたハーディングの、契約最後の演奏会はビッグイベントにふさわしく「千人の交響曲」ということになりました。ところが、来日直前にウィーンフィル欧州ツアーの代役指揮(ダニエレ・ガッティの病欠)を引き受けたため、6/28のフィレンツェ公演を振った後にギリギリの来日という強行スケジュールになり、当然予定されていたリハは吹っ飛んで、特に初日の今日はほとんどぶっつけ本番のような状態でこの大曲に臨むことになったそうな。まあ、何はともあれキャンセルじゃなくてよかったです。
 ハーディングの最後の勇姿ということで、普段は空席が目立つ金曜日の公演ながら、客席はほぼ満員。舞台上はと言うと、オケがバンダも含めて約120人、合唱はざっと女声90人、男声60人、児童50人の合計200人ほどで、指揮者、独唱、オルガンを合わせても総勢330人という、私が過去にこの曲を聴いた中では最も少人数の布陣でした。このへんは解釈次第のところもあって、初演が行われた万博会場で「大宇宙」が響いたかのごとくグダグダの音響が生む比類なきスケール感を求める人もいれば、複雑なポリフォニーを立体的に「見える化」し、構造を紐解くようなマーラー演奏をする人もいる中で、今日のハーディングは明らかに後者のスタンス。第二部前半の実に抑制的なオケは、新日フィルにありがちな雑で投げやりなところがほとんどなく、いつにない集中力を持続していました。マンドリンもくっきり聴こえたし。ぶっつけ本番でこれができたのなら大したものですが、あるいはぶっつけ本番が生んだ奇跡的な集中力だったのかも。合唱団の数は、増やしたくとも増やせないステージキャパの事情もありそうですが、これ以上合唱が厚くなれば多分オケの非力がもっと気になってしまうだろうから、結果的にちょうどよいバランスだったと言えるかもしれません。
 歌手陣で良かったと思えるのはマギーくらいで、あとはちょっと・・・。この中で過去聴いたことがあるのはサイモン・オニールだけでしたが、彼には調子の良いときに当たったことがなくって、図体でかい割には声に迫力がないチキンテナーという印象でした。今日も、見たところ一人だけ余裕綽々で親分風を吹かせる様子でしたが、歌の方はまだエンジンがかかっていない感じ。身体的な不調という感じはしなかったので、これはおそらく日を追うごとに調子を上げて行くのでしょうが、初日しか聴かない人だって多いんですよ・・・。
 オケはもとより過大な期待していませんが、ハーディングとの共演も最後ということでいつもより気合はあったと思います。ホルン以外の金管、木管の音が汚いのにはちょいと興ざめ。ただ、合唱が入るとちょうど良い具合にオケがかき消されて溶け込んでしまうので、曲とシチュエーションに救われた感じです。来シーズンは上岡音楽監督の時代が始まりますが、プログラム的には私の好みからすると二歩も三歩も後退したので、当分新日フィルを聴きに行く予定はありません。


2016.05.27 すみだトリフォニーホール (東京)
下野竜也 / 新日本フィルハーモニー交響楽団
東京藝術大学合唱団
Thomas Hell (piano-2)
1. 三善晃: 管弦楽のための協奏曲 (1964)
2. 矢代秋雄: ピアノ協奏曲 (1967)
3. 黛敏郎: 涅槃交響曲 (1958)

 日本の現代音楽の中では「古典」に相当するこれら3作品でも、実演で聴ける機会は珍しく、CDも持っていないので、各々ほとんど初めて聴く曲になります。開演前のミニコンサートではオケの打楽器奏者がライヒの「木片のための音楽」を披露。プリミティヴに気分を高揚させる効果がありました。
 1曲目、三善晃の「オケコン」は、10分足らずの短い時間の中に凝縮された急・緩・急の3部構成で、無調を装いながらもかなり保守的な作りに見えました。指揮棒を持たず手刀で切り込んでいく下野竜也は、縦割りリズムをキビキビと指示し、キレ良くオケを統率。こういう難解ではない部類の現代曲を、さらにわかりやすく紹介するのは、下野の性に合っていると見受けました。オケもリラックスしていて、とてもやり易そう。
 続く矢代秋雄のピアノ協奏曲も、全編に渡り無調を貫く音楽ながら、様式は極めて古典的。ミニマル系っぽい反復の連鎖は、時々バルトークのようにパーカッシヴでもあり、緩徐楽章では叙情的にも響き、世間の評判が高くファンが多いのも頷ける佳曲でした。欧州の近現代曲を得意とするドイツ人ピアニストのヘルが、何でまたこんな極東の作品をレパートリーにしているのか謎ですが(公式HPを見るとリゲティ、シェーンベルク等と並んで武満はレパートリーに入っているようですが矢代は記述なし)、アンコールで弾いたバッハを聴いていると、民俗色とか土臭さとかを排除した純粋音楽としてのコアは矢代とバッハで通じるものがあると捉えてくれているのではないかいな、と根拠もなく感じました。
 最後は本日のメインイベント「涅槃交響曲」。東京藝大の男性合唱団約80名が奏でる力強い経文がたいへんいい味を出していて、まさに「仏教カンタータ」という異形の音楽をギリギリのところでイロモノからすくい上げているように思いました。フルート、ピッコロ、クラリネット、鈴、グロッケンのバンダその1が舞台を向いて右後方、ホルン、トロンボーン、チューバ、コントラバス、銅鑼のバンダその2が左後方の客席内に各々配置され、幸い今日は平土間前方に座っていたので、3方向からの音響効果を十分に体感し、堪能することができました。この音響空間が作り出す別世界は、確かに実演でなくては理解することができません。新日フィルとしては珍しく、オケも終始しっかりとしており、下野は良い仕事をしてくれたと思います。


2016.05.03 東京国際フォーラム ホールC (東京)
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016
井上道義 / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. 武満徹: グリーン
2. グローフェ: 組曲「グランド・キャニオン」

 国際フォーラムのホールCは1500席ほどで、音響はともかく、コンサート用としてはまあまあ程よい大きさ。ステージが若干狭いので合唱付きの大曲などは無理ですが。
 最初の「グリーン」は、著名な「ノヴェンバー・ステップス」と同時期に作曲され、当初は「ノヴェンバー・ステップス第2番」と名付けられていたそうですが、こちらはショートピースですし、曲の趣きもずいぶんと違います。今回のラ・フォル・ジュルネのコンセプトである「ナチュール〜自然と音楽」とはぴったりな、あからさまに森林を思わせる幻想的な音楽です。初めて聴くので演奏の良し悪しは判定できず。
 続く「グランド・キャニオン」が私的には今日のお目当て。よくできた曲と思うのですが、プロオケのプログラムに乗ることがほとんどないので、生で聴くのはこれでやっと2回目。ここでもやっぱりトランペットがデリカシーのない音で雰囲気をぶち壊しますが、他のパートはまあまあ健闘。音が拡散し放しのホールAと違って、音がまとまるのでそれなりの音圧で身体に届きます。あたらめて、ファミリーコンサート専用の演目にしとくにはもったいない、シンフォニックな佳作だと思いました。終楽章のウインドマシーンは、やはり録音っぽかったですが…(よく見えなかった)。


2016.05.03 東京国際フォーラム ホールA (東京)
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016
Nabil Shehata / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. ホルスト: 組曲「惑星」 Op.32

 9年ぶりにラ・フォル・ジュルネオ・ジャポンに行ってみました。最初は、ホールAで唯一売り切れたという新日フィルの「惑星」から。演奏前に井上道義(この公演の指揮じゃないのに)と月尾東大名誉教授によるプレトークがありました。スライドを使って、太陽系惑星の紹介、冥王星が入っていない理由、地球外生命の可能性など、ありきたりなプレゼンでしたが、一番興味深かったのは、この国際フォーラムのホールAが当初の予定から大幅に拡大して5012席になったのは、数年前に完成したパシフィコ横浜が5002席になったのに対抗して、絶対それ以上のホールを作らなければならないと強硬に主張する都議会議員がいたから、という月尾先生の暴露話でした。
 さて肝心の「惑星」ですが、早いテンポで軽快に進むサクサク系演奏。指揮者のシェハタは元ベルリンフィルのコントラバス首席奏者で、昨年新日フィルに客演し、コントラバス協奏曲を弾き振りするという超絶芸を披露したよとのこと。指揮者としての実績はまだこれからのようです。ラ・フォル・ジュルネの昼公演でこの選曲ですから、仕事はきっちりやりますよという「まとめ力」をアピールしとけばとりあえずは良くて、まあ可もなく不可もなくという感じでした。
 このホールは演奏会には大きすぎるのでハンデはあるにせよ、それにしても新日フィルは相変わらず音に迫力がない。「惑星」だから管はもうちょっと頑張って欲しかったし、特にトランペットは足を引っ張るのみ。奏者の顔ぶれが若かったし、もしかしたら一軍ではなかったのか。チェレスタ、オルガンは奏者がいましたが(オルガンは電子式だろうけど)、「海王星」の女声コーラスはどうするのだろうと思っていたら、録音でした…。


2016.04.10 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 7
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation), 田尾下哲 (video)
Andreas Schager (Siegfried/tenor), Erika Sunnegårdh (Brünnhilde/soprano)
Egils Silins (Wotan, wanderer/baritone), Gerhard Siegel (Mime/tenor)
Tomasz Konieczny (Alberich/baritone), In-sung Sim (Fafner/bass)
Wiebke Lehmkuhl (Erda/alto), 清水理恵 (woodbird/soprano)
1. ワーグナー:舞台祝祭劇 『ニーベルングの指環』 第2夜 《ジークフリート》(演奏会形式・字幕映像付)

 東京春祭の「リング」サイクルもついに3年目で、念願の「ジークフリート」にたどり着きました。かつて、ブダペストのオペラ座では毎年年明けに「リング」連続上演をやるのが恒例でしたが、一年目は試しに「ラインの黄金」を見に行き、面白かったので翌年に残り3作品を連続して見る予定が、子供が急に熱を出したため「ジークフリート」だけは見に行けなかったのです。それ以降、ロンドンでも「リング」サイクルの機会はありましたが、都合が合わず行き損ねました…。
 一昨年、昨年とハイレベルのパフォーマンスを聴かせてくれたこの東京春祭の「リング」、今年も非の打ちどころがないどころか、進化さえ感じられる圧巻の出来栄えで、満足度最高級の演奏会でした。今年もゲストコンマス、キュッヒルの鋭い視線が光る下、N響は最高度の集中力で演奏を維持し、虚飾のないヤノフスキの棒に直球で応えて行きます。初登場のシャーガーは、ヘルデンテナーらしからぬスマートな体型に、明るくシャープな声が持ち味。これだけ出ずっぱりでもヘタレないスタミナがあり、イノセントなジークフリートは正にはまり役でした。ミーメ役でやはり初参加のジーゲルは、記録を辿ると2006年にギーレン/南西ドイツ放送響のブダペスト公演「グレの歌」の道化クラウス役、および2010年にロイヤルオペラ「サロメ」のヘロデ王役で聴いていますが、備忘録で歌唱力は褒めているものの、正直あまり記憶がありません。今日も最初は(見かけによらずと言えば失礼か)ちょっと上品過ぎるミーメに聴こえましたが、だんだんと下卑た感じになっていく演技力が見事。まずはこのテナー二人の熱演で飽きることなく引き込まれて行きます。
 そして、毎年出演のヴォータン役、シリンスは相変わらず堂に入った歌唱。一昨年もアルベリヒを歌っていたコニエチヌイは、明らかに対抗心むき出しの熱唱だったのがちょっと可笑しいですが、この人も歌唱力には定評があります。昨年フンディンクを歌っていた常連のシム・インスンは今年はファフナーに復帰。元々存在感のある重厚な低音に、洞窟の中から出す声はメガホンを使って変化を持たせていました。低音男声陣も各々素晴らしく、皆さん抜群の安定感と重量感でした。
 女声陣の出番は少ないですが、まずはブリュンヒルデ役で初参加のズンネガルドは、ワーグナーソプラノではたいへん貴重な細身の身体で、迫力では昨年のフォスターに及ばないものの、どうしてどうして、見かけによらず余裕の声量で揺れ動く心理を感情たっぷりに歌い上げ、聴衆の心をがっちり掴んでいました。シャーガーもスリムだし、シュワルツェネッガーのようなジークフリートとマツコデラックスのようなブリュンヒルデが暑苦しく二重唱を歌う、という既成のビジュアルイメージ(?)を打ち砕く、画期的なヒーロー、ヒロイン像だったと思います。エルダ役のレームクール、森の鳥役の清水理恵も双方初登場でしたが、どちらも出番は短いながら、非の打ちどころのない歌唱。今回も総じてレベルの高い歌手陣で、毎年のことですが、これだけのメンバーを揃えた演奏も、世界中探してもなかなか他にないのでは、と思いました。これだけやったのだから、来年の最終夜ではここまでの集大成を聴かせてくれるに違いなく、とても楽しみです。


2016.03.26 Bunkamura オーチャードホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
扇谷泰朋 (violin-1)
1. 武満徹: ノスタルジア
2. マーラー: 交響曲第6番イ短調「悲劇的」

 山田和樹マーラーチクルス第2期の最終。前回お休みだったコンマスの扇谷氏が復活し、1曲目の「ノスタルギア」で実に眠たいソロを聴かせてくれました…。寝不足で聴くにはなかなかキツい曲でした、すみません。
 一方、マーラー6番は個人的にもお気に入りで、生演奏の機会はできる限り出かけていくことにしていましたが、最近はちょっとご無沙汰、前に行ったのは2年前のインキネン/日フィルでした。4番、5番が「笛吹けど踊らず」系で練習不足にも見えた今回のチクルスですが、6番は少し気合を入れてネジを巻き直した様子がうかがえました。冒頭から軍靴の音をくっきりと刻むかのような行進で、続くアルマのテーマもこれ見よがしに劇的な表現。5番のときとは打って変わり、弦は芯のある音で頑張っていました。一方、管は相変わらず貧弱。まあ、トランペットは崩壊してなかったし、要所ではヤケクソ気味に音圧を張り上げていたので、それなりに迫力は出ていました。
 全般的に反応が鈍いのは前と同じで、終始後乗りのもモタリ気味演奏。終楽章ではティンパニ等が振り落とされる事故も起こっていました。別に事故はあってもいいのですが、鬼気迫るドライブの代償として、ならばまだ感動もひとしおなれど、そんな演奏だったかというと…。
 なお中間楽章の順序は、インキネンと同じく伝統的なスケルツォ→アンダンテの順。プレトークではハンマーを何回叩くかは聴いてのお楽しみと気を持たせていましたが、結局普通に2回だけでした。
 来年はいよいよチクルス第3期の7、8、9番ですが、シリーズ買いする気は失せてしまいました。9番くらいは単発で聴きに行きたいですが。


2016.03.24 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Judith Pisar, Leah Pisar (speakers-2), Pavla Vykopalová (soprano-2)
二期会合唱団, 東京少年少女合唱隊
1. ブリテン: シンフォニア・ダ・レクイエム Op.20
2. バーンスタイン: 交響曲第3番《カディッシュ》

 昨年の夏以来だから、久々の都響です。巨匠インバルによる「レクイエム変化球」特集。嗚呼しかし、年度末のバタバタで最近心体共にお疲れ気味で、1曲目の「鎮魂交響曲」はほぼ完落ち。皇紀2600年の奉祝曲なので襟を正して聴くべきでしたが、気がつけば終わってました…。
 気を取り直して、本日のお目当てのバーンスタイン「カディッシュ」。CDは2種の自作自演を持っていますが、なかなか演奏会で取り上げられる機会がないので、生では初めて。数あるバーンスタイン作品の中でも特にシリアスなもので、オリジナルのテキストによる語り手と、ソプラノ独唱、混声合唱、児童合唱が付いた壮大な交響作品です。今回の演奏は、語りのテキストが米国の外交官・作家のサミュエル・ピサールによる改変版で、当初ピサール本人が語り手をやる予定が、昨年夏に急死してしまったため、フランス人俳優のランベール・ウィルソンが代役を務めることになり、その後ピサール版テキストの使用が氏の死後は遺族の朗読に限るとされたため、未亡人のジュディスおよび娘のリアが語り手をすることで落ち着きました。
 この曲は細部が指摘できるほど聴き込んでいないので大雑把なことしか言えないですが、まず、インバル率いる都響は相変わらずのキレを容赦なく発揮するプロ集団でした。指揮者の導く通りにぐんぐんと音楽が推進されていく、その心地よさ。当たり前のようで、インバル/都響の組み合わせ以外でそれを体感できるのは在京オケではめったにありません。白装束の子供と黒装束の大人という演出をしたコーラスも、定評のある合唱団だけに一貫して澄んだ歌声は素晴らしいものでした。ソプラノはちょっと不安定ながらも要所は締めていました。
 一方、個人的に気に入らなかったのはナレーション。そもそも、作者の死後に第三者がリブレットをそっくり入れ替えるという行為は、いくら生前に作曲者と親交があったとはいえ、いかがなものかと思いますし、ましてや極めて政治色の強いものをこういう形で織り込むべきではないと主張したい。オリジナルのテキストが批評にさらされ、バーンスタイン自身も気に入ってなかったのは事実のようで、同様に作者の死後、実娘のジェレミー・バーンスタインもテキストを書き直して自ら朗読したりもしていますが、ピサール版で実体験に基づくホロコーストの描写に加え、作曲の経緯と全く関係がない広島・長崎まで持ち出すのは、芸術作品を陳腐な政治プロパガンダに貶めてしまう危うさを孕んでいます。
 加えて、オーケストラと並行して終始語られるナレーションは、相当の「上手さ」が求められるはずですが、今日の朗読に引き込まれるものが私にはありませんでした。逆に、ナレーションがうるさくて音楽への集中を妨げられると感じる場面が多数。いくら遺言とはいえ遺族が朗読に長けているとは限らないわけで、プロフェッショナルな語りがあってこそオケの熱演も活きるのになあと、残念さが残りました。


2016.02.27 Bunkamura オーチャードホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
赤坂智子 (viola-1)
1. 武満徹: ア・ストリング・アラウンド・オータム
2. マーラー: 交響曲第5番嬰ハ短調

 山田和樹マーラーチクルス第2期の第2回、折り返し点にあたります。コンマスは顔色の悪い人から超太った人に変更になっていました。
 1曲目の武満はフランス革命200周年記念の委嘱作品だそう。前回の「系図」はニューヨークフィル創立150周年記念作品なので、武満はさすがに世界のタケミツだったんですねえ。この曲は、音列作法でありながらも前衛的な匂いはなく、山場もなくとうとうと流れていく感じです。ヴィオラ独奏の赤坂さんは、自己主張の強い派手な衣装で登場。髪型も雰囲気も、若い頃の田嶋陽子みたいなウーマンリブ系の印象です。音もワイルドで、ちょっと好みとは違うかな。
 マーラーはゆっくりとした開始。トランペットは良かったし、他の金管も珍しく最後まで崩壊しない粘りを持っているなと思っていたら、油断を突くように、クラリネットが崩壊気味。ティンパニを始め、トラの補強が入っている様子でしたが、先の4番にも増して、全体的に練習不足に見えました。ヤマカズはいろいろ試してみたい気満々で、テンポや強弱の揺さぶりを頻繁に仕掛けるも、オケがついてこれない。特に弦のアンサンブルが不安定で、ボウイングもポルタメントもいちいちバラバラで、聞き苦しいことこの上ない。アダージエットは盛り上がらないし、終楽章のフーガは瓦解寸前。ヤマカズが悪いというよりはオケのせいですが、聴衆の目線から言うと指揮者の責任も重大でしょう。ヤマカズは評価しているものの、4番、5番と聴く限り、マーラーを手中に収めるのはまだ道が遠そうです。


2016.02.01 サントリーホール (東京)
第35回 東芝グランドコンサート2016
Daniel Barenboim / Staatskapelle Berlin
1. モーツァルト: ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
2. ブルックナー: 交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』

 帰国以来、海外オケの生演奏はこの東芝グラコン以外結局行けてませんので、私にとっては東芝様様です。その東芝グラコン、今年は35周年を記念してバレンボイム/ベルリン国立歌劇場管によるブルックナー連続演奏会という、近年ではすこぶるゴージャスではあるけれども、企業のプロモーションとしてはマニアック過ぎやしないかと思ってしまう微妙な企画。ましてや東芝さんの昨今の状況を考えると風当たりが心配です…。グラコンは来年以降も続けてくれることを願ってやみませんが。
 例によって過去の備忘録を探ると(本当に、記録をつけてなかったら自分事とは言えほとんどが忘却の彼方でしょうね)、バレンボイムの指揮は2012年BBCプロムスの「第九」以来、ピアノは2005年のブダペスト春祭(先日亡くなったブーレーズ/シカゴ響との協演でした…)以来です。シュターツカペレ・ベルリンを聴くのは初めてて、ドレスデンと並んで「まだ見ぬ強豪」の双璧だったので、重ね重ね、東芝様様です。
 今日の選曲はどうするのだろうと思っていたら、さすがに、最も一般ウケする第4番を持ってきました。チクルスでの第4番は2月13日だけですので、先んじて聴けるのはちょい幸運。その前に、モーツァルト最初の短調曲、ピアコン第20番ですが、これはちょっと私的には違和感を覚える演奏でした。シュターツカペレ・ベルリンは軽やかな曲が性に合っていないのか、音楽は淀みなく流れるのだけれども、重心の低いどっしりとしたモーツァルト。バレンボイムはその対極に、コロコロした音色で、滑らかに上滑りするような、オーセンティックなモーツァルト。一見異質なもの同士の協奏によって縦に厚みのある音楽が構築されていると見れば、実は良い相性なのかもしれませんが、この取り合わせのCDを私は買おうとは思いませんでした。
 メインの「ロマンティック」。バレンボイムはいつものごとくブルックナーでも完全暗譜は凄いです。低い身長を少しでも大きく見せるためとは言え、73歳にしてしゃんと伸びた背筋は、全く衰えを感じさせません。加えて、ミニマムな編成で、全体的に腹八分目くらいで抑えていながらも、要所では圧倒的な馬力で迫ってくる外タレオケの余裕綽々ぶりに、久々の快感を覚えました。特にこの曲で重要な役割のホルントップは、華奢な身体なのに非常にパワフル。全般的に管の音は、もっとマイルドで燻んだものを想像していたら、結構モダンでとげとげしい音色でした。弦も負けじと力強い音圧を感じさせ、特にヴィオラの中音域がしっかりしているので、音の厚みが普段聴いている在京オケとは格段に違いました。第2楽章の焦らないモノローグ的な語り口が特に圧巻。後半2楽章も、パワーを見せつけながらも単に鳴らすだけではないメリハリの効いた演奏に、ブルックナーは正直あまり好まない私も、こういうブルックナーなら毎月(毎日とは言いませんが)でも聴きたいものだと思ってしまいました。でも、チクルス全部を買う勇気はないかなあ…。


2016.01.30 Bunkamura オーチャードホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
上白石萌歌 (narrator-1), 小林沙羅 (soprano-2)
1. 武満徹: 系図 -若い人たちのための音楽詩-
2. マーラー: 交響曲第4番ト長調

 昨年は結局一つも行けなかった山田和樹のマーラー・ツィクルス。今年の4〜6番は幸いにもかぶりつき席が取れました。オーチャードホールに演奏会を聴きに来るのはすごく久しぶり。9年前のチューリヒ歌劇場公演以来でした。
 このツィクルスは全て武満とマーラーという組み合わせのプログラムとなっています。今日の1曲目、武満晩年の作「系図(Family Tree)」は初めて聴く曲ですが、わりとよく取り上げられる有名曲のようで、例えば今年4月のN響定期でもスラットキン指揮(曲の初演もこの人ですね)で演奏される予定になってます。フルオーケストラをバックに少女が谷川俊太郎の詩を朗読するのですが、まず、音楽がひたすら美しい。タケミツトーンっぽい音列も時々散りばめられてはいるものの、万人の耳に優しい、全くの調性音楽です。武満にこんな曲があったとは。この平和的、調和的な音楽に乗せて朗読される詩が、実はけっこう生々しい内容だったりして、綺麗事ではない人間ドラマをほのめかしています。ただ単に、聴きやすい曲とか万人ウケする曲を作ったわけではないのは明らか。詩さえ翻訳すれば、国境を越えて世界に広めていける普遍性を有した佳曲と思いました。
 朗読の上白石萌歌(「もか」と読むらしい)さんは、周防正行監督のミュージカル映画「舞妓はレディ」の主演、上白石萌音(こちらは「もね」)の妹さんですね。ぱっと見の印象では、お姉さんとあまり似てないですね。そりゃもちろん、かわいいかかわいくないかと言えばめちゃかわいい女の子ですが、スターとか女優のオーラはなく、見た目はAKBよりも地味め。ラメ入りソックスがかわいらしい、全く普通の高校生の雰囲気です。時折目を閉じながら、この時々エグい詩を、感情を激することなく丁寧に語っていきます。さすが、詩は全て暗記で、上手い朗読でした。終わった後は安堵感が素直に顔のほころびに出ていて、素朴な人柄が見て取れました。ところでこの曲はアコーディオンが指揮者すぐ横のソリスト席に陣取り、それなりに活躍しますが、今日はプログラム冊子のどこにも奏者のクレジットがありません。ソロチェロの名前を書く前にこっちを載せてあげてよ、と思いました。
 さてメインのマーラー。こちらは、反応の遅いオケにちょいと消化不良気味。じっくり型と言えばそうですが、何かじれったい。山田和樹らしからぬ、まだ全体像をつかみかねているかのような、作り込み不足を感じました。今までマーラーをバリバリ振ってきた指揮者ならともかく、短期間で全交響曲を制覇するという企画は個々の仕事が雑になってしまうだけではないかという危惧を、もう早速感じさせるようでは困りものです。ただし、細部の「笛吹けど踊らず」状態は、終楽章では急に雰囲気が変わり、ドライブ感が前面に出てきました。ソプラノも、歌は粗いものの、テンポにはよくついて行ってました。終楽章にピークを持ってくるのは、もしかしたら作戦だったのかもしれません。さてさて、来月の5番ではオケがしっかり最後までついて行ってくれることを望んで止みません。
 余談ですが、帰宅後、ちょうど先日NHK-BSでやってたシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管のマーラー4番の録画があったので、口直しに見てしまいました。比べちゃいかんのでしょうけど、いやはや、やっぱり役者が違いましたわ。


2016.01.15 すみだトリフォニーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Albina Shagimuratova (soprano)
Ian Bostridge (tenor), Audun Iversen (baritone)
栗友会合唱団, 東京少年少女合唱隊
1. ブリテン: 戦争レクイエム op.66

 2ヶ月ほど演奏会から遠ざかっていましたが、今年の私的オープニングは、結局ロンドンでは聴き逃した「戦争レクイエム」。レコードで聴く限り、暗くて長くて刺激のない音楽という正直な感想を禁じ得ず、通しで聴いたことはほとんどありませんが、せっかくハーディングにボストリッジというスターが揃う機会なので、実演にチャレンジしてみましょうと。前世紀の末に新婚旅行でロンドンへ出かけた際、まだ20代前半のピチピチしたハーディングが汗汗しながらLSOを振る横で、クールに歌っていたのがボストリッジでした。
 レクイエムと言っても教会音楽の様式からは逸脱していて、混声合唱、児童合唱とソプラノによる「死者のミサ」のところどころに、第一次大戦で戦死したウィルフレッド・オーウェンの英語詩に基づくテナーとバリトンの歌が挿入される、自由なオラトリオといった感じです。今日のコンマスの崔文洙氏とは別のコンマス氏が出てきたのであれっと思うと、崔氏は指揮者右側に陣取る室内オーケストラのほうにいらっしゃいました。この曲の実演を聴くのは初めてなので世間の相場は知らないのですが、見せ場が少ないし、場所的にも目立たないので、ちょっと気の毒かなと。
 久々に見るボストリッジは、相変わらずその細身のどこからそんな声が出るんだという芯のある歌声。あらためて思ったのは、この人は声自体にはそれほど特徴というか個性があるわけではなく、丁寧に作り込んだ歌唱に有無を言わせぬ説得力があるのだなあということ。今日はちょっと席が遠かったので、以前のようにかぶりつきで聴ければ最高なんですが、日本でそれは安く簡単に手に入るわけではありません。他の歌手陣は、バリトンのイヴェルセンは申し分なし、ソプラノのシャギムラトヴァは一人ぽつんとオルガンの前に置かれて緊張気味でしたが、途中ハイトーンがちょっと苦しかったのを除けばこちらも立派な歌唱。加えて総勢120人超に上るベテランアマチュア集団、栗友会合唱団が迫力のコーラスで終始オケを圧倒。普段は頼りない新日フィルのアラが結果的に覆い隠されて、怪我の功名と思います。ハーディングも手を抜くことなく全体を引っ張っていたし、このぶんだと7月の「千人の交響曲」も大いに期待できるのではないでしょうか。一点、空席が目立つ客入りだったのは、日本のオケの公演としては破格のスター揃いだっただけに、残念でした。


2015.11.20 すみだトリフォニーホール (東京)
Leon Fleisher / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. モーツァルト: ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K.414
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調 Op.27

 レオン・フィライシャーのことはよく知らなかったのですが、ステレオ録音最初期にセル/クリーヴランド管などとセンセーショナルな録音を行った後、病気のため突如右手の機能を失い、指揮者と左手専門のピアニストとして音楽活動を続けていて、2000年にボトックス治療でようやく右手の機能を取り戻し、35年のブランクを経て両手演奏のピアニストとして復活したというレジェンドなアーティスト。演目が、当初発表のラヴェル「左手のための協奏曲」からモーツァルトに変更になったことの意味と意義を、恥ずかしながら理解しておりませんでした。87歳という高齢を考えると、はるばる日本までやって来て両手演奏を聴かせてくれる機会は、たいへん貴重なものだったんですね。
 さて、満場の拍手の中、ゆっくりと現れたフライシャーの弾き振りモーツァルトは、ヴィルトゥオーソの要素がほとんどない、枯れた味わい。老獪さはなく、ただ枯れています。やはり指が回っていない箇所がちらほらあり、何も予備知識なしで聴いたら、あまり上手じゃない素朴な演奏、という感想しか残らなかったでしょう。晩年のホロヴィッツが「ひびの入った骨董品」と呼ばれたのを即座に連想しました。ただ、この俗気の抜けたモーツァルトは、繰り返し聴くとじわじわと染み入ってくるものかもしれません。モーツァルトは永遠の苦手なので、すいません、こんな感想しか出てきませんが、欲を言えば、ラヴェルの左手のほうも聴いてみたかったです。なお、オケのほうは弦は良かったのですが、ホルンがぶち壊しでした。
 メインのラフマニノフ2番は、6月の都響以来ですから今年2回目。高齢のフライシャーは椅子に座っての指揮になります。のっけからオケが朗々と鳴っていて、ダイナミクスのコントロールはかなりアバウト。何だ、雑な演奏だなと思って聴いていくと、フライシャーは主旋律を奏でている楽器にはほとんど見向きもせず、副旋律のパートばかりを一所懸命振っていることに気づきました。ポルタメントも控えめで、こないだのリットン/都響とはほぼ対極の、ある意味ピアニストらしい、節度ある演奏。いや、リットンはそれはそれで良かったのですが、ラフマニノフ特有の甘いメロディが一歩後ろに下がり、重層的なポリフォニーに身を浸すような今日の演奏も、聴き慣れ過ぎて耳タコのこの曲にリフレッシュを与えてくれて、たいへん好ましいものでした。


2015.11.08 Live Viewing from:
2015.09.22 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Romeo and Juliet
Koen Kessels / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (Choreography)
Sarah Lamb (Juliet), Steven McRae (Romeo)
Alexander Campbell (Mercutio), Gary Avis (Tybalt)
Tristan Dyer (Benvolio), Ryoichi Hirano (Paris)
Christopher Saunders (Lord Capulet), Elizabeth McGorian (Lady Capulet)
Bennet Gartside (Escalus), Lara Turk (Rosaline)
Genesia Rosato (Nurse), Sian Murphy (Lady Montague)
Alastair Marriott (Friar Laurence, Lord Montague)
Itziar Mendizabal, Olivia Cowley, Helen Crawford (Harlots)
1. Prokofiev: Romeo and Juliet

 昨年もギリギリまで興業体制がはっきりせず、やきもきさせられたROHのライブシネマシーズンですが、今年はとうとう開幕に間に合わず、その代りというか、本国上演の24時間以内に1度きりの上演という今までの「準ライブ」方式ではなく、METのように2か月ほど前の演目を1週間上映するスタイルになりました。見に行けるチャンスが増えるという意味では一回ポッキリよりむしろ良いかもしれません。ただし劇場数は激減し、千葉県の上映がなくなってしまったので、日曜日に新日本橋のTOHOシネマズまではるばる家族で出かけました。周辺県からも集まったためか、土日の上映回は早々に満席になっていました。
 以前は本国の書式を踏襲した配役表が入館の際配られていましたが、今回は幕間のインタビューで字幕が出ない部分の対訳がチラシとして配られました。元々台本にないインタビューのやりとりは翻訳が間に合わないから字幕が入らないのだと思っていましたが、たっぷり時間はあったはずの今回も途中字幕が抜けていたのは、どうやら契約の問題だったもようです。
 昨年見た複数の千葉県の上映館と比べ、TOHOシネマズ日本橋はスクリーンの大きさ、音響共に圧倒的に良かったです。その分オケのアラがよく聴こえて、特にトランペットは相変わらずひどかったけど、ロンドンで聴いていた時も、まあだいたいいつもこんなもんだったかなと。
 このマクミラン版ロメジュリは、今でも妻が自宅で繰り返しDVDを見ているのでいいかげん食傷気味なのですが、それでも大スクリーンで見ると、緻密に練り上げられ、歴史のふるいにかけられたその舞台はやっぱり感動的。何度も見たマクレーのロメオ、始めて見るサラ・ラムのジュリエット、どちらもこの上ない安定感で、パーフェクトと言うしかない素晴らしい演技でした。特に終幕でラムの凛とした決意の表情から、最後に爆発する悲痛な叫びまでの感情表現は渾身の名演技で、わかっちゃいるのに不覚にもウルっと来てしまいました。
 ギャリーさんのティボルトは以前も見ましたが、さらに渋みが増し、哀愁が漂う大人の演技です。動きの激しい役はもうあまりやってないと思いますが、衰えを見せない剣さばきは流石。キャンベルのマキューシオは道化が足りず、ちょっと真面目過ぎでしたか。ベンヴォリオは初めて見る人です。悪友3人の息はピッタリで、ロメオの引き立てに徹した感じです。一方、強烈に違和感を感じてしまったのは、平野さんのパリス。せめてこの中なら、金髪に染めて欲しかったです。


2015.10.04 NHKホール (東京)
Paavo Järvi / NHK交響楽団
Erin Wall (soprano), Lilli Paasikivi (alto)
東京音楽大学 (合唱)
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」

 4月の読響に続き、今年2回目の「復活」鑑賞です。今シーズンよりN響の首席指揮者(chief conductor)に就任したパーヴォ・ヤルヴィのお披露目でもあります。ヤルヴィ家では、お父ちゃんのネーメ、弟のクリスチャンはロンドンで見ていますが、パーヴォは初めて。この3人は各々雰囲気がずいぶんと違いますが、顔をよくよく見るとやっぱり似ていて、ゴツゴツ顔の家系ですね。
 さて、そもそもCDを含めてもパーヴォの演奏を聴くのはよく考えると全く初めてなのですが、率直な感想は「ロシアのマーラー」です。やたらとオケが鳴るけど、管の音は濁っているし、ティンパニは必要以上に硬質。テンポはわりと変幻自在に切り替えながらも、全体としての形がよくわからない。解放するより、型にはめるといった感じの終結部にも、私は感動を覚えることはできませんでした。さらにいうと、100人弱ほどの東京音大学生合唱団は、オケに対してパワー不足で、欲を言えば200人は欲しかったところ。ソリストが二人とも素晴らしい歌唱だったのは収穫で、今後彼女らの名前はチェックします。
 どうも私はN響とは相性が悪くて、今日の演奏も「感動のないN響」の一つに加えられました。在京オケのマーラーということでは、インバル/都響が一段上でしょう。パーヴォは、ロシアものでもやるときに、また聴きに行ってみようかな。


2015.09.04 すみだトリフォニーホール (東京)
Derrick Inouye / 新日本フィルハーモニー交響楽団
小菅優 (piano-1)
Alfred Walker (bluebeard/bass-baritone-2), Michaela Martens (Judith/mezzo-soprano-2)
1. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番
2. バルトーク: 歌劇『青ひげ公の城』op.11 (演奏会形式)

 新日本フィルは過去何度か聴いて幻滅するばかりだったのですが、今シーズン(日本だと9月から新シーズンとは一概に言えない気もしますが)はわりと聴きたい曲が集中していたので、マイプランで5回分のチケットを買いました。さてその万難を排してでも聴きに行くバルトーク特集の開幕コンサートですが、イノウエは日系カナダ人、ウォーカー、マーテンスはともにアメリカ人、小菅優とオケはもちろん日本人だし、何故だかハンガリー色の薄い人々ばかり。
 小菅優は、前にも聴いたことがあるように思っていたのですが、どうも児玉桃と勘違いしていたようで、実際は聴くのは今日が初めてでした。新日フィルのサイトに出ていたインタビューで、このバルトーク3番は「ずっと弾きたい曲でした」と書いてあったので、レパートリーになったのはごく最近なんですかね。見た目そのまんまと言うと失礼かもしれませんが、郷愁のない健康的なピアノ。このバルトーク最後の作品には晩年のエピソードがまとわりついていて、そんなことは無視してスコアだけに真摯に向き合うというアプローチもありかとは思いますが、私の好みとして、この曲にはストーリーの味付けがないとあまり面白みがないです。アンコールはミクロコスモスの「蠅の日記より」。こちらのほうが自由奔放で良かったです。
 メインの「青ひげ公の城」は、オケの後ろにステージを立てて、白いクロスをかけバラの花瓶を乗せた小テーブルを置き、その周りで2人が演技を入れながら歌います。血のモチーフが聴こえるたびにオルガンが真っ赤にライトアップされ、花畑では緑、湖は青と、照明も大忙しの活躍。シンプルさではこれとほぼ同等の舞台をブダペストの国立歌劇場で見たこともありますし、演奏会形式というより立派なsemi-staged operaですね。演出家がクレジットされていないのが気になりますが、動きが歌手のアドリブ任せとも思えないし、誰か演出はいるはずです。
 吟遊詩人の前口上はなし。ウォーカーはがっしりとした体格に加え、黒スーツ、黒シャツ、黒ネクタイに身を包んだ黒人歌手でしたので、威圧感がハンパない。もうちょっと声量があればと思いましたが、安定感のある深いバスで、ハンガリー語も違和感なく、感情を押し殺しつつも堂々とした青ひげ公の歌唱でした。一方のマーテンスは、化粧っ気がなく、見た目も声もまさに「ワーグナー歌手」。すっかり忘れていましたが、プロフィールを読んでおやっと思い記録をチェックしたら、2009年にENOで青ひげ公を見たとき、ユディットを歌っていた人でした。ENOなのでそのときは英語だったのですが、今日はオリジナルのハンガリー語。「tudom」「köszönöm」といった基本単語の発音にちょいと違和感を覚えました。あとは歌い方がフェイクすると言うか、いちいち後乗りだったのが、オケがインテンポでグイグイ進む感じだったので、余計に気になりました。各論はともかく総論としては劇的な歌唱で、いかにも舞台でこの曲を歌い慣れているなという感じがしました。
 なかなか良かった歌手陣の奮闘に対し、それをかき消すくらいに、オケも頑張って鳴らしていました。フルート、クラリネット、トランペットのソロは、もうちょっとしっかりして欲しいところ。イノウエの指揮は、変にタメて流れを悪くしないという意味では私的に好ましいものでしたが、個性とか上手さは特に琴線に触れるものがなく。職業オペラ指揮者(職人ではない)という感じでしょうか。今回、扉の向こうのうめき声と、扉を叩く音はシンセで作った電子音でしたが、風情がなくて私は嫌いです。なお、第5の扉のバンダは1階客席後方からペット、ボーン各4本ずつを派手に鳴らしましたが、オケ、オルガンとクロックを合わせるのはさすがに難しそうでした。


2015.08.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Edward Gardner / 東京都交響楽団
東京混声合唱団 (女声合唱-2)
1. ブリテン: 青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)
2. ホルスト: 組曲《惑星》

 夏休みの日曜日マチネ、しかも娘の好きな「惑星」ということで、家族でGO!まあこの選曲ですから、他にも家族連れを多数見かけました。そんな子供向けクラシックの典型と見られがちな「青少年のための管弦楽入門」ですが、大編成管弦楽フェチの私にしてみればたいへんシビレる垂涎曲なのに、通常のコンサートプログラムに乗る機会が非常に少ないのは残念。生演で聴くのは多分これで生涯3回目です。英国若手指揮者の雄(とは言えもう40歳)ガードナーは2011年のBBCプロムス・ラストナイトでもこの曲を披露、当時その生中継をロンドンの自宅で家族と一緒に見ていたのを懐かしく思い出します。
 ガードナーは記録を見てみると、イングリッシュ・ナショナル・オペラの「青ひげ公の城」で過去一度だけ聴いていますが、あれえ、2、3度は聴いてなかったっけ?どうも他の若手と記憶がごっちゃになっているようです。それはともかく、小気味よくキビキビとした指揮は気持ちの良いもので、とにかくオケを鳴らす鳴らす。日本のオケからここまでの音圧を引き出すのは大した統率力です。都響のほうも、それだけの音を破綻せず出せる力量が元々あってのことで、うまい具合に乗せられてしまったという感じ。
 メインの「惑星」は、早めのテンポながら、あっさりサクサク進むというよりは、旋律にはいちいち細かくニュアンスを付けていく歌重視の演奏。打楽器は遠慮なく叩きまくり、オルガンの重低音は腹にずんずん響いて、金管も欧米オケにも引けを取らない鳴らしっぷりで、これまた爽快な演奏でした。危なっかしいところはなくて、普通にワールドクラスの好演。このままCDにできるでしょう。ガードナーはバランス良いアンサンブルに気を配り、鳴らすところはとことん鳴らし、旋律はしっかり歌わせ、スコアからその曲の理想像をつまびらかに引き出す、欲張りな正統派と言えましょうか。短めのプログラムだったので何かアンコールはやってほしかったなあと思うけど、「惑星」のリハを細かくやりすぎて、アンコールまで仕込む余裕がなかったんじゃないかと、なんとなく想像できました。またチャンスがあれば是非聴きたい指揮者です。


2015.07.16 サントリーホール (東京)
Jonathan Nott / 東京交響楽団
Ránki Dezső (piano-2)
1. ストラヴィンスキー: 管楽器のための交響曲
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第1番Sz.83
3. ベートーヴェン: 交響曲第5番ハ短調「運命」

 台風接近で大荒れの天気が予想される中、先週痛めた足を引きずりながらも、8年ぶりのラーンキ見たさに出かけてきました(結局天気は持ちましたが)。
 1曲目のストラヴィンスキーは、ほとんど聴いたことがない曲でした。手持ちのラトル/ベルリンフィル「ストラヴィンスキー交響曲集」のCDにも入ってなかった。実を言うとブラバンとかウインドの曲が苦手な私。あんまり上手くないなーと思いながらも、よくわからんのでパスです。
 バルトークのピアノ協奏曲というと、日本で演奏されるのは3番ばかりで、1番、2番を聴ける機会は珍しく、逃すわけに参りません。ハンガリーではけっこう1番の演奏頻度が多くて、私が生で聴いた回数も1番が最多です。さらには、ラーンキは過去4回聴いていますが、そのうち2回がこの1番でした。さてその久々聴いたラーンキは、あまり老けたという感じもせず、クールで精緻なピアノは健在でした。この曲についての好みで言うと、ブロンフマンのように肩からガンガン叩き込む重戦車系が私は好きですが、このパーカッシブな難曲をサラサラとあっさり弾いてしまうラーンキも別の意味で凄いです。ところが、今日はちょっとオケの方がイマイチ。ついて行くのがせいいっぱいの様子で、リズムを忘れています。本来、ピアノと打楽器群の息を呑むようなリズムの掛け合いがエキサイティングに決まってこそ、この曲の魅力が際立つというものですが、ラーンキはラーンキで勝手に弾いてるだけ、ほとんど「協奏」してなかったです。最後の最後だけ辻褄を合わせればいいってもんじゃない。またラーンキが聴けた喜びに浸りつつも、ちょいと不満の残る演奏でした。
 メインの「運命」、前に聴いたのがいつかと調べてみたら、3年ほど前ですね。それを選んでわざわざ足を運ぶ対象では決してない曲です。プロオケさんにとってはさすがにやり慣れた曲なのか、先のバルトークと比べたら随分とリラックスしていて、ノットの熱い指揮に付き合って気合を見せる余裕もありました。ノットは英国人ですが、ロンドン在住時に聴く機会がありませんでした。どちらかというと大陸のほうでキャリアを築いていった人のようです。パッション系に有りがちな唸り系の人ですが、ちょっと唸り声が多すぎるのが興ざめ。前半ヘタっていたホルンもメインでは白人のプリンシパルがしっかりと支え、別段穴があった演奏ではなかったのですが、特長もなく、古いタイプの陶酔が、かえって空虚に私には聴こえました。こちらの体調も正直良くなかったせいかもしれませんが、何とも評価に困る演奏でした。ノットと東響、今後積極的に聴きに行くかどうか、ちょっと微妙なところです。


2015.06.28 新国立劇場 オペラ劇場 (東京)
下野竜也 / 東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団, 世田谷ジュニア合唱団
小原啓楼 (ロドリゴ), 小森輝彦 (フェレイラ)
大沼徹 (ヴァリニャーノ), 桝貴志 (キチジロー)
鈴木准 (モキチ), 石橋栄実 (オハル)
増田弥生 (おまつ), 小林由佳 (少年)
大久保眞 (じさま), 大久保光哉 (老人)
加茂下稔 (チョウキチ), 三戸大久 (井上筑後守)
町英和 (通辞), 峰茂樹 (役人/番人)
宮田慶子 (演出), 遠藤周作 (原作)
1. 松村禎三: 歌劇「沈黙」

 このオペラは1993年の日生劇場での初演と、2000年の新国立劇場・二期会共催上演を見て以来ですので、15年ぶりの3回目になります。新国立劇場に足を運ぶのもえらい久しぶりで、前回来たのは2007年の「くるみ割り人形」でしたが、その年の夏に松村禎三氏は亡くなっていたのでした。
 「沈黙」は日本のオペラの中では上演機会に恵まれているほうで、この宮田慶子版(2012年プレミエ)は3つ目のプロダクションのはずです。詳細はよく憶えていないものの、前にここで見たときの演出は、ひたすら暗かったのに、最後だけはまるで「白鳥の湖」のラストシーンかと思うくらい、取って付けたような天光が差してきて、分かりやすく神の救いを表現するというベタな演出でした。
 一方今回の演出では、螺旋形で緩やかに上がっていく木製の回転ステージには巨大な十字架が刺さっており、シンプルながらも光と影を効果的に使ったシンボリックな舞台は、プロットがすっと身体に入ってきて好感が持てるものでした。音楽を邪魔しないというか、音楽の力が素直に引き立つよう作られており、一見根暗で前衛的なこのオペラが、そもそもいかにもオペラらしい劇的表現の宝庫かということがよくわかりました。不協和音の連続のようで、そこかしこに散りばめられる民謡、賛美歌、ムード歌謡まで、なんでもありのごった煮の世界。松村氏の他の作品と比べてサービス精神が突出しており、エンターテインメント志向が強い異色作です。見終わった後、晴れやかに劇場を出て行く、というものではなく、むしろ「どよーん」とした空気が何とも言えない作品ではありますが。
 歌手陣は皆歌いなれた人たちで、危なげない歌唱で安心して聴いていられました。下野竜也と東フィルの演奏も穴がなく実に立派なものでした。演奏にどうしても熱が入ってしまうのか、頑張りすぎて時々歌をかき消していましたが。
 日本を代表するオペラ作品だし、東西文化の衝突は題材としても海外向き。是非どんどん輸出して欲しいものです。ハンガリー語、チェコ語、ポーランド語のオペラ上演が欧米の主要劇場でちゃんと成立しているのだから、人口でははるかに多い日本語オペラの上演があっても不思議ではないですよね。まあ、日本人歌手をもっと輸出することが先決かもしれません…。


2015.06.15 サントリーホール (東京)
Andrew Litton / 東京都交響楽団
William Wolfram (piano-1)
1. シェーンベルク: ピアノ協奏曲 Op.42
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番ホ短調 Op.27

 シェーンベルクとラフマニノフとは、一見超異質な取り合わせで、実際聴いてみてもその隔絶感はハンパなかったのですが、この二人はたった1歳違いの、正に同世代の人なんですね。1873年生まれのラフマニノフより前の世代で前衛的な作曲家というと、思い浮かぶのはツェムリンスキー、スクリャービンくらい。一方、1874年生まれのシェーンベルクと同い年はホルスト、アイヴズ、シュミット、その一つ下はラヴェル、ケテルビー、クライスラーなど。その後ウェーベルンの生年1883年までの間に生まれた作曲家には、ファリャ、レスピーギ、バルトーク、コダーイ、ストラヴィンスキー、シマノフスキ、ヴァレーズといった大御所がズラリと並び、このあたりが正に自分のストライクゾーンなのだなとあらためて認識しました。
 と、長々と前置きを書いたわりに、やっぱり私には、このシェーンベルクのピアノ協奏曲はよくわからん曲です。音列は「20世紀の遺物」12音技法を駆使したものではあるけれども、オーケストレーションはゴタゴタした後期ロマン派の域を出ず、その中途半端さを補って余りある着想があるかというと、私の安物の琴線ではそれを感じ取ることが未だできないようです。そもそも、突き抜けた透明感のウェーベルン、無調を意識させない天才的音列のベルクと比較して、シェーンベルクで「これ好きかも」と思えた曲は一つたりともないのは事実。ちょっと今回は、選曲のコンセプトは評価するものの、演奏の論評は控えたいです。終演後にブラヴォーだか何だか言葉にならない絶叫をひたすらしていた男が謎でした。
 さてメインのラフマニノフ2番、もちろん今日はこちらを聴きに来たわけですが、もうのっけからベタベタのロマンチスト演奏に参りました。初めて聴くリットン、彼がこの曲に深い思い入れがあるのはよくわかりました。楽譜に指定のないところまで全編これポルタメントやレガートをきかせまくり、第1楽章ラストは(控え目ながらも)ティンパニの一発を入れたり、最初はちょっと呆れたというか、ブログのネタができたと喜んでもいたのですが、そのうちに、この曲を聴くためにわざわざ演奏会に足を運んでいるのは、ある意味、まさにこういう演奏が聴きたかったからかも、と思い直し始めました。とするとこれは、決して悪口ではなく、愛すべき「B級名演」。終演後にはたいへん満足して帰路につく自分がおりました。都響は指揮者によくついて行ったと思います。和をもって貴しとなす弦に、無理をさせない管。日本のオケ向きの曲なんだなということも再認識しました。


2015.06.5 サントリーホール (東京)
Yuri Temirkanov / 読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団, NHK東京児童合唱団
小山由美 (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調

 第3番はとても久しぶりな気がして、記録を見ると前回聴いたのは2012年4月のビシュコフ/LSOですから、もう3年ぶり。テミルカーノフを初めて聴いたのもちょうどそのころでした。
 先日のコバケン/読響の「復活」が期待外れだったので、ロシア最後の巨匠テミルカーノフのタクトに読響がどこまでくらいつけるか、期待と不安相半ばでしたが、結果はまずまず良い方向にころびました。9本に補強したホルンが「この曲の要は我々」と意識し、最後までコケずに踏ん張ったのが良かったと思います。第1楽章は冒頭からしてゆったりと濃厚な味付けで、まるでマゼール先生級のヘンタイ演奏。のっけからこれでは、後半のオケの息切れが心配です。
 結構燃え尽きてしまった第1楽章を終え、軽くチューニングを直してから始まった第2楽章が、これまたロマンチックなハイカロリー表現。第3楽章では舞台裏のポストホルンを含め、管楽器のソロはもうちょっとしっかりして欲しいと思った今日このごろ。オケが最後まで持たないと見たのか、このあたりからテミル翁がギアチェンジしてくるのを感じ取りました。
 第4楽章が始まる前に後ろ扉から合唱団が入場しましたが、何故かメゾソプラノ小山さんは演奏が始まってから静々と歩いてくるという、意味がよくわからない演出。しかも、正直な感想を申しますれば、歌はちょっといただけない。ドイツ在住のワーグナー歌いとのフレコミですが、わざわざドイツから呼んでくる値打ちはあったんでしょうか。オケの方はポルタメントなしのあっさり表現でサクサク進んでいきます。第5楽章は女声と少年少女合唱による天使の歌ですが、見たところ少年は4人だけで残りは全て女性。これが意外にもオケを食うくらいのしっかりしたコーラスで、ロンドンにそのまま持って行っても十分通用するハイレベル。終楽章も前半のヘンタイがウソのように、引っかかりなく淡白な味付け。
 全体として一定のバランスをとった演奏と言えますが、第1楽章の調子で最後まで行ってくれたら、オケは破綻していたかもしれませんが、怖いもの見たさというか、それはそれで面白かったのにとは思いました。しかし、細かいことを除けば、久々に納得感のある演奏会に満足しつつ会場をあとにしました。やっぱりテミル翁は今日のような大曲が似合います。


2015.05.10 NHKホール (東京)
Jukka-Pekka Saraste / NHK交響楽団
Kristóf Baráti (violin-2)
1. シベリウス: 戯曲「クオレマ」の付随音楽より
 1) 鶴のいる情景 作品44-2
 2) カンツォネッタ 作品62a
 3) 悲しいワルツ 作品44-1
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
3. シベリウス: 交響曲第2番ニ長調 作品43

 今日はバルトーク、しかもサラステということで、普段あまり聴きに来ないN響、NHKホールに来てみました。予報に反して日中は好天に恵まれた日曜日。かつては渋谷区民だった私も、休日の原宿なんて、本当に何年(何十年?)ぶりだろうか。代々木公園も沖縄フェアで盛り上がっており、若者がうじゃうじゃで、オジサンは何だか落ち着かないです。
 サラステを見るのはこれで4回目。ハンガリー、イギリス、日本の3カ国各々で聴いたアーティストは意外といなくて、サラステがまだ唯一です。一挙手一投足がいちいち颯爽と格好良く、音楽もドライブ感があって、外れがないという意味ではとても安心のできる贔屓の指揮者です。N響には11年ぶりの客演とのこと。1曲目の「クレオマ」劇音楽は、「悲しいワルツ」以外は初めて聴く曲でしたが、当然サラステにとってはオハコ中のオハコ。抑制の効いた弱音が美しく、リズムもメリハリがあり、どうだと言わんばかりの王道的演奏でした。
 続くバルトークは、ほぼ毎年聴いていたのに昨年は結局1度も聴けませんでした。今日のソリストはハンガリー人若手(といっても35歳ですが)のバラーティ・クリシュトーフ。私がブダペストに住んでいたころにはすでに奏者として活躍していた人ですが、実演を聴くのは初めて。この人、確かに技術は上手いと思いますが、音が綺麗すぎて単調な印象を受けました。3階席という条件を割り引いたとしても、オケに埋没してしまっています。バルトークを弾くからには、要所でほとばしる野卑性も欲しいところ。サラステはバルトークも得意としているはずですが、淡々として盛り上がりに欠け、イマイチ流れの悪い演奏でした。なお、終楽章コーダは最後までヴァイオリンを引っ張った改訂稿のほうでした。
 アンコールで弾いたいかにも難しそうなピースは、エルンストの「シューベルト「魔王」による大奇想曲」というんだそうで、わりと人気の超絶技巧曲だそうです。うむ、確かにこの人は上手いので、アンコールだけ器用、とか言われないだけのガメツさがあれば、と思いました。
 メインのシベリウスは、またガラリと変わって、音楽が活き活きと息を吹き返しました。さっきとは明らかにノリが違います。バルトークも十八番とは言え、やっぱりサラステにとってシベリウスは水を得た魚。正直、思い入れのない曲で、細かいところはわからないので抽象的ですが、こまめにドライブしながらも、流れは滑らかで、淀みがありません。オケも弦は最後まで濁らず、よく応えました。シベリウスの交響曲というと第2番ばかりで食傷気味なので、生誕150年の記念イヤーには他の曲もどんどんライブで聴きに行きたいと思います。


2015.05.06 Live Viewing from:
2015.05.05 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: La Fille Mal Gardée
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Frederick Ashton (choreography)
Natalia Osipova (Lise), Steven McRae (Colas)
Philip Mosley (Widow Simone), Paul Kay (Alain)
Christopher Saunders (Thomas), Gary Avis (village notary)
Michael Stojko (cockerel, notary's clerk)
Francesca Hayward, Meaghan Grace Hinkis, Gemma Pitchley-Gale, Leticia Stock (hens)
Christina Arestis , Claire Calvert, Olivia Cowley, Fumi Kaneko, Emma Maguire,
Kristen McNally, Sian Murphy, Beatriz Stix-Brunell (Lise's friends)
1. Ferdinand Hérold: La Fille Mal Gardée (orch. arr. by John Lanchbery)

 半年ぶりのROHライブビューイングは古典バレエの名作「リーズの結婚」。原題は仏語で“La Fille Mal Gardée”(下手に見張られた娘=しつけの悪い娘)、英語では“The Wayward Daughter”(御しがたい娘)というタイトルですので、邦題で通用されている「リーズの結婚」は、以前から違和感を持っていました。最後のシーンが「結婚」という印象はなく、せいぜい「婚約」であろう、ということと、リーズとコラスの結婚に向けた道のりが話の本筋ではない(実質的な障害はほとんどなく、ずっといちゃいちゃしているだけ)、というのが理由です。「じゃじゃ馬娘」とか「おてんばリーズ」のほうが邦題として適当ではないかしらん。
 過去ROHで観た2回はいずれもマクレー、マルケスの当時の定番ペアでしたが、最近マクレーはラムやオーシポワにペアを組み替えられたようで(近年は隈なくキャスト表を見ていないので、間違っていたらごめんなさい)、今日のリーズはオーシポワ。彼女をロンドンで観たときは、ボリショイ(コッペリア)、ペーター・シャウフス(ロメジュリ)、マリインスキー(ドンキホーテ)と毎回違うカンパニーでしたが、ロイヤルで踊っているオーシポワを観るのは初めてです。
 過去に見た印象通り、今日の彼女も相変わらず躍動感が凄い。回転の加速とか、バランスの揺るぎなさとか、アスレチックな動きは抜きん出たものがあります。それだけで十分金を取れるダンサーであることは間違いない。一方、かつて見たマルケスを思い出しながら第1幕を見ていてすぐに感じたのは、この人、足技は凄いけど、手の動きがしなやかさに欠け、結果として全身の造作がぎこちなく見える場面が少々。実は意外と身体が硬いのでは、と思いました。また、マクレーと息を合わせて見栄を切ってほしいほんの一瞬で、客席への一瞥もなく、何だか自分の演技に没頭し過ぎている余裕のなさも垣間見られました。このバレエは小道具がたくさん出てきますが、長いリボンであや取りのように格子模様を作ったあとで、ほどくとリボンの中央に結び目が残ってしまうというミスも(まあこれはどちらのせいかわかりませんが)。資質的にはマクレーとはキレキレどうしで相性が良さそうにも思えますが、特にこの演目では、踊りの鋭さはなくとも、ラブラブ感をぷんぷんと匂わせていたマルケスに分があったでしょう。
 幕間にビデオが流れた司会のダーシー・バッセルとバレエコーチのレスリー・コリア(我が家にあるDVDのリーズはこの人が踊っていました)の対談で、コリアが「オーシポワは技術的には完成されたものを持っているが、英国式のポール・ド・ブラ(腕の動かし方)を習得するのに苦労している」というようなことを言っていて、自分の感覚があながち外れていないことを確認できました。言い換えれば、こういう苦手な(というか向いてない)役をも乗りこなせば、オーシポワは無敵のプリンシパルになれるのではないでしょうか。
 マクレーさんは今回も余裕で180度超の開脚を見せ、この人は相変わらず凄いです。マクレーファンの妻も大満足。何も言うことはございません。未亡人のフィリップ・モーズリーは、前に観たときも全てこの人が同じ役でした。木靴の踊りのキレはもう一つで(DVDで見る昔の人のほうが凄いです)、そのうちマクレーさんがこの役をやってくれないかなと真面目に思ってます。
 幕間のオヘアへのインタビューでは、次シーズンのROHライブビューイングのバレエは、ロメジュリ(キャストはペネファーザーとラム)、くるみ割り人形、ジゼル、フランケンシュタイン(スカーレットの新作)、アコスタのミックスビル、アシュトンのミックスビルと、6本も予定されていることが告げられました。多分猟奇的なものになるであろうスカーレット新作は、是非見てみたいかな。その前に、来シーズンもライブビューイングを近場で上映してくれることをただただ祈るばかりですが。


2015.04.24 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
小林研一郎 / 読売日本交響楽団
小川里美 (soprano), Anne-Theresa Møller (mezzo-soprano)
東京音楽大学合唱団
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」

 2月のヤマカズ/日フィルがチケット買っていたのに結局用事でいけなかったので、そのリベンジで聴いてみました。ハンガリーでは最も有名な日本人であるコバケンを前回聴いたのは、もう10年も前になりますなー。
 東欧では熱狂的に支持されていても日本のクラヲタにはどうもウケが悪い「炎のコバケン」さん、エモーショナルに盛り上げてスケールの大きい音楽を作るスタイルは決して嫌いじゃないのですが、オケが雑になりがちなのが、いつも残念。楽器の音を研ぎ澄ますということにはほとんど関心がないんだろうかと思います。今日も危惧していた通り、私の好みから言えば、オケの音が汚なすぎ。普段聴く読響の木管や弦は、もうちょっとスマートな音を出していたはず。ホルン、トランペットも思いっきり弱さを露呈して、長丁場聴くのは痛々しかった。終楽章の舞台裏バンダは当然舞台上の人々を超えるレベルではなく、最後にはその人たちも舞台に出てきてホルン、ペットが各々11本という大部隊になってましたが、音の「迫力」というのは決して楽器の数じゃないんだな、というのを再認識しました。コーラスが音大生のアマチュアながら、生真面目でしっかりと声の出た良い合唱だっただけに、オケがピリッとせず、残念でした。
 譜面を立てず、自らの信じるままに音楽を揺さぶるコバケン流「俺のマーラー」は、結果が伴えば、凡百の演奏には及びもつかない感動を呼び起こす音楽になりえるかもしれませんが、その期待に応えてくれるオケには巡り合えるのでしょうか。コバケンが80歳を超えてもまだかくしゃくと活躍していたとして、突如ベルリンフィルに招かれ人気を博し、その後死ぬまで「巨匠」として崇められるという、ヴァントのような晩年を送ってくれる世界は来ないかなと、楽しい妄想をしてしまいました。


2015.04.04 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 6
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation), 田尾下哲 (video)
Robert Dean Smith (Siegmund/tenor), Waltraud Meier (Sieglinde/soprano)
In-sung Sim (Hunding/bass), Egils Silins (Wotan/baritone)
Catherine Foster (Brünnhilde/soprano), Elisabeth Kulman (Fricka/mezzo-soprano)
佐藤路子 (Helmwige/soprano), 小川里美 (Gerhilde/soprano)
藤谷佳奈枝 (Ortlinde/soprano), 秋本悠希 (Waltraute/mezzo-soprano)
小林紗季子 (Siegrune/mezzo-soprano), 山下未紗 (Rossweisse/mezzo-soprano)
塩崎めぐみ (Grimgerde/alto), 金子美香 (Schwertleite/alto)
1. ワーグナー: 『ニーベルングの指環』第1夜《ワルキューレ》(演奏会形式・字幕映像付)

 昨年の「ラインの黄金」に引き続き、東京春祭の「リング」サイクル第2弾です。昨年同様、演奏はヤノフスキ/N響に、ゲストコンマスとしてウィーンフィルからキュッヒルを招聘。昨年から引き続きの歌手陣は、ヴォータンのエギルス・シリンス、フンディングのシム・インスン(昨年はファフナー役)、フリッカのエリーザベト・クールマン(去年はエルダ役)。今回の新顔として、まずはジークリンデ役に大御所ワルトラウト・マイヤーを招聘。さらに、ブリュンヒルデ役のキャサリン・フォスターは、近年バイロイトで同役を歌っている正に現役バリバリのブリュンヒルデ。よくぞこの人達を連れて来れたものだと思います。フォスターは看護婦・助産婦として長年働いた後に音楽を志したという、異色の経歴を持つ英国人ですが、歌手としてのキャリアはほとんどドイツの歌劇場で培ったようです。マイヤーは記録を辿ると2002年のBBCプロムス、バレンボイム指揮の「第九」で歌っていたはずですが、ロイヤルアルバートホールの3階席では、「聴いた」というより「見た」ことに意義があったかと。ジークムント役の米国人ロバート・ディーン・スミスはブダペストで2回聴いていますが(2006年の「グレの歌」と2007年の「ナクソス島のアリアドネ」)、グレの歌のときは、何だか力のないテナーだなという印象を書き残してました。
 私は元々長いオペラが苦手で、特に「ワルキューレ」は歌劇場で過去2回聴いて、途中どうしても「早く先に進んでくれないかな」とじれてしまう箇所がいくつかあります。今回も第1幕は、演奏会形式ということもあってよけいに変化に乏しく、華奢な身体から絞り出されるマイヤーの絶唱に感心しつつも、つい間延びしてぼんやりとしてしまいました。コンサート形式ですが、後ろの巨大スクリーンでゆるやかに場面転換を表現する演出は昨年同様でした。ただ今回は、第1幕冒頭で森を駆け抜け、フンディングの家にたどり着いて進む展開の背景が露骨に具象的で、これはもうちょっと象徴的にカッコよくできなかったもんかと思いました。
 第2幕冒頭で登場したフォスターが鳥肌ものの見事な「ワルキューレの騎行」を聴かせると一気にテンションが上がり、続くクールマンも負けじと強烈な迫力のフリッカでヴォータンを圧倒、昨年影が薄かった分を取り返して余りある熱唱でした。そのヴォータンのシリンスも昨年同様堂々とした安定感で、ストーリーの主軸である彼の生き様(神様に対してそんな言い方していいのかわかりませんが)を、音楽的な核としてしっかり具現していました。総じて主要登場人物が減った分、歌手陣がいっそう粒ぞろいになり、昨年にも増して素晴らしいステージとなりました。ワルキューレの日本人女声陣のうち4名は昨年も出ていた人々で、賑やかに脇を固めていましたが、ただ立ち位置が舞台下手の深いところだったので、私の席からは影で見えず、声も届きづらかったのは残念でした。
 オケの方も、キュッヒル効果は今年も健在で、N響はこの長丁場を高い集中力で最後まで弾き切りました。まあ、曲が「ワルキューレ」ですから金管にもうちょっと迫力があれば、とは思いましたが、歌劇場付きのオケは本場ヨーロッパでもけっこうショボいことが多いので、十分に上位の部類でしょう。この充実した歌手陣に、引き締まったオケ、かくしゃくとした巨匠、世界じゅう探してもこれだけのリングが聴けるところはそうそうないかと思います。東京春祭万歳。最後のフライング拍手はちょっといただけなかったけど。


2015.03.28 Live Viewing in HD from:
2015.02.14 Metropolitan Opera House (New York City)
Valery Gergiev / Orchestra of the Metropolitan Opera
Mariusz Treliński (production)
Anna Netrebko (Iolanta-1), Piotr Beczala (Vaudémont-1), Aleksei Markov (Duke Robert-1)
Ilya Bannik (King René-1), Elchin Azizov (Ibn-Hakia-1)
Nadja Michael (Judith-2), Mikhail Petrenko (Bluebeard-2)
1. Tchaikovsky: Iolanta (sung in Russian)
2. Bartók: Bluebeard's Castle (sung in Hungarian)

 ライブビューイングはこれまでロイヤルバレエを何度か見ましたが、METは初めてです。遠く離れた日本でも前夜の公演を中継するので本当のライブに近いROHと違って、METは1ヶ月以上前、バレンタインデーの収録でした。司会のジョイス・ディドナートも言ってたように、バレンタインにはあまり見たくない演目だとは思います。
 前半の「イオランタ」は、チャイコフスキー最後のオペラで、初演は「くるみ割り人形」と2本立てだったとか。一幕のコンパクトな仕上がり、円熟極まった無駄のない構成、ひたすら美しいチャイコフスキー節、それでも彼のオペラとしては「スペードの女王」「エフゲニー・オネーギン」ほどのメジャーになり得なかったのは(METでも今回が初上演だそう)、おとぎ話とはいえ底の浅いストーリーのせいでしょうか。ポーランド国立大劇場の芸術監督でもあるマリウシュ・トレリンスキの演出はシンプルかつモダンですが、見たところシンボリックな作りでもなく、意味深な感じはしませんでした。しかし見ていくと存外凝った演出で、レネ王を除くほぼ全員が衣装の早変わりをするし、イオランタ姫に至っては一幕の中で2回も衣装を変え(LEDを仕込んだ最後のキラキラウェディングドレス含め、どれも胸の谷間強調系のオヤジキラードレスでした…)、細かいところでいっぱいお金がかかっていそうです。レネ王だけずっと軍服で通してましたが、彼だけ代役だったので、もしかして衣装が間に合わなかったのかも。
 ネトレプコはすっかり恰幅がよくなりました。可憐なお姫様役はそろそろ無理があるかも。ただし歌唱は華と声量にますます磨きがかかって、母国語のオペラということもあり、有無を言わさぬ貫禄がありました。彼女に限らず歌手陣は皆さん本当に穴なしで素晴らしく、さすがMET、と言わざるを得ません。ベチャワはあまり縁がなく、2007年のチューリヒ歌劇場日本公演「ばらの騎士」で第一幕に出てくる空虚なテナー歌手(この役はけっこうスターがカメオ的に歌うこともあるのですが)を聴いたくらいでしたが、今まさに円熟期を迎えようとしている正統派テナーの丁寧な歌唱は、衣装はともかくオーセンティックな芸術的欲求を十二分に満たしてくれるものでした。病欠タノヴィツキーの代役でレネ王を歌ったイリヤ・バーニクは、名前と風貌が記憶の片隅にあったので記録を探してみたら、2012年にLSOでストラヴィンスキーの音楽劇「狐」を聴いた時、「山羊」役だった、まさに風貌が山羊のバス歌手がその人でした。王様の貫禄まるでなしなので外見は全くミスキャストなんですが、歌は重心が低くたいへん良かったです。
 インターミッションは出演を終えたばかりのネトレプコ、ベチャワ、ゲルギエフへバックステージでインタビューを行うわけですが、ディドナートが、まあようしゃべること。この人は本当に司会者向きです。ネトレプコは出番が終わった開放感からか、やけにハイテンションで、「バレンタインデーに何でこんなの見てるの?早く家に帰って愛を確かめましょう!」などとのたまい、あわてたディドナートが「いやいや最後まで見ていって」と思わずフォローする微笑ましい場面も。ゲルギーの堅めのインタビューのあと、突然フローレスが登場し、二人が出演する次のライブビューイング「湖上の美人」の宣伝もちゃっかり。一番最後にはMET賛助会員の寄付募集までアナウンスして、この抜け目ない番組構成はROHにはなかったもの、まさにアメリカ式ですなー。
 後半の「青ひげ公の城」が、もちろん今日の私の目当てだった訳です。冒頭の吟遊詩人の口上は、英語圏だと最近はペーテル・バルトーク訳の英語版を使うのが一般的かと思いきや、久々に聴いたハンガリー語のオリジナル。ヴィンセント・プライスばりにおどろどろしいホラー映画のナレーションだったので、これでこの先の雰囲気はだいたい読めてしまいました。演出は半透明スクリーンに映像を映した特殊効果を多用しており、象徴的よりも直接的な表現を志向しています。ただし、最初の拷問部屋で壁に血が付いていたくらいで、スプラッター度はあまりなし。普通と違うのは、ずっと夜というか闇の世界に留まっており、第5の部屋、青ひげの領地も大木の地下茎のようなものがぶら下がる地下世界。最後は、土に埋められようとしているパーティードレスの女(これはマネキン)の後ろには、長い黒髪の「貞子」が5人もわらわらと…。陰々滅々とした終わり方で、閉幕後の場内はシーンと静まり返っていました。せっかくのバレンタインにこれを見て帰ったNYの人はたいへん御愁傷様です。この企画、オペラの演目の順番は逆でも良かったのではないかなあ。「闇から光」と「闇からさらに深い闇」の対比でまとめたかったのだとは思いますが、順番を逆にしては全く意味をなさない、とも思えないし。
 歌手はどちらも初めて聴く人で、ユディット役のナディア・ミカエルはドイツ出身の金髪スレンダーソプラノ。ROHで歌った「サロメ」がDVDになっています。ホラー映画の常套として金髪グラマー系はたいがい殺人鬼のエジキになるわけですが…。しかもミカエルはサロメ歌手だけあって露出はどんとこい系、第3の宝物部屋では何故か入浴シーンになって自慢の?ボディーを晒し、最後の部屋ではシミーズ一枚で雨に濡れて○っぱいもスケスケ(せめてカーテンコールはガウンくらい着せてあげなよ…)。文字通り「身体を張った」熱演は素晴らしいものでしたが、歌は、先のネトレプコ達と比べてしまうと、抜群とは言えず。ハンガリー語の発音がちょっと不自然なのも気に触りました。対する青ひげ公のミハイル・ペトレンコは名前からしてロシア人。この人も熱唱度では負けてないものの、ちょっと熱入りすぎで、キャラクターがミスマッチです。とは言え「青ひげ公の城」単独で評価しても歌手は粒ぞろいでお金がかかった舞台なのは疑いなく、どんなオペラを持ってきてもゴージャスに仕上げてしまうMETの財力はやっぱり凄い。いつの日かMETの劇場の良席で、珠玉の生舞台を見てみたいものだという、人生の目標がまたできてしまいました。


2015.03.03 サントリーホール (東京)
第34回 東芝グランドコンサート2015
Tugan Sokhiev / Orchestre National du Capitole de Toulouse
Yulianna Avdeeva (piano-1)
1. ショパン: ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11(ナショナル・エディション)
2. リムスキー=コルサコフ: 交響組曲『シェヘラザード』Op.35

 今年も幸いなことにチケットを譲っていただき、久々の「外タレ」コンサートです。今回はトゥガン・ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管、ソリストは2010年のショパンコンクール優勝者、ユリアンナ・アヴデーエワ。どの人も実演を聴くのは初めてです(トゥールーズ管はプラッソン指揮のオネゲルのCDを持ってました)。日程を見ると今年も強行軍で、2週間足らずのうちに大阪→東京→広島→福岡→金沢(ここまでルノー・カプソンを帯同したAプロ)→名古屋→仙台→川崎→東京と全国を休みなく飛び回っており、オケの疲労が心配です。
 今年は司会者も三枝成彰の解説もなく、定刻になったらさくっと演奏が始まりました。客入りはほぼ満杯ながら、客筋が普段より少しノイジーではあります。花粉症の季節に加え、立派なプログラム冊子を入れたプラスチックの袋、これがカサコソ音を立てて、いけない。さてピアノのソロ演奏会にはまず行かない(友人関係を除くと多分皆無)私にとって、ショパンは永遠の「守備範囲外」。このコンチェルト第1番も過去に何度も聴いていますが、正直、起きているのが辛い曲です。ショパンコンクールではアルゲリッチ以来45年ぶりの女性優勝者として話題になったアヴデーエワは、今年30歳のまだ若手。「アルゲリッチ以来」という触れ込みとその個性的なお顔立ちから、何となく豪傑肉食系をイメージしていたら、見かけは華奢だし、実は繊細系のピアノだったので、やはりイメージで勝手な思い込みをしてはいかんと反省しました。さすがに技術は確かというか、この難曲に対しても極めて安定度の高いピアノが最後まで一貫してました。玄人向き、大人向きと言いましょうか。最後まで眠くならずに聴き入ってしまいました。一方で、席がもっと近かったら印象が違うのかもしれませんが、ピアノがオケと溶け合いすぎ、迫るものがありません。ぐいぐい押すタイプではないにせよ、どこか際立つ瞬間を演出できないと、優等生的で終わってしまわないかなあと。フィジカルな演奏技術ということではもちろん最高レベルにあると思いますが、同じレベルに属するピアニストはすでに世界中に相当数いるでしょうから、私の趣味としては、もっと音が暴れているピアノが好みです。アンコールは何かのワルツ(多分ショパンでしょうけど)を弾きました。
 メインの「シェヘラザード」は、記録を見るとちょうど3年ぶり。あまり繰り返し聴いている曲ではありません。このオケの特長は弦がしっかりと厚いこと。女性コンマスのソロも安定感がありました。一方管楽器は総じて線が細めで、アメリカやロンドンのオケみたいな圧巻の馬力はありません。そこはフランスのオケというべきか。ホルンは特に、足を引っ張ってました。一方で、フランスのオケは手抜きするとよく揶揄されますが、今日を聴く限りそんな態度は一切なし。今日の選曲だとそんなに馬力は必要ないし、オケの色とあっていたのではないかと。ソヒエフはワシリー・ペトレンコ(昨年の東芝グラコン)やハーディングと同じ「アラフォー」世代の成長株。ロンドンではフィルハーモニア管などを振りに来てたので名前はメジャーでしたが、聴く機会を逃していました。しなやかでキメの細かい棒振り(といっても指揮棒は使ってませんでしたが)は見栄えが良く、オケには好かれそうな器用さを持っていると思いました。総じて表情が濃く重層的な響きに徹しており、こういう奥行きの深さは日本のオケではあまり聴けません。ソヒエフの目指しているところはフランスよりもドイツのオケのほうが共鳴しやすいんじゃないでしょうか。などと考えごとをしながら聴いていたら、第3、第4楽章では各々の木管ソロを際限なく自由に吹かせてみたり、仏製テイストを引き出そうとも工夫している様子。
 アンコールはスラヴ舞曲第1番と、「カルメン」第3幕への間奏曲、さらに第1幕への前奏曲。最後は聴衆の手拍子を誘うはしゃぎっぷりで、ご機嫌でツアー終了。第一線級とは言えないまでもしっかり地に足がついたオケと、ノッてる旬の若手指揮者(この世界で30代は若造です)の取り合わせは、昨年のグラコンに劣らず、良いものを聴かせていただきました。


2015.02.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Nils Mönkemeyer (viola-2)
1. 武満徹: 鳥は星形の庭に降りる
2. バルトーク: ヴィオラ協奏曲
3. アイブズ: 答えのない質問
4. ドヴォルザーク: 交響曲第9番ホ短調「新世界から」

 3月前半欧州ツアーに出かける読響ですが、これはツアーのAプロに当たる演奏会です(ちなみにBプロは12月定期でやってたトゥーランガリラ交響曲)。ツアーでは1週間でベルリン、ワルシャワ、ケルン、ユトレヒト、ブリュッセルを足早に回りますが、カンブルランの故郷フランスには立ち寄らないようです。それにしてもこのプログラム、一見脈絡ない選曲にも思えますが、どれもアメリカと関係が深い楽曲ということになってます。それを何故カンブルラン/読響が欧州ツアーで演奏するのか、というのはやっぱり脈絡がわかりませんが。
 1曲目はサンフランシスコ響のために委嘱されたタケミツの代表作。Wikipediaには「小澤征爾指揮、ボストン交響楽団により初演され」とありますが、1977年エド・デ・ワールト指揮サンフランシスコ響にて初演、というのがどうも正解のようです(私はどっちが正しいかを検証するすべを持ちませんが、Wikiは時々とんでもなくテキトーなことが書いてあったりするので要注意)。私が以前この曲を聴いたのは10年前のN響のブダペスト公演だったので、日本のオケが海外ツアーする際の定番なのかもしれません。黒鍵中心の五音音階を基にモチーフを組み立ててみたり、ガリガリの前衛から路線転向した変化点と言われる曲ですが、確かに、セリーだのチャンスだの、様式の逸脱と自己満足だけに突き動かされていた20世紀の「ゲンダイオンガク」を卒業し、融合路線に回帰した21世紀の現代音楽を、ある意味先取りしていたのではないでしょうか。まあ、武満がちょっと苦手な私の感覚では、まだまだ余裕で前衛な曲ですが。すいません、演奏の良し悪しは正直判りかねますが、誰がやってもその空気は再現できそうな、完成度に優れた楽曲だとはあらためて感じました。
 次は、晩年をアメリカで過ごしたバルトークの未完の遺作。パンフを読んでなるほどと思ったのですが、バルトークが最後のアメリカで作曲した管弦楽曲は、全て「協奏曲」と名付けられているんですね。実はこのヴィオラ協奏曲、バルトークファンであるはずのこの私が、実演では今日ようやく初めて聴く機会を得ました。そもそもヴィオラ協奏曲というのは、私にとってはティンパニ協奏曲よりもマイナーなジャンルにつき(と書いてから調べてみたら、ヴィオラ協奏曲は近現代で結構書かれている事実を発見…)、論評できるほど聴き込んでもおりません。「バルトークの最高傑作(になるはずだった)」と言う人もいるみたいですが、特に終楽章、魅力的な着想が断片的に出てくるものの、あっけなく終わってしまう淡白さを感じるのが、敬遠する理由だと思います。オケコンやヴァイオリン協奏曲第2番のような「天才の円熟が結実した音楽芸術」というにはどうしても消化不良感が残ります。ということで、今日のところはメンケマイヤーの中性的なヴィオラの音色を堪能したのみでご勘弁。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「アルマンド」、これも聴きなれたチェロと比べて何となく生理的な違和感を覚える不思議な感覚でした。
 休憩をはさんで、次も一度は実演で聴いてみたかった「答えのない質問」。穏やかなメジャーコードの弦楽合奏に乗せて、トランペットソロとフルート四重奏が禅問答のようなやり取りを繰り返します。スコアを見ると、四重奏はオーボエ、クラリネットが入っていてもよくて(実際、バーンスタインの音楽啓蒙番組「答えのない質問」ではそうなってましたね)、トランペットソロもクラリネット、オーボエ、コーラングレで代用可のようです。今回トランペットはステージ後方上階のオルガンの前に立ち、一音でも外してしまうと曲が台無しになりかねない緊張感の中で、しっかり仕事をしました。これはやっぱりオーボエやクラの代用では出せない空気があると思います。下を支える弦楽合奏も極めて抑制的で、良かったです。
 今回の選曲はアメリカ繋がりということですが、パンフのカンブルランのインタビューを読んでいて、「新世界」と「答えのない質問」(オリジナル)は作曲された年が高々15年しか離れていないという指摘は非常に新鮮でした。ロマン派ど真ん中のドヴォルザークとの対比で、アイヴズの先進性は驚きです(ドヴォルザークが古いと言っているわけではもちろんありませんが)。
 ということで、アイヴズから切れ目なく新世界へ突入。フルート奏者の余り2名は新世界では出番がないのでどうするのかなと思って見ていたら、第1楽章が終わるまで待って袖に引っ込みました。さてその新世界ですが、前にも思いましたが、カンブルランの音楽作りは時にとことんレガートを効かせた、まるでカラヤンのように流麗寛雅な世界に徹していきます。さすがに新世界はプロオケの皆様手慣れている様子で、第2楽章のコーラングレも美しかったし、均整のとれた職人肌の演奏。管楽器は若干バラツキがあるかなと思われる以外は、ヨーロッパに行ってもレベルの高さを示せるのではないでしょうか。アンコールは同じドヴォルザークでスラヴ舞曲第10番(第2集第2番)。せっかくのツアー用に、手頃な日本の曲は何かないものですかねえ。


2015.01.23 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
下野竜也 / 読売日本交響楽団
小森邦彦 (marimba-1)
1. 武満徹: ジティマルヤ
2. マーラー: 交響曲第5番嬰ハ短調

 今年最初の演奏会です。マーラーと武満という取り合わせは、翌日から始まる山田和樹/日フィルのマーラーチクルスをちゃっかり先取りしたかのようなプログラムですが、別に今年はどちらの記念イヤーでもないし、まああまり意味なく偶然なんでしょうね。
 「ジティマルヤ」はマリンバ独奏とヴァイオリンを欠く変則編成のオケによる協奏曲風の作品。初めて聴く曲でしたが、指揮者の譜面台に置かれたスコアの巨大さから、どんだけ複雑怪奇で濃いいサウンドが出てくるんだと思いきや、一貫して室内楽的な透明感。不協和音がそのうち心地よく響いてくるような不思議な突破力があります。ただ、私は打楽器奏者の端くれでありながらマリンバにはどうも魅力を感じることがないので、引き込まれることもなく。
 メインのマーラー5番はほぼ2年ぶり。下野さん、昨年のブルックナーが良かったので大いに期待したのですが、ちょっと期待外れ。指揮は懇切丁寧で、致命的な破綻はないし、むしろオケは大きい音でよく鳴っていたのですが、全体を通してどこか醒めた演奏。事故なく無難にこなす以上のことをやる気がないというか、完全に守りに入っていて、音の線も細い。曲の軽さがそのまま浮き彫りになってしまった、何とも面白みに欠ける演奏でした。やはりマーラー演奏は、オケと丁々発止しながら、予定調和ではないエネルギーの発揚を引き出すことが大事なのだな、という認識を強くしました。
 退屈すると、興味は美人奏者探しに走ってしまうのですが、今日はホルン、トロンボーン、打楽器、チェロ、コンバス各々に若くて可愛らしい女性を見つけました。見慣れない顔だったので(まあ私は人の顔がなかなか覚えられないのでアテになりませんが)、皆さんトラだったのかも。


2014.12.17 Live Viewing from:
2014.12.16 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Alice’s Adventures in Wonderland
David Briskin / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Sarah Lamb (Alice), Federico Bonelli (Jack/The Knave of Hearts)
Alexander Campbell (Lewis Carroll/The White Rabbit)
Zenaida Yanowsky (Mother/The Queen of Hearts)
Christopher Saunders (Father/The King of Hearts)
Steven McRae (Magician/The Mad Hatter)
Eric Underwood (Rajah/The Caterpillar), Philip Mosley (The Duchess)
Paul Kay (Vicar/The March Hare), James Wilkie (Verger/The Dormouse)
Kristen McNally (The Cook), Sander Blommaert (Footman/Fish)
Marcelino Sambé (Footman/Frog), Michael Stojko (Butler/Executioner)
Meaghan Grace Hinkis, Beatriz Stix-Brunell (Alice's Sisters)
Luca Acri, James Hay, Solomon Golding (Gardeners)

 今シーズンは日本におけるロイヤルオペラハウスのライブビューイング上映館がギリギリまで決まらずやきもきしたのですが、蓋を開けてみれば昨シーズン以上の館数で、選択肢が増えたのはたいへん良かったです。
 さて久々に見るアリス(とは言っても最後に見たのはまだ去年の話か)、「美味しいキャラ」の双璧、ヤノウスキーとマクレーが揃い踏みしているのが嬉しい。ロンドンでは、初演の年は見に行けず、翌年はヤノウスキー降板、その翌年はマクレー降板と、二人揃った公演は(DVD以外で)始めて見ます。やっぱりこの二人のどちらが欠けても、何か損した気分が残ってしまうでしょう。一つ残念だったのは、これまた初演の定番メンツ、エドワード・ワトソンの怪我による降板。代役はセルヴィラとアナウンスされていて、結局アレックス・キャンベルになったのですが、長身でクセモノのワトソンと比べたらずんぐりむっくりで動きもどん臭いキャンベルは、やっぱり残念だったとしか言いようがない。
 そういえば昨年ROHで見た公演でもマクレーの代役がキャンベルで、かなりがっかりしたものでした。そのマクレー様ですが、今日はもう完璧バリバリのマッドハッター、タップのキレがさすがに凄かった。タップと言ってもかかとだけじゃなくつま先でも自由自在に蹴りまくり、そのいちいちがくっきり際立つ名人芸。生じゃないのは残念ですが、今年もこれが観れて良かったです。
 通信障害か、第3幕ハートの庭園の最後クライマックスで何度も映像が止まり中断されたのが残念でした。それよりも、気になったのは客入り。ほとんどガラガラでした。「アリス」にしてこの客入りでは、他の上演はどうなることやら。採算が悪いので来年はまた大幅撤退、ということにならなければよいのだけど。


2014.12.08 東京文化会館 大ホール (東京)
大野和士 / 東京都交響楽団
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106
2. フランツ・シュミット: 交響曲第4番ハ長調

 来年4月から新音楽監督に就任する予定の大野和士がプレお披露目として始動。記録を見ると前回大野さんを聴いたのは2013年2月のBBC響「Sound from Japan」で、遥か昔の印象があったのに、実はまだ「去年」の出来事だったんですね。それにしても、今更「運命」「未完成」「新世界」でもないでしょうが、お披露目でこの選曲は渋すぎます。
 最初の弦チェレは、第3楽章がちょっと猟奇的演出が過ぎる気もしましたが、全体的にかっちりと生真面目な演奏。まあ、バルトークはこれでいいんですよ。弦合奏のレベル高し。しかしピアノがちょっと投げやりで足を引っ張っていたような。緻密だけど淡白で引っ掛かりがないのは、ある意味面白みに欠けますが、大野さんのキャラはこんなもんでしょうか。
 フランツ・シュミットの曲自体、多分初めて聴きますが、バルトークとほぼ同世代、しかも同郷(当時は同じオーストリア・ハンガリー二重帝国)の作曲家ということも初めて知りました。冒頭のアイヴズを連想させる調性不安定なトランペットソロは、他の楽章にも出てきて一種の循環形式になっています。けっこうモダンな作りか、と思わせておいて、途中はけっこうベタな後期ロマン派の音楽で、バルトークとは作風が相当違います。また、全曲通して50分という長大さに加え、第3楽章のスケルツォ以外は全て抒情楽章というさらなる体感時間引き延ばし工作には、普通なら悶絶するところですが、意外と最後まで聴けました。確かに冗長ではあるが上手い具合にメリハリが付けられており、不思議と眠くなりませんでした。まあ、人気がブレークしそうな予感もないですけどね。大野さんの生真面目さはここでも活きたと思います。出だしは上々でしょう。
 曲人気でも雲泥の差がありそうな「弦チェレ」と「シュミット4番」、ほぼ同時期に書かれたこれら2曲の対比がまた面白い一夜でした。


2014.11.04 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Chloë Hanslip (violin-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第2番 ニ短調(ホッガー補完版)
2. ディーリアス: ヴァイオリン協奏曲
3. ウォルトン: 交響曲第1番

 2週間ほど前のサントリーホールに続く都響の英国音楽特集第二弾。最初のノーフォーク狂詩曲第2番は、作曲者の死後に復刻、補筆完成された曰くつきの曲です。日本初演はおろか、これが英国以外では初の演奏会だそう。「ウィリアム・テル」序曲を思わせるチェロの出だしからして第1番とはだいぶ空気が違います。民謡に取材していながらも、旋律的にはかなり甘めのロマンティックな作りで、まるで映画音楽のような箇所もあり。受け入れられる要素をたくさん持っている力作で、埋もれてしまうには惜しい佳曲と思いました。
 続いて、クロエ・ハンスリップは2010年にウィーンでウォルトンの協奏曲を聴いて以来の2度目です。4年ぶりですが、それでもまだ27歳、若い!けど外見はさらに「肝っ玉母さん」化していました。さてディーリアス自体ほとんど聴いたことがない私は、もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初耳。ハンスリップは楽譜を立てて演奏してましたから、彼女にとってもチャレンジなんでしょう。想像していた通り、叙情的な曲想がずっと続く癒し系の曲で、仕事帰りに聴くにはさすがに眠かった。ですので、ようわかりまへん、すいません。ハンスリップは、前に聴いた印象よりはだいぶ角が取れ丸くなったような気がしました。と思ったら、アンコールはラトヴィアの作曲家プラキディスの「2つのキリギリスの踊り」という不気味な小ピース。やっぱりちょっと尖った人のようです。
 ウォルトンの交響曲第1番は難曲として知られていますが、これも全編通してちゃんと聴いたのは初めてで、頭にあったイメージとは随分違って驚きました。もちろん演奏難易度は非常に高そうですが、曲調は決して難解ではなく、むしろハリウッド超大作のようにハイカロリーで派手な曲。終楽章など、そのままハリーポッターのエンドクレジットで流れていても違和感ない感じです。この曲は、理屈抜きにカッコいい。もちろん、ブラビンスのツボを押さえた聴かせ方あってのことなんでしょう。オケは前回同様よく鳴っていたし、ことウォルトンに関しては、曲の魅力が十分に伝わりました。こういう演奏会に巡り合ったときは、本当に、指揮者とオケに感謝です。この日は客もノリノリで、終演後も満場の拍手。疲れの溜まった時期だったのですが、無理をしてでも聴きに行って良かったと思います。


2014.10.20 サントリーホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Steven Osborne (piano-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第1番 ホ短調
2. ブリテン: ピアノ協奏曲 op.13(1945年改訂版)
3. ウォルトン: 交響曲第2番

 都響の英国音楽特集。今更のようですが、かえってロンドンでは英国音楽を聴く機会がほとんどなかったので、どの曲も初めて聴く曲ばかりです。ブラビンズもイギリスの中堅指揮者のようですが、ロンドン在住時、オーケストラの演奏会情報には隈なく目を通していたはずなのに、その名前にどうも記憶がありません。Wikipediaを見てみると、2011年のBBCプロムスでブライアン「ゴシック交響曲」を指揮とあって、そうかこの人か。この演奏会はアルバートホールには行けなかったけど、Radio 3で聴いたのを思い出しました。
 初めての曲ばかりなので、まあさらりと感想を。ノーフォーク狂詩曲は、いかにもといった民謡調の曲ですが、これがまたさらりと聴き流してしまう、引っかかりのない曲です。英国音楽のこの「無表情な素朴さ」が、どうも苦手かもしれない。ヴィオラが重要な役割を負っているのに、ちょっと弱いかも。ブリテンのピアノ協奏曲は、4楽章構成の長大でごった煮のような曲でした。うーむ、よくわからんかったのは承知の上で、以前同じブリテンの「チェロ交響曲」や「パゴダの王子」を聴いた時に覚えた逃げ場のない冗長感がぶり返し、この曲を好きになるにはそうとうハードルが高そうかなあと。オズボーンのピアノは、飛び跳ねて、叩く叩く。この人の元気の良さだけやたらと印象に残りました。なお、アンコールはドビュッシーの何かを弾きました(後で調べたら、前奏曲集第2巻の「カノープ」だそうです)。
 ウォルトンのシンフォニーを一度ちゃんと聴いてみようというのが、この英国音楽特集2夜を聴きに来たほぼ唯一の動機でした。その点は幸い、ブラビンズはさすが十八番だったようで、実に手慣れた棒さばき。オケは安心して着いて行き、最後までヘタレず、この曲の実像を余すところなく見せ切ったと言えるのではないでしょうか。意欲作だけに決して耳に優しい曲ではないですが、初めて聴くのに展開がいちいち腑に落ちるのは、文脈をちゃんと心得ているからでしょう。ノーマークでしたが大した職人です。次も俄然楽しみになりました。


2014.10.05 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Santtu-Matias Rouvali / 東京交響楽団
Michael Barenboim (violin-2)
1. プロコフィエフ: 交響曲第1番 ニ長調 作品25「古典交響曲」
2. プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 作品63
3. プロコフィエフ: バレエ音楽「ロミオとジュリエット」作品64(抜粋)
 (1) 情景
 (2) 朝の踊り
 (3) 少女ジュリエット
 (4) 仮面舞踏会
 (5) モンタギュー家とカピュレット家
 (6) 踊り
 (7) 修道士ロレンス
 (8) ティボルトの死
 (9) 別れの前のロミオとジュリエット
 (10) 朝の歌
 (11) ジュリエットの墓の前のロミオ〜ジュリエットの死

 初めてのミューザ川崎。台風近づく大雨の中、客入りはせいぜい半分くらいと寂しいものでした。このホール、一度来てみたいと思いつつ、改修工事で閉鎖になっていたこともあり今までタイミングが合いませんでした。螺旋状に繋がっている上階の客席がユニークで、あからさまに非対称なコンサートホールは日本では珍しいです。私の経験では海外でも、タイプは違いますが、ベルリンのフィルハーモニーとミュンヘンのガスタイクくらいですか。まあ楽団の楽器配置や楽器そのものは全然左右対称じゃないので、デザイン性を横目で見ながら、こういう設計も解としては十分ありなのでしょう。
 今日は初物づくしで、東響も、サントゥ=マティアス・ロウヴァリも実は初めてです。ロウヴァリはまだ28歳のフィンランド人。年齢といい、モジャモジャ頭といい、ロビン・ティッチアーティとキャラがちょっとカブってますね。私も最初チラシを見たとき、一瞬「ティッチアーティが来るんだ」と勘違いしました。小柄ながらもダイナミックな棒さばきで、テンポを細かく揺らしながら、いろいろと仕掛けてくる指揮者だなという印象です。例えば「古典交響曲」第3楽章のガヴォットで、不意にねじ切るような終わり方は、あっ、バレエを意識しているなと(この曲は「ロミオとジュリエット」の舞踏会場面でも使われます)。でも「古典交響曲」として演奏しているときにその小技は唐突だし、ある意味あざとい。この人がこの芸風を若くして極めることができたらマゼールになれる、かも?ただしオケの応答は、キレと機動性に欠けて今一つの滑り出し。
 続くコンチェルトではこれまた28歳のバレンボイムジュニアが登場。この人は2年前のBBCプロムスでウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラを聴いた際のコンマスとソリストをやってました(指揮はもちろんお父ちゃん)。うーん、よくわからんです。顔は父親そっくりですが、驚くほどオーラがない。「巧い!」と思わせる技巧を持っている訳でもない。擬古典的で上品な、ハッタリの効かないこの選曲もどうなのかと。案の定、盛り上がるポイントを誰もつかめず終わってしまいました。まだ若いと入っても、ヴァイオリニストで28歳と言えば芸風は固まっているはず。この先の伸びしろはあんまり期待できないかも。アンコールはバッハ無伴奏ソナタ第3番のラルゴ。これまた微妙な感じで。アンコールくらい得意中の得意曲をやればいいのになあと。
 メインの「ロメジュリ」は、これを目当てに家族ではるばるやってきたようなもんです。「ロメジュリ」の演奏会用組曲は、作曲者自身が編したものをその通りにやる人はほとんどなく、皆さん演奏会でもCDでもいろいろ変えてはくるけれども、私的にしっくりくる選曲に巡り会ったことは一度もありません。今日の選曲はミュンシュ/ボストン響のレコーディングに倣っているそうで、第2組曲を中心に、第1、第3からも要所を付け足し、物語の順序に並べ換えたもので、理にはかなっています。私としては、この曲は是非前奏曲から開始してもらいたいし、「ロミオとジュリエット」でバルコニーのシーンがないのは「画竜点睛を欠く」と言わざるを得ない。まあ、そこまでやったら長くなっちゃうし、似た曲想が繰り返されて少々しつこくなってしまうんですけどね。選曲のウンチクはともかく、ここでもロウヴァリの指揮はテンポをこまめにいじくって、アイデア投入型の音楽作りでした。ただしこの人、実演のバレエの指揮はやったことないんじゃないかと思いました。何にせよ、メインは特にオケがいっぱいいっぱいだったので、指揮者のコントロールがどこまで表現されていたのかどうか。特にホルンのハイトーンは常に厳しい状況でしたから、ならばトラを入れるとか、プロとしてのレベル感はちゃんとしたものを出して欲しかったです。それでも、オケ全体の鳴りとしてはなかなか良い瞬間もあって、来シーズンのプログラムがけっこう面白いこともあって、また聴きに行こうという気にさせるには十分なパフォーマンスでした。


2014.09.09 サントリーホール (東京)
下野竜也 / 読売日本交響楽団
1. ハイドン: 交響曲第9番ハ長調 Hob.19­
2. ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調 WAB.109

 先週に引き続き読響。下野竜也は多分初めて聴きます。まず1曲目はハイドンの「第九」。なぜに第9番かと言えば、メインがブル9なので番号を合わせた、以上の脈絡はないと思いますが、有名どころの「交響曲第9番」はどれも大曲なので、確かに他の選択肢があるとしたらモーツァルトかショスタコーヴィチくらいですか。ハイドンの第9番は、第1番を書いた5年後くらい、作曲者30歳のときの作品なので、意外と年食ってからの曲なんですね。ちなみにモーツァルトが交響曲第9番を書いたのは16歳ごろのようです。本題に戻ると、もちろん私は全く初めて聴く曲で、3楽章形式ですが4楽章型の舞曲(メヌエット)楽章で終わるような中途半端感が残る曲でした。ハープシコードの通奏低音付きでしたが、他の楽器の演奏は見たところ普通にモダンでした。
 さてメイン。先日のアルプス交響曲を聴いて、もっと金管の洪水のようなブル9が、果たしてまともに演奏できるのか不安を覚えましたが、なかなかどうして、よくまとまった演奏にほっとしました。全体的にブラスは控えめで、特にトランペットが埋もれ気味だったのはかえって良かった。バランスを考えたコントロールは間違いなく指揮者の手柄でしょう。どちらかというときびきびとした進行ながらも、メリハリがあるのでスケール感は出ていて、納得感のある演奏解釈でした。個人的にはもうちょっと低音が効いた重厚感が出ているほうが好みなのと、後半木管が上ずり気味でピッチも怪しくなったり、コーダのワーグナーチューバが厳しかったのがちょい残念ではありましたが、それはオケの力量の限界の話で、それでもこれだけの好演を引き出した下野は相当デキる奴、との認識を持ちました。是非欧米の馬力オケでこれを振って欲しいものです。


2014.09.03 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Cornelius Meister / 読売日本交響楽団
Alice Sara Ott (piano-1)
1. ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15
2. R. シュトラウス: アルプス交響曲 作品64

 8月はシーズンオフだったので久々の演奏会。アリス=紗良・オットはロンドンでも第一線で活動していましたが何故か縁がなく、初めて聴きます。深紅のドレスにDesire(by中森明菜)のオカッパヘアーで登場した実物の紗良オットは、確かに可愛い。顔は変わらず童顔ながらも、髪を切ってずいぶんと大人の色気が出たような気がします。さてその力量はどんなもんぞや、モーツァルトのような長い序奏が終わって入ってきたピアノは、全く肩の力が抜けたベートーヴェン。最上級のテクニックを持ちながらもそれをほとんど意識させない、コントロールされたナチュラルさが見事。学究肌のペリオディックでもない、男勝りに骨太でもない、彼女自身の自然体としか言いようがない、女性らしい演奏スタイルと見受けました。軽めのリリックと言ってしまえばそれまでですが、徹底した姿勢は十分に個性を感じました。バックのオケも全くのロマン派スタイルで、終止ソリストを立てた「合わせ」の演奏でした。指揮者は楽章の間隔を置かずに進めたかった様子でしたが、第1楽章の最後の残響がまだたっぷり残っているうちに起こり始めた咳ばらい(先頭切ったのは何を隠そう臨席のおっさんでしたが)に邪魔され、思いっきり憮然としていました。
 アンコールは意外にも「エリーゼのために」。ある意味、勇気ある選曲です。ここでもまた、プロの「エリーゼ」を見せつけちゃるぜ、というような気負いや仕掛けは一切なく、あくまで曲を素直に研ぎすましたピュアな演奏がかえってプロの凄みを滲ませていました。
 メインの「アルプス交響曲」はちょうど2年ぶりくらい。前回聴いたハイティンク/ウィーンフィルの鉄板Aクラスと比べたらそりゃいかんでしょうが、それにしてもやっぱりこの曲はたいへんなのね、というのを再認識しました。オケは全体的にがんばっていて、ホルンなどは結構良かったと思いますが、他の管楽器は正直苦しい。特にトランペットは、できればミキサーで落としたいくらい邪魔でした。長丁場聴いているのは苦痛で、失礼ながらもこれがオケの力量の限界かと。
 名前からして「巨匠」なこの若手指揮者は、英国ロイヤルオペラも振ったことがあるらしいですが、私は記憶になく。この大曲に暗譜で望む姿勢は評価できるものの、場面ごとの表現、色づけとかはまだ全然説得力がなく、自分の音楽が完成するのはまだまだこれからかと。弦を対向配置にしながらもヴィオラとチェロを入れ替えたそのこだわりは、そもそもこのオケでこの曲をやるには不発だったでしょう。20世紀の大規模管弦楽は、素直にモダン型(低音を上手に集めたアメリカ式)採用でよろしい。個人的な楽しみであった打楽器の派手な活躍は、ウインドマシーンがきめ細やかに回転を変えて表情ある風を作っていたのに対し、サンダーシートは向きが悪くてほとんど聴こえず、不発でした。


2014.07.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第10番嬰へ長調 (クック補完版)

 インバルは今年の4月から桂冠指揮者に退いたので、大野和士が正式着任する来年4月まで都響の音楽監督は空位なんですね。それはともかく、今日(と明日)の演奏会は、インバル/都響が2012年から取り組んできた第2次マーラー・チクルスの番外編で、「ありがとうインバル」の送別的意味合いが強いです。
 3月の第9番はたいへん充実した演奏でしたが、今日もまた、驚くべき完成度に仕上げてきたこの人たちには降参するしかありませんでした。特に第1楽章の集中度は、先のフルシャのときと比べても明らかにテンションが違います。もったいぶらずに冒頭から本題をサクサクと語っていくような進行で、大仰にテンポを揺らしたり、音量を極端に押さえつけたりという彫りの深い表現がなかった分、このアダージョが全く新たな大曲の開始というよりは、第9番の終楽章から繋がった音楽であることを意識させるプロローグになっていたかと思います。
 第2楽章が終わると小休止を入れ、インバルはいったん引っ込みました。チューニングをやり直すと、第2楽章で多少緩んできたかに聞こえた音が、短い第3楽章のプルガトリオで再びキリっと瑞々しさを取り戻しました。その後は最後までブレークなしで緊張感を切らさず進みます。太鼓叩きとしては聞き逃せない、終楽章の大太鼓連打では、わざわざそれ専用に深銅の2台目を用意。奏者は女性でしたが、黒布をかぶせてミュートした、ドライで腹に突き刺さる強打は立派なもの。終演後、ティンパニよりも先に立たされる大太鼓奏者というのも珍しいことです。また、大太鼓強打にかぶさるフルートは、京大オケ出身の主席寺本さんが渾身の濃密ソロを聴かせてくれました。ホルンとトランペットは、若干きつい箇所もありましたが総じて素晴らしいできばえで(インバルのときは魔法のように音色が変わり、音が確実になります)、指揮者が真っ先に立たせ讃えたのも納得できる健闘ぶりでした。このように管・打楽器が光ったのも、最後まで集中力が切れなかった弦アンサンブルのリードがあってのこそ。私も正直第1楽章以外は退屈に思っていたのですが、最後まで飽きることなく聴き通せました。指揮者のタクトが下ろされた後、いつものように叫びたいだけ人のウソくさいのとは違って、心から絞り出されたようなブラヴォーがとっても印象的でした。
 さて、久々に100%日本で過ごした今シーズン(欧州に倣い9月開幕でカウント)は、ライブビューイング3件を除くと結局22回の演奏会に行きました。月平均2回のペースは最盛期と比べたら3分の1以下ですが、何としてもこれを聴いておかねば、という動機付けが極端に難しくなった環境の中で、まあまあ精一杯の数字でした。在京プロオケの様子はだいたいわかったので、来シーズンはさらに厳選して通うことになりそうです。


2014.06.27 サントリーホール (東京)
Pietari Inkinen / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. シベリウス: 交響詩《夜の騎行と日の出》
2. マーラー: 交響曲第6番《悲劇的》

 すいません、このインキネンというフィンランドの若い指揮者は名前も知りませんでしたが、経歴を見るとロンドンとは縁がなかったよう。本職はヴァイオリニストみたいです。このプログラムは2011年に行うはずが、東日本大震災のおかげで中止になり、3年を経てようやく実現したファン待望の演奏会とのことだそうです。そのわりには空席が目立ってましたが。
 1曲目、シベリウスのこの曲は初めて聴きます。著名度ベスト3と言えるフィンランディア、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲の後に作曲された最壮盛期の作品ですが、どうも私はシベリウスが苦手というか、よくわかりません。突き放して接してしまうと着想の退屈さを感じるばかりで、よっぽど体内リズムと合わないのかなあと思わざるを得ない。タイトルのごとく馬が疾走する場面の音楽がキレ悪く、インキネンさん、大仰な指揮ぶりでバトンテクは優秀なんだろうけど、もうちょっと縦線はそろえてくれんかのー。
 最初はLAゾーンで聴いてたのですが、がら空きだったので休憩時間に下の席に移動。メインのマーラー6番は特によく聴きに行く曲ですがこのところチャンスがなくて、実演は2年前のBBCプロムス(シャイー/ゲヴァントハウス管)以来です。スローペースの行進曲で始まった第1楽章は、やはり縦の線がおおらか。今回金管はなかなか頑張っていて、特にホルンのトップは単に巧いというよりもさらに上位の、世界で通用する「音」を手中にしている素晴らしい奏者と思いました。
 中間楽章の順序はスケルツォ→アンダンテといういにしえのスタイル。ここ10年の間に聴いた演奏を思い起こすと、スケルツォ→アンダンテを取っていたのはハイティンク、マゼール、ビシュコフ、ヴィルトナー、その逆のアンダンテ→スケルツォはハーディング、シャイー、ビエロフラーヴェクでした。スケルツォ→アンダンテのほうが若干多めですが、判断は二分されていると言ってよいでしょう。ただしインキネンのように若い指揮者がスケルツォ→アンダンテを採用するのは珍しいと思います。
 楽章を追うごとに指揮者も奏者もどんどん疲弊してきて、まず木管が先に脱落、ピッチが合わなくなってくきてヤケクソ気味の音になっておりました。最後に意表をつかれたのは、3回目のハンマーが正しく初稿通りの第783小節で打ち下ろされたこと(手持ちのCDだとバーンスタインが3回目のハンマーを叩かせてますが、楽譜指定とは違う第773小節でした)。中間楽章の順序は未だ両者の解釈がせめぎ合う中、ハンマーを3回叩くのはさすがに昨今の実演ではほとんど聴かれなくなっていると思います。私も実演では他に記憶がありません。小ぶりのハンマーを両腕を使い刀を振り下ろすかのごとくぶっ叩くのは、なかなか気持ちのよい瞬間でした。
 全体的には、息切れしながらも最後までよくがんばった演奏、と言えそうですが、オケの力量の上限を見てしまったのもまた事実。ただそれよりも、インキネンは北欧人らしいシュッとした若者のくせに、やってる音楽が「昭和」(「前世紀」というよりもこのほうが年代的にもしっくりきます)の大家風の域を出ず、もちろん本人はまだ「巨匠」では全くないので、求心力も包容力も深みも貫禄も、まだまだこれからの話。何が一番気に入らなかったかと言えば、まあそんなところです。
 余談ですけど、私はNAXOSレーベルへの録音実績を誇らしげに経歴に書き込むアーティストは大成しないと思ってます。自分は容易に置き換え可能な存在です、と自ら表明するようなもので、芸術家の姿勢としては、むしろ恥ずかしげに隠すものではないのでしょうか。(今回の場合、日フィルのプログラムに載っているインキネンの経歴が本人承諾の文章なのかはわからないので、評価は保留してますが。)


2014.06.25 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
Piotr Anderszewski (piano-2)
1. オネゲル: 交響的楽章第1番《パシフィック231》
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番 Sz.119
3. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《春の祭典》

 注目株のフルシャ/都響を聴くのは、昨年11月以来です。まず1曲目の「パシフィック231」を実演で聴くのは初めて。有名な曲ですが、あんまりプログラムに上らないかも。冒頭の甲高い汽笛の後、早速機関車が起動しますが、重々しくてキレがなく、ダラリとした走りっぷりは全く意外でした。リアリティを狙ってやってるのかもしれませんが、描写としてはリアルでも、音楽が表現したかったのは当時の人々の「衝撃」だったと私は思うので、それが伝わってこないのはオケの限界か、はたまた、演奏解釈としては弱いんじゃないかと。
 続いてバルトーク。ピアノの編んでるシェフ好き、じゃなくてアンデルシェフスキは1年ほど前にロンドンで1度聴いていますが、言うなれば超天然系。今日も我が道を行く、今まで聴いたことがないバルトークでした。昨今のバルトーク弾きは技術度でいうと相当に高度な人ばかりかと思うのですが、ミスタッチなど全く気にする様子がない自由奔放ぶりがたいへん新鮮だったのと同時に、スタイリッシュでピカピカした演奏にはない、東欧の空気がしっかりと流れていた気がしました。ただし、ピアノに引きずられたのか、オケにはまだキレ戻らず。拍手に気を良くしたアンデルシェフスキはピアノに座るなり弾き出したのがバルトークの「チーク県の3つの民謡」。譜面通りじゃないものをいっぱい盛り込んだ、個性的ながらも正統派の民謡アプローチ、と後から無理矢理に解釈を当てはめてはみたものの、本人はけっこう思うに任せて気ままに弾いているようにも思えました。もう1曲、知らない曲でしたがどう聴いてもバッハ(パルティータからサラバンド、らしいです)を弾いてくれて、最後まで期待を裏切らない超ユニークな演奏で楽しませてくれました。
 メインの「ハルサイ」を日本のオケで聴くのはよく考えたら初めてかも。オケは良く鳴っていましたが、バーバリズムを押し出す演奏ではなくて、リズムのキレはやっぱり悪かったです。破綻とまでは言わないにせよ、トランペットとホルンはちょっと厳しかった。全体的にいっぱいいっぱいという感じで余裕がなかったです。ちょうど今朝見たサッカーW杯日本代表の試合のようなもどかしさ。まあ、一流オケの奏者でも、何度やってもこの曲を演奏するときは緊張して、個人練習に力が入ると言いますし。奏者にとって気の毒なのは、ハルサイの場合、聴衆のほうも曲を熟知しているのでごまかしようがない、ということですか。話を戻すと、若さに対して多少先入観があったのかもしれませんが、フルシャはリスクを取ってオケを振り回すようなキャラではなく、意外と老獪なセンスが持ち味の人で、ハルサイのようなヴィヴィッドな曲は案外得意じゃないのか、と思えました。


2014.06.20 すみだトリフォニーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Isabelle Faust (violin-1)
1. ブラームス: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op. 77
2. ブラームス: 交響曲第4番ホ短調 op. 98

 トリフォニーホールは1998年以来ですから、16年ぶりですか。個人的な利便性からもっと通いたいホールなんですが、新日本フィルとアマオケが多いようで、なかなか「買い」の演奏会がタイムリーに見つからず1年が経ちました。
 今日は前回に続き、ハーディングのブラームスシリーズ第2弾。ヴァイオリン協奏曲は超有名曲なのに何故か縁がなく、初めて実演で聴きます。イザベル・ファウストは3年前の山田和樹/BBC響で聴いて以来ですが、そのときは現代音楽だったので演奏はよく憶えていません。前回はかぶりつき席だったのですらっと長身に見えたのですが、今日のように引きで見ると、小柄なハーディングよりもさらに小さい、華奢でボーイッシュな中性おばさんでした。そのヴァイオリンは、知的でデリケート。熱に浮かされるでもなく、雄弁に語るでもなく、虚飾を排した音と真摯に向き合い丁寧に紡いでいくという演奏で、内面的な志向が私にはちょっと五嶋みどりを思わせました。おそらく(というのは私はこの曲をよく知らないので)パーフェクトに近い演奏だったのでしょう、充実感に溢れた満面の笑みで聴衆に応えていました。アンコールは最近こればっかり聴くバッハのサラバンド。これまた独特な味わいのユニークな演奏でした。
 メインのブラ4。前回サントリーホールで聴いたブラ2、3があまりにも酷かったので正直今日は全く期待してなかったのですが、こないだよりはずっと良かったです。少なくとも、概ねちゃんと音が出てました。先日を聴いてない妻は「この楽団はプロなの?」と、せっかくのハーディングなのにがっかりした様子でしたが。それにしてもハーディングのブラームスはぎこちない表情付けで、無茶な揺さぶりもあり、けっこうヘンな演奏です。オケは、ボウイングが適当ながらも、弦はまだましで、管楽器の集中力がなさ過ぎなのが、全体の品格を落としてます。まあそれでも、衝撃的だった前回のダメダメぶりは払拭されていたので、まだ安心しました。
 本日の収穫は、客演奏者として入っていたチェロの飯尾久香さんという方。目に優しい正統派美人です。客演なので、次はどこでお見かけすることになるやら…。


2014.05.16 NHKホール (東京)
Jesús López-Cobos / NHK交響楽団
Johannes Moser (cello-2), 林美智子 (mezzo-soprano-3)
1. アルフテル: 第1旋法によるティエントと皇帝の戦い (1986)
2. ラロ: チェロ協奏曲 ニ短調
3. ファリャ: バレエ音楽「三角帽子」

 翌日からのタイフェスティバルの準備でドリアンの香り漂う夕刻の代々木公園を突っ切り、5年ぶりのNHKホールへ。音響的にもアクセス的にも、できたらこのホールは避けたいのですが、このプログラムはここでしかやらないので仕方がない。
 1曲目は現代スペインの作曲家クリストバル・アルフテルの「第1旋法によるティエントと皇帝の戦い」という、作曲者も曲名も全く初めて聴く演目です。途中、えげつない不協和音を使ったりはするものの、本質は保守的な調性音楽に見えます。シロフォン2台に加えてマリンバと、色彩はやや硬質。最後のほうは民謡に取材したような展開が続き、位置づけとしては外山雄三の「ラプソディ」みたいなもんか、とふと思いました。それにしてもNHKホールの3階は音響がイマイチ。低音が届かないし、分離が悪くて何だかよくわからない音塊になるので、特にこの曲ような大編成には向かない環境です。ホールはバカでかいですが、むしろ小編成の古典楽曲のほうが向いてるんじゃないかと感じました。初めて見るロペス・コボスは、写真で見るよりずっとスマートでダンディなじいちゃんでした。
 続くラロのチェロ協奏曲も初めて聴く曲。そもそもラロと言えばほとんど「スペイン交響曲」しか知りませんが、こちらもスペイン情緒ある曲ながら、比べるとずっとフォーマルでよそ行きな印象です。チェロがあまりにも「主役」過ぎて、協奏曲というよりも管弦楽伴奏付きソロ曲の趣きがあります。さてそういった、民族ルーツはスペインのフランス人が書いた曲を、ドイツ生まれのカナダ人であるモーザーが演奏する、というインターナショナルな状況の中、そんなに濃いスペイン色を感じなかったのは致し方ないかもしれません。モーザーはよく歌うチェロで、全編通してのちょっと堅物的なカンタービレもさることながら、第2楽章中間部などでの肩の力が抜け切った軽口風チェロが絶妙でした。掛け値なしに上手い人だと思います。
 メインは待望の「三角帽子」。全曲版はCDこそ多数出ているものの、組曲版と違って演奏会のプログラムに乗ることはめったになく(これだけ愛して探し求めていた私がそう思うのだから間違いない)、実演で聴くのは初めてです。指揮者は願ってもない、スペインの巨匠ロペス・コボス。やはりご当地もので得意曲なんでしょう、このての曲では珍しく、全編暗譜で振ってました。聴こえてくる音は最初のアルフテルの曲とは違い、とてつもなくリズムにキレがあって、音の整理もスッキリしていて見通しやすいです。このところ在京のプロオケをいろいろと聴き比べてきた中であらためて思ったのは、さすがは腐ってもN響、管楽器奏者の一人一人の安定感はさすがに別格です。特にファゴット、コーラングレ、ホルン、トランペットなど、ロペス・コボスの速めのテンポにも振り落とされずに自分の仕事を全うしていました。メゾソプラノは最初舞台の中程で、次の出番には舞台袖から歌っていましたが、正直言うと、あんまし上手いとは言えないかなーと。元々出番は少なく、満を持しての歌唱にしては存在感を残せなかったのが残念。3階席には相変わらず低音が響いて来ない、と言う点を除くと、滅多に聴けないこの曲を専門家の手できびきびと聴かせてくれた演奏会にたいへん満足しました。ただし最後の一発は意図せず(してないと思います)何かが抜けちゃったようにパンチ不足で、そこが致命的な不満でした。ともあれ、以前はあまり好印象がなかったN響でしたが、在京オケの中での存在感をあらためて感じたのが収穫でした。


2014.05.12 東京文化会館 大ホール (東京)
Eugene Tzigane / 東京都交響楽団
1. ラヴェル: 道化師の朝の歌
2. ラヴェル: 組曲《クープランの墓》
3. トゥリーナ: セビーリャ交響曲 op.23
4. レスピーギ: 交響詩《ローマの祭》

 ユージン・ツィガーンは日本人の母親を持つアメリカ人指揮者ですが、名前から推測すると民族的ルーツはロマ系ハンガリーでしょうか。顔の外見は北方よりも南方、もろラテン系の感じでしたが。ユージンと言えば、まず思い出すのはピンク・フロイド、次にオーマンディ…。
 さて今日は、コストパフォーマンスで定評のある東京文化会館の5階席を初体験してみました。奏者の息づかいまで聴こえるかぶりつき席が好みの私は、今までなら絶対選ばない(そこしか無いなら行くのを止める)席ですが、東京の演奏会の価格設定にはそろそろ疑念を抱いてきており、各ホールでいろんな席を試しているところです。5階席は椅子が高くて斜度が急なのに転落防止の柵もないので、ちょっと恐いです。高所恐怖症の人には向かないでしょう。天井が近いせいか、ステージとの距離があるわりには至近距離のボリューム感があります。ダイナミックレンジが広くて分離は悪くなく、大太鼓もマンドリンもよく聴こえました。演目にもよりますが、確かにコスパの良い席と認識しました。それにしてもここは、不思議なホールです。側面の壁のよくわからんオブジェとか、下に凸の天井とか、反響を複雑にしていると思うのですが、昔からどこに座っても悪い音に当たった記憶があまりありません。
 本日のプログラムはフランス、スペイン、イタリアのラテン系世界遺産ごちゃまぜ風ですが、1曲目の「道化師の朝の歌」はラヴェル得意のスペイン趣味に溢れた曲なので、スペイン色が若干強いですか。個人的にはあまり聴かない曲で、前回聴いたのはもう5年も前のミュンヘンフィルですが、その遥か以前にこのホールで聴いた山田一雄の生前最後の演奏(オケは新響)がアマオケとは思えない豪演で度肝を抜かれたのをおぼろげに憶えています。ツィガーン/都響のはあまりスペインっぽくなくて、躍動感に欠けリズムに乗り切れてないせいかと思ったのですが、身体がまだ温まってなかったかも。
 続く「クープランの墓」、これは実演で聴くのは初めて。こちらは擬古典的フランス風の小洒落た小品で、ぐっと絞った編成でより透明度の高い演奏になってました。しかし、全体的にもっと柔らかい音が欲しいところ。トランペットなんかちょっとヤケクソ気味で、私的にはぶち壊しでした。
 3曲目のトゥリーナ「セビーリャ交響曲」は全く初めて聴く曲です。コンセプト的には「ローマ三部作」のスペイン版のような写実的交響詩ですが、これは正直言って曲がつまらない。楽想から構成から色彩感から、どこを見てもレスピーギとは比類のしようもなく、この曲がポピュラリティを獲得できなかったのもむべなるかな。
 ここでやっと休憩、前半はちょっと冗長でした。後半メインの「ローマの祭」は大好きな曲ですが、この曲には深みなんかよりもっと直裁的にフィジカルなカタルシスを求めます。金管が最後までヘタレず、オケがガンガン鳴っていれば基本はOKの曲ですが、そう言う意味ではホルンもトランペットもトロンボーンも、各々に残念な箇所はあり、厳しいかもしれませんがインバル指揮のマーラーで見せたような集中力をここでも発揮してもらいたかったところです。ただし最後の畳み掛けは無理をしてでもリズムの加速優先であるべきで、そこは私の好みとも一致して、都響のプロの意地を垣間見ました。計10人の大打楽器チームも健闘しました。この曲はやっぱり生で聴くのが格別ですわ。とここで思い出した余談は、この曲を初めて生で聴いたのも山田一雄(オケは京大)だったなあと、しみじみ…。
 今日のプログラムだけでは何ともわかりませんが、ツィガーンはオケのドライブはちゃんとできるし、スマートなハンサムボーイで見栄えも良いんですが、時には泣き、時には土臭く歌う情感の引出しがまだ少なそうなのと、小さくまとまっていて、カリスマ性というかオーラが足りないです。時には斧を振り回すような狂気を目指してもよいんではないでしょうか。
 あとさらに余談は、上から見ていてふと目に止まった優香似の美人ピッコロ奏者。あとで調べたら、中川愛さんという、東響から都響へ昨年移籍したフルーティストだそうです。今後、都響の演奏会では要チェックです!(何を?)。


2014.05.10 みなとみらいホール (横浜)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
小林美樹 (vn-1)
1. コルンゴルト: ヴァイオリン協奏曲
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番

 みなとみらいホールは超久しぶりです。確か前に行ったのは前世紀かと。
 今日は山田和樹のラフマニノフが聴きたいがために遠路横浜まで出てきたので、コルンゴルドはソリストの名前も知らないし、正直全く期待してなかったのですが、予想外に良かったので得した気分でした。1990年生まれの小林美樹さん、チラシを見た限り、今流行?のぷにぷに系アイドル・アーティストとして売り出したいんだけど事務所がまだそれほどはやる気になってない、という十把一絡げ的な香りがだいぶしたのですが、やっぱり演奏家はまずは音を聴いてから判断しなくてはなりませんね。舞台に登場した小林さん、確かにぽっちゃり系なんですが、実物は写真よりもずっとキュート、という普通とは逆のパターン。意外と体格はがっしりとしていて、男勝りに音がしっかりしており、2階席まで十分な芯を持ちつつ届いていました。時々雑に響くところもありましたが、情緒的でも感傷に走らない大人の表現力は、単に「上手い」以上のプラスαを持っています。ふくよかな二の腕から奏でられる「男のロマン」を体現したようなヴァイオリンは、ジャニーヌ・ヤンセンとかサラ・チャンの系列ですかねえ。また、その若さにして終始落ち着いたマダムの振る舞いは、大した肝の座り方と感服しました。オケもメリハリが利いていて、ソリストを盛り立てました。今後小林美樹の名前を見つけたら、安心して積極的に聴きにいきたいと思います。
 メインのラフマニノフ第2番。山田和樹がBBC響を振ったロンドンデビューの演奏会を聴き、ざっくりとした全体像を上手く抽出してみせて最後まで見失うことなくオケを鳴らせる人、という印象だったのですが、その後BBC Radio 3で放送された当日のライブを録音し、繰り返し聴くうちに、マクロだけじゃなく、特に第2楽章、第3楽章ではミクロにもいろいろときめ細かいリードを利かせていることに気付き、BBC響の卓越した演奏能力も相まって、その演奏が益々好きになりました。日本のオケを相手に同じことがどこまで出来るのか心配もあったのですが、期待を裏切らずきっちりと自分の音楽を作っていたので感心しました。前と同じく遅めのテンポながらも、コンパクトでクリアな印象を与える見通しの良い演奏です。ゆったりやるとゆうに1時間はかかる長大な曲ですが、長丁場を全く飽きさせないのはロードマップが明確で、音の整理がしっかりとできているからでしょう。オケも最後まで破綻せずによく鳴っており、クラリネットもホルンもソロで美しい見せ場をきっちりと作り、そりゃあBBC響のレベルには届かないとしても、プロの仕事として素晴らしい仕上がり。はるばる横浜まで聴きに来た甲斐は十二分にありました。
 あらためて思いましたが、山田和樹はホンモノです。音楽の充実とオケの鳴りっぶりを聴くに、今の日フィルとの良好な関係もうかがえます。しかし、それでもあえて思ったのは、彼には出来るだけ「一流の楽器」を与えてあげて、グローバルスタンダードの世界でタフに成り上がって欲しい、ということ。ヨーロッパの活動を優先し、年に1回くらいは日本に帰ってくる、くらいの露出感でも全く良いのではないかと。


2014.05.02 サントリーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. ブラームス: 交響曲第2番ニ長調 op.73
2. ブラームス: 交響曲第3番ヘ長調 op.90

 新日フィルはえらい久しぶりですし、ハーディングも3年ぶりなので、このところレギュラーで組んでいる両者がいったいどんなことになってるか、楽しみでした。ふむ、このブラームスプログラムの曲順は、2番が後、じゃないのね。3番をメインに持ってくるのは何かしら狙いがあるのかな。
 まず第2番ですが、のっけからテンションが低い。あえてキツく書くと、冒頭からもう管の音はプロのそれではない。弦も痩せていて、重低音まるでなしのさらさらふわふわ。何がやりたいのかわからない、以前に、何もやりたくなさそうに聴こえました。これがハーディングの目指すブラームス?確かに、彼のブラームスはCD含めてまだ聴いたことがなかった。ただ、同じ席で先日都響を聴いたときとは全然違う音響でしたし、ハーディングがロンドン響を振ったときの音作りはずいぶん骨太なものだったので、音の貧弱さは席のせいでも指揮者のせいでもなく、オケのせいであることは明白。見たところ、別にナメているわけではなくて、真面目にやってはいるんだろうけど、力が全然及んでないという感じです。新日フィルってこんなにひどかったっけ?と、軽いショック。ハーディングもそれはわかった上でクールに流し、終楽章コーダでようやくエンジンをかけてピークを作っていくも、トランペットなんかあからさまに真っ向勝負から逃げる始末。うーん、この演奏でブラヴォーを叫べる人は、普段一体どんな演奏を聴いているんだろう?
 続く第3番は第2番よりも落ち着いた曲調なので、テンションが低くてもまだ多少はサマになってましたが、オケのバランスがいびつなのは相変わらず。ロングトーンすらまともに出来ない管は、先日聴いたワセオケのほうが全然ましと思えるくらい。弦もボウイングが適当で揃ってないし、低音は腹に響いて来ない。キズばかりに目が行ってもしょうがないと、聴いてる途中ちょっと反省したのですが、持ち上げる部分は最後まで見つかりませんでした。久々に、時間とお金の無駄だったと心底思ってしまった演奏会でした…(大した席じゃないのにけっこうチケット高いんすよ)。
 ハーディングのようなメジャー級が毎年客演に来てくれるのだから日本の楽壇もなかなか捨てたものではない、と行く前は思っていたのですが、以前の東フィルといい、新日フィルといい、ハーディングってもしかしてオケの品質には全然こだわりがないんじゃないか、とも思えてきました。来月のブラ4はもうチケット買ってますし、来シーズンのブルックナーやマーラーも「買い」かなと思ってたのですが、高いチケットに見合うだけのものは微塵も得られないのではないかと、だいぶ気持ちが萎えてます。


2014.04.29 Live Viewing from:
2014.04.28 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: The Winter's Tale
David Briskin / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Edward Watson (Leontes), Lauren Cuthbertson (Hermione)
Zenaida Yanowsky (Paulina), Federico Bonelli (Polixenes)
Sarah Lamb (Perdita), Steven McRae (Florizel)
Joe Parker (Mamillius), Bennet Gartside (Antigonus)
Thomas Whitehead (Polixenes' steward), Gary Avis (father shepherd)
Valentino Zucchetti (brother clown), Beatriz Stix-Brunell (young shepherdess)
1. Joby Talbot: The Winter's Tale

 2011年の「不思議の国のアリスの冒険」以来の、ウィールドン&タルボットによる長編物語バレエです。ロイヤルバレエの新作を日本に居ながらほぼリアルタイムで見ることができるとは。ライブビューイング様様です。
 「アリス」では特殊効果の映像を多用してファンタジーの世界へ誘う演出でしたが、今回は原点に立ち返り、できるだけ人の動作でストーリーを伝えようとしています。序曲で話の前段をテンポよく表現していったのは、上手いと思いました。振付けは全般的にユニークで、前衛舞踏のように変な動きも入っていて、心に引っかかりを残します。特に第1幕で妊婦のカスバートソンが執拗にいたぶられるのは、あえて不快感を残すまで狙ってやってると思いました。ワトソンの狂気とヤノウスキの忠心はどちらも素晴らしくハマっていて、これらの役は彼らの色があまりにも濃く付いてしまうので、他のダンサーを寄せ付けなくなってしまうのがちょっと危惧されました。プリンシパル6人はもちろん皆さん超一流でしたが、重みで言うと、あとの4人の役は誰がやってもできそうな「軽さ」で、コントラストがありました。
 暗くて暴力的な表現が多かった第1幕と比べ、第2幕は明るい農村で助かりましたが、民族音楽に乗せて躍動的な群舞が延々と続くわりには第1幕よりも退屈しました。まず、音楽が単調。はっきり言って長かった。東欧風民族音楽ベースで押し通すには、バリエーション(のリサーチ)が足りなさ過ぎでしょう。また、慣れのせいかもしれませんが、変拍子リズムにオケがついていけてない。この幕でようやく登場、マクレー・ラムのペアは美男美女で相変わらず全てが美しいのですが、この二人は何度見ても「燃え上がる男女」には見えません。クール過ぎてパッションがないのです。素人の見方なので的外れだったらすいませんが、マクレーはこのくらいのパドドゥだったら余力十分、身体能力を持て余していたんではないでしょうか。
 第3幕はシェークスピアの原作通りに話を拾っていって終結に向かいますが、納得いかないことが多々。エメラルドの首飾りは、ボヘミア王もシチリア王も、すぐ気付けよ。そもそも、盗品かもしれないんだし、これだけで何故に王族?隠れてた王妃は16年経っても同じ容姿なの?だいたい、娘が生きてて、王妃も生きてて、めでたしめでたしって、ちょっと待て、両親の諍いに心痛めて死んでいった息子ちゃんの立場は?などなど、突っ込みどころ満載の話を「喜劇」としてまとめるならまだしも、このように悲劇性を強調した演出にしてしまったら、また何度でも観たいかと言われたら、当分はいいや、という気になります。ということで、なかなか見応えのある新作バレエではありましたが、また観たいなと思うのは「アリス」や「レイヴン・ガール」のほうですね。
 ロイヤルバレエのライブビューイングもこれで3回目ですが、前の2回とは違って今日は一人で見に来ている人が多かったように見えました。2014-15シーズンの予定も発表になってまして、家族としての注目は12月の「アリス」と来年5月の「ラ・フィユ・マルガルデ」、個人的にはまだ観たことが無い「マホガニー市の興亡」くらいですか。でも一番楽しみなのは来年2月のMETライブビューイング、「青ひげ公の城」です。


2014.04.25 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《火の鳥》
2. ニールセン: 交響曲第4番《不滅》

 日フィルに行くのは10数年ぶりで超久々、山田和樹は3年前のBBC響以来です。楽章切れ目なしのビッグピースを2つ並べた超重量級プログラムは、まさに私好み。
 前に聴いた時、山田和樹は細部にこだわるよりも全体の流れを上手く形作ってわかりやすく見せることができる、往年の巨匠の芸風を持った人、という感想でしたが、今日の「火の鳥」ではちょっとそれが裏目というか、オケの限界と曲自体の冗長さが際立ってしまってました。おそらく組曲版であれば上手くハマるのでしょうが、一幕のバレエ音楽では流れをそう単純化はできず、結果途中間延びしてしまう箇所がいくつかありました。こういうときにギャップを埋めてくれる管楽器の個人技があればなあ、と感じるのは無いものねだりでしょうか。一方、クライマックスである魔王カスチェイの踊りでは、小径で深胴の大太鼓を力任せにぶっ叩く暴れっぷりが実に壮快。この快感はライブじゃないと味わえません。なお、トランペットを2階席に配置するなど、何かしらの音響効果を狙った仕掛けがなされていましたが、音量・音圧を補う役目でもなかったので、これは効果のほどがよくわからなかったです。
 メインの「不滅」は、比較的ゆったり目のテンポで開始。「火の鳥」では時々引っかかったリズムのキレの悪さも(多分オケが引きずってますが)、この曲ではそんなに気にならず、おおらかでシンフォニックな展開は、まさに往年の巨匠風です。いろいろ聴いていると、こういうのは実はニールセン演奏としては邪道なんだろうなと感じてきますが、きっかけはバーンスタインで中学のときこの曲にハマった私としては、山田和樹の演奏は心にたいへんしっくりと染み入ります。本日最大の目玉である終結部のティンパニのかけ合いは、先ほどの大太鼓に負けじと渾身の力で叩き込み、期待を裏切らぬド派手な応酬で、たいへん満足しました。やっぱりこの曲は実演で聴くに限りますね。ただしスコアの指示では2組のティンパニをステージの両端に置かなければならないのに、第1が舞台奥中央、第2は向かって右奥という中途半端な配置が残念でした。一方、一つ感心したのは、ティンパニの並び方が一方はドイツ式(右手が低音)、他方はアメリカ式(左手が低音)だったこと。これは二人の奏者が各々たまたまそういう習慣だっただけなのかもしれませんが、対向配置という意味では非常に理にかなっており、目から鱗でした。
 終演後は奏者のところまで行って一人一人立たせるのは、ロンドンで見たときと同じ。ヨーロッパ在住で、スイス・ロマンドの首席客演指揮者でありながら、日本で数多くのアマオケも引き受けているようで、飛び回り過ぎなのがちょっと心配です。せっかく欧州に足がかりができてきたのなら、佐渡裕みたいに無理矢理でもどっしりと腰を下ろして活動すればよいのに、と思ってしまいますが、外野が憶測するよりもずっと厳しい世界なんでしょうね。


2014.04.19 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Christian Ostertag (guest concertmaster)
Nikolai Demidenko (piano-2), Laura Aikin (soprano-3)
1. シェーンベルク: 弦楽のためのワルツ
2. リスト: ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
3. マーラー: 交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」

 昨年末にバルトークを聴いて、ちゃんと仕事をしてるなという好印象だったカンブルランと読響。元手兵の南西ドイツ放送響からゲストコンマスを迎えたのも、自分の音楽を妥協なく響かせたいとの芸術の良心と捉えました。ところが聴き手のワタクシ自身は、土曜日のマチネで普段より寝不足ではなかったはずなのですが、溜まっていた週の疲れがどっと出て、前半戦はほとんど沈没していたという体たらく。1曲目はシェーンベルクが無調になる前のゆるキャラ小品で、こいつが一気に眠りを誘いました…。次のソリストのデミジェンコは3年前にロンドンで1度聴いていますが、あまり音が澄んでいないのに小技中心の内向きなピアノに、これまた睡魔が勝ってしまいまして…。アンコールで演奏されたメトネルの「おとぎ話」という小品が、すっかりリラックスしていて良かったです。メトネル自体を知らなかったので後で調べてみると、ロシア出身だがロンドンに移住して活躍したというのがデミジェンコと共通点なんですね。
 というお恥ずかしい状況で、何とか物が言えるのはメインのマーラーだけなのですが、この日はとにかくローラ・エイキンを聴きたいがために正面席のチケットを買いました。新婚旅行のウィーンで、ほとんど人生初めてと言える本格的オペラ体験が国立歌劇場で観た「魔笛」だったのですが、そのとき「夜の女王」で拍手喝采を一手に集めていたのが、まだメジャーでは駆け出しの頃のエイキンでした。その後のエイキンが「ルル」でブレークしたのは認識していましたが、けっこう長かったヨーロッパ音楽鑑賞生活の中でも何故かニアミスすらなく、名前もほとんど忘れていたところ、今回思いがけずその名前を見つけ、これは行かねばならぬと。
 カンブルランのマーラーは多分ブーレーズみたいなんだろうかと想像していたら、よく考えるとブーレーズの4番は聴いたことがなかったです。冒頭の鈴はリタルダントにつき合わずフェードアウト。その後もインテンポですいすいと進んで行きますが、弦がいちいちレガートが利いててやけに美しいです。ブーレーズと言うより、まるでカラヤン。途中フルートのユニゾンの箇所も濁りが一切なく完璧な美しさ。ユダヤの粘りなどまるで関係ない洒落た演奏でしたが、第1楽章に限って言えば、思わず拍手をしたくなったくらい、世界のどこに出しても恥ずかしくない素晴らしい演奏でした。それが第3楽章まで来ると、チューニングもけっこう乱れてきて、だんだんとグダグダになってきました。うーむ、馬力勝負の曲じゃないのに、やっぱりスタミナがないんかなあ…。弦は相変わらず統率が取れていて良いんですが、全体的にテンポの揺さぶりに着いていけず引きずってしまう箇所が散見されました。終楽章は待望のエイキン。想像よりもずっと老け顔で、だいぶ身体にも貫禄がついてきて、普通のオペラ歌手としたら全然標準でしょうけど、「ルル」をやるにはちょっともう厳しいかと。記憶に残っているような圧倒的な歌唱を期待したのですが、さすがにコロラトゥーラで売っていたころとは違い、すっかり枯れた味わいでした。調子が悪かったのかもしれませんが、高音が伸びず、声が通らないところを老獪な表現力でカバーする、という感じでした。第1楽章のテンションを維持してくれてたら、という思いがあるので後半は辛口になってしまいましたが、全体を通して良質の演奏ではあったと思います。体力が残っていたらこの後川崎に移動し、当日券狙いで東京交響楽団のマーラー9番を聴きに行こうと考えていたのですが、けっこう満足したし、身体がかなり疲れていたのでハシゴは止めました。
 さて土曜日マチネの客層はシニア世代の率が非常に多かったです。それは別にいいとしても、何故あんなに演奏中に物を落とすか。あっちでカラン、こっちでバサリと、手元のおぼつかない人が多くて閉口しました。落とす可能性のあるものはバッグにしまい椅子の下に置いておく、演奏中にアメを探してバッグをまさぐらない、というのは、マナーにうるさい日本じゃなくても常識だ、と思いたいです。


2014.04.05 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 5
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Jendrik Springer (music preparation), 田尾下哲 (video)
Egils Silins (Wotan/baritone), Boaz Daniel (Donner/baritone)
Marius Vlad Budoiu (Froh/tenor), Arnold Bezuyen (Loge/tenor)
Tomasz Konieczny (Alberich/baritone), Wolfgang Ablinger-Sperrhacke (Mime/tenor)
Frank van Hove (Fasolt/bass, Ain Angerの代役), In-Sung Sim (Fafner/bass)
Claudia Mahnke (Fricka/mezzo-soprano), Elisabeth Kulman (Erda/alto)
藤谷佳奈枝 (Freia/soprano), 小川里美 (Woglinde/soprano)
秋本悠希 (Wellgunde/mezzo-soprano), 金子美香 (Flosshilde/alto)
1. ワーグナー: 『ニーベルングの指環』序夜《ラインの黄金》(演奏会形式・字幕映像付)

 東京春祭で結構高品質のワーグナーをやってると、前から噂では聞いてたので、今年からはリングのシリーズが始まるということで楽しみにしておりました。
 まず、今日はN響には珍しく、外国人のゲストコンサートマスターが出てきたのが意表を突かれました。おそらくヤノフスキが手兵のオケから連れて来たであろうこのライナー・キュッヒルばりの禿頭のコンマスは、素晴らしく音の立ったソロに加えて、オケ全体にみなぎる緊張感が実際タダモノではなく、今まで聴いたN響の中でも間違いなくダントツ最良の演奏に「これは良い日に当たったものだ」と喜んでいたのですが、その段に至っても、このコンマスがまさかキュッヒル本人だったとは、演奏中は何故か全く想像だにしませんでした。いったいどういう経緯でN響のコンマスを?こんなサプライズがあるもんなんですねえ〜。
 記録を調べてみるまでは記憶が曖昧だったのですが、今日の出演者の中で過去に聴いたことがあるのは以下の4人でした。ヴォータン役のシリンスは2011年にロイヤルオペラ「さまよえるオランダ人」のタイトルロールで(急病シュトルックマンの代役として)。アルベリヒ役のコニエチヌイは2010年のBBCプロムス開幕「千人の交響曲」と、2013年のハンガリー国立歌劇場「アラベラ」のマンドリーカ役で。フリッカ役のマーンケは2007年のフィッシャー/ブダペスト祝祭管「ナクソス島のアリアドネ」(終幕のみ、演奏会形式)のドリアーデ役で。そしてエルダ役のクールマンは2012年のアーノンクール/コンセルトヘボウのロンドン公演で「ミサ・ソレムニス」を聴いて以来です。
 私はワーグナー歌手に明るくないのですが、実際に聴いた限りで今日の歌手はともかく粒ぞろい、穴のない布陣でした。ヴォータン役のシリンスはソ連のスパイみたいなイカツい顔で、キャラクター付けがちょっと固過ぎる感じもしましたが、細身の身体に似つかない低重心の美声を振り絞って、堂々のヴォータンでした。それにも増して存在感を見せていたのはアルブレヒ役のコニエチヌイ。昨年の「アラベラ」でもその太い声ときめ細かいの表現力に感銘を受けたのですが、得意のワーグナーではさらに水が合い、八面六臂の歌唱はこの日の筆頭銘柄でした。ベズイエンのローゲ、アブリンガー=シュペルハッケのミーメはそれぞれ素晴らしく芸達者で、くせ者ぶりを存分に発揮してました。
 一方、数の少ない女声陣は、フリッカ役のマーンケはバイロイトでも歌っているエース級。いかにもドイツのお母さんという風貌で、声に風格と勢いがありました。ごっつい白人達に混じって、フライア役の藤谷さんも声量で負けじと奮闘していました。ラインの川底の乙女達は声のか細さ(特に最後の三重唱)が気になりましたが、これも周囲があまりに立派だったおかげの相対的なものでしょう。演奏会形式では演技のない分、常に前を向き、歌に集中できるのも、総じて歌手が良かった要因でしょうね。
 御年75歳のヤノフスキは、「青ひげ公の城」のCDを持ってるくらいで実演を聴くのは初めてでしたが、うそごまかしのないドイツ正統派の重鎮であり、オケの統率に秀でた実力者であることがよくわかりました。オケはキュッヒル効果で全編通してキリっと引き締まり、この長丁場でダレるところもなく、ヤノフスキのタクトにしっかりついて行ってました。こんなに最後まで手を抜かず音楽に集中するN響を、初めて見ました。トータルとして、今の日本で聴ける最上位クラスのワーグナーだったと思います。ただ一つ、スクリーンの画像は、この演奏には気が散って邪魔なだけ、不要でした。さて来年の「ワルキューレ」が俄然楽しみになってきましたが、皆さん元気で、どうかこのテンションが4年持続しますように。


2014.03.20 Live Viewing from:
2014.03.19 Royal Opera House (London)
Valery Ovsyanikov / Orchestra of the Royal Opera House
Marius Petipa (Choreography)
Frederick Ashton, Anthony Dowell, Christopher Wheeldon (Additional Choreography)
Sarah Lamb (Princess Aurora), Steven McRae (Prince Florimund)
Christopher Saunders (King Florestan XXIV), Elizabeth McGorian (His Queen)
Kristen McNally (Carabosse), Laura McCulloch (Lilac Fairy)
Yuhui Choe (Princess Florine), Valentino Zucchetti (The Bluebird)
1. Tchaikovsky: The Sleeping Beauty

 昨年末の「くるみ割り人形」に続き、ロイヤルバレエのライブビューイングを見に行ってみました。妻のお目当てはもちろんマクレー様。2011年にオペラハウスで見た際はマクレー&マルケスのゴールデンコンビだったんですが、芸術監督がオヘアに変わってからマルケスはちょっと冷遇されているようで、栄えあるライブビューイングのオーロラ姫はクール・ビューティーのサラ・ラム。マクレーとのペアは、どちらも本当に佇まいの美しい、ある意味よく似たお二人なのですが、あまりにもクールで完璧過ぎて、暖かみに欠ける気がしました。たとえローズアダージョが少々危うくても、マルケスのあの明るさと過剰な顔芸が、実はマクレーとの相乗効果でお互いよく引き立っていたんだな、と今更ながら思いました。そう言えば、サラ・ラムも今回のローズアダージョは意外と余裕ないなと思ったのですが、そんなことより、「不思議の国のアリスの冒険」を見て以来、ローズアダージョの音楽を聴くとハートの女王の爆笑パロディがどうしても瞼に浮かんできます、どうしてくれよう。
 ライブビューイングの司会進行は前回と同じく元プリンシパルのダーシー・バッセル。休憩時のオヘアのインタビューでは日本語字幕がなくなるのも前と同じなので、ここだけは台本なしでやってるんでしょうね。ライブビューイングの映画館は千葉県の田舎でも6割くらいの客入りで、ほとんど女子。バレエスクールから団体で来ているっぽい集団もいましたが、引率の白人先生以外は皆女の子で、なるほど、日本ではかのように男性バレエダンサーの層は薄いのだな、とあらためて認識しました。次のライブビューイングは「不思議の国のアリスの冒険」のウィールドン/タルボットのタッグが手がける新作「冬物語」。ロイヤルの新作が日本に居ながらリアルタイムで見られる機会などそうそうないし、プリンシパルをずらりと揃えたキャスティングも非常に楽しみです。


2014.03.19 サントリーホール (東京)
第33回 東芝グランドコンサート2014
Vasily Petrenko / Oslo Philharmonic Orchestra
諏訪内晶子 (violin-2)
1. モーツァルト: 歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492
2. メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64
3. マーラー: 交響曲第1番ニ長調「巨人」

 オスロフィルも、ワシリーのほうのペトレンコも、生は初めて聴きます。この1週間で3回目のサントリーホールですが、行けなくなった人からチケットを譲ってもらい、予期せず久々に「欧州の息吹き」に触れることができてラッキーでした。
 今日は東芝グラコンですからゲストも豪華、開演前に突如三枝成彰が出てきて長々と曲目解説してました。モーツァルトの説明では演目と全然関係ない「レクイエム」発注の逸話を持ち出して、「今話題のゴーストライターだったんですね」などと茶化してましたが、この人、佐村河内守の交響曲第1番「HIROSHIMA」を、著名作曲家つまりスペシャリストの立場からいち早く絶賛していた「共犯」だったのでは?
 さてそのモーツァルト、軽いジャブで、ヨーロッパクオリティとしては至って普通なんでしょうが、さっそくその雰囲気に呑まれました。2曲目のメンデルスゾーンでは深紅の衣装の諏訪内晶子登場。諏訪内さんは3年前ロンドンで聴いて以来です。さすがにこの曲は弾き慣れていらっしゃるようで、テクニックは盤石で素晴らしい。2階席にもよく届く響きのいいヴァイオリンですなー。ある意味ドライで、音符の処理はたいへん上手いんだけれども、ソリストが伝えたいものがよくわからないというか、心が伝わって来ない演奏ではありました。アンコールはバッハの無伴奏パルティータの確か「ルーレ」でしたが、これはちょっと…。ツアーの疲れが出たかような揺らぎでピリッとしませんでした。
 メインの「巨人」でやっとオケと指揮者の力量が測れます。おっ、第1楽章のリピートは省略か、今どき珍しい。どうも管楽器に名手はいなさそうです。木管は音に濁りがあるし、ホルンもちと弱いな。ヤンソンス統治の伝統か、弦はそれなりに厚いです。ワシリー君はそのイケメンぶりに似合って、なかなか格好のいいバトンさばきで、テンポ良くぐいぐいと進めます。ユダヤの血がどーのこーのは一切排除した、スタイリッシュで粘らないマーラー。その是非はともかく、ちょっと急ぎ過ぎで音の処理が雑に思える箇所が散在しました。まあしかし、「巨人」であれば十分に「アリ」なスタイルです。第2楽章も主題の1回目だけアゴーギグをかけて、あとはサラリとしたもの。第3楽章はさらに磨きがかかり、冒頭のコントラバスソロがこれだけ澄んだ音色で演奏されるのを初めて聴きました。終楽章も翳りなくあっけらかんとした、後腐れのない「これが青春だ」のマーラー「巨人」でした。最後の金管パワーは圧巻で、さすがヨーロッパのオケは基礎体力が違います。ツアーの日程見ると12日からほぼ毎日全国を飛び回っており、時差ボケもあってだいぶお疲れのはずなんですが、最後まで息切れしないのはたいしたものです。まだ一流とは言い難いところはいろいろあれど、こんだけの芸を見せられる日本人の指揮者と日本の楽団は、正直いませんよね、残念ながら。
 アンコールはハンガリー舞曲の第6番。極端にアゴーギグをかませるそのスタイル、どこかで聴いたことがあるぞと思ったら、あっ、コバケンだった。そういえば今回の来日プログラムはショスタコ5番とマーラー1番だったのですが、この組み合わせは1979年のバーンスタイン/NYP来日公演を思い起こさせます(私は聴けなかったけど)。あるいは、「巨人」の後のアンコールでハンガリー舞曲第6番というのは、ヤンソンス/コンセルトヘボウの得意技でしたね。ワシリー君もちょっとずつ、いろんな先人巨匠の影響下にあるのかもしれません。


2014.03.17 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

 インバルのマーラーは、4年前にロンドンでフィルハーモニア管との「復活」を聴いて以来です。その時はフェスティヴァルホールのリアストール後方席だったので、ステージが遠くて音がデッドな上に、深く覆いかぶさった二階席のおかげで最悪の音響のため全然楽しめませんでした。今日もストールの後方だったのですがそこはサントリーホール、二階席が覆いかぶると言ってもフェスティヴァルホールより全然浅く、ブラス・打楽器が直に飛び込んでくる好みの音響で安心しました。
 さて全体を通しての印象は、繊細で丁寧なマーラー。解釈はくっきりとしていてわかりやすい。例えば、タメるところは聴衆に「ここはタメである」とはっきりわからせるような演奏でした。それでも軽くなったり、下品になったりしないのは、楽器バランスとダイナミックレンジが適正にコントロールされていたから。緊張感溢れる第1楽章に続き、息抜きの第2楽章は写実的な田舎風。第3楽章の前で指揮者は一度袖に引っ込み、オケは軽くチューニングし直しましたが、多少くたびれてきていた音色が一転、再び研ぎすまされて光沢が出たのには感心しました。激しい第3楽章で音量が爆発しても、金管は一貫して柔らかい音を出していたので、日本のオケでこれだけ余裕のある演奏もなかなか聴いたことがありません。第4楽章がこれまたドラマチックな入魂の熱演で、ホルンは地味ながらも頑張ったし、クライマックスで弦はボウイングなんか気にせず各人が粘る粘る。ラストの消えゆく弦の弱音は極めてデリケートで、最後まで集中力を欠かさない、たいへん上質の演奏でした。
 今日のマラ9は、この曲のベストかと問われればYESと答えられないけれど、ここまで何回か都響を聴いてきて、一流の指揮者が指揮棒一つでしっかり自分の音楽を作れるだけの地力がオケにあるのだな、と思い知らされました。こんなこと、ロンドンでは当たり前だったかもしれませんが、ここらあたりじゃ全然当たり前じゃないという事実をふと思い出させる一夜でした。


2014.03.16 東京文化会館 小ホール (東京)
東京・春・音楽祭《兵士の物語》
長原幸太 (vn/元・大フィル首席CM), 吉田秀 (cb/N響首席), 金子平 (cl/読響首席)
吉田将 (fg/読響首席/SKO首席), 高橋敦 (tp/都響首席), 小田桐寛之 (tb/都響首席)
野本洋介 (perc/読響), 久保田昌一 (指揮), 國村隼 (語り)
1. ストラヴィンスキー: 兵士の物語

 10年目を迎える東京ハルサイに行くのは初めてです。この10年ほとんど日本にいなかったので仕方がない。ワーグナーのオペラと室内楽がプログラムの中心なので、私的にはビミョーな音楽祭ですが、今回は「兵士の物語」を國村隼の日本語ナレーション付きでやるというので。
 演奏はこの企画のための特別編成で、読響、都響、N響などから首席奏者が集った、日の丸精鋭アンサンブル。演奏は、個々の人は確かにそれなりにキズのない演奏をしているのだけれど、楽譜が追えたらOKの完全なお仕事モード。音を楽しみ、人を楽しませるという音楽の原点を忘れているというか。いかにも打ち解けてない感じの一体感のないアンサンブルだったし、バランスが悪くてナレーションをかき消してしまったり、果たしてやる気はどのくらいだったのか。一昨年聴いたLSOの首席陣による至高のアンサンブルとは、もちろん比べてもしょうがないのでしょうが、「プロ度」という観点では、日本のトップ達はまだまだこんなもんかと、ちょっとがっかりしました。
 最近富みにテレビ・映画で見かける個性派俳優、國村隼のナレーションは出だしから飾り気なく朴訥で、淡々と進みます。後半で悪魔が激高するときに頂点を持ってきてメリハリをつけるという組み立てだったので、トータルの印象としてはテンションの低い時間が多い、眠たいものでした。この人の味は何といってもその「顔」であって声じゃないんだな、と、あらためて思いました。國村隼が声優とかラジオドラマとかDJとか、やっぱりピンと来ないもの。


2014.03.13 サントリーホール (東京)
山下 一史 / 早稲田大学交響楽団
1. R.シュトラウス: 交響詩「ドン・ファン」
2. R.シュトラウス: 楽劇「サロメ」より7つのヴェイルの踊り
3. ブルックナー: 交響曲第7番ホ長調 (ノヴァーク版)

 先月の慶應ワグネルに続き、今月はワセオケです。曲も慶應がマーラー7番だったのに対し、早稲田はブルックナー7番、対極の大曲でがっぷり四つの対局となりました(まー、まさか選曲は対向して決めているわけじゃないから偶然でしょうけど)。
 さて、例によって天気は暴風雨の荒れ模様、最近こんなのばっかですが、そのせいかどうか、満員御礼だったはずなのに客席は空席がちらほら。ワグネル同様、学生オケは曲によってメンツがガラリと変わります。1曲目の「ドン・ファン」は多分下級生の若い団員中心だったと思うんですが、いっぱいいっぱいを超えていて、ちょっとキツかった。これは選曲が背伸びし過ぎでしょう。上級生があたり前にやっているからと言って、「ドン・ファン」をなめちゃダメですな。次は管楽器奏者を総入れ替えしての「7つのヴェールの踊り」。弦は同じメンツなのでまだキツめでしたが、木管の個人技が光り、多少大人の落ち着きになってきました。
 メインで出てきたのがワセオケの「一軍」なんだと思いますが、無駄なメンバーがいなくて、さすがに休憩前とはレベルが違いました。今日は実は、初めて聴く山下一史の指揮も楽しみにしていたんですが、やけに淡々としていて、お仕事モードという感じ。そのせいもあって、オケもアマチュアらしい熱気が感じられなくて、上手いのだけど小さくまとまってしまったのが残念。どちらかというと私はこの曲が苦手というか、人気曲なのにその良さがイマイチよくわからないんですが、今日もその考えが変わることはなく、ちょっと退屈しました。
 アンコールは「都の西北〜」の早稲田校歌。うーむ、そういう会だったのね。どうりでアウェイ感が拭いきれなかったわけだ…。


2014.02.15 サントリーホール (東京)
大河内雅彦 / 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
1. ベートーヴェン: レオノーレ序曲第3番
2. ワーグナー: 歌劇『さまよえるオランダ人』序曲
3. マーラー: 交響曲7番ホ短調『夜の歌』

 しばらくぶり、今年初の演奏会。慶應ワグネルは昨年10月の公演を聴く予定が、台風来襲のため行くのを断念したので、これが初鑑賞になります。よほど天候に嫌われているのか、今回も大雪の影響で交通ダイヤは乱れておりましたが、幸い大きな問題もなく会場には行けました。しかし、満員御礼だったはずが、やはり来るのを止めた人は多かったみたいで、空席がちらほら目立ちました。
 さて初めて聴く慶應ワグネルは学生オケですから曲によってステージに上る奏者が変わります。最初のほうの曲は年次の若い人が多く、初々しい感じですが、こっちがすっかり年を取ってしまったもので、メインの曲でも皆さん十分に若々しい。総じて感じたのは、メンツが入れ替わっても極端にレベルの違いはなく、思ったよりずっと上手かったということ。まあ人海戦術のおかげもあるんでしょうが、そのへんのヘタレプロオケよりもむしろ馬力があり、最後までヘコたれない根性がありました。弦楽器のボウイングも統率取れているし、ずるく逃げると言うと語弊がありますが、破綻しないすべを心得ている。トレーナーがよほどしっかりしているんでしょう。上級生になればさすがにソリストに達者な人が多く、ヴィオラ、トランペット、フルート、ティンパニは特に印象に残りました。久々に聴いたマーラー7番、心地良く堪能できました。ロンドン、ブダペストでも学生オケをいくつか見てきてその比較で一つ苦言を言うならば、ワグネルはもっと笑顔が欲しいです。皆、顔が真面目過ぎ。
 このオケは4年に1回ヨーロッパ演奏旅行をしていて、今年もプラハ、ミュンヘン、ウィーン、ブダペストに行くようです。日本のプロオケはめったに海外に行かないので、日本で最も頻繁に海外公演をしている楽団じゃないかと思ったら、早稲田のオケは何と3年に1回ペースで演奏旅行しているようです。いやはや、さすが早慶、こんなところでも競い合ってますな。個人的にはドイツ、オーストリアばかりの早稲田より、プラハとかブダペストにも行ってくれる慶應に好感が持てますが。


INDEX