クラシック演奏会 (2013年)


2013.12.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
庄司紗矢香 (violin-1)
Markus Eiche (Kékszakállú/bass-2)
Komlósi Ildikó (Judith/mezzosoprano-2)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
2. バルトーク: 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)

 拙HPの演奏会備忘録にある通り、2003年以降に出かけた演奏会は全て記録を付け統計を取ったりしておりますが、この10年で同じ曲を繰り返し聴いた回数のベスト3は、私の場合「くるみ割り人形」「青ひげ公の城」「バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番」なのでした。従って今日の演目は、自分的には一粒で二度美味しい最強のプログラムです。
 庄司紗矢香さん、ロンドンにもよく来ていましたがタイミングが合わず、生演は今日が初めてです。インバルは昨年チェコフィルをドヴォルザークホールで聴いて以来。コンチェルトは、冒頭ハープのメジャーコードから、焦らず急がずのゆっくり進行。ただ遅いだけじゃなくて、スルメを噛みしめるようにスコアをしゃぶりつくします。音楽の縦軸としては、輪郭を際立たせた透明度の高い演奏と言えるのでしょうが、横軸の流れが悪いのが気になりました。つまり、この曲はバルトークにしては曲構成の緻密さがユルく、まともに演奏すればブツ切れの断片寄せ集めになってしまいがちなので、ソリストを巻き込んだ何かしらの「ドラマ」を作って横の流れを上手く繋いでいく工夫が、まさに指揮者の腕の見せ所だと思っているのですが、インバルはぶっきらぼうに、断片は断片のまま突き放します。庄司紗矢香もこの難曲を涼しい顔をして澱みなく弾いていましたが、全体的にニュアンスが足りない、というか、ない。指揮者と独奏者のインタラクションをあまり感じられず、盛り上がれないままちぐはぐに終わった印象を受けました。席が横のほうでヴァイオリンの音が直接届かなかったので、かぶりつきで聴いたらまた印象は違うのかもしれません。少なくともソリストは満足していないなと感じたのは、アンコールでハンガリー民謡の編曲を演奏した際、それまでとは打って変わって活き活きと前に出る音で、私もやればこのくらいはできるのよ、というささやかな抵抗にも思えました。
 さて、メインの青ひげ公。欠かせない曲の一部であるはずの吟遊詩人の前口上を省略し、前半に輪をかけての超遅い開始に、かなりいやな予感がしました。が、幸いそれは杞憂でした。徐々にヴェールを脱ぐように見えてきたのは、オケがさっきとは違い、ドラマがあること。ダイナミクスとテンポを細やかにコントロールした説得力のある劇的表現で、明らかにインバルはアプローチを変えてきています。都響は元よりしっかりとした音を出しているのに、第5の扉ではオルガン前に金管のバンダを揃えて盤石の音圧補強。第7の扉の最後に青ひげ公が「4番目の女は〜」と歌い出す直前の、私の特に好きな場面では、一瞬の空気の変化をすっきり際立たせてユディットの心の揺れを演出。正直、9月に聴いた井上/東フィルとは、失礼ながら役者が違いました。インバル、天晴れです。
 3年ぶりくらいに見るコムローシ・イルディコはさらに巨大になっていましたが、彼女独特の、強がり女の劇場型ユディットは健在。今日のインバルの演奏にはたいへんよくマッチしていました。未知数だったスイス人バリトンのマルクス・アイヒェは、非ハンガリー人なのでそんなに期待はしていなかったのですが、どうしてどうして、素晴らしい歌唱。ちょっと声質は軽い気がしますが(青ひげ公はやっぱりバスのほうがいいと思う)、この役に生真面目に取り組んでいるのがよくわかり、好感が持てました。後半でも、惜しむらくは、席。やはり歌手ものはフンパツしてでも真正面の前のほうで聴くべきだったと反省しきりです。


2013.12.13 Live Viewing from:
2013.12.12 Royal Opera House (London)
Tom Seligman / Orchestra of the Royal Opera House
Peter Wright (choreography, production & senario)
Marius Petipa (original scenario)
Laura Morera (The Sugar Plum Fairy), Federico Bonelli (The Prince)
Gary Avis (Herr Drosselmeyer), Francesca Hayward (Clara)
Alexander Campbell (Hans Peter/The Nutcracker), Yuhui Choe (Rose Fairy)
1. Tchaikovsky: The Nutcracker

 初ライブビューイングです。日本に居ながらもほぼリアルタイムでロイヤルバレエが見れる貴重な企画だし、昨年の「くるみ割り人形」はブダペストで見たのでロンドンでは見ず、今年は見に行く予定がなく年末恒例の「くるみ割り人形」が途絶えてしまうところだったので、ちょうどよい機会でした。
 ライブとは言っても時差があるので実際は中継録画ですが、前夜のパフォーマンスを1回限りの上映ですから貴重なワンチャンスです。19時15分に上映開始ですが、ダーシー・バッセルを司会に据えて、15分ほど前ふりが続きます。日本語字幕付きでギャリーさんの作品解説や、バレエスクールの様子、オリジナルの振付け師ピーター・ライトがレッスンを見に来たシーンなど、なかなか興味深い映像でした。
 その後カメラはオペラハウスのオーディトリウムに切り替わり、指揮者が登場してようやく開演です。ライブビューイングの日はさすがにオケも手堅い演奏をしていましたが、これは映画館のせいなんでしょう、音響があまり良くなかったので音は不満でした。まあ、もちろん生と比べるのは無い物ねだりですが…。一方、バレエはだいたいオーケストラストールかストールサークルの最前列で見ることが多かったので、普段見たことがなかったアングルのシーンがいっぱい見れたのは新鮮でした。ただ、好きなときに見たいところをオペラグラスでアップで見る、というのができないのはちょっともどかしかった。
 第1幕が終わるとちゃんと20分間の休憩があり、またバッセルの司会でチェレスタ奏者とケヴィン・オヘアへのインタビューがありました。このインタビューのところだけ、ふと気付くと字幕が出てなくて、見に来ていた大勢の子供さんは戸惑ったのではないかな。インタビューが終わって第2幕のあらすじに戻るとまた字幕が復活していたので、最初から台本で決まっている部分だけ、各国語の字幕が用意されているんでしょう。
 本日のプリンシパルはモレラとボネッリ。モレラは上手い人なんですがクセのある役専門なので、シュガープラムにはちょっと違和感が…。身体も筋肉質で重量感があり、リフトではボネッリの顔が歪んでましたので(こういうのがアップになるから面白い、いやいや、辛い)実際重いんでしょう。花のワルツのユフィちゃんは相変わらず可憐です。足ワザの技巧は大したものだと素人目にも思いましたが、モレラと比べたらやっぱりスケール感がないなあと、前にも思った感想をまた感じてしまいました。平野さん、小林さん、高田さんも健在のご様子。クララを踊ったフランチェスカ・ヘイワードという人は記憶になかったんですが、ロイヤルのバレエスクールを出たばかりの若手とのこと。若いわりには女の色気があって、やけに艶っぽくなまめかしいクララが面白かったです。是非、お色気路線を突っ走って欲しいと思います。
 つい半年前まで日常あたり前に目の前に広がっていた舞台が、もうスクリーンの向こう側、はるか遠くにしかないんだなあとしみじみ思い、ちょっと淋しくなりました。何にせよ、日本に居てもこうやって最新の舞台を見れるというのは有り難いことです。また行きたいと思います。ROHライブビューイングの今後の予告で、3月の「眠れる森の美女」のキャストにマクレー様の名前を見て、妻の目が眼鏡の奥でキラリと光ったのを、私は見逃しませんでした…。


2013.12.10 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
金子三勇士 (piano-2)
1. リゲティ: ロンターノ
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番
3. バルトーク: 6つのルーマニア民族舞曲
4. バルトーク: 組曲「中国の不思議な役人」

 演奏会に行く機会はめっきり減りましたが、バルトーク特集となれば、聴きに行かないわけにはまいりません。もしかしたら読響を聴きに行くのは初めてかもしれない。カンブルランも、実は名前すら知りませんでした。
 リゲティの「ロンターノ」は、記録を見ると聴くのはこれで3回目。現代音楽の中では比較的メジャーなレパートリーみたいですね。しかしこの曲、私には何度聴いても「よくわからない曲」という印象です。何かが蠢くような旋律(とも言えないような音列)が楽器を変えながら延々と続き、虚無真空の宇宙的でもあるし、土の匂いがする生命力も感じられる、何とも不思議な曲です。不眠症によい音楽かもしれません。プログラムでは演奏時間約11分と書いてありましたが、20分はやってました。
 続いてバルトーク晩年のピアノ協奏曲第3番。ソリストは日洪ハーフの若手ピアニスト、金子三勇士。当然「ミュージック」を意識した命名と思いますが、両親は桑名正博とアン・ルイスのファン、ということは、ないか。公式HPによると彼のハンガリー語名はKaneko Mijüdzsi Attilaだそうです。なのでハンガリーではアッティラと呼ばれるんでしょうね。さて弱冠24歳のあどけない金子君ですが、まだまだこれからの人のようです。破綻なく弾けるだけの技量はあるのでしょうが、ミスタッチもけっこうあって、それをカバーするに足るプラスアルファは感じられませんでした。終始型にはまった感じがして、タッチは至って普通でキレがなく、ただ流れで弾いているだけで奏者の「心」が響いて来ない。日本とハンガリーを行き来する人生ならば、この曲を弾きつつもっといろんなことを表現できるはず。若いんだからもっと向こう見ずにいろいろと可能性を追求して欲しいです。
 休憩後の「ルーマニア民俗舞曲」はバルトークの代表作ですが、オケ版を実演で聴くのは初めてかも。ここまでカンブルランの描くバルトーク像を推し量るに足る材料がなかったのですが、同じくフランス人でバルトークを好んで演奏するブーレーズと比べて、アプローチは民族色の土着ピアノ系に少し傾いている気がしました。元々の読響の弦の音がハスキーなのも功を奏し、ハンガリー民謡(現在はルーマニア領のトランシルヴァニア地方ですが)の呼吸が、まるでピアノで奏でるかのような細やかなニュアンスで表現されていました。かと言って、ドハンガリーな田舎風演奏と違い、あくまでパリのエスプリを残した都会的な解釈。けっこう微妙な立ち位置の難しい演奏でしたが、ちゃんと着いていくオケも立派でした。
 最後の「中国の不思議な役人」は演奏会用組曲版。このプログラムの負荷具合なら全曲版でやって欲しかったところです。ここでもオケのがんばりが際立ち、この難曲にして、一本芯が通って破綻なし。指揮者のリードが良かったのだと思います。出だしこそ控え目で「おや」と思ったのですが、冒頭にはクライマックスを持って来ないという作戦と見受けました。個々の奏者を切り出して見ればそりゃーこのオケはベルリンフィルでもロンドン響でもないですが、常任指揮者カンブルランの統率がよく利いている、チームプレイの勝利だと思いました。この取り合わせなら、また聴きたいと思わせるだけのものがありました。
 アンコールはハンガリー舞曲でもやるのかなと思ったら、同じハンガリー繋がりでもベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」。さすが、フランス人!


2013.11.23 サントリーホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
小田桐寛之 (trombone-2), 室住素子 (organ-3)
1. ビゼー: 「アルルの女」第2組曲
2. トマジ: トロンボーン協奏曲
3. サン=サーンス: 交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付」

 フルシャはロンドンで聴くチャンスがいっぱいあったはずですが、今まで逃していました。今更気付いたのですが、現都響の首席指揮者のインバル(前チェコフィル常任)とは「チェコ繋がり」ですね。今日は都響が休日の昼に開催している「プロムナードコンサート」という名曲演奏会で、そうは言っても指揮者、ソリスト、演目は通常の定期演奏会と比べても手抜き感がしないのは好ましいです。目当ては、ロンドンでは結局聴くチャンスがなかったサン=サーンスです。
 サントリーホール平土間は超久々でした。2階がかぶさる後方の席は音が良くないという記憶だったのですが、かぶりが浅いため正面だと別段変な反射はなく、また、豊かな残響に負けて振り回されないだけのしっかりした音をオケが出していたのが良かったと思います。都響もえらい久しぶりに聴いたのですが(多分前回は故ベルティーニのマーラー復活)、昔の記憶通り、統率の取れた優秀オケでした。指揮者の力量でもあるのでしょうが、パートバランスが整っていて弱点が目につきません。金管、特にホルンが若干粗い気もしますが、総じて息切れすることなく最後までちゃんと指揮者に着いて行っており、日本のオケにしては珍しく馬力と根性があります。個々のプレイヤーも力があるんでしょうね。団員は都の公務員だから、レッスン等の副業に勤しむあまり本業である演奏活動が疎かになるということがない、のかなあ。私は今は東京都民ではないので税金で直接支える立場にないですが、都知事はこの価値あるな文化事業を絶やすことなくサポートしてもらいたいものだと思います(と書いているうちに、都知事は変わってしまいそうですけど)。
 「アルルの女」第2組曲をプロのオケで真面目に聴くのは、初めてかもしれない。第1組曲は昔部活で演奏したことがありますが。特に第2組曲は通俗過ぎる名曲なので軽く流してしまう人も多そうですが、フルシャのリードはたいへんシンフォニックでシリアスなもので、好感が持てました。
 トマジのトロンボーン協奏曲は初めて聴く曲で、ソリストは都響トップの小田桐さん。こちらは20世紀の音楽とは言えフランスっぽいエスプリを感じる小洒落た小品でしたが、肝心のトロンボーンがあまりピリッとしなくて、結局何だかよくわからない曲でした。金管楽器のコンチェルトは難しいですね。特に楽団員がソリストをやってる演奏では、楽しめた記憶がありません。ソロで腹くくってやってる人のほうが、サービス精神満載で面白いのは仕方ありません。
 メインのサン=サーンスは、久々に聴いたサントリーホールのオルガンがまず素晴らしかったし、演奏効果の上がるよく出来た曲ですので、しっかり盛り上がりました。最後まで頑張れるブラスセクションが居てのことでもあります。このレベルの演奏がいつでも期待できるのであれば、日本の楽団もなかなか捨てたものではありません。というわけで、フルシャ/都響は今後も注目株なのでした。


2013.09.13 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
東京芸術劇場コンサートオペラ vol. 1
井上道義 (指揮・企画演出) / 東京フィルハーモニー交響楽団
Kovács István (Kékszakállú/bass-2)
Meláth Andrea (Judith/mezzosoprano-2)
仲代達矢 (吟遊詩人-2)
1. オッフェンバック (ロザンタール編): バレエ音楽「パリの喜び」より抜粋
2. バルトーク: 歌劇「青ひげ公の城」

 多少涼しくはなっても蒸し暑さはまだまだ続く熱帯ニッポンですが、毎日3枚のタオルを常備して汗をふきふき、何とか生きてます。
 さて、新生活も徐々に慣れてきて、やっと帰国後初の演奏会に行けたこともあって、ぼちぼちブログを再開しようと思います。もう住んでないのに「ロンドンの退屈な日々」もなかろうと、タイトルを思いつきで「Mind The Goat Cheese」に変えました。
 東京芸術劇場のコンサートオペラシリーズ第1弾「青ひげ公の城」。芸術劇場の主催公演なので東フィルのWebサイトには情報が全然載ってなくて、ホールのサイトをたまたま見に行って見つけたのはラッキーでした。それにしても日本で早速「青ひげ公の城」を聴けるとは。思えば、以前ハンガリーから日本に帰って最初に行った演奏会はラ・フォル・ジュルネでバルトークでした。その後ロンドンに引越し、最初に聴いたのもプロムスでバルトーク。節目にはやっぱりバルトークですね。
 東京芸術劇場は駅の真ん前にあって、どの席からもステージが見やすい作りなので割と好きなホールでしたが、もう10数年ぶりですか。改装のためここ数年閉鎖されていたようです。シンボルだった、一気に最上階まで上がる直線エレベータがなくなっていたのは驚きました。トイレに行こうとしてふと目に止まったのが、ブダペストのドナウ川沿いにあるものと同じ「小公女」の像。こんなのがあるとは知りませんでしたが、前にここに来た時はまだブダペストのことなど何も知らない時期でしたから、致し方なし。ともあれ、この「小公女」との思いがけない再会で、開演前から気分はもうハンガリーです。
 1曲目「パリの喜び」は、まあ埋め草のようなもので、どうでもよかったんですが、まずは長過ぎるホールの残響に面食らいました。音が直線的なロンドンのホールに耳が慣れ切ってしまったんでしょうか、かなり前のほうで聴いたにもかかわらず彼方響いてくるような分離の悪さ。まあ、これはすぐに耳が慣れましたが、演奏自体は何ともテンションの低いもの。井上さんも小気味良く振り込んではいますが、何となくお仕事モードで強引にペースに引き込む気概はなかったようです。破綻はないので、まあバレエの伴奏にはROHのオケよりナンボかマシかも。
 さて本題の「青ひげ公」ですが、何度も聴いたこの曲を日本語字幕付きで見るのは新鮮な体験です。最初の吟遊詩人の前口上は、名優、仲代達矢。もちろん日本語の前口上はCDラジオ含めても初めて。完全に暗転した客席後方から誘導員の小さい灯りを頼りにトボトボと歩いてきた仲代達矢、ステージに腰掛けると早速聴衆に「暗いね」「指揮者はどこ行った」などとぶつぶつ語りかけるメタ演劇っぽい演出(元々が「旦那様方、奥樣方」と語りかける前口上なのでメタフィクションとは言えませんが)。本来のテキストはかっちり決まっていますが、今回の日本語訳は、先の楽屋オチのようなものも含め、かなり自由に創作していました。後半盛り上げて幕開けを宣言するあたりではさすが一流舞台俳優の貫禄でしたから、最初の付け足しは余計。私的には、あくまでフォーマルに通して欲しかったです。
 前口上の途中ですっと出てきた、頭の禿げ具合はフィッシャー兄弟そっくりな井上さん、出だしの民謡旋律がさっきとは一転して「おっ」と思わせる繊細さだったので期待が高まったのですが、出だしだけでした。私が持っていた東フィルのイメージは相変わらずで、終始キレが悪く自信なさげな演奏は、聴衆の心を掴むには力が全然足らないんじゃないかと。第2の扉の軍隊トランペットや第4の扉のフルートなど、ソロの見せ所でことごとく真っ向勝負を避けたかのようなごまかし演奏には、贅沢言っちゃいけないとは思いつつも、脱力してしまいました。もちろんやり慣れた曲ではない上に、リハの時間も十分に取れなかったのだろうとは思いますが、だから冒頭だけは念入りに仕込んだんかな。
 頼りにならないオケとは裏腹に、というより今日のほとんど全てだったのは、メラート・アンドレアとコヴァーチ・イシュトヴァーンの遥々ハンガリーから呼んできた歌手陣。どちらも別々には過去「青ひげ公」を歌ったのを聴いておりますが、このペアでは初めてです。この人達がブダペストでこの曲をオハコとしていて、安心して聴けるのはわかっており、チケットを買ったのもほとんどこの2人が目当てだったのですが、歌唱は期待以上に素晴らしいものでした。コヴァーチは若くて細身なのに低音の利いた深い声で、ブレなく丁寧に、青ひげ公の秘めたる悲哀を表現していきます。浮つかず質実剛健な青ひげ公像はハンガリー人名歌手の伝統であり、彼の師匠のポルガール・ラースローを彷彿とさせます(ポルガールの生歌で結局聴けなかったのが残念です)。今イチオシの「青ひげ公」バスと言えましょう。一方のメラート(プログラムには「メラース」と書いてましたが間違いですね)も、節度を守った模範的なユディットで、メゾでありながらも高音域も奇麗によく伸びるダイナミクスの広い歌唱。一貫した「ためらい」がつぶさに表現されており、ベテランの芸に感服しました。第5の扉で叫びがなかったのは、これはまあそういう演出でしょう。特筆すべきは2人とも、弱々しくて厚みに欠けるこのオケにはもったいないくらい、十二分にホールを揺さぶる豊かな声量。バランスが取れていて、ダイナミックレンジも申し分なく、昨年(フィレンツェ)、一昨年(ロンドン)に聴いた付焼き刃的ペアとは明らかに一線を画するものでした。やっぱりこの曲はハンガリー語を母国語とする歌手でないと出せないニュアンスがあります。ハンガリー人なら誰でもOK、というわけではもちろんありませんが。
 今日のコンサートパフォーマンスは照明の演出もありまして、特徴的な造形のパイプオルガンを上手く活用しようという意図は伝わりましたが、青とか赤の原色がチカチカするばかりで物語がなく、歌手が素晴らしかった分、照明はそのうちどうでもよくなりました。
 今年は何と年末にもインバル/都響が「青ひげ公」をやり、ユディットを歌いにコムローシ・イルディコがやってくるとのことで、もちろん聴きに行きますよー。青ひげ公役のマルクス・アイヒェは全然知らない人ですが、「ドイツ人」の「バリトン」というプロファイルに一抹の不安が…。



2013.06.15 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Mayerling
Martin Yates / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (choreography), Gillian Freeman (senario)
Carlos Acosta (Crown Prince Rudolf), Leanne Benjamin (Mary Vetsera)
Laura Morera (Countess Larisch), Meaghan Grace Hinkis (Princess Stephanie)
Zenaida Yanowsky (Empress Elisabeth), Brian Maloney (Bratfisch)
Christopher Saunders (Emperor Franz Joseph), Laura McCulloch (Mitzi Casper)
Genesia Rosato (Helene Vetsera), Ursula Hageli (Archduchess Sophie)
Gary Avis (Colonel 'Bay' Middleton), Philip Cornfield (Alfred Grünfeld)
Alexander Campbell, Bennet Gartside, Valeri Hristov, Johannes Stepanek (Four Hungarian Officers)
Fiona Kimm (Katherina Schratt/mezzo-soprano)
1. Liszt (arr. by John Lanchbery): Mayerling

 マイヤーリンクは、邦題は「うたかたの恋」と言うそうですが、ハンガリー国立バレエでもレパートリーに定着していて、見るチャンスはいくらでもあったはずなのです。結局最後の最後になってやっと観賞の機会となったのは、元々バレエのために作曲された曲ではない「編曲ものバレエ」は音楽とダンスの融合度において格下である、という(私の勝手な)偏見から、観賞の優先度を下げていたからです。
 本日はマイヤーリンクの最終日で、吉田都さんより年長のリーン・ベンジャミンのROH引退公演であるため(でもシーズン発表当初、最終日はマルケスとなっていた記憶があるんですが)チケットはもちろんソールドアウト、ダンサー仲間も多数見に来ていたようです。近隣の客席を見渡すと、ボネッリ・小林ひかる夫妻を見つけました。小林さん、正直ファンというわけではないのですが、オフステージの髪を下ろしたドレス姿は華のあるスレンダー美人でした。
 今シーズンのマイヤーリンクは、序盤でガレアッツィ、中盤でコジョカル、そして最終日でベンジャミンという、3人ものプリンシパルが一挙に退団するという因縁の演目になりました。くしくも、我が家にとってもこの日がロンドンでの最後の観劇ということで、感慨深いものがあります。ロンドン最後の演目に選ぶにはちょっと暗過ぎだし、子供に見せるものじゃないんじゃないかという危惧もありましたが、蓋を開けてみれば、退廃的な雰囲気の中にも人間ドラマが凝縮された密度の濃いいバレエで、たいへん楽しめました。思えばもっとドギツい演目も今まで子供に見せてましたし、不倫と自殺はオペラ・バレエの基本アイテムですしね。
 ストーリーは、マザコンのドラ息子である王子が親の敷いたレールを踏み外す自由がない自分の境遇にスネまくって、妻をいじめ、クスリに溺れ、最後は未成年の愛人と心中するという救われない話です。アクロバットな技を競い合うバレエではもちろんなく、各々屈折したキャラクターにリアリティを持たせる演技力が命と言えるわけですが、アコスタはさすがにベテラン、ナイーブなドラ息子が身を持ち崩していく様を見事に演じ切っていました。パドドゥの力技も見応えがありましたし、アコスタはまだエースを下りる気はないな、と、ちょっと見直しました。相手役のベンジャミンも卓越した表現力。最初に登場する場面では立ち振る舞いがマジで「くるみ割り人形」に出てきそうな無垢な10代の少女に見えたので、別の人なのかなと思わずオペラグラスで確認しました。その後のファム・ファタールへの変貌ぶりも見事なもので、バレエがジムナスティックである以前にボディ・ランゲージであることを再認識させられました。
 これら老獪な説得力抜群の主役を脇で固めるのが、これまた芸達者な人達ばかり。ヤノウスキーは長身で芯の強い女という皇女エリザベートのイメージにぴったし。アコスタとの絡みで、お互い腕を取りグルグル回る回転が、あっという間に見てる自分がGを感じるくらいの高加速度。あまり組む相手でなくてもこういうのがしれっとできてしまうのは、さすがに百戦錬磨のプリンシパル。それ以外にもモレラ、エイヴィスといったクセのあるプリンシパルが脇役ながらも要所を締める贅沢なキャスティングでした。マクミランの作品なので舞台の隅にも目をやると、小芝居がいつにも増して芸が細かく、ヤノウスキーとアンダーウッドの談笑など、声は出さずとも話が弾む様子がめちゃめちゃリアルで、一体何を話しているんだろうとついオペラグラスで覗き見したくなるくらいでした。群舞では金子さん大忙し。去りゆくプリンシパルを皆が温かく、最大限の敬意と集中力を持って支えたこのマイヤーリンクは、一生のうちにそうそう見れるものではない充実した公演でした。
 終演後は退団するダンサーを送り出す恒例のフラワーシャワー。舞台では男性プリンシパルがずらりと並び、花束を渡しました。カーテンコールではベンジャミンの息子ちゃんも登場。一旦場内が明るくなった後もまだ拍手は鳴り止まず、最後に引っ張り出されたときの充実した笑顔が、今日の公演の全てを物語っていました。
 さて、ロンドンに来てから260回を数える演奏会通いも、とうとうこれでおしまい。この趣味に関しては、ロンドンほど恵まれている土地は他にないでしょう。日本に帰ったら、どうしましょうかねえ…。外タレは高くて手が出ないので、在京オケと新国立劇場中心にローカルものを見ていくことになると思います。次のシーズンのプログラムで、これは何としても聴きたい、と思えるものがあまりないので数はそんなに行かないと思いますが、何か聴いたら随時備忘録にアップします。


2013.06.12 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Yo-Yo Ma (cello-2)
1. Copland: Inscape
2. Britten: Symphony for Cello and Orchestra
3. Shostakovich: Symphony No. 5

前日はメインが「パゴダの王子」組曲だったのでパスし、MTTとYYMのミニシリーズは結局初日と最終日に行きました。LSOもこれで聴き納めと思うと、感慨深いものがあります。
 1曲目「インスケープ」は、意外にも不協和音に終始した前衛現代音楽でした。私の知るコープランドとは全く違う世界で、こんな曲も書いていたのねと、ただ驚き。
 今回のシリーズでヨーヨー・マはショスタコーヴィチの1番、2番と続いて、最後はブリテンの「チェロ交響曲」を選択しましたが、新たなチャレンジだったのでしょうか、珍しくずっと楽譜を見ながらの演奏。先日のショスタコ第1番では恍惚とした表情で弾いていたのが一転、余裕のない必死の形相でガシガシとラフな音をぶつけていきます。ほとんど今日初めて聴いたので曲は正直よく咀嚼できなかったし、4楽章構成という以外、交響曲とわざわざ名乗るだけのフォーマルな要素もあまりなかったのですが、オケにとってもほとんど未知の曲なんでしょう、LSOの集中力は凄まじいものがありました。ヨーヨー・マのエモーショナルな演奏も、よくわからないながらも圧倒的な迫力。燃え尽きたに思えたヨーヨー・マ、今日はアンコールとしてサー・コリンに捧げる1曲(曲名不明)を披露しました。
 メインのタコ5は、らしからぬぎこちなさが随所に見られ、明らかにリハ不足。今日のプログラムだと、リハ時間の大半をブリテンに使ってしまったのは想像に難くありません。タコ5は通俗名曲ですし、リハの時間がなくとも、とにかくオケのパワーで何とか押し切った感じです。各楽器のソロは皆さんさすがにめちゃ上手い。MTTはその草食系風貌と理知的発言からクールな分析家と見られがちですが、音楽は意外とエモーショナル全開の熱い演奏で、「苦悩→葛藤→勝利」というシンプルな組み立てはストレートに心を打ちます。ああ、この人はやっぱりバーンスタインの正統な後継者なんだなと、認識をあらたにしました。


2013.06.09 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Yo-Yo Ma (cello-2)
1. Copland: Orchestra Variations
2. Shostakovich: Cello Concerto No. 1
3. Copland: Short Symphony (Symphony No. 2)
4. Britten: The Young Person's Guide to the Orchestra

 ヨーヨー・マがLSOに登場するのは多分久しぶりだと思います。日本でも人気者のヨーヨー・マですから、今日はやたらと日本人の姿が目につきました(もちろん中国人も)。そこかしこで「3つとも行かれますの?」という会話を耳にしたので、ティルソン・トーマス(MTT)が指揮するこの3公演、日本人的には3つで特別なワンセットだったみたいです。私的には、LSOのシーズン終盤の一コマに過ぎないんですが…。しかしこのミニシリーズ、MTTですからもちろんテーマはあり、今回はコープランド・ショスタコーヴィチ・ブリテンという、同世代の人々ながらも一見よくわからん食い合わせ。プログラムを読むと、この3人はLSOと所縁が深く、MTTとも面識がある、というパーソナルな理由が全てみたいです。
 まずはコープランド。「ロデオ」を昔演奏したことがありますが、それ以外は「アパラチアの春」と「エル・サロン・メヒコ」といった定番しか知らなくて、日本やイギリスでは演奏会のプログラムに乗ることも少なく、正直、未知の作曲家です。最初の「変奏曲」は怪獣映画のバックミュージックのように、重くて派手な曲。もう一つの「ショート・シンフォニー」は、グッとフォーマルな雰囲気の硬派な純粋音楽。どちらももちろん初めて聴く曲で、普段イメージする「アメリカ民謡を多用する国民的作曲家」とは一線を画した、お固いシンフォニストとしての側面を見ました。
 ショスタコのチェロコン第2番は何度か聴いていますが、第1番は初めてでした。弦楽、木管、ホルン1本、ティンパニ、チェレスタという変な編成で、ホルンは準ソリストのような重要な役割です。どう聴いてもショスタコなマンネリズムに溢れた行進曲風の第1楽章から、ヨーヨー・マは、よくぞこの曲で、と思うほどしっかり没入型のよく歌う系チェロ。第2楽章まではその調子で、ホルンの素晴らしいソロと相まって良い感じだったのですが、後半はまず曲が尻すぼみで退屈したのと、チェロも集中力が切れてどうにも音が定まらないように見えました。ヨーヨー・マというビッグネームでなければ、あまり上手くないチェリストやなあ、と思ってしまったかも。これは後の演奏会でリベンジに期待です。
 最後のブリテン「青少年のための管弦楽入門」は、演奏会のプログラムにこの曲を見つければ即チケットを買ってるくらい大好きな曲なのですが、実演で聴ける機会は実際にはそう多くありません(一昨年のBBCプロムス・ラストナイトで演奏され、大いに盛り上がっていたようですが、残念ながらラストナイトはそうそう行けません)。名手揃いのLSOだけあって、まさにガラ・コンサートを見ているような感覚で、奏者の妙技をただただ堪能しました。この曲を、このクラスのオーケストラで聴けたという感動は、後半のフーガ終盤でパーセルの主題が戻ってくる箇所で頂点に達し、涙腺にじわっと込み上げるものがありました。
 振り返ると、選曲もせいもあるでしょうが、MTTのカラーはどこに出ていたか、よくわからなかったです。黒子のような働きでした。なお本日は、LSOとしては珍しく、クラリネットに日本人奏者の姿が。近藤千花子さんという人で、調べると東京交響楽団所属、現在はRAM(王立音楽院)に留学中だそうです。


2013.06.07 Royal Opera House (London)
Michele Mariotti / Orchestra of the Royal Opera House
John Fulljames (director)
Joyce DiDonato (Elena), Juan Diego Flórez (Uberto/King of Scotland)
Daniela Barcellona (Malcom), Michael Spyres (Rodrigo)
Simon Orfila (Douglas), Justina Gringyte (Albina)
Robin Leggate (Serano), Pablo Bemsch (Bertram)
Christopher Lackner (a bard)
Royal Opera Chorus
1. Rossini: La donna del lago

 ロッシーニはブダペストのころに「理髪師」と「チェネレントラ」を1度ずつ見ただけで全く守備範囲外だし、この「湖上の美人」も名前すら知りませんでした。フローレスとディドナートじゃなければパスしていたことでしょう。
 フローレスは、3年前の「連隊の娘」を一般発売で買おうとしてあえなく撃沈し、それ以降まだ聴けてませんでした。やっぱりROHはフレンズに入らなきゃチケット取れないのか、と思い立つきっかけにはなりましたが。実物のフローレスは、DVDで見た通りの甘いマスクに、甘ったるくない軽妙なクリアボイスが心地良い、まさにスーパーテナーでした。序盤でちょっと声が裏返りそうになったり、調子はベストじゃなかったかも。一方のディドナートはCD・DVDでもまだ聴いたことがなかったのですが、太くて野卑な声はたいへん個性的。評判のコロラトゥーラの技巧は、確かに速弾きギタリストと違って生身の肉体だけを駆使してあのトリルを声でやるのは凄いものの、私には文字通り「技巧」だと認識するのみで、音楽的な凄みを感じなかったのもまた事実。自分がロッシーニを好んで聴かなかった理由が今わかった気がします。
 ベストとは言えないものの期待を裏切らない歌唱を聴かせてくれた主役二人の、さらに上を行っていたのがダニエラ・バルチェローナ。長身でがっしり体型は、メゾソプラノながらもまさに男の中の男、兵士の中の兵士。さらにこの人の歌が群を抜いて完璧で、今日一番の拍手喝采を浴びておりました。ロドリーゴ役のマイケル・スパイレスは、この中では割りを食ったのか、もうひとつ冴えない印象。フローレスと同じ旋律を追いかけて歌うという酷な場面がありまして、やっぱり並べて聴いては差が歴然なのが気の毒でした。バルチェローナよりも背が低くてデブに見えたのもマイナス。
 この「湖上の美人」は、緊迫したり悲しかったりする場面でも徹底して能天気でヌルい音楽が続くという、ある意味開き直った楽観主義が貫く曲でしたが、演出は凄惨さを前面に打ち出したもので、スコットランド人反乱軍をことさら野蛮人に描いたのが、何とも意味不明なカリカチュア。図書館だか博物館の中で、ショーケースに入った標本が突如として動きだし、おそらく学者さんたちの空想中の物語を展開して行きますが、最後はまたショーケースに戻るという入れ子の構造で、これは自分の思想じゃなくて登場人物の空想の話なんですよ、という逃げの言い訳を演出家が用意しているだけのような。また、全体的に突っ立って歌うばかりで動きが少ないのは、歌が難しいからかもしれませんが、初めて見る私にはちょっと退屈な演出でした。


2013.06.05 Salle Pleyel (Paris)
Yutaka Sado / Orchestre de Paris
Boris Berezovsky (piano-2)
Chœur de l'Orchestre de Paris (choir-4,5,7,8,9,11,12)
1. Ibert: Divertissement
2. Rachmaninov: Rhapsody on a Theme of Paganini, Op. 43
3. Verdi: Luisa Miller, ouverture
4. Verdi: I Lombardi alla Prima Crociata, "Gerusalem !"
5. Verdi: I Lombardi alla Prima Crociata, "O Signore, dal tetto natio"
6. Verdi: Macbeth, Prélude
7. Verdi: Macbeth, "Patria oppressa"
8. Verdi: Ernani, "Esultiamo"
9. Verdi: Il Trovatore, "Le fosche notturne spoglie"
10. Verdi: Nabucco, Ouverture
11. Verdi: Nabucco, "Gli arredi festivi"
12. Verdi: Nabucco, "Va, pensiero, sull'ali dorate"

 このホールは10数年前、改装の前に一度来たきりです。その時はその日の昼間にスリ被害にあったばかりで、せっかくのドホナーニ/パリ管だったのに、正直演奏会を無心で聴ける状況ではありませんでした。それ以来、パリ管はブダペストで再び聴いているものの、このサル・プレイエルは厄払いと露払いのためにも絶対に再訪しなければならない、と長年思い続けていましたが、やっと機会が巡ってきました。
 私の記憶も相当おぼろげで怪しいのですが、クロークの辺りは昔と変わってなさそうです。ホールに入ると、舞台が打ちっぱなしの壁でやけに殺風景。むき出しの照明が天井から直接ぶら下がっており、ホールというよりはスタジオ。コンサートホールの品格がなくなっていたのでがっかりしました。私の記憶では昔はバービカンのように木目調の壁だったと思うんですが。また、座席のピッチが狭いのは相変わらず。
 1曲目のイベールは室内オケのための洒落た曲で、家にあった佐渡/ラムルー管のイベール管弦楽曲集CDにも入ってましたが、パリ管に取っては新レパートリーだそう。パリ管は技巧で鳴らすオケではないと思いますが、トップ奏者だけの合奏はさすがに惚れ惚れするくらい上手かったです。皆涼しい笑みをうかべながらリラックスして演奏している中、佐渡氏一人だけ汗飛び散らかしての大熱演。前にパリ管で聴いたときは、長いフランス生活でずいぶんと垢抜けた演奏をするようになったものだ、と感心したのですが、ベルリンに拠点を移して、またかつての「汗臭さ」が戻ってきたような気もします。
 続くラフマニノフ。ベレゾフスキーは2005年にブダペストで聴いて以来。その時は全く興味のないショパンのコンチェルトだったのでほとんど印象は憶えておらず。8年のうちにお腹がでっぷり出てずいぶん恰幅よくなった気がします。今日の演目は元々はラロのピアノ協奏曲という珍しい選曲だったのですが、直前になってソリストの意向により変更になりました。超メジャー曲だし、もちろんオハコなんでしょう、ベレゾフスキーは余裕の弾きっぷり。この人は機械のように正確無比なピアノが売りですが、見かけに合わずアタックの柔らかいソフトタッチで、力任せに叩き込むキャラクターではありません。ちょっと即物的なラフマニノフかなと思いつつ聴いていたら、アダージョではやっと佐渡節全開で、コブシのきいた浪花節をたっぷりと聴かせてもらいました。
 メインは生誕200年のヴェルディを記念し、代表的オペラから合唱曲を抜き出し並べたもの。今一つ、何故に佐渡?という疑問は結局理由がわからず。パリ管ではそういう「便利屋」系ポジションになっているのではないかと。ここでもオケのアンサンブルはきっちりと整っていて、その器用さが新鮮な驚きだったりするのですが、曲も後半になり熱気を帯びてくるに従い縦の線が甘くなっていくのが微笑ましいです。合唱は美しく、オケも上手い上質のナブッコ。これはそんじょそこらのオペラ座(特にロイヤルオペラ)では味わえません。最後の「金色の翼に乗って」は一番の有名曲ですが、しみじみ終わるのでコンサートのラストには合わないなあと思っていたら、やはりアンコールがあり、トランペットも登場しての「アイーダ」の凱旋の場面。佐渡裕はオペラをもっとやればよいのになと思いました。


2013.05.30 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / Philharmonia Orchestra
1. Debussy: Prélude à l'après-midi d'un faune
2. Varèse: Amériques
3. Stravinsky: The Rite of Spring

 2012/13シーズンもついに終盤戦。元々音楽監督の出番が少ないフィルハーモニア管は今日がシーズン最後のサロネン登板日です。先の日本ツアーでたいへん評判の良かった「ハルサイ」をやっと聴けるのが嬉しい。
 しかしその出端を挫くかのごとく、隣席のおじいちゃんが困ったもので。まず、臭い。それだけなら非難もしにくいですが、オケが無料で配布しているメンバー表を四つ折りにして袋を作り、その中に痰を吐いて、さらに折り曲げて上着の内ポケットに入れてました…( ゜Д゜)。この不潔感漂う老人は、演奏中も終始口を開閉してニチャニチャと音を立て、時々咳をして、上のように痰を吐く。気に障ることこの上ない災厄でした。周囲は静かな人ばかりでしたが、皆内心で「このくそじじい」とイライラを募らせていたに違いない。こんなわけで「牧神の午後」は全く台無しでした。
 次の「アメリカ」は、3年前にSouthbankの「ヴァレーズ360°」という全曲演奏会の企画で聴いて以来でした。「牧神の午後」を思わせるフルートのソロから始まり、「春の祭典」の不協和音と変拍子をさらに鮮烈にしたような展開が続く、まるで「牧神」と「春の祭典」が結婚してできた子供のような曲です。音量的にもようやく隣のじじいが気にならないレベルまで上がってきたので、何とか演奏に集中できました。これがまたキレキレの凄演で、私がこの難曲を理解しているとはこれっぽっちも思わないのですが、それでも万人の心を打つ、説得力抜群の演奏でした。最後は顔を文字通り真っ赤にして畳み掛けたサロネンの迫力に、惜しみない拍手大喝采が贈られていました。
 前日が初演から100年の記念日だった「春の祭典」は、バルトークチクルスのときにもサロネンが取り上げていましたが、そのときは確かLSOとバッティングしていて聴けませんでした。もちろんサロネンの真骨頂、リズムの鋭いシャープな演奏ではあったのですが、前の曲で燃え尽きたのか、オケがちょっとお疲れ気味でした。冒頭から木管はしっかりしていたのですが、金管がどうしてもリズムの足を引っ張り、演奏にキズもありました。フィルハーモニア名物アンディ・スミス先生のティンパニは前半控え目で後半に爆発する戦略でしたが、生贄の踊りで原始的なリズムが炸裂する私の一番好きな箇所になると、アンディ先生、あろうことかリズムを間違える大暴走。珍しいものを見ましたが、これに象徴されるように、オケのほうが何となく「気もそぞろ感」というか、倦怠ムードが少しあったのは確かでしょう。もちろん、ベストとは言えないまでもハイレベルな演奏だったのは確かですが。お客の拍手は正直です。なおホルンの美人プリンシパル、ケイティ嬢は今日はワーグナーチューバを吹いていました。ちょうどチェロ奏者の影で姿がほとんど見えなかったのがたいへん残念です。フィオナ嬢もサロネンにがっちりブロックされて見えなかったし、最後のフィルハーモニアにしては、ちょっと淋しい…。


2013.05.29 Royal Festival Hall (London)
Pinchas Zukerman (violin-1) / Royal Philharmonic Orchestra
Arianna Zukerman (soprano-2)
1. Mozart: Violin Concerto No. 3 in G major, K.216
2. Mahler: Symphony No. 4

 何とこの3年10ヶ月のロンドン生活で、ロイヤルフィルは今日が2回目です。避けていたつもりはないのですが、ROH、LSO、PO、BBCSO、LPOという花形が目白押しのロンドンで、スケジューリングの優先順位が低かったのは間違いない…。
 ピンカス・ズーカーマンは私がクラシックを聴き始めたころすでに巨匠でしたが、今になってこうやって目の前で実演を聴く機会があろうとは。しかし、CDを実は1枚も持っていなかったのです。ほとんど初めて聴くズーカーマンは、音が別世界のヴァイオリニスト。現役バリバリの若い人と違うのは(まあ、ズーカーマンもまだ現役ですが)、ガツガツ、ギラギラという擬態語が一切似合わない、あくまで地に足をつけた自然体の音楽で、わびさびの世界に通じる境地を垣間見ました。モーツァルトらしくオケは少人数に絞り込み、力の抜けた心地良いアンサンブル。弾き振りで指揮のみのパートではけっこう軽快にテンポを揺らし、自由気ままに引っ張った「オレのモーツァルト」系演奏でした。
 メインのマーラーが聴きたくてこのチケットを買ったようなものですが、ユダヤ人ズーカーマンが導くのは粘り気がなくサラサラした淡白なマーラー。弦は14-12-10-10-8の構成で、もちろん一般的には十二分ですが、昨今のマーラー演奏にしてはちょっと小さめというかミニマムの編成でした。ロイヤルフィルはなかなかがんばっており演奏のキズは少なかったのですが、明るく無邪気でありながらもデリカシーに欠けるマーラー、というのが全体的な感想です。どういうことかと言うと、フレーズの繋ぎにことさら無関心で、まとめ処理を間違ったな、あるいは最初からやらなかったな、という箇所がいくつもあり、音楽がブツ切れになっていました。ズーカーマンは指揮者のキャリアも長いようですが、こういうのを聴いてしまうと、やっぱりこの人にとって指揮は副業か、と見えてしまいます。この曲の命である終楽章を歌うのはズーカーマンの娘、アリアンナでしたが、声も歌唱も正直イマイチ。この短い楽曲で楽譜を見ながら歌っていたので、いかにも慣れてないのがありあり。結局七光りか、とお客に思わせてしまってはイケマセン。


2013.05.24 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Raven Girl / Symphony in C
Koen Kessels / Orchestra of the Royal Opera House

 ロイヤルバレエのダブルビル。ウェイン・マグレガーの新作にして久々の(初の?)ストーリーものである「レイヴン・ガール」と、バランシンがビゼーの名曲に振付けた著名作「ハ調の交響曲」の新旧二本立てです。

1. Gabriel Yared: Raven Girl (world premiere)
Audrey Niffenegger (author), Wayne McGregor (choreography)
Sarah Lamb (raven girl), Edward Watson (postman)
Olivia Cowley (raven), Mirabelle Seymour (raven child)
Paul Kay (boy), Thiago Soares (doctor), Eric Underwood (raven prince)
Beatriz Stix-Brunell, Tristan Dyer (19th-century couple)
Camille Bracher, Fernando Montaño, Dawid Trzensimiech (chimeras)

 アメリカの童話作家オードリー・ニッフェネッガーがこのバレエのために書き下ろした新作ストーリーだそうで、あらすじはこんな感じです。郵便配達夫が岩場のカラスに恋をし、二人(?)の間に翼がない女の子が生まれる。女の子は成長して親元を離れ大学に行くが、キメラの研究を発表していたマッドな医者と出会う。女の子は彼に誘惑されて手術を受け、ついに翼を手に入れるが、親にバレて翼を手放す。医者は転落死し、女の子を密かに好いていた男の子は絶望して岩場に姿を消す。最後は女の子とカラスの王子が結ばれ、一件落着(?)。うーむ、自分でも書いていて、特に最後の展開がよくわからないストーリーです。
 舞台も照明も衣装も、全体的に一貫して暗い上、「アリス」のようにビデオを多用するために半透明スクリーンがずっと下りていて、ビジュアルが常にぼうっとしていたのがまずマイナスでした。もちろんそれは承知の上でその効果を狙ったのかもしれませんが、あそこまでビデオで何でもかんでも説明しなくても良かったのでは、と思います。言葉の力を借りずに音楽と踊りだけで全てを表現しつくす芸術がバレエだったのじゃないかと。ある意味言葉以上に饒舌なビデオという媒体に頼り、また音楽も生演奏に加えてサウンドエフェクトや打ち込み演奏を多用して、安易な反則ワザが多いように思えました。それがなくても、音楽はB級映画のサウンドトラックみたいで正直安っぽかったです。これは音楽だけで独り立ちはできないでしょう。
 振付は、皆さんポワントシューズで踊ってましたし、コンテンポラリーよりは多少クラシックバレエに近い感じ。パドドゥ(特に最後の)はなかなか密度の濃いものでした。主役のラムは柔軟な身体を余すとこなく駆使し、少女の幼さと大人の色気がほどよくミックスされた、今まで見たことがない境地にたどり着いていたと思います。脇を固める人々もエース級でしたが、ふと、主役の出来に対する依存度が高い演目なのかなと見受けました。逆に、ラムの他はあまり見所がなく、カラスの飛翔を模した群舞はひたすら退屈で間延びしました。バレエではなく一つの舞台作品として見れば、それなりに楽しめた部分も多々ありました。ただし一幕で70分もある尺は、もうちょっと短くしたほうがよいのではないかと。

2. Bizet: Symphony in C
George Balanchine (choreography)
1st movement:
Zenaida Yanowsky, Claire Calvert, Fumi Kaneko
Ryoichi Hirano, Johannes Stepanek, Fernando Montaño
2nd movement:
Marianela Nuñez, Tara-Brigitte Bhavnani, Olivia Cowley
Thiago Soares, Nicol Edmonds, Tomas Mock
3rd movement:
Yuhui Choe, Akane Takada, Elizabeth Harrod
Steven McRae, Brian Maloney, Kenta Kura
4th movement:
Laura Morera, Yasmine Naghdi, Emma Maguire
Ricardo Cervera, Tristan Dyer, Valentino Zucchetti

 一方の「ハ調の交響曲」は、ストラヴィンスキーにも同名の曲があるので要注意ですが、これはビゼーのほうです。ジョージ・バランシンの代表作で、特にストーリーはなく、4つの各楽章を各々男女3組ずつのグループで踊り、最後は全員で大団円となる、華やかで単純に楽しいダンスの饗宴です。主役級はプリンシパル中心の豪華な布陣で、まず第1楽章はヤノウスキー・平野亮一のペア。筋肉の逞しいヤノウスキーを支えるのに、ガッシリ体格の平野さんはなかなか良いペアなのではないかと。長身を活かしたダイナミックかつ安定感抜群のダンスに感服しました。それにしても、ヤノウスキーは白いチュチュが似合わないなあ…(私的感想)。第2楽章はヌニェス・ソアレスの夫婦ペア。アダージョの楽想に合わせて優雅さの機微をしっとりと表出する、余裕のベテランペアでした。ソアレスは「レイヴン・ガール」とダブルの出演お疲れ様です。スケルツォの第3楽章はマクレー様とユフィちゃんによる飛び技連発。この人達ならではの躍動感がうまくハマっていました。この楽章は他に高田茜・マロニー、ハロッド・蔵健太と、一番スキのないキャスト。しかも日本人率が高いです(笑)。トリの終楽章はモレラ・セルヴェラのちょっと地味なペア。モレラが白いチュチュを着て古典を踊っているのは初めて見たのでたいへん新鮮でした。見慣れてないせいか、破綻はないものの、何だかよそ行き感を覚えてなりません。最後の大団円まで来ると、やっぱりヤノウスキーとヌニェスの存在感は別格。この凄い人達と並んでプリンシパルになるかもしれないユフィちゃんは、これからたいへんかも。舞台装置はなく、衣装は皆同じ、ダンサーの身体能力だけで表現し尽くしたこの30分間は、どんなバレエよりもむしろ豪華絢爛に見えました。それにしても、オケは相変わらずのていたらくで、トランペットとホルンが酷いのはいつものこととして、今日は木管も酷かった。堕落が慢性化してますね。


2013.05.19 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
1. Lutoslawski: Concerto for Orchestra
2. Tchaikovsky: Symphony No. 4

 先週から、パッパーノ三連発になってます。先日のチャイコ5に続き、今日はチャイ4。しかしその前に、オープニングは生誕100年記念イヤーのルトスワフスキ「オーケストラのための協奏曲」、通称「オケコン」。古今東西数ある「オケコン」の中で、ダントツ人気のバルトークの次に有名なのが多分このルトスワフスキだと思いますが、実はほとんど初めて聴く曲でした。ポーランドの民族音楽に取材し、バルトークほどのカラフルさはなく終始重苦しい曲調ですが、熟練と洗練の境地であるバルトークよりもある意味荒々しい駆動力を感じる、なかなかカッコいい音楽です。パッパーノがどのくらいこの曲に思い入れがあるのかよくわかりませんが(少なくとも専門家ではないでしょう)、こういうぐいぐい押す音楽は得意とするところ、澱みなく畳み掛けて勢いをつけたままフィニッシュ。1曲目からお客大喜び。
 メインのチャイ4。こないだのチャイ5と同様カンタービレ満開の「マカロニ・チャイコ」の系統でしたが、チャイ5ほど曲調がメランコリックではないので、第1楽章なんかは所々リズムにちょっとしたぎこちなさを感じたりもしました。しかし第2楽章ではパッパーノの本領発揮、作り物の匂いが一切しない、なめらかなエンヴェロープで流れて行く大自然の音楽。終楽章はLSOの高い演奏技術力を駆使して究極の「喜びの讃歌」を派手に演出します。先日のチャイ5も実はそうだったんですが、パッパーノのチャイコフスキーは何だか言葉にならない充実感に満ちあふれていて、あれこれ感想文をひねり出そうとするのですが、私の表現能力ではとても何かを書けたとは言えません。同じLSOでもどこか嘘っぽいゲルギエフのほうが、まだいろいろと言葉を連ねることができましたね。音楽を言葉にするって、本当に難しい…。
 今日のティンパニは主席のトーマス。さてどうするかと注目していたら、やっぱり昨年同様、ペダルを駆使して勝手に俺流メロディを奏でていました。しかしふと思ったのは、こんな派手な改変をプロの指揮者が気付かないはずはないのに、この人、よく怒られないなと。


2013.05.16 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Christian Tetzlaff (violin-1)
1. Shostakovich: Violin Concerto No. 1
2. Tchaikovsky: Symphony No. 5

 先週に続いてパッパーノ大将、今週はLSOです。まずはショスタコのヴァイオリン協奏曲第1番。テツラフは昨年9月のウィグモアホール以来、久々ですが、あご髭をたくわえてちょっとオジン臭くなってました。全身をしなやかに駆使した、ニュアンスの深いヴァイオリンは、何を弾いてもこの人のスタイルです。ただ、今日は角度のついた位置から聴いていたので、身体を揺らすたびに奏者自身が壁になって音を遮り、変に波のついた演奏に聴こえてしまいました。正確無比に指がよく回って、もちろんめちゃめちゃ上手いんだけれど、エモーショナルな部分は極力抑えてあり、こけ脅しのないストレートな上手さが、何度聴いてもまた次が聴きたくなる、この人の魅力です。アンコールは定番のバッハのパルティータから「サラバンド」。うーむ、何度目かなと思って過去の備忘録を読み返してみると、意外や、アンコールでは聴いてなくて、聴いたのは昨年9月のソロコンサートなのでした。
 メインの「チャイ5」はパッパーノのオハコのようです。基本、スコアに忠実。必要以上に粘ったり、無理な加速をしたりという煽動的な要素はありませんが、特徴はとにかく旋律がよく歌う、カンタービレのチャイコフスキー。元々叙情的、感傷的な旋律の宝庫である曲ではありますが、オペラマイスター・パッパーノの「歌」は、凍土の上に吹雪吹きすさぶ北の大地のメランコリーと言うよりも、もっとラテン系でカラッと明るい、ロシアの風土からは異質のもの。言うなればマカロニウエスタンならぬ「マカロニチャイコ」でしょうか。とは言っても生粋イタリア人のような名前のアントニオ・パッパーノ、実はイギリスで生まれアメリカで音楽教育を受けた、音楽的にはバリバリのアングロサクソン系経歴の人なので、イタリアの風土はあまり関係ないようです。
 オケは相変わらず上手いです。第3楽章の弦の速いパッセージなど、よくここまでピシッと揃うもんだと。金管も腹八分目の余力を持って流してます。今日のティンパニはサブのベデウィ。至って真面目に、スコア通りの音を正統に叩いていたのが主席のトーマスと対照的でした。


2013.05.11 Royal Opera House (London)
Sir Antonio Pappano / Orchestra of the Royal Opera House
Nicholas Hytner (director)
Jonas Kaufmann (Don Carlos), Lianna Haroutounian (Elizabeth of Valois)
Ferruccio Furlanetto (Philip II), Mariusz Kwiecien (Rodrigo, Marquis of Posa)
Béatrice Uria-Monzon (Princess Eboli), Dušica Bijelic (Tebaldo)
Robert Lloyd (Monk/Carlos V), Eric Halfvarson (Grand Inquisitor)
Téo Ghil (Priest Inquisitor), Susana Gaspar (voice from Heaven)
Pablo Bemsch (Count of Lerma), Elizabeth Woods (Countess of Aremberg)
ZhengZhong Zhou, Michel de Souza, Ashley Riches,
Daniel Grice, Jihoon Kim, John Cunningham (Flemish Deputies)
Royal Opera Chorus
1. Verdi: Don Carlo

 このロイヤルオペラ2008年のプロダクションはビリャソン、キーンリサイド、ポプラフスカヤのキャストですでにDVD化されていますが、我家にあったのはさらにその前のヴィスコンティ演出の映像でした。いずれにせよ生の「ドン・カルロ」は初めて見ます。ワーグナー並みに長くて登場人物も多いオペラなので、ヴェルディのほかの作品に比べて上演機会は少ないようです。
 ロンドンではキャンセル魔として知られるアーニャ・ハルテロスが、今回は果たして何日歌うのか注目されていたようですが、初日に出た後は、大方の予想通り「病気のため」キャンセルとなりました…。代役は、元々後半戦にキャスティングされていたアルメニア人のリアンナ・ハロウトゥニアン。今回がロイヤルオペラデビューだそうです。見るからにおばちゃん体型で、王妃の気品と色気の点ではちょっと残念ではありましたが、代役もすでに2日目でしたので固さの取れた演技に、カウフマンと歌い合っても聴き劣りしない、ふくよかな美声が素晴らしく良かったです。
 エーボリ公女のユリア=モンゾンは知らない人だったので調べると、カルメンに定評がある様子。言われてみれば確かにそんなジプシーっ気を匂わせている人で、逆に公爵夫人というにはあまりにも蓮っ葉なお顔立ち。私はあのテの顔がどうしても苦手で生理的に受けつけません。自分の「呪われし美貌」を切々と歌う場面など、もう違和感ありまくりで、すいません、いくら歌が上手くてもオペラはビジュアルもやっぱり大事だなあと思い知りました。なお、天の声のソプラノは、本当にオペラ座の天井から聴こえてきました。バルコニーからは姿もちらっと見えた気がしましたが、下のほうの人にはどうだったんでしょうか。
 この作品は女声が相対的に影薄く、全く男声陣のためのオペラと言えましょう。タイトルロールのカウフマンは相変わらずテナーにあるまじき野太い声が健在で、スターの立ち振る舞いもたいへん良かったのですが、それをさらに食っていたのがロドリーゴ役のポーランド人、マリウシュ・クヴィエチェン。細身ながら低音のよく響く声に、ちょっと抑え目の演技が役所を捉えていてカッコいい。フルラネット、ハーフヴァーソン、ロイドのベテランバス3人組は、皆さん地響きのような低音の中にも声に各々個性があって、ここまでの人達が競演してくれる機会もそうそうないでしょう。歌手陣は総じて素晴らしい出来で、満足度の高い「ドン・カルロ」初生鑑賞でした。
 演出は、シンプルでシンボリックな舞台ながらも衣装は中世スペイン風で奇抜な発想転換はなく、火あぶりの刑の見せ方など工夫があって感心しました。カルロス5世の墓はどう開くのだろうと思っていたら結局開かず、ドン・カルロは剣でやられて息を引き取るだけ、墓には引きずり込まれませんでした。ドン・ジョヴァンニの地獄落ちみたいなのを期待していたら、肩すかしでした。


2013.05.09 ROH Linbury Studio Theatre (London)
Royal Ballet: Hansel and Gretel
Liam Scarlett (choreography), Dan Jones (music)
Ludovic Ondiviela (Hansel), Elizabeth Harrod (Gretel)
Johannes Stepanek (father), Kristen McNally (step-mother)
Donald Thom (sandman), Ryoichi Hirano (witch)
Dan Jones/Orquesta Sinfonica de Galicia (music performed by)

 ロイヤルバレエの奇才スカーレットの新作にして初の全幕もの、リンベリースタジオながらエース級をふんだんに投入した配役、童話を題材にしていながら子供禁止の演出ということで、全く事情通じゃない私でも何だかよくわからない期待感で胸いっぱいになってしまうほどでしたが、平のフレンド向けチケット発売日の朝一番にアクセスするも、すでにソールドアウト。しつこくサイトをチェックして、何とか初日と二日目のリターンを1枚ずつゲットしました。マクレー様の出演する初日はもちろん妻の取り分ですので、私が見たのは二日目のBキャスト。そのマクレーさんが素顔で奥様の晴れ姿を見に来ていて(初日は砂男のかぶり物を付けっぱなしで顔が見えなかったそうです)、そのへんをうろうろしていたので、結果的にはこっちの日に来たほうが妻は正解だったかも。
 「ヘンゼルとグレーテル」はグリム童話ですから元々がダークなテイストですが、このスカーレット版は舞台設定を1950年代のアメリカに移して、離婚(継母)、アル中、家庭内暴力、ペドフィリア、ネクロフィリアといった原作にはない要素を盛り込んで、全編をダークなムードで統一しています。ラストも救いがありません。この童話を現代に持って来て展開したら、やっぱりこうなるんだろうな、という妙な納得感はありました。
 舞台はモダンですが、踊りはコンテンポラリーというよりは、ポワントシューズで踊るバレエの範疇です。マクレー夫人のエリザベス・ハロッドをちゃんと見るのは初めての気がしますが、顔がちっちゃくて可憐だけど芯が通っててやるときゃやるキャラクターが、グレーテルにぴったりハマりました。継母のマクネリは、これまで「アリス」のイカレた料理人とか、ストラヴィンスキーの「結婚」とか、ヘンな役所ばっかりで見ていたのですが、ミスユニバース系の正統派美人であることにようやく気付きました。
 個人的に今日一番のヒットだったのは、ヤノウスキーの代役だった平野亮一さん。白髪のオールバック、切れ長の目に黒ぶち眼鏡、書生っぽいセーター、いっちゃってるニヤケ笑い、彼のウィッチ(というよりウィザード)は「アブナイ人」キャラがめちゃめちゃ立っていて、インパクト極大でした。長身のガッシリしたプリンス系の役を踊ってきた彼にしては、だいぶ新境地を開拓したのではないでしょうか。彼が日本人で、見ている私も日本人だからこそ感じた「猟奇性」は確かにあったと思うので、現地の観衆はどう感じたのか、聞いてみたいです。それにしても、蓋を開けてみたらこのウィッチは全くの男役で、これを(男勝りの長身・筋肉質ではあるけれども女性であり母である)ヤノウスキーにどう踊らせるつもりだったのか俄然興味が湧き、次の機会には是非とも元々の発想を見たいものだ、と思いました。
 初日ではマクレーが演じた砂男は、原作にはない登場人物ですが、フンパーディンクのオペラでは「眠りの精」に相当する役回しかと。サイバーニュウニュウのメカエルビスみたいな(という例えがわかる人は少ないでしょうが)リーゼント、無表情のかぶり物で、キッチンの冷蔵庫の中からいきなり登場し、終始くねくねくにゃくにゃと動いて、ウルトラマンレオで蟹江敬三が演じていた軟体宇宙人ブニョ(という例えがわかる人はもっと古い)みたいに、実に神経を逆撫でするキャラクターです。この日しか見てないので何とも言えんのですが、Bキャストのドナルド・トームは身体の柔軟性において、この役にはあまり向かないのではと思いました。ウィッチに比べて「アブナイ」度が足りませんでした。もっと重力に身を委ねタコのように脱力し切った異形の動きは、マクレーなら多分できるはず。
 今日は舞台を挟んで両側に客席があり、一部がせり上がって下からお菓子の家ならぬ「玩具の家」の地下が出てくるという3Dな舞台装置でした。これはメインのオーディトリウムでは上演困難でしょう。リンベリーは2回目でしたが、このスタジオにはいろんな仕組みがあるものだと感心しました。第一部の追っかけっこ場面などが多少冗長に感じましたが、それ以外は目の離せぬ100分間で、私は大いに楽しみました。こんなことならAキャストのチケットも自分用に買っておくべきでした。


2013.05.03 Hungarian State Opera House (Budapest)
Géza Bereményi (director), Balázs Kocsár (conductor)
Eszter Sümegi (Arabella), Tomasz Konieczny (Mandryka), Zita Váradi (Zdenka)
László Szvétek (Count Waldner), Bernadett Wiedemann (Adelaide)
Dániel Pataki Potyók (Matteo), Tamás Daróczi (Count Elemér)
András Káldi Kiss (Count Dominik), Sándor Egri (Count Lamoral)
Erika Miklósa (The Fiakermilli), Erika Markovics (fortune-teller)
Imre Ambrus (Welko, servant), József Mukk (waiter)
1. Richard Strauss: Arabella

 ここは昨年「くるみ割り人形」を見に来たばかりですが、オペラを見るのはちょうど3年前の「ばらの騎士」以来です。そのときはマルシャリンを歌っていたシュメギ・エステル、今回はタイトルロールのアラベラを歌い、リリックソプラノの王道を真直ぐ突き進んでます。元々華のある人ですが、今日は周囲に食われ気味で、もひとつ印象に残らず。ちょいと身体が増殖してないですか。お嬢さん役はだんだんと厳しくなってきたかも。
 ウィーン社交界の華をハンガリー人ディーヴァが演じれば、相手役であるハンガリーの大地主マンドリーカはポーランド人のトマス・コニエチヌイが歌うという、ちょっと屈折した配役。全然知らない人でしたが、たっぷりと低周波を含んだ深みのある声に、丁寧で安定した歌唱がタダモノではない素晴らしさでした。経歴を見ると早くからドイツのメジャー歌劇場でキャリアを積んでいる様子。公式サイトを見ると、この後ウィーン国立歌劇場のリングサイクルでヴォータンを歌い、ミュンヘンではアルベリッヒを歌うようです。売れっ子ですね。
 妹ズデンカ役のヴァーラディは、まずまず無難なズボン役(男装の女性役なのでズボン役とは言わないか。でも役柄のイメージはまんまオクタヴィアンです)。ヴァルトナー伯爵のスヴェーテクは、昔ここで「神々の黄昏」のハーゲンを熱演していた印象が強いですが、本来はこういったコミカルなキャラクターが持ち味です。この人も実に良い声。伯爵夫人のヴィーデマンはもう何度も見ていますが、存在感ある芯の太い声(と太い身体)は全く健在でした。フィアカーミリは、初めて聴くミクローシャ・エリカ。よく見ると老け顔で雰囲気も意外と地味だし、オペラの大役を担うにはまだちょっと線が細い。何より、オーラがない。売り出し方がアリアコンサート中心で何となく浮ついている感じがして、一線級のオペラ歌手とは正直認識しておりませんでしたが、コロラトゥーラは確かに世界的第一人者とのフレコミ通り達者にこなしていました。ちゃんと歌える人を脇までしっかり揃えた、充実した歌手陣の公演だったと思いますが、エレメール伯爵だけは、喉を痛めたのか全然声が出てなくて、他が声のでかい人ばかりだったのでちょっとかわいそうでした。
 演出は、昨シーズンプレミエの新プロダクションではありますが、読み替え一切なしのオーソドックス過ぎるものでした。野暮ったさと衣装の垢抜けなさは、ある意味ハンガリー国立歌劇場らしくてほっとします。奇抜な発想で伝統を破壊するだけのモダン演出よりよほど好感が持てます。舞踏会の場面では半円に配置した総鏡張りのボールルームが、人が引けて照明を落とすと鏡が半透明になって外側の雪景色がぼうっと浮かび上がる仕掛けになっており、大してお金をかけていないのに、発想の勝利と思いました。オケはしばらく見ない間にずいぶんとメンバーが若返っていて、その分しっかり生真面目な演奏を聴かせてくれました。ROHのオケも新陳代謝が必要なんじゃないでしょうかね。


2013.04.25 Barbican Hall (London)
Sir John Eliot Gardiner / London Symphony Orchestra
Stuart Skelton (Oedipus/tenor), Gidon Saks (Creon/bass-baritone)
Jennifer Johnston (Jocaste/mezzo-soprano), Fanny Ardant (narrator)
Gentlemen of the Monteverdi Choir
1. Stravinsky: Apollon musagete
2. Stravinsky: Oedipus Rex

 サー・ジョン・エリオット・ガーディナーの70歳記念コンサート。今シーズンで85歳記念だったLSOの総裁サー・コリン・デイヴィスは、結局記念コンサートを一度も振ることなく先日他界されましたが、今日のプログラムにはデイヴィスを偲ぶガーディナーの追悼文が掲載されていました。15歳のガーディナーがホーランド・パークのデイヴィス宅まで押し掛けて「指揮者になるには何をやればいいか」と聞いたところ、「春の祭典」を勉強しなさい、と教わったそうです。どちらかというとバロック古楽器系の人と思われるガーディナーが、実はストラヴィンスキーも原点の一つであって、この記念演奏会の一見不思議な曲目も故のある選曲だとようやくわかりました。
 「ミューズを率いるアポロ」は2年前のベルリンフィルで聴いて以来です。指揮者に近い内側にチェロ、ヴィオラを並べ、その外側にヴァイオリンを立たせるという変則配置。コンサートマスター(今日はトモ・ケラー)が一番外側にいるのです。各パートの人数は作曲者指定よりも少し多めで、しかしパート各々をぴっちりと引き締め研ぎすましてから、相互に音を絡ませるという室内楽的なアプローチが、いかにも古楽の合唱・合奏を得意とするガーディナーらしい。ピリオド系奏法ではないものの、澄んだ響きであり、いぶし銀モノトーンの世界でした。
 さて、「エディプス王」は「ミューズを率いるアポロ」と同じく新古典主義の時代の作品です。合唱は手兵モンテヴェルディ合唱団の男声陣を借りてきましたが、全員顔白塗りのゾンビメイクだったのに驚きました。後から出てきたテナーとバリトンも同じくヘンな白塗り。演出家は誰もクレジットされてなかったですが、まさか合唱団と歌手が勝手にやってた、ということはないですよね。
 この作品はフランス語のナレーション(聴衆の言語に合わせて翻訳する)とラテン語の歌で構成されますが、今日のナレーションはオリジナルのフランス語のままでした。オペラ・オラトリオというだけあって、歌手の歌合戦よりも合唱のほうがむしろ主役に見えます。歌手で出ずっぱりなのは、もちろんエディプス王。テナーながらもまるでバリトンのような野太い声で、威圧感はありました。クレオン役のバリトンは出番が少なく遠くにいたため、よくわからず。メゾソプラノ(この人だけ白塗りメイクなし)は音程ヨレヨレで歌唱に難あり、でした。以上クレジットされている3名以外のソリスト(テナー、バリトン、バス)は合唱団の人が受け持っていましたが、これが意外と堂々とした歌いっぷりで、何気に上手かったです。特にバスは華奢な身体にもかかわらず技量も声量も素晴らしく、単なる合唱団員とは思えない立派な歌唱でした。
 ガーディナーは以前ベートーヴェンで聴いたときと変わらず、長身をゴツゴツ振り回す感じのどちらかというと不器用に見える指揮でしたが、LSOはいつものごとく冴えた演奏を聴かせてくれました。それほど大編成ではないのに馬力は十分で、ずいぶんと派手な演奏です。私は聴けませんでしたが、この曲は確か昨シーズンもゲルギエフの指揮で演奏したはず。下地はそのときと同じなのかもしれません。


2013.04.22 Royal Festival Hall (London)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Imogen Cooper (piano-2)
1. Ernst von Dohnányi: Symphonic Minutes
2. Beethoven: Piano Concerto No. 1
3. Bartók: Concerto for Orchestra

 約1年ぶりのブダペスト祝祭管。客席を見ると、見間違えることはない、内田光子さんが聴きにいらしてました。ロイヤルフェスティバルホールでは特によくお見かけしますね。
 1曲目はドホナーニの「交響的瞬間」という5曲から成る短い組曲。ドホナーニはバルトーク、コダーイと同世代でありながら、ハンガリー民俗色を前面に出さず、ドイツ音楽の伝統に則った作風を頑なに守った人で、今では忘れられた作曲家とまでは言わないにしても、ハンガリー国内ですら、作品が取り上げられる機会はそう多くありません。この小曲も田舎風ではあるけれど全然ハンガリーっぽくないです。もうのっけから息のぴっちし合った弦アンサンブルに懐かしさで顔が緩みます。一年ぶりに聴いても変わらず音の引き締まった、統一感のあるオケです。かといって没個性ではなく、コーラングレのソロなど、どこの一流オケと比較しても見劣りせず、実に素晴らしい。今日は特に木管の人々が冴えていました。
 イモジェン・クーパーは2005年にブダペスト祝祭管の福袋コンサート(曲目、ソリスト共に当日発表)で聴いたのが初めてで、次が昨年のプロムス、今日は3回目です。今までの感想で共通しているのは、運指はバランス良く完璧だけれども、四角四面の杓子定規で面白みのないピアノ、ということでした。今日も全体の印象は実はそれと大きく変わるものではないのですが、決して力まず、おおよそベートーヴェンらしくない不思議な透明感を持った、まるでドビュッシーのような演奏だったので、意外さは大いにありました。フィッシャーはいつものごとく楽器配置で仕掛けを少々。オーボエが第1ヴァイオリン、クラリネットが第2ヴァイオリン、フルートとファゴットはチェロに混ざって、でもさすがにもう手慣れたもので、皆さん何の違和感もなく淡々と演奏していました。ティンパニは小型の旧式で、ホルンとトランペットもピストンのないバロック式の楽器に持ち替えていましたが、その分音程が危うくなる瞬間もちらほら。まあ全てを含めて想定内なんでしょう。
 メインのオケコンは、ブダペスト祝祭管のCDは持っていますが、生では初めてです。ブダペストの定期演奏会では意外とバルトークを取り上げてくれないので、ツアーがらみのときだけチャンスがありました。この曲を得意としていたショルティが設立に関わっていただけあって、まさに「第一人者」としての自覚と自信に溢れる、プロ中のプロの演奏でした。トロンボーン奏者が首にコルセットを巻いていて(ムチウチでもやっちゃったんでしょうか)体調が万全ではなかったのか、バランスが悪いと思うところがいくつかありましたし、第4楽章では演奏中にドラがガッシャーンと倒れるというハプニングもありましたが、それらを除けば、冴え渡る木管、馬力ある金管、芯の太い弦、肩を揺すってノリノリのティンパニ、全てを知り尽くした指揮者、皆が一体となって、「ハンガリー人の自分らにしかできない完璧な演奏」を立派に具現していました。ここはどうだった、ここはああだったといちいちピックアップするのももどかしい、とことん細部に息の届いたフィッシャー節でした。
 アンコールは、皆さんも最後にハンガリー舞曲が聴きたいでしょう、というフィッシャーのかけ声を皮切りに、第3番と第7番という可愛らしい選曲で演奏されました。今日はコーラス席だったので奏者の譜面台をオペラグラスで覗くと、他にも第1番とかいろいろ用意されていました。その日の気分で適当に選んでいると思いますが、それにしてもオケは手慣れ過ぎ(笑)。最後まで完成度を崩さない人々でした。


2013.04.20 Royal Opera House (London)
Nicola Luisotti / Orchestra of the Royal Opera House
Daniele Abbado (director)
Plácido Domingo (Nabucco), Liudmyla Monastyrska (Abigaille)
Andrea Caré (Ismaele), Marianna Pizzolato (Fenena)
Vitalij Kowaljow (Zaccaria), Dušica Bijelic (Anna)
Robert Lloyd (High Priest of Baal), David Butt Philip (Abdallo)
Royal Opera Chorus
1. Verdi: Nabucco

 今シーズンのニュープロダクションである「ナブッコ」はミラノ・スカラ座、バルセロナ・リセウ劇場、シカゴ・リリックオペラとの共同製作となっております。ここROHでは前半5回のタイトルロールをレオ・ヌッチ、後半4回をドミンゴが歌う(残りは全て同じキャスト)ということで、これは困った、どちらもまだ生で聴いたことがない。歌は、もちろんヌッチが良いに決まっているけど、ドミンゴも一度は見てみたいし(過去の出演時は枚数制限のおかげで家族分のチケット取れず)と迷ったあげく、結局ドミンゴの回を何とかがんばってゲットしました。
 結論を先に行ってしまうと、音楽面では期待をはるかに上回る、たいへん素晴らしい公演でした。まず、歌手陣が極めてハイレベルの競演。特にアビガイッレ役のリュドミラ・モナスティルスカとザッカリア役のヴィタリ・コワリョフは、どちらも知らない人でしたが、芯のある美声、豊かな声量、劇的な表現力、どれを取っても、どこの劇場でも拍手喝采間違いなしの立派な歌唱で、実際この二人への拍手はドミンゴをも凌ぐものでした。フェネーナ役のピッツォラートも、声は素晴らしかったのですが見た目が非常に問題。大昔のワーグナー歌手じゃあるまいし、いくら声が良いと言ってもお姫様役でこの劇太りは今時あり得ない。元々共感できるところが少ないフェネーナという役所は、この容姿のおかげでますます絵空事にしか思えなくなりました。モナスティルスカもどちらかというとガッシリ系体格なので、この二人に挟まれたイズマエーレ役のカレは、よく見るとワイルドな伊達男で歌もしっかりしていたのに、貧相に見えてしまってちょっと割りを食いました。後は、ザッカリアの妹アンナ役とバビロニアの兵士アブダロ役は、去年ROHのヤングアーティストで見た「バスティアンとバスティエンヌ」で主役を歌ってたペアですね。
 生では初めてだし、バリトン役を歌うのは全く未知だったドミンゴ先生は、やっぱり予想していた通り、声質がバリトンではなく完全にテナーのものでした。低音成分が貧弱なのは正直物足りない感じはしましたが、他の若い歌手陣に全く負けていない抜群の声量と、いかにも舞台慣れした堂々の演技力は、さすがスーパースターと脱帽するのみでした。今年72歳、3年前には癌の手術から生還した身でありながら、この溢れるパワーとヴァイテリティは驚異的です。若いころの声はどれほど凄かったことか、長年トップであり続けたのもこの人なら納得できると思わせるに十分でした。
 日本でもお馴染みの指揮者ルイゾッティは、オケもコーラスも分け隔てなくノリノリで引っ張ります。金管の問題児たちをバンダで舞台裏に追いやった?せいもあるのかもしれませんが、パッパーノ以外でこれだけ集中力あるオケの音は、久々に聴きました。ROHのオケは、イタリア系指揮者との相性が実は良いのかもしれません。有名な第3部の合唱「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」は、拍手が持続しなかったのでアンコールがなく、残念。6年以上前にブダペストのエルケル劇場で見た際はちゃんとお約束のリピートをやっていましたが。それはともかく、指揮者、オケ、歌手の三位一体となったがんばりのおかげで、極めて劇的な音楽に濃厚な歌唱が上手くマッチした音楽面は素晴らしく、たいへん優れた公演でした。
 難を言うとすれば、演出。古代エルサレムの世界はどこへやら、大きな砂場に象徴的なセット、背後には舞台を別アングルで撮ったビデオ(最初ライブ映像かと思いましたが、よく見るとあらかじめ作っておいたムービーのようです)が流れ、背広を着たキャストを見ていると、大元のコアはどこに言ったのか、いったい何の話だったのか、わけがわからなくなります。それ以前に、人が歩くたびに砂煙が舞台上空まで舞い上がり、第2部では舞台上で本物の火をもうもうと焚いたりして、歌手や合唱団にとっては迷惑この上ない演出だったのではないかなと。登場人物が皆20世紀初頭くらいのみすぼらしい平民服だったのも、この舞台をただ面白くないだけでなく、人間関係をさらにわかりにくいものにしていたと思います。歌手陣が全般に良かっただけに、歌われる歌詞と舞台の上の出来事との乖離もいちいち不愉快でした。演出を除けば五つ星をあげられる公演だっただけに、演出だけが評判を下げることもあるという事実を目の当たりにしました(ちなみに演出家はアバドの息子)。歌手は皆恰幅があり声量豊か、濃厚な味付けの音楽だったので、何だかワーグナーを聴いている感じがする公演でしたが、演出の雰囲気から言っても、確かにこの演目がヴェルディじゃなく「パルシファル」だったら違和感なかったかも、とは思いました。


2013.04.13 Sadler's Wells (London)
Fabulous Beast Dance Theatre - The Rite of Spring & Petrushka
Michael Keegan-Dolan (director/choreography)
Lidija Bizjak, Sanja Bizjak (four-hand piano)
Cast:
Olwen Fouéré, Anna Kaszuba, Louise Mochia, Rachel Poirier, Ino Riga, Brooke Smiley
Bill Lengfelder, Saju Hari, Saku Koistinen, Emmanuel Obeya, Innpang Ooi, Keir Patrick
1. Stravinsky: The Rite of Spring (four-hand piano version)
2. Stravinsky: Petrushka (four-hand piano version)

 ストラヴィンスキーの「春の祭典」は放っておいても毎年たくさん演奏されている定番曲ですが、今年は初演から100年を記念してさらに聴く頻度が多くなります。サドラーズ・ウェルズでは「String of Rites」と称したシリーズでいくつかのカンパニーがこの曲にインスパイアされたパフォーマンスを披露しますが、これもその一つ。ファビュラスビースト・ダンスシアターの「春の祭典」は2009年にENOで一度見たので2回目ですが、今回は伴奏がオーケストラではなくピアノ連弾(作曲者自身のスコア)というのが変わっています。演奏するのはビジャーク姉妹というセルビア出身の美人デュオ。姉妹と言っても、意外と12歳も年の差があるんですね。CDも出しているくらいのオハコなので、実に手慣れた演奏でした。
 前に見たときは寒々しい冬の夜に革ジャン姿の労働者風がぞろぞろ出て来ますが、今回はスーツ姿の男女で屋内に場面設定が変わっていました。細かいところは憶えていませんが、おそらく踊りもかなり変わっている気がします。私はコンテンポラリーは普段ほとんど見ないので、このかぶり物あり、性的描写ありの18禁演出は、やっぱりヘンだなと思いますが、大元のコンセプトは至って真面目に踏襲している、ある意味わかりやすいダンスでした。男女共にスッポンポンになる瞬間はありますが、一番肌の奇麗な子は下着寸止めで脱がなかったのが残念(泣笑)。
 今回初めての「ペトルーシュカ」を実は楽しみにしていましたが、「春の祭典」ほどの掘り下げはまだない感じでした。狂言回しの役割の老女(オルウェン・フエレ)はここでも登場し、舞台右隅で3m以上ありそうなバーチェアみたいな椅子にずっと座っています。梯子がないと下りられないので、上演中身動き取れません。もし何かの拍子に椅子の支柱が折れたら大怪我するなあと思いつつハラハラしながら見ていました。その足下には、先ほどの犬のマスクをかぶった老人(ビル・レングフェルダー)がホームレスのごとく床にグダっと座っています。しかし舞台の上は白布の背景に全身白服のダンサーたちが溌剌と踊り、やけに清潔感があってコントラストを成しています。こちらは大元のストーリーとは全く関係無しの振付けで、18禁の要素はなく、最後は舞台中央上から縄梯子が下りてきて女性が登っていったり、意表をつく表現は随所にあったものの、「春の祭典」に比べるとコアがない気がしました。まあ、一度見たくらいで理解できたとは到底言えません。
 それにしても、どちらの演目でも舞台の上で役者が煙草に実際火をつけてバコバコ吸っておりまして、イギリスでも屋内で煙草が吸える場所があったんだ、という新鮮な驚きがありました。


2013.04.12 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: La Bayadère
Valeriy Ovsyanikov / Orchestra of the Royal Opera House
Marius Petipa, Natalia Makarova (choreography)
Roberta Marquez (Nikiya), Steven McRae (Solor), Yuhui Choe (Gamzatti)
Eric Underwood (High Brahmin), Gary Avis (Rajah), Tristan Dyer (Magdaveya)
Kristen McNally (Aya), Thomas Whitehead (Solor's friend), Alexander Campbell (Bronze Idol)
1. Minkus: La Bayadère (orch. by John Lanchbery)

 今年の残りシーズンは、オネーギン、ジゼル、ドンキ、バヤデール、マイヤーリンクといった、フルレングスの定番バレエでまだ見たことがなかった(どちらかというと後回しにしていた)演目を運良く落ち穂拾い出来ております。
 「バヤデール」は古代インドの宮廷を舞台にした悲恋物語。戦士ソロルは寺院の踊り子ニキヤと密かに恋仲ですが、言いよってくる美麗の王女ガムザッティについ魅せられて、ニキヤは暗殺され、最後はソロルとガムザッティの結婚式で仏様の鉄槌が下って全員死亡、というはちゃめちゃなあらすじです。もちろん今日のプリンシパルは我家の定番、マクレー・マルケス・ペアですが、ガムザッティ役は当初モレラだったのが、怪我のためユフィちゃんに交代。男を惑わす美貌、という役どころにモレラというはどうしても違和感があるので、このキャスト変更、私的には大歓迎。そしてユフィちゃんは美しく冷血なプリンセスを見事に演じ切っていたと思います。ソロルに投げかける美人の自信に満ち溢れた笑みと、ニキヤと対峙したときの鬼の形相がどちらも非常に分かりやすくて、コントラストが面白かったです。それにしてもユフィちゃん、顔、怖いわ〜。
 マクレーは特に失敗とかまずいところはなかったと思うのですが、メークのせいかもしれませんが、何となくお疲れ感が漂い、いつものハツラツとしたキレがそれほど感じられませんでした。パートナーのマルケスは、このところ不調で「おや?」と思うことが何回かあったのですが、今日の堂々と安定したジャンプと足裁きはまさにプリンシパルのもの。回転にも勢いのある加速がありました。マクレーとの息もぴったりで、妻は「やっぱりこのペアよね〜」と大満足の様子。一つには、ユフィちゃんとの対比があったと思います。マクレーさんとユフィちゃんのペアはやっぱり急造で、タイミングが合わず回転でオケのほうを待たせてしまうような箇所が何度かありました。本来ならニキヤとガムザッティはどちらもプリンシパルでバランスの取れた力量であるべきが、いくら美人でスタイルが良くても、ユフィちゃんの踊りは軽いし、小さい。マルケスがプリンシパルで、ユフィちゃんがその地位に近づきながらもまだ届いていないのは、こういうことなのか、というのが今日は如実に感じ取れました。と、素人がえらそうな放言をしてしまいまして、ファンの方には真にすいません。まあ、腰のくびれを見比べると、贅肉なくきゅっと絞れたユフィちゃんに対し、マルケスのほうは最近太ったとか悪口叩かれるのもいたしかたないかなと思えました…。バヤデールは露出の多い衣装なので、お腹周りに目が行くのは仕方がない!(きっぱり)


2013.04.04 Barbican Hall (London)
Nikolaj Znaider / London Symphony Orchestra
Piotr Anderszewski (piano-1)
1. Mozart: Piano Concerto No. 25, K503
2. Mahler: Symphony No. 5

 今年初のマーラーです。しかも5番はほぼ2年ぶり。過去3年を振り返ってマーラーの演奏会に何度行ったかを数えてみると、生誕150年だった2010年は8回、没後100年だった2011年はマゼール/フィルハーモニア管による全曲演奏会などもあったりして18回、記念イヤーが過ぎて落ち着いたはずの2012年も7回ありました。今年はこれ以降、一つもマーラーのチケットを買ってない…。
 まずはモーツァルトのコンチェルト。ピアノのピョートル・アンデルシェフスキは初めて見る人ですが、一目見て、天然系。ピアノに向かっているとき以外は全く生活力なさそう(失礼)に見えます。その第一印象に違わず、ピアノは天才肌の個性的なモーツァルトでした。まず、音が異常に太い。ありがちなコロコロと音を回すモーツァルトではなく、軽快さを排除した非常にシリアスな演奏に、実は面食らいました。カデンツァも「え、これがモーツァルト?」と思うほどポリフォニックなものだったので、多分自作でしょうか。オケがこれまた重めの足取りでしたが、これはハイティンクの指揮でもそんな感じだったかもしれないので、LSOが奏でるモーツァルトの特質かもしれません。第2楽章がこれまた全く自分自身のモノローグ的な演奏で、本人の発するうなり声が気になって仕方がありませんでした。ともかく、余計なものがいっぱいくっついたモーツァルトという印象。うなり声を出す奏者はけっこういますけど、彼のは何だかとっても耳障りで、良いピアニストなんだろうけど、私にはダメでした。彼はポーランドとハンガリーのハーフらしいので、バルトークは絶対イケると思います。是非やってください。
 メインのマーラー5番。ズナイダーはヴァイオリンでは過去2回聴いていますが、指揮は初めて。本音を言うと、器楽奏者が二足のわらじで、特に奏者として脂が乗ってしかるべきのころに指揮までやりたがるのには一般論として良い印象を持っていません。今日も「青二才のヴァイオリニストがマーラーとは、百年早いわ!」とまでは言いませんが、多少の色眼鏡はどうしても付けていました。さてこの人はどうしたもんかと半分眉唾で臨んだところ、ともかくオケが上手過ぎで、幸いというか、指揮者の力量など吹っ飛んでいました。前回LSOでマーラー5番を聴いたときにも増して、フィリップ・コッブのトランペットは胃に寒気が走るくらいパーフェクト。ホルンも負けじと、ちょっと音が揺れてしまったらその直後はムキになったりして、張り合っているのがよくわかりました。全体的にマーラーとしては全てが想定の範囲内で、特段個性の際立つところはありませんでした。オケを八面六臂にリードしているようには見えず、逆にリードされているようにも見えましたが、「良い日のLSO」をこれだけ確実に引き出しているのは、実は優れた指揮者なのかもしれません。コンマスのシモヴィッチはいつにも増して大きい身振りでノリノリの演奏でしたが、内実はこの人が全てを引っ張っていたのかも、と後になって気付きました。今日の結論として、少なくともLSOを指揮するズナイダーは、安心して聴ける音楽を与えてくれると言えそうです。


2013.03.30 London Coliseum (London)
The Mikhaillovsky Ballet: Don Quixote
Pavel Bubelnikov / Orchestra of the Mikhailovsky Theatre
Mikhail Messerer (staging), Marius Petipa, Alexander Gorsky (original choreography)
Nina Anisimova, Igor Belsky, Robert Gerbek, Kasyan Goleizovsky, Fyodor Lopukhov (featured choreography)
Natalia Osipova (Kitri), Ivan Vasiliev (Basilio, a barber)
Marat Shemiunov (Don Quixote), Alexey Kuznetsov (Sancho Panza)
Philip Parkhachov (Lorenzo), Pavel Maslennikov (Gamache, a nobleman)
Evgeny Deryabin (Espada, a toreador), Valeria Zapasnikova (street dancer)
Sabina Yapparova, Anna Kuligina (flower girls, Kitri's friends)
Olga Semyonova (Mercedes), Irina Kosheleva (Queen of the Dryads)
Veronica Ignatyeva (Cupid), Roman Petukhov (Duke)
Alexander Omar, Mariam Ugrekhviladze (solo in Gypsy dances)
Kristina Makhviladze, Alexey Malakhov (Fandango)
Asthik Ogannesian, Anna Kuligina (variations)
1. Minkus: Don Quixote

 ミハイロフスキー・バレエの第2弾。今日のプリンシパルはオーシポワ、ワシーリエフの元ボリショイ組。このペアは一昨年の夏にアシュトン版の「ロメオとジュリエット」で見ていますが、当時はまだミハイロフスキーに移籍する前だったんですね。「ドン・キホーテ」は初めて見ますが、飛んだり跳ねたり系のシンプルに楽しいバレエとのことで、全身バネのようなこのペアには打ってつけと思ったら、正に期待以上のもの凄さでした。
 オーシポワは開始早々バッタのようにぴょんぴょんと飛び跳ね、息が乱れることもありません(少なくとも私にはそう見えた)。全く軸のぶれない回転は、フェッテの加速が効き過ぎて回転数が足らないどころかむしろ1〜2回は余計に回ってそうな勢いです。終始明るく健康的でスポーティなダンスは、バレエとしてはかなり異形なのかも。表情の作り方など、ほとんどシンクロナイズドスイミングのようでした。お相手のワシーリエフも負けじと、カエルの足のような太股を駆使した跳躍力を発揮し、アクロバットな飛び技を連発。いちいちやんやの喝采を浴びていました。身体能力にかけては本当に超人的なこの人達が息もぴったりに繰り広げるデュエットは他の追従を許さず突出していました。二人にとってもオハコであるし、好きなんでしょう。苦もなく楽しそうに大ワザを決めていく二人を見ていると、この演目をこのペアで見れて本当に良かったとしみじみ思いました。しかしこの人達にも弱点はあって、第3幕のグラン・パ・ド・ドゥでは、もちろんここでも技巧は超人的なのですが、スポーティな凄さだけでは魅力ある踊りを組み立てられないのが露呈してしまったようにも見えました。とは言え、脂の乗ってる今しか見れない、素晴らしい「ドン・キホーテ」であったのは間違いありません。オケは今日もしっかりしていて、ミハイロフスキーは今後も要チェックであると確信しました。


2013.03.28 London Coliseum (London)
The Mikhaillovsky Ballet: Giselle
Valery Ovsyanikov / Orchestra of the Mikhailovsky Theatre
Jean Coralli, Jules Perrot, Marius Petipa (choreography), Nikita Dolgushin (production)
Polina Semionova (Giselle), Denis Matvienko (Court), Vladimir Tsal (gamekeeper)
Ekaterina Borchenko (Queen of the Wilis), Anna Novosyolova (Giselle's mother)
Roman Petukhov (armor-bearer), Alla Matveyeva (Court's fiancée), Marat Shemiunov (Duke)
Sabina Yapparova, Anton Ploom (peasants' pas de deux)
Asthink Ogannesian, Valeria Zapasnikova (Wilis' variations)
1. Adam: Giselle, ou Les Wilis

 ミハイロフスキー劇場バレエが隔年くらいでやっているロンドン公演に初めて行きました。ここは、日本では「レニングラード国立バレエ」という名前でほぼ毎年ツアーをしているお馴染みの団体。ちょうど5年前に東京国際フォーラムまで「白鳥の湖」を見に行って以来です。そのときの印象から、まあこちらを見に行く時間があったらロイヤルに行こうと思っていたので今まで避けていましたが、今回は「ジゼル」「ドン・キホーテ」といった未だに舞台で見ていない演目をやってくれるというのが、思い立った第一の動機です。そしてふたを開けてみたら、なかなかどうして、捨てたものではありませんでした。
 プロダクションはロイヤルバレエよりもさらにトラディショナルな感じで、素朴な懐かしさを呼び起こします。公爵役は当初ABTのマルセロ・ゴメスでしたが怪我のため元プリンシパルのマトヴィエンコに変更。ジゼルのポリーナ・セミオノワも今はABTのプリンシパルなので、今日はゲストを軸にした配役だった、というのは言っておかねばなりません。私は、何度も見ているロイヤルのダンサーはともかく、バレリーナには全然詳しくないので、プロファイルなども後付けで色々と調べているだけですが、今日のセミオノワは一目でワールドトップクラスだと感じました。細身の長身が表出する動きの一つ一つがいちいち隙なく美しい。ステップやフェッテの安定感は言うまでもなく、ジャンプも高く、第1幕最後の狂乱の場面は渾身の熱演で、演技力も突出してます。すらっとした身体から、第一人者の貫禄が溢れ出ていました。他のプリンシパル、マトヴィエンコやボルチェンコも素晴らしかったと思いますが、終わってみればひときわセミオノワだけが印象に残ってしまってます。
 実は「ジゼル」を見るのは初めてでした。現代に上演されるバレエの中でも最も古いグループに属する古典中の古典バレエですが、確かにそれらしく、第1幕では途中話の本筋が中断して延々と踊りが続くところは間延びして眠くなりました。群舞はそれほど上手いと感じなかったのも要因の一つでしょうか。第2幕はずっと舞台が暗くて単調なのでさらに目が辛く、すいません、ほとんど沈没気味でした。オーケストラは出だし音がちょっと汚いなと思いましたが、演奏自体はROHのオケと比べたらずいぶんとしっかりしたものでした。


2013.03.22 Concertgebouw (Amsterdam)
Stéphane Denève / Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
Susan Gritton (soprano), Kate Aldrich (mezzosoprano)
Yann Beuron (tenor), Laurent Naouri (baritone), Vincent Le Texier (bass)
Netherlands Radio Choir
1. Frank Martin: Golgotha

 オランダ旅行のおり、家族にも是非見せてあげたかったコンセルトヘボウに皆で行ってみました。おり良くRCOの演奏会があったのですが、マルタンのオラトリオ「ゴルゴタ」という超マニアックな演目・・・。まあ、それしかなかったので仕方がありません。
 コンセルトヘボウの音響はやっぱり素晴らしく、後ろのほうの席でもまろやかに、ふくよかに、絶妙のバランスとデュレイションで心地よく響いてきます。全く馴染みのない、しかも苦手な宗教曲なので細かいことは何も言えませんが、オケもコーラスも完璧なアンサンブルで、しかも全てが結合し一体化しています。縦の線の乱れは感じられず、指揮者の統率力は相当なものと見ました。フランス人指揮者のドヌーヴはロンドンでも時々見る顔ですが演奏を聴くのは初めて。写真によっては新喜劇の芸人かと思うくらい「オモロイ」顔が、全然芸術家っぽくなくてちょっと見くびっていたのですが、実物は全く印象が違って、厳しく精悍な顔つきの全く職人風指揮者でした。ソリスト陣は私の知ってる名前がありませんでしたが、皆さん地味ながらも危なげない歌唱で、敬虔な品格を保っていました。
 しかし、この曲目はさすがに子供にはキツそうで、それに加えて今日は家族全員体調がすぐれなかったのと、娘の空腹が終演までもちそうになかったので(コンセルトヘボウの開演時刻は20時15分)、前半が終わった休憩中に、後ろ髪引かれながらも家長として途中リタイアの決断をしました。家族でここに再び来ることはもうないかもしれませんが、コンセルトヘボウの内装と音響に直に触れるという目的はまあ達成したので、今回はしゃーないです。


2013.03.17 Barbican Hall (London)
Gustavo Dudamel / Los Angeles Philharmonic
1. Vivier: Zipangu
2. Debussy: La mer
3. Stravinsky: Firebird (complete)

 2年ぶりのロスフィルです。さすがのドゥダメル人気に加え、今回のシリーズでクラシカルな演目はこの日しかなかったので早々にソールドアウト。リターンでポコっと1枚出てきた最上位席を、すかさず清水の舞台から急降下してゲットしました。プログラムのコンセプトは、エポックメイキングなフランスもの、といったところでしょうか。
 1曲目「ジパング」の作曲者クロード・ヴィヴィエを私は名前すら知らなかったのですが、シュトックハウゼンに師事したカナダの現代音楽作曲家で、1983年に34歳の若さで会ったばかりの「男娼」に刺し殺されるというスキャンダラスな非業の死でもよく知られている人だそうです。小編成の弦楽合奏のための「ジパング」はもちろん日本を意識した曲。のっけから弦をわざと軋ませる特殊奏法を駆使した、ちょっと音の濁った笙を思わせる響きで始まり、最初はペンタトニックな民謡調の旋律で進むのかと思いきや、すぐにトーンクラスター的になったり、ヘテロフォニー的であったり、盛りだくさんに怪しげな展開を見せます。雅楽を意識したような作りはまるで日本人作曲家の現代音楽みたいな感覚ですが、違うのはリズム。この人工的な拍子感は東洋よりも西洋のものです。まあ、よくわからないながらも面白い曲でした。
 続くクロード・ドビュッシーの「海」は、好んで聴きに行くわけではないのに聴く機会の多い曲で、ちょい食傷気味です。ドゥダメルの指揮は、切絵の紙芝居でも見ているような、分かりやすい演出。場面場面の展開がはっきりしており、カット割りの多い映画のようでした。たゆたうと流れる水の動きなど、全体の起伏は犠牲になっていたものの、その分細部に磨きをかける戦略。とにかく各奏者、ソリストがいちいち上手過ぎで、金管など余裕しゃくしゃく。オケの高度な演奏能力に感心することしきりでした。
 メインの「火の鳥」も、スーパーオケのまさに至高のサウンドに脱帽、参りました。アンサンブルもソロも非の打ち所無し。特にホルンの完璧度が印象に残りましたが、木管もトランペットも、コンマスも、とにかく皆さん達者過ぎ。2年前に初めて聴いた時も、予想外に(と言ったら失礼ですが)上手いオケで驚いたのですが、今回はさらに衝撃的でした。ドゥダメルの導くサウンドは引き続きビジュアルに訴えるもので、バレエの場面がいちいち鮮やかに目に浮かびます。この演奏をそっくりそのままロイヤルオペラハウスに持ち込んで、ロイヤルバレエのプリンシパル達の踊りと融合させれば究極の「火の鳥」が完成するだろうに、などとつい妄想を膨らませてしまいました。一つのクライマックスである「魔王カスチェイの凶悪な踊り」では、本来は1919年の組曲版で初めて追加されたトロンボーンのグリッサンドをこの原典版で吹かせていたので、さらに驚きました。確かに、こういう「サービス」を誰かやってもよさそうなのに、とは以前から思っていましたが、実際にやってしまった演奏を聴くのは初めてでした。
 久々に心の底から素晴らしかったと言える演奏会で、このところいつ体調を崩してもおかしくない中、休まずに行けて良かったです。それにしてもドゥダメル君は良い「楽器」を手に入れたものです。このまま長期政権を維持するなら、解釈の傾向といい、21世紀に蘇った「オーマンディと華麗なるフィラデルフィアサウンド」と言っても過言ではないかも。


2013.03.15 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Alice’s Adventures in Wonderland
David Briskin / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Sarah Lamb (Alice) Federico Bonelli (Jack/The Knave of Hearts)
Edward Watson (Lewis Carroll/The White Rabbit), Zenaida Yanowsky (Mother/The Queen of Hearts)
Christopher Saunders (Father/The King of Hearts), Alexander Campbell (Magician/The Mad Hatter)
Eric Underwood (Rajah/The Caterpillar), Gary Avis (The Duchess)
Ricardo Cervera (Vicar/The March Hare), James Wilkie (Verger/The Dormouse)
Kristen McNally (The Cook), Ludovic Ondiviela (Footman/Fish)
Kenta Kura (Footman/Frog), Leanne Cope, Beatriz Stix-Brunell (Alice's Sisters)
Philip Mosley (Butler/Excutioner)
James Hay, Dawid Trzensimiech, Valentino Zucchetti (The Three Gardeners)
1. Joby Talbot: Alice’s Adventures in Wonderland

 ロイヤルバレエ団20年ぶりの新作フルレングスバレエとしてお披露目も華々しかった「不思議の国のアリス」も、早3シーズン目。今年の日本ツアーにも持って行くくらい、自信の定番レパートリーとして急速に定着しつつあります。プレミエの年は見れず、去年Aキャストで2回見たので、これで3回目ですが、考えたあげく、やっぱり今年もAキャストの初日狙いにしました。しかーし、蓋を開けてみたらタイトルロールのカスバートソンがラムに交代、さらには何よりショックなのがマッドハッター、マクレー様の降板…。妻号泣。去年降板で見れなかったヤノウスキーがちゃんと出てきてくれたのが救いでした。
 去年とは振りや演出が変わっている箇所がいくつかあるような気がしたので、毎年毎回いろいろと修正を加えながらブラッシュアップしているのでしょう。当たり役のカスバートソンも可憐なアリスでしたが、純白人系ドールのような可愛さではラムはむしろその上を行くと思います。ミックスビル以外でラムを見るのは初めての気がするんですが、テクニックや演技力を大仰に誇示するのではない、コンパクトで無駄のない造作が好ましいと感じました。ヤノウスキーはさすがに役者で、エキセントリックかつコミカルな役所でありながら、わざとらしさを一切感じさせないナチュラルな表情とダンスでそれを表現し切ったのは全く素晴らしい。初演のメインキャストという強みもあるのでしょうが、やはりこれを見てしまうと、昨年のモレラはずいぶん無理な誇張をしたキャラクター作りだったのかなあと思ってしまいます。だからダメだというのではなくて、多分子供の観客にはモレラのほうがよりカトゥーニッシュでウケるかもしれません。マッドハッターのキャンベルは、残念ながら、とても残念だったとしか言いようがありません。やはりマクレーのタップダンスは特異な才能なのだなとあらためて思い知りました。この演目、まずは何よりマッドハッターのキャスティングをチェックしないといけないでしょう。
 この演目はバレエ団総動員の賑やかさで、日本人メンバー(ユフィちゃん含む)も全員出ていました。初めて見る東洋系の若い男の子がいたのですが、それが噂のアクリ・ルカ君ですか?


2013.02.22 Barbican Hall (London)
Thomas Dausgaard / BBC Symphony Orchestra
Jian Wang (cello)
1. Prokofiev: Scythian Suite
2. Bloch: Schelomo
3. Nielsen: Symphony No. 4 'The Inextinguishable'

 前日に引き続き、出張の疲れ取れず頭がボワワンとしていたので、あまり書けませんが、一応記録のために。
 1曲目の「スキタイ組曲」はまだ「古典交響曲」を書く前の初期作品。「アラとロリー」という副題が付いてまして、実際そういう題のバレエとして最初作曲を始めたものの、ディアギレフに「春の祭典」の二番煎じだと言われて却下され、管弦楽組曲に書き直されたという経緯があるそうです。音楽的には春祭と似ているわけでは全然ありませんが。初めて聴くダウスゴー、非常にシャープな演奏に感心しましたが、第2曲以降は沈没してました、すいません。あとでBBC Radio 3の放送を聴くと、やっぱり速くてぴしっと統制の取れた演奏でしたね。
 2曲目の「シェロモ」は「ヘブライ狂詩曲」とも呼ばれる、実質的にはチェロ協奏曲です。これは名前だけは昔から知っていましたが、初めて聴きました。ユダヤ人の作曲家は多数おりますが皆さん個性派で音楽はそれこそ多種多様、「ユダヤの音楽」と一括りに言ってもあまりピンと来るものがありません。旋律はベタな浪花節で、盛り上がった後の悲嘆ぶりにはちょっと自虐史観が入ってるかな、と思える曲でした。中国人チェリストのジャン・ワンは音がちょっと細いながらもよく歌う系のロマンチックな独奏でした。
 これが目当てだったメインのニールセン「不滅」は、これまた最初から快速で飛ばします。バーンスタインで聴き込んだ世代としてはちょっと急ぎ過ぎに感じますが、これが最近のスタイルみたいですね。ダウスゴーもデンマーク人ですから民族的共感に基づく演奏を期待するところですが、あまりそういった民族臭の感じられないモダンな印象の演奏でした。それとも、この「スタイリッシュ感」が実はデニッシュ民族の特徴なのかという気も。いつものごとく、BBC響は安定して上手かったです。一つ疑問は、セカンドティンパニを舞台左の第1ヴァイオリンの後ろに置いたのに対し、第1ティンパニは位置を変えず舞台中央後方のままにしていたことで、これは「第2ティンパニは舞台隅で第1の真反対側に置く」という作曲者の指定とは違うでしょう。ビジュアル面の効果からして全然違いますので、ここは通例通りステレオ配置にして欲しかったです。


2013.02.21 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Ashkenazy / Philharmonia Orchestra
Sol Gabetta (cello)
1. Britten: Suite from "Death in Venice" (arr. Steuart Bedford)
2. Shostakovich: Cello Concerto No. 2
3. Shostakovich: Symphony No. 15

 日曜にサウスバンクとバービカンをハシゴした後、月曜早朝から水曜まで出張、木曜金曜と再び連チャンという、なかなかキツいスケジュールでした。アシュケナージは好きな指揮者じゃありませんが、それでも聴きたかったのは、チャレンジングなプログラムだったので。しかしあまりにチャレンジングなため、疲れの溜まった身には苦行のように堪えました。
 1曲目のブリテン「ヴェニスに死す」は、同名オペラから抜粋して小編成オケの組曲に仕上げたものですが、ちょうど「パゴダの王子」みたいなアジアンテイストを感じます。編曲のベッドフォードは確かこのオペラの初演を指揮した人ですね。私の耳にはブリテンらしい煮え切らない曲で、結局よくわかりませんでした。
 続くショスタコのチェロコンチェルト第2番は、2年ほど前にプラハで聴いて以来です。そのときのソリスト、イケメンのミュラー=ショットと比べて今日のガベッタのほうがずっと男勝りの力強さを感じました。この若き美人チェリストは一見華奢に見えて、二の腕など実はなかなか筋肉質でパワーがあります。その分繊細さや透明感に欠ける気がして、ミュラー=ショットのときとは全く別の曲のような印象でした。やはりこれもまたつかみどころのない曲ですわな。アンコールはチェロ奏者4人を伴奏に弾きましたが、休憩時に観客がチェロ奏者に「今のは何て曲?」と聞いたら、「えーと、何だっけ」と応えられなかったのが微笑ましかったです。
 メインのショスタコ15番はその昔、タコというとまだ5番と9番しか知らなかった頃にFMラジオで初めて聴いて、第一印象は「何て変な曲」だったけど何故かハマり、エアチェックしたテープを勉強のBGMによく聴いていました。実演は初めて、すごーく久々に聴きましたが、やっぱり何て変な曲(笑)。思い出しましたけど、第1楽章の「ウイリアム・テル」の他にもワーグナーや自作からの引用がいっぱいあるサンプリングミュージックなんですね。アシュケナージはN響と一緒にブダペストに来たのを聴いて以来。とにかくこの人のギクシャクとした指揮はどうにもいちいちカンに触っていけません。棒振りが杓子定規であえて手の内を見せないような指揮者は他にもいますが、この人の場合は本当にずっとスコアに目を落としながら、オケに合わせて腕を振り回しているだけに見えてしまうので、指揮者としていかがなものか、という思いを禁じ得ません。そんな感じでリズムは重たかったものの、日本公演から帰ったばかりのフィルハーモニア管は好調を維持して上手かっただけに、ちょっと無理が続いてしまった自分の体調と、今日の指揮者がサロネンじゃないという事実をちょっぴり残念に思いました。


2013.02.17 Barbican Hall (London)
Bernard Haitink / London Symphony Orchestra
Maria João Pires (piano-1)
1. Beethoven: Piano Concerto No. 2
2. Bruckner: Symphony No. 9

 12日に引き続き、LSO極東(韓国・日本)ツアーの前哨戦です。この日は図らずもダブルヘッダーになってしまい、午後サウスバンクでラベック姉妹を聴いた後、その足でバービカンに移動。地下鉄が止まっていたので車で行ったら、意外と近かったんですねえ。
 当初の発表ではモーツァルトのピアノ協奏曲のうち21番がベートーヴェン7番と、17番がブルックナー9番とペアリングされていましたが、昨年8月の段階で、ソリストの意向により21番が外され、代わりにベートーヴェンの協奏曲第2番が入ってきてブルックナー9番とカップリング、17番はスライドでベートーヴェン7番と組むということになりました。21番はもちろん得意レパートリーのはずなので不可解な変更ですが、もしかしたらこれからベートーヴェンの協奏曲全集をレコーディングする予定で、その予行練習をしたかったのかもしれません。このケースではどのみち私はピレシュのピアノが聴ければ何でもよいので、バルトークでもやってくれるならともかく、曲目変更はどうでもよかったりします。
 ベートーヴェンのコンチェルト2番はほとんど初めて聴く曲です。クラリネット、トランペット、ティンパニを欠く編成の、ベートーヴェンらしからぬ可愛らしい曲で、自作を宮廷で貴族相手に披露していた名残のような雅な雰囲気を感じます。今回ピレシュをほぼかぶりつきで見たのですが、けっこう高いかかとの靴でゴンゴンと床を叩いてリズムを取りつつ、時折大きな深呼吸もしつつ、一糸乱れぬ完全主義的な演奏にいたく感動しました。ぎくしゃくしたり、ヘンな仕掛けをしたりということは一切なく、音楽がそのままの姿で正直に流れていきます。ハッタリやこけ脅しとは全く無縁の世界で、模範演奏とはまさにこういうことを指すのだなあと感心。ハイティンクのスタイルとも共鳴する部分は多く、相性抜群の取り合わせを生で聴ける幸せをしみじみ感じました。
 メインのブルックナー9番は、「ブル嫌い」の私にしては珍しく何度も聴いている曲ですが、前回聴いたのはちょうど2年前、同じくLSOをラトルが振ったときでした。先日のベートーヴェンのときにはなかった椅子が今日は指揮台に置いてありましたが、ハイティンクは楽章間の小休憩のときに少し座っただけで、基本はぴしっと背筋を伸ばした直立不動。健康に不安はなさそうです。音楽のほうは、壮大な建造物を思わせる、スケールの大きいブルックナー。ラトルのときはいろいろと仕掛けるあまり途中オケが振り落とされたりもしていましたが、ハイティンクはさすがにこの曲はオハコ中のオハコ、小細工抜きの全く危なげない展開。安心して聴いていられる、保守本流とはまさにこのこと。オケも最上級の真剣モードで、重厚な弦、迫力の金管、精緻の木管と、どれを取ってもLSOの「今」を余すところなく披露していました。ティンパニは最近暴走気味のプリンシパルのトーマスではなくベデウィでしたが、逆に手堅い演奏で良かったです。
 来月の訪日公演のプログラムで、トップオケのパワーに酔いたいならブルックナー9番、重いのはちょっと…という人ならより聴きやすいベートーヴェン7番がオススメです。ごまかしのない高品質は、どちらを取ってもハズレはないでしょう。メンバーが前日六本木で飲み過ぎてヨレヨレにならない限りは…。一回あったんです、ブダペストでヨレヨレのLSOを聴いたことが…。


2013.02.17 Queen Elizabeth Hall (London)
Katia & Marielle Labèque (pianos)
Kalakan Trio (percussion-4)
1. Debussy: "Nuages" and "Fêtes" from Nocturnes (transc. Ravel for piano duo)
2. Ravel: Rapsodie espagnole (for piano duo)
3. Ravel: Ma mère l'oye (Mother Goose), suite for piano duet
4. Ravel: Boléro (arr. for piano duo & percussion trio)

 一昨年のOAEで初めて生を見たラベック姉妹。そのときはバロックピアノ(フォルテピアノ)でしたが、今回は普通のモダンピアノデュオを最前列かぶりつきで観賞です。お姉さんのカティアは赤、妹のマリエルは黒というコントラストの衣装で登場(ですよね?この姉妹は双子のようによく似ているので見分けにくいです)。姉妹デュオでの活動に年季が入っているので、さすがに息がぴったり。音も同質でお互い溶け合っており、「4本の腕を持つ凄腕ピアニスト」とでも表現できそうです。その分、姉妹のキャラ分けと弾き方はけっこう対照的。職人肌系きっちりピアニストのマリエルに対して、カティアは全くの芸術爆発系。激しいアクションに、きついフレーズで自然とこぼれる野獣のうなり声。最後の音を手のひらでふわっと包み込んで温めるような仕草(もちろん鍵盤から手を離した後のそんな動作が音に影響するわけはなく、完全に気持ちの問題ですが)など、エモーショナルな弾き方がビジュアル的にも面白かったです。
 前半は、先週オケで聴いたばかりの「スペイン狂詩曲」が圧巻でした。ラヴェル自身のトランスクリプションかどうかは確認できていないですが、骨組みだけみたいなこのピアノ版を聴くと、この巨大なオーケストレーションの構造と仕組みが見えて(と言えるまでの素養はないですが、少なくとも感じ取れて)きました。後半の「マ・メール・ロワ」は連弾なので、横並びで身を寄せ合ってあまり動けないせいか、多少大人しめの演奏でした。最後の「ボレロ」はバスクの民族打楽器トリオKalakanと共演。ボレロをただピアノだけで延々とやってもつまらない(やるほうも聴くほうも多分苦痛)ので打楽器で色付けするという趣向だと思いますが、ピアノはすっかり脇役でした。ただし正直な感想を言わせてもらえれば、このボレロに限っては打楽器も退屈でしたけど。あと3、4人笛系と弦系の民族楽器が加わればもっと多彩で面白くなったんじゃないかな。アンコールはKalakanのみで、拍子木の曲とアカペラ2曲を披露しました。その間ラベック姉妹は舞台脇にべたっと座りリラックスして鑑賞。拍子木は曲芸みたいなもんでしたが、アカペラは結構上手でした。


2013.02.15 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Ashton Mixed Programme (La Valse / Méditation from Thaïs / Voices of Spring / Monotones I and II / Marguerite and Armand)
Emmanuel Plasson / Orchestra of the Royal Opera House
Frederick Ashton (choreography)

 アシュトン振付の小品を集めたミックスビル。昨年ENBに移籍したタマラ・ロホの退団記念公演、さらには元プリンシパルの問題児ポルーニンがゲストで復活というエポックメイキングな公演でもありました。ですが、今日は寝不足の悪い体調で臨んだ上、悪条件が重なったせいで、あまりポジティブなことは書けません。ロイヤルバレエ団に一切非はないんですが。ちなみに今日はテレビカメラが多数入っていたので、3月に日本のNHK BSで放送する映像撮りがあったのかもしれません。そのせいか、今日のオケは普段よりずっとしっかりしてました(これができるんなら、普段からそうやらんかい…)。

1. Ravel: La Valse
Hikaru Kobayashi, Samantha Raine, Helen Crawford
Ryoichi Hirano, Bennet Gartside, Brian Maloney

 最初、スモークの向こうで華やかな舞踏会の様子が垣間見え、霧が晴れたとたん目の前に広がるきらびやかな世界。音楽が形を崩すに従い踊りも宮廷ワルツから自由になっていき、最後は曲が終わらないうちに幕が下りてしまう。ラヴェルの音楽に対するリスペクトがあります。飽きる暇もない濃密度な展開に、こいつは一発で気に入りました。しかし問題は、真後ろの席の母子連れ。多分就学前の男の子は風邪がひどいようで、上演中ず〜〜〜〜〜っとコンコンゴホゴホと咳をし続け(もちろんマスク、ハンカチなど持っておらず、菌バラ撒きまくり)、迷惑この上ない。こっちのイライラオーラが立ち昇っているのを母親のほうは察知してか、時々子供の口を押さえたりしてましたがそれで収まるわけもなく。舞台の上にあまり集中できないうちに終わってしまい、やれやれと思いつつカーテンコールの写真を一枚撮ったところ、妻の横の席のおばさんがすかさず、私ではなく妻に「写真はだめよ」と。マナー違反は承知の上なので、正面から言われたらやめるしかないです、すいません。もちろんこの日はロホの引退公演なので、立ち上がって写真・ビデオを撮っている人は他にもいっぱいいましたが…。

2. Massenet: Méditation from Thaïs
Mara Galeazzi, Rupert Pennefather (replaces Thiago Soares)

 「タイスの瞑想曲」にちょっとアラビックテイストな振付がなされています。高いリフトが印象的ですが、うーん、私ごときの素養では、何のこっちゃ感の残る不思議な一品でした。後ろの子供の咳はまだ止まらず。この曲に後ろでずっとゴホゴホやられたら、たまったものじゃありません。そもそも子供が一番気の毒、さっさと家に帰してやんなさい、と思いましたが、お母さんは我関せずで「ブラヴォー」叫びまくってました。

3. Johann Strauss II: Voices of Spring
Emma Maguire (replaces Yuhui Choe), Valentino Zucchetti

 ヨハン・シュトラウス二世の「春の声」。こちらもリフトで登場、リフトで退場という持ち上げワザが目を引きます。いかにも春らしい、活気あふれる楽しいデュエットでした。最近見てないユフィちゃんが降板してしまったのは残念です。ところでカーテンコールの写真を撮ってないと、どんな衣装だったかも早速おぼろげというか記憶がごっちゃになってしまっているので、記録としての写真が残ってないのは非常に痛い。と、ここで最初の休憩。

4. Monotones I and II
 1) Satie: Préludes d’Eginhard (orch. by John Lanchbery)
 2) Satie: Trois Gnossiennes (orch. by John Lanchbery)
 3) Satie: Trois Gymnopédies (orch. by Debussy and Roland-Manuel)
Emma Maguire, Akane Takada, Dawid Trzensimiech
Marianela Nuñez, Federico Bonelli, Edward Watson

 休憩後、子供は戻ってきませんでした。ほっ。序曲の後に、とんねるずの「モジモジ君」を連想せずにはいられない黄緑色の全身スーツに身を包んだ3人が、サティの寂寞な「グノシェンヌ」に乗せて組み体操のような踊り(と言うんでしょうか)を静かに繰り広げます。後半は白の全身スーツの、よく見るとヌニェス、ボネッリ、ワトソンという凄いメンバーが、これまたストレッチのような寡黙なパフォーマンス。これは正直、眠かった。ヌニェスの驚異的な身体の柔らかさ以外はほとんど記憶から飛んでます。せっかくうるさい咳がなくなったのに、これではいけませんなー。

5. Marguerite and Armand (Liszt: Piano Sonata in B minor, arr. by Dudley Simpson)
Robert Clark (solo piano)
Tamara Rojo (Marguerite), Sergei Polunin (Armand)
Christopher Saunders (Armand's father), Gary Avis (Duke)
Sander Blommaert, Nicol Edmonds, Bennet Gartside,
Ryoichi Hirano, Valeri Hristov, Konta Kura,
Andrej Uspenski, Thomas Whitehead (Admires of Marguerite)
Jacqueline Clark (Maid)

 もう一つ休憩を挟んで、本日のメイン「マルグリートとアルマン」ですが、これは前にも同じロホ、ポルーニンのペアで見ています。久々のロイヤル登場、自分のさよなら公演にあえて首になったポルーニンを引っ張り出してきたのは、よほど気に入ったのか、あるいはポルーニンに復活のチャンスを与えたいという温情とか、はたまた将来ENBに引っ張り込みたいという政治的思惑があったり、いろんなものが渦巻いていたのかもしれませんが以上は全て勝手な想像です。なお今回は二人ともゲスト・プリンシパルではなく単なるゲスト・アーティストという取り扱いでした。
 久々に見るポルーニンは、めちゃカッコいい。シャープな立ち振る舞いは今のロイヤルにも代わりがいない、貴重な逸材です。身体のキレも衰えているようには全く見えず、ロホとの息もぴったし。ロホの美貌も、超柔軟な身体も、プリンシパルの貫禄も、この人はもうここにはいないんだということを忘れてしまうくらい、このオペラハウスの舞台に自然に馴染んでいました。前回見たときと感想に大きな変化はないんですが、私の趣味から言うとこの演目は音楽が絶望的に退屈です。申し訳程度にオケがサポートしてはいるものの、伴奏のメインはあくまでピアノですが、しかしそのピアノに舞台の上のパフォーマンスを受け止め支えるだけの力が全くない。曲のせい、ではないんでしょう。ピアニストも前と同じ人でしたが、せっかくのさよなら公演、スペシャルなゲストを呼んでくるアイデアでもあればまだ状況は違ったかも。とにかく、この演目は私にはちっとも楽しくなかったです。やっぱり自分は、バレエの公演でも6割くらいは音楽そのものに意識が行っているのだなあと、自己の性向を再認識するしかありませんでした。
 例の子供はまた席に戻ってきていて、だいぶ風邪の様子はよくなっていたものの、幕が上がっても母親にずっと小声で話しかけていたかと思えば、そのうちまた咳き込み始め、やっと静かになったと思いきや、グーグーいびきをかきながら寝てしまいました。もうぶち切れ寸前。こんな状態の幼児を無理やり劇場に連れてきて、わざわざ害悪を周囲に撒き散らすのは、二重の犯罪行為だと糾弾さしてもらいます。帰り際によっぽど「あんたのおかげで最悪な夜だった」と言ってやろうかと思いましたが、とっとといなくなってました。さらに悪いことには、終了間際ですが、我々の後ろの立ち見席の人が意識を失って大きな音と共に突然倒れ、大騒ぎになってまして、とても舞台に集中するどころではありませんでした。長丁場の立見は、くれぐれも体調と相談してくださいね…。


2013.02.12 Barbican Hall (London)
Bernard Haitink / London Symphony Orchestra
Maria João Pires (piano-2)
1. Britten: Four Sea Interludes from 'Peter Grimes'
2. Mozart: Piano Concerto No. 17, K. 453
3. Beethoven: Symphony No. 7

 来月同じプログラムで日本ツアーに出かけるからでもないでしょうが、今日はやたらと日本人聴衆の多い日でした。かく言う私も、日本公演のチケットがS席3万円(日本の外タレ公演は酷いことに、ほとんどの席が「S」です…)と聞いて、同じものが10分の1の値段で聴ける環境をめいっぱい享受しようと思い慌ててチケット買ったクチです、はい。
 しっかりした足取りでハイティンク登場。この人を見るのはこれで8回目ですが、今まで見た中で一番元気そうかも。すぐに極東ツアーを控えた御大ですから、体調が良さげなのはグッドニュースです。正直好きな指揮者じゃなかったのでレコード、CDは多分1枚も持っていませんが、この人の真価はライブにありということをロンドンに来てから発見しました。1曲目「4つの海の間奏曲」はイギリスでは定番のショートピース。これは意外にもゴツゴツとえげつない演奏だったので驚きました。小洒落たまとめ方には一切興味がなく、オペラ「ピーター・グライムズ」の本質を踏まえた悲痛な重厚さが一貫して漂っていました。
 ハイティンクとピレシュの取り合わせを聴くのはこれで3年連続です。モーツァルトの27番、20番と来て今日は17番。先ほどのブリテンとは一転し、角の取れた伴奏に徹していたハイティンク御大とLSOでした。音のアタックを極力抑え、ビブラートも制限せずに、むしろオーボエ、フルートの木管楽器は実に瑞々しくロマンチックなアンサンブルを聴かせてくれました。ピレシュはいつものごとくツヤツヤに粒の揃ったドライなピアノで、粗探しも野暮以前に粗が無いし、高みに達した音楽家二人だからこそ成し得た境地に酔うしかなかったです。
 メインのベートーヴェン第7番は今年で初演から200周年の記念イヤー。各所で演奏機会が増えることでしょう。ザ・巨匠のハイティンクが迷わず突き進んできた、粘ったり煽ったりが一切ない直球勝負のベートーヴェン。特筆すべきは、小細工なしにスコアの音楽を引き出しているだけなのに、何という躍動感よ!音楽そのものの力とは言え、ハイティンクがここまで「ロック」な演奏の出来る人とは思っていませんでした。もっと常に重い人かという印象でした。ハイティンクが指揮台に立てば、LSOだろうがどこだろうが、いつものように最大級のリスペクトで奏者が指揮者に着いて行く。本当にハッピーな老後を過ごしている人と思います。体調に不安はなさそうですし、日本公演は大いに期待できるでしょう。


2013.02.09 Royal Festival Hall (London)
Enrique Mazzola / London Philharmonic Orchestra
Javier Perianes (piano-2), Maria Luigia Borsi (soprano-3)
1. Respighi: Fontane di Roma
2. Falla: Noches en los Jardines de España
3. Respighi: Il Tramonto (The Sunset) for mezzo-soprano & strings
4. Ravel: Pavane pour une infante défunte
5. Ravel: Rapsodie espagnole

 去年のイースターにグラナダのファリャの家を訪れた後、ファリャの音楽を無性に聴きたくなって買ったチケットです。ずいぶんと時間が経ってしまって、待たされた気分。それによく見ると、スペインの曲と言えるのは2曲しかなくてしかもその一つはラヴェルですが。
 今日がロンドンフィルデビューのエンリケ・マッツォーラは1968年スペインはバルセロナ生まれですが、イタリア人のようです。本人の公式HPにはスペイン生まれとしか書いてないし、Wikipediaにはスペイン人指揮者とありましたが、当日のプログラムではイタリア人と書いてあり、本人が演奏前のトークで「自分はイタリア人だ」とはっきり言ってたので、人種的にはイタリア人で間違いないんでしょう。実際、つるっぱげ頭ながらこだわりの赤ブチ眼鏡に、垢抜けたシャツを途中で着替えたりして、伊達男ぶりはイタリア人ですね。
 まずは「ローマの噴水」でスタート。一聴してわかったのは、この人はオケの交通整理が上手く、繊細さを犠牲にしても各楽器を際立たせ、すっきりと見通しの良い音楽作りをする人だなあということ。今回の選曲は夜を思わせる曲ばかり並んでいるので(少なくとも昼の陽射しが似合う曲は一つもない)、この一貫した透明感はどれにもよくマッチしていました。反面、特に「トレヴィの泉」あたりだと弱い金管と相まってスケール感の欠如が如実に。大仰な音楽作りはキャラクターに合わないのかもしれません。
 「スペインの庭の夜」は、いかにもスペインっぽいメロディ満載の印象主義的な曲。特に1曲目のアルハンブラ宮殿離宮ヘネラリフェは、極彩色の花壇と品の良い噴水の情景を思い出して、ノスタルジーを誘いました。協奏曲的でありながらピアノは終始控えめで、ペリアネスの力量はよくわからんかったというのが正直なところ。アンコールでもファリャのピアノ小曲を弾いてましたが、国外ではスペインもののスペシャリストとして振る舞わなければならないのでかえって窮屈なのかも。逆にスペイン国内ではベートーヴェンとか堂々と弾いてたりして、そっちのほうが面白いかもしれません。
 休憩後、レスピーギの歌曲「黄昏」は、ソプラノのマリア・ルイギア・ボルシには音域があまり合わないのか、黄昏というより夜の帳が下り切ったようなローテンション。初めて聴く曲でしたし、ボケッとしている間に終わってしまった感じです、すいません。この人本職はオペラ歌手のようなので、個性的なお顔立ちもあって、是非オペラで聴いてみたいものです。
 残りはラヴェルが2曲。「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、冒頭のホルンにもうちょっと味があればなお良かったと思いますが、音をきっちりと整理し、全体的に透明度の高いハーモニーが心地よい、なかなかの名演でした。「スペイン狂詩曲」は大管弦楽ながらもうるさい部分はちょっとしかなく、効率の悪い曲ですが、ここに至るまで抑えに抑えて溜め込んだエネルギーを最後に開放させ、オケが自発的に鳴りまくるままにしていました。今日のプログラムで派手にジャンと終わるのはこの曲だけだったので、ここまでちょっと醒めていた聴衆もようやく盛り上がって、やんやの大喝采に終わりました。
 本日はセカンドヴァイオリンのトップにゲストプリンシパルとして船津たかねさんが座っていました。一昨年フィルハーモニア管で見て以来です。しかしそれよりも今日一番驚いたのは、ホルンにLSOトップのデヴィッド・パイアットが座っていたこと。プログラムを見ると確かに彼の名前が2番目のプリンシパルとして書かれてありました。道理で最近バービカンでは見かけないなと思っていたら、いつのまに移籍したのかなー。でも後でLSOのサイトを見てみたらまだ彼の名前も残ってたりして、本当にごく最近移ったんでしょうかね。今日の演奏でもホルンが弱いと思った「ローマの噴水」と「パヴァーヌ」は、パイアットは降り番でした。今後のLPOブラスセクションは大いに期待ができるかもしれません。


2013.02.08 Queen Elizabeth Hall (London)
V4 The Seasons
Kati Debretzeni (violin) / Orchestra of the Age of Enlightenment
Henri Oguike (choreographer)
Dancers: Sunbee Han, Noora Kela, Rhiannon Elena Morgan,
Edward Kitchen, Wayne Parsons, Teerachai Thobumrung
1. Vivaldi: Violin Concerto in E major, Op. 8-1 (Spring)
2. Vivaldi: Violin Concerto in G minor, Op. 8-2 (Summer)
3. Vivaldi: Violin Concerto in F major, Op. 8-3 (Autumn)
4. Vivaldi: Violin Concerto in F minor, Op. 8-4 (Winter)

 今年に入って何故だかOAEづいてます。ふと目に入ったので中身も知らず買ってしまったのですが、演目はヴィヴァルディ「四季」のみという1時間足らずの短いコンサートで(そのため6時半と8時半の2回公演があって、これは6時半のほう)、ダンスパフォーマンス付きだということに後で気付きました。バロックの「四季」だからてっきりバレエかと思っていたら、ふたを開けたら男女6人のコンテンポラリーダンス。うーむ、あんまり得意分野じゃない…。蝶がはためくように写実的かと思えば、心象風景を抽象的に表現したような箇所もあり、「これは何だろう」といちいち考えていたらあっという間に終わってしまいました。ダンサーは女性も含めて皆筋肉質のがっしりした体格で圧迫感がありましたが、全般的に踊りは軽いノリに思えました。ピョンピョン飛び跳ねるところなんかはまるでPSYの「江南スタイル」、と言ったら怒られるかもしれませんが。
 ソリストのカティ・デブレツェニは全くハンガリー系の姓名ですが、ルーマニア(トランシルヴァニアのクルジュ=ナポカ、ハンガリー語ではコロジュヴァール)の出身だそうです。彼女もオケの指揮はそこそこに、舞台に出てきてソロを弾きながらダンサーとからみます。これも振付けの一部なのですが、ヴァイオリンの周りを至近距離でダンサーがぐるぐる回っているのを見ると、アクシデントでぶつかって高価な楽器が壊れやしないかと気が気でなかったです。
 オケの編成は、ソリストを除いて4+4+3+2+1の弦楽器に、通奏低音としてリュート(首の長いテオルボ)とギターを一人の奏者が持ち替えていました。バロック演奏の良し悪しは私にはよくわかりませんが、チューニングのピッチが低く、モノトーンの色調です。モダンダンスであえて古楽器オーケストラを伴奏にしなくても、と最初は思いましたが、終わってみれば、レオタードのダンサーとは意外と相性が良かったのかも。


2013.02.02 Barbican Hall (London)
Total Immersion: Sounds from Japan
Kazushi Ono / BBC Symphony Orchestra
Kifu Mitsuhashi (shakuhachi-3), Kumiko Shutou (biwa-3)
1. Akira Nishimura: Bird Heterophony (1993) (UK premiere)
2. Misato Mochizuki: Musubi (2010) (UK premiere)
3. Takemitsu: November Steps (1967) (UK premiere)
4. Dai Fujikura: Atom (2009) (European premiere)
5. Toshio Hosokawa: Woven Dreams (2010) (UK premiere)
6. Akira Miyoshi: Litania pour Fuji (1988) (London premiere)

 「全身浸礼:サウンド・フロム・ジャパン」と名付けられたこのイベントでは、武満徹を筆頭に、日本の現代音楽がこの日一日バービカンセンターを埋め尽くします。作曲者はいろんな世代に渡っていながらも武満を除いて皆存命の方々ですが、現代日本の曲をこうやってまとめて、しかも英国の一流オケで聴ける機会はそうそうありませんし、小澤征爾は別格として、現役日本人指揮者の中で海外での実績がダントツで格上な人であろう大野和士さんを実はまだ聴いたことがなかったので、1年前から楽しみにしていました。今週3日連続演奏会で無理したおかげで風邪はまだ良くなっていませんが…。
 1曲目は西村朗(1953〜)の「鳥のヘテロフォニー」はオーケストラ・アンサンブル金沢のために書かれた曲。パプアニューギニアをイメージしたそうですが、確かにジャングルの森や川などのビジュアルイメージを喚起するような曲です。鳥と言ってもすいすい空を飛ぶ渡り鳥というよりは、地面をざわざわうごめく鶏の喧噪を表現しているような。後半のオスティナートで盛り上がる部分は全くの調性音楽で、比較的聴きやすい曲でした。
 2曲目、望月京(1969〜)の「むすび」は東京フィルの100周年記念委嘱作品。雅楽の模倣風で始まり、途中で祭り囃子の笛太鼓が入ってくる、ジャパニーズサービス精神旺盛な曲です。このままコンテンポラリーバレエにもできそうな感じがしました。こういう曲も無難にこなしてしまうBBC響は、やはり器用なオケですね。作曲者が聴きに来ていて、舞台に引っ張り出されていました。
 武満徹(1930〜1996)の「ノヴェンバー・ステップス」はNYPの125周年記念委嘱作品。世界中で何百回と演奏され、録音も多数あり、日本の現代音楽としてはダントツで知名度の高い曲ですが、作曲から45年を経て、何と今日が英国初演なんだそうです。最初プログラムにUK Premiereと書いてあったのを見てミスプリントかと思ったくらいですが、後で聴いたBBC Radio 3の中継放送でも「驚くべきことに英国初演」と言ってたので、本当にそのようです。かくいう私も、レコードやFM放送では何度も聴いているのですが、この曲の実演を聴くのは初めてなのでした。本日の独奏は三橋貴風の尺八に首藤久美子の琵琶。二人とももちろん和服で、絵に描いたような日本男児に大和撫子というイメージです。あらためて聴くとこの曲は、オケの部分が本当に少ないですね。しかも「協奏」せず、尺八と琵琶の掛け合いに短く合いの手を入れるだけの役割に思えます。雄弁な尺八に比べて琵琶は終始伴奏的で一歩引いた感じでした。うちの娘は「墓場でひゅ〜と幽霊が出てきて、物悲しく恨みを語る」曲にしか聞こえなかったようで、怖がっていました。でも父は思うが、君の感性はけっこう正しいぞ。
 後半のトップは藤倉大(1977〜)の「アトム」。読売日響の委嘱作品だそうです。この人はロンドン在住なので、名前は時々聞きます。フラグメントの連続で散漫とした印象の曲。もちろんしっかりと書けた質の高い曲と思いますが、どうも一本芯がないような感じがするのは、まだまだ作風として若いのでしょうかね。咽喉痛が直らず、そろそろ疲れてきました。
 細川俊夫(1955〜)の「夢を織る」はスイスの製薬会社Rocheの委嘱作品で、ルツェルン音楽祭にてウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管というビッグネームにより初演されました。先ほどの「アトム」とちょっと通じるところもある、エネルギーを内に込めた陰気な曲で、またかという感じもしましたが、こちらは全体として確固たる一つの流れがあり、なるほど熟練とはこういうものかと納得しました。
 最後は武満と同世代の大御所、三善晃(1933〜)の交響詩「連祷富士」。1988年にテレビ静岡開局20周年を記念して委嘱された作品です。富士山の美麗な姿を歌い上げる曲ではなく、山の激しさ、厳しさを余すところなく表現した仕上がりになっています。不協和音はいっぱい出てきますが、今日の選曲中では最も派手でエンターテインメント性の高い曲だったかと。この曲だけBBC Radio 3で放送されなかったのが残念。
 体調も悪かったし、これだけの曲をまとめて聴くと、終わった後はさすがにぐったりしました。今日はストールはけっこう埋まっていましたが(休憩で帰ってしまった人もちらほら)、上の階はほとんど売れてなく、客入りがイマイチだったのは気の毒でした。もうちょっと宣伝の仕方はあったんじゃないでしょうかねえ。(良し悪しは別として)日本人の動員もなかったようですし。そういえばBBCの放送を聴いていて思ったのは、望月京、藤倉大といった若い世代の作曲家はあたり前のように流暢な英語をしゃべるんですね。大野和士さんより英語上手かったです(笑、っていいのか)。


2013.01.31 Barbican Hall (London)
Kristjan Järvi / London Symphony Orchestra
Theodosii Spassov (kaval), Vlatko Stefanovski (guitar), Miroslav Tadic (guitar)
1. Kodály: Dances of Galánta
2. Kodály: Variations on a Hungarian Folksong "The Peacock"
3. Enescu: Romanian Rhapsody No. 1
4. Jacques Press: Wedding Dance from Symphonic Suite "Hasseneh"
5. selected arrangements by Theodosii Spassov
 Iovka Kumanovka/Strange Occasion/Say Bob/Eleno/Kite/Yunus Emre/Scherzo/Fire Feast

 「バルカン・フィーバー」と名打ったLSOの企画モノですが、事前のプログラムは前半の曲しか告知されてなくて、ハンガリーとルーマニアはバルカンじゃないじゃん、と訝しく思っておりました。もちろんこのネーミングのキモは後半のセッションにあるわけで、出演者・作曲者の出自を調べれば、テオドシー・スパッソフ(カヴァル)はブルガリア、ヴラコ・ステファノスキ(ギター)はマケドニア、ミラスロフ・タディッチ(ギター)はセルビア、クリスチャン・ヤルヴィ(指揮)はエストニア、コダーイ(作曲)はハンガリー、エネスコ(作曲)はルーマニア、ジャック・プレス(作曲)はグルジアと、バルカン半島出身のソリスト中心に、立派な「東欧の祭典」になってます。東欧びいきの私としてはもう聴きに行くしかないでしょう、という演奏会でした。
 1曲目「ガランタ舞曲」はコダーイの代表作で、ジプシーの音楽スタイルも取り入れた「狂詩曲」的賑やかさが魅力です。LSOのイロモノ担当(失礼)、クリスティアン・ヤルヴィは相変わらず両手の動きがほとんど左右対称(笑)。ノリノリに腰をふり踊りながら、楽しそうに指揮していました。次の「ハンガリー民謡『くじゃくは飛んだ』の主題による変奏曲」もコダーイの中ではよく演奏される有名曲ですが、実演で聴くのは初めてでした。この主題はハンガリー民謡の一つの典型であって、バルトーク「青ひげ公の城」冒頭の低弦による序奏でもこれとほぼ同じ旋律を聴くことができます。個人的には冗長に感じてあまり好きでない曲ながら、今日前半のLSOは素晴らしい集中力を見せて、感動的に上手い演奏でした。続く「ルーマニア狂詩曲」はさらにクレイジーな宴会踊りが繰り広げられ、リズムにうねりを持たせながら弾き切るLSOも見事でした。前半の曲はどれも久々に演奏したのでしょうか、しっかりと練習して臨み、高い集中力で慎重かつ大胆に取り組んだのがよくわかりました。こういうときのLSOは本当に凄いです。脱帽。
 休憩後、グルジアの作曲家プレスの「婚礼の踊り」で賑々しく始まった後半戦は、3人のフォーク・ジャズ・ミュージシャンをソリストに迎えて、即興性の高いパフォーマンスが繰り広げられました。曲は概ねスパッソフのソロアルバムからピックアップし、オーケストラのアレンジを加えてあるようです。個々の曲のタイトルはプログラムから拾いましたが、結局どれがどれだかよくわからなかったので個別の論評は差し控えます。
 カヴァルはバルカン半島やアナトリア半島で伝承される木製の縦笛で、元々は羊飼いの笛だそう。リードはなく、音も奏法も尺八によく似ていますが、ちょっと斜めに構えて吹くのがスタイルみたいです。奏法の自由度は高く、普通のフルートのように奇麗な音色が出るかと思えば尺八のような破裂音やグリッサンドも自由自在、さらには横笛のように持って指孔を吹いてみたり、反対側から吹いてみたり、合いの手で声を入れたり、やりたい放題。まあ、これはスパッソフならではの個性なのかもしれませんが、本当にダンディで芸達者なオジサンです。アコースティックギターの二人はどちらもちょっと年配のベテランで、顔の系統も似ていたのでどっちがどっちだったか時々混同してしまいますが、演奏スタイルはくっきりと違いました。野球帽をかぶったステファノスキはアル・ディ・メオラばりの速弾きが得意なギタリスト(フレーズ自体は正直面白みがなかったけど)、一方のタディッチはもう少しクラシカルで、スパニッシュも入ったような落ち着いたスタイル。スパッソフを加えたトリオでもよく活動しているみたいで、なるほど、各人の個性が立った、なかなか魅力的なトリオだと思いました。
 一般的にバルカン、特にブルガリアの民族音楽は奇数拍を多用した複雑なリズムが特徴で、バルトークにも「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」というピアノ曲がありますが、今日の曲も変態的なリズムが面白いものが多かったです。一つ苦言を言うと、オケパートは普通にストリングスを付けただけのようなつまらないアレンジで、演奏するLSOのほうも前半と比べて集中力の落差が大きく、後半はそもそもフル編成のLSOは必要なかったのでは。どうせ共演するならもうちょっと密度の高いアレンジで、「兵士の物語」みたいな少数精鋭でやったほうが絶対面白いと思います。そう言えば、今日のコンマスはプログラムではシモヴィッチとなっていましたが、実際はアラブっぽい顔立ちのラウリがコンマスでした。今日のプログラムでモンテネグロ出身のシモヴィッチがいないのは痛いと思いましたが、ラウリもマルタ出身で、実は同じ南欧でそんなに離れてないんですね。
 後半は特に、演奏中でもかまわずスマホで写真を撮っている人が多数いて、普段のLSOとは客層が違う感じがしました。アンコールも含めると結局夜10時過ぎまで演奏していて、長い演奏会でした。トリオはこの後さらにバーの前のステージでアフターコンサートをやる予定だったのですが、風邪が久々に副鼻腔炎にまで悪化し、コンサートに行くには最悪な体調の中、よりによって3日間連続で買っていたチケットを何とか消化するだけでもう限界、さっさと帰宅しました。


2013.01.30 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Krystian Zimerman (piano-2)
Philharmonia Voices
1. Lutosławski: Musique funèbre
2. Lutosławski: Piano Concerto
3. Ravel: Daphnis et Chloé (complete)

 ポーランドを代表する作曲家ルトスワフスキは、今年生誕100年、来年没後20年と記念イヤーが続くので、演奏される機会が当分増えてくるでしょう。記念イヤーに目がない?フィルハーモニア管は今シーズン早速「Woven Words」と名打ったチクルスを組んでいます。しかし私、実はルトスワフスキをほとんど聴いたことがありません。今日のピアノ協奏曲も以前LSOで一度聴いているのですが、意識を失っていたためどんな曲だったかほとんど覚えていませんでした。
 最初の「弦楽のための葬送音楽」は、東日本大震災の後、ベルリンフィルが追悼の意を込めて定期演奏会で演奏したことでも近年注目されました。実際聴くのは初めてだったのですが、バルトークをもっと無調にしたような音楽で、つまりは音列技法的な仕掛けがよりはっきりと現れています。けっして聴衆を突き放した音楽ではなく、素朴な民謡的風土が根底を貫いていることを感じさせ、ある意味心地良い音楽です。
 続くピアノ協奏曲のソリストはこの曲の初演者でもあるクリスチャン・ツィマーマン。私がクラシックを聴き始めのころ、ハンガリー三羽烏(ラーンキ・コチシュ・シフ)を追い落とす超テクの若手としてちょうどブイブイいわしてたところでしたが、ようやく生で聴ける機会となりました。まだ60歳よりは全然手前のはずですが、すっかり白髪の枯れた風貌になってしまって、でも個人的には若いころよりちょっとかっこ良くなったと思います。曲のほうは切れ目無しに演奏される4楽章構成で、これもまた無調が基調の曲ですが、いろんな要素が凝縮している、一言では表現できない不思議な曲です。聴きやすいかどうかと言えば、耳に素直に入ってくるのでセンスの良い曲と思います。ツィマーマンは初演者だけに、全く自分のレパートリーとして弾きこなしています。テクニシャンらしい切れ味鋭い打鍵、色彩感豊かなアルペジオ、繊細なタッチ、どこをとっても非の打ちようがない、パーフェクト系のピアニストですね。そういえばこの人はピアニストとしては珍しく、自分の楽器を持ち歩くのでも有名でしたか。今年の予定を見ると、記念イヤーだけあってパリ管やベルリンフィルなどいろんなオケとこの曲を共演するもようです。
 メインの「ダフニスとクロエ」全曲版は、20年以上前にここロイヤルフェスティヴァルホールを初めて訪れたとき聴いた曲ですので、思い出深いものがあります。しかし正直言うとこの曲、私はちょっと苦手。第2組曲ならまだ聴けるんですが、全曲版となると音楽は冗長だし、バレエ付きで観たいものだと思います。一つ良い点はコーラスが入っていることで、これは演奏会用の組曲ではめったに聴けないシロモノです。今日のフィルハーモニア管は「当たり」の日だったようで、フルートを筆頭に、管楽器のソロが抜群に素晴らしい。ホルントップのケイティ嬢もすっかり貫禄のプリンシパルです。サロネンもまた期待に応え、オケをこれでもかとガンガンに鳴らす鳴らす。このダイナミックレンジは久々に堪能しました。フィオナ嬢は定位置、第2ヴァイオリンの二番手。半年ぶりのフィルハーモニアだというのに、今日はいつになくドアガールのお姉ちゃんが写真撮ってる人をいちいち注意していたので、あまり写真が撮れませんでした(泣)。新手ではコントラバスパートに、楽器に似つかわしくない小柄な若い女の子(Ana Cordovaという名のようです)がいて目を引きました。
 この演奏会の後、彼らはすぐに日本に行きツアーをやるそうですね。今日の演奏を聴く限り指揮者、オケ双方ともバイオリズムは上昇機運のようですので、日本の皆様は是非期待してください。


2013.01.29 Royal Festival Hall (London)
Sir Simon Rattle / Orchestra of the Age of Enlightenment
1. Mozart: Symphony No. 39 in E-flat major, K. 543
2. Mozart: Symphony No. 40 in G minor, K. 550
3. Mozart: Symphony No. 41 in C major, K. 551 (Jupiter)

 モーツァルトの三大シンフォニーにサイモン・ラトル指揮とくれば、人気が出ないわけがありません。実際フェスティヴァルホールは満員御礼で、立見席も売れていました。モーツァルトは守備範囲ではないので、有名な「ラスト3」も実演ではほとんど聴いた記憶がありません。特に39番は、音源は持っていましたけれど、今日あらためて聴いてみて、ほとんど初めて聴く曲だということに気付きました。そんな状態ですので、一くくりに「ラスト3」と言っても各々楽器編成が微妙に違うことを今更のように発見し、「へぇ」と喜んでいました。39番は珍しくオーボエを欠く編成で(こういう場合、チューニングはクラリネットから始まるんですね)、40番ではオーボエが入ってきた代わりにトランペットとティンパニが退場、41番はトランペットとティンパニが戻り、晴れて勢揃いかと思いきや、今度はクラリネットが退場してしまいました。
 前半戦は39番と40番。強調した低音にノンビブラートのドライな弦が乗っかる、やはりこう来るかというストレートな音色。ティンパニが硬質過ぎて、余計に乾いた印象を与えます。雄弁でモノローグ的な第2楽章は決してさらさらとは進まず徹底して作りこんであり、ここに重点を置く戦術であったかと納得しました。一見流れを遮るかのような「ため」が効果的で、適当な例えかはわかりませんが、内田光子さんのピアノを聴いているような感覚をおぼえました。40番でも同様に、第2楽章だけやたらとニュアンス豊か。やっぱりラトルはただの古典、ただの古楽器では終わらせない「いじくり」を仕掛けてきます。
 休憩後の後半戦は41番「ジュピター」。これは第1楽章冒頭から変態モード全開で、テンポを揺さぶる独特の語り口が意表をつきます。音は前半より低音を引っ込め、予想外に軽くなっていましたが、ティンパニは相変わらず超硬質に叩き込みます。私自身そんなにいろいろと聴いたわけでもないですが、これは相当に個性的なジュピター、個性的なモーツァルトと思いました。前半とは違って41番の山場は第1楽章だったようで、第2楽章以降はわりと素直にインテンポのまま盛り上げていました。古楽器を使って、なおかつ新しいアイデアをどんどん試していこうとするラトルの姿勢は、毎回ファンの期待を裏切らず(あるいは「裏切って」と言うべきか)楽しませてくれますね。
 今回はラトルを抱えたOAEの欧州ツアーの一環で、同一プログラムでケルン、フランクフルト、ザルツブルク、ウィーン、ブダペストと渡ってきて、最終日がこのロンドンだったようです。道理で、多忙なラトルにも関わらず、やけに完成された仕上がりだったわけだ。個人的には前週の寒いドイツ出張で風邪を引いてしまい、体調が劣悪だったのですが、何とか最後まで聴けて良かったです。


2013.01.19 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Onegin
Dominic Grier / Orchestra of the Royal Opera House
John Cranko (choreography), Kurt-Heinz Stolze (orchestration)
Alina Cojocaru (Tatiana), Jason Reilly (Eugene Onegin)
Akane Takada (Olga), Steven McRae (Lensky)
Bennet Gartside (Prince Gremin), Genesia Rosato (Madame Larina)
Kristen McNally (Nurse)
1. Tchaikovsky: Onegin (orch. by Stolze)

 チャイコフスキーには「エフゲニー・オネーギン」という立派なオペラ作品がありますが、このバレエの「オネーギン」はチャイコフスキーがバレエ作品として作曲したものではありません。シュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督だったジョン・クランコが台本を書いてバレエ化するにあたり、音楽はチャイコフスキーのピアノ曲などから素材を集めてシュトルツェが編曲を施したものですが、同じストーリーであるのに歌劇の「エフゲニー・オネーギン」からは1曲も取材していないのがミソと言えばミソです。
 初日の今日はAキャストとしてコジョカル、コーボー、高田茜、マクレーが主役にクレジットされていましたが、コボーが怪我のためキャンセル、代役は本家のシュトゥットガルト・バレエ団からプリンシパルのジェイソン・レイリーを呼んできました。もちろん初めて見る人ですが、すらっと上背があり、均整の取れたシルエットがいちいち美しく、これは期待以上の上玉。よどみなくしなやかな踊りと細やかな足さばきは、私には全く完璧に見えました。ロイヤルの旬ダンサー、マクレーのレンスキーを手玉にとってその上手をいくように(演技上とはいえ)見せてしまうのは、並の人ではないですね。ゲストでこの存在感はたいした適応力です。
 コジョカルも他所からゲストプリンシプルを迎えるということで張り切ったのでしょう、全く危なげない堂々のパフォーマンス。ウブな少女が恋に舞い上がり、失恋で失望する思春期のアップダウン、妹を気遣う姉の顔、侯爵夫人になってからのクールさと、それでもよろめいてしまう女心、各々の場面で感情の移り変わりがリアルに滲み出て、さすがは演技巧者のベテランプリンシパルと感心しました。派手な跳び技などありませんが、見た目以上に体力的にはキツい演目なんでしょうか、第1幕の寝室で鏡から出てきたオネーギン(面白い演出です)とデュオを踊る場面では、終始はーはーと荒い息で喘いでいたのがちょっとセクシー(笑)。主役二人の踊りは、第3幕最後のクライマックスが特に素晴らしかったです。
 マクレーさん、今回は敵役というか、彼には多分役不足な単細胞薄幸キャラクターでしたが、この人は本当に何を踊っても上手いので言うこと無し。奔放な妹役の高田茜さんはようやく怪我から復帰したところで、まだ身体が重そうに見えました。あるいは安全運転を心がけていたのかもしれません。オーセンティックな演出と舞台セット、周りはほとんど美形の白人ばかりという中で、思いっきり東洋人なお顔立ちの彼女は、一人だけ異色で浮いてます。肌の色や人種の違いは全然気にならない演目のときもあるんですが、この「オネーギン」ではコジョカルの妹が高田茜というのにどうしても違和感を禁じ得ず、生理的に受け入れられませんでした。すいません。
 音楽に関しては、チャイコフスキーの曲を使い、チャイコフスキー風のオーケストレーションを付けてはいても、やはり最初からバレエを目的として作曲されたものとは違って、長丁場聴き続けるには退屈に感じました。音楽には魂が入っていないという印象を禁じえない。オケはまあいつも程度の水準で、トランペットはもう総入れ替えしちゃってください、と投書します。


2013.01.09 Royal Festival Hall (London)
Adam Fischer / Orchestra of the Age of Enlightenment
Sophie Bevan (Gabriel, Eve/soprano), Andrew Kennedy (Uriel/tenor)
Andrew Foster-Williams (Raphael, Adam/bass)
Schola Cantorum of Oxford
1. Haydn: Die Schöpfung (The Creation)

 イヴァン・フィッシャーは手兵のブダペスト祝祭管を引き連れてこのところ毎年ロンドンに来ていますが、お兄さんのアダム・フィッシャーは相当ご無沙汰。筋金入りアダムファンのHaydnphilさんのサイトで調べると、アダム兄さんのロンドン登場は5年ぶりのようです。私自身、イヴァンは何十回と聴いていますが、アダムは6年前にブダペストでマーラー「千人の交響曲」を聴いただけで、これが2回目。そういえば、OAEを聴くのも一昨年(ラトル/ラベック姉妹)以来の2回目です。
 私はハイドンも宗教音楽も普段ほとんど聴かないので、この「天地創造」も名前だけで、演奏様式とか曲の解釈の相場はよくわかりません、ということは最初に言い訳しておきまして。OAEはバロック・古典に留まらずマーラーやドビュッシーまで幅広いレパートリーをカバーするのが売りですが、元々は古楽器集団だけにハイドンなどオハコのはず。しかし、チューニングのときから少しヘンな予感がした通り、出だしはどうも音が定まらない様子でした。そこはさすがベテランのオペラ指揮者にしてハイドンスペシャリストのアダム兄さん、指揮棒を逆手に持ったり左手に持ち替えたり、拳を握り締めて足を踏みしめたり、突然指揮をやめてみたかと思うと、ティンパニを指差して「次、来るからな」とアイコンタクトして直後にえげつないクレッシェンドを叩かせたり、あの手この手でオケ、コーラス、ソリストをリードし、すぐに軌道に乗せました。嬉々として音楽にのめり込んでいるようでいて、その実、目配りが凄いです。指揮の引き出しが極めて豊富で、音楽もさることながらアダムを見ているだけで飽きませんでした。多分毎年年始に振っている曲だけあって熟知していて、譜面台も立てずに、歌手に優しい目線を送りながら自分もずっと歌っています。また、ソリストに顔を向けるついでに、さりげなく、しかしよく客席も見ています。このベテランF1ドライバーばりに目まぐるしい視線の移動は、やっぱりオペラ指揮者の習性なんでしょうか。あとは、オックスフォード・スコラ・カントルムは本当に透き通るように美しいコーラスでした。
 この演奏会、ホールのWebサイトでは「オールスターソリスト」という触れ込みだったのですが、私には初めて聞く名前の歌手ばかりでした。皆さんイギリス出身の若手歌手のようで、経歴を見ても、この方々を「オールスター」と呼ぶのはちょっとどうかと。ただし歌唱は総じて立派なものでした。ソプラノのソフィー・ベヴァンはまだ20代で若く、肌も声もつやつや。愛らしいキャラクターです。グラマラスな豊満ボディは、しかし太りすぎの数歩手前で留まっており、人気のためには是非このまま維持して欲しいところ(笑)。テナーのアンドリュー・ケネディはちょっと優しすぎる声質ですが、穴がなく、硬軟自在で完璧な歌唱に感心しました。一緒に歌う表情などを見ていて、今回のソリストの中では特にアダムのお気に入りではないのかなー、と感じました。バリトンのアンドリュー・フォスター・ウイリアムズは多少歌が荒い感じもしましたが、歌手の中では最も活躍する役所でもあり、徐々に調子を上げてきていました。3人とも舞台上手の椅子に座り、出番のたびに指揮者の横まで歩いてきて、歌い終わるとまた上手に戻るというのを繰り返していましたが、特にソプラノはヒールの靴音がいちいちカツカツと響いたので、このスタイルはどうかと思いました。オケの人数が少ないので、指揮者の真横に椅子を3つ置くスペースはいくらでもあったはず。
 長い曲なので、全三部のうち第二部までやったところで休憩でした。残った第三部はテナーとソプラノの役所が各々アダムとイブに変わります。最初の二重唱では仲良く手をつないで歩いてくるという小芝居がたいへんウケていました。はっ、これがやりたかったからわざわざ上手に椅子を置いたのか?それはともかくアダム兄さん、最後まで好々爺の表情で、忙しく気配りのリード。どこまでも飾らない素朴なキャラクターでいて、瞬発力のあるバトンから導かれる音楽は常に躍動しており、大人気なのもうなづけます。オペラでもコンサートでも、もっと頻繁にロンドンに来てそのワザを披露してくれないものかと、切に思います。


2013.01.06 Barbican Hall (London)
John Wilson / National Youth Orchestra of Great Britain
CBSO Youth Chorus
1. John Adams: Guide to Strange Places
2. Britten: Four Sea Interludes
3. Holst: The Planets

 2013年最初の演奏会は、昨年末にクイーンメダルを受賞した英国ナショナルユースオーケストラ。13〜19歳の若き音楽学徒が毎年秋のオーディションで選抜され、定員は165名と規定されているみたいです。弦だけでも90人いる大所帯であり、繊細な味わいは求めるべくもありませんが、勢いで押し切る人海戦術は若いアマチュアならではのもの。それとこのオケは、いつも難曲ばかりやっているという印象です。以前聴いたときはヴァレーズでしたし、私は聴いてませんが昨年のプロムスではトゥーランガリラ交響曲をやってました。普通はとてもユースがやる曲じゃないですね。音楽を志す人とはいえ、年齢を考えたら驚異的な技術力です。
 最初はジョン・アダムズの「奇妙な場所への案内人」という初めて聴く曲。作曲文法は全くミニマルミュージックの範疇ですが、構成が複雑でめちゃめちゃ難しそう。25分くらいの曲ですが、最後は繰り返しがしつこく、終わりそうでなかなか終わらないなーと半ばうんざりしていたら、ブツリと唐突に終焉。まさに奇妙場所で放り出されたような後味の曲でした。オケはやはり若さ故か各楽器のソロが弱く、それに管楽器の音程が悪いのが気になりましたが、全体的にはしっかり練習を重ねて最後は力技で押し切るという感じでした。続く「4つの海の間奏曲」も簡単な曲ではありませんが、メジャーなレパートリーだけに、先の曲よりはよっぽどこなれた感があり、よくまとまっていました。メインの「惑星」は、「火星」「木星」「天王星」あたりでは人海戦術が期待通り功を奏し、ド迫力の爆演。一方の「金星」「土星」といった緩除楽章のほうが、間が持たなくて苦しそうでした。こんなときは、コンマス、金管、木管の名人芸があればまだ助かるんでしょうけどねえ。「海王星」の女性コーラスを担当したのはバーミンガム市響のユースコーラス。こちらはさらに若く、9〜13歳の女の子だそうです。途中で音が取れなくなる危ない箇所がありましたが、まあ細かいことを言うのはちょっと酷でしょうか。
 聴衆は多分ほとんどがメンバーの家族や関係者ばかりだと思いますが、満員御礼の超人気で、ぴーぴーと盛り上がっていました。もちろん一流プロと肩を並べるレベルではないものの、こういった勢いのある若いアマチュアの演奏は、こちらも熱いものが身体に沸き起こるのを感じ、なかなか心打たれるものです。
 指揮者のジョン・ウィルソンは自分のオーケストラを持ち、プロムスでよくミュージカルナンバーをやってるクロスオーヴァーの人ですが、このような本格的クラシックコンサートもきっちり振れるんですね。キレのある指揮ぶりとパッションある音楽作りは好感が持てました。今月フィルハーモニア管の定演にも立つようで、活動に注目したいと思います。


INDEX