クラシック演奏会 (2012年)


2012.12.29 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: The Firebird / In the Night / Raymonda Act III

 今年最後のコンサートはロイヤルバレエのトリプルビル。お目当ては昨年もマリインスキー劇場バレエの来英公演で見たフォーキン版「火の鳥」ですが、他もなかなかクラシカルな取り合わせです。

1. Stravinsky: The Firebird
 Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
 Mikhail Fokine (choreography)
 Itziar Mendizabal (The Firebird), Bennet Gartside (Ivan Tsarevich)
 Tara Bhavnani (The Beautiful Tsarevna), Gary Avis (The Immortal Kostcheï)

 火の鳥は当初カスバートソンがクレジットされていましたが、怪我のため降板。代役のメンディザバルはスペイン生まれの31歳、ライプツィヒ・バレエでプリンシパルに上り詰めた後ロイヤルバレエに移籍、現在ファーストソリストです。昨年末の「眠れる森の美女」、今年は「パゴダの王子」と「誕生日の贈り物」でも見ているのでこれで4回目になりますが、私の苦手とする面長オバサン顔の上、固い感じの踊りが面白みに欠け、全然好みではありません。ただ今日は、終始カッと目を見開いた恐い顔が異形の者の存在感をよく表現できていました。踊りはかっちりしていて上手いんだけどやっぱりどこか杓子定規で小さくまとまっていて、物足りません。王子に掴まれてもがくところは、例えば別の日にキャスティングされているマルケスならもっと悲壮感漂わせてジタバタ暴れる様子を上手く踊りきることでしょう。全体的には、同じフォーキン版とは言え昨年来英していたマリインスキー劇場バレエの上演とはだいぶ振付けが変わっていて、群舞のダイナミクスは優れていた一方、プリミティブな迫力には欠けました。後ろのアンサンブルには高田あかね、金子扶生のお顔も見えたような。オケは期待してなかったのですが、意外とピリっとした好演。去年のマリインスキーよりは100倍ましでした。肝心の魔王カスチェイの踊りで金管がもうちょっと踏ん張ってくれていれば、言うことはなかったのですが。

2. Chopin: In The Night (Nocturnes)
 1) Nocturne in C-sharp minor, Op. 27-1 (Nocturne No. 7)
 2) Nocturnes in F minor, Op. 55-1 (Nocturne No. 15)
 3) Nocturnes in E-flat major, Op. 55-2 (Nocturne No. 16)
 4) Nocturne in E-flat major, Op. 9-2 (Nocturne No. 2)
 Jerome Robbins (choreography)
 Robert Clark (solo piano)
 Sarah Lamb, Hikaru Kobayashi, Alina Cojocaru
 Federico Bonelli, Rupert Pennefather, Johan Kobborg

 アメリカの振付師ジェローム・ロビンスによる、ショパンの夜想曲に乗せた小品。オケはなく、ソロピアノだけの伴奏です。ロビンスと言えば、私的には「ウエストサイド物語」の振付けでインプットされているので、もっとモダンなものを想像していたら、非常にクラシカルなバレエでした。最初の夜想曲第7番をラムとボネッリ、次の第15番を小林ひかる(怪我で急きょ降板したヌニェスの代役)とペネファーザー、第16番をコジョカル、コボー、最後に有名な第2番を全員で踊るという構成です。タイトルの通り、星空の下、パーティー会場から抜け出してきたかのように着飾った男女が、落ち着いた大人のデュエットを繰り広げます。何だか弘兼憲史の漫画に出てきそうな一場面ですが、幼さを残しながらじゃれ合う第1組、複雑な心のうちを秘めつつ相手を探り合う第2組、激しく愛憎を爆発させる第3組と、各々キャラクターが違うのが面白い。最後のコジョカル・コボー・ペアはさすがに息もぴったりで、人気はピカイチでした。プリンシパルに囲まれた代役の小林ひかるさんは、一番難しそうな役所だったし、ちょいと割りを食ってしまった感じですか。個人的には最初のラム・ボネッリ・ペアの初々しさが良かったです。

3. Glazunov: Raymonda - Act III
 Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
 Rudolf Nureyev (choreography)
 Alina Cojocaru (Raymonda), Steven McRae (Jean de Brienne)
 Helen Crawford, Ricardo Cervera (Hungarian dance)
 Melissa Hamilton, Emma Maguire, Claire Calvert, Claudia Dean (variations solo dancers)

 トリはヌレエフ振付けの「ライモンダ」第3幕。大元はグラズノフ作曲、プティパの台本と振付けによる全3幕のバレエで、美女ライモンダの婚約者ジャンが十字軍に出征している間、サラセン王子がライモンダに熱烈に求愛するが、帰還したジャンが決闘で勝利し、ライモンダと無事結婚してめでたしめでたし、というあらすじです。第3幕はその「めでたしめでたし」の部分だけなのでストーリーはなく、ここだけ切り出しての上演が可能なゆえんです。ハンガリー王アンドラーシュ二世の立ち会いの下結婚式を挙げるので、最初のチャルダーシュ(ハンガリーの踊り)を皮切りに、バリエーションのダンスが次々と繰り広げられるという定番の進行になってます。ベージュと金で統一されたロシア正教会風のエキゾチックな衣装が美しい。振付けはこれまた至ってクラシカルで、マクレーの片腕リフト連続技が見物でした(無理して身体壊しませんように…)。グラン・パとパ・ド・トロワでマクレー夫人のエリザベス・ハロッドが出ていましたが、ご主人との絡みはなく。ソロよりも群舞のほうがダイナミクスに広がりがあって面白く、そういう意味では主役のコジョカル、マクレーの影は薄めでしたが、これもクラシックバレエの醍醐味と思える、なかなか見応えのある演目でした。


2012.12.24 Hungarian State Opera House (Budapest)
Vaszilij Vajnonen (choreography, libretto after Hoffmann)
Gusztáv Oláh (set & costume design), András Déri (conductor)
Adrienn Pap (Princess Maria), Denys Cherevychko (Prince Nutcracker)
Blanka Katona (Marika/child Maria), Gyula Sárközi (child Nutcracker)
Csaba Solti (Drosselmeier), Jurij Kekalo (Mouse King)
1. Tchaikovsky: The Nutcracker

 2004年から年末には「くるみ割り人形」を見にいくのを家族の恒例行事としておりますが、今年はクリスマス休暇旅行のおり、久しぶりにハンガリー国立バレエを見ることにしました。ここの演出はワイノーネン振付けの初版がベースで、主人公の少女の名はクララではなくマリア。にわか勉強によると、ドイツ人であるホフマンの原作では少女マリーが両親からもらう人形の名前がクララという設定だったのですが、初演のプティパ/イワーノフ版では少女の名前がクララに変えられており、ロイヤルバレエのピーター・ライト版などではこれを踏襲しています。一方のワイノーネン版では原作にならい少女の名はロシア語でマーシャに戻され、ハンガリー語ではマリアとなるわけです。また、イワーノフ版では他の子供と同様少女クララは子役が踊り、踊りの主役はあくまで第2幕に登場するお菓子の国の王子・王女であるのに対し、通常のワイノーネン版は主人公マーシャを最初から大人のダンサーが演じ、くるみ割り人形の王子と共におもちゃの国の王子・王女として迎えられるのが特徴でありながら、このワイノーネン初版では第1幕で子役ダンサーがマーシャとくるみ割り人形の王子を踊り、夢の世界に来たところから大人のダンサーに入れ替わります(ここのトリックが見所ですが)。最後は夢から覚めて、再び子役のマーシャがベッドで目を覚まし傍らのくるみ割り人形を抱きしめるところで幕となる、いわゆる「夢オチ」。私は最初に見たのがこのワイノーネン初版なので、「くるみ割り人形」というのは夢オチが基本だと擦り込まれてしまっておりましたが、原作はそんな単純ではないらしいし、バレエも演出によってお菓子の国で大団円を迎えておしまいというのもあれば、ライト版は最初から大人のダンサーが少女クララを踊り(他の子役と一緒に大人が子供のフリをして踊るのが、私がライト版に最も違和感を感じるところです)、お菓子の国ではただ見てるだけじゃなくて各国の踊りを一緒に踊ったり(昔のロイヤルバレエDVDを見ると一緒に踊るのはないので、近年付け加えられた演出だと思いますが)したあとに、最後は呪いの解けたくるみ割り人形(実はドロッセルマイヤーの息子)と一緒に現実の世界に戻る、というユニークな展開になっていて、本当に様々なパターンがあるようです。あとは細かいことですが、このハンガリー国立バレエの演出では元々の第1幕がパーティーが引けて夜になるところで分割されて休憩が入るので、全部で3幕になってます。
 6年ぶりに見るこの「くるみ割り人形」は、ただただ懐かしかったです。極めてオーソドックスな演出に素朴な振付けは古き良き時代の絵本のようで、まさに子供に見せたいバレエでした。第1幕で開けられる子供たちへのプレゼント人形は、アルルカン、バレリーナ、ムーア人。ロイヤルバレエではアルルカン、コロンビーヌ、男女の兵隊ですが、やっぱり最後は土人がくるくる回って子供が興奮するのでなきゃー物足りない、と思ってしまいます。昨今では自主規制が働いていろいろと難しいのかもしれませんが。相変わらず子役で出てくる女の子は皆人形のようにかわいらしい白人のお嬢さんばかりで、見惚れてしまいます。
 一方で、自分の目が肥えてしまったのでしょうか、ロイヤルバレエと比べてどうも動きが大らかというか、大味な気がしてならない。アクロバティックな技が少ないし、主役も脇役もちょっと間があくと突っ立っているだけの瞬間が多々あり、スポットを浴びていない間でも小芝居を打つようなきめ細かさがないように思えました。体操のように飛び跳ねればよいってものではありませんが、ダンサーがその力量の幅を目一杯使って表現しているようにも見えなかった。これはやはり、世界のトップクラスに君臨し、世界中から猛者が集まりしのぎを削るカンパニーと、そうでないところのレベルの差なんでしょうかね。
 あと気付いたのは、女性は出るところが出たというか、短く言うと巨乳系の人がけっこういました。走り回るとゆっさゆっさ揺れて、めちゃ踊りにくそう(苦笑)。逆にアラビアの踊りなんかは、ガリガリの人が踊るよりはそれらしい雰囲気が出ていて良かったです。ロイヤルバレエはペッタンコの人ばかり(失礼)ですが、他と比べて規律が厳しく消費カロリー(練習量)が多い、ということなんかな。
 王子役の人は知りませんでしたが、マリア役のパップ・アドリエンは昔何度か見たことがありました。当時は学校を出たてくらいの若さながら、「白雪姫」や「かかし王子」のお姫様役を堂々と演じていました。今ではすっかり貫禄のソリストですが、まだまだ若いんだから、ちょっと落ち着き過ぎかも。ほぼ全員が東欧系白人顔の中、群舞の中に一人日本人らしき顔を発見、後で調べてみると2010年から入団しているAsai Yukaさんという人みたいです。
 オケは、かつては特にバレエの時にひどい演奏をさんざ聴かされたものでしたが、そのときの記憶からしたら、思った以上にしっかりとした演奏で感心しました。速いパッセージでアンサンブルの乱れは多々ありましたが、金管は最後まで持ちこたえていましたし、花のワルツでの妖艶なうねりはなかなかのものでした。


2012.12.19 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Denis Matsuev (piano-1), Leonidas Kavakos (violin-2)
1. Szymanowski: Symphony No. 4 ('Symphonie Concertante')
2. Szymanowski: Violin Concerto No. 2
3. Brahms: Symphony No. 4

 このところLSOはシーズン毎に2人ずつくらいピックアップコンポーザーを設定しておりまして、2010/11はマーラーとシチェドリン、2011/12はチャイコフスキーとストラヴィンスキーが取り上げられていました。2012/13のシーズンはブラームスとシマノフスキという渋い取り合わせですが、あまりに渋過ぎて何となく気分が乗らず、私が聴く予定なのはこの演奏会だけです。今日はMEZZOというフランスのクラシック専門チャンネルで中継があるとのことで、多数のテレビカメラが入っており、照明を落としていたわけでもないのに譜面台にはいちいちライトが取り付けてあって、舞台上の配線がたいへんなことになっていました。
 1曲目は実質ピアノ協奏曲ですので、今日はコンチェルトが2曲にシンフォニーという豪華プログラム。シマノフスキの交響曲第4番は昨年王立音楽大学のアマチュアオケで聴いて以来です。マツーエフは2年ぶり。鋭く差し込むようなインパクトの運指に派手なオーバーアクションは健在で、見ていて楽しいビジュアル系です(見た目は「太めのウィル・フェレル」ですが)。どちらかというと幻想的、叙情的なこの曲を、これだけガンガンバシバシと切り込んでいくのはかなり個性的な解釈だと思います。まあ、こういうのもアリでしょうか。テクニカルな凄さは、もう何も言うことありませんし。ゲルギーはいつもの爪楊枝指揮。今日はテレビが入っているからなのか、髭なんか奇麗に剃っちゃって、トレードマークの不潔な雰囲気が薄められ、何だかよそ行きの顔です。
 次のヴァイオリン協奏曲は、同じカヴァコスのソロにロンドンフィルのバックで、ほぼ2年前に聴いたっきりです。もう見慣れてしまった宅八郎系風貌のカヴァコスは、やっぱり上手い。この人もどちらかというとテクニックでガンガン押すタイプと思いますが、ハヤビキではないものの重音を多用したいかにも難しそうなカデンツァをいとも自然にクリア。硬軟どちらもイケる懐の深さを見せつけられ、参るしかありませんでした。今日のソリストはどちらも我の強い系で、ひたすらプッシュする演奏スタイルは両者ともアッパレです。それにしてもシマノフスキという作曲家、名前は地味ですが作風はむしろ多彩で派手、なかなか深い世界があります。売りようによってはもっとメジャーになってもよいのかも、と思いつつ。
 メインのブラ4。ブラジャー4枚ではありません(という「名曲探偵アマデウス」ネタは分かってくれる人がいるのか?)。この曲は、ええと、ちょうど3年前に同じバービカンでコンセルトヘボウの演奏を聴いて以来なので、比較的好きな曲にしてはずいぶん間が開いてしまいましたね。ずずずっと引きずるような出だしからして個性の強いゲルギーの棒(ならぬ爪楊枝)で導かれるのは、決してさらさらとは流れず終始ぎこちない不器用な演奏。もちろんこれは確信犯ですが、存在感が心に残る演奏でした。確かに、ブラームスはスタイリッシュに決めればよい音楽ではないにしても、ありふれた演奏なんかやってやるもんかという気概をひしひしと感じました。


2012.12.15 Barbican Hall (London)
Marc Minkowski / BBC Symphony Orchestra
BBC Singers
Alain Perroux (stage director), Johannes Weisser (Peer Gynt/baritone)
Miah Persson (Solveig/soprano), Ann Hallenberg (Anitra/mezzo-soprano)
Actors from the Guildhall School of Music & Drama:
Patrick Walshe McBride (Peer Gynt)
Grace Andrews (Solveig, the Girl in Green, Anitra, and other roles)
Evelyn Miller (Narrator), Melanie Heslop (Ase, and other roles)
Cormac Brown (Mads Moen, the King of the Trolls, and other roles)
Tom Lincoln (The Boyg, the Passenger, the Button-moulder, and other roles)
1. Grieg: Peer Gynt (concert performance)

 前日に引き続き、12月はバービカンが続きます。「ペール・ギュント」は最も著名なクラシック曲の一つと言ってもよいくらいの有名曲ですが、なかなか全曲通して聴く機会はありません。本来はイプセン原作の戯曲のために作られた劇付随音楽というカテゴリ。音楽だけだと全部で85分くらいですが、途中の台詞を含めると2時間を越える長丁場となります。
 あらすじは、「母と二人で暮らす放蕩息子のペール・ギュントは、村の結婚式で出会った清楚な乙女ソルヴェイグに恋をしつつも、花嫁のイングリッドをさらって逃亡、放浪のたびに出る。飽きたらイングリッドを捨て、魔王の娘(緑の少女)と結婚しようとして最後は逃げ出し、追ってきたソルヴェイグも山小屋に置いたまま、故郷に戻って母オーゼの死を見取る。怪しげな商売で財産を築くも妖艶な娘アニトラに騙し取られ、年老いて故郷に帰ると閻魔大王のようなボタン職人にボタンにされそうになり、最後は山小屋にたどり着いて、ずっとペールを待っていたソルヴェイグの子守唄を聴きつつ息を引き取る。」という、荒唐無稽な中にも寂寞な余韻が残る一大叙事詩です。
 今日はミア・パーションを筆頭に北欧系の独唱者を揃え、歌は原語(ノルウェー語)で歌われますが、劇の部分は英訳版を使い、ギルドホール音楽演劇学校の学生6人によってプレイされました。ペールとナレーター以外は一人で何役もやらなければいけないのでたいへんでしたが、役者の卵さんたちは若いながらも皆芸達者で、笑かし、泣かせてくれました。特にペール役の男の子は熱演で、やんやの拍手を受けていました。個人的にはオーゼの子が可愛かったのと、ナレーターの女の子が多分一番若いのに滑舌は最も確かで頼もしかったです。
 それにしても今日はオケが良かった。ミンコフスキは初めて聴きますが、元々はバロック系の人ながら、ロマン派も振れる芸域の広さを持った人の様子。きびきびとキレの良い劇的な表現がこの壮大かつはちゃめちゃなストーリーにマッチして、たいへん好ましかったです。合唱も今日はアマチュアのBBCシンフォニーコーラスではなく、プロ集団のBBCシンガーズ。少数精鋭で精緻な合唱を聴かせてくれました。独唱は、ソルヴェイグ以外はスポットで歌うだけですし、何故か舞台手前ではなく中ほどで歌う演出だったので声の通りも悪く、印象不足でした。ソルヴェイグ役のパーションは一人指揮者の横で歌ったかと思えば、舞台袖に引っ込んでまた歌い、再び指揮者の横に戻ってきて歌うという忙しさ。私の好みからするとちょっと線が細すぎる気もしましたが透き通る美声で、役にはぴったりでした。オペラでも聴いてみたいと思いましたが、声量はどうなんでしょうかね?


2012.12.14 Barbican Hall (London)
Philip Glass at 75: Koyaanisqatsi
Michael Reisman / Britten Sinfonia
Godfrey Reggio (director), Jeremy Birchall (bass)
Philip Glass Ensemble
Trinity Laban Chamber Choir
Stephen Jackson choir director
1. Phillip Glass: Koyaanisqatsi (1982) (Live film screening)

 昨年のスティーヴ・ライヒに続き、今年はフィリップ・グラスの75歳記念イベントがバービカンで企画されました。ミニマルミュージックの両雄も、相次いで「後期高齢者」になられたわけですなー。フィリップ・グラスというと私の思い出は、高校生のころ「SONY MUSIC TV」という洋楽(一部邦楽も)ビデオクリップをひたすら流すという深夜番組が始まりまして、毎週欠かさず見ていたのですが、そこでフィリップ・グラス・アンサンブルのインスト曲(曲名忘れました)のビデオを見たのが初めての出会いでした。従って当時はクラフトワークかYMOみたいなテクノポップバンドの一種かなあと思っていて、グラスの本職は現代音楽の作曲家ということを知るのはもっと後になってからでした。しかしそれ以降特に追いかけたわけではないので、CD含めグラスの曲は、「あんな感じの曲」というイメージは頭の中にあるものの、ちゃんと通しで聴いたことがありません。
 今日のコンサートは、1982年にグラスが音楽を付けたドキュメンタリー映画「コヤニスカッツィ/平衡を失った世界」を、ブリテン・シンフォニアとフィリップ・グラス・アンサンブルの生演奏をバックに上映するという趣向です。私は初めて知ったのですがこの映画、そこそこ有名なカルトムービーらしい。チケットは早々にソールドアウト、普段の演奏会とは客層が違う感じでした。映画の内容は、台詞・ナレーションは一切なしでアメリカの大自然や都会の風景をグラスの音楽に乗せて約1時間半の間延々と見せていくだけです。もちろん超簡単に言えばそうなのですが、最初砂漠や峡谷の雄大な自然風景から始まって、農業や鉱業といった人間の営みが徐々に見えてきて、後半は大都市の喧騒を猛スピードの早回し映像で強調し、最後は衛星ロケットの空中爆発(よく似ているので一瞬スペースシャトル・チャレンジャーの映像だと私も思いましたが、よく考えたらこの映画はチャレンジャー事故より前なのでした)からエンジンが焼けながら落下していく様子を黙々と追いかける映像で締めくくる、といういかにも含みを持った構成。作品の意味は見る人に委ねられているとは言え、テクノロジー批判の匂いは多分誰もが感じることでしょう。
 極めて大雑把に言えば、リズム反復中心のライヒに対比して、グラスの音楽はアルペッジョのスケール反復(リズムは六連)というイメージです。和声と旋律的には全くの調性音楽なので耳にも脳にも優しい。最初のほうのスローな曲調に雄大な自然がゆったりと流れる映像は、あらがい難く眠気を誘いました。一方で終盤の低速撮影フィルムの早回しによるめちゃくちゃせわしない大都市文明の映像は、これまた頭がぼーっとしてくるトランス効果があり、どうしても視覚と聴覚両方からどっぷりと絡めとられてしまった様子です。ミニマル系を一歩引いて聴くというのはなかなかに難しい。映画としては、もちろん音楽も含めて、何だか病みつきになりそうな危険を感じました。冒頭と最後でバスが「こ〜や〜に〜す〜か〜ち〜」と、お経をつぶやくように単音で低く歌うのがいつまでも耳に残ります。この映画には「ポワカッツィ(1988)」「ナコイカッツィ(2002)」という続編もあって、合わせて「カッツィ三部作」と呼ばれるそうで、こうなったら他の二つも全部見てみます。


2012.12.07 Barbican Hall (London)
Josep Pons / BBC Symphony Orchestra
Synergy Vocals (voices-1), Atalla Ayan (tenor-2)
Sarah Jane Brandon (soprano-3)
BBC Symphony Chorus
1. Berio: Sinfonia for orchestra and eight amplified voices
2. Verdi: 8 Romanze for tenor and orchestra (orch. Berio)
3. Verdi: Four Sacred Pieces

 イタリアの新旧巨匠を繋げ、さらには前週のマーラー「復活」とも呼応した、地味ですがなかなか粋なプログラムです。
 20年前に初めてウィーンを訪れた際、ベリオ本人の指揮するウィーン響でカレーラスが彼の歌曲のみを歌う演奏会をたまたま当日券で見たことがあります。三大テノールの一角としてすでに超スターであったカレーラスを讃えて、オケが引き上げた後もファンのおばちゃん達が舞台前まで詰め掛け、延々とスタンディングオベーションを続けていたのが印象に残っています(あらためてカレーラスの生年を調べてみると、当時の年齢は現在の私くらいであることに気付き、愕然・・・)。このときのベリオの歌曲がどんなだったか、記録も取っていないし全然思い出せないのですが、今日の「シンフォニア」みたいなポストモダンとは全然違う、全くイタリアン・ベルカントな曲だったような気がします。
 思い出話はさておき、「シンフォニア」は一度聴いてみたかった曲で、確か昨年のLSOでもハーディングが取り上げていましたが、残念ながら都合が悪く行けませんでした。この曲の第3楽章は、マーラー「復活」の第3楽章スケルツォを中心に、全編他人の曲の引用で構成したという実験的試みで有名です。英語版のWikipediaに引用されている曲のリストがありますが、選曲はバーンスタインの「ヤング・ピープルズ・コンサート」で取り上げられていた曲から着想を得た、との説があるようです。曲はいわゆる現代音楽調の不協和音オンパレードで、突然ドカンと脅かしが入ったりします。引用の箇所では聴き覚えのある曲が聞こえてきたかと思えば、調子外れの鼻歌がそれをなぞり、雑然としつつもかなり不気味な雰囲気を醸し出しています。このホラーな感覚はどこかで記憶にあるぞと思ったら、そう、それはディズニーランドの「ホーンテッド・マンション」(パリのランドだとPhantom Manor)。音楽を聴くというより、何かポストモダンのアートを見ているかのような刺激でした。何度でも聴きたくなる面白い曲です。演奏は難しそうですが。
 ここで休憩が入ったので、休憩後が長かったです。歌曲苦手な私には、ちょい退屈な時間が続きました。最初の「8つのロマンス」はヴェルディのピアノ伴奏歌曲をベリオがテナー独唱とオーケストラ用に編曲したもの。さっきの「シンフォニア」と比べたら当然ながら曲調はロマンチックだし、アレンジもポストモダンでは全然ない。ブラジル人テナーのアヤンはハツラツと歌い、甘くて軽い声質がアラーニャみたいです。歌はいっぱいいっぱいの感じで、深みと説得力を求めるにはまだまだ若いでしょうかね。
 最後の「聖歌四編」は元々一つの曲として作曲されたわけではなく、個別の4曲「アヴェ・マリア」「スターバト・マーテル」「処女マリア讃歌」「テ・デウム」を寄せ集めたもの。宗教曲としては盛りだくさんの内容となってます。ソプラノ独唱付きですが出番は少なく、オケも寡黙で、あくまで合唱に重きを置いた曲です。でもその合唱にアラが目立ってあまり上手くなかったのが難点。うーん、自分のための曲ではないかなあ。最後は爆睡してしまいました、すいません。宗教曲は鬼門じゃ。レクイエムとか、絶対に寝てしまうんですよねえ…。


2012.12.05 Barbican Hall (London)
Robin Ticciati / London Symphony Orchestra
Timothy Redmond (conductor-1), Maxim Vengerov (violin-2)
1. Maxwell Davies: Fanfare - Her Majesty's Welcome (LSO commission)
2. Tchaikovsky: Violin Concerto
3. Elgar: Enigma Variations

 この演奏会は今シーズンのチケット発売開始後あっという間に売り切れになっていて、さすがヴェンゲーロフは人気者、と思っていたのですが、実はThe Queen's Medal for Musicのガラコンサートということで、女王陛下も臨席されるスペシャルイベントだったんですね。当初はサー・コリン・デイヴィスが指揮の予定でしたが、例によってドクターストップでキャンセル。今シーズン目玉の一つであったはずの一連の「デイヴィス卿85歳記念コンサート」は、結局ここまで一つも振れてません。このままカムバックしなかったら、シャレにならんよ。
 物々しいセキュリティチェックを覚悟していたら、いつも通りコート着たまま、リュック担いだまますんなりと会場に入れたのでちょっと拍子抜け。しかし、女王は全員が着席してからの入場のため、普段よりも早く席に着かされました。最初はLSO on Trackという教育プログラムの若者管楽器奏者も加わっての短いファンファーレがあり、続く国歌斉唱の後、今回の委嘱新作であるマックスウェル・デイヴィスの「女王陛下歓迎のファンファーレ」が演奏されました。しかしこのファンファーレ、しゃきんとしたところが一切ない屈折したヘンテコな曲で、このシニカルさはイギリス音楽としては意味があるのかもしれませんが、女王陛下はこの曲で歓迎されて果たして嬉しいのか、とちょっと気になりました。なお、ここまでの指揮はティモシー・レッドモンドです。
 次のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、正直苦手な曲。チャイコフスキーは好きですが、この曲はやっつけ仕事に見えてならず、皆が崇めるほど、そんなに名曲かなあと常々疑問に思っています。それはともかく、第1楽章の特に前半は、ヴェンゲーロフの隙のない完璧さに感服しました。じっくり分析して積み上げたという感じはなく、天才が腹八分目で弾いているような、衒いのないナチュラルな上手さ。ところがそのうち雲行きが怪しくなって、「ん」と思ってしまう箇所がちらほら耳に残ってきます。カデンツァも「ボロボロ」とは言わないまでも「ボロ」くらいは言ってしまえる不調ぶり。もちろん、彼にしては、という但し書きはつきますが。どうしちゃったんだろう、ソリストとして復帰してまだ日が浅いので、リハビリ途中なのかもしれません。それにしてもこの人は終始直立不動、第2楽章でかかとが少し浮いた以外は、足なんかほとんど動きません。また肩をいわさなければ良いのですが。終楽章は曲芸のようなスピードで激しく駆け抜け、ヴァイオリン・ヴィルトゥオーソの面目躍如で圧巻した。オケは女王臨席だとさすがに集中力極大で、切れのあるリズムにふくよかな音色、完璧なパートバランスと三拍子勢ぞろい。サー・コリンの代役のティッチアーティも伸び伸びとオケを引っ張り、良い仕事でした。
 休憩後、実はこのイベントの予備知識を何も仕入れていない私は、今年の受賞者の発表も当日行われることをその場になってはじめて知りました。女王陛下も舞台に出てこられて、ホストのマックスウェル・デイヴィスより今年の受賞者である英国ナショナルユース管弦楽団(NYO)の名が読み上げられました。個人でなく団体に賞が与えられるのは初とのことです。女王臨席の演奏会で御大デイヴィス卿の代役に超若手のティッチアーティはちょっと軽すぎるんじゃないかと思っていたのですが、なるほど、NYOの受賞が決まっていたのでその出身者を持ってきたのね、というのはうがった見方でしょうか。ともあれNYOは来年早々にバービカンで演奏会がありますので、よい凱旋公演となることでしょう。それにしても今日は前から二列目の席だったので女王陛下とは5mもない至近距離。特に女王ファンと言うわけではありませんが、こんなに近づけることも今後二度とないと思うので、貴重な経験でした。
 最後のエニグマ変奏曲がこれまた素晴らしい演奏で、気合の入ったときのLSOの音が何と豊かで艶やかなことよ。節度を守りつつも仄かに感傷を漂わせる絶妙の「ニムロッド」で、まさに時が止まりました。指揮者も若いのに余裕たっぷりの指揮ぶりで、とんでもない大器かもしれません。
 全部終わったらもう10時。混雑する前に会場を出ようとしたら階段が閉鎖されていて、仕方なしに駐車場のほうから外に出ると、ちょうど裏口から女王がロイヤルカーで帰宅するところでした。周囲は通りがかりの車も全て足止めされていて、やっぱりやんごとなきお人が動くのはいろいろたいへんやなあと。


2012.12.01 Barbican Hall (London)
Jiří Bělohlávek / BBC Symphony Orchestra
Guildhall Symphony Chorus
Francesco Piemontesi (piano-1)
Chen Reiss (soprano-2), Katarina Karnéus (mezzo-soprano-2)
1. Schumann: Piano Concerto in A minor
2. Mahler: Symphony No. 2 in C minor (‘Resurrection’)

 今シーズンからチェコフィルの首席指揮者に返り咲いた御大ビエロフラーヴェクは、BBC響のほうは桂冠指揮者(Conductor Laureate)に退きましたが、この6年で築いたオケおよび聴衆との信頼関係が何ものにも代え難い成果でしょうか、BBC響にしては珍しくソールドアウトの人気でした。
 今日はシューマンのピアノ協奏曲とマーラー「復活」というヘビーなプログラム。いつも思うのですが、「復活」やる時はそれ1曲だけで十分じゃないのかなあと。それはともかく、今日のソリストはスイス人の若手ピアニスト、ピエモンテージ。まだ20代のわりにはずいぶんと落ち着いた佇まいです。ピアノも余裕のある演奏で、完成されたスタイルをすでに持っている様子。柔らかいタッチがちょっとルプーのようかなと思いました。ただし、上手いけどパンチがありません。曲によっては深い演奏を聴かせてくれそうだし、そういうのが好みの人もたくさんいるでしょうけど、私は若いなら何が飛び出すかわからない感じのピアニストのほうが好みですかね。あと気になった懸念は、オケが冒頭の木管からして音がくたびれていたことです。オケがハードスケジュールでお疲れなのか、それともビエロフラーヴェクがプラハとの行き来で忙しく、じっくり積み上げる時間がなかったか。
 続く「復活」はロンドンで聴くのがこれで4度目ですが、過去3回はなぜか全てフィルハーモニア管(インバル、マゼール、サロネン)でした。ビエロフラーヴェク/BBC響のマーラーは昨年2月の第6番がたいへん良かったので期待していたのですが、ちょっと期待度が大きすぎたようです。冒頭から、予想通りゆったりとしたテンポで丁寧な進行でしたが、先ほどの懸念が的中、やっぱり各楽器の音に伸びがない。あえて朗々と弾かせず、ぶっきらぼうとも取れる表現に終始している印象でした。前の第6番のときは、何も足さない、何も引かない、あくまでスコアを丁寧に、忠実に、集中力を持って再現して行った結果、最後はまるで天からマーラーが降臨したような感動を覚えたのですが、第2番で同じようなアプローチだと結局曲の冗長さが際立ってしまってました。ぎくしゃくした進行に聴こえたのは、元々そういう曲だからであって、やはりそこは6番と比べては円熟度が違うんでしょうね。オケはうるさいくらいによく鳴っていましたが、ともかくテンポが遅かった。オケは途中で力尽き、終楽章では管楽器のピッチがずれてしまって痛々しかったので、もう早く終ってくれと思いながら聴いていました。
 メゾのカルネウスは今年のプロムスの「グレの歌」にも出ていましたが、あまり印象に残ってません。音程が不安定であまり関心はしませんでした。ソプラノのレイスはイスラエル出身の若手で、すらっとした細身の美人系。終楽章のデュエットはカルネウスの調子も上がってきて、普通に良かったです。
 コーラスはギルドホール音楽院の学生合唱団でしたが、これがなかなか侮れない完成度。コーラスの奮闘が救いとなり、後半はしっかり盛り上がりました。まあ、最後の一音はティンパニが飛び出しちゃいましたけど。それにしてもこの学生合唱団、ソプラノ、テナー、バス、アルトという並びでしたが、男女の境で接している若者達は例外なく舞台上でもおかまいなしにリラックスして談笑。うーむ、オジサンはうらやましいぞ。あと気になったのは、ソプラノに一人どう見ても男性が混じっていて、見た限りテナーがたまたまソプラノに混じって座っていたのではなくて、歌もソプラノパートを歌っているようでした。確かに、「ソプラノは女性に限る」という法律はないので、ソプラニスタとかカウンターテナーというのもあることですし、声さえ出れば男性がいても問題はないんでしょうけど、こんなのは初めて見ました。ソプラノでは、終楽章の途中で気分が悪くなったのか座り込んでしまってその後最後まで歌えなかった人がいたかと思えば、出番が来ても起立せず座ったままずっと歌い続けていた人もいて、プロの合唱団ではあり得ない光景が新鮮でした。


2012.11.28 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director), Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4), Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw
4. Nono: Julius Fučík
5. Beethoven: Symphony No. 5

 先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。
 言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。
 前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。
 後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。
 だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。


2012.11.25 Wigmore Hall (London)
Midori (violin) / Özgür Aydin (piano)
1. Beethoven: Violin Sonata No. 2 in A Op. 12-2
2. Webern: Four Pieces Op. 7
3. Beethoven: Violin Sonata No. 6 in A Op. 30-1
4. George Crumb: Four Nocturnes (Night Music II)
5. Beethoven: Violin Sonata No. 9 in A Op. 47 ‘Kreutzer’

 この日はビシュコフ/LSOでマーラー1番があったのですが、後からこの五嶋みどりの演奏会に気付き、迷った挙句LSOはリターンしてしまいました。
 2年ぶりの五嶋みどりさんですが、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタという、普段の私からは最も縁遠い世界の曲目なので、スマートなレビューなど元々できるはずもなく、それは最初にお断りしておくとして、やっぱりこの人の上手さは群を抜いてます。最初のソナタ第2番は最初から最後まで音が澄み切っており、豊かな表現力に細かい語り口は寸分の穴もなくスムースで、トップクラスのアスリートが全身を駆使して記録を出すような、全てにおいて美しい演奏でした。過去に聴いたのはコンチェルトばかりでしたが、目を閉じて修行僧のような寡黙さで演奏に没入する姿が印象に残っていたので、ここまで内田光子ばりに表情豊かな人だったとは、全く意外でした。
 続くヴェーベルンは初期の小品(と言っても彼の作曲はほとんどが小品ですが)で、音列技法に取り組む前の無調音楽です。一見、沈黙をわずかな音で紡いでいくようなローカロリーな曲ですが、音符の背後にあるとてつもない緊張感が心を揺り動かします。特に2曲目は突如怨念を爆発させたような激しい演奏で、ヴェーベルンとは思えないくらい、人の血の通った音楽でした。
 休憩後、マイクを持ったおじさんが出てきたので何事かと思えば、予定されていたクルターグ「3つの断章(Tre pezzi)」の代わりに誰それの「ノクターン」を演奏します、とのこと。ピアニストが持って出てきた楽譜の表紙をオペラグラスで見て、作曲者はジョージ・クラムと確認。どのみち初めて聴く曲ですが、クルターグはハンガリー人作曲家としてもちろん名前はよく知っていますが、クラムは名前すら初めて聞きました。後でみどりさんの公式ページを見ると、この秋のアイディンとのツアーではどの日も同じ演目で、クルターグではなくクラムがすでにエントリーされていましたので、ならば逆にウィグモアホールが何故ギリギリまで曲目変更のアナウンスをせず、無料プログラムも誤った情報のまま刷ってしまったのか不思議です。それはともかく、ヴェーベルンよりもさらに繊細な弱音のヴァイオリンの後ろで、ピアノの弦を直接指で弾いたり引っかいたりする内部奏法を多用した、いわゆるゲンダイオンガクでありました。後で調べたところ、けっこういろんな人がレパートリーにしている著名曲のようでしたが、1回聴いただけで飲み込める曲ではありませんわ。ピアノに目を取られているうちに、ヴァイオリンが何をやっていたかあまり印象に残らなかったのが残念なのと、曲が静かな分、客の無遠慮な咳やコートをガサゴソする音が気になってしょうがなかったです。
 最後の「クロイツェル・ソナタ」はもちろん超有名曲のはずですが、聴いた記憶がありませんでした。前半のソナタとはアプローチが変わって、美しく整えるよりももっと情念を前面に押し出した、雄雄しいとも言える激しい演奏で、みどりさんの幅広い芸風に脱帽です。アンコールは「亜麻色の髪の乙女」とクライスラー(曲名聞き取れず)の2曲もサービスしてくれました。プログラムがもうちょっと自分好み寄りの選曲ならなお良かったですが、ともあれLSOをキャンセルして聴きにきた甲斐は十分ありました。


2012.11.16 Royal Opera House (London)
Bruno Campanella / Orchestra of the Royal Opera House
Laurent Pelly (director and costume designs)
Aleksandra Kurzak (Adina), Roberto Alagna (Nemorino)
Fabio Capitanucci (Belcore), Ambrogio Maestri (Dulcamara)
Susana Gaspar (Giannetta)
Royal Opera Chorus
1. Donizetti: L'elisir d'amore

 6月の「ラ・ボエーム」以来ですから、久々のロイヤルオペラです。図らずもアラーニャ続きになりました。実は「愛の妙薬」はアラーニャ/ゲオルギュー/リヨン歌劇場のDVDを持っているのみで、実演は初めてなので楽しみにしていました。
 まず開幕前にマイクを持ったおねえちゃんが登場。客席が一瞬静まり返り、ため息も聴こえました。しかし、懸念した歌手(特にアラーニャ)のキャンセルではなく、ベルコーレ役のカピタヌッチが体調不良だが薬を飲んで何とか歌う、ということでしたので、とりあえず一安心。
 アディーナ役のクジャクは今年2月に「フィガロの結婚」のズザンナで聴いています。ぽっちゃり系で愛くるしい表情に加え、今日のパンツの見えそうな(というか、見えてた)蓮っ葉衣装ではコケティッシュでむっちりとした色気が増殖されていました。「お高くとまったお嬢さん」という設定をあえて外した演出にきっちり合わせていたという点で、たいへん良い仕事でした。
 喉の調子が懸念されたカピタヌッチは、マエストリらと一緒に歌えば確かに声量は劣っていましたが、歌唱は特に危ないところはありませんでした。むしろアラーニャのほうがちょっと鼻声で心配したのですが、かえって甘いテナーがさらに甘くなって、ネモリーノには打ってつけでした。ただしリヨンのDVDを見慣れていると、アラーニャもずいぶんオヤジになってしまって、第2幕の酔っぱらいメイクなんか、まんまバカボンのパパという感じ。遺産を相続することが分かって急にモテモテになっても、太めのおばちゃん達(オペラ歌手ですから…)にもみくちゃにされるパンツ一丁の酔っぱらいオヤジは、全然うらやましくない(笑)。
 詐欺師ドゥルカマーラ博士は、今年ファルスタッフを歌っていたマエストリ。相変わらずずっしりと腹に来る太い声で、コミカルな演技も冴えていました。ただし、詐欺師にしては身なりもプレゼンも地味なので、あっさり騙される村の人々が哀れです。
 歌手陣が総じて良かったのに加え、オケがいつになく軽快で無理のない演奏。まあ、金管に負担を強いる曲ではなかったのが幸いしました。指揮者のカンパネッラは初めて聴きますが、イタリアオペラの第一人者だったんですね。よく見るとうちにある「チェネレントラ」のDVD(バルトリ主演)でもタクトを取っていました。
 今日は右側バルコニーボックスからの鑑賞でしたが、歌手の立ち位置が右側に寄り過ぎの演出だったため、たいへん見にくかったです。道理で左側ボックスが先に売れていたわけだ。演出家は、もうちょっと左右のバランスを気にしてくれたらと思います。


2012.11.01 Théâtre du Châtelet (Paris)
Donald Chan (musical supervisor/director)
Joey McKneely (staging/choreography)
Ben van Tienen (conductor)
Liam Tobin (Tony), Elena Sancho-Pereg (Maria)
Yanira Marin (Anita), Andy Jones (Riff)
Pepe Muños (Bernardo), Maria Victoria Failla (singer of "Somewhere")
1. Leonard Bernstein: West Side Story (musical)

 中学生のころ「ウエストサイド物語」の音楽に大変ハマっておりまして、それこそレコードは擦り切れるほど聴き、リバイバル上映を足しげく見に行き、全曲版のボーカルスコアを買いこみ(もちろん輸入本、当時は高かった・・・)、勢い余って、バーンスタインのやることならもう何でも許しちゃう、という人格が形成されてしまいました(笑)。しかし、ちゃんとしたミュージカルの舞台は結局見る機会が今の今までありませんでした。今回休暇でパリ旅行を計画した際、いつものごとく何か演奏会はないかと探してたら、シャトレ座で「ウエストサイド物語」をやってるのを発見、これだ!と即決しました。
 シャトレ座はガルニエ宮より古く、対面に建つ市立劇場と一緒に1862年からオープンしています。「ペトルーシュカ」や「ダフニスとクロエ」はここで初演されたんですね。中はさすがに年季が入っており、よく言えば歴史を感じさせ、悪く言えば煤けた骨董品。特に上のほうの席は座席が固く狭かったです。まあ、もうちょっとお金をかけてリノベーションしても良いのでは。
 舞台装置はバルコニーやドラッグストアを表現するための櫓が左右に組んであり、舞台奥は全面スクリーンになっていて、時々マンハッタンのセピア写真を映すほかは、役者の衣装やダンスが映えるようにあえて大胆に赤一色で塗りつぶしたりします。衣装はさすがパリ、センスが良いです。どちらも貧困層のギャングであるジェッツの労働者風ブルゾン、シャークスの派手な原色のスーツは、各々絶妙な加減で品の良さを保っていて、そのままパリコレに出てても違和感ないくらい。
 歌も台詞もフランス語訳ではなく原本の英語でした。メインキャストはアメリカやスペインから連れてきています。歌と演奏はまあ普通でした。トニーは声が出ないわけではないのに、肝心なところで歌がすっと引いてしまう、何だか惜しい歌唱。安全運転第一だったんでしょうか。他の皆さんも歌はそこそこ、演技とダンスは上手かったです。オーケストラは見たところ10数人程度の小さなミュジーカル編成。名手はおらず、しょっちゅう音を外してました。
 私の身体に擦り込まれているのは映画版の曲順なので、おどけた「Gee, Officer Krupke」が終盤に歌われるのは違和感を感じてしまいますが、それを差し置いても、あらためてドラマの求心力と音楽の素晴らしさを再認識しました。アリアとして人気の「Tonight」や「Maria」も良いですが、それよりも「Somewhere」がどうしょうもなく名曲です。フィナーレも引き込まれ、何度も見ている話なのに、つい涙腺が…。最後の静寂の余韻をたっぷり噛み締められるよう、コンサート形式の全曲演奏を聴いてみたいものです。以前「キャンディード」もやってたLSOが、是非やってくれないかなー。


2012.10.27 Barbican Hall (London)
Britten Sinfonia 20th Anniversary Birthday Concert
Britten Sinfonia Voices (1)
Thomas Gould (violin/director-1,2), Alina Ibragimova (violin-3)
Pekka Kuusisto (violin/director-3,4,7), Mark Padmore (tenor-4)
Jacqueline Shave (violin/director-5,6), Joanna MacGregor (piano/director-8,9)
Andy Sheppard (saxophones-9), Kuljit Bhamra (tabla-9)
Seb Rochford (drums-9), Tom Herbert (double bass/electric bass guitar-9)
1. Purcell: Hear my prayer, O Lord, Z15
2. Nico Muhly: Looking Forward (world premiere)
3. J. S. Bach: Concerto for Two Violins in D minor, BWV1043
4. Britten: Les Illuminations
5. James MacMillan: One (London premiere)
6. Prokofiev: Symphony No. 1 ‘Classical’
7. Pekka Kuusisto: OMG HBD
8. J. S. Bach: Keyboard (Harpsichord) Concerto No. 5 in F minor, BWV1056
9. Louis 'Moondog' Hardin: Sidewalk Dances, 12 Moondog Pieces (arr. MacGregor)

 ブリテン・シンフォニアは昨年12月に聴いて以来です。20周年記念コンサートということで、いったいどんなことになるかわからなかったのですが、ひとえにまだ見たことがないアリーナ・イブラギモヴァ目当てでチケット買いました。
 パーセル作曲の賛美歌「我が祈りを聞きたまえ、主よ」で厳かに開始し、そのままニコ・マーリーの委嘱作品へ。マーリーは1981年生まれ、31歳のアメリカ人。パーセルを解体し、自由に展開していってますが、20世紀の「ゲンダイオンガク」の香りはもはやないんですね。聴きやすくてスマートな曲でした。
 次のバッハは、待望のアリーナが登場。もう一人のフィンランド人ソリスト、ペッカ・クーシストも、私は知らなかったのですが人気のヴァイオリニストのようで、クラシックに留まらずジャズやクロスオーヴァーもやる人みたいです。指揮者がおらず、ソリストが身振りで合図します。先ほどの現代作品とはオケの音がガラリと変わり、澄んだ響きの端正なバロックになったので感心しました。27歳のアリーナと36歳のクーシスト、二人ともリラックスした演奏で、短調の曲ながら音楽が喜びに溢れています。特にアリーナは表情が目まぐるしくて面白い。二人とも初めて聴きましたけど、私が知らないだけで若手にも才能あふれる人はまだまだいるのだなあと、明るい未来を感じました。
 続く「イリュミナシオン」は一昨年LPOで聴いて以来。その時はシェーファーのソプラノでした。17世紀のバッハから20世紀のブリテンまで時代が飛んで、またオケの音にふくよかさが纏わりついてきました。クーシストが一段高くなったコンマスの席に座り、弾き振りをしますが、バッハならともかく、複雑なブリテンまでも指揮者無しでやるとは、合奏にはよほどの自信があるんでしょう。テナーのパドモアは痩せたジャン・レノという感じのスマートなおじさん。取り立ててすごい声というわけではありませんが、表現力豊かな歌唱でした。
 ここでコンマスが本来のリーダー、貫禄オバサンのジャックリーンに交代。ジェームズ・マクミランの新作「ワン」は一聴して日本の現代音楽風に感じましたが、実はスコットランドとアイルランド民謡のトランスクリプションがモチーフとのこと。日本とスコットランドは実際、古来の民謡が類似していると指摘されているみたいです。続くプロコフィエフも、シンプルに見えて意外と難しい曲だと思うんですが、指揮者なしでたいへん見事な合奏。相当練習もしてるのでしょうし、ガヴォットなんか、ノリ一発で合わせている感じ。クーシストも何気に最後尾で弾いていましたが、本当に演奏するのが楽しくてたまらないんでしょうね。
 休憩を挟み後半1曲目はエレクトリックヴァイオリンのためのソロ曲。ディレイなどのデジタルエフェクトを駆使し、偶然性や即興も入った一期一会の曲ですが、作者でもあるクーシストは忙しくフットペダルを踏みつつ、時々ボリュームも調整しつつ、最後はヴァイオリンをウクレレのように抱えながら口笛で哀愁のメロディを吹くという、面白いけど何だかよくわからない作品でした。
 次はマルチなピアニスト、ジョアンナ・マグレガー登場。わずかにウェーブのかかったブロンドヘアにシックな黒のスーツで、落ち着いた感じの彼女もなかなかかっこいい。バッハのハプシコード協奏曲第5番は第2楽章が「バッハのアリオーソ」として有名で、聴けば「あーこれか」と思い出しました。マグレガーの抑制のきいた端正なピアノと、ノンビブラートで本領発揮のオケが再び気分をバロックに引き戻します。
 最後はジャズのビッグバンド風組曲で、サックス、ベース、タブラ(インド鼓)がゲストで加わりますが、これらソリストが必ずしも主役というわけではなく、どちらかというとバンドの曲した。タブラが入っているせいでアジアンな香りも強烈に漂ってます。実は初めて名前を聞いたムーンドッグ(まだまだ知らないことだらけだなー、しゅん…)は盲目でありながらニューヨーク6番街で路上生活ミュージシャンをしていたというかなりユニークな人生を歩んだ人だそうです。気持ち良いスイングもあればブルージーなムード音楽もあり、アラブのオアシスも感じて、ごった煮のような組曲でしたが、私は気に入りました。すでにCDを買う気になってます。マグレガーはピアノも良かったですが、シックな装いで指揮する姿がまた異様にカッコ良かったです。ドレッドヘアーに派手なドレスよりも、このほうが絶対いい。
 コンサートが終わったのは10時半。演奏会としては長かったけど、なかなか楽しいひとときでした。


2012.10.20 Barbican Hall (London)
Chilly Gonzales (piano)
Jules Buckley / BBC Symphony Orchestra
Joe Flory (drums)

 チリー・ゴンザレスはカナダ出身のヒップホッパー、プロデューサー、ソングライターにして、ピアニストでもある多彩な人です。自ら「音楽の天才」を標榜しているようです。会社の同僚が私の誕生日にプレゼントしてくれた「Solo Piano」というCDを聴くまで、実は名前すら知りませんでした。欧米では人気者のようでチケットは早々にソールドアウトでしたが、ある日たまたま1席だけリターンが出ているのを見つけて、面白そうだから思わずゲットしました。
 スタインウェイのピアノにはマイクが取り付けられ、ピアノとドラムはPAを通した音になりますから、これは純然たるクラシックの演奏会とはやはり趣きが異なります。最初はスポットライトの下、ナイトガウンにスリッパ履きというリラックスした装いでゴンザレス登場、ピアノソロの曲を数曲弾きました。ボサノバ調の曲では合いの手のように鍵盤の蓋をカツンと胴体に当てたり(スタインウェイが・・・)、右手で和音を上昇させていくときC8の鍵を越えて鍵盤のないところまであえて叩いたり、床に座り込んで鍵盤を見ないで弾くとか、遊び放題。CDを聴いたときも感じたのですが、ピアノ自体は無味無臭で、ジャズの匂いもほとんどありません。「サティの再来」とか言われることもあるようですが、曲はどう聴いてもやっぱりポピュラーの範疇を出るものではなく、サティやショパンと言うよりも、ラテンの入ったリチャード・クレイダーマン。くさすつもりは毛頭ありませんが、ピアニストとしての技量も、真っ当なクラシックのプロ奏者と同じ土俵で論じるものではないでしょう。ただ、自分の表現手段としては自由自在にピアノを駆使していて、演奏は常にインプロヴィゼーション混じりで、それこそがこの人の持ち味かと。従ってCDよりもライブが真骨頂なのでしょうね。
 続いてBBC響のメンバーとドラムの若者が登場。ドラムはアクリルの壁でぴっちり隔離されていて(真後ろでガンガン叩かれたら他の奏者がたまらんのでしょうね)、ちょっとかわいそうでした。オケが出てくるとちょっと肩の荷がおりたのか、ゴンザレスはマイクを握ってラッパーに転じます。ひとしきりエネルギーを発散させた後は、子供のころはひねくれていてメジャーの曲をあえてマイナーで弾いたりした、などと言いながら「ハッピー・バースデー」や「フレール・ジャック・マーチ」を短調にしてオケに演奏させてみたり、客席の女の子をステージに上げてスリーノートを弾かせ、それを元に即興してみたり、多彩なエンターテイメントを繰り広げます。
 一応メインである彼の「ピアノ協奏曲第1番」は4楽章構成の20分くらいの曲でした。ニューエイジ系の癒される旋律で、形式はいたって単純なポップスの文法に則っていて、ピアノ協奏曲と名打つよりも「ゴンザレス組曲」とでも呼んだほうが内容的には適当でしょう。そうは言っても、前半に演奏してきた我が侭な自己表現と比べたら、すいぶんとよそ行きでかしこまった印象があり、正直あまり面白くなかった。終楽章、即興でやるカデンツが終りそうでなかなか終らず、オケがなかなか入れずに、指揮者も困った顔でいったん振り上げた指揮棒を下ろしてしまったり(実はこれも演出だったのかな?)、遊び心は忘れていませんでしたが。
 この後はまたはしゃぐゴンザレスに戻り、チェロ、ヴィオラにクイーン「Another One Bites The Dust」のリフを弾かせて、マイケル・ジャクソン「Billy Jean」のベースラインを木管、ブリトニー・スピアーズ「Toxic」のフレーズをヴァイオリンで各々重ねて(やることのない金管は踊り担当)、自分はラップを歌うとか、客席まで出て行ってボディサーフィン(人ごみの上に乗って滑るように移動する)をやってみたり、普段のバービカンではなかなか見られない光景が新鮮でした。
 ちょっと遅めの夜8時に始まったコンサートは、休憩無しのぶっ続け2時間で終ったらもう10時。ちょっと疲れましたが、本人はまだまだエネルギーが有り余っている感じでした。エンターテイナーとしての多才ぶりは確かに天才を自称するだけのことはあるなと。CDをくれた同僚は、彼のピアノソロは好きだけどラップは聴かない(聴きたくない)と言ってましたが、私的にはピアノソロだけではヒーリング過ぎて退屈、多分途中で寝ちゃったでしょう。


2012.10.18 Dvořák Hall (Prague)
Jiří Bělohlávek / Czech Philharmonic Orchestra
Jan Martiník (bass-2)
1. Janacek: The Excursions of Mr. Broucek, suite from the opera (arr. J. Smolka)
2. Dvorak: Biblical Songs
3. Stravinsky: Petrushka, suite from the ballet

 今年の1月以来、2度目のドヴォルザーク・ホールです。プラハにはしょっちゅう出張で来ているのに、なかなかタイミングは合わないものです。
 チェコフィルは今シーズンからビエロフラーヴェクが20年ぶりに首席指揮者の座に返り咲きました。BBC響の首席を今期限りで退くことが決まっているビエロフラーヴェクは、私もロンドンで初めて実演を聴くまで正直地味な指揮者とナメていましたが、バランスよいオケのコントロールとスコアへのリスペクトに加え、熟練の成せる技で音楽を自在に広げられるスケール感に感服いたしました。
 1曲目のヤナーチェク「ブロウチェク氏の旅」は全く初めて聴く曲です。そもそもこのオペラの名前すら知りませんでしたが、あらすじを読む限り、月に行ったり、15世紀にタイムスリップしたりと、家族で楽しめそうなファンタジーでありながらも相当にぶっ飛んだストーリー。今回の6曲(導入〜夕暮れ、月のワルツ、夜明け前、夢と現実の狭間、フス派の合唱曲、勝者の凱旋)から成る管弦楽版組曲を聴いても音楽は円熟していてたいへん親しみやすいので、これは是非オペラの公演を見てみたいものだと思いました。
 続くドヴォルザーク「聖書の歌」は全10曲で構成される歌曲集。チェコ語の旧約聖書の詩編から歌詞を取った宗教音楽でありながら畏まった雰囲気はなく、ボヘミア民謡牧歌集と呼んでも違和感のない素朴な曲調でした。最後の曲などは「雪やこんこ」のメロディにしか聴こえません。バスの若者ヤン・マルティニークは、そのパヴァロッティのような巨体から、実に良い声を深く響かせていました。歌はまだ未熟なところがあるかもしれませんが、とにかく声が素晴らしい。一瞬でとりこになってしまうような声は天賦のもの、会場総立ちの大拍手も納得です。是非世界の大舞台でどんどん経験を積んでもらいたい(ビエロフラーヴェクがBBC響とチェコのオペラを上演するときにもロンドンまで呼んでいたみたいです)。
 メインのペトルーシュカは1947年の版でしたが(1911年版とは管・打楽器の編成が異なり、ティンパニの3連装飾音等に特徴があります)、第4部のクライマックス、ペトルーシュカとムーア人が決闘する場面で唐突に終ったのでガクンと肩透かし。全曲版ではなく、珍しい組曲版だったのでした。当然ラストのトランペットの掛け合いもありません。盛り上がるところでブツっと切ってしまうのは、「中国の不思議な役人」の組曲版と同じですね。ビエロフラーヴェクは淡々とオケを引っ張りますが、変拍子の箇所では聴いていてヒヤヒヤするくらいぎこちがなく、この人変拍子が実は苦手かも、と思ってしまいました。チェコフィルもちょっと後乗りというか反応の重いオケに見えるので、まるで風呂場のように残響の豊かなホールと相まって、分離が悪く切れ味にはいまいち欠ける演奏でした。肝心のピアノもよく聴こえなかったし。ただしチェコフィルの各ソロパートの名人芸は素晴らしいものがあり、特にホルンの力強いことと言ったら。
 世界的に名を馳せたチェコ人マエストロの凱旋ですから当然ですが、ビエロフラーヴェクに対する聴衆の高揚度は相当なものでした。終始にこやかで楽団員とも良い雰囲気そうだし、機会がある限りまた聴きに行きたいと思います。


2012.10.17 ROH Linbury Studio Theatre (London)
Meet the Young Artists Week: Performance
Pedro Ribeiro (director)

 ROHの若手アーティスト達によるミニオペラ2本立て。オペラハウスの地下にあるリンベリー・スタジオには初めて入ります。普段はバレエにしろオペラにしろモダンな演目ばかりやってる印象だったので敬遠していたのですが、今回はモーツァルトがキャリア最初期の12歳で作曲したオペラと、そのモーツァルトの死を題材にしたオペラという面白い取り合わせだったし、これなら18禁ということはなかろうと安心し、家族揃って見に行きました。最初に会場の印象を言うと、ステージが近くて見やすいし、音の通りもよいので、小規模作品の上演にはちょうどよいんではないでしょうか。

1. Mozart: Bastien und Bastienne
 Michele Gamba / Southbank SInfonia
 Paul Wingfield (continuo)
 Dušica Bijelic (Bastienne), David Butt Philip (Bastien), Jihoon Kim (Colas)

 このオペラは6年前にウィーン国立歌劇場の子供向けオペラで観ました。元は太陽が降り注ぐコルシカ島の農村が舞台ですが、この演出では何故か深夜の線路上。羊飼いの娘バスティエンヌはみすぼらしい格好で羊の乗ったトロッコを押して出てきます。歌はくぐもっていて、音程もちょっと危うい。ソプラノよりはメゾに向いてる太さの声です。続いて登場する魔法使いのコラはこれまた浮浪者のような風貌の酔いどれ電気技師。バスティエンヌにちょっかいを出しては肘鉄を食らうという「泉谷しげるキャラ」でしたが、この韓国人は非常に良い声でした。バスティアンも含めて、皆その若さがこの若書きオペラにはマッチしていました。一方のオケはどの場面も淡々と演奏していて、ちっとも盛り上がらない。若いのに熱いものがないのは問題で、技量的にもまだまだ未熟という印象でした。

2. Rimsky-Korsakov: Mozart and Salieri
 Paul Wingfield / Southbank SInfonia
 Michele Gamba (continuo)
 Pablo Bemsch (Mozart), Ashley Riches (Salieri)
 Jette Parker Young Artists (offstage chorus)

 映画「アマデウス」でもお馴染みの、サリエリによるモーツァルト暗殺説は、元をたどればプーシキンの戯曲がルーツだそう(もちろん噂話はサリエリ存命中から存在しました)。その戯曲を原作にしたこのリムスキー=コルサコフのミニオペラも「都市伝説」を流説するのに一役買っています。前半に輪をかけて、大道具のほとんどないシンプルな舞台美術に、登場人物は二人ともスーツにネクタイのビジネスマンルック。彼らを「モーツァルトとサリエリ」だと言われても、やっぱり違和感は思いっきり残ります。また、今日のキャストだとサリエリのほうが全然若くてハンサムに見え、嫉妬する説得力が薄いのも難点でした。歌はどちらもよく通る美声で良かったです。マリオネットを使ってみたり、レーザービームで指だけ光らせる演出は、お金がない中で工夫してがんばっているという感じ。殺風景ですが、よく出来た演出ではありました。


2012.10.11 Concertgebouw (Amsterdam)
Alexandre Bloch / Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
Anja Harteros (soprano-2)
1. Johan Wagenaar: Overture 'De getemde feeks' (The taming of a shrew)
2. Richard Strauss: Songs
 1) Allerseelen
 2) Die heiligen drei Könige aus Morgenland
 3) Waldseligkeit
 4) Wiegenlied
 5) Morgen!
 6) Zueignung
3. Jörg Widmann: Teufel Amor, a Symphonic Hymn after Schiller
4. Richard Strauss: Tod und Verklärung

 ついについに、念願のコンセルトヘボウに初見参です。RCOはロンドンとブダペストで過去に5度聴いていますが、やはり本拠地で聴けていなかったのが長年の心残りでした。
 今回は直前になってヤンソンスが病気のため降板、代役に抜擢されたのが、なんの偶然か、先日見に行ったドナテッラ・フリック指揮者コンクールで優勝したばかりのアレクサンドル・ブロッホ君でした。このはっきり言ってドマイナーなプログラムを変更無しで、短期間でモノにしなくてはならないのですから、よくぞ受けたと思います。そのアグレッシブ姿勢に拍手。聴衆も温かい人が多いのか、指揮者変更にもかかわらずほぼ満員に近い入りでした。
 初めて中に入るコンセルトヘボウは、ウィーン楽友協会と同じく反響板無しの靴箱型ホール。ここの特徴はステージがやたらと高い位置にあることと、指揮者の花道がコーラス席の間を通る階段になっていることです。私が好んで買う最前列ど真ん中などという席は首が疲れる上に指揮者の足下くらいしか見えない悪席ということをあらかじめ聞いていたので、今回はバルコニーの席にしました。余談ですがここは歴史的建造物にもかかわらず、トイレは新しく奇麗でした。ロンドンのホール、特にバービカンは是非とも見習って欲しいものです。
 1曲目は名前も知らなかったオランダのロマン派作曲家ワーヘナールの、序曲「じゃじゃ馬ならし」。当然シェークスピアを題材にしているわけですが、ロマン派バリバリの明るい曲でした。ブロッホはこのマイナー曲を暗譜で指揮。暗譜が必ずしもえらいわけではないですが、勉強熱心な姿勢は評価できます。棒振りは、気負いが勝っているのかちょっとアクセクしすぎてやり過ぎの感がないでもありません。
 続いて、ロンドンではキャンセル魔として知られているアーニャ・ハルテロスのリヒャルト・シュトラウス歌曲集。定番の「4つの最後の歌」かなと思っていたら、全然知らない曲ばかりでした。ハルテロスはブロッホよりも長身で貫禄があり、あまり指揮や伴奏を気にすることなく、自分の世界に没頭するような入り込み歌唱でした。声量は抜群でしたが時々音が怪しく、ビブラートかかり過ぎの歌は正直私の好みではありませんでした。ミドルからスローテンポばかりの歌曲が連続すると、昼間の仕事疲れもあって、つい眠気が…。どうもピンと来なかったので、見栄えが活かせるオペラの舞台で見てみたいものです。
 元々はここで休憩が入るはずでしたが、指揮者変更のついでに、何故だかわかりませんが休憩の位置が歌曲選集の後からその次の曲の後に変更になっていました。次のヴィトマン「悪魔の夢」は昨年完成し、今年パッパーノ/ウィーンフィルで初演されたばかりのホヤホヤな新曲。ショートピースかと思いきや、30分以上かかる長丁場の曲でした。冒頭はオケの低音限界を試すかのようなチューバが地鳴りのように響き、脅かしありーの、特殊奏法ありーの、微分音ありーの、何だかやたらといろいろ詰め込んだようなエネルギッシュな曲でした。こんな複雑な新作まで振らされて、アレックス君の対応能力もたいしたもんです。ヤンソンスだったらここまで細かく振ってないだろうから、オケとしてはアレックス君が代役で、やりやすかったかも。
 休憩後のメインとしてはちと短い「死と変容」。CDは持っていますが、実はほとんど聴いたことがない…。先入観だけで暗くて地味な曲だと思い込んでましたが、あらためて聴いてみると、ドラマ満載のたいへん美しい曲ですね。オーボエ、クラリネット、フルート等、コンセルトヘボウの木管の名人芸と極上の音色を堪能させてもらいました。オケが協力的だったことも後押しして、ブロッホのバトンテクは相当立派なもので、指揮の技術も度胸も、すでに完成されたものを持っているようです。あとは経験値だけなので、こうやって天下のコンセルトヘボウに代役のオファーが来るくらいだったら、こないだの指揮者コンクール優勝の特典である「1年間のLSO副指揮者待遇」なんて、別に今更やらなくてもいいんじゃないですかねえ。
 コンセルトヘボウの聴衆は皆さん優しく、ハルテロスにもブロッホにも、いちいち会場総立ちのスタンディングオベーションでエールを送ります。言わば喝采のインフレ。呼ばれるたびに花道の階段を上り下りする指揮者、ソリストはたいへんですね。何にせよこのホールの音響は素晴らしく、機会があったらまた何度でも来てみたいものです。


2012.10.05 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra & Russian National Orchestra
Lawrence Power (viola-2)
1. Tchaikovsky: '1812' Overture
2. Britten: Lachrymae 'Reflections on a song of Dowland' (arr. for viola & strings)
3. Shostakovich: Symphony No. 7 in C 'Leningrad'

 前日の続き、「War and Peace」の最終日はLPOとRNOの合同オーケストラです。どちらもユロフスキのオケかと誤解していたのは前に書いた通り。今日は開演前にトラブルが。チケットカウンタの奥側にあるカフェで小腹ごしらえにエスプレッソとブラウニーを買い、ミルクを入れて、砂糖を取ろうと左手を伸ばしたところ、手前にフィルターコーヒーが置いてあり、邪魔で砂糖が取れなかった。持ち主のおばさんと目が合い、砂糖を取りたいと言おうとしたら、何やらぎゃーぎゃーと早口で文句を言ってきます。反対側から右手を伸ばして取れ、というようなことを言っているようで、もしかしてそのおばさんのコーヒーに自分の手や袖が触ってしまったかなと確認するも、どこも濡れていない。触れてないし、ましてやこぼれてもいない、私の手が近づいただけのそのコーヒーを、おばさんは「こんなものもう飲めないわ」と言って私の買ったブラウニーの上に全部ぶちまけて、すたすたと去って行きました。一瞬の、あまりの出来事に唖然。人が買ったものの上にわざわざ熱いコーヒーをぶっかけて行くなんて、何が原因だったとしてもあり得ない仕業です。一見白人のレディだったのに、やっぱり「紳士の国」イギリスには紳士も淑女もおらん、との認識をあらたにしました。
 そんなわけでのっけから超悪い気分で望んだ演奏会。気のせいではなく、満員御礼ながらも今日は客筋が悪いというか、演奏中に携帯鳴らすヤツはいるし、楽章の合間でいちいち拍手は出るし、隣席のおっさんは終始すーすーと寝息をかきながら夢ごこち(うるさいっちゅうねん)。とっても落ち着かない演奏会でした。
 合同オケは通常の1.5倍はありそうな大編成で、さすがに第一線のプロオケが合体しているので音圧は大したものでした。総練など直前しかやってないでしょうが、弦のボウイングがちゃんと合っていたのは立派です。昨日はヘタレぶりが気になった管楽器も、今日は両者の精鋭トップが肩を並べ競い合う図式になっていたので、打って変わって熟達堅牢なプレイに感心しました。LPOとRNOは元々個性が似ているのか、対立したり火花が散ったりすることもなく、誰がどっちだか区別のつかないくらいに見事に融合していました。
 「1812年」は、プロオケで聴いたのはもしかしたら初めてかも。有名だけど取り立てて面白いところもなく、正直つまらん曲です。コージー・パウエルも、何でまたこんな曲に合わせてドラムソロをやってたんだか。この曲のハイライトは最後のほうで出てくるカノン砲ですが、野外コンサートでもない限り録音か電子音で済ませるのが普通です。今日も録音を使ってましたが、スピーカーが貧弱なのか、つぶれてしまって何だか全然分からない音になってました。これなら大口径の大太鼓を思いっきり叩くとかで代用したほうがよっぽど良かった気がします。
 ブリテン「ラクリメ」は初めて聴きます。ローレンス・パワーのヴィオラもお初ですが、並外れた技巧を持っていながらもガチガチに整えた感じではなく、あえてユルさも残した、ある意味ヴィオラらしい懐の深い演奏でした。メインの「レニングラード」は、私の印象では前日同様にクソ真面目な演奏。元々冗長な曲なので、息が詰まって、つい眠気も…。前日ひどかった金管も、今日は両者の精鋭がお互いを意識しながら全力を尽くしていたので完成度は高く、この音圧勝負の曲を最後までトップギアで吹き抜いていました。終演後、指揮者が最初に立たせたのは第1楽章で小太鼓の若者、次に打楽器群。もちろん大拍手です。各楽器でLPO、RNO各々のトップがいちいちがっしりと握手する姿はなかなか感動的でした。
 前日が短めの演奏会だったのに対し、今日は終演10時の長丁場。1812年かブリテンのどちらかは、正直なくてもよいプログラムだったのでは。それよりも、英露融和をうたうなら、アンコールで威風堂々第1番でもやってお祭り騒ぎのうちにシメて欲しかったです。


2012.10.04 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / Russian National Orchestra
1. Vaughan Williams: Symphony No. 6 in E minor
2. Prokofiev: Symphony No. 5 in B flat

 今シーズン最初のフェスティヴァル・ホールです。これは「War and Peace」と題する3日間のミニシリーズで、前日の初日がLPOでブリテン「鎮魂交響曲」、ウォルトンVa協奏曲、プロコフィエフ「戦争と平和」抜粋、この日がRNOによるプロコフィエフ5番とヴォーン・ウィリアムズ6番、翌日の最終日はLPOとRNOの合同オーケストラによる1812年序曲に「レニングラード」という、ロシアをメインに据えながらイギリスものを添えるというプログラム構成です。指揮は全てウラジーミル・ユロフスキ。これが誤解の元だったのですが、RNOすなわちロシア・ナショナル管弦楽団は20年前プレトニョフが自分のために作ったオケのほうですね。ロシアにはもう一つ、似た名前でロシア国立交響楽団(旧ソヴィエト国立交響楽団)というスヴェトラーノフとの膨大な録音で世界的に著名なオケもあって、ここの首席指揮者が現在ユロフスキなので、私はてっきり今回のロシア側のオケはロシア国立響だとすっかり思い込んでおりました。ユロフスキはRNOの指揮者リストにも入っていますが、扱いは客演指揮者の一人であって、RNOの首席は今でもプレトニョフです。だとすると逆に、今回の企画でユロフスキがどうして自分のオケではなくRNOをブックしたのだろうかという疑問が頭に浮かびましたが、どちらにしろ私は初めて聴くオケですし、RNOはグラモフォン誌が2008年に選出した「世界最高の交響楽団トップ20」で15位にランクインしており興味があったので、ロシアに行かずとも聴く機会ができてラッキーでした。
 ところが、今日の演奏会はどうも気持ちが乗っかれない。このところ忙しくて疲れ気味というのを差し引いても、心に響いてくるものが少ない演奏会でした。1曲目のヴォーン・ウィリアムズ第6番は第二次世界大戦末期に着手され、ショスタコーヴィチばりの金属的な不協和音のおかげで「戦争交響曲」とも呼ばれている作品。よく考えたらイギリスに住んでいながらヴォーン・ウィリアムズの曲を演奏会で聴くのは初めてです。演奏はユロフスキの気配りが隅々まで行き届いたもので、標題音楽ではないけれども、戦争の激しさと愚かさ、結果として残された焼け野原に平和の希望の火が灯る様がストレートに表現されていました。ただ、冒頭からして今日はちょっと乗れないなと思ってしまったのは、金管とティンパニの音が汚いこと。弦は力強く、木管もオーボエを筆頭になかなか滋味溢れる音を出しており、野暮ったい音がしないという点では優秀なオケではあるんでしょうが、取り立てて目を引く個性があるわけでもなく、金管はデリカシーのない音で、特にトランペットは体調が悪いのか、ステージの上で思いっきり咳をしていました。
 メインのプロコフィエフ第5番も同じく戦争末期に作られた曲で、戦争の悲愴さが影を落としてはいるものの、内容はずいぶんと祝賀的で官能的です。私はLPOをあまり聴きに行かないのでユロフスキもまだそんなに聴いてないですが、生真面目にちょっとヘンテコな演奏をする人、という印象でした。今日はそのヘンな部分はほとんど感じられず、コツコツと細部を磨き上げた直球勝負。おかげでやっぱり心に引っかからない演奏でした。濁った金管がなりを潜めている第3楽章前半が相対的には良かったです。私的にはとにかく金管が足を引っ張り、評価を下げた感じです。残念ながら、次回公演があってもまた聴きに行きたいとは正直思わないオケでした。なお、初日のことはわかりませんが、今日の客入りはイマイチで、ストールの後ろとバルコニーでは空席が目立ちました。


2012.10.02 Barbican Hall (London)
Elina Garanča (mezzo-soprano)
Karel Mark Chichon / London Symphony Orchestra
Gordon Nikolitch (violin-3)
1. Glinka: Overture to "Ruslan and Ludmila"
2. Tchaikovsky: "Yes, the time has come" from "The Maid of Orleans"
3. Massenet: Meditation from "Thaïs"
4. Saint-Saëns: "Mon coeur s’ouvre à ta voix" from "Samson et Dalila"
5. Saint-Saëns: Bacchanale from "Samson et Dalila"
6. Gounod: "Plus grand, dans son obscurité" from "La Reine de Saba"
7. Pascal Marquina Norro: España Cañí
8. Santiago Lope Gonzalo: Gerona
9. Manuel Penella: Pasodoble from "El gato montés"
10. Bizet: Extracts from "Carmen"
 1) Prélude (Act I)
 2) Habanera (Act I)
 3) Entr’acte (Act III)
 4) Séguedille (Act I)
 5) Entr’acte (Act IV)
 6) En vain, pour éviter (Act III)
 7) Entr’acte (Act II)
 8) Chanson bohème (Act II)

 このように歌手を前面に立てた「オペラアリアの夕べ」みたいなのは、器楽志向の私は最も避けてきた部類の演奏会ですが、一度は見たいと思っていたエリーナ・ガランチャを今シーズンもオペラ座で見ることはできなさそうだというのが判明してから、ちょうど頃合よく目に付いたこのチケットを思わず買ってしまいました。何でもこのコンサートはドイツ・グラモフォンから先月発売されたばかりの新譜「Romantique」のプロモーション・ツアーの一環だそうです。それにしてもバックがLSOとは豪勢な話。指揮者は聞いたことがない名前でしたが、ガランチャのダンナさんなんですね。
 1曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲が終わり、入場してきたガランチャは、今まで見たどのプロモーション写真とも違う(笑)、シックなグレーのドレスに身を包んだ、がっしりとした体格の飾りっ気ない中年女性でした。もっと細身で色気たっぷりのお姉ちゃんを想像していた私は思いっきり肩すかし。30代半ばにしてはちょっと老け顔だし、身体の線も、ちょっと…。
 オケの間奏を挟みながら進行するプログラムの前半は、チャイコフスキー「オルレアンの少女」、サン=サーンス「サムソンとデリラ」、グノー「シバの女王」から各々メジャーなアリアを取り揃えます。前半はお腹で手を組み、品格高い歌唱を心がけていました。LSOがよく鳴るのでオケがうるさ過ぎのところもありましたが、それにも負けずによく通る美声でした。メゾソプラノの太さはそのままに、ソプラノのように突き抜けたロングトーンの伸びは、天性のものがありますね。私はこのへんのオペラアリアはさっぱりわからないのですが、声の特質をよく活かした、じっくり聴かせる選曲になっていました。
 後半はスパニッシュ特集。黒いドレスと深紅の口紅にお召し替え、前半よりもくだけた感じで小芝居の入ったシアトリカルな歌唱にイメチェン。「カルメン」はさすがのオハコで、自信たっぷり、余裕たっぷりのコロラトゥーラ・メゾ。技巧に長けていてやけに健全なカルメンという印象でした。もっと場末でヘタウマのくずれた感じもあったほうが、全くのアウトローである本来のカルメンのキャラクターには合う気もしますが、それはそれとしてもガランチャは是非ともオペラ座で見たかった。3年前にアラーニャとのコンビでROHの「カルメン」に出演したとき、我が家はまだROHデビュー前だったので見てないのです…。
 ダンナさんのチチョンは、オペラ指揮者にはありがちな、カリスマはないけど仕事きっちりのタイプで、結構若いのに手慣れた棒さばきでLSOを鳴らし、安定感がありました。愛妻のためとは言え、この雑多なプログラムを全部暗譜でやってたのは立派。ガランチャも後半は終始リラックスした表情で上機嫌、アンコールではスペイン系をさらに3曲歌ってくれました。


2012.09.30 Barbican Hall (London)
Donatella Flick LSO Conducting Competition 2012: Final
London Symphony Orchestra
Finalists:
A. Ben Gernon British, Age 23
B. Stamatia Karampini Greek, Age 34
C. Alexandre Bloch French, Age 27

1. Weber: "Der Freischütz" Overture
 Performed three times, conducted in turn by each finalist

2. Debussy: La mer
 2-1) De l’aube à midi sur la mer (From dawn to noon on the sea)
 Stamatia Karampini (conductor)
 2-2) Jeux de vagues (The play of the waves)
 Alexandre Bloch (conductor)
 2-3) Dialogue du vent et de la mer (Dialogue of the wind and the sea)
 Ben Gernon (conductor)

3. Prokofiev: Romeo and Juliet – Suites Nos 1 & 2
 3-1) Suite 1, No 4: Minuet
 3-2) Suite 2, No 6: Dance of the Antilles Girls
 3-3) Suite 1, No 7: Death of Tybalt
 Alexandre Bloch (conductor)
 3-4) Suite 1, No 2: Scene
 3-5) Suite 2, No 2: Juliet the Young Girl
 3-6) Suite 1, No 5: Masks
 Ben Gernon (conductor)
 3-7) Suite 2, No 4: Dance
 3-8) Suite 2, No 7: Romeo at Juliet’s Grave
 3-9) Suite 2, No 1: Montagues and Capulets
 Stamatia Karampini (conductor)

 27日のデイヴィス85歳記念コンサート第1弾は肝心要のデイヴィス翁と、さらには内田光子まで体調不良でキャンセルになってしまったため当然の如くチケットをリターン(目当てはルプーだったので彼さえ出てくれれば良かったんですがねえ、何で一緒にキャンセルするんだか)、今日が今シーズンのLSO開幕になります。
 我ながら物好きとは思いつつも、この日は通常の演奏会ではなくDonatella Flick指揮者コンクールの最終選考会。1990年以来隔年で開催されており、パトロンはチャールズ皇太子です。応募資格はEUに国籍を持つ35歳以下の若者で、優勝者は賞金15000ポンドとLSOのアシスタントコンダクターのポジションを得ます(1年間)。不勉強ながら私はこのコンクールを知らなかったのですが、過去の優勝者の顔ぶれを見ても正直知らない人がほとんどです。
 審査委員長はLSOチェアマンのマッケンジー。今年の審査員はコリン・デイヴィス(病欠しましたが)、パッパーノ大将、ニコラス・ズナイダー、イモゲン・クーパーに、LSOの首席奏者2名、聖チェチーリア音楽院の芸術スタッフが加わっています。審査員の顔ぶれは他の指揮者コンクールと比べても豪華なほうだと思います。まず、ビデオ選考で選抜された20名がロンドンで3日に渡り行われる最終選考会に進みますが、最初の2日間はギルドホール音楽演劇学校のオケを相手にリハーサルおよび指揮する様子を審査されます。初日はモーツァルトのプラハ交響曲、シューベルトの未完成などが課題に出され、そこで10名がふるい落とされます。2日目は協奏曲(ヴァイオリン)、オペラのレチタティーヴォ、コンテンポラリーの新作といったより幅の広い対応が求められ、勝ち抜いた3名がバービカンでLSOを振る最終選考会に臨みます。ファイナリストは23歳イギリス人のベン・ジャーノン、34歳ギリシャ人の紅一点スタマティア・カランピニ、27歳フランス人のアレクサンドル・ブロッホ。若いベン君はともかく、他の二人はすでに国際プロ指揮者としてのキャリアをそれなりに積んでいるようです。
 1曲目は「魔弾の射手」序曲を順番に3回演奏するという趣向。そう言えばこの曲は昔部活でやったっけなあ、と懐かしく思い出しました。指揮者コンクールというものを見るのは実は初めてだったのですが、これはなかなかジャッジの難しい競技会です。ファイナリストに残るくらいだからバトンテクは皆さんもちろん一様に申し分なく、解釈においても著しく個性的な人はいません。指揮者が交代してさっきとは音が変わったなという引っかかりは感じても、それが指揮者の所業なのか、オケの演奏のムラなのか、素人には見通す力が足りません。多分プロはプロの見方があるんでしょうけど。
 トップバッターのベン君はテンポにメリハリを付けた熱い演奏でしたが、アインザッツの乱れがあって多少荒いという印象。「肝っ玉母さん」という雰囲気のスタマちゃんは(実際に母親なのか、既婚かどうかも知りませんが)、落ち着いた進行に柔らかい肌触りの、経験を感じさせる中庸の演奏。最後のアレックス君は細身の身体に肘の高い腕の振りがダイナミックで、実際にはベン君とさほど身長は変わらないのにかなり長身に見えます。3番手という有利もあったのでしょうが、この人が一番自然な音をオケから引出し、ドライブも上手く、完璧なプロポーションで曲の起伏を作っていました。面白かったのは、3人が3人とも、序奏の後やコーダ手前ではテンポ前のめりで突っ込んでいたことで、これなどは1番手のベン君のドライブをオケのほうが後の人にも引きずってしまった結果ではなかろうかと。何にせよ、同じ曲を連続して演奏するときは気持ちの上でも最初と最後が得、真ん中はちょっと損ですね。
 2曲目のドビュッシー「海」は、3つの楽章を分け合って一人ずつ指揮します。今度は逆に、曲想的には第2曲が一番盛り上げやすくて得だったんじゃないかと個人的に思いましたが、まあそのへんのくじ運の差異はもちろん考慮しつつ審査されるんでしょう。しかし、フェアな感想として2番手のアレックス君が最も多彩な色彩感を持っていたのも事実で(というより他の二人はカラフルとは言い難い演奏だった)、フランス人の彼にとって「ご当地もの」だったのも良かったでしょう。最後の「ロメオとジュリエット」でもくじ運の当たり外れがありそうでした。最初と最後の要所を2曲も含む3番手スタマちゃん、最も劇的なクライマックスの「ティボルトの死」をゲットした1番手アレックス君と比べて、2番手のベン君は音楽だけで聴かせるにはちときつい場面ばかり、割を食いました。
 全員の演奏終了後、審査員が結論を出すまでの間に、初日から3日目のLSOとのリハに至るまでの様子をインタビューを交えて編集した20分くらいのビデオが上映され、その後さらに10分ほど待たされて、ようやく結果発表と表彰の式典が始まりました。私の評価では、全ての曲において演奏にしなやかさとしたたかさが最もあったのは鉄板でアレックス君。この中から一人選べと言われたら彼しかないと思ったら、審査結果もやっぱりその通りでした。モジャモジャ頭がどこかドゥダメルを髣髴とさせる明るく朴訥な雰囲気は、使いようによっては面白いキャラかも。今後ロンドンで是非活躍してもらいたいものです。ベン君はいろんな意味でまだ若かった。スタマちゃんは後で調べると、昨年の有名なブザンソン国際指揮者コンクールでも3人のファイナリストに残った実力者でしたが、垣内悠希さんに優勝をさらわれました。今回またしても後一歩のところで優勝を逃し、年齢的に言ってもさぞ悔しかったと思いますが、すでにプロ指揮者としてのキャリアは重ねているわけだから、これをバネに一皮向けてくれたらと思います。


2012.09.19 Wigmore Hall (London)
Christian Tetzlaff (violin)
1. Sonata No. 2 in A minor for solo violin BWV1003
2. Partita No. 2 in D minor for solo violin BWV1004
3. Sonata No. 3 in C major for solo violin BWV1005
4. Partita No. 3 in E major for solo violin BWV1006

 プロムスも終わり、2012/2013シーズンの幕開けです。今年の初っ端は、自分でも意外なことに、昨年に引き続き室内楽。ロンドンに来てからすっかりお気に入り、クリスティアン・テツラフのソロヴァイオリン演奏会です。普段はめったに聴かないバッハです。しかも今日は、ロンドン在住3年を超えて、何と初のウィグモアホール。評判通り、大きさ、音響、客層、アクセス、どれを取っても小編成の楽隊には願ってもないホールでしょう。
 今まで聴いた、コンチェルトを弾いているときのテツラフの印象は、技術は穴なく完璧で、呼吸をするかのように自然な(わざとらしさが一切ない)ヴァイオリンを弾く人だったのですが、ピアノ伴奏すらないソロのリサイタルを至近距離で聴くと、乗ってくれば意外と音は荒いし、音程も時々ビミョーに揺らぐ、人間らしい奏者なのだなあというのが新鮮な発見でした。元々この人は、もちろんめちゃめちゃ上手いので毎回舌を巻くのですが、決して技術の完璧さで勝負はしていません。全身を上下左右に揺らしつつ、雄弁に語るヴァイオリンの説得力と表現力は群を抜いているし、しかもたいへんユニークです。
 前半の最後、パルティータ第2番終曲の有名な「シャコンヌ」は、とりわけ劇的としか言いようがない一大叙事詩。暗く悲痛な叫びで始まり、激しくひとしきり燃え上がった後は、焼け野原からオーラが立ち上り、人間の営みがまた復興して行く様が目の前にまざまざと広がりました。言うなれば、ひとり地球交響楽(ガイア・シンフォニー)。冗談抜きで、是非テツラフにはこの希望を与える音楽を震災被災地の人に生で聴かせてあげて欲しい、と思いました。
 後半は明るく軽めに、卓越した技術を惜しげもなく披露し、速いパッセージはとことん速く、肩の力を抜いた演奏。ソナタ第3番のフーガなんかも、分身の術のように見事に弾ける人は他にもいるはずですが、テツラフは曲芸に走らず、男の筋を通すかのように「一奏者」にこだわった演奏。休憩はさんで2時間、こんだけ弾いたらさすがのテツラフでも披露困憊で、アンコール無しでした。


2012.09.07 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 75
Bernard Haitink / Wiener Philharmoniker
1. Haydn: Symphony No. 104 in D major, 'London'
2. R. Strauss: An Alpine Symphony

 今年のプロムス最後は、6月にもラトルと来たばかりのウィーンフィル。指揮はロンドンではお馴染みのハイティンクですが、レパートリーが硬直化していて(若くしてコンセルトヘボウの常任だったころは、もっと節操なく何でもやってレコード出していたと思うんですけどねえ)、どのオケを振ってもブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、シューベルトばかり繰り返しやってる気がするので、今日の「アルプス」みたいな機会はなかなか貴重です。
 コンマスはキュッヒル。やはりこの人が座っているとウィーンフィルの音も一段ときりっとしてる気がします。1曲目のハイドン「ロンドン」は、実はほとんど初めて聴く曲でした。仕掛けも何も無い直球勝負は実はハイティンクの決め球で、いかにもウィーンフィルらしい、きめ細かく柔らかい音が素晴らしいです。楽友協会という普段から残響の長いホールで演奏しているからか、アルバートホールみたいな箱でも響かせ方をちゃんと心得ているように見受けられました。
 メインの「アルプス交響曲」は先ほどのハイドンと違い、いくらウィーンフィルと言えど放っておいても勝手に演奏してくれる曲ではありません。ハイティンクはその点、道を見失わないしっかりとした足取りで、ストレートにオケを牽引していました。冒頭からして金管の弱音が渋過ぎ、先日同曲を聴いたシモン・ボリバルとはやっぱり雲泥の差です。木管のソロも余裕で惚れ惚れする素晴らしさで、ウィーンフィルの「楽器」としての優秀さを再認識しました。それに、ハイティンクの動じない風林火山ぶりはタダモノではなく、大きなエンヴェロープの中で細かく揺れ動く起伏が過不足無く配置され、俯瞰した登山の全体像をパーフェクトに表現していました。見たことないようなどでかいサンダーシート(要は大きい鉄板ですが、狭い楽友協会のステージにこのサイズは乗らないのでは?)をガタガタと揺らす様は、ビジュアル的にも見物でありました。さすがのウィーンフィルも最後はちょっと息切れ気味でしたが、こないだのラトル以上に、ウィーンフィルらしい音楽を聴けたなあという満足感でいっぱいでした。
 ハイティンクとしては珍しくアンコールがあり、ウィーンらしくシュトラウス二世の「春の声」。これなんか、ハイティンクは実質ほとんど何も指示してないですよね。どこの一流オケを振っても皆協力的で一緒に音楽を作ってくれる、晩年のハイティンクは今一番幸せなポジションにいるのではないかと思いました。


2012.09.04 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 71
David Robertson / St Louis Symphony
Christian Tetzlaff (Vn-2)
1. Brahms: Tragic Overture
2. Beethoven: Violin Concerto in D major
3. Schoenberg: Five Orchestral Pieces, Op. 16
4. Gershwin: An American in Paris

 テツラフ目当て一点張りで来ました。セントルイス響はNYPに次いで米国で2番目に古いオケだそうですが私的にはマイナーで、「スラットキンのオケ」という情報の記憶が残っているくらいで、演奏を聴くのは多分初めてです。現在の首席指揮者はロバートソン。この人のプログラムのセンスはちょっとビミョーで、今日のブラームス、ベートーヴェン、シェーンベルク、ガーシュインというセットも多分「ドイツ音楽本流→新ウィーン楽派からアメリカ移住→アメリカ音楽の元祖」という流れを頭に描いたのだと思いますが、だとしたらシェーンベルクはもっと別の選曲になるべきだろうし、結局ごちゃごちゃして何だかわけがわかりません。
 1曲目の「悲劇的序曲」、ロバートソンの明快な指揮から導かれるのは想像通りアメリカンな、軽くて明るい音。弦のアインザッツはきちんと合っていて、良いトレーナーぶりが伺えます。ブラスは時々外しますが、日本のオケに比べたら全然馬力があってまともです。今年聴いたブダペスト祝祭管のある種ぶっ飛んだ演奏と比べると、危なげない、でも普通過ぎて面白みのない演奏でした。
 続いて待望のテツラフ。ベートーヴェンのコンチェルトは元々馴染みのない曲で、2004年にブダペストフィルの演奏会を聴いて以来、多分一度も聴いていません。ですので世間的な良し悪しは全然語れませんが、その私にしても何とか理解できたのは、テツラフのベートーヴェンがかなり異色なこと。いつものようにと言えばそうなんですが、極めて繊細にコントロールされたフレーズが独自の呼吸を持ち、時空を超えて、20、いや、21世紀の音楽のように耳に響いてきます。オケは相変わらず軽いし、ドイツ的質実剛健からは全然「らしく」ないベートーヴェンでした。第1楽章のカデンツァはティンパニとの掛け合いが物珍しくて新鮮でしたが、後で調べると、これはピアノ編曲版からの転用なんですね。何にせよ、このだだっ広いホールにテツラフのデリケートなヴァイオリンは合わないなあと。アンコールはバッハのソナタからの選曲。息をするように自然に音を紡いでいくテツラフ節に、すっかり参りました。というわけで、今月のウィグモア・ホールのソロコンサートへ期待は益々高まるのでした。
 休憩後のシェーンベルク「5つの管弦楽曲」は全く初めて聴く曲でした。もう無調の作風に突入している年代の作曲ですが、この曲はまだ調性に名残を持っていて、無調を装った後期ロマン派音楽の様相で、ヴェーベルンの「6つの管弦楽曲」を先取りしたような感覚も覚えます。今のところ、好きでも嫌いでもない、あまり尾を引かない曲、としか言いようがない。もっと繰り返し聴かないと身体にすっと入ってこないかな…。
 最後の「パリのアメリカ人」は、昔部活でオケをやってたとき、いつもベートーヴェン、ブラームス、ドヴォルザークばかりじゃなくて、せめてこのくらいの曲にチェレンジしてみないかと周囲の説得を試みたがあえなく却下された思い出深い曲ですが、あらためて聴いてみると、めちゃめちゃたいへんな曲やん。若気の至りとは言え相当無謀なことを主張していたのだなと、今更ながら反省しました。しかし今日の演奏は、音楽が全然スイングしてなくて、いただけなかった。ロバートソンは真剣な顔つきで終始まるでシンフォニーのように棒をカクカクと振りまくり、この曲からスイングの要素を取り去ってしまったのは、ある意味画期的にユニークな演奏だったのかも(笑)。極めて真面目な人なんでしょうねえ。でも、こんなのはガーシュインじゃねえ、とちゃぶ台をひっくり返す自分をつい思い浮かべました。そんな中でもがんばって気を吐いていたのが、布製の変わったミュートを駆使していたトランペット。アンコールは「キャンディード」序曲でアメリカらしく能天気に(偏見か?)シメました。


2012.09.02 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 69
Riccardo Chailly / Gewandhausorchester Leipzig
1. Messiaen: Et exspecto resurrectionem mortuorum
2. Mahler: Symphony No. 6 in A minor

 プロムス終盤戦は、出張のためベルリンフィルを聴き逃したりもしましたが、気を取り直して久々のゲヴァントハウス管、1年ぶりのマーラー6番です。開演前入り口付近で、何とフィルハーモニア管のフィオナちゃんを見かけましたが、シャイな私は声をかけることもなく、すぐに見失ってしまいました(泣)。
 1曲目のメシアン「われ死者の復活を待ち望む」は、昨年3月のLSO以来、生涯2回目に聴きます。会場に行って楽器配置を見るまですっかり忘れていましたが、ウインドアンサンブルと金属打楽器群のための、プリミティブな味わいの佳作です。ガムランのようなリズムにアイヴズっぽい無調旋律が乗っかり、さらに不協和音がぐしゃーとからんでくるという、私には無国籍無節操音楽にしか聞えませんが、解説を見ると「宗教的色彩が濃厚」であると…。独特の音響空間は純粋に楽しめるものの、内容は私の理解を超えております。ゲヴァントハウス管の管楽器は音がよく、アンサンブルも確か。ソロを聴くと一つ一つの音がしっかりとしたオケですが、合わせるとお互い溶け合って格好のよいクラウドを形成する、よくまとまったオケだなと思いました。
 さてマーラー。記念イヤーが終わってすっかり下火かと思いきや、今年に入ってからもすでに1、2、3、4、9番を聴いていますので、マーラーは依然としてプログラムの花形ですね。シャイーのマーラーは初めて聴きます。イタリア人らしく、快活なテンポでさっそうと開始。第1楽章の印象は、節回しというのか、フレージングがユニークな、何だか不思議な演奏でした。アルマの主題の直前で弦ピチカートに乗せて木管がコラール風の旋律を奏でるところ、中間のブレスを大きく取っていったん旋律をぶつ切りしたのが特にひっかかって、後で楽譜を確認したら確かに木管にはブレスがありますが弦にはないので、ここはインテンポで行くところじゃないのかなあと。この曲はマーラーの中でも特に好きな曲なのですが、演奏の細かいところでどうも自分の好みに合わない部分があり、没頭しにくさを感じました。なお遠くから響くカウベルはバルコニーで鳴らしていたようです。
 中間楽章はアンダンテ→スケルツォの順。ゲヴァントハウス管の渋い弦が映えるアンダンテは期待通りにロマンチックな味付けで、「泣き」が入っていました。このオケはしかし、個人の腕は確かながら、誰も浮き出ないのが好ましい。よく鍛えられたアンサンブルと思います。第3楽章スケルツォは一転して超高速。古典的な楽章配置を意識してか、舞曲性を強調した感じでした。終楽章、序奏は遅めに入ったもののすぐに急かされるように高速で進んで行きます。メリハリつけた演奏ですが、ちょっと上滑りしていて重心が高い。エネルギーの蓄積も爆発もあえて抑え、小さいセグメントでまとめているという感じです。そうこうしているうちに「運命の一撃」の箇所。大きな木製ハンマーを打ち下ろす台は、巨大な木の箱の横に巣箱のように穴が開いている、まさにこの曲のために開発したと思われる特注品。これはガツンとよく響きました。「マーラーのハンマーおよび台」として打楽器の商品になるんじゃないかな。昨今のプロオケはこの曲を演奏する機会が必ずあるだろうから、需要はあるんじゃないかと。ラストのティンパニは渾身の力を込めて叩き込み、ディミヌエンドしてふつっと途切れた後、珍しく長い静寂があってから、割れんばかりの拍手が起こりました。楽章毎に拍手が起こったりすることも多いプロムスですが、今日の客層はちょいディープめだったようです。
 オケの一体感と特製ハンマー台には心惹かれたものの、全体的に自分の好みとは微妙に違う違和感をかかえながらの80分でした。出張疲れが抜けず体調がイマイチだったせいもあるでしょう。ちと残念。


2012.08.12 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 41
Jukka-Pekka Saraste / BBC Symphony Orchestra
Angela Denoke (S/Tove), Simon O'Neill (T/Waldemar)
Katarina Karnéus (Ms/Wood-Dove), Neal Davies (Br/Peasant)
Jeffrey Lloyd-Roberts (T/Klaus the Fool), Wolfgang Schöne (Speaker)
BBC Singers, BBC Symphony Chorus
Crouch End Festival Chorus, New London Chamber Choir
1. Schoenberg: Gurrelieder

 昨日に引き続き、大作プログラムの連チャンです。「グレの歌」は無調に傾倒する前のシェーンベルク初期の代表作で、マーラー「千人の交響曲」に匹敵する大人数を要するので有名です。完成したのは「千人」の初演が大成功した翌年、つまりマーラーの没年(1911年)ですから、時代がこういう超大曲を求めていた、ということでしょうか。私がほぼ初めてこの曲を聴いたのは6年前のブダペストでギーレン/南西ドイツ放送響の演奏会だったのですが、一体どんな凄い曲だろうとワクワクしていたら、全奏で音圧がマックスになるのはほんのわずかの時間で、大半は室内楽的なものすごくエネルギー効率の悪い進行だったのに思いっきり肩透かしを食らいました。
 指揮は元々は常任のビエロフラーヴェクが振るはずが、2週間ほど前にサラステに変更になりました。サラステは颯爽と格好の良いドライブ感が魅力の人で、期待通りにドラマチックでロマンチックな表現が、私には好ましかったです。BBC響も穴が無く最後まで集中力の切れない演奏はさすが。前に聴いた南西ドイツ響は貧弱な音色に白けた(淡々とドライ、とも言えないことはないですが)演奏が、「現代音楽の雄にしてこの程度か」と、がっかりした記憶が蘇りました。
 演奏者数はオケもコーラスも昨日のベルリオーズのほうが多かったです。女声コーラスなんか、2時間近く待って最後の最後しか出番がないのでかわいそう。ヴァルデマール王役のテナー、サイモン・オニールは今年の正月の「マイスタージンガー」でも見ました。そのときは風邪で調子が悪かった(ということだった)のですが、この人は結局普段から声が弱く遠くまで届かない、ということが今日よくわかりました。アリーナの立見でかぶりつきでもない限りヴァルデマール王の歌を堪能するのは無理でした。トーヴェを歌うアンゲラ・デノケは2年前にROHで「サロメ」を聴いて以来でしたが、こちらは細い身体ながらコアのしっかりした歌唱で、表現も演奏に引きずられてか劇的で、聴き応えがありました。第一部終盤に歌う山鳩のカルネウスも切々とした情感が秀逸。しかし第一部が終ると出番の済んだ女声陣二人は退場し、代わりに出てきた農夫、道化師、語り手の野郎どもはどれも印象に残らず。語り手のシュプレヒ・シュティンメ、これだけはギーレンのときのほうがずっと上手かったです。
 最後は音量もクライマックスに達し、それなりに盛り上がりますが、カタルシスというほどでもなく、頂点に登る手前でふっと力を抜くような終り方です。休憩なしで2時間たっぷり演奏しましたが、お尻が痛かったので休みが欲しかったです。お客さんの入りは残念ながらイマイチで、特にサークルは空席ばかりでした。みんなオリンピックの閉会式を見ていたのかな。


2012.08.11 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 39
Thierry Fischer / BBC National Orchestra of Wales
Toby Spence (T)
BBC National Chorus of Wales
Huddersfield Choral Society
London Symphony Chorus
1. Berlioz: Requiem (Grande messe des morts)

 2週間ぶりのプロムス。一昨年のマーラー「千人の交響曲」、昨年のブライアン「ゴシック交響曲」のように、普段はなかなか聴く機会がない超大作をやってくれるのもプロムスというお祭りならではですが、今年はその「大作枠」にベルリオーズ「レクイエム」とシェーンベルク「グレの歌」がラインナップされています。
 ベルリオーズの「レクイエム」は打楽器マニアとして一度は生で見たかった曲でした。今日のBBCウェールズ・ナショナル管はスコアにほぼ忠実に、ティンパニ16台(奏者10人)、シンバル8組、大太鼓2台、銅鑼2枚がずらっと並んだ様子はただただ圧巻でした。打楽器に限らず管楽器もホルン12、ファゴット8、クラリネットとフルート各4、オーボエとコールアングレ各2に加え、4群に分かれたバンダが合計でトランペット、トロンボーン各16、チューバ6というとんでもない大編成。さらに100人の弦楽器と、コーラス席の上のほうまでぎっしりと詰まった混声合唱が加わります。バンダは会場の四隅ではなくステージ上で四隅に配置されていましたが、これは多分、このホールの音響だとバンダをバルコニーに配置したら収拾がつかなくなるのを嫌ってのことではないかと想像します。
 実はこの曲CDを持っておらず、先日のセントポール寺院でのLSO演奏会をBBC Radio 3で聴いたくらいなので細かいところはようわかりませんでしたが、やはり名物の10人のティンパニ・ロールによる和音自由自在は、打楽器は聴きなれたはずの自分でさえものすごく新鮮に響き、音量のみならず視覚的効果も抜群でした。ティエリー・フィッシャーは始めて見る指揮者でしたが、八面六臂の棒振りで超大編成オケをスポーティーに統率していました。あまり柔らかさを感じない、硬質で男らしい音でした。レクイエムには似つかわしくないかもしれませんが、この曲には合っていたような。コーラスも、すごく上手かったわけではありませんが、熱のこもった迫力はありました。一方、終盤だけ出番のあるテナーのトビー・スペンス君は、歌い出しこそ「おっ」と思いましたが、高音が裏返り低音もタンがからんだように濁った苦しい展開に終始し、出番まで長く待ちくたびれたのか、出来は今一つでした。
 それにしてもこの長大な曲は、最後は終りそうで終らず、引っ張り過ぎです。演奏は最後まで集中力が切れなかったと思いますが、禅問答のような展開は正直退屈です。しかしまあ、内容の派手さではさらに上を行くヴェルディのレクイエムより、私はベルリオーズのほうが好きだなー。


2012.07.27 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 18
Daniel Barenboim / West–Eastern Divan Orchestra
Anna Samuil (S), Waltraud Meier (Ms)
Michael König (T), René Pape (Bs)
National Youth Choir of Great Britain
1. Beethoven: Symphony No. 9 in D minor, 'Choral'

 バレンボイム/WEDOのベートーヴェン・チクルス最終はもちろん「第九」でした。ロンドンオリンピック開会記念でもあるこのコンサートは開始時間が6時半と早く、交通機関の混乱は予測がつかないので、時間通り人が集まるのか不安でしたが、開演ギリギリで何とか客席は埋まっていました。コンマスのマイケル君は緊張したのか、まだ指揮者が登場しないのに楽団を立たせてしまって一度座り直すという段取りミスがあり、照れ隠しで大げさに頭を抱えていました。
 前の2回はコーラス席でしたが今日は歌があるので正面のサークル席を取りました。アルバートホールはやっぱり残響が長過ぎて、ステージから遠いと何が何だかわからなくなってきます。さらには上がってきた熱気のおかげで空気が暑く、「暑がり」の私にはなかなか辛いものがありました。
 踊るように陽気な7番、8番から一変して、今日はまたゴツゴツと古風な男らしいベートーヴェンに戻っていました。打てば響くようなオケではありませんが、暖かみと若いエネルギーが武器です。今日はコーラスも英国ナショナルユース合唱団の若者約200名という大所帯だったので、アラブ、イスラエル、英国というよく考えると微妙な取り合わせの若者達が仲良く「第九」を演奏するという図式になっていました。コーラスは男声の厚みが足らなかったので、大胆に人数を増やして欲しかったです。
 歌手陣は、ルネ・パーペが期待通り張りのある良い声で、オペラチックな歌い方も彼なら許せるところですが、ちょっと音程の危ういところがあったのが残念でした。メゾソプラノのマイヤーもビッグネームですが、第九のこのパートはほとんど目立つところが無いのでどうしても割を食ってしまいますし、この人も何か喉が暖まり切ってない感じでピッチが低め。ソプラノのサムイルは一人ミュージカル歌手のようなキンキン声で浮いており、私の好みでもありませんでした。結局一番手堅かったのは急にキャンセルになった(理由不明)ペーター・ザイフェルトの代役で借り出されたミヒャエル・ケーニヒでした。この人、今年のバイロイトで刺青降板騒動のあった例の「さまよえるオランダ人」にもエリック役で出演しているんですね。
 このように細かいところを見ていけば決して最良とは言えない演奏でしたが、祝典の賑わいとしては十二分に役目を果たすもので、楽しめました。「第九」1曲だけだったので、終ったらまだ夜の8時。突如降り出してきた大粒の雨に、今週はこんだけ天気が良かったのに開会式を狙い撃ちして降るとはさすがイギリスの天気、と感心してしまいました。


2012.07.24 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 13
Daniel Barenboim / West–Eastern Divan Orchestra
Michael Barenboim (Vn-2), IRCAM (Live Electronics-2)
1. Beethoven: Symphony No. 8 in F major
2. Pierre Boulez: Anthèmes 2 (1997)
3. Beethoven: Symphony No. 7 in A major

 前日に続き、ウエスト=イースタン・ディヴァン管のベートーヴェン・チクルス。オリンピックも近づいて、今日は観光バスで乗り付けた団体客が多かったようです(オリンピック観戦+BBCプロムス演奏会付きツアーでしょうかね)。
 最初の第8番では、バレンボイムは昨日と比べてだいぶ大雑把で、団員の自発的なリズムに任せるかのような指揮でした。大げさなアゴーギグもなく、昨日のゴツゴツした進行とは打って変わって軽やかなベートーヴェン。今日もコーラス席からの鑑賞でしたが、後ろから見ていてあれっと思ったのはティンパニ。最初、昨日と違ってドイツ式(音の低いほうが右手)で叩いていたので違和感があったのですが、確かにこの曲のティンパニは古典期として画期的で、第1、第3楽章はFとC、第4楽章はFとオクターブ上のFでしかも高速で交互に二度打ちするという特殊な使い方をするので、なるほど第4楽章の演奏しやすさを優先して左からC、F、F(オクターブ上)という配置にしたのね、とすぐに納得。これはこれで器用な奏法ですが、ティンパニ君はそれで飽き足らず、終楽章では本来ないはずのCもいっぱい叩いていました。私は初めて見ましたが、合理的なので、こういう叩き方をする人は他にもいっぱいいそうです。
 今回のチクルスはプログラムの埋め草にベートーベンの序曲や協奏曲を持ってくるのではなく、ベートーヴェンとは時代も作風も極端に違うブーレーズの作品を組み合わせているところがユニーク。今日は「アンセム2」というヴァイオリン独奏に電気的エフェクトをかけた曲で、従ってバレンボイムの指揮はなし。その代わりというわけでもないですが、演奏はWEDOのコンマス、マイケル・バレンボイム。ステージの前側に横一列に7つ並べた譜面台を端から順番に弾いて行くので、奏者の立ち位置で曲がどのくらい進んだか分かるのが便利です。ヴァイオリンと電子楽器の競演という曲でもなく、あくまで主役はヴァイオリンソロで、その音にエフェクトをかけて元の音に被せていくという趣向のようですが、曲自体はワケワカラン系でした。「アンセム2」という曲名はもちろん英語で言う「anthem」ですが、「anti+thematic」の意味もかけてあるそうで、また電気エフェクトの響き方には偶然性も絡んでいそうです。結構深い曲なのかも。
 休憩後のメインは第7番。昨日から見ていてここまでのバレンボイムは、演奏開始前や楽章間にたっぷり時間を取って汗を拭っていたりしていましたが、第7番は登場するなり拍手も鳴り止まないうちにいきなり振り始めました。あからさまにギアチェンジです。やっぱり細かく拍を刻むのではなくおおらかな指揮でしたが、リズムはノリノリで、楽団員の若さが良い効果となって熱い演奏になっていました。バレンボイムはこの流れを止めまいと、楽章間の間合いをやめ、間髪入れず次に進みます。終楽章の前だけはハンカチでちょっと汗を拭いていましたが。この曲をディスコミュージックと呼んだのはグレン・グールドか、バーンスタインでしたっけ?飛び跳ねながら畳みかけるように終った後、聴衆は前日以上に興奮のるつぼ、異常な盛り上がりでした。


2012.07.23 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 12
Daniel Barenboim / West–Eastern Divan Orchestra
Guy Eshed (Fl-2), Hassan Moataz El Molla (Vc-3)
1. Beethoven: Symphony No. 6 in F major, 'Pastoral'
2. Pierre Boulez: Mémoriale ('... explosante-fixe ...' Originel) (1985)
3. Pierre Boulez: Messagesquisse (1976)
4. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor

 バレンボイム/ウエスト=イースタン・ディヴァン管(WEDO)によるベートーヴェンの交響曲全曲演奏会は今年のプロムス最大の目玉で、チケットも早々に売り切れていました。週末からようやくやってきた夏らしい天気も手伝って、立ち見チケットを求めるプロマーの長い列が出来ておりました。場内に入るとおびただしい数のテレビカメラが。てっきり生中継かと思えば、放送は26日でした。
 WEDOを聴くのは全く初めてです。一昨年のプロムスにも確か来ていましたが聴くチャンスがありませんでした。イスラエルとアラブ諸国の若い音楽家が集まった楽団というので学生オケのようなものを想像していたら、メンバーは意外とアダルト。確かに若いんですが、シモン・ボリバルほど若くもない。第1ヴァイオリン16、コントラバス8という弦の編成は昨今のベートーヴェン演奏ではむしろ少数派に属する大所帯で、その点はアマチュア楽団の様式が残っています。なお、コンマスはバレンボイムの息子、マイケル君。
 地平線から輪郭のぼやけた朝日が徐々に顔を出すがごとく厳かに始まった「田園」は、暖かみのある木目調の音。まるでイスラエルフィルみたいに渋い弦の音に、彼の地の伝統を見た気がしました。ゆったりとビブラートをかけつつ、ゴツゴツとした肌触りで進む「田園」は、ピリオド系何するものぞという巨匠時代の残照。バレンボイムがフルトヴェングラーのコピーだという揶揄を時々聞くものの、私はその本家フルトヴェングラーの演奏はほとんど聴いたことがないので判断できませんが、この大時代的なベートーヴェンを目の当たりにして、言われていることは確かに分かる気がします。
 続くブーレーズの「メモリアル」は独奏フルートにヴァイオリン3、ヴィオラ2、チェロ1、ホルン2という編成の室内楽。バレンボイムの指揮付きでした。私はこの手の音楽の理屈は未だによくわからないので感覚的に聴くしかないのですが、テイストはまさに20世紀のゲンダイオンガク、21世紀にはすでに絶滅してしまったような音楽に思えました。
 プログラムではここで休憩となっていたのでいち早くトイレに行って用を足していたら、「まだ休憩ではありません、席に戻ってください」というアナウンスが聞こえたので慌てて席に戻りました。次も短い曲なので先にやってからインターバルにするということにいつの間にか変わっていたみたいなのですが、周知徹底されておらず(私も知らなかった)、すでに会場の外に出ている人、バーに並んでいる人などが多数いて、この曲だけ客席に空席が目立ちました。これはマネージメントの不手際でしょう。奏者は気の毒です。
 同じくブーレーズの「メサジェスキス」は独奏チェロと6人のチェロ奏者というチェロづくしの編成。これもバレンボイムの指揮があり、チェロアンサンブルというモノクロームな楽器の特質のおかげか、さっきの曲よりは直情的で、エネルギーの噴出が直に伝わってくる曲でした。難解な曲ながらもチェロソロの活躍が聴衆の心をつかみ、やんやの喝采を浴びていました。
 メインの「運命」は、過去に演奏会で聴いた記憶が、どうしても思い出せません。ゼロということはないと思うのですが、プロの演奏では多分聴いてなかったのではないかな。あまりに通俗的すぎてプロオケのプログラムには意外と取り上げられませんし、自分もあえてこれを目的に足を運ぶこともなかったので。中1の4月、部活を選ぶのに友達に誘われて何の気なしに見学に行ったオーケストラ部で、ちょうど先輩達が総練していたこの「運命」が、まさにその後の自分の運命を決めたのだから、自分に取って特別な曲ではあるのです。
 ジャジャジャジャーーンと、まさに大見得を切るように始まった「運命」。巨匠時代風とは言え、カラヤンのようにスポーティに走り抜く筋肉質な演奏とは全く違って、あくまでゴツゴツとぎこちなく泥臭い進行です。正直、決して上手いオケとは言えず、応答が鈍くて崩壊しかけた箇所も実際ありましたが、ホルンとヴィオラが相対的にしっかりとして中盤を固めているので、全体の音は一本筋が通って引き締まっています。これもある意味、古き良き時代の遺産的「運命」なのかもしれません。バレンボイムとWEDO、なかなかアツい奴らです。


2012.07.16 Royal Albert Hall (London)
BBC Proms 2012 PROM 4
John Adams / Juilliard Orchestra + Orchestra of the Royal Academy of Music
Imogen Cooper (P-2)
1. Respighi: Roman Festivals
2. Ravel: Piano Concerto in G major
3. John Adams: City Noir (2009)

 今年もまたBBCプロムスの季節がやってきました。私自身の今年の開幕は、ジュリアード音楽院と英国王立音楽院(RCM:ロイヤルカレッジではなく、RAM:ロイヤルアカデミーのほう)のジョイント学生オケ。このチケットはひとえに「ローマの祭」を聴きたいがために買いました。「ローマの祭」は昔から大好きな曲なのですが「松」「噴水」に比べると実演に接する機会が少なく、記憶をたどると10数年前に新婚旅行のウィーンで聴いたのと(ムーティ/スカラ座管)、その前だと約30年前に京大オケ(指揮は山田一雄だったかと)で聴いたくらいで、生演にたいへん渇望している曲であります。
 ジョイントオケだけあって人が多いです。誰がジュリアードで誰がRAMかは区別がつきませんが、男女共たくさんいた東洋系の若者はおそらくほとんどジュリアードで、しかも顔つきから見て日系じゃなく中国系か韓国系でしょう。実際ジュリアード側のコンマスは(後ほどBBC Radio 3の中継で聴いたところによると)韓国系の麗しき女性でした。ちなみにRAM側のコンマスは白人のメガネっ娘美人。この二人が椅子を並べている指揮者の左横に、ほとんど目が釘付けになってしまいました(爆)。
 待望の「ローマの祭」は元々が大編成の祝祭的な曲なので、人海戦術が功を奏して祝賀的雰囲気はよく出ていました。ジョン・アダムズは自作以外でどのくらい指揮の実績があるのか知りませんが、大げさにテンポを揺らしてベタベタに仰々しい音楽を作る人のようです。学生オケだししかも慣れないジョイントオケなので反応はあまり良くなく、管楽器のソロも褒められたのはクラリネットくらいで、あとはまだまだって感じでした。ホルンは音を聴くとなかなか良い音を出しているんですけど、ソロは苦手な様子。LSOあたりで、参りましたーとひれ伏すくらい圧巻な「ローマの祭」を一度は聴いてみたいものですけど、そんなチャンスはなかなかありませんなー。
 続いてオケは編成をぐっと減らし、イモゲン・クーパーを迎えてのラヴェルのピアノコンチェルト。クーパーは軽くて音の粒が異常に均質化されたシーケンサーのようなピアノでしたが、そのわりには最初ミスタッチが目立ってハラハラしました。第2楽章もある意味珍しいくらいに四角四面の杓子定規なピアノで、面白みを一切感じませんでした。クーパーは2005年にブダペストで一度聴いていますが、そのときの備忘録を読み返すとクーパーのピアノに関してほとんど同じ感想が書かれていて、笑いました。そりゃそうだ、プロとしてポジションを確立している人がそうコロコロとスタイルを変えるはずもないです。小編成の学生オケは、もちろん名門校だから技量的に問題はないんですが(トランペットなどは大したものでした)、各奏者の音の線はまだまだ細く、やけに静かなラヴェルになっていました。
 休憩後のメインはアダムズの比較的新しい管弦楽作品「シティ・ノワール」。再び大編成のオケにサックスとジャズドラムが加わり、大都会の退廃とエネルギーをジャズやアフリカンリズムを取り入れながら表現した曲で、作曲の文法は至って古典的、雰囲気はまるで映画音楽のようでした。ジュリアードのような学校の学生オケならば、クラシックの人が片手間にやっているのではない、キレキレのソロを吹くサックスが混じっていてもおかしくないなと勝手に期待して いましたが、現実はそんなことはなく。ドラムスも、いやいややってます感がありあり。まあしかし全体としては、まだ評価の定まらぬ新曲にひたむきに取り組む音楽家の卵達は初々しく、応援のエールを惜しみなく送ってしまった夜でした。


2012.07.15 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Renée Fleming (S-2, 3)
1. Debussy: La mer
2. Henri Dutilleux: Le temps l’horloge (UK premiere)
3. Ravel: Shéhérazade
4. Stravinsky: Petrushka (1911 ver)

 LSOのシーズンフィナーレは「フレミング効果」で早々にソールドアウトになってしまったため、私もずいぶん後になってからリターン狙いで、普段なら買わない高い席を選択の余地もなくゲットしました。
 1曲目はドビュッシーの交響詩「海」。ゲルギエフはその外見のむさ苦しさと相反して、意外とフランスものを得意としていますね。繋ぎ目なしで一気に流した演奏は繊細の極致で、オケの集中力も素晴らしかったです。トランペットもホルンも完璧で惚れ惚れしました。オケが良いのは当然として、ゲルギーの細部を彫り込む解釈とコントロールも冴えていて、上手く言えないのですが、極上の鮮魚を切って並べただけでなく、一仕事も二仕事も入っている究極の寿司、という感じですか。
 続いて待望のフレミング登場。オペラ、演奏通じて実は初めて見ます。デュティユーの歌曲「時と時計」はフレミングのために2007年に作曲され、小澤征爾指揮サイトウキネンオケとの共演で松本にて初演されました。UKでは今日が初演。二管編成にハプシコードやアコーディオンも加わる幻想的な曲で、つかみどころのない不思議なオーラを放っています。デュティユー(ってまだ現役なんですねー驚き)の曲はほとんど聴いていませんが、フレンチテイストのようでいて、仏教にも通じる「無の境地」を感じます。フレミングは表現力に卓越した歌手に思えましたが、この耳に新しい曲だけではまだ何とも。
 休憩後、再び登場のフレミングで今度はラヴェルの歌曲集「シェヘラザード」。この曲は音源を持っておらず、2004年のブダペスト以来8年ぶりに聴きます。意味深な歌詞にラヴェルの熟達した管弦楽法が絡み合ったオシャレな佳作です。フレミングの歌はそりゃー上手いし、繊細だし、情緒もありましたが、声自体は普通で、私の好みとはちょっと違うかなと。オペラはもう大劇場でスポット的にしか出てないようですが、もうちょっと若いころは声に厚みがあってさぞ舞台映えするソプラノだったんだろうと思います。チケット争奪の激しさを考えると、どうしてもまた聴いてみたい歌手とは思えなかったです、すいません。
 最後の「ペトルーシュカ」は1911年版。今シーズンのストラヴィンスキーシリーズの最終でもあります。オケ奏者的にはイラっとする曲ばかり続いたせいで最後に集中力が切れたか、あるいは単なるリハ不足か、だいぶアラが目立ちました。トランペットのコッブは珍しく音を外すし、もっと珍しいのはティンパニのトーマスも1小節飛び出してしまう大ポカをやらかし、何だか落ち着きがありませんでした。本来は主役で活躍するはずのピアノも何だか地味で引っ込んでいて、ちぐはぐな「ペトルーシュカ」でした。ゲルギーのアイデアは豊富でいろいろとやらかそうとするけれど、まだオケと一体化していないんじゃないかという印象です。ペトルーシュカはできたら舞台付きで見たいものです。人形劇では見ましたが、一度バレエで見てみたいですなー。


2012.07.14 London Coliseum (London)
Cape Town Opera: Porgy and Bess Albert Horne / Orchestra of the Welsh National Opera
Christine Crouse (Director), Sibonakaliso Ndaba (Choreographer)
Xolela Sixaba (Porgy), Nonhlanhla Yende (Bess)
Mandisinde Mbuyazwe (Crown), Philisa Sibeko (Clara)
Arline Jaftha (Serena), Tshepo Moagi (Sportin’ Life)
Gloria Bosman (Maria), Mthunzi Mbombela (Robbins)
Owen Metsileng (Jake), Mandla Mlangeni (Trumpeter)
Cape Town Opera Chorus
1. Gershwin: Porgy and Bess

 南アフリカから来たケープタウン・オペラのUKツアーです。バーミンガム、エディンバラ、カーディフ、カンタベリーを回って最後がロンドン。「ポーギーとベス」はなかなか見れる演目ではないので、何はともあれ見ておこうと。
 一応オペラに分類される「ポーギーとベス」ですが、様式的にはミュージカルの走りとも言われ、確かにこの演出だとノリはほとんど歌って踊るミュージカル。歌手もオペラ系とミュージカル系が混在し、声量自体と声の響かせ方に個人差が相当あります。ポーギー役のバリトン(この人に限らず名前の読み方はさっぱりわかりません・・)はしっかりした歌唱で、演技も良かったです。ベスは声量がちょっと足りないものの、若さが故のふらつきやすさはよく感じが出ていました。何より、ベスが巨漢のおばさんじゃなくて良かった。クラウン、スポーティンライフ等の準主役クラスもそれなりのレベル以上で、まあ良かったのですが、それ以外の端役・群集はけっこうグダグダなコーラスで、底の高い歌劇団とは言えませんでした。
 ストーリーは、海辺の黒人居住区「なまず横丁」で足の不自由なポーギーが、ならず者の夫クラウンが殺人を犯して逃げた後の妻ベスを匿って口説き、住人が皆でピクニックに行ったり、ハリケーンがやってきて漁師夫婦が死んだりといった事件の後、戻ってきたクラウンをポーギーが殺し、警察に拘留されている間にベスは麻薬売人のスポーティンライフに口説かれてニューヨークに行ってしまう、という、何ともハチャメチャで救いようのない話です。全体のトーンは暗いのですが、シリアスかと思えば笑いもあり、第3幕のベスの豹変ぶりはもうほとんど吉本ギャグの世界。ベスを追うため、明るく希望に満ち溢れてニューヨークへと旅立つポーギーは、見方によっては意味深な解釈もありでしょう。まあしかし、もう一回見たいと積極的に思うオペラではなかったですかなー。
 このUKツアーではウェールズ国立オペラのオケが帯同しましたが、堅実な演奏で感心しました。ROHのオケよりマシかも。なお9月には再びツアーに出て、ベルリンでこの「ポーギーとベス」を、何とラトル指揮ベルリンフィルと一緒に公演するとのこと。歌手はもうちょっと底上げしたほうがよいんじゃないかと思います。


2012.07.06 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Birthday Offering / A Month in the Country / Les Noces

 久しぶりのトリプルビルです。アシュトン振付け2本とストラヴィンスキーの「結婚」という比較的クラシカルな取り合わせだし、実はまだ見たことがないコジョカルを何とか見たいと思って、今シーズンではもうこの演目しかなかったのでチケットを取りました。

1. Glazunov: Birthday Offering (arr. Robert Irving)
 Thomas Seligman / Orchestra of the Royal Opera House
 Frederick Ashton (Choreography)
 Dancers: Marianela Nuñez, Thiago Soares
 Yuhui Choe, Laura Morera, Itziar Mendizabal
 Roberta Marquez, Helen Crawford, Sarah Lamb
 Alexander Campbell, Ricardo Cervera, Valeri Hristov
 Brian Maloney, Johannes Stepanek, Thomas Whitehead

 まず最初は「誕生日の贈り物」。ストーリーは特になく、音楽はグラズノフの「四季」や「演奏会用ワルツ」などから選択してアーヴィングが編曲し、アシュトン振付けの下、1956年にフォンテイン等により初演されています。今日の主役はヌニェスとソアレスの夫婦ペア。他にもプリンシパルではモレラ、マルケス、ラム、ファーストソリストではユフィちゃん、メンディザバル、クローフォード(小林ひかるの代役)、セルヴェラ、ヒリストフ、ステパネクと、かなり贅沢な布陣。女子は特に各々ソロがあるので、トップダンサー達の競演が興味深かったです。
 トップバッターのユフィちゃんは、しなやかな動作とコケティッシュな腰振りが堂に入っていて、なかなか良い。ほとんど完璧に見えました。続くモレラは非常にキレのある回転技で、ティアラの金具がぽんぽん吹っ飛ぶくらいでした(後の人がアクシデントで踏まないかと、ちょっとヒヤヒヤしました)。顔もキャラクターもモレラとめちゃカブると思っていたメンディザバルは、こうやって連続して踊りを見るとまだまだ突き抜けたところに欠けて普通の印象。フルレングスのバレエ以外では初めて見るマルケスは難しいキメのポーズで思いっきりグラついて失笑を買っていましたが、でもあれを毎回100%キメろというのは、ちょっと気の毒。その後二人はあまり記憶になく(意識を失っていたか…)、トリのヌニェスは、さすが真打ちというか、姿勢の美しさと動作一つ一つのきめ細かさと安定感は、このプリンシパル競演の中でも明らかに抜きん出ています。やはりこの人は別格ですね。

2. Chopin: A Month in the Country (arr. John Lanchbery)
 Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
 Frederick Ashton (Choreography), Kate Shipway (Piano)
 Alina Cojocaru (Natalia), Federico Bonelli (Beliaev), Jonathan Howells (Yslaev)
 Paul Kay (Kolia), Iohna Loots (Vera), Johannes Stepanek (Rakitin)
 Tara-Brigitte Bhavnani (Katia), Benjamin Ella (Matvei)

 続いて同じくフレデリック・アシュトン振付けの「田園の出来事」は、ツルゲーネフの戯曲をベースにした台本にショパンの初期作品3曲、「ドン・ジョヴァンニ」の主題による変奏曲(Op. 2)、ポーランド民謡による大幻想曲(Op. 13)、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ(Op. 22)を組み合わせたアシュトンの代表作。40分ほどの短時間の中に女心の機微と甘美な恋情が凝縮され、ほろ苦い後味が残る、なかなかの秀作だと思います。舞台もバロックオペラのように立体感ある大道具で議古典的な雰囲気。美しく優雅な振付けと相まって、コンテンポラリー苦手な我が家もこれなら安心です。
 ストーリーは要約すると、裕福な地主イスラーエフの妻ナターリアが、息子コーリアの家庭教師としてやってきた若者ベリャーエフに恋情を抱くが、同じく彼に恋している娘のヴェーラにそれをバラされ、ベリャーエフは去っていく、というお話です。この家にはイスラーエフの親友でありながらナターリアを愛するラキーチンという同居者もおり、状況を少々複雑にしています。
 初めて見るコジョカルは小柄ですらっとした妖精系美人。よろめき妻の役にはちょっと雰囲気が幼いかも、と最初は思いましたが、熟女のしとやかさと女心の変化点はたいへん上手く表現されていたと思います。ただし、けっこうカラッとしていて寂寞感は薄かったです。倦怠した人妻の憂いとか、高揚してしまったみっともなさとか、そういう負の部分が少し出ていれば、深みも増したのではないかと感じました。次シーズンはフルバレエで見てみたいです。他には、息子のケイと娘のルーツ、それにラキーチンのステパネクが皆さん芸達者で、脇をしっかりと固めていました。音楽は、私ゃやっぱりショパンは苦手、ピアノもただ楽譜通りに弾いているという感じだけで(バレエの伴奏だから仕方ないのでしょうが)、全然心に残らなかったです。

3. Stravinsky: Les Noces
 Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House (Percussion Section)
 Royal Opera Chorus
 Bronislava Nijinska (Choreography)
 Robert Clark, Philip Cornfield, Paul Stobart, Geoffrey Paterson (Piano)
 Rosalind Waters (S), Elizabeth Sikora (Ms), Jon English (T), Thomas Barnard (Bs)
 Kristen McNally (Bride), Valeri Hristov (Bridegroom)
 Elizabeth McGorian, Alastair Marriott, Genesia Rosato, Gary Avis (Parents)

 最後はストラヴィンスキーのいわゆる原始主義の最後を飾るバレエ曲「結婚」。ヴァーツラフ・ニジンスキー振付けによるエポックメイキングな「春の祭典」がパリのバレエ・リュスで初演されたのが1913年。それからちょうど10年後の1923年、「春の祭典」初演で生贄の乙女を踊る予定だったが妊娠のためキャンセルしたブロニスラヴァ・ニジンスカ(ヴァーツラフの妹)の振付けで初演されたのがこの「結婚」です。バレエ曲とは言え、現代人の目からしてもこれが踊るために作曲されたとはとても思えない、春の祭典をさらに煮詰めて骨だけ取り出したような、変拍子バリバリの硬派な曲です。不協和音が多少穏やかで、民族音楽色が色濃いのはひとえにその異質な編成(4声独唱、コーラス、4台のピアノ、打楽器)のおかげでしょう。CDも結構豊富に出ている著名曲で、我が家にあるのはエトヴェシュ指揮、コチシュのピアノにアマディンダ打楽器アンサンブルが加わったハンガリー精鋭の演奏。
 休憩後、今にも幕が上がろうかというタイミングで、技術的問題により2分待ってくれ、というアナウンス。私ももう英国在住3年になりますので、イギリス人が「two minutes」とか「two seconds」とか言うときは要するにすぐには終らないという意味で、良くても10分は待たされるということは常識としてわきまえておりますが、結局5分ほどで幕は開きました。今日の裏方はなかなか優秀です。
 20分程度の短い作品ですが、何度見てもよくわからないバレエです。祝賀の華やかさなどまるで感じられない、田舎の質素な結婚式を模したカントリーダンスが延々と続きますが、初演当時はこれこそが「コンテンポラリーダンス」だったのかもしれません。マリインスキー劇場が同じニジンスカ版を上演した映像を以前見たことがありますが、明らかに変拍子について行けてない、動きの違うダンサーがあまりに多いので驚いた記憶があります。今日のロイヤルバレエはそれに比べるとかなり練習を重ねたのがよくわかる、シンクロ率の高いパフォーマンスでした。一度は生で見てみたかったこの「結婚」、何だか不思議なものを見た、という余韻だけが残る、謎の作品でした。今日は中身が濃くって疲れたわ〜。


2012.06.28 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Kate Royal (S-2), Monica Groop (Ms-2)
Philharmonia Chorus
1. Joseph Phibbs: Rivers to the sea (London premiere)
2. Mahler: Symphony No. 2 (Resurrection)

 個人的には今シーズン最後のフィルハーモニア管、最後のロイヤル・フェスティヴァル・ホールです。チケットの束をチェックしたら、フィルハーモニア管は何と今年一杯はもう聴きに行く予定がない!フィオナちゃん、ケイティちゃんも当分ご無沙汰です、しくしく。ところで、ロンドンでマーラーの「復活」を聴くのはこれで3回目ですが、指揮者は違えどオケは全てフィルハーモニア管というのが面白い。3シーズン連続で取り上げているということでもありますね。昨年4月のマゼールのマーラーシリーズで聴いた「復活」で、初めてフィオナちゃんを認識したのでしたっけ。月日の経つのは早いものです。
 1曲目はフィブスの新曲で、先週のアンヴィルでの「世界初演」に続き、今日は「ロンドン初演」です。ゆったりと流れる川そのものの、穏やかなトーンの写実的音楽で、前衛的なところはみじんもなく、ドキュメンタリー映画のBGMとしてそのまま使えそうです。一度聴いたくらいでは引っかかりがなく、さらーと身体を通り過ぎる感じで、あれ、今のは何だったかなと。あまり心に残りませんでした。
 さてメインの「復活」。サロネンのマーラーを聴くのはCDも含めて実は初めて。マーラー指揮者というイメージも正直なかったのですが、Wikipediaを読むと、サロネンの指揮者としてのキャリアはマーラーから始まっているんですね。今日の演奏の印象を一言で言うと「スタイリッシュな"復活"」。最初快活なインテンポでサクサク飛ばしたかと思えば、遅いところでは止まりそうなくらいにまでテンポを落とし、またダイナミックレンジもかなり広く取って、メリハリの利いた演奏でした。ある意味極端なことをやってるのですが、どろどろとした情念や汗臭さはなく、あくまで理知的でスマートです。時々ありがちな突貫工事の匂いはなく、多忙なサロネンにしてはいつになく丁寧に積み上げられているなあと感じました。オケはしっかりとサロネンに着いて行き、コケてしまった箇所も無いではありませんでしたが、総じて演奏の完成度は高く、木管、特にコールアングレの素晴らしい音色や、骨太だが角が取れているホルンなど、管楽器の妙技が光っていた演奏でした。コンマスのヴァイオリンソロだけはちょっと虚弱でしたが…。あと、スミスさんのティンパニは、相変わらずカッコいいんだけど、前の時も思ったけどチューニングがやっぱり変です。
 メゾソプラノは当初エカテリーナ・グバノヴァが出演の予定が、スケジュールのコンフリクトのため(要はダブルブッキングということ?)降板、代役のモニカ・グループはメゾというよりはアルトの声で、急で時間がなかったということでもないのでしょうが、だいぶ安定度に欠ける歌唱でした。ソプラノのケイト・ロイヤルも声質は低めでメゾソプラノ向きにも思いますが、こちらはそつなく手堅い歌唱。ロイヤルはレコード会社の宣伝文句によれば「日本人好みの正統派癒し系シンガー」とのことですが、私の印象は全く違って、長身で見た目筋肉質の体格は「癒し系」どころかスポーツ選手のようです。
 それにしてもサロネンさん、今日はいつもにも増してオケを鳴らす鳴らす。まるで一昨日のシモン・ボリバル響を聴いて対抗心を燃やしたかのような鳴らしっぷりでした。男女同数の低音を利かせた厚みのあるコーラスの健闘もあって、クライマックスの音量では実際負けてなかったと思います。マゼールのように最後は自然体にまかせるのではなく、最後まで力技を使ってピークに持って行くよう焚き付ける、そんな感じの「復活」でした。ロンドンでの最後の定期演奏会にふさわしく、音の洪水の大盤振る舞いに、聴衆の拍手喝采も相当なものでした。
 一昨日に続き、連続して「音響浴」に身をあずけることになりましたが、今日は正直、プロフェッショナルの演奏にちょっとホッとした自分がいます。やっぱりシモン・ボリバルの圧倒的な「スタジアム系」には、楽しんだと同時に違和感を覚えていたということですか…。


2012.06.26 Royal Festival Hall (London)
Gustavo Dudamel / Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
1. Esteban Benzecry: Rituales Amerindios (Amerindian rituals) - pre-columbian tryptic for orchestra
2. Richard Strauss: An Alpine Symphony

 シモン・ボリバル響(元シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ)は今ロンドンで一番チケット争奪が厳しいオーケストラで、その点ではベルリンフィルやウィーンフィルをも凌駕しています。今回の一連のチケットも昨年の1月頃サポート会員向けに先行発売した分だけで、プログラムも全く未定だったのに、もうほとんど完売状態でした。ということで私もこのチケットは買い損ねていたのですが、リターンが出ないかと毎日サイトをチェックしていたある日の深夜、1枚だけポコっと空席が出ているのを発見、かぶりつき席を1枚だけですが(すまん、家族)すかさずゲット!日頃の行いが良いとやっぱり神様は見てくれているなあ、うんうん。
 初めて見るシモン・ボリバル響は、とにかく人が多い。あの広いロイヤル・フェスティヴァル・ホールのステージに、立錐の余地なく奏者が乗っています。コントラバスが14人もおり、弦楽器だけで80人を超えています。普通のオケのざっと倍。英国のナショナル・ユース・オーケストラも同じスタイルだったので、ユースの名が取れても、必要以上に楽器を重ねる人海戦術のアマチュアスタイルは維持しているようです。
 1曲目はアルゼンチンの作曲家ベンゼクリがイエテボリ響(音楽監督はドゥダメル)の委嘱で作曲し、2008年に初演された組曲です。南米の古代文明であるアステカ、マヤ、インカをモチーフにしており、プリミティブなエネルギーに溢れた、わかりやすい曲想です。怪獣映画のサントラみたい。アステカは風神、マヤは水神、インカは雷神として、各々非常にベタな表現で自然現象が描写されております。速いパッセージを顔を紅潮させながら刻みつけ、音楽に全身全霊でのめり込むヴァイオリン男子の姿が初々しくて微笑ましいです。男子に比べると女子はもっとクールで、ツンとすましたメスチソ美少女もなかなかオツなもの(って何が?)。やはりラテンの血か、奏者の楽器を奏でる動作はいちいち大きく、派手でノリノリな傾向です。とにかく人をかけ、楽器をユニゾンで重ねて音を厚くし、アラを目立たなくして力技で押し切る戦術で、その分どうしても繊細さは犠牲になります。ツアーに出てステージに立っているメンバーは選りすぐりだけあって、各プレイヤーの技量は思っていた以上に達者で、上手いのですが、それでも皆でユニゾって熱く高揚する、というのがこのオケの捨て難きスタイルなのでしょうね。
 休憩後の「アルプス交響曲」は、これまた滅多に聴けないシロモノでした。金管の弱音ソロや、弦楽の各パート1人ずつのアンサンブルといった箇所ではほころびが見えたりもしましたが、総じてミスの少ない立派な演奏に加え、この倍増の人数です。ドゥダメルも両手を目一杯広げてオケを鳴らしまくり、過去に聴いたことがないような大音響がホールの気圧を押し上げました。深遠や美学の追求というより派手な音響を楽しめばよいこの曲は、このオケにまさにうってつけ。決して軽く見ているわけではなくて、これが実現出来るというのは本当に凄いことです。ただしこれは、例えば、必要にして十分な人数のベルリンフィルが奏でる精緻の限りの演奏を聴いたときに沸き上がる感動とはまた別種のものであるのも確かです。言うなれば「スタジアム系」のクラシック。同列で比較するのはナンセンスでしょう。
 アンコールでは第1ヴァイオリンが1プルト分下がって指揮者の横にスペースを作りましたので、誰か歌手かソリストが出てくるのはわかりましたが、のそのそと登場したのは、片目アイパッチに角の帽子をかぶり、毛皮の肩掛けをまとって、手には槍を持っためちゃ怪しげな大男。この人は俺にもわかるぞ、ブリン・ターフェルだ!その扮装からしてもちろん「リング」のヴォータンの歌を歌ったわけですが(曲名は「ラインの黄金」から「夕べの空は陽に映えて Abendlich strahlt der Sonne Auge」だと事後チェック)、その声の威厳と説得力の凄いことと言ったら。ラッキーにもほぼ正面の至近距離だったので、終始圧倒され、全身が痺れるくらいに凄みのある歌唱でした。ただでさえ大人気のドゥダメルとシモン・ボリバルに加え、このサプライズゲストに聴衆はもう大喜び。ターフェルにとっても、来週始まる「BRYN FEST」と、来シーズンのROH「リング」一挙上演のよい宣伝となったことでしょう(リングはとうの昔にチケット売切ですけどね)。音量も凄かったけど、歓声も並み外れて凄かった、大満腹の演奏会でした。


2012.06.23 Royal Opera House (London)
Jacques Lacombe / Orchestra & Chorus of the Royal Opera House
John Copley (Director), Paul Higgins (Revival Director)
Angela Gheorghiu (Mimì), Roberto Alagna (Rodolfo)
Nuccia Focile (Musetta), George Petean (Marcello)
Yuri Vorobiev (Colline), Thomas Oliemans (Schaunard)
Jeremy White (Benoît), Donald Maxwell (Alcindoro)
Luke Price (Parpignol), Bryan Secombe (Sergeant)
Christopher Lackner (Customs Officer)
1. Puccini: La bohème

 この「ラ・ボエーム」、シーズンプログラム発表当初ではアラーニャとフリットリがキャスティングされていて、どちらもまだ見てないので、これは「買い」かなと思っていたのですが、昨年9月の「ファウスト」上演の前後で突如ゲオルギューがフリットリを押しのけ、アラーニャと夫婦共演するという話になりました。私はこの二人はとっくに離婚したと思いこんでいたので、ヨリを戻しているのに驚いたのと、チケット争奪がますます大変になるなあという危機感、それに、どうせリハーサル中に大喧嘩して片方または両方共がドタキャンとか、いかにもありそうな不安な予感などなど、様々な感情が脳裏を過りました。今回の夫婦共演は2公演しかなく、初日を無事終えたという情報を聞いてさえ、今日は二人ともちゃんと出てくれるんだろうかという心配はありましたが、いの一番にプログラムで本日の出演者を確認、とりあえず心配は杞憂に終ってほっとしました。
 さて「ラ・ボエーム」はブダペストで1回見たきりですので8年ぶりくらいです。甘い旋律にいちいちユニゾンの弦を重ねて盛り上げるというプッチーニ節が気分によっては胃もたれし、また、前半に比べて後半の間延びが私には退屈で、正直得意なオペラではありません。それでも、役者が揃ったこのプロダクションはROHならではの輝きで、一見の価値があるものでした。初めて聴くアラーニャは、並外れてよく通り色気たっぷりの声が吸引力抜群、こりゃー世のおばさん、いやいやレディー達が追っかけ回すのも納得です。ちょっと鼻声にも聴こえましたが普段の声を知らないのでそれがまた甘ったるくて人気の秘訣なのかも。最初のアリアのハイトーンがちょっと苦しかったりもしましたが、その後は余裕を取り戻し、達者な演技も相まって、光り輝く看板役者のロドルフォでした。対するゲオルギューは、オペラグラスでお顔をアップで見てしまうと可憐な小娘にはもう苦しいかなと思ってしまいますが(「ファウスト」のときは若作りに驚嘆したのに、何でだろー)、いかにも薄幸の演技と歌唱はベテランの風格で文句のつけようがなく、上手さに感嘆することしきり。この二人の発するオーラはまさにスターそのもの、ことさら際立っていました。
 今日は久しぶりにプロンプタさんの活躍がありました。ゲオルギューの出るときは必ず出番がありますね。上のバルコニーボックスからはプロンプタがボーカルスコアを見ながら、絶えず手で何か指示を出しているのが見えました。もちろん歌詞も表示されているんでしょう。ただ今日不思議だったのは、第3幕でゲオルギューとアラーニャが舞台中央で足を止めてずっと抱き合っている間にも、プロンプタがまるで指揮をするようにずっと手を動かしていたことで、動作や動線を指示していたのではなさそうで、じゃあ一体何を教えていたのかと。指揮者とは別途に拍を振る必要もないわけで、歌詞のストリップを指差して「歌詞は今ここです!」なんて指示をだしていたのかしらん。謎だ。
 今回はゲオルギュー、アラーニャがROHの「ラ・ボエーム」で初共演をしてから20年という記念の意味もありましたので、他のキャストは当然このスター二人の影になってまうのはいたしかたないところですが、なかなかどうして、ちゃんと歌えて役者もできる人が揃った、粒よりのキャスティングでした。ムゼッタのコミカルでコケティッシュな味付けもしっかり場を盛り上げ、マルチェロ他友人も皆プロの仕事を成し遂げました。指揮者は先月大好評だったビシュコフではなく、マウリツィオ・ベニーニの病気降板を受けての代役、ジャック・ラコンブという若いカナダ人でしたが、どのみち知らない人だったので先入観なしに聴くと、なかなか健闘したと言えるのではないでしょうか。ぽっと出の馬の骨ではなくしっかりとしたキャリアを持ち、物怖じすることなくプッチーニの音楽を自分の手中で転がしていました。
 演出はもう何十年も続いている至ってオーセンティックなものでした。とりわけこの「ラ・ボエーム」に関しては、奇を衒ったモダンな演出はあまり見たくないと思いますね。うらぶれてはいるけどどこか気分をほっとさせる屋根裏部屋。いかにもという雰囲気のパリの居酒屋の裏路地が、ほとんどの席からは見えないであろう奥のほうまで細部にこだわって作りこんであり、手前の焼き栗屋がまた美味しそうなこと。第3幕の雪が降り積もる景色も美しく(馬車の中でコトの最中の警備員は、娘の教育上ちょっと困ったが)、どの幕も本当によく出来た舞台です。
 終演後、隣りのボックスの人々がやおら大きな箱を取り出すと、中にはぎっしり花が。フラワーシャワーとはこうやるのかと、初めて見ました。うちの娘もいくつか投げさせてもらい、よい思いでになりました。


2012.06.21 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: The Prince of the Pagodas
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (Choreography), Colin Thubron after John Cranko (Scenario)
Beatriz Stix-Brunell (Princess Rose), Itziar Mendizabal (Princess Epine)
Ryoichi Hirano (The Prince), Gary Avis (The Emperor)
James Hay (The Fool), Thomas Whitehead (Emperor's Counsellor)
Andrej Uspenski (King of the North), Valeri Hristov (King of the East)
Jonathan Watkins (King of the West), Brian Maloney (King of the South)
1. Britten: The Prince of the Pagodas

 ブリテン作曲のバレエ「パゴダの王子」は彼の作曲キャリアの中でちょうど折り返し点あたりに位置する曲ですが、これ以降に作曲した重要な作品と言えば「真夏の夜の夢」と「戦争レクイエム」くらいですので、成熟度ではまさにスタイル完成の境地にあると思います。来年のブリテン生誕100年を目前に、16年ぶりにロイヤルバレエでリバイバルされたプロダクションというくらいですからめったに見る機会はないバレエですが、うちにはDVDがあったりします。以前買った「マクミラン・3DVDパック」みたいなセットにロメジュリ、マノンと共に含まれていまして、てっきりマクミランの代表作の一つと思っておりましたら…。16年も上演されなかったのは故なきことではないのだなあと、実演を見てあらためて思いました。
 まず言っとかなければならないのは、今日のキャストは相当二転三転しました。発表当初はカスバートソン、ヤノウスキー、ペネファーザーという取り合わせでしたが怪我のために結局全員降板、今年大抜擢でアリスを踊ったスティックス=ブリュネルがカスバートソンの代役とのことでしたが、5月末にラム、モレラ、ボネッリの組でキャストが落ち着いたのもつかの間、直前になってやっぱりスティックス=ブリュネル、メンディザバル、平野亮一の組に変更になりました。最後の変更は怪我のせいではないので、理由がよくわかりません。ともあれ、プリンシパルが一人もいないこのCキャストは(プリンシパルと名のつくのはキャラクターアーティストのエイヴィス唯一人)、ヌニェス・ロホ・キシュのAキャスト、ラム、モレラ、ボネッリのBキャストと比べてフレッシュではありますが、だいぶ格落ち感がしてしまうのは致し方ないところです。
 このような事情のためどうしてもネガティブな先入観を持ちつつこのバレエを見ると、何とつまらない演目であることよ。あらすじは、こんな感じですか。とある国の王様が二人の娘に領土を分け与える際、妹ローズのほうを贔屓したのに姉エピーヌが怒って、妹の恋人である王子を呪いで山椒魚に変えてしまいます。姉は王様を隠居させて国を牛耳り、東西南北から四人の王をはべらせ、妹は従者(道化)と共に放浪の旅に出ます。妹は最果ての国で山椒魚になった王子と再会しますが、目隠しをしている間だけ王子は元の姿に戻ります。山椒魚と国に戻った妹は口づけで王子の呪いを解き、元の姿に戻った王子は道化の助けを借りつつ四人の王と姉を撃退し、国に平和がやってきてめでたしめでたし、皆で踊ってハッピーエンド、というお話です。
 たわいもないストーリーはともかく、振付けが全体的にヌルい感じで、エキサイティングな踊りがさっぱりありません。四人の王の踊りはどこか醒めていてこのバレエに対して距離を置いているように見えてしまったし、プリンシパルがいないとこうもオーラがないものかと、ある意味興味深かったです。主役ローズ姫のベアトリスちゃんは昨年ロイヤルに来たばかりのまだ19歳。称号もまだ一番下の「アーティスト」だし、前回の「アリス」に続き飛び級でここまで抜擢されるその背景が、私にはよくわかりません。一つ一つの動作が固くて小さく、まだ若いんだなあという印象しかなかったです。幕を追うごとにほぐれては来ましたが。エピーヌ姫のメンディザバルも一昨年ライプツィヒバレエから移籍して来た人で、多分初めて見ますが、気の毒なくらいに存在感がない。四人の王はどれもタルい踊りで、しらけてしまいました。このメンバーの中では王子の平野さんが一人気を吐いてキレのある踊りを見せていましたが、いかんせん振付けが私には全然ユルユルとしか感じられず、こりゃー今日はダメだなと、集中力の維持が困難でした。
 ちょっとよくわからなかったのですが、第1幕と第3幕で王子と山椒魚がノータイムで入れ替わる場面は、山椒魚は平野さんじゃなくて別の人が入れ替わってましたよね?第2幕で出てきた山椒魚は、着替える時間が30秒くらいありましたから、最初から平野さんでした。意味不明と言えば第2幕の前半。スキンヘッドになった四人の王が唐突に出てきてローズ姫をなぶりものにしますが、意味が分かりません。その後、最大のアクシデントが!気を失ったローズに道化が目隠しをすると、元の姿の王子が出てきて目隠ししたままのローズと踊る場面で、道化が袖から目隠しの布を引っ張り出そうとしても引っかかって出て来ず、相当手こずった後に結局諦めて目隠ししないまま、さーっと退場して行きました。ベアトリスちゃんも気を失っているわけだから、何が起こったのかよくわからなかったかもしれませんが、あるはずの目隠しがないのは事実。その後のパ・ドゥ・ドゥは、あたかも目隠しをしているかのように、決して目線を合わせないで踊っていたのは立派でした。もしかしたら主役の二人の適応能力を試すためにわざとやったんでは、ともちらっと思いました。
 オケは残念ながら悪い日のほうのROHオケで、ヘロヘロ。そのおかげで音楽自体がつまらないという感想しか持ち得ず。何にせよ、これはクラシックバレエの音楽ではないよ。金属打楽器とマリンバを多用した東南アジアのテイストで、それもそもはず、バリ島の音楽(ガムラン)の影響を受けた曲なんだそうです。だから曲としては雄弁ではなく寡黙なほうで、理解するには時間がかかるかも。ただ、今日のこの公演を見ただけで言うなら、是非もう一度見たいとは決して思わないバレエです。家にあるDVDを見ると、踊りはもっと滑らかでいろんなものを表現していて、音楽にも緊張感があり、冗長なところはあるにせよ、決して最悪な演目ではありません。ヌニェスとロホのベテラン対決だったらさぞ凄かっただろうに、ラムとモレラでも存在感はもっとあったろうに、カスバートソン・ヤノウスキーだったら演技の濃さにやっぱ目が釘付けだったかなーなどと思うと、結論は次のチャンスまで保留にしときます。


2012.06.17 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / Wiener Philharmoniker
1. Brahms: Symphony No. 3
2. Webern: Six Pieces for Orchestra
3. Schumann: Symphony No. 3 ('Rhenish')

 1年以上前に発売になったこの演奏会ですが、人気のラトルに天下のウィーンフィルという最強布陣にもかかわらず、一番上のチケットで£85という前年よりずっと高めの値段設定がアダとなって、直前まで席はけっこう売れ残っておりました。しかし最終的には、この通向けのプログラムにしてソールドアウトとは、やっぱりさすがはウィーンフィルと言うべきか。
 まず最初のブラームス。1番、2番、4番は何度も聴いているのに3番は何故か縁がなく、実演で聴くのは初めてです。弦楽器はヴァイオリンを対向配置にして、その間に向かって左にヴィオラ、右にチェロ、その後ろにコントラバス、金管は左から順にトロンボーン、トランペット、ホルンという、あまり見たことがない変則配置でした。第1楽章はラトルがオケを激しく揺さぶって、冒頭から早速バラけ気味。その厳しいドライブに、オケが振り落とされそうな箇所がいくつか見受けられました。自らが率いるベルリンフィルでは多分こんなことはないのでしょうが、客演でも容赦ないラトルの棒の下、非常に危ういバランスで音楽が成り立っていました。あっけに取られていると、第2楽章からはだいぶ落ち着いてきて、木管、ホルン、トランペット、そしてもちろん弦の、素晴らしい「ウィーンフィル・サウンド」が心地よく響いてきます。ロマンチックな第3楽章は私の耳には意外とあっさり走り抜け、すっかりエンジンの暖まった頃合の終楽章はラトル節が全開、と言いたかったところですが、やっぱりアンサンブルのバラけがどうも気になって、画竜点睛とは行きませんでした。面白かったけど、ちょっと座りの悪いというか。ベルリンフィルとの細部にまで神が宿るような演奏が理想とすると、客演のラトルはまたちょっと別の楽しみ方で聴くのが吉かも(去年のLSOでもそういう感想を持ちました)。
 休憩後のヴェーベルン「6つの小品」は、大編成の管弦楽なのに積分音量は微小という、エネルギー効率の悪い曲です。ラトルはウィーンフィルにここまでやらせるかというくらい、ヒステリックにアクセントを強調し オケも鋭い反応で答えて、冷徹ではなく血の通ったヴェーベルンになっていました。また、金管、打楽器の上手いことと言ったら。第4曲の打楽器クレッシェンドはどうせならもっと耳をつんざくくらいまで鳴らして欲しかったですが。
 メインの「ライン」も個人的にはほとんど聴くことがなく、あれこれ語るネタもないのですが、ここまでの危ういバランスとか鋭いアクセントとかは影を潜め、速めのテンポで颯爽とさわやかな演奏だったと思います。オハコなんでしょう、アンサンブルの完成度が半端ないです(それを言ったらブラームスもオハコのはずですけどねえ)。特に素晴らしかったホルンの音色を基点に、全体がまろやかに溶け合う陶酔感。無心で入り込むことが出来る、自然派体感系の音楽でした。今日はブラームスが良かったとおっしゃる人が多かったようですが、私は「ライン」の成熟度のほうに感銘を受けました。


2012.06.10 Barbican Hall (London)
Bernard Haitink / London Symphony Orchestra
Maria João Pires (P-2)
1. Purcell: Chacony in G minor
2. Mozart: Piano Concerto No. 20
3. Schubert: Symphony No. 9 (‘The Great’)

 モーツァルトとシューベルトなんて私としては非常に珍しい選択ですが、リターンバウチャーを使いたかったのと、久々に「グレート」を聴いてみたくなったので。
 去年もシーズン終盤の6月にバービカンでハイティンク、ピレシュの共演を聴きましたが、季節の風物詩なんですかね。ピレシュは磐石なテクニックに、くっきりした音の粒のたいへん品の良いピアノ。昨年の備忘録を読み直してみると、ほとんど同じ感想を書いてました。小柄でパワーはなさそうなのに、ハイティンクのちょっと重めのオケに埋もれず、サークル席でも非常にクリアに聴こえてきました。オケは少し低めの重心で堅牢な土台を作り、その上で安心して踊っているピレシュのピアノは、澱み、迷い、引っかかりが一切なく、実に自然に心に響いてきて、今更ながら「ええ曲やなー」と聴き入ってしまいました。モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていて沈没しなかったのはほとんど初めてかも。なお、ティンパニはクレジットされてなかったけどプリンシパルのナイジェル・トーマスが叩いてました。
 メインの「ザ・グレート」はかつて部活のオケでやったことがある曲なので(自分の出番はなかったですが)さんざ聴き込みました。生で聴くのはえらいこと久しぶりで、新婚の旅行でザンデルリンク/フィルハーモニア管の演奏をロイヤル・フェスティヴァル・ホールで聴いて以来。それ以降積極的に聴きたいとも思わなかったし縁もなかったのですが、長い年月を経て次に巡ってきた機会が、再びロンドンというのは感慨深いです。古き良き巨匠時代の生き残りハイティンク御大だから、コッテリ高カロリーでミシミシと踏みしめるように行くのかと思っていたら、予想に反して快速テンポでテキパキとぶっ飛ばしました。序奏と第1主題でテンポの差があまりなかったです。先のモーツァルトよりもまた少し重心を下げ、先日のブルックナーと比べても旋律の歌わせ方などは意外と雄弁で、細かくいじり込まなくても本来の音楽の力だけでこれだけ語ってしまうところなど、ハイティンクは曲もオケ(LSO)も十分に知り尽くしています。対照的に終楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェとしては多少遅めくらいのテンポで、セカセカしないように地に足がついた歩みっぷり。巨匠の懐の深さを垣間見ました。こちらのティンパニはクレジットされていたAntoine Bedewi(アントワン・ベドウィと読むの?)。LSOではパーカッションを叩いているほうが多い人ですが、まれにセカンドティンパニにも入っています。硬質のバチで乾いた音を叩き出すトーマス流で、この人も普通に上手かったです。ハイティンク御大はさすがの人気で、いつものように会場総立ちの大拍手。いつものごとくアンコールは無しでした。


2012.06.03 Teatro Comunale di Firenze (Florence)
75th Festival of the Maggio Musicale Fiorentino: The Miraculous Mandarin / Bluebeard's Castle
(New production / In co-production with the Saito Kinen Festival)
Zsolt Hamar / Orchestra and Chorus of the Maggio Musicale Fiorentino
Jo Kanamori (Director and choreography)
Tsuyoshi Tane, Lina Ghotmeh, Dan Dorell (DGT) (Scenary)
Yuichi Nakajima (Costumes), Masakazu Ito, Jo Kanamori (Lighting)
Dance Company Noism
MaggioDanza

 ダイアモンドジュビリーの連休はどこに逃げようかと、各地の演奏会スケジュールをつらつらと調べていて、ふと目に止まったのがフィレンツェ歌劇場のバルトーク2本立て。サイトウ・キネン・フェスティヴァルとの共同製作で指揮は小澤征爾、最前列ど真ん中の席がまだ空いている、これだ!と思って脊髄反射でチケットを買ってしまいました。ところがその後間もなく小澤征爾はキャンセル、代役はエトヴェシュ・ペーテルという連絡があり、がっかりしたのは前にも書いた通り。だいぶ後になってふと公式Webサイトを見てみたら指揮者はいつの間にかハマル・ジョルトに変更になっていて、今度は連絡もなかったし(小澤は別格として、ロンドン響やウィーンフィルを振ることもあるエトヴェシュと比べて、ハマルはさらに国際知名度がガクッと落ちますので、こっそりと変えたかったんでしょうけど)、もう何がなんやら。ハマルは以前ブダペストで一度だけ、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」で聴いたことがあり、若くてエネルギッシュなバトン巧者という印象でしたので、食傷気味のエトヴェシュよりは、まあ良かったかと気を取り直しました。
 フィレンツェ歌劇場は、正確にはフィレンツェ五月音楽祭劇場と呼ぶようです。私の理解によると、元々は毎年4〜6月に開かれるフィレンツェ五月音楽祭のために組織された楽団と合唱団、および上演会場としての劇場があって、それらは別に五月だけでなく、音楽祭の期間以外にも8月を除いてほぼ通年オペラ・バレエ・コンサートをやっているわけですが、名称は「五月音楽祭」を名乗ることで通している、ということのようです。
 オペラ公演のメインで使われる箱はテアトロ・コムナーレ(市民劇場)と言います。最初の建造は1862年というから相当古い劇場ですが、外観も内装も全面的にリファービッシュされていてそんなに古くさい感じはせず、わりとモダンで奇麗な劇場です。座席の椅子はゆったりふかふかとしていて快適でした。ステージもオケピットも見たところ広そうなので、ハープをサークル席ステージ寄りに置いていたのは、演出効果を狙ってのことなんでしょう。しかし上演が始まってすぐに気付いたこの劇場の問題点は、オケピットが浅いこと。台に立った指揮者の腰から上がピットからはみ出てどどんと目の前に立ちふさがり、最前列ど真ん中の席だとほとんど指揮者の背中しか見えない(笑泣)。ここが空いていた理由がよくわかりました…。
 今回のプロダクションはサイトウ・キネン・フェスティヴァルとの共同制作で、松本のほうは昨年8月に上演済み、その直後に北京と上海でも公演したようです。フィレンツェではこの今年の五月音楽祭がプレミエで、本来は5/31の初日から全3回の公演予定でしたが、雨漏りによる劇場設備の不具合のため5/31はキャンセルとなり、結局この日の6/3が初日となりました。とことんトラブル続きの演目です。正直、客入りは悪かったです。5/31の分の観客を残りの2回にある程度振り分けていたはずですが、それでもかなり空席が目立ちました。元々の通り小澤の指揮だったら、あるいはせめて音楽監督のメータが代打を引き受けていたら、多分満員御礼だったんでしょうかねえ。小澤のキャンセルはあれど、日本人が多数出演することもあって、観客には日本人らしき姿が多かったです。

1. Bartók: The Miraculous Mandarin
Sawako Iseki (Mimi, the girl), Satoshi Nakagawa (The Mandarin)
Yoshimitsu Kushida (Kuroko of Mandarin), Aiichiro Miyagawa (Mimi's stepfather)
Izumi Fujii (Mimi's stepmother), Megumi Mashimo (Mimi's stepsister)
Takuya Fujisawa (Old man), Yukio Miyahara (Student)
Emi Aoki, Ayaka Kamei, Leonardo Jin Sumita, Valeria Scalisi, Francesca Bellone,
Giorgia Calenda, Ilaria Chiaretti, Massimo Margaria, Rivvardo Riccio,
Francesco Porcelluzzi, Angelo Perfido, Duccio Brinati (Kuroko)

 このプロダクションの演出および振付けは、ノイズムという新潟のダンスカンパニーを率いる、金森穣。一人でバレエとオペラの演出を両方手がけるのは、ヨーロッパではあまり聞いたことがありません。「マンダリン」のダンサーたちはノイズムの主力メンバーに加え、劇場のバレエ団MaggioDanzaが脇を支えます。幕が開いてまず、全身黒づくめの黒子がうじゃうじゃ踊っているのには、なんじゃこれはと度肝を抜かれました。まるでBlack Eyed PeasのPVのよう。ほどなく登場する主要登場人物はちょっとひねってあって、男1人に女3人。主役の少女ミミ(井関佐和子さん、金森穣の奥さんだそう)は金髪ショートカットに筋肉質の身体を駆使して四角いちゃぶ台の上で怪しい踊りを踊っています。クラシックではなくコンテンポラリーなダンスです。取り囲む3人の悪党は、この演出では継父、継母、継姉ということになっていて、衣装が「ジパング系」とでも言うのか、デフォルメされた和風です。頭領である継父は花魁のような綿入りはんてん着てるし、海外マーケットを意識したテイストがにじみ出ています。しかしこれだけでは終らない。満を持して登場したマンダリンは、背後から黒子が操っている人形浄瑠璃を模した振付で、これはなかなかユニークなアイデアで面白かったです。練習たいへんだったでしょうね。
 一見ぶっ飛んだ演出に見えますが、ストーリーはオリジナルを忠実になぞっていて、逸脱も冒険もありません。このジャパニーズテイストの必然性は、と問われると、多分答えはあまりないのでしょうが、私はけっこう楽しめました。ただ、今回主要ダンサーを全て日本から連れ来ざるをえなかったように、他のカンパニーで上演できる汎用性には多分欠けるので、日本以外で今後再演されるかどうかは微妙ですか。我が家的には、子供に見せるには教育上好ましくないシーンもありましたが、それは元々であって演出のせいではありませんね。
 ハマルは今回がこの歌劇場デビューだったはずですが、こいつはオハコだぜ、とばかりに楽譜を置かず、長身をくねらせながら自分も踊りまくるというビジュアル系。音楽的にも生き生きとした躍動感に溢れ、私好みのリズムの鮮烈なバルトークでした。オケはハイレベルで集中力も高く、クラリネットのソロはもうちょっと色気が欲しいかな、とは思いましたが、ロイヤルオペラよりはよっぽどプロフェッショナルなオケに聴こえました。

2. Bartók: Bluebeard's Castle
Matthias Goerne (Duke Bluebeard/Br), Daveda Karanas (Judith/Ms)
Andras Palerdi (Bard/narrator), Sawako Iseki (Spirit of Judith)
Francesco Porcelluzzi (Kuroko of Bluebeard, 1st door)
Massimo Margaria (Kuroko of Bluebeard, 2nd door)
Angelo Perfido (Kuroko of Bluebeard, 3rd door)
Aiichiro Miyagawa (Kuroko of Bluebeard, 4th door)
Riccardo Riccio (Kuroko of Bluebeard, 6th door)
Duccio Brinati (Kuroko of Bluebeard, 7th door)
Francesca Bellone (1st wife), Giorgia Calenda (2nd wife), Valeria Scalisi (3rd wife)
Izumi Fujii, Yoshimitsu Kushida, Satoshi Nakagawa, Megumi Mashimo, Emi Aoki,
Takuya Fujisawa, Yukio Miyahara, Ayaka Kamei, Leonardo Jin Sumita (Kuroko)

 1時間の休憩の後、次の「青ひげ公の城」も金森穣の演出、ノイズムメンバーの出演による、あまり他に類を見ないプロダクションでした。演出の基本的なトーンは先の「マンダリン」と統一されていて、シンプルでシンボリックな舞台装置をバックにやっぱり大勢の黒子がうじゃうじゃと動いています。最初に吟遊詩人がお経でも読むような無表情なリズムでお馴染みのハンガリー語の前口上を始め、次第に語り口が熱くなって行ってからオケにバトンタッチします。この前口上はのっけから超ハイテンションで始める人もいるので千差万別で面白いですが、こういうパターンは初めて聴きました。
 音楽的には「マンダリン」が「動」なら「青ひげ公」は「静」。内面的な音楽ですが、表現手法はわりとわかりやすいものです。ハマルは今度は譜面台にポケットスコアを置いていましたが、最初からちょっと気になったのは、さっきのマンダリンで疲れてしまったのか、オケのキレが少し悪くなったこと。それと、指揮者にオペラの経験がどのくらいあるのかわかりませんが、経歴を見ると豊富とは思えないし、少なくともこの歌劇場では初めて。総じてオケを鳴らし過ぎで、目の前であったにもかかわらず歌手が聴き取りにくい箇所がいくつもありました。歌手自身も声量は不足気味。青ひげ公のゲルネは昨年マゼールのマーラーチクルスで聴いて、その時は表現力がオペラ向きの歌手かなと思ったのですが、今日聴くと歌が繊細過ぎて大劇場ではワリを食います。やっぱりこの人はリート歌手なんだなと思いました。歌唱自体は、ブレることなく威厳があり、上手いと思ったんですが、いかんせん声量が負けてます。一方、ユディット役のカラナスはいかにもオペラ歌手の貫禄ある風貌でしたが、こちらも声量はイマイチ。めまぐるしく心が揺れ動く演技は良かったですが、歌のほうは起伏に欠けて一本調子で、あまり感心しませんでした。ハンガリー語の発音がたどたどしく、息継ぎがおかしい箇所もちらほら(まあこれは非ネイティヴだとどんな歌手でも仕方がないですが)。
 元々がシンボリックな舞台を想定して作られたオペラですから、城の各部屋の表現は演出家により千差万別ですが、今日のは舞台の奥側に7枚並べたスクリーンへその後ろで踊るダンサーのシルエットを投影するという趣向。その他にユディットと同じ花嫁衣装を着た顔の見えないダンサーが(先ほどミミを踊っていた井関佐和子さん)ユディットの内面の葛藤を踊りで表現するというのがユニークなところです。このユディットの分身は、自分で激しく踊ったかと思えば、文楽のように後ろから黒子に操られることもあり、踊りはこと細かく組み立てられていました。最後の扉を開けて出てくる3人の過去の妻も完全に黒子に操られる浄瑠璃人形でしたが、動きがどこかユーモラスになってしまうので、ちょっとこの場面には合わなかったと思います。最後をギャグにしてどうすんじゃと。あと、この「青ひげ公」は登場人物が前口上を入れてもせいぜい6人の寡黙なオペラですので、こんなに何十人も舞台の上に出ているのは異例で、ガチャガチャとした雰囲気がどうしてもこの曲の寡黙なトーンを壊していた面があったのは否めません。
 ハマルはマンダリン同様、見ていて飽きないノリノリの棒振りでオケをぐいぐいと引っ張っていましたが、オケのほうはちょっと燃え尽き気味で事故もいくつかありました。しかし細かいことはともかく、オケは総じて良い演奏だったと思いますし、ハマルもこの状況でキッチリと仕事のできるところをアピールできたのではないかと思います。


2012.05.31 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Yefim Bronfman (P-1), Gil Shaham (Vn-1)
1. Berg: Chamber Concerto
2. Mahler: Symphony No. 1 (‘Titan’)

 日曜日に続き、MTTのマーラーミニチクルス第2弾ですが、まずはベルクの室内協奏曲から。演奏に先立ってMTTによる曲のモチーフ解説があり、その後、満を持してソリスト登場。前回はウイルス感染でキャンセルしたブロンフマンは仏頂面ながら見たところ顔色は良さそうで、対するシャハムはいつものごとく幸せそうな福顔。私、よく考えたらこの曲はおろか、ベルクの曲を実演で聴くのはほとんど初めてだったかも。新ウィーン楽派の音楽は別に嫌いではないんですが、感覚的にすっと入ってこないので、特に器楽曲はどれを聴いても区別がよくわからないのが正直なところ。この曲も正に12音、正にゲンダイオンガクの典型的、類型的な様相にしか見えなくて、さっぱりわからんかったと言うほかないです。ソリストの熱演はビジュアル的に楽しめましたし、頭痛も眠気もありませんでしたが、非常に困ったのは隣りに座った相撲取りのように巨漢のおっさん。お尻が席に収まりきらず完全にはみ出しており、幸い反対側の隣席が空いていたので一つ移動したのですが、それでも圧迫感と汗臭さは伝わってきて、なおかつ演奏中は始終「スー、ハー」と苦しそうな口呼吸をしていて、うるさいことこの上なし。背骨で自重を支えきれないのか隣りの席(私の元の席)に時々手を付き、そのたびに座席がミシミシッと悲鳴を上げて、ともかくとても演奏に集中できる環境ではありませんでした。あんたは演奏会を聴きに来る前に、医者に行ったほうがよいんではないですかい?とにかく、これではたまらんと、ストールの反対側で空いている席を物色し、休憩時間に移動しました。
 メインのマーラー「巨人」は、先日の4番ほどには感心できない、ちょっと期待はずれの演奏でした。冒頭の木管下降音からして早速ばらけてますし、音が汚い。続くホルンのピッチも、これがLSOと思うくらい悪かったです。MTTは今度は指揮棒を使って、かなり大胆にテンポを動かして表情付けした音楽を導こうとしているので、主題が始まってもかえって息の合ってなさが目立つことになり、どこか腰の据わらない印象が残る演奏でした。正直、やり慣れた曲だから舐めてかかり、リハ不足なのではと感じました。LSOも年に何回かはこういう集中力に欠けた演奏をやらかしちゃうので、まあそこがカワイイと言えないこともないですが、さらに今日は管打楽器の各パートが序列を入れ替えていたようで、少なくともトランペット、ホルン、ティンパニはプリンシパルがファーストを取らず、他の奏者に譲っていたのでそれもあったのかも。
 演奏がそんなんだったからことさら気に障ったのかも知れませんが、お客もダメダメで、演奏中にバサバサっとプログラムなどを落とす人が後を絶たず、第1楽章終了直後にはブラックベリーのアラーム音が響き渡るし、これでは集中しろというほうが、無理。それでも腐ってもLSOですから、最後の強奏になるとブラスなどもさすがに馬力を発揮し、音圧で圧倒していました。終了後のやんやのスタンディングオベーションを見て、みんな一体何を聴いていたのかなーと、納得いかない気分のまま会場を後にしたのでした。


2012.05.27 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Llŷr Williams (P-1), Elizabeth Watts (S-2)
1. Beethoven: Piano Concerto No. 3
2. Mahler: Symphony No. 4

 今年1月以来のMTTです。今日は待望のマーラーですが、よく考えたらMTTのマーラーを聴くのは実演、レコード通じて初めてかも。
 まずはベートーヴェン。ソリストのブロンフマンがウイルス感染のため数日前にキャンセルとなり、急きょ代役で呼ばれたのはウェールズ出身のリル・ウィリアムズ。外見はちょっとおどおどしていて線が細そうでしたが、粒がくっきりと揃ったごまかしのないピアノで好感が持てました。重厚感や深刻さを匂わせない自然体キャラで、ベートーヴェンよりはモーツァルトが向いているのでは、と思いました。オケのほうはイントロの弦のフレーズからして早速丁寧に作り込んだ演奏で、客演ながらコントロールの上手さに感心することしきり。昼間の疲れもあって(子供の運動会があったので)、後半はちょっと意識が遠のいてしまいました。
 メインのマーラー4番をロンドンで聴くのは5度目、LSOでは2度目です。ちょっと慌てて入ってしまった冒頭の鈴はフルートにきっちり合わせてリタルダンドし、鈴だけインテンポで残すという「時間の歪み効果」はなかったです。先ほどのベートーヴェンに引き続き、マーラーもまたニュアンスの極地のような演奏で、事細かに音楽の表情を作り上げていきます。弦のアンサンブル、ヴァイオリンソロ、各管楽器のソロ、フルートユニゾンのピッチ、どこをとってもとにかくオケが上手い!今更ながら参りました。弦楽器の配置が、1月の「幻想」では低弦を右に置くモダン配置でしたが、今日は対向配置に変え、第1・第2ヴァイオリンの掛け合いを効果的に際立たせていました。
 コンマスのシモヴィッチはいつもの散切り坊ちゃんカットから髪を切り、バックに流すような大人っぽい髪型に変えていました。この人の雄弁でのめり込み型のヴァイオリンは、LSOのコンマスの中でも最近一番のお気に入りです。いつもにこやかで、他の団員との会話も多く、若いけどメンバーに信頼されているのを感じます。変則チューニングの2楽章のソロは、あえて軋む音でガリガリと弾き込んでいたのがユニークでした。
 3楽章は一転してロマンチックにとうとうと語りかけるような演奏。一しきり盛り上がった後のか細くつぶやくような、それでいて彫りの濃い弦を聴いて、一瞬バーンスタインの顔がMTTにかぶりました。
 要の終楽章、ワッツのソプラノはあまり女っぽさがなく、少年のあどけなさを思わせる無垢な美声。細やかな表現が好ましい余裕たっぷりの歌唱で、この曲を今まで聴いた中でもかなり上位にランク付けしたい好演でした。初めて聴く人かと思いきや、チェックしたら2年前の「ヴァレーズ360°」で聴いていました。備忘録を読み返してやっと思い出しましたが、文章を残してなければすっかり忘れていたところです。


2012.05.24 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Double Bill (Ballo della regina/La Sylphide)
Daniel Capps / Orchestra of the Royal Opera House

1. Verdi: Ballo della regina (from 'Don Carlo')
George Balanchine (Choreography)
Merrill Ashley (Staging, Principal Coaching)
Marianela Nuñez, Nehemiah Kish
Samantha Raine, Leanne Cope, Yuhui Choe, Emma Maguire

 最初は「王妃の舞踏会」という短いバレエ。ヴェルディの「ドン・カルロ」からバレエの場面を切り出して、ジョージ・バランシンが独自の振付をつけたものだそうです。初演は1978年ですが、ロイヤルバレエでは昨シーズン初めて取り上げられました。ストーリーは特になく、純粋にダンスの妙技を鑑賞する演目のようでした。込み入ったステップに、手足を始終ダイナミックに駆使して、見かけ以上に体力を消耗しそうな踊りです。ヌニェスは綺麗だし、キシュはそんなに長身ではないはずですが、手足のさしが長いのか、伸縮のダイナミックさに目を奪われました。ついでに意識も奪われ、後半はついウトウトと。すいません。(観劇前にオペラ座横のMasala Zoneでしっかり食い、暑かったのでビール飲んじゃったのが敗因です…)

2. Løvenskiold: La Sylphide
August Bournonville (Choreography)
Johan Kobborg (Additional Choreography, Production, Staging)
Roberta Marquez (The Sylph), Steven McRae (James)
Sabina Westcombe (Effie), Alexander Campbell (Gurn)
Elizabeth McGorian (Madge), Genesia Rosato (Anna)
Sarah Keaveney (Little Girl), Emma Maguire (First Sylph)

 2つ目の「ラ・シルフィード」は、昨年マリインスキー劇場のロンドン公演で見た「レ・シルフィード」とは全く別物の作品で、ロマンチックバレエの古典中の古典だそうです。ストーリーは、結婚間近の青年ジェイムズが許嫁そっちのけで妖精シルフに心奪われ、婚約指輪を奪って逃げたシルフを追いかけて、捕まえようと魔女からもらったショールをかけるとシルフは羽根がもげて死んでしまい、自分も息絶えそうになる中、許嫁が別の男と結婚していくのを見る、という救われない話。このジェイムズというのが、今まで見たマクレーさんの役にはなかった「ひどいヤツ」キャラクターで、婚約者とのデュエットは心の通わない空々しいもので、愛情がないのは明らかなのに、彼女に横恋慕している若い農夫が近寄ってくると害獣を追い払うかのように跳ね除けるという、独占欲だけは旺盛な駄々っ子。「嫌なヤツキャラ」が立っていたのは、マクレーさんの非情な演技がそれだけ優れていたということですね。一方、マルケスのシルフは存在感が希薄で、妖精というよりもまるで幽霊のよう。正直、不気味で恐いです。いつもよりも何だか踊りもフラフラしていて不安定に見えたのは、多分意図的な演技なのでしょう。お互い心引かれているはずのジェイムズとシルフのデュエットにしても、すり抜け、すれ違いの連続で、結局ジェイムズの孤独感をいっそう際立たせるだけ。ダンサーにとっては、いつも組んでいるパートナーと、フィジカルな接触なしでもいかに絶妙のコンビネーションを発揮できるかという、非常に難しい演目だったのではないでしょうか。上手くいったのかどうか私には判断できませんが、少なくとも「ラ・シルフィード」の世界観は十分心に染み入りました。しかし救いのないラストはどーんと暗い気分になるので、一日の最後に見たい演目じゃないですね。
 スコットランドの農村が舞台なので、男女共にチェックのスカートを着たフォークダンスは一見の価値ありです。子役もみんなかわいかったし。こういった民族衣装を纏ったフォークダンスのシーンは、ハンガリー国立バレエではよく見ましたが、ロイヤルバレエでは珍しいと思います。素朴で田舎臭いダンスは、先進国の大都会では敬遠されるんでしょうかねえ。妻は最前列でもオペラグラスをしっかりと握り、スカートで回転するマクレーさんに目が釘付けでした。
 このところやけにしっかりした音を出していたオケ、今日はまた前に逆戻りでした。トランペットはピッコロトランペットのソロも含めて立派なものでしたが、ホルンがアマチュアをずらりと並べたようなひどさ。特にシルフィードの第2幕はホルンが音楽表現の主役なのので、あのずっこけぶりは犯罪的と言ってもいいくらい。途中、弦のピッチもおかしくなり、睨みをきかせられない指揮者の統率力の問題だと思います。まあ、まだコートが手放せなかった先週から、今週急に真夏(イギリス標準)になったので、ダレるのはしょうがないんでしょうけども。


2012.05.20 Barbican Hall (London)
Bernard Haitink / Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
1. Bruckner: Symphony No. 5

 バービカンのRCOシリーズ第3弾最終日はマエストロ・ハイティンクの登壇です。ブルックナーの5番と言えば昨年のルツェルン祝祭管の神懸りな演奏が記憶に新しいところですが、オケの上手さではRCOも絶対負けてないだけに、期待は高まります。
 まず気付いたのは、弦楽器はチェロ、コントラバスを向かって右に置くモダンな配置で、弦の後ろは一段上がって左半分にホルン2、フルート2、オーボエ2、さらに一段上がって左から残りのホルン2、ファゴット2、クラリネット2、トランペット、トロンボーン、チューバを横一列に並べ、一番後ろ中央にティンパニ(ドイツ式配置)という、特に管楽器の置き方がちょっと変則的とも思える配置でした。RCOはこの上なく分厚い弦の音が持ち味ですが、にもかかわらず管楽器は本当にミニマムな人数しか置かず、俺らにちんけなサポートなんていらねーぜ、という管奏者の誇りを感じました。
 冒頭のピツィカートから金管コラールが入ってくるところで、ちょっと「ん?」。トランペットとホルンの音がわずかに潰れて、ささくれ立っています。気のせいかなとも思ったのですが、その後しばらく同じ音色が続き、腰が浮き上がっているような気がしてなりませんでした。ホルンはらしくもなく何箇所か音を外すし、ウォーミングアップが足りなかったんでしょうか。とは言え、冷静に捉えると全然大したキズではなく、他のオケなら全く問題にならないレベルでしたが、他のパートがあまりに完璧で充実していただけにかえって気に障ってしまいました。日曜日の午後3時にロンドンで演奏会をやるということは、日帰りコースなんですかね?マチネはあまり得意じゃないのかも。しかしながら、気になったのは第1楽章だけで、弦は一貫して音の厚みと統制感が素晴らしかったし、木管も骨太で力強く、金管の唇もすっかり暖まった終楽章は全体がまろやかに溶け合い一体となったゴージャスなサウンドがとてつもない迫力で響き渡りました。
 ハイティンクの小細工なし、直球勝負の質実剛健な音楽作りはブルックナーによくマッチしていて、もちろんブルックナーってそんな単純なものでもないことは承知の上で、一つのスタンダードとして揺るぎない地位を確立していると思いました。言うなれば風林火山のブルックナー。さすがに、ロンドンでのハイティンク人気はたいしたもので、ほぼ総立ちの拍手喝采で、指揮台から下りたら歩くのも難儀な老巨匠は何度もステージに呼び戻されていました。


2012.05.19 Royal Opera House (London)
Daniele Gatti / Orchestra of the Royal Opera House
Robert Carsen (Director)
Ambrogio Maestri (Sir John Falstaff), Ana Maria Martínez (Alice Ford)
Kai Rüütel (Meg Page), Marie-Nicole Lemieux (Mistress Quickly)
Amanda Forsythe (Nannetta), Joel Prieto (Fenton)
Carlo Bosi (Dr Caius), Dalibor Jenis (Ford)
Alasdair Elliott (Bardolph), Lukas Jakobski (Pistol)
Royal Opera Chorus
1. Verdi: Falstaff

 今シーズンのロイヤルオペラのニュープロダクション、「ファルスタッフ」はヴェルディが最後の最後に、ほとんど自分自身のために書いたと言われる喜劇です。肩の力が抜けたヴェルディらしからぬ軽さで、歌手が「どや顔」で歌い切るような聴かせどころのアリアはほとんどありませんが、音楽は円熟の極み、無駄なくナチュラルに次々と展開して行くので、飽きるところがありません。今日驚いたのは、ガッティがこの長いオペラを全て暗譜で振っていたこと。出てくるオケの音は最後まで美しく、力強く、まるでパッパーノ大将が横でにらみをきかせているかのような充実ぶり。先日の「リーズの結婚」といい、メンバー総入れ替えでもしたかのようなオケはレベルアップは、いったいどうしちゃったの?最近何かテコ入れをしたんでしょうか。何にせよ、在ロンドンのプロとして、誇りを持って是非クオリティをキープしてもらいたいと思います。
 歌手陣は、ロイヤルオペラのヤングアーティストだったカイ・リューテルは何度か見ていますが、後は聞いたことない歌手ばかり。しかし、知らぬは私ばかり也だったようで、どこを切っても穴のない、真に歌える人を揃えたであろう内容の濃い歌手の布陣でした。特にファルスタッフのマエストリは、肉襦袢の必要ない自前の太鼓腹で、よく響くとっても良い声をしていました。老けメイクをしていますがその実私よりも若く、その年齢でその腹は健康上ちょっとマズいだろうとは思いましたが、脂の乗り切った歌唱に感動しました。女性4人も各々役どころを理解した完璧なキャラクター作り。スターはいないのかもしれないけど、けちのつけどころがどこにもない、バランスの取れた歌手陣に拍手喝采です。
 演出は、原作のシェークスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」が書かれた1590年代を1950年代に読み替えたものでしたが、よく整った舞台装置はセンスが良く、決して奇を衒っただけのモダン演出ではありませんでした。まあ、中世と第二次戦後の大量消費時代は趣きが根本的に違うので、よく見ると歌詞と演出が全然マッチしてない場面もありましたが。レストラン、カフェ、キッチンが舞台となっているので食べ物、飲み物がたくさん出てきて、全てが本物ではないでしょうが、オペラグラスで見ていても非常に美味しそうに見える、たいへんよく出来た小道具でした。娘も単純に楽しみ、概ね満足のいくプロダクションでしたが、少し苦言を言うと、演技する場所が左右に振れすぎていてバルコニーボックスからは見えにくい場面が多かったこと、間男を探すべくキッチンを荒らしまくるのはまだよいとしても、ダイニングテーブルの上を土足で歩いたり(しかもその後そのテーブルに食事をサーブする)、最後に全員で観衆を指差して嘲笑するといった、ちょっと度の過ぎたドタバタは品位を欠き、いただけませんなー、と思いました。
 なお、開幕前にアナウンスがあり、この日の公演は前日に亡くなったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウに捧げられました。フィッシャー=ディースカウは1967年にショルティの指揮の下、このロイヤルオペラでファルスタッフを歌ったそうです。


2012.05.18 Royal Festival Hall (London)
Raymond Gubbay presents: Carmina Burana
Andrew Greenwood / The Philharmonia Orchestra
Sophie Cashell (P-2), Ailish Tynan (S-3)
Mark Wilde (T-3), Mark Stone (Br-3)
London Philharmonic Choir
Trinity Boys' Choir
1. Mendelssohn: Overture, The Hebrides (Fingal's Cave)
2. Grieg: Piano Concerto
3. Orff: Carmina Burana

 チケットリターンのついでに当日買いでふらっと聴いてみました。この演奏会の存在に気付いたのは最近の話なのですが、フィルハーモニア管やSouthbankのシーズンプログラム(昨年出たもの)には載っておらず、そもそもフィルハーモニア管は17日、19日に各々全く別プログラムで定期演奏会が入っているので、その中日にさらに別の大曲プログラムを入れてくるとは無茶するなあと。指揮者も聞いたことない名前だし、少なくともレギュラーの定期演奏会に出てくる人じゃない気がする、もしかしたらオケも二軍メンバーのパチモンコンサートか、と多少訝っておりましたら、ふたを開けてみるとオケはいつものフィルハーモニア管フルメンバーでした。ホルンのケイティちゃんは降り番だったのが残念ですが、コンマスはいつものジョルト氏だし、フィオナちゃんが今日はセカンドヴァイオリンのトップ。合唱団が前半の演奏を聴くために最初からコーラス席に座っていました。
 開演前、ステージに出ている団員のほとんどが隣りの人と私語を交わしていて、緊張感が薄いのが気になりました。もしかして指揮者舐められてる?登場したグリーンウッドは人の良さそうなオジサンで、明快でストレートな棒振りは、いかにも中堅ベテラン指揮者という感じ。前半の2曲はどちらもかつて部活で演奏したことがあり、特にグリーグはたいへん久々に聴いたので、まずは懐かしかったです。「フィンガルの洞窟」序曲は流れのよい弦と、抑制の利いた管がなかなかいい感じ。今日のフルートはThomas Hancoxという若いゲストプリンシパルで、道頓堀のくいだおれ太郎そっくりの顔ながら、中間部で美しいソロを聴かせてくれました。
 グリーグの独奏はソフィー・ケイシェルという若手の美人ピアニスト。デッカの肝いりで2008年にCDデビューしたものの、ネット上のレビューはあまり芳しくなく、その後が続いていないもよう。確かに、天才性を発揮するとか聴き手をハッとさせるとかの領域にはまだ遠いものの、ピアノは非常に立派なものでした。マネージメントの思惑に振り回されず、腕を高めて行く余地は十分にあるのかなと思いました。ちょっとイラッとしたのはいちいち入る聴衆の拍手。慣れてない人が多いんでしょう、第1楽章が終ると満場の大拍手。第2楽章の終わりにも、すかさず拍手。ここは普通アタッカで繋げてもいいくらいなので、よっぽど身構えてないと拍手入れるのがむしろ難しいです。せっかく良い演奏だったのにいちいち流れが中断されるので、弱りました。終演後はもちろん、スタンディングオヴェーション。しかし2回くらいコールで呼ばれた後はすぐに拍手は止み、奏者が引き上げようとすると、また拍手。何だか私の知らないビギナー向けマニュアルでもどこかで配布されているんでしょうか。
 メインの「カルミナ・ブラーナ」は、実演は初めてです。さすがにこの大げさな曲、生で聴くと格別の迫力がありますね。コーラスはちょっと荒いかなと思いましたが、むしろ曲想には合っていたかも。オーケストラは手抜きのない普段通りの(むしろ良いほうの)レベルの演奏で、アンディさんのティンパニも冒頭から期待通りの打ち込み。何のための「カルミナ・ブラーナ」かと言い、今日はこのティンパニを聴きに来たと言ってもいいくらいです。歌手もちゃんとした人達で(アイリシュ・タイナンは何度か聴いてますし)、テナーの小芝居も面白かったです。この長い演奏会、寝不足と仕事疲れもあって途中夢心地になりましたが、演奏は危惧したようないいかげんなものではなく、満足できました。ちょっとチケット高いけど。なお、この曲にしても、途中でちょっと拍手が起こりかけました。いったい誰がどんなマナーを教えているんでしょうね。別に曲の合間に拍手が起こること自体はそういうこともあるのでとやかく言いませんが、流れを分断するだけのKYな拍手は嫌いです。
 ところで、この「謎の演奏会」が何なのかを知るために£3.5払ってプログラムを買ってみたところ、Raymond Gubbayという音楽プロモーターの主催であることがわかり、納得。Royal Albert Hallでよく「Classical Spectacular」などと銘打って著名曲ばかりを揃えたビギナー向けコンサートをよく興行しているところです。オーケストラだけでなくRAHの「蝶々夫人」「アイーダ」「カルメン」、カウフマン/ネトレプコ/シュロットのオペラスターコンサート、O2アリーナのバレエ「ロメオとジュリエット」など、とにかくでかい箱を使ってバンバン広告を打ち、普段演奏会に足を運ばない非マニア層を大量動員してちょっと高めのチケットを買ってもらう、というビジネスモデルに見えます。オケは主にロイヤルフィルを使っているようですが、RFHでも演奏会を開催し、フィルハーモニア管など他のオケも使うことがある、というのは今回初めて知りました。ふむ、フィルハーモニア管としても良い副収入になるのでしょうね。


2012.05.16 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: La Fille mal gardée
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Frederick Ashton (Choreography)
Steven McRae (Colas), Roberta Marquez (Lise)
Philip Mosley (Widow), Ludovic Ondiviela (Alain)
Gary Avis (Thomas), Alastair Marriott (Village Notary)
Michael Stojko (Cockerel, Notary's Clerk)
1. Ferdinand Hérold: La Fille mal gardée (orch. arr. by John Lanchbery)

 アシュトン振付の「リーズの結婚」は本当に楽しいプログラムなので、妻も娘もこの日を心待ちにしていました。ちょうど2年ぶりですが、例によってマクレー様の踊る日を選んだので、群舞の人々を除いて2年前と全く同じキャストで見ることに。私はどちらかというとコジョカルとか、見たかったんですが…。
 最終日だった今日はオン・シネマの生中継があったので、ストールにテレビカメラが6台も入っていました。周辺の人は迷惑だったことでしょう。映像が残るということはDVDソフト化の可能性もあるわけで、妻は今からキャーキャー言って勝手に盛り上がっております。また、今回の「リーズ」の広告ポスターもマクレー&マルケスのカッコいいキメポーズ写真が使ってあり、駅などからはすでに撤去されているようですが、オペラハウスのショップで売り出されていないかと丹念に探しておった妻でした。
 冒頭のほのぼのとしたスクリーンから、ラストの赤い傘を見つけたアランの無邪気な笑顔まで、終始見ているこちらの顔も緩みっぱなしの、無心に楽しめるプロダクションです。マルケスは、無垢で華奢で可憐なリーズが本当にはまり役。オペラグラスで見ていると、最初から汗びっしょりで、ちょっと調子が悪かったかもしれません。しかし素人目に何かケチをつけるほどのものではなく、マクレーとのコンビネーションも相変わらず見事。そのマクレー様はいつものごとく、ブレないステップ、滞空時間の長いジャンプ、ビシッと決まったポーズの美しさはどれもこれも素晴らしい。世界に向けて生中継する価値の十分あるプリンシパルたちでした。
 未亡人のお母さんは、木靴の踊りが2年前に思ったのと同じく、バラバラとしていてイマイチでした。ふと思ったのは、タップダンスの得意なマクレーさん、将来年齢を重ねて第一線から退いた後は、この未亡人役でヤケにキレキレの木靴の踊りを嬉々として披露していたりするのかな、という妄想です。そういえば、マクレー夫人のエリザベス・ハロッドはニワトリ役で出演していたようですが、何せ着ぐるみなので、どの人か分からず…。ちょっと淋しい夫婦共演ですね。
 特筆すべきは、今日のオーケストラがいつものバレエではあり得ないほどに冴えていて、素晴らしかったこと。パッパーノが振るとき以外でこのオケがこんなにしっかりしているのって、今まで聴いたことがないです。現金なものですが、これも生中継の威力でしょうか。しかし、やればできるんだな!じゃあ何故普段からこれをやらんのじゃ!と怒りもちょっと覚えました。


2012.05.13 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / LSO Chamber Ensemble
Alexander Timchanko (T-1), Dmitry Voropaev (T-1)
Andrey Serov (Bs-1), Ilya Bannik (Bs-1)
Simon Callow (Narrator-2)
1. Stravinsky: Renard
2. Stravinsky: The Soldier’s Tale

 3日連続、今週4回目のバービカン。今日はLSOの室内楽アンサンブルで曲目も渋かったためか、サークル、バルコニーは閉鎖されていましたが、それでもストールにも空席が目立ちました。
 今日の驚きは、すでにROHの人気者となったヴィットリオ・グリゴーロ君が聴きに来ていたことです。LSOとあまり接点がなさそうなので、意外でした。派手な顔立ちの女性、老紳士と連れ立ってE列に座っていましたが、どうも「狐」に出演した歌手の一人がお友達のご様子。休憩後には消えていたので先に帰ったのかと思いきや、終演後、お連れの人と一緒に駐車場で車に乗り込むところを見たので、別室でお友達と盛り上がっていたんでしょうか。
 1曲目の「狐」は男声4人とツィンバロンを含む15人の小管弦楽による、一種のバレエ作品。15分くらいの短い曲です。今日は演奏会形式なので踊りは無し。ストーリーは、鶏が狐に襲われて食べられそうになるが、猫と山羊に助けを求めて狐を撃退する、という単純な話です。男声4人は各々登場キャラクターの鶏、狐、猫、山羊に割り当てられており、そういう先入観で見ると、歌手の皆さんの風貌がまさに各々のキャラクターそっくりに見えてきて、可笑しかったです。ほとんど初めて聴いたのですが(それがこの演奏会に来た理由でもあります)、聴きやすくて楽しい曲です。是非バレエでも見てみたいです。
 メインは「兵士の物語」。ストラヴィンスキーの代表作でかなり有名かと思いますが、こちらも実は聴いたことがありませんでした。7名の奏者とナレーターによる、朗読・演劇・バレエを融合した舞台作品、とのことで、様式的にはごった煮ながらも、わかりやすくて極めて魅力的な音楽です。ブレーク無しで1時間の長丁場を全く飽きることなく楽しめました。ストーリーは、兵役から故郷に帰る途中のヴァイオリン弾きジョゼフが悪魔に騙されて楽器と本を交換し、道草を食っている間に故郷の婚約者は別の男と結婚、当てもなく旅に出たジョゼフは病床のお姫様を悪魔から取り返したヴァイオリンで癒し、手に手を取って城から出て行くが、国境を越えたとたんに悪魔の手に落ち地獄行き、というお話(朗読は早くて途中着いていけなかったので、あらすじは後で調べました)。サイモン・キャロウ(映画「アマデウス」でシカネーダー役の人)の熱演もさることながら、LSOのトップ奏者が集った七重奏は、まさに粒が際立った至高のアンサンブル。ヴァイオリンのシモヴィッチはいつものごとく音楽に全く身を委ね、本当に楽しそうに弾いているのが、見ているこちらも幸せな気分になってきます。トランペットのコッブは対照的にクールに澄ました顔で、難しいフレーズも一点のキズなく吹きこなしてました。めちゃめちゃ贅沢な「兵士の物語」だったんではないでしょうか。
 ゲルギーさん、いつものように爪楊枝を掴んで繊細なんだか無骨なんだかよくわからない指揮をしていました。今日はさすがに最後の拍手の際も、自分は脇に立って終始奏者を称えていました。


2012.05.12 Barbican Hall (London)
Mariss Jansons / Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
1. R. Strauss: Also sprach Zarathustra
2. R. Strauss: Metamorphosen
3. R. Strauss: Der Rosenkavalier - Suite

 先月に次ぎ、RCOチクルス第2弾は首席指揮者ヤンソンスの登場です。客席は盛況な入りで、日本人も多数見かけました。
 前回がベートーヴェン1曲のみだったのに対し、今日はオール・リヒャルト・シュトラウスでけっこう軽めのプログラムです。1曲目「ツァラ」は先週ウィーンで聴いたばかりですが、比較するのはかわいそうとは言え、さすがにRCOは上手い。磐石のアンサンブルで手堅く聴かせます。冒頭から小気味のよいテンポですいすいと進んで行き、私の好みとしてはもうちょっと重厚にやってくれてもいいのになと感じてふと思い出したのは、ヤンソンスってどちらかというと軽めの曲でも大真面目に仰々しく響かせる人だったのでは、ということ。ちょっとさらさらとしすぎている気がして少し違和感を感じました。なお、最後のほうに出てくる鐘はチューブラーベルではなく、鉄板に切り込みを入れ、やすりで削って調律したサンダーシートの一種でした。
 休憩時間に知人と「今日のヤンソンスは調子が悪いのではないか」というような会話をして、私はクオリティの低さは感じなかったけど、確かに前のヤンソンスとは違う感覚もあって、しかしそれは席が遠いせいだろうと思っていました。次のメタモルフォーゼン、CDはありますがほとんど聴かない曲です。なかなか指揮者が出てこないと思ったら、何とコンマスが弓を振り、指揮者なしで演奏を始めました。少人数の弦楽合奏のみですが、指揮者なしでは絶対厳しそうな複雑な曲です。よく知らない曲なので出来栄えの程はよくわかりませんが、コンマスは自分の演奏よりもアンサンブルの統率に腐心している様子でした。RCOの弦はいつも骨太で密度の濃いサウンドを聴かせてくれるのですが、その秘密は充実したヴィオラパートが寸分の隙間なく中音域を支えていることにあるのだなと感じました。
 最後は再びヤンソンスが登場し、「ばらの騎士」組曲。最後のワルツはアンコールでよくやってくれますし、見るからに得意曲。ご機嫌な表情でオケをノリノリにドライブしていました。肩肘張らず気楽に聴ける極上の音楽は、贅沢の極みですね。またオペラのほうも見たくなってきます。ヤンソンス、やっぱり体調悪かったのか、終演後は息が上がって、肩で息をしてしていました。そのせいか、今日はアンコールはなし。後で教えてもらった情報によると、ヤンソンスはやはり風邪で体調不良だったそうで、翌日のマスタークラスはキャンセルしたそうです。妻の知人はキャンセルを知らずに出かけていって無駄足を踏んだそうで、嘆きのメールが飛んできていました…。


2012.05.11 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
London Symphony Chorus
Leonidas Kavakos (Vn-2), Maud Millar (S-1), Chloë Treharne (Ms-1)
Allessandro Fisher (T-1), Sandy Martin (T-1), Oskar Palmbald (Bs-1)
1. Stravinsky: Mass
2. Stravinsky: Violin Concerto in D major
3. Stravinsky: The Firebird – complete ballet

 ゲルギエフとLSOが今シーズン取り組むテーマの一つ、ストラヴィンスキーのシリーズが今日から始まります。まず1曲目、初めて聴く「ミサ曲」は、10名のウインド・アンサンブルとコーラスという特異な編成ながら、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイという基本要素はきっちり押さえた、たいへんコンパクトなミサ曲です。作風区分で言うと新古典主義時代の最後のほうで、伴奏は多少おどけた雰囲気も出てないことはないですが、全般的に端正にハーモニーが整えられた、いたって厳かで真面目な曲でした。
 先日と同じくロンドンシンフォニーコーラスは勉強熱心、出番が終わっても「コーラス席」にそのまま座って次の曲を聴いていました。次のヴァイオリン協奏曲もバリバリ新古典主義時代の作品で、けっこうお気に入りの曲なのでよく聴いているんですが、CDはムローヴァのしか持ってなく、唯一実演で聴いたのもムローヴァだったので、他の人が弾くとどうなるのか興味津々でした。去年のプロムスで容貌の変わりぶりに驚いてしまったカヴァコスは、どうも長髪が気に入ったようで、今や無精髭ぼーぼーの完全なヲタクルック。漂う不潔感ではゲルギエフに負けていません(笑)。しかしヴァイオリンとなると話は別、やっぱりこの人は超盤石なテクニックでどんな曲でも余力を持って弾き切ります。特にこういった軽めの曲では、肩の力の入らなさが実にニクらしい。大らかであり男勝りにガツガツ弾くムローヴァとはひと味違った、男の余裕の美学が感じられて面白かったです。
 メインの「火の鳥」はゲルギーさんの得意中の得意、これがまた腰を抜かさんばかりの豪演に痺れました。躍動という言葉を忘れてしまったかのような先日のバルトークから一転、終始ヴィジュアルを喚起するダイナミックな演奏。「良いLSO」と「悪いLSO」があるとすれば、今日は全く「良いLSO」が全面に出ていました。デリケートな弦の弱音から強烈な大太鼓のアクセントまで、どのパートも集中力を切らさず最後まで緊張感を持続し、キズなし完璧というわけではなかったものの、是非とも録音していて欲しかった演奏でした(マイクがなかったのでしてないと思いますが)。クライマックスの「魔王カスチェイの凶悪な踊り」では最後にあまりに無茶な加速をして、それに応えるLSOの凄さよ。「火の鳥」は来シーズンのロイヤルバレエのプログラムに入っていますが、このオケと指揮者をこのままそっくりオペラハウスのオケピットに持って行きたい、と思ってしまいました。


2012.05.08 Barbican Hall (London)
Peter Eötvös / London Symphony Orchestra
London Symphony Chorus
Nikolaj Znaider (Vn-2), Steve Davislim (T-3)
1. Bartók: Music for Strings, Percussion and Celeste
2. Bartók: Violin Concerto No. 2
3. Szymanowski: Symphony No. 3 (‘Song of the Night’)

 4/29の演奏会同様、ブーレーズの代役でエトヴェシュ登板です。今日は平日ではありますが、ヴァイオリンコンチェルト目当てに家族揃って出かけました。
 1曲目は「弦チェレ」、ロンドンでは初めて聴きます。楽器配置はスコア指定の通りピアノを挟んで弦楽器を左右対称に振り分け、第1楽章は遅めのテンポながらなかなか良い感じで始まったかに思いきや、盛り上がってくるに従い、どうもキレの悪さが目立ってきました。第2楽章では変拍子のリズムがさらにぎこちなく、躍動感がさっぱりありません。いったい何でしょうか、これは。よく考えたらエトヴェシュのバルトークは今回初めて聴くことに気付きました。ペーテルさん、ハンガリー人でありながら、実はバルトークが苦手?あるいは、LSOとのフランス&ベルギーツアーも終わって気が抜けたか、はたまたツアー中にオケメンバーと何かやり合ったか。ともかく、電池の切れた時計の様なバルトークに、だいぶ失望しました。
 なお、最初から合唱団がステージに出ていて、弦チェレに合唱?といぶかしく思っていましたら、ただ演奏を聴いていただけの様子でした。全く演奏に関与しない人がステージに上がっているのは、他にあまり記憶にありません。しかし、これぞ世にも珍しい、バービカンの「コーラス席」ですかー。
 楽器配置を大幅に変えるため、ここで休憩が入りました。後半はお目当てのヴァイオリン協奏曲第2番。ここでもやはり合唱団がすでにステージ上に座っています。シマノフスキと切れ目なしで演奏するはずはないので、これもまた鑑賞タイムなんでしょう。それにしても勉強熱心、好奇心旺盛な合唱団ですなー。私はただ非番の演奏を聴くためだけにステージに上がって観衆に不必要な姿をさらすのは、プロとしてはどうかと思ってしまいます。
 さて前半はリズムが悪かったペーテルさん、後半も出だしのハープから早速テンポが定まらず迷走してます。ほどなく入ってきたズナイダーのヴァイオリンがまた、低音が雑で野暮ったく、ヤクザが啖呵を切るような品のない調子。バルトークが書いた最も素晴らしい旋律の一つであるこの曲の冒頭主題が、無残にも切り刻まれてちょっとムッとしました。ズナイダーはちょうど6年前にブダペストでコルンゴルドの協奏曲を聴いて以来です。そのときは見かけによらず繊細なヴァイオリンを弾く人だと思ったんですが、今日の演奏は音面だけ追っていて自分の音楽として全くこなれていないという印象でした。確かに、さすがは現代の第一人者だけあって途中はっとさせる美しさの箇所もいくつかありましたが、全体を通しての完成度はテツラフに遥か及ばない、と結論せざるを得ません。バックのオケがまた、さっきに輪をかけてぎこちないモタツキぶり。この曲は大好きなので、2年前のLSOも含め何度もライブで聴いていますが、ここまでギクシャクした演奏も初めてです。ヴァイオリン、オケ共に、正直聴いていてどんどん胸がしんどくなってしまう演奏でした。
 すでに心が疲れ果てている中、まだメインの曲を残しています。最後のシマノフスキは合唱とテナー独唱付きの単一楽章交響曲で、全く初めて聴く曲でした。無調風で不協和音バリバリながら、どこか神秘的で原始宗教を思わせる穏やかな雰囲気の曲です。これはリズムがキモじゃない分、バルトークよりも全然良い演奏に聴こえました。前回のLSO同様、音の積み重ね方に作曲家としてのこだわりと巧みさを感じました。まあ、バルトークはあまりに聴き込みすぎているので、どうしても辛めの評価に傾きがちなのはいたしかたないところです。
 今日は小学生の娘には楽しめる要素がなく、ちょっと気の毒な選曲でしたかなー。そりゃ、ミュージカルのほうがいい、と言うわいな。それにしてもエトヴェシュ、ハンガリー人指揮者なのにバルトークのリズムが苦手とは、正直がっかりです。来月のフィレンツェ歌劇場、バルトーク・ダブルビル(マンダリン/青ひげ公)も小澤征爾の代役でエトヴェシュが振りますが、何だかとっても不安になってきました。


2012.05.05 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Dennis Russell Davies / Bruckner Orchester Linz
1. Mozart: Maurerische Trauermusik, KV 477
2. R. Strauss: Also sprach Zarathustra, Op. 30
3. Haydn: Symphony No. 86 in D major

 バンクホリデー休暇のウィーン小旅行中に何か演奏会はないかと探したところ、オペラ座はすでに席なしだったけど、楽友協会で「ツァラ」を発見。デニス・ラッセル・デイヴィスとリンツ・ブルックナー管はまだ聴いたことがないし、チケットも安めだったのでこれに決定。聴衆はほとんど観光客という感じで、ゴールデンウィークということもあってか日本人も多数来ていました。
 楽友協会大ホールのきらびやかさはやっぱり別格で、ここにまた来れた喜びも相まって、思わずため息が出ます。ただ、ウィーンの聴衆マナーは相変わらずで、演奏中の咳がうるさいこと。演奏中にバシャバシャとシャッター切る人もたくさんいましたが、極めつけは音楽が始まってもまだ高々とiPadを担ぎ上げ、内蔵カメラで写真を撮ってたヤツ。羞恥心はないのだろうか。もし自分が後ろの席だったらブチキレてますなー。
 写真で見たデイヴィスはエッシェンバッハそっくりの風貌ですが、眼鏡をかけた実物はもっと温和な雰囲気でした。1曲目の「フリーメイソンのための葬送音楽」は非常にソフトなタッチの弦で開始し、ちょっとピリオド系が入った軽いビブラートでなかなか統率の取れた合奏を聴かせました。そのまま切れ目なく「ツァラトゥストラかく語りき」に突入。トランペットは一昨年のLSOのように豪快に外すことなく持ちこたえていましたが、ティンパニは派手な動作にしてはロールとシングルの繋ぎがどうもぎこちない。ここのホールのオルガンを聴くのは初めての気がするので、イントロはまあまあ感動的でした。その後はちょっと流れの悪い展開で、ソフトタッチなのはいいけれど、どうにもドライブ感がありません。普段ブルックナーを得意とするオケにしては、管楽器と低弦はパワー不足だなあと思いました。前半の最後、冒頭のド・ソ・ドをフル編成で総奏してブレイクする箇所で、指揮者がちょっと長めのパウゼを入れたので、今日の客ならここで拍手が起こらないかとヒヤヒヤしましたが、幸いそんなことはなく速やかに後半に突入。後半の鬼門、トランペットのオクターヴ跳躍は無難に切り抜けていました。と思ったら、その後のヴァイオリンソロは外しまくりでちょっといただけなかった。コンマスさんがこのレベルでは、オケ全体のレベルも疑われてしまいます。全体的にフォーカスが定まらない演奏で、「ツァラ」をやるにはちょっとオケが迫力不足、ホールの音響とオルガンに何とか助けられたという感じです。
 うーむと思いつつ、気を取り直して後半のハイドンへ。これは小気味のよい好演でした。デイヴィスは元々は現代音楽寄りの人だったようですが、ブルックナー全集のほか、ハイドンの交響曲全集というなかなか敢行できる人が少ない仕事も成し遂げていて、面目躍如の本領発揮という感じでした。楽器はモダンですが軽めのビブラートをかけた準ピリオドスタイルの演奏は、昨今ではどこでもそんな感じなので差別化が難しく、個性はよくわからなかったものの、前半のシュトラウスよりはずっとハマっていました。アンコールではネタがなかったのか、終楽章の後半部分をもう一度演奏しました。しかし、このコンビがもしロンドンにやってきても、あえて再び聴きに行くことは、多分ないかも。


2012.04.29 Barbican Hall (London)
Peter Eötvös / London Symphony Orchestra
Ladies of the London Symphony Chorus
Christian Tetzlaff (Vn-2)
1. Debussy: Three Nocturnes
2. Szymanowski: Violin Concerto No. 1
3. Scriabin: Symphony No. 4 (‘Poem of Ecstasy’)

 本日の選曲コンセプトは多分「極彩色」。フランス、ポーランド、ロシアと国際色豊かに、色彩感豊かな派手な曲が並びます。feliz2さんは「大人向けの夜の音楽特集」とおっしゃってましたが、確かに言われてみるとその通りですね。それにしても、「目が悪い」という理由でキャンセルしたブーレーズ、この選曲なら目を瞑ってても指揮できるだろうに、何とか出てきて欲しかったですなー、と、しつこく愚痴ります。
 1曲目「3つの夜想曲」は、第1曲こそ縦の線が思いっきりズレ気味であれっと思ったのですが、さすがLSOですからすぐに持ち直し、第2曲以降は圧巻のカラフルサウンドがこれでもかと響き渡ってました。元々エトヴェシュはどの楽器もくっきりと鳴らして曲の仕組みを浮き彫りにするタイプの人で、その一方で繊細な弱音にはあまり執着がないのですが、今日の演奏もそんな感じでした。ただ、第3曲の女性コーラスは雑でイマイチ。ここはもうちょっと細やかなコントロールが欲しいところでした。しかし今日の新発見は、ハンガリー時代から何度か聴いてきたエトヴェシュが、意外と「熱い」演奏をやるんだなーということ。大編成のオケをガンガン鳴らしていても、現代作曲家らしくもっとクールに徹した印象がありましたが、それはひとえに自作自演の演奏ばかり聴いてきたからかもしれない。今回のブーレーズの代役ではフランス遠征も一緒に引き受けていますので、ちょっと気合が入ってるのもあるかもしれません。
 次のシマノフスキは、何と言ってもテツラフの凄さに尽きました。この人は相変わらず上手過ぎです。先日見たヴェンゲーロフとは相当違い、全身を無駄なく使って、息をするように、歌うように、踊るように、あるいは歩くように、食事をするように、本当に楽器と身体が一体となって、音楽が澱みなく自然と湧き出てきます。低音から高音まで一点の曇りもなく音が澄み切っており、それでいて至高の純米大吟醸酒のごとく一本芯の通った力強い音。かすかに震える最弱音から、フル編成で鳴らし放題のLSOにも全然負けてない最強音まで、信じられないくらいに広いダイナミクス。ほとんど馴染みのないシマノフスキのコンチェルトを聴いてさえ、とてつもない吸引力に眠くなるヒマもなく圧倒されっぱなしでした。聴くたびにそんな超越レベルの演奏を聴かせてくれて、プロの中のプロとは正にこの人のことを指すのだな、と。
 アンコールはバルトークの無伴奏ソナタから「メロディア」(と、後で教えてもらいました。無伴奏ソナタは2種類CDを持っているのに、あまり聴いてないのがバレバレ…)。アンコールでやるには長い曲ですが、超々弱音から瞑想的に始まり、途中弱音器を付け外したりの小技はあるものの、名人芸的なパッセージなど一つもないのに、素人が息を呑み続ける極度の緊張感と圧迫感。この人だからこそ達し得た高みの演奏に心を洗われ、今日はかぶりつき席を買っておいて本当に良かったと、しみじみ。テツラフはバリバリ現役ヴァイオリニストの中でも、最も聴きにいく価値がある奏者の間違いなく筆頭でしょう。今後も、チャンスがある限り逃さず聴きたいです。
 休憩後の「法悦の詩」は有名曲ですが、20分程度なのでメインとしてちょっと短いような。実演で聴くのは学生時代以来ですから相当久しぶり。前聴いたときのシチュエーションはよく覚えていますが(ええ、デートでした、ええ、上手く行きませんでしたとも)、それは本題ではないとして。ここまで天下のLSOをよく鳴らしてきたエトヴェシュさん、最後はホルン8本、トランペット5本、打楽器盛り沢山の大編成オケをさらに惜しみなく鳴り響かせ、高揚感溢れる圧巻の「エクスタシー」を形作っていました。私、世間で言われるほどこの曲に「えっち」なものを感じることはできず、確かにエモーショナルではあるけど、もっと普遍的で根源的な芸術の高揚と理解しています。この曲で「えっち」な想像をする人は、ジュゴンを見てトップレスの人魚と錯覚するようなもんじゃないのかな。それとも、私の想像力が乏しいんでしょうか…。
 と、話がシモのほうにちょっと下りてしまったところで、チェロのミナ嬢は今日はお休み。他に誰か(誰が?)いないかと見渡したところ、第1ヴァイオリンの末尾に座っていた二人の若い女性奏者のうち一方は、Erzsebet Raczというハンガリー人ですが、記憶のある名前だと思ったら、昨年10月に見た王立音楽大学のオケでコンミスやってた人ですね。LSOのExperience Schemeというトレーニングプログラムで今年からずっとエキストラ参加しているようですが、今日初めて気付きました。昨年聴いたときには天賦のソリストの音を持った人だと感じたので、経験を積んで是非ステップアップしていって欲しいですね。


2012.04.22 Barbican Hall (London)
Nikolaus Harnoncourt / Royal Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Groot Omroepkoor (Dutch Radio Chorus)
Marlis Petersen (S), Elisabeth Kulman (A)
Werner Güra (T), Gerald Finley (Bs)
1. Beethoven: Missa Solemnis

 ブログ友達のかんとくさんも完走されたロンドンマラソンが好天に恵まれて盛り上がっているその裏で、どこまでもインドア系の私はせっせとバービカンへ(というか、チケット買ったときはマラソンと同じ日とは知らなんだ)。地下鉄がちゃんと動いていてよかったです。
 コンセルトヘボウを聴くのは3回目ですが、アーノンクールは初めて。マークしてなかったわけでもないんですが、彼の演奏会の選曲は基本的に私の趣味とはほとんど合致しないので、結局食指が伸びず。今回もどうしようか迷ったのですが、せっかくコンセルトヘボウを聴けるチャンスだから、正直馴染みのない「ミサ・ソレムニス」を果敢に聴くことにしました。
 本日のプログラムは休憩なしの1曲のみ。もちろん名前はよく知ってるしCDもありますが、元々声楽曲も宗教曲も苦手な私は、普段この曲を聴こうと思う日はまずありません。ですので語れることがたいしてないことは最初に断っておくとして、まず、4人の独唱者たちのクオリティに感嘆しました。バスのフィンリー以外は初めて見る名前ですが、合唱に埋没しない力強い声を持つソリストを見事に揃えた、実力本位の布陣です。もちろん、アーノンクールが自分の顔で集めているんでしょう。超完璧なアンサンブルではなかったけれども、いちいち歌が際立っていました。アルトとバスは特に良かったです。フィンリーはずいぶん昔にブダペストでドン・ジョヴァンニを歌ったのを聴いているんですね、すっかり忘れていましたが。
 ミサ曲ですが、ベートーヴェンだけあって響きと進行は極めてシンフォニック。時々「第九」を思い起こさせるフレーズも随所に出てきます。しかしこの曲のメインはあくまでコーラスであり、オケは伴奏です。アーノンクールは理論武装で身を固め、尖った脅かし系の音楽をやる人という先入観があったのですが、終始敬虔なムードでミサ曲らしい格調を保っていたのが、意外と言えば意外でした。曲の合間で時々長い休憩を取り、椅子に座るとコーラスも一斉に座り、指揮棒を構えるとさっと空気が変わり、奏者にみなぎる緊張感が凄かったです。天下のコンセルトヘボウに、尊敬と畏怖を持って迎えられているのがよくわかります。
 楽器は見たところどれもモダン楽器で、ごく普通のコンサートオーケストラの編成でした。弦楽器は基本ノンビブラートでしたが、それでもこんなにふくよかな音になるのは、さすがコンセルトヘボウ。ティンパニは手回し式の小型で、ピリオド系らしく硬質の撥を使っていましたが、全体的には控えめの演奏です。最後の曲で、ティンパニの皮に布を乗せてミュートし、小太鼓のスティックを使ってロールするという、見たことのない奏法をやっていましたが、あれは何だったんだろう…。
 途中合間をゆっくり取ったりもしていましたが、トータルでゆうに90分は超えていた、スローペースの演奏でした。最後の音がふわっと終わり、いつものようにフライングでブラヴォーやるやつが誰かいるだろうと思っていたら、今日は珍しく、指揮者がゆっくりと腕を下ろし切るまで誰も拍手をしませんでした。今の日本ならこれがデフォルトでしょうけど、ロンドンにはあるまじき光景です。やっぱりロンドンでも、アーノンクールを聴きに来ようなどという聴衆は「ウルサガタ」の部類なんですねえ。興味深い発見でした。
 なお、終演後、アーノンクールに対して王立フィルハーモニー協会のゴールドメダル授与式がありました。この栄誉は自分の力ではない、作曲家、演奏家の仕事があってこそのものなので、それらの人々と栄誉を分かち合いたい、というような殊勝なことをスピーチしていました。彼ももう82歳、いつまでもアンチテーゼの人かと思っていたら、すっかり「巨匠」になられてしまって…。


2012.04.21 Royal Opera House (London)
Yves Abel / Orchestra of the Royal Opera House
Laurent Pelly (Original Director), Christian Rath (Revival Director)
Wendy Ebsworth (Interpreter to British Sign Language)
Patrizia Ciofi (Marie), Colin Lee (Tonio), Alan Opie (Sulpice Pingot)
Ann Murray (La Marquise de Berkenfeld), Donald Maxwell (Hortensius)
Ann Widdecombe (La Duchesse de Crackentorp), Jonathan Fisher (Corporal)
Luke Price (Peasant), Jean-Pierre Blanchard (Notary)
1. Donizetti: La Fille du Régiment

 デセイとフローレスが出演した一昨年の公演は、一般発売日にはもう碌なチケットが残ってなくて断念しました。今年はそのリベンジでしたが、歌手陣がガラっと変わってしまって(正直ダウングレード)ちと残念。ロンドンブロガーの方々でもほとんど話題に上らないのは、皆さん2年前にきっちりご覧になっていて今年はパスされてるからなんですかねー。
 こないだ数えてみたら、オペラ・バレエ鑑賞を合わせてようやく生涯100本目を超えたところですが(まだまだヒヨッコです…)、意外にもドニゼッティのオペラを生で見るのは初めてです。「連帯の娘」はロンドンに来るまで名前すら知りませんでしたが、笑いあり涙あり、ストレートでどこかほのぼのとしたストーリーは、まさに松竹新喜劇の世界。台詞に唐突に英語(しかもオリンピックなど時事ネタ)やドイツ語が混じってきて面食らいますが、それも爆笑を取る計算のうち。無邪気に笑える素敵なプロダクションでした。
 マリー役のパトリツィア・チョーフィは特に出だしの調子が上がらず。高い声は出ているものの、いかにも声が弱く、オペラの歌になっていませんでした。風邪が治ったばかりのような、芯のない声でした。これはやっぱり、DVDで見たデセイにかなうものではありません。ただ妻に言わせると、「ジャガイモの皮むきはデセイより上手かった」。軍曹のアラン・オピーも、いい体格をしているわりには声は意外と細く、というか繊細で、ちょっと舞台の奥に引っ込むと途端に声が通らなくなるのはどうしたものかと。演技は面白かったですが。
 このオペラの真の主役、トニオを歌ったコリン・リーは、たいへん立派な歌唱で感心しました。そりゃフローレスと比べたらスターのオーラは薄いし、ゴツめの身体は二枚目役には似合わないけど、ハイCはよく出ていたし、演技も達者でした。指揮者のイヴ・アベルは確か2年前のゲオルギューの「椿姫」で聴いていますが、オケの出来はまずまずといったところ。あの荒れがちなオケを手堅くまとめたという点では、よい仕事をしたと言えましょう。
 今日の公演はBSLというイギリスの手話に通訳する女性が舞台袖にずっと出ずっぱりで、ほとんど全ての歌・台詞を身振り手振りで訳していました。まさかフランス語の歌を同時通訳でBSLに訳していたわけではなく、脚本はあったんでしょうが、長丁場に渡り全身を優雅にかつダイナミックに使った熱演で、今日一番大変だったのは間違いなくこの人でしょう。


2012.04.13 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Alice’s Adventures in Wonderland
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Lauren Cuthbertson (Alice) Federico Bonelli (Jack/The Knave of Hearts)
Edward Watson (Lewis Carroll/The White Rabbit), Laura Morera (Mother/The Queen of Hearts)
Gary Avis (Father/The King of Hearts), Steven McRae (Magician/The Mad Hatter)
Fernando Montano (Rajah/The Caterpillar), Philip Mosley (The Duchess)
Ricardo Cervera (Vicar/The March Hare), James Wilkie (Verger/The Dormouse)
Kristen McNally (The Cook), Ludovic Ondiviela (Footman/Fish)
Dawid Trzensimiech (Footman/Frog), Emma Maguire, Leanne Cope (Alice's Sisters)
Michael Stojko (Butler/Excutioner)
Sander Blommaert, James Hay, Valentino Zucchetti (The Three Gardeners)
1. Joby Talbot: Alice’s Adventures in Wonderland

 幸い出張は回避でき、今度は家族と共に、2度目の「アリス」です。王様、カエルを除き、前回とほぼ同じキャストですが、欲を言えば別のキャストでも見てみたかったかも。ただ、前回とは反対側に位置する席でしたので、別アングルを楽しめました。
 主役二人の動きは前よりちょっと悪かったような。息が合わない箇所があり、リフトなどもだいぶ慎重になっていました。一方、マクレーは相変わらずの芸達者で、今日は思わず帽子を落としてしまうくらい、クレイジーにはじけていました。はじけると言えばハートの女王のモレラ。ますます吹っ切れて堂に入ったコメディエンヌぶりに、妻も娘も大笑い。やはりこの役、ファーストキャストのヤノウスキーの長身を前提に作られていると思うので、モレラはもうちょっと身長があれば、と思わないでもないですが、これはこれで、背が高いと思わせておいてカバーをあけたら小柄な女性、というギャップも面白いかも。何にせよ家族で気楽に楽しめるほのぼのプロダクションです。来シーズンもやるので、また是非見たいです(ロンドンにまだ居れば、ですが)。


2012.04.01 Barbican Hall (London)
Semyon Bychkov / London Symphony Orchestra
Christianne Stotijn (Ms)
Ladies of the London Symphony Chorus
Tiffin Boys' Choir
1. Mahler: Symphony No. 3

 ビシュコフのマーラー3番は2004年にブダペストで聴いて以来ですので、実に8年ぶりです。そのときのオケだったケルン放送響と録音したCDは当時評判になっていましたし(確か賞も取ったはず)、当時の手兵ケルン放送響とのアジアツアーや、その他のオケへの客演でもマーラー3番を好んで取り上げていて、指揮者急病の代打でもよく呼ばれているようで、よっぽどオハコなんでしょうね。
 今日はストールのE列だったのですが、いつもよりステージが張り出していて、何と最前列でした。オケが下手だったりバランスが悪かったりするとこの曲をこの至近距離で聴くのは苦痛にもなりかねないのですが、流石にLSOだとはそんな心配は無用で、極上のオーケストラサウンドを大迫力の音響で十二分に堪能できました。ビシュコフのマーラーは強弱のコントラストが大きく、よく歌い、よく泣き、大爆発する、極めてドラマチックな音楽です。大地を隆起させるような冒頭のホルンに、決して外さず炸裂するトランペット、盤石なLSOブラスセクションにはもう降参するしかありません。鋭く叩き込む打楽器群は、今までこの曲を聴いたどのオケよりも衝撃的です。もちろん弦も木管もほぼパーフェクト、穴がない演奏集団を従えて、ビシュコフも自信たっぷりに「俺のマラ3」を紡いで行きます。途中、ぐっとテンポを落として「タメる」箇所で、わずかにオケが追従できず前のめりになってしまう瞬間もあったりしましたが、圧巻の第1楽章が終った時点で、もう本日終了でもいいくらいの満足感。実際拍手がパラパラ起こっていましたが、思わず拍手したくなる気持ちは私も同感でした。
 今日の少年合唱は昨年のマゼール/フィルハーモニア管のときと同じティフィン少年合唱団でした。舞台袖ではなく後方のオルガン下の扉から登場、最初から舞台に出ていたので待機時間が長く気の毒でした。少年合唱も女声合唱も昨年より人数が少なめだったので、オケの音量に比べて終始負け気味でした。ストーティンは昨年のマゼールチクルスでも最初クレジットされていたものの、急病でキャンセル(代役はセイラ・コノリー)。彼女のマーラー3番は初めて聴きましたが、昨年の穴埋めをして余りある堂々とした歌唱でした。
 終楽章の一番最後はふわりと着地するように終りますが、待ちきれず即効で拍手が起こったのは、まあ仕方がないですかなー。終演後の歓声の盛り上がりは相当なものでした。例えばブーレーズのようなマーラーをリファレンスにしている人が聴けば「何故にここまで劇的にやらなきゃならんのか」「外見立派だが中身がない」「カラヤン的」と蔑むような演奏かもしれません。ですが、夏の休暇中にアルプスの大自然を散策し、作曲のインスプレーションを得たマーラーが頭に思い描いたのは、対象の中に自ら飛び込むようなビシュコフの演奏のほうではないか、と私は確信します。
 最前列かぶりつきだったので奏者の顔はあまり見えなかったのですが、かんとくさんお気に入りの「ミナ嬢」ことMinat Lyonsさんがちょうど正面に見えて、じっくりと鑑賞することができました。確かに黒髪のエキゾチックな美人で、ほのかに紅潮した頬が色っぽいです。この人はまた、豊かな表情がたいへんキュート。演奏中も隣りの奏者と目が合えばニコっと微笑み、出番のない箇所でコンマスのヴァイオリンソロを聴き入って「ああっ、何て素晴らしいのっ」とでも言いたげな表情でなんとも官能的にかぶりを振ったり、音楽に没頭して本当に楽しそうに弾いているので、見ていて飽きません。しかーし、第4楽章の前にストーティンが入ってきたとき、第1ヴァイオリン奏者の椅子の位置が変わってしまって彼女の姿をブロック、以降最後まで影になって見えませんでした(大粒涙)。写真もロクなのが撮れず。次回以降、またチャレンジです。


2012.03.26 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: Alice’s Adventures in Wonderland
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Christopher Wheeldon (Choreography)
Lauren Cuthbertson (Alice) Federico Bonelli (Jack/The Knave of Hearts)
Edward Watson (Lewis Carroll/The White Rabbit), Laura Morera (Mother/The Queen of Hearts)
Christopher Saunders (Father/The King of Hearts), Steven McRae (Magician/The Mad Hatter)
Eric Underwood (Rajah/The Caterpillar), Philip Mosley (The Duchess)
Ricardo Cervera (Vicar/The March Hare), James Wilkie (Verger/The Dormouse)
Kristen McNally (The Cook), Ludovic Ondiviela (Footman/Fish)
Kenta Kura (Footman/Frog), Leanne Cope, Samantha Raine (Alice's Sisters)
Michael Stojko (Butler/Excutioner)
James Hay, Dawid Trzensimiech, Valentino Zucchetti (The Three Gardeners)
1. Joby Talbot: Alice’s Adventures in Wonderland

 昨年見れなかったロイヤルバレエの新作「不思議の国のアリスの冒険」、実は来月の公演のチケットを取っていたのですが、出張が入ってしまったので急遽他の日はないかとチケットを探し、全公演ほぼソールドアウトの中、運良くポコッと出てきた1枚をゲットすることができました。隣席のおじさんがリターンをしたそうで、「君はラッキーだ」としきりに言われました。
 ディズニーの前まではアニメ化すら不可能と言われた原作の摩訶不思議な世界を、どう舞台に乗せるのかが肝だと思いますが、前半は半透明のスクリーンに映し出す映像を多用して、不思議の国に落ちていく場面(落ちていくアリスはマリオネットで表現)、ドリンクを飲んで大きくなったり小さくなったりする場面は、なかなかよく練られてうまくできていると感心しました。肝心の振り付けは、うーん、昨年のプレミエではコアなバレエファンからの評判があまり芳しくなかったようですが、私はそんなに深く踊りを見ているわけではない(その素養もない)ので、パフォーマンスとしては十分楽しめました。アリスもマッドハッターもハートの女王も、やっぱりただの演技やマイムだけだったら楽しさ半減で、ダンスがあってこその舞台だった、とも言えますし。
 初めて見るアリス役のカスバートソンは初演のAキャストで、DVDでも踊っているので、誇りを持って自信たっぷりに演じ尽くしています。顔はちょっとオバン臭い(失礼!)ですが、体格がよく、一つ一つの仕草が上手くて存在感あるダンサーだと思いました。第1幕のかけっこする場面、追い抜かれていく様子をポワントの後ずさりで表現したのは「おー、ムーンウォークの原点はこのワザだったか」と慧眼しました(笑)。マクレーのマッドハッターは、昨年の評判を聞いてか、さすがの大人気。生で見る彼のタップダンスは確かにかっこいい!ただDVDで見た印象と比べると意外とハジケてなく、マッドさが足りなかったような。ちょっとお疲れ気味かな、と思ってしまいました。
 展開の速い第1幕に比べて、第2幕と第3幕の後半はちょっとダレる気がします。第3幕の「眠れる森の美女」のパロディには大笑い。ハートの女王はここまでほとんど踊りがなく、満を持してのステップです。モレラはこういうコミカルでアブノーマルな踊りが真骨頂(と言ったら失礼かな)で、本当に上手かったのですが、やはり背が低いのが残念でした。ここの場面はヤノウスキくらい長身の人のほうが絶対に映えるのは、仕方がないところ。
 脇役、その他大勢にも知った顔がたくさんあり、ダンサー大動員、正に総力を挙げて取り組んでいる気合が伝わります。大人も子供も楽しめる良質のプロダクションだと思います。是非定期的に舞台に乗せ、進化させて行って欲しいですね。


2012.03.24 Barbican Hall (London)
Yuri Temirkanov / St Petersburg Philharmonic Orchestra
Maxim Vengerov (Vn-1)
1. Prokofiev: Violin Concerto No. 1
2. Shostakovich: Symphony No. 7 ‘Leningrad’

 ロシアの名門、私の年代だったら「レニングラード・フィル」と呼ぶほうがしっくりときますが、生演を聴くのは初めてです。ロシアのオケを劇場ではなく演奏会で聴くのも、よく考えたら初めてかも。当初はアルゲリッチがソリストの予定でしたが、曲目がずっとTBCになっていたのでこりゃー今回も危ないなと思っていたら(彼女には過去2回キャンセルを食らっていて未だ聴けず)、1ヶ月前になってようやく想定通りソリスト変更と曲目のお知らせが。ところが代役のソリストは大方の人の想定を超え、マキシム・ヴェンゲーロフというサプライズでした。10代から類い稀なる技巧派ヴァイオリニストとして一世を風靡していたものの、肩の故障が原因で2008年に34歳の若さでヴァイオリン演奏活動からの引退を表明。以後は指揮と教育活動に専念していましたが、待望の声に応えてか昨年から徐々に演奏活動を再開し始め、この日がイギリスでの本格的復帰コンサートということになりました。ヴェンゲーロフはブダペストに住んでた頃に一度来たのですがチケットが買えず、結局聴けずじまいだったんです。アルゲリッチのキャンセルは残念ですが(もう演奏活動は期待できないんでしょうか)、ヴェンゲーロフは思わぬ拾い物でした。
 颯爽と登場したヴェンゲローフは、意外と小男。昔の写真からはだいぶふっくらとしました。プロコフィエフのコンチェルト第1番、私は霧の中からヴィーナスがしなりしなりと現れて心かき乱すかのように、幻想的、女性的なイメージがあるのですが、ヴェンゲーロフは男らしくすぱっと切れ味の良い演奏。のっけから流麗ながらも線の太いヴァイオリンは、ただの技巧派ではないことをありありと感じさせます。ずっと目を閉じながら、あまり身体を揺さぶらずに、ほとんど右手の動きのみでダイナミクスを出すタイプのようです。実際演奏中に切れた弓の毛を何度も引きちぎっていましたし、右手の圧力は相当なもので、右肩を痛めてしまったのはこのせいかなあと。途中ちょっとチューニングが狂ったりもしましたが、透き通るハイトーン、鋭く切り込むフレーズ、正確無比な高速パッセージはさすがヴェンゲーロフの名に恥じないもので、懐の深さを顕示していました。痛める前を知らないのでアレなのですが、全盛期はさぞ凄かったのだろうと確信持って想像できますね。おそらく肩はもう完治はしていて、後は無理のないペースで力をセーブしながら、指揮者との両立でやっていくつもりなんでしょう。鳴り止まない拍手に応え、アンコールはバッハのサラバンド。叙情的表現力も衰えていないところを見せつけました。
 メインの「レニングラード」は冗長なのであまり好んでは聴かない曲なのですが、最近予習も兼ねて車や電車の中で繰り返し聴いていると、バルトークも茶化して自作に引用した第1楽章の「ちちんぷいぷい」行進曲が耳から離れなくなり、その麻薬性にヤラれてしまいました。ここを筆頭にロシアのオケはどこもソ連崩壊後に実力が著しく劣化したとまことしやかに言われます。私の経験でもロシアの劇場付きオケはどこもひどいのばっかりで、今日もどうなることやらと不安半分だったのですが、どうしてどうして、腐ってもレニフィル、いたって優れた楽団でした。弦楽器、特に第1ヴァイオリンは素晴らしく統制が取れており、音がめちゃめちゃ奇麗。低弦も一体となってずっしりと下支えをします。ホルン8本、トランペット6本、トロンボーン6本+チューバと揃った強力ブラス部隊はちょっと反応が重く、引きずる傾向があったものの、北の大地で鍛えられた馬力と体力はさすがでした。向かって右端に金管、左端に低弦とすっぱり分けた音響効果も功を奏していました。欲を言えば木管の音にもうちょっとデリカシーがあれば良かったかなと。第1楽章の要である小太鼓はだいぶ苦しそうで、音符を落とさないだけでせいいっぱい、リズムの牽引車となるまでは至りませんでした。そりゃーそうですわ、私だって自分が楽団員だったら「ボレロ」以上に苦行のようなこの曲は絶対にやりたくないですもん。
 テミルカーノフは指揮棒を使わず両手両腕を駆使して即物的に音楽をまとめていきます。無愛想加減がいかにもソ連、東欧の指揮者という感じ。恣意的な色付け肉付け一切なしの質実剛健な演奏は、巨大な建造物を描き出すには適していましたが、無駄に長いというこの曲の特徴というか弱点もさらけ出していました。途中の退屈を何とか抜け切り、コーダはもちろん爆音でこれでもかと盛り上がって、終ってみればやんやの大喝采、お義理じゃない本当のブラヴォーの嵐でした。アンコールはエニグマ変奏曲の「ニムロッド」。ロイヤルフィルの首席指揮者も勤めていたテミルカーノフはさすがにロンドンの聴衆の心の掴み方を知っていますね。
 翌日は久々のフリューベック・デ・ブルゴス指揮でLSOの演奏会が入っていましたが、ソリストのユジャ・ワンが病気のためキャンセル。代役はアリーナ・イブラギモヴァという、まさにこの日と同じくピアノ→ヴァイオリンへの変更だったため、曲目もバルトークのピアノ協奏曲2番からメンデルスゾーンのVn協奏曲に変更となりました。この演奏会、私はバルトークが聴きたかっただけなので、まだ聴いたことがないアリーナにも後ろ髪は引かれましたが、このところ仕事が立て込んでいることもあり、連チャンはやめとけという天の声だろうと、チケットリターンしました。ちょっと残念。


2012.03.15 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Viviane Hagner (Vn-2)
1. Beethoven: Symphony No. 1
2. Unsuk Chin: Violin Concerto
3. Beethoven: Symphony No. 3 (Eroica)

 ベートーヴェンの交響曲は「第九」以外、わざわざそれを目当てにチケットを買うことがないので、2003年に「備忘録」を書き始めて以降、未だに聴いてない番号がいくつもあります。中でも「英雄」は元々苦手中の苦手であるため、前に実演で聴いたのはそれこそ30年ではきかない遥か昔、朝比奈/大阪フィルの演奏会で聴いたっきり、ずっと避けてきました。しかし、苦手な曲もトッププロの演奏で聴いたら印象が変わるかもしれないなー、とふと思い立ち、急きょ行くことにしました。まあ一番の理由は、ブダペスト祝祭管の後、珍しく3週間も演奏会の予定が入ってなかったので、こりゃーいかん禁断症状が出る、と思ったことなんですけどね。
 ストールB列の席を買ったので前から2列目と思っていたら、A列が撤去されており、最前列で見ることになってしまいました。うーむ、ここだと第1ヴァイオリン以外は奏者がほとんど見えないなあ…。会場では内田光子さんが聴きにいらしてました。サロネン/フィルハーモニア管のベートーヴェンシリーズでは先日共演もしてましたし、ヴィヴィアン・ハーグナーはデュオのパートナーなんですね。
 まずはチン・ウンスク。ロンドンに来るまでは全く知らない名前でしたが、ロンドンでは名前と顔写真を見る機会がやたらと多い女性作曲家です。2001年作のヴァイオリン協奏曲はハーグナー(この人は独韓ハーフなんですね)の独奏で初演の後、世界各国で再演され、テツラフなども取り上げているそう。最初、何だかよくわからない打楽器群が所狭しと並べてあったのが、俄然興味を引きました。チェレスタ、チェンバロがある上にさらに木琴、マリンバ、グロッケン、ヴィブラフォンといった鍵盤打楽器勢揃い、加えてオケには珍しいスチールドラム、鉄板(サンダーシート)、ドラム缶などが見え、相当賑やかなことになってました。後で調べたら、他にもリソフォン(石琴)、サンザ、ギロなどのエスニック打楽器もあったようで(気付かなかった…)、もはや無国籍を超えて無節操。曲は4楽章構成ながらも緩徐楽章のないハイカロリーの熱い曲でした。第1楽章はポリリズムのダイナミックな曲で、何かがもぞもぞと蠢くような生理に訴えるイメージです。変拍子、不協和音、無調のいわゆる「現代音楽」ではありますが、全編通して何かしらヴィジュアルなイメージを喚起するので、耳にすんなりと入ってきやすい曲調でした。そのヴィジュアルイメージは決してヨーロッパのそれではなく、アジア的なものを強烈に感じました。もっと言うと、自然の景観ではなくて、鈴木清順の映画のように人工的に着色された東洋の風景のイメージ。このわかりやすい個性はチン・ウンスクの不可換な魅力でしょう。ヨーロッパで人気が高いのもうなづけます。終演後にサロネンに呼ばれてステージに出てきたウンスクさん、50歳には見えない、写真通りのかわいらしい女性でした。ハーグナーと手を繋いで出て来た女子ぶりが微笑ましかったです。
 さて本題のベートーヴェン。古楽畑の人は言うに及ばず、ラトルみたいにモダンな指揮者もこぞってピリオド風の奏法を取り入れたりして、かつての巨匠の時代から比べると演奏様式がずいぶんと変わりました。若くてモダンで理屈をこねる人ほど、ベートーヴェンでは古楽器系アプローチにこだわったりするというある意味逆説的な流行になっているようにも思えますが、そこで私のイメージでは超モダンな指揮者、サロネンがいったいどんなベートーヴェン像を見せてくれるのか興味津々でした。まずオケはフル編成の現代オーケストラ、楽器も見たところ通常の現代のものでした。ティンパニがいつもと違う手回し式の小型のものでしたが、これとて見た目ピカピカで、バロック楽器とは言えないような。弦楽器の並び方もチェロを右に置くモダン配置で、奏者は普段の通りヴィブラートをかけまくって演奏していました。つまり、ピリオド系アプローチなどほとんど気にしない、あくまで普段着の自然体演奏だったのでちょっと拍子抜けしました。テンポも最近の傾向であるせかせかした速さではなく、速すぎず遅すぎずの中庸路線。「英雄」の第2楽章、有名な葬送行進曲などはバーンスタイン並みに遅いテンポでじっくりと歩みますが(このかったるさがこの曲の特に苦手な部分なんですが)、全体的な印象はカラッと明るい、スカッと晴れやか、後腐れのないベートーヴェン。サロネンならもっと理詰めで窮屈な演奏に持ってくるかと想像していたのですが、どういうベートーヴェン像を描き出したかったのか、拘り所がよくわからなかったです。意外とあまり深い考えはなく、ただ朗々と気持ちの良いベートーベンをやってみたかっただけなのかも。それはそれで十分納得できる話です。これで「英雄」の印象が変わったかというと…。演奏し甲斐のある難曲で、さすがにファンが多いだけあってなかなかかっこいい部分もある曲だというのはわかりました。好きになれるまでには、もっと修行を積まないといけませんねー。
 今年最初のフィルハーモニア管でしたので、久々に見たフィオナちゃんは相変わらずのツンデレ系(デレのほうは見たことないので単なる想像ですが)。ホルンのケイティちゃんはメンバー表にはありましたが姿は見えず、残念。今日の発見は、ライブラリアンの女性がなかなかの美人だったこと。やっぱりこのオケは見応えがありますね!(何が?)いい味系ティンパニの大御所アンディ・スミスさん、今日はベートーベンでは手回しの旧式小型楽器を使用。ピリオド系で硬質な音を出すためかと思いきや、LSOのトーマスさんほどの突き抜けた固さはなく、もう一つ中途半端な印象で、本領が発揮できてませんでした。この演奏だったらいつものモダン楽器でいつもの通りガツンとやったほうがよかったのではないでしょうかねえ。


2012.03.04 Royal Festival Hall (London)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Renaud Capuçon (Vn-2)
1. Brahms: Tragic Overture
2. Lalo: Symphonie espagnole
3. Rimsky-Korsakov: Sheherazade

 昨年1月と9月のプロムスにもロンドンに来ているブダペスト祝祭管。来年4月にもRFHでコンサートが予定されており、欧州内ツアーを精力的に行っている様子です。昨年1月のRFHはハンガリーの大統領が聴きに来ていたり、地元のハンガリー人コミュニティによるボランティアが多数動員されていたりで、ハンガリー語がそこかしこで聞かれ、たいへん盛況だったのですが、それに比べると今年はせいぜい6〜7割程度の客入りで、ちょっと寂しいものでした。チケットも大幅に値上げしましたし、何もやらなかったらこんなものなんでしょうか。来年は気合を入れて集客しないといけませんね。
 奏者のほうはそんなことお構いなしで、いつものように気合の入った濃密な演奏でした。指揮者が登場し(さらに頭が薄くなったかな?)、おもむろに始まった「悲劇的序曲」は、統率のよく取れたオケをフィッシャー色でぐいぐいと引っ張る、期待通りのクオリティの演奏。このオケの音はやっぱりロンドンのオケとは全然違って、何とも言えない滋味で統一感が取れています。今日のフィッシャーさんは一段とエグいドライブで、最後のほうでは「うがー」と大きなうなり声を上げながらラストスパートを畳み掛けていました。極めて真面目に取り組んでいながらも非常に個性的な、面白い演奏でした。
 続くスペイン交響曲は一昨年テツラフのソロで聴いて以来です。カピュソンを聴くのは初めてでしたが、テツラフも凄かったけどこの人も天然でマジ上手いので、一時も目が放せませんでした。濃いアゴーギグを入れたり歌にコブシが入ったりするようなことはほとんどなく、まるで普通に息をするように、難しいパッセージをいともさらっと弾きこなしています。アクがないのは物足りないにせよ、透明感と気品を備えたたいへん良質のヴァイオリン。テツラフを超えるものはそうそうないだろうとあまり期待してなかったのですが、あにはからんや、全く別世界で至高の演奏を聴かせてもらい、お気に入りのヴァイオリニストがまた一人増えました。これだから演奏会通いは止められませんね。バックのオケも別段スペイン色を協調せず、ヴァイオリンに合わせた清涼感でソリストを上手に際立たせていました。
 メインの「シェヘラザード」は、何故このオケのロンドン公演でこの選曲、という疑問もないではありませんが、相変わらず丁寧に作り込み、積み上げられた演奏。実はこの曲、私には鬼門で、毎回どうしても夢心地の世界に誘い込まれてしまいます。今日も途中から所々意識が飛んでいるのですが、それは差し引いても、コンマスのソロ、木管、ホルンがどれも音程が合わずピリッとしない場面が見られました。どんなコンマス(女性なのでコンミス)でもカピュソンの後でソロを弾かねばならないのは、ちと気の毒でしょう。聞けば前々日にベルギーのブルージュで演奏会、前日の昼までブルージュに留まりリハーサル、夕方ロンドンに移動して、日曜日の昼はまたリハーサルというけっこう詰まったスケジュールだったそうで、ツアーの疲れが出たんでしょうか。フィッシャーの加速にオケがついていけてない箇所もありました。本日の仕掛けはハープを指揮者の真横に置いたことくらいでしたが、ヴァイオリンとのバランスが良くてこれはなかなか効果的。アンコールはエルンスト・フォン・ドホナーニ(クリストフのじいちゃん)の小曲で軽く締めました。


2012.02.24 Royal Opera House (London)
Antonio Pappano / Orchestra and Chorus of the Royal Opera House
David McVicar (Director), Leah Hausman (Revival Director)
Ildebrando D'Arcangelo (Figaro), Aleksandra Kurzak (Susanna)
Lucas Meachem (Count Almaviva), Rachel Willis-Sørensen (Countess Almaviva)
Anna Bonitatibus (Cherubino), Bonaventura Bottone (Don Basilio)
Ann Murray (Marcellina), Carlo Lepore (Bartolo)
Jeremy White (Antonio), Susana Gaspar (Barbarina)
1. Mozart: Le nozze di Figaro

 ROHの「ダ・ポンテ三部作」シリーズは、娘と一緒なので、この中では倫理規定が一番低そうな「フィガロの結婚」だけ見に行くことにしました。とは言ってもマクヴィカー演出なのでもしや血みどろではあるまいな、とちょっと危惧したのですが、至って素直な演出にオーセンティックな衣装、前半の大道具の使い回し方も上手く、家族揃って楽しめました。
 キーンリーサイドがキャンセルしたため、今日出た歌手は(脇役のジェレミー・ホワイトを除き)全員初めて見る人かも。フィガロのダルカンジェロは噂どおり深くて地を這うように響く、非常に良い声でした。素晴らしい歌唱だったと思うのですが、声質、歌ともに私的には重く、ノリの軽いフィガロのイメージとは違いました。スザンナのクジャクは声量十分、よく通るかわいらしい声で、おきゃんな雰囲気がなかなかよろしい。ケルビーノのボニタティブスは立派な下半身が思春期の少年役にはちょっと違和感があり、第2幕の有名なアリアは声がかすれてよれていたのが弱かったですが、コメディの演技は良かったです。ロジーナ役、立派な体格のウィリス=セレンセンはよく見ると北方系の美人顔。この人も立ち上がりはイマイチでしたが後半調子を上げてきました。キーンリーサイド降板の代役、ミーチャムも華はないものの十分立派な歌唱。際立ったスターはいませんが全体としてレベルの高い歌手陣でした。
 今日はパッパーノ自身がレチタティーヴォのチェンバロを弾きながら小編成のオケを、いつものごとく抉るような熱い指揮で引っ張っていました。ホルンがちょっと雑だった外は、最後まで引き締まった良い演奏でした。本当に、バレエも含めて全演目の全公演、パッパーノが振ってくれないものかと思いますね。


2012.02.23 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Sarah Chang (Vn-2)
1. Britten: Four Sea Interludes from ‘Peter Grimes’
2. Shostakovich: Violin Concerto No. 1
3. Tchaikovsky: Symphony No. 6 (‘Pathétique’)

 昨シーズンから続いたゲルギー/LSOのチャイコフスキーシリーズもこれで最終です。「4つの海の前奏曲」は出だしこそちょっと乱れたものの、後はさすがの緻密なアンサンブルを聴かせてくれました。無国籍・モダン・明朗快活というオケのキャラクターは先日のNYPとだいぶ共通点がありますが、LSOは音がでかいのが魅力です。
 韓国系アメリカ人の人気若手ヴァイオリニスト、サラ・チャンを見るのは初めてです。キラキラブルーの派手な胸開きドレスでオペラ歌手のようにふっくらとした人がヴァイオリンを持って入ってきたので、あれっ、独奏者が変更になったのかなと一瞬疑いました。プロモーションで使われていたジャケット写真と比べたらtotally differentと言わざるを得ない(笑)。興に乗ってくると大きく仰け反ったり、空間をキックしつつ前後に動いたり、演奏のほうも見かけ通り派手でした。音は非常にしっかりしており、繊細さや際立った個性は今ひとつ感じなかったのも事実ですが、終楽章のスポーティな超高速パッセージをアドレナリン噴出しながら弾き切ったのは一見の価値ありでした。サラ・チャンの名前はよく聞いていたものの今まで特に聴きに行かなかったのは、しょせん韓流アイドル系かと実はちょっとナメていたからなんですが、これは是非かぶりつきで聴くべきだったと後悔しました。
 昨シーズン、ゲルギーのチャイコは結局一つも聴けなかったのですが、4番、5番、この「悲愴」と、後期3大交響曲は何とか全部聴けました。ここまでは極めて個性的な「俺のチャイコ」を聴かせてくれたゲルギーさんですが、この「悲愴」は曲自体が破天荒な分、今までで一番普通の演奏に聴こえました。ナイジェルさんの「ティンパニ自由自在」も、4番、5番と比べたら非常に控えめな音程変更でした。細かいところで型破りなギミックをいろいろ入れても、曲にすっと馴染み溶け込んでしまうんですね。晩年のバーンスタインみたいに唯我独尊の「悲愴」もちょっと期待したんですが、意外と「正統派」な演奏でした。今日はクラリネット、オーボエ、ファゴット、フルート各々の木管の音色が非常に素晴らしかったです。金管は逆に咆哮せず、必要にして十分な音量で節度ある「嗚咽」が表現されていました。NYPも技術の高いオケでしたが、やっぱりLSOも余裕で上手かったです。あー何と幸せな日々よのお。


2012.02.20 Barbican Hall (London)
Anne-Sophie Mutter (Vn), André Previn (P), Daniel Müller-Schott (Vc)
1. Mozart: Piano Trio No. 2 in B-flat major
2. André Previn: Trio No. 1
3. Mendelssohn: Piano Trio No. 1 in D minor

 めったに行かない室内楽です。これはLSOのシーズン枠の一つで、前夜のLSOにも登場したプレヴィン、ムターの元夫婦に、弟子のミュラー=ショットを加えてのピアノトリオ。一度はムターをかぶりつきで見る(聴く)、というのがチケット買った動機のほぼ全てです。ムターとミュラー=ショットはちょうど1年前のLPOで二重協奏曲を聴いていますし、ミュラー=ショットはその後プラハでも聴きました。プレヴィンは、20年前に初めてウィーンを旅行した際、楽友協会でウィーンフィルを指揮したのを当日券で聴いて以来ですが、そのときは舞台後方打楽器の真後ろの席だったので指揮者が全く見えず、せっかくの初ウィーンフィルも打楽器の生音ばかりが聴こえてきたという、今となっては微笑ましい記憶です。一昨年のLSOでアルプス交響曲を振る演奏会を楽しみにしていたのですが、体調が原因でキャンセルになり、そのときは曲目も変更になったのでチケットをリターンしました。
 ピアノと椅子が3つだけだと、バービカンの舞台もずいぶんと広々と感じられます。譜めくりの女性に支えられつつ登場したプレヴィンは、もう歩くのがやっとこさのヨボヨボ老人。数年前にN響を指揮した映像をテレビで見たとき、ずいぶんと老け込んだんだ姿に驚きましたが、実物の衰え方はそれ以上でした。楽屋口からステージに上る階段は珍しく衝立でカバーされていましたが、これはプレヴィンが長く歩かなくても済むようにという配慮だったのかも。方やムターは上下黒づくめの肩開きドレスに、結び目の大きいショッキングピンクの腰帯を合わせ、よく見るとヒールの靴底も同じショッキングピンク色だったのがオシャレでした。ハンサムボーイ、ダニエル君は普通にグレーのスーツ姿。
 定位置につくと、せーのと呼吸を合わせるでもなく早速ピアノが始まりました。さすがは老いても名ピアニスト、先ほどのヨボヨボぶりがウソのようにサラサラと弾くのですが、よく聴くとやっぱりピアノは相当危なっかしい。音は外すは、止まりそうになるは、それでいて音楽はちゃんと途切れず進行しているのだからたいしたもんです。他の二人はピアノに何とかついて行き、包み込むようサポートするのに徹していました。間近で見るムターは、みけんのしわが半端じゃなく凄い。ほとんどアブドーラ・ザ・ブッチャーかブルーザー・ブロディの世界でした。彼女はいつもしかめっ面で演奏する癖があるみたいなので、もう職業病ですね。私は楽しそうに、幸せそうに演奏する人のほうが好みですが。また、スレンダーな身体ながらも肩の筋肉(三角筋)だけ異形に盛り上がっていたのにはプロの宿命を感じました。ただし演奏のほうはというと、音程が手探りだったり、音がかすれたりと、あまり調子が上がっていない様子。こんなもんだったかなあ、ムターも今や昔の名前だけで売ってる人なのかと、ちょっとがっかりしました。一方のダニエル君が対照的に脂の乗り切った艶やかな音で全体をしっかり支えていたので、いっそう差が引き立ちました。
 2曲目のプレヴィン作曲ピアノトリオは2009年の新作で、ジャズっぽい曲を期待していたら全然そういうテイストの曲ではなく、「現代音楽」というほどモダンでもないですが、不協和音満載の硬質で暗い曲調だったので意表を突かれました。ストラヴィンスキーの室内楽作品みたいな感じです。1回聴いたくらいではちょっとよくわからなかったので、パス。
 休憩後のメンデルスゾーンはムターも調子を取り戻したようで、ダニエル君とタメを張る力強い演奏。馴染みのない曲なので細かいところはよくわかりませんが、非常にしなやかで粘りのある彫りの深いヴァイオリンで、なるほどこの卓越した表現力で長年第一線を張ってきた人なのだなと、ようやく本来のムターを聴けた気がしました。プレヴィンのピアノは相変わらずですが、足取りのおぼつかなさとは段違いの推進力があり、あくまでサラサラと彼岸のピアノを弾いていました。アンサンブル命の正統派ピアノトリオとは全く言いがたいでしょうが、何だか良いものを聴かせてもらったと満足して帰路につけました。娘も妻も、メインはまあまあ楽しんでいたようなので、良かったです。演奏が終れば、まるで年老いた祖父をいたわるかのようにプレヴィンをケアしていたムター。とてもこの人達が数年前まで夫婦だったとは信じられません。ダニエル君は童顔だし、祖父・母・息子の三世代競演と言われても信じてしまいそうですね。


2012.02.18 Barbican Hall (London)
Alan Gilbert / New York Philharmonic
Lang Lang (P-2)
1. Lindberg: Feria
2. Bartok: Piano Concerto No. 2
3. Prokofiev: Symphony No. 5

 NYPダブルヘッダーの後半戦は、ロンドンでも超人気のラン・ランをソリストに迎えてのバルトーク。聴きに行かないわけにはまいりません。娘は「ふたつも見るの〜?!」とぶーぶー文句をたれていましたが。
 1曲目のリンドベルイは現在NYPのcomposer-in-residence(招聘作曲家とでも訳すんでしょうか)として契約しており、2年前の来英時もUK初演の曲を演奏していました。今日の「Feria」は「fair」の意のスペイン語ですが、2年前に感じた北欧の香りはほとんどなく、響きが金属的でスペインの風味もあまりない、ごった煮のしっちゃかめっちゃかな(失礼!)曲でした。5分くらいの曲かと思ったら意外と長く、20分くらい続いたので疲れました。リンドベルイさん、ツアーにも同行しているようで、最後は指揮者に呼ばれて舞台に出てきました。
 さて待望のバルトーク。オケメンバーは大移動し、舞台に向かって右側に弦、左側に管とすっぱり分わかれて座りました。ラン・ランとバルトークはミスマッチにも見えますが、ちょうど5年前にもブダペストで同じ第2番を聴いたときは(オケはバレンボイム/ウィーンフィル)、クリアな音でリズミカルにミスタッチなく弾きまくるスタイルが意外とハマっているなと感じました。それにしてもラン・ラン、今やすっかり垢抜けて、ずいぶんとすました顔で涼しげに弾くようになってしまって、「顔芸の王子」はもはや卒業したんですね。テクニックはさらに凄みを増し、ノリノリで弾いてみたり、しっとりと歌ってみたり、極めて機械的なこの難曲を易々と手中に収めていました。第2楽章などは余裕で見得を切って、ワンフレーズごとに流した左手でポーズを決めていたのが悔しいほどサマになっていて、正にスターのパフォーマンス。大喝采に答えてアンコールはリストの「ラ・カンパネッラ」を弾いてくれましたが、これがまた尋常じゃない上手さで唖然としました。前に聴いた「ラ・カンパネッラ」よりもさらに難易度が高そうなギミック満載でしたので、別バージョンなのか、あるいは即興の「ラン・ラン・スペシャル」なのか。ともあれ、リストも当時はイケメンの比類なきピアノ・ヴィルトゥオーソとして多くの女性ファンを惹きつけていたそうですから、ラン・ランの目指すところは「現代のリスト」と称されることなんだろうかと、ふと思いました。
 メインのプロ5もこれまた大変良かったです。ここまで休んでいたホルントップのMyersさんも登場し、トランペットも非常に上手く、充実したブラスセクションは一抹のスキもありません。今日もバルコニー席で遠かったので弦はあまり届いてきませんでしたが、繊細な弱音は一昨日のマーラーよりもさらに際立っており、木管も揃って惚れ惚れするような艶やかな音色で、良いときのLSOと比較しても全く遜色ないハイレベルの演奏。影のあるゲルギーとはまた違う、ギルバートの明るく誠実な音楽作りも好感度高く、ストレートに心を打ちました。
 アンコールは「キャンディード」序曲。これまたNYPのオハコで、中学生のころバーンスタイン指揮NYPの自作自演盤を飽きもせず熱狂的に繰り返し聴いていたのを思い出しました。私より若いギルバート氏(日本名はタケシだそうですね)、ネームバリューはまだまだなのでプレスに叩かれることも多々あるでしょうが、外野の雑音に惑わされずじっくりとキャリアを積んでいって欲しいと思います。


2012.02.18 Barbican Hall (London)
Young People's Concert: Leonard Bernstein's New York
Alan Gilbert / New York Philharmonic
Jamie Bernstein (Narrator, Vo-4), Benjamin Grosvenor (P-5)
Joseph Alessi (Tb-3,4), David J Grossman (P-3,4)
Timothy Cobb (DB-3,4), Christopher S Lamb (Drums-3,4)
1. Bernstein: Overture to 'West Side Story' (arr. by Maurice Peress in 1965)
2. Copland: 'Skyline' from 'Music for a Great City'
3. Strayhorn: Take the 'A' Train
4. Bernstein: 'Ain't Got No Tears Left' from 'On the Town'
5. Bernstein: 'Masque' from Symphony No. 2 ‘The Age of Anxiety'
6. Bernstein: Three Dance Episodes from 'On the Town'

 NYPのヤング・ピープルズ・コンサート(YPC)は1924年から脈々と続く伝統ある青少年向けの啓蒙音楽会ですが、何と言っても1958年〜1972年の間レナード・バーンスタインのパーソナリティでテレビ放送された一連のシリーズが特に有名です。私自身、実際に初めて見たのは10数年前に「クラシカ・ジャパン」で放映されていた分ですが、レニーの軽妙でツボを心得た語り口と、その実、子供向けとは思えない高度で深い内容に、ついのめり込んで見てしまいました。その本家本元を見る機会があろうとはつゆとも思わずに。
 午後4時からのスタートでしたが、1時から楽器体験のファミリーイベントが行われていましたので、バービカンセンターの中は子供だらけ。LSOのファミリーコンサートの時よりも規模が大きかったし、盛況でした。この子供らが皆ホールに入ってきたら大変なことになるなと思っていたのですが、コンサートのほうは思ったより子供だらけではなく、大人だけのグループもたくさんいました。イベントだけ遊びに来た家族連れが多かったようです。
 今日のYPCはロンドンでは初の開催とのこと。「バーンスタインのニューヨーク」と題し、レニーの長女のジェイミーさんをメインホスト(ホステスと言うのかな)に据えて、もちろんレニーの曲を中心に、ニューヨークという町の雰囲気を音楽で伝えようという内容です。ジェイミーさんは今年還暦ながら、スパンコールのミニスカボデコンというイケイケの服装で登場。さすがはレニーの娘だけあって、手馴れた司会っぷりはカリスマ性十分でした。それに、イギリス人のパーソナリティに比べて言葉が断然聞き易い!(まあこれは私の耳の問題なんでしょうけど)一方のアラン・ギルバートはいかにもしゃべりは苦手そう。基本は台本棒読みで、出番のないときはずっと台本に目を落とし、話し出しにいつも微妙な間がありました。
 1曲目の「ウエストサイド物語」序曲、ミュージカル上演では普通省略されるため(映画版でも本編では省略されていましたが、サウンドトラックのリマスターCDに収録されました)、ある意味珍しい選曲ですが、「シンフォニック・ダンス」よりもコンパクトでストレートなダイジェストになっているので、もっと頻繁に取り上げられてもよい曲かなと思いました。
 3、4曲目はNYPメンバーによるジャズ・コンボ。ピアノを弾いたグロスマンはコントラバス奏者。ベースのコッブは今シーズンゲストプリンシパルとしてNYPで弾いているものの、元々はMETオケの主席だそうです。これは至って普通の演奏というか、プロ奏者ならこれくらい弾けて当たり前、ジャズ度ではウィーンフィルメンバーの演奏する「プレリュード・フーガとリフ」とさして変わらず、さすがはニューヨーカーと舌を巻くほどジャジーな演奏でもありませんでした。
 5曲目の「不安の時代」から第5楽章「仮面舞踏会」は、ご当地向けにイギリスの弱冠19歳若手ピアニスト、ベンジャミン・グロヴナーを起用。NYPとは初共演だそうですが、この数分ぽっちの曲にして、かなり緊張した様子だったのが初々しかったです。最後は「オン・ザ・タウン」の3つのダンスエピソードをフルで演奏。NYPの主力メンバーによる最後まで手抜きなしの誠実な演奏は、非常に好感の持てるものでした。


2012.02.16 Barbican Hall (London)
Alan Gilbert / New York Philharmonic
1. Mahler: Symphony No. 9

 2年ぶりのNYPロンドン公演です。ギルバート指揮NYPのマーラー9番というと、演奏中の終了間際にiPhoneのマリンバ音アラームが鳴り響き、演奏を中断したというニュースがつい最近各誌、各サイトを賑わしていました。その記事を読んで一番印象深かったのは、何人かの聴衆が「そいつをつまみ出せ」「1000ドルの罰金だ」などと口々に罵ったというくだりで、何ともアメリカらしいというか、もし日本で同じ事件が起こったとして「つまみ出せ」は言っても「10万円払え」と言う人はおらんよなあ。あと以前友人から聞いた話で、ビジネスが全てに優先するニューヨークでは、メトロポリタン歌劇場で上演中も携帯の電源を切らない人が多く、あまつさえ、かかってきた電話には出て話すのが普通、という「驚きの事実」があったのですが、やっぱりそれは眉唾で、ニューヨーカーでも演奏中は携帯を鳴らしてはいけないという常識はさすがにあるみたいですね。
 今シーズンから外来アーティストのチケットがべらぼうに値上がりしたので、以前のように毎回かぶりつき席で聴くのは難しくなりました。今日はバルコニー席の真ん中1列目という、まあそんなに劣悪な席でもないのですが、やっぱり私はオケと距離のある席だと素直に楽しめない、という自分の嗜好を再認識しました。非常に繊細で、よく練り上げられた好演だったと思います。よくぞここまでというくらいに押さえ込まれた弦と、明るい音で馬力の炸裂していた金管に挟まれ、木管は割を食って陰が薄かったです。金管の音が直接上に上がってきてやけに生々しく聴こえ、デリケートな弦や木管との対比で異形の印象を覚えました。なんだか幻想交響曲の「ワルプルギスの夜」みたいでしたが、これは座った席と、自分の耳のせいでしょう。落ち着いて聴いていると、テンポを大げさに揺らすでもなし、作為的なアゴーギグを入れるでもなし、流れを切り開くというよりも音楽の持つ自然な流れに乗っかっていくような演奏でした。特に終楽章の緊張感の持続は素晴らしく、これを品のないマリンバ音で邪魔されては、そりゃー指揮者も聴衆もさぞ怒ったことでしょう。
 奏者では、ホルントップの巨漢、Philip Myersさんが非常に存在感ありました。口笛でも吹くように意のままに楽器を操り、しかし出てくる音は実に芯の太い極上の煌びやかさで、さすがに一番の拍手をもらっていました。チェロの2番手に座っていたEileen Moonさんは、久々に見た「ヤマンバギャル」。あと、今更ながら気付いたのは、この曲は1楽章の一部分だけティンパニが二人になるんですね。4台しか使わないので奏者は一人と何故か今まで思い込んでいました(普通の曲ならティンパニ3台でたいてい十分ですが、やっぱりマーラーは8台くらい並べないと気分がでないしー)。
 ステージから遠い席の何が嫌いかというと、やっぱり音というのはいくら音響設計をしていても基本的には距離の3乗に反比例して減衰していくものなので、本来聴きたい音とノイズの比(S/N比)がドラスティックに悪くなってしまうことなんです。今日は演奏中に何か物を落とす人が多く、また後方席のカップルが演奏中でもべちゃくちゃ小声でおしゃべりしていたのが(さすがに前の席のおじさんにshut up!と注意されていましたが)気に障りました。時刻はちょうど9時のころ、終楽章のまさに終盤、極めて注意深い慎重さでラストに向けて進んでいるときに、「チチッ」という腕時計のアラーム音が数箇所で鳴ったのが聴こえました。まあこれは音が小さいので近くの席でないと気付かなかったかもしれませんが、それにしてもこの「チチッ」を切らない人も多いですね。やっぱり、あー今日もいいものを聴かせてもらった、と幸せな気分で帰るには、少々高くついてもいい席を取らねばなあ、との決意をあらたにした夜でした。


2012.02.14 Royal Festival Hall (London)
Neeme Järvi / London Philharmonic Orchestra
Boris Giltburg (P-1)
1. Rachmaninov: Piano Concerto No. 2
2. Kreisler (arr. Rachmaninov, orch. Leytush): Liebesleid (European premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2

 妻娘が揃って風邪でダウン、おっさん一人で「バレンタインコンサート」に行くことになってしまいました。このベタベタにロマンチックな選曲、やはり客層は若い人、いかにも普段演奏会には行かなさそうな人が多かったです。楽章が終わるごとに拍手する人々、演奏中にカツカツとハイヒールの音を立てつつ外に出て行く女性、演奏中にボリボリ物を食べるガキなど…。
 1曲目は超メジャーなピアノ協奏曲第2番、ライブで聴くのはすごく久しぶりです。6年前聴いたときのソリスト、ラン・ランは今週末バービカンにやってきますが、それはさておき。ボリス・ギルトバーグは今年28歳になるユダヤ系ロシア人の若手ピアニスト。昨年のチャイコフスキーコンクールに出たもののラウンド2に残れなかったようです。風邪でもひいているのか、右の鼻穴にティッシュを詰めて出てきました。別段どうということはないピアノだったので、論評に困ります。どうも音があまり澄んでない(はっきり言うと濁っている)ように聴こえるのは、ピアノの調律のせいかもしれないし、私の耳がおかしいのかもしれませんが、よく観察していると細かいミスタッチが多く、しかも後半になるほど増えていってました。まあ、本当に体調は悪かったのかも。ヤルヴィお父ちゃんは初めて聴きますが、巨匠の風格溢れる体格の通り、低音を効かせて堂々とした進行です。ニュアンスというものは薄く、その代わりに弦の音は磨き上げられ、弦と木管のハーモニーが実に美しく溶け合っていました。こういうのは厳格なリハーサルとベテランのワザがあってこその結果ですよね。ただし、一番重要なはずのクラリネットは、音は綺麗なんですが木で鼻をくくったような何とも味のないソロで、私は感心しませんでした。
 1楽章が終わったところで大量のレイトカマーを入れたため、この人達がどやどやといつまでも騒々しく、ヤルヴィもいったん指揮を始めようとしたもののあまりにうるさくて断念し、結局ノイズが収まるまで長い時間仏頂面で待っていました。せっかくのテンションに水を注されたかっこうで、これは会場のマネージメントが悪いです。
 続くクライスラーの「愛の悲しみ」は、欧州初演というふれこみでプログラムにクレジットされていたものの、これは本来ならアンコールという取り扱いですよね。拍手がほとんど消えかかっていたにもかかわらず、ボリス君はもう1曲アンコールで子犬のワルツのようなコロコロとした小曲(曲名不明)を弾いてくれました。こういう軽めのアルペジオな曲のほうがこの人の本来の持ち味が生きるように思いました。
 メインのラフマニノフ第2番はここ数年マイブームなので、実演の機会があればできるだけ聴きに行ってます。ここでもヤルヴィはすっきりと見通し良く音を整理しながら、ストレート、質実剛健に歩んで行きます。LPOはいつになく上手いし、リタルダンドやポルタメントはきっちりやってますが、情緒こもったロマンチックにはなり切れない歯がゆさがありました。あまりスケール感はなく、意外と小さくまとまっている印象です。1楽章ラストのティンパニの一撃は無し。ヤルヴィは打楽器奏者出身なのでガツンとやってくれるかと期待したのですが。
 ロマンチックの極み、第3楽章ではまたしてもクラリネットが「木偶の坊」(「マグロ」と書いて、下品なのでやめました。って、結局書いてますが)。ここまで徹底しているということは、これは指揮者の解釈か、奏者のこだわりなんでしょう。終楽章は金管打楽器を思いっきり解放し、熱く盛り上げて行きました。なかなか上手いドライブで、LPOもハマるとここまで馬力が持続するんだ、と見直しました。だいぶ遅い時間だったので終楽章の途中で帰る人もいれば、少なからぬ人が終演と同時に席を立ちましたが、拍手はけっこう盛り上がっていました。私もコーダの迫力と疾走感は、ヤルヴィの統率力に感心しました。
 大勢の人がすでに帰った中、トドメのアンコールはもちろん「ヴォカリーズ」でロマンチックに閉めました。時刻はすでに夜10時、長い演奏会でした。何となく物足りなくて、昨年のBBC響/山田和樹の演奏会録音(膝上ではありません、BBC Radio 3から)をiPodで聴きつつ帰りましたが、艶やかな音の膨らみ、情感溢れる弦の旋律、切々と歌うクラリネット、やっぱこの曲はええわー。これは悪いけど正直、BBC響の圧勝でした。


2012.01.27 Dvořák Hall (Prague)
Eliahu Inbal / Czech Philharmonic Orchestra
Tomáš Jamník (Vc-1)
Schumann: Concerto for cello and orchestra in A minor Op. 129
Berlioz: Symphonie Fantastique Op. 14

 プラハには何度も行ってるのですが、なかなかタイミングが合わなくて、今回ようやく念願かない、本拠地ドヴォルザーク・ホールでチェコフィルを聴くことができました。スメタナ・ホールがアール・ヌーヴォー様式なのに対し、こちらはネオ・ルネサンス様式なんだそうで、私はそのへんの見識はさっぱりですが、ホールの内装は確かに古代の神殿を思わせるゴージャスなものでした。ヨーロッパ最古のコンサートホールの一つだそうで、ウィーン楽友協会と同じく天井の高い箱型をしていますが奥行きはずっと狭く、舞台の頭上にも袖にも反響板らしきものは一切ありません。音響の良いホールとして知られており、確かに良い音はするのですが、私的にはちょっと残響長過ぎ。客席は傾斜のついたストール席と、結構高い位置にあるバルコニー席から成り、どこからも舞台が見やすそうでした。ステージのサイズや客席数から言って、ロンドンだとカドガン・ホールのクラスでしょう。
 1曲目はシューマンのチェロ協奏曲。よくドヴォルザークとカップリングになっているチェロ協奏曲の名作ですが、何でか音源を持っておらず、ちゃんと聴くのは今日がほとんど初めて。ということで良し悪しや特徴はあまり語れません。トマーシュ・ヤムニークは1985年生まれの若手チェリストで、幼少からチェコ国内のコンクールを総なめにした後、カラヤン・アカデミーの奨学生に合格し、現在ベルリンフィルの一員として演奏すると同時に、ソリストとしてもヨーロッパや日本で活動中の若手有望株だそうです(プログラムより)。見たところ全然アーティストっぽくない、そのへんにいそうな普通のにいちゃんです。しかし一聴して思ったのは、この人はオケ奏者というよりも全くソリストの素質だな、ということ。超絶技巧をひけらかしたり、完璧さを売りにするキャラではなく、音程を外す場面もまま見られたのですが、その代わりにチェロのよく歌うことといったら!アンコールで弾いたトロイメライも歌心があり、良いものを持っているミュージシャンです。まだ若いから、ベルリンフィルで半分ソリストみたいな人達に囲まれてアンサンブルの修行を積むのは良い経験だと思います。
 幻想交響曲はつい数日前にロンドン響で聴いたばかりですが、やはりというか、MTTとはだいぶ個性が違いました。ベルリオーズのスペシャリストとして認知されているインバルのアプローチは、「細かいことはしない」。シューマンでは終始スコアに目を落としつつ振っていたインバルも、得意の「幻想」では当然のごとく譜面台なしです。速めのテンポで開始し、作為的な表情付けなど一切なく、自信を持ってスコアの音を過不足なく再現していきます。第1楽章や第4楽章で主題のリピートを省略したのは、CD時代になってからそんな人がめっきりいなくなってしまったので、かえって新鮮でした(私は「幻想」の反復は冗長に感じる派であり、この判断を支持します)。チェコフィルは、以前聴いたときもそう思ったんですが、低音の響きが本拠地で聴いてもやっぱりイマイチ、腹に来るものがありません。しかし弦アンサンブルの渋い音色と一糸乱れぬ完成度、素朴ながらも深みのある木管の音は相変わらず至高の素晴らしさで、加えて金管は音圧十分なのに実に柔らかい響きを奏で、モダンなロンドンのオケではなかなか真似のできない独特のサウンドを楽しめました。極上のオケを使って堂々とした建造物を目の前に見せ付ける、正に横綱相撲の「幻想交響曲」。その建造物はしかしよく見るとゴシック調のグロテスクな装飾が施され、下手に凝った演出をしなくとも必要十分なだけの躍動感、高揚感、躁鬱感が自ずと湧き出てくるようにできている、これは本当に名曲だなあ、という思いをあらたにしました。なお、終楽章のコル・レーニョはLSOと同様、チェコフィルもちゃんとやってませんでした。最近の解釈ではこれが主流なんですかね?それとも、一流のオケは使っている楽器も高価だから、奏者が嫌がってるんでしょうか。
 余談ですが、今日はどちらの曲も、最後の音の残響がある程度引いてから遠慮がちに拍手が始まっていました。演奏中も咳する人が比較的少なくて静かだし、良いマナーです。終演後、写真を撮る人がいなかったので自分も撮りませんでしたが(実は、開演前に場内の写真を撮っていただけで注意されました)、演奏中でも平気で水を飲み(実は、ペットボトルの水を持って入場しようとしたらダメですと注意されました)、場内ではアイスクリームを食べ、冬場は演奏中の咳が絶えず、ブラヴォーはフライング気味で、終演後はフラッシュの嵐、というロンドンの常識に毒されていると、本来のグッドマナーをややもすると忘れがちになりますね。自戒しなければ。


2012.01.24 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Nelson Freire (P-2)
1. Debussy: Selected Préludes (orch. Colin Matthews)
 1) Voiles (Sails); Book 1 - #2
 2) Le vent dans la plaine (The wind in the plain); Book 1 - #3
 3) La cathédrale engloutie (The submerged cathedral); Book 1 - #10
 4) Ce qu'a vu le vent d'Ouest (What the West Wind saw); Book 1 - #7
2. Debussy: Fantasy for Piano and Orchestra
3. Berlioz: Symphonie fantastique

 「まだ見ぬ強豪」の一人、マイケル・ティルソン・トーマスは昨シーズンのLSOのチケットを買っていたのですが、よくわからない理由のキャンセルでフラれてしまい、今日が念願の初生演です。登場したマイケルさんは思ったより小柄で、本当に人の良さそうな笑顔を浮かべ、品の良いおじいちゃんという感じです。
 最初はマシューズ編曲のドビュッシー前奏曲集。以前はこの編曲の存在すら知らなかったのに、やはり「ご当地物」の一種だからでしょうか、ロンドンに来てから実演で聴くのはこれで3回目です。今回は第1集のみから緩-急-緩-急と変化をつけた4曲の選曲で、原曲にさほど馴染んでいるわけではない私は、マイケルさんのきめ細かく色鮮やかな演出にひたすら感心するしかありませんでした。プログラムでは有名な「沈める寺」が最後でしたが、「緩」ながら壮大なスケールで盛り上がるこの曲をラス前に持ってくるという入れ換えは、大正解だったと思います。
 続く「ピアノと管弦楽のための幻想曲」は初期の作品で、初演で第1楽章のみが演奏されようとしたことに立腹して楽譜を差し止めてしまったためお蔵入りし、結局ドビュッシーの死後始めて演奏されたという曰く付きの曲です。確かに若書きだけあって、後の「海」や「映像」で境地に達した交響詩の世界が原石のように垣間見えるものの、まだドイツ的後期ロマン派の色が濃く、スタイルの確立にまだ試行錯誤しているような印象を受ける曲です。フレイレは9月にブラームスの協奏曲2番を聴いています。そのときは軽いフランス物のほうが合っているのでは思ったのですが、結局印象は変わらず、やっぱり生徒にお手本を弾いて聴かせるようなくっきりかっちりとした演奏。フランスらしい柔らかさも印象派的なオブラートも一切ありません。多分運指はめちゃくちゃ上手くて、ピアノをやっている人ならまた聴き方が違うんだろうけど、私には引っかかるものがありませんでした。
 そしてメインの「幻想交響曲」、これは実に素晴らしい演奏でした。大好きな曲ですが、本当にクスリをキメてるかのように尋常でないテンションで突き進むミュンシュ/パリ管のレコーディングが自分にとってのリファレンスで、それを凌ぐ演奏はなかなかあり得ないので、ここまで感動的な実演に巡り会ったのは殆ど初めてかもしれない。冒頭の木管からゆっくりと実に丁寧な語り口で、フレーズの繋ぎ一つも疎かにせず組み立てる「作り込み型」の演奏は、まさに私の好み。長い序奏が終ってやっとテーマが出てくると、大胆にギアチェンジして快速に飛ばします。これが予想外に熱い演奏で、ティルソン・トーマスというとクールで学究肌の指揮者だとCDを聴く限りの印象で決めつけていたので、そうかこの人はバーンスタインの愛弟子だったんだ、と思い出しました。そう思って後ろから見ると、白髪混じりの髪型とチラリとのぞく鷲鼻がまさにバーンスタインを彷彿とさせる気がしてきました。
 第2、第3楽章と続いても全編これニュアンスの権化のようにきめ細かく音楽を作り込んでいきますが、決してわざとらしくなく、一貫して情熱に溢れています。途中わずかにアンサンブルがずれたり、金管が外したりの事故はありましたが、全編通して縦の線はきびきびと揃っており、舌を巻く統率力です。かつて(1995年まで)首席指揮者を勤めていて、現在も首席客演指揮者の地位にあるとは言え、普段から練習時間を豊富にもらっているわけではないでしょうから、よっぽどリハーサルの効率が良いのと、バトンテクに優れているのでしょう。月並みですが、魔術師、という言葉が浮かびました。一つだけあれっと思ったのは、終楽章でヴァイオリンがちゃんとコル・レーニョ(弓の裏で弦を叩く)をやってなかったことですが、ニコニコ動画にアップされていたサンフランシスコ響とのライブ映像を後で見てみると、そこでもやっぱりコル・レーニョは(少なくとも弓を完全に反転させるようには)やってないっぽく、ここは指揮者の解釈なのでしょう。何故だかはわかりませんが。もちろんそんなことは些末で、最後は金管を思う存分解放して、とてつもない迫力のうちに駆け抜けました。細部のニュアンスにも全体のフォルムにも両方目が行き届いた、たいへん充実した演奏でした。熱烈なスタンディングオヴェーションも納得です。5月のマーラーが非常に楽しみになってきました。
 ところでプログラムをパラパラと読んでいて一つショッキングなことが。トランペットのNigel Gommさん、最近名前を見ないなと思っていたら、昨年10月に病気で亡くなっていたんですね。知らなかったです。May his soul rest in peace。


2012.01.19 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Pavel Sorokin / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (Choreography)
Tamara Rojo (Juliet), Carlos Acosta (Romeo)
José Martín (Mercutio), Gary Avis (Tybalt)
Kenta Kura (Benvolio), Johannes Stepanek (Paris)
Christopher Saunders (Lord Capulet), Elizabeth McGorian (Lady Capulet)
Thomas Whitehead (Escalus), Christina Arestis (Rosaline)
Genesia Rosato (Nurse), Tara-Brigitte Bhavnani (Lady Montague)
Alastair Marriott (Friar Laurence, Lord Montague)
1. Prokofiev: Romeo and Juliet

 2年ぶりのロイヤルバレエ「ロメオとジュリエット」です。その間、バーミンガムロイヤル(マクミラン振付)、イングリッシュナショナル(ヌレエフ振付)、ペーターシャウフス(アシュトン振付)を見ているので、ロンドンではこれで5回目。我が家としては希少なリピーター演目です。娘は「え〜、また見るの〜?」と文句を言っておりましたが。
 アコスタ、ロホの看板コンビを一度はフルバレエで見ておかねば、というのが今日の最大の目当てでしたが、さすがの人気だったのでいつも狙っているストールやサークルの至近距離最前列の席は一般Friend発売開始時点ですでになく、次善の策で今回はバルコニーボックスを選びました。しかし、オペラはともかくバレエの鑑賞では、やはり欲求不満がかなり溜まる席でした。元々死角が多い上、隣りのボックスの客が思いっきり身を乗り出すとこちらの視界がバッチリ遮られ、普通に座席に座っていると舞台がほとんど見えません。その人達だって、さらに隣りの客が身を乗り出しているのでそうするより他ないのです。立ったり座ったり身をよじったり、不自由な思いをしながら無理矢理見ていたので首がバキバキに疲れました。
 上から見ていると動きがコンパクトに見えてしまうのと、オケの演奏がゆっくり目だったこともあって、全体的に落ち着いた舞台に思えました。アコスタはオペラグラスでアップで見るとさすがにオヤジ臭がして、さらにあのニヤケ顔は美少年役には決定的に向かない気がしますが(ファンの人すいません)、踊り一つ一つの安定感と回転の美しさは素人目にも抜群で、舞踏会の前に悪友三人で踊る仮面の踊りも、もちろん皆さんハイレベルなんですがその中でも一人さらに突出している感じでした。一方のロホも舞台栄えする美しさは半端なく、少女というよりもやっぱり大人の色気をムンムンと感じてしまいます。最初、動きはちょっと固めで、弾けるような躍動感はあまりなかった代わりに、揺れ動く心の表現は驚くほどきめ細かく、時間を追うごとにしなやかさが増していき、最後の死人の踊りでは正に全ての生命力が失われながらロメオに身を任せるという、変幻自在の演技力を見せてくれました。パ・ドゥ・ドゥは二人とも全く危なげない踊りで、無茶したりハラハラさせるところがなく、ローティーンの恋というより熟年の愛、「失楽園」の世界が目の前に広がりました。安全運転しているようにも見えましたが、その無謬感を非常に高いレベルで完成させているのが素直に凄かったです。二人とも身体能力的なピークはもうとっくに過ぎているのでしょうが、全盛期に生舞台を見ることができたら、さぞ想像を絶する体験だったろうなあと。
 それにしても今日はオケがひどかった。金管がトチるのはいつものこととしても(いつもより多かったけど)、木管からヴァイオリンソロから、最後まで皆よれよれ。指揮者も見るからにオーラなし、やる気もほとんどゼロ。パッパーノが振るときはメンバー総入れ換えしてるのかと思うくらい、今までで一番ひどい出来のオケでした。君達は楽器の音の出し方を知っとるのか、本当にプロのミュージシャンなのかと、問いつめたい。ブダペストでもそうでしたが、劇場付きのオケは長く聴いているとダラけているほうが圧倒的に多いことに気付き、器楽派の私としてはしょっちゅうイライラさせられます。これも劇場の宿命なんでしょうかねえ…。


2012.01.13 Royal Festival Hall (London)
Alexander Vedernikov / London Philharmonic Orchestra
Danjulo Ishizaka (Vc-2)
1. Prokofiev: Lieutenant Kijé Suite
2. Prokofiev: Cello Concerto in E minor, Op.58
3. Prokofiev: Symphony No. 7 in C sharp minor

 調べてみたら、私はロンドンフィル、フィルハーモニア管、ロンドン響をちょうど1:2:3くらいの比率で聴いてるんですね。ということで、ロンドンフィルは聴きたい曲があるときだけチケット買ってます。このコンサートは、娘が以前LSOのファミリーコンサートに行った際に「キージェ中尉」をいたく気に入っていたのと(つくずく変わった子だ・・・)、石坂団十郎を一度聴いてみたかったので、勢いで買いました。
 指揮者のヴェデルニコフは初めて聴きますが、ボリショイ劇場の音楽監督を長く勤めていたという経歴の何だか良くない面が前に出ている感じの人で、速めのテンポでさっさと進んで行くにしては音楽は一向に盛り上がらず、火力不足で煮え切らない演奏に終始していました。オケの反応もイマイチで、「キージェ中尉」の1曲目途中で急にテンポを上げてみたら早速振り落とされてしまい、こりゃいかんと指揮者が早々に「お仕事モード」に入ってしまったのは、鶏と玉子のどちらが先か、という世界ですね。ところでうちにあるこの曲のCDはバリトン独唱付きのオリジナルバージョンなので、それを聴き慣れているとオケ用編曲で低弦やサックスのソロが歌に取って代わるのは、やっぱり違和感があります。これは歌曲だったんやなあ、ということがひしひしと再認識されました。
 2曲目のチェロ協奏曲は音源を持っておらず、全く初めて聴く曲でした。同時期に作曲していた「ロメオとジュリエット」のフレーズ流用がありましたが、それは些細なことで、全体的には難解な曲の部類でしょう。一回聴いたくらいではつかみ所がまるでわかりませんでした。純和風な名前ながらドイツ人ハーフの石坂団十郎は、黒ぶち眼鏡で前髪をきっちりと分け、レトロな雰囲気のハンサムボーイです。調子はちょっと悪かったのか、季節がら風邪をひいたかのようにかすれた高音が気になりました。多分上手いんだろうけど、曲がよくわからん曲だったこともあって、残念ながら心に残る「出会い」ではありませんでした。生真面目すぎるし、音に官能がありません。プロコフィエフよりも、次はバッハとかハイドンで聴いてみるべきかもと思いました。
 メインの交響曲第7番も、実演で聴くのは初めて。副題の「青春」は青少年に向けて書いた曲という意味であって、涙も汗もレッツビギンもありません。「古典交響曲」ほど徹底はしてないにしても全編擬古典的で、最後はやっぱりここに戻ってくるのね、という微笑ましさを感じる楽しい曲です。こちらは途中「シンデレラ」っぽい箇所が出てきます。プロコフィエフもけっこう素材の使い回しをやってるんですね。ヴェデルニコフさん、最後までオケから火事場の馬鹿力を引き出すことは出来ず、いつものそれなりのLPOでした。燃料不足を象徴するかのように、2種類あるエンディングのうち、当然のように静かに終わるほうを選択していました。最後まで聴き通すと、このクールさ、ローカロリーさが実はこの人の持ち味だったのかと納得。私の好みには合いませんが。


2012.01.10 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Antoine Tamestit (Va-2)
1. Thomas Adès: Dances from ‘Powder her Face’
2. Walton: Viola Concerto
3. Elgar: Symphony No. 1

 正月のROHに引き続き、パッパーノ。もちろんナイト付与が発表されてから最初のLSOの指揮台なので、パッパーノが登場するや会場は早速大歓声に包まれました。しかも今日は、最初からこの日のために仕組まれたかのようなオール英国プログラム。普段なら地味な選曲ですが、今日はバルコニーに人を入れてなかった分、ストールとサークルはほぼ席が埋まっていました。
 1曲目の「パウダー・ハー・フェイス」は一昨年、同じくLSOに作曲者自身の指揮で聴いていますが、怪しい雰囲気はあるものの前衛ではなくわりと聴きやすい曲です。パッパーノはオペラのときと同じく、楽章間でも聴衆の咳など気にせずさっさと次に進みます。アデスが指揮したときはリズムにメリハリを付けてもっとワルツらしい演奏だった気がしますが、パッパーノは大胆にテンポを揺らして世紀末的な猥雑さを強調していました(確かに、この曲は20世紀末の作曲です)。
 2曲目、ウォルトンのヴァイオリン協奏曲は何度か聴いていますが、ヴィオラ協奏曲は初めてです。中音域でつぶやくような導入から始まり、時折感情の高ぶりを見せながらもまたすぐに静まるというのを何度か繰り返す煮え切らない第1楽章、変拍子多用の複雑なリズムでたたみかけるように進行する第2楽章、ユーモラスなファゴットで開始し、美しくも物悲しいクライマックスを迎えた後は悲壮感を引きずったまま静かに終わる終楽章。英国らしいというか、節度を感じる理知的な曲でした。演奏の良し悪しは、うーん、ヴィオラは綺麗な音でよく響いていましたし、とは言え「俺が俺が」の自己主張があまりないのはやっぱりヴィオラ奏者の特質ですかね。
 さてメインはエルガーの交響曲第1番。ご当地モノの代表格です。実はこれもほとんど聴いたことがない曲ですが、Wikipediaによるとイギリスやアメリカでは人気の高い曲だそうです。日本だと、エルガーといえばやっぱり「威風堂々」とせいぜい「エニグマ変奏曲」で止まってしまいますもんねえ。まるで国歌斉唱みたいに壮大で格調高い序奏はいかにもエルガーという感じですが、続く短調の主題とその展開は、ブラームス的なドイツ交響曲の王道に則った、ちょっと「よそ行き」の顔に思えました。万人が口ずさめる大衆的な旋律だっていくらでも書けちゃうのに、あえて窮屈な主題を選び、それを無理矢理に展開して行ってるような。しかしその展開がつまらないなと思えてしまう箇所も多く、冗長に感じたのが正直なところです。1時間も引っ張る曲じゃないだろうと。比較的リラックスした雰囲気の中間2楽章が、むしろ好ましく思えました。
 それはともかく、パッパーノ大将の導く演奏は予想に反してオペラチックな演出ではなく、カンツォーネ的歌謡曲でもなく、形式張った曲想に波長を合わせた節度のあるものでした。とは言えクライマックスではオケを盛大に鳴らし、終始鋭いアクセントを叩き込んでいたティンパニを筆頭に、よくぞここまでというくらいの音量、音圧を引き出して、さすがに起伏を作るのは上手い人です。終演後の拍手が盛り上がったことと言ったら!イギリス人は自国のものにはけっこう冷淡という印象も持っているんですが、やっぱり皆さん、エルガーは大好きなんですねえ。
 パッパーノはLSOにも定期的に客演しており相性は良く、この人気ぶりを見ると、将来はこの人が首席指揮者の椅子に座っているのかもしれないなあと、ふと思いました。イタリア系とは言ってもイギリスで生まれ育ったイギリス人ですし、レパートリーも極めてインターナショナルですし、バーンスタインばりに盛り上がる音楽が作れるし、外に取られたくない逸材なんじゃないかと。あと今日は誰もが記憶にとどめたであろう大活躍だったのがティンパニのトーマスさん。同じくパンチの効いているティンパニスト、フィルハーモニアのスミス氏が極めて個性的な音と風貌で勝負するのに対し、トーマス氏は太鼓の皮をしっかりと鳴らし切る正統派の最右翼。最近は何だか吹っ切れたように叩きまくっていて前より全然面白いので、今後もウォッチしていきます。


2012.01.01 Royal Opera House (London)
Sir Antonio Pappano / Orchestra & Chorus of the Royal Opera House
Graham Vick (Director), Elaine Kidd (Revival Director)
Wolfgang Koch (Hans Sachs), Simon O'Neill (Walter von Stolzing)
Emma Bell (Eva), Peter Coleman-Wright (Sixtus Beckmesser)
Sir John Tomlinson (Veit Pogner), Heather Shipp (Magdalene)
Toby Spence (David), Colin Judson (Kunz Vogelgesang)
Nicholas Folwell (Konrad Nachtigall), Donald Maxwell (Fritz Kothner)
Jihoon Kim (Hermann Ortel), Martyn Hill (Balthazar Zorn)
Pablo Bemsch (Augustin Moser), Andrew Rees (Ulrich Eisslinger)
Jeremy White (Hans Foltz), Richard Wiegold (Hans Schwarz)
Robert Lloyd (Nightwatchman)
1. Wagner: Die Meistersinger Von Nürnberg

 今年は正月早々ロイヤルオペラです。あいにくの雨模様でしたが、ホリデーシーズンにつき普段より日本人の姿を多く見かけました。開幕前、新年の挨拶とともに、ナイト役テナーのサイモン・オニールがひどい風邪をひいてしまったが、ロンドンで手に入る限りの抗生物質を飲んで快方に向かっているので、今日は何とか歌いますというアナウンス。パッパーノがナイトの称号を付与されることが発表されてから最初の演奏会でもあり、指揮者登場の際はオケメンバーもぴしっと直立、会場は温かい拍手に包まれました。
 最近オペラではバルコニーボックス専門になっていましたが、今日は久々に右側ストールサークルの舞台寄りに座りました。が、これが失敗。100番以上の席番号には客を入れず、A列100〜111番は座席と床板が取っ払われて、眼下にティンパニ奏者が丸見えになってました。そのおかげでティンパニの音だけが突出してダイレクトに響いて来て、うるさいことこの上なし。天気のせいか、オケ全体も湿っぽくピットの底に溜まるような音で「あれっ」と拍子抜けしたのですが、輪をかけて全てをぶちこわしてくれる雑なティンパニには閉口するしかありませんでした。
 幕が開くとティンパニの出番はめっきり減るので一安心。第1幕、確かにオニールは声が出ていないと言うわけではないにせよ、声に張りがなく声量も負けています。エーヴァ役のベルは表情は硬いものの声はよく出ていました。ザックス役のコッホは声質が軽く、あまりカリスマがありませんがこちらもまずまず無難な出だし。しかし何と言っても、第1幕を引っ張っていたのはダーヴィド役のトビー・スペンスとエーヴァのお父ちゃんポグナー役のトムリンソン卿でした。オニールの調子が悪い分トビー君の演技力が際立ち、歌も見かけからは想像つかない野太いテナーで、立派な歌唱でした。トムリンソンは先日聴いた「青ひげ公」のときと同様、いちいち音程を手探りするような歌い方が好きになれませんが、よく響く低周波は非常に心地よく説得力のあるものでした。
 第2幕の夜の町は、お菓子の家のようなメルヘンチックな舞台です。こちらの耳が慣れてきたのか、あるいはパッパーノの熱のこもった指揮に湿気が飛んで重しが取れたのか、オケの音もずいぶん外に向かって出てくるようになってきました。ザックスの歌の比率がぐっと多くなり、コッホの調子も上がってきますが、あまり低音が利いてなくて身振り手振りが大きいのでザックスよりはフィガロというキャラクター。靴職人とはいえマイスターなんだから衣装をもうちょっと威厳のありそうなものにしてくれたら良かったのでは。これでは丁稚のダーヴィドよりもみすぼらしいです。ベックメッサーは普通に笑わしてくれましたが、トーマス・アレンのように小芝居の細かさがもっと欲しかったところ。最後のドタバタ騒動になるところでは、天井から人が落ちてきそうになる演出が意表をついてて面白かったです。
 第3幕、ザックスの苦悩の場面ですが、本や椅子を投げつけるなど相変わらず感情の起伏が激しいザックス。皆の尊敬を集めるマイスターの重鎮として常に沈着冷静、怒りも苦悩も内に秘めたるのを上手く表現するのがこの役の難しさだと思うので、こういうザックス像は、私はちょっと買えません。オニールの調子は下がる一方で、歌合戦で騎士ヴァルターが渾身の名曲を歌う場面では、破綻だけを避けるべく非常に思い切りの悪い歌になっていました。あのコンディションなら致し方なしですが、本来なら一番の聴かせどころのはずなので、本人にも聴衆にも残念ではありました。
 とその時、足にふと冷たいものを感じたと思ったら、突如目の前に雨のような水滴がポタポタと落ちてきました。上の見ると、天井から雨漏りのように水が垂れており、ちょうど私の右足あたりを直撃します。足の位置を変え、ひざはハンカチで防御して事なきを得ましたが、そんなこんなで気を散らされたおかげで最後のザックスの歌をほとんど聴き損ねてしまいました、ちくしょー。水漏れは幕が閉まるころには収まっていたので一過性のもので、ここに水道管が通っているとは思えず、また、外が大雨になったとしてもこんなところまで水が流れてくるのも考えにくいので、多分上階のボックス席でペットボトルの水を気付かず丸々ここぼしたか何かでしょう。迷惑な話ですが、オペラハウスもやっぱり建物の作りは「英国クオリティ」なんですねえ。
 ラストはせっかく盛大な合唱が入って誰がやっても盛り上がるのだから、音楽が切れると同時に照明を落とし、その後さっと幕を締めたほうが良かったのでは(前にブダペストで見たときはそうでした)。コーダの最中でじわじわと幕を締めるものだから中途半端に拍手が始まり、この長丁場の熱演に報いるには結果的にお寒い拍手となってしまいました。これは演出が悪いです。何だか文句ばかりを書きましたが、休憩を入れて6時間に及ぶ長時間を、私としては奇跡的に一切居眠りせず聴き通せました。やはりこのオペラの音楽とコンセプトが放つ磁力は抗し難いものがあり、正月早々家族揃ってたいへん楽しめた公演でした。


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