放送を語る会

衆議院総務委員各位
参議院総務委員各位

       放送法改正案を廃案にするよう要請します
                    2010年11月21日
                             放送を語る会

 当会は、視聴者市民、メディア研究者、ジャーナリスト、放送労働者が、放送メディアの問題について考え、学習し、発信することを目指して活動している市民団体です。
 先の通常国会で放送法改正案が審議された際、当会は、「今国会での審議・採決を急がず、議論を尽すよう要請します」と題したアピールを衆参の総務委員の方々にお送りしました。(2010年5月17日付)通常国会では廃案となりましたが、その改正案が、基本的な内容はそのままで、今次国会にふたたび提案されています。
 放送法は、視聴者の知る権利や、放送における言論、表現の自由に深くかかわる重要な法律です。今回のような放送法成立以来の重大な改正については、視聴者市民にもわかりやすく内容を明らかにし、広く意見を聴くべきと考えますが、その手続きが充分にとられないまま、密室の修正協議で採決が急がれている現状は憂慮せざるをえません。
 また、今春、改正案が提示されたとき、当会が抱いた幾つかの懸念は、依然として解消されず残ったままです。今回の改正案は廃案にして、根本から放送のあり方、放送行政のあり方を見直すことを、以下の理由から再度つよく求めます。

 第一に、改正案の核心のひとつが、「ハードとソフトの分離」であることは明らかですが、この大改革が、放送の公共的な役割にどのような影響を及ぼすかについてはまったく検討も説明もされていません。
 改正案では、地上波の放送でも、伝送・送信設備など「ハード」だけを運用する放送事業者と、番組制作など「ソフト」の事業を担う放送事業者が、それぞれ別に存在しうることになります。
 総務省の資料では、放送事業者が共同でハード会社を作り、ハードにかかる経費を節約でき、通信ビジネスも展開可能になるといったメリットが説明されていますが、同時に大手企業がこの分野に参入する道も開かれます。こうしたハードのより商業主義的な利用が放送の公共的な役割にとってマイナスにならないか、といった重大な問題は、国会審議をみるかぎり充分に検討されてはいません。

 第二に、改正案では、放送に対する行政の規制、介入が拡大するのではないかという心配があります。以下の点はその懸念の一例です。
 
 1)
まず、放送の定義が、「公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信をいう」と改められます。現行法では「無線通信の送信」ですが、改正案では、有線の放送が含まれることから、広く「電気通信の送信」とされることになります。
 近年、インターネット放送局や動画サイト、個人のブログでの発信などが飛躍的に発達、拡大しており、これらが、「電気通信」であり、「公衆によって直接受信されることを目的とする」、という側面をもつことは明らかです。将来、改正放送法の定義が根拠とされて、これら放送類似の発信行為が規制されることにならないか、という懸念が拭えません。
 もし、定義を変えるなら、条文上もインターネットを対象にしないことを明確にすべきです。

 2)ハードとソフトの分離によって、ハード側については電波法による「免許」、ソフト側については、総務大臣が「認定」する制度となります。
 施設の「免許」ではなく、番組制作など、放送業務(ソフト業務)を対象にした総務大臣の「認定」制度の拡大は、行政による放送内容への介入を可能にする温床となって、放送における表現の自由と、放送事業者の自主・自律を規制しないかが懸念されます。

 3)改正案の第174条に、「総務大臣は、放送事業者がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したとき」三ヶ月以内の業務停止命令ができる、という規定があります。これは、ハード、ソフト一致の地上放送事業者を除く放送事業者を広く対象にした業務停止命令の条項であり、しかも停止命令が「この法律(=放送法)に違反したとき」とされています。
 放送法には、政治的に公平であること、報道は事実をまげないですること、などを求める第三条の二の条文があり、これに違反したかどうかも、停止命令の要件にされる可能性があります。近年、この放送番組編集準則違反を理由に行政の介入が繰り返されてきたことから言っても、この「停止命令」の条項は、放送内容への行政の介入の根拠とされる恐れがあり、見直すべきです。

 第三に、新放送法案は、ハード・ソフト分離にみられるように、放送に対する企業の参入を視野に、ビジネスチャンスを拡大する、いわば産業振興の立場から提案されています。
 さらに、本改正案では、マスメディア集中排除原則も影響を受けます。民放が他県の民放へ出資する場合の上限が20%未満から3分の1へ緩和されますが、放送の多元性、多様性を確保する上で、大きな問題をはらむ改正です。
 もし放送法成立以来の大改正であるなら、このような企業の立場からだけの改正ではなく、現代の言論、表現の自由の状況を踏まえて、放送における市民の権利をどう拡大するか、放送における民主主義の保障をどう実効あるものにするかの「改正」であるべきです。しかし、そのような視点はほとんどありません。
 民主党がかつて政策とした、放送行政を政府から切り離し、独立行政委員会にゆだねる、という積極的な方向も、すっかり姿を消してしまいました。
 また、近年、地域市民によるコミュニティ放送の発展があり、また、既成放送メディアに市民の発信の場を確保するパブリックアクセスの要求も高まっています。NHK、民放とはちがうこうした第三の潮流に対し、その権利を拡大し、支援する、という現代的な課題も意識されていません。
 これまで、総務大臣主催の「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」が連続して開催され、市民の立場から提言や要求が出されてきていますが、その論議の成果を待たずに、この放送法改正案の成立が図られることは大問題です。

 以上のように、今回の放送法改正案は、放送が視聴者にとってどうあるべきかという理念を欠く、問題の多い法案です。
 今後の放送・通信法制のあり方については、広く視聴者市民や、専門研究者の意見を時間をかけて聴くことを求めるとともに、今国会では放送法改正案を廃案とし、採決しないよう重ねて要求するものです。

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