放送を語る会

放送を語る会20周年のつどい 第1部資料   2009年9月26日

(*事務局注 当日第一部永田・長井氏の証言聞き取りの際の参考資料として配布したものです)

NHK番組改変事件の経緯・証言と資料

はじめに
 NHK「放送倫理検証委員会の意見についての見解」(09年6月4日)

「この番組は、NHKが自律した立場で自らの編集判断に基いて制作したもので、政治的圧力を受けて内容を改変したり、国会議員等の意図を忖度して内容を改変したりした事実はないことを改めて確認させていただきます。」

※2009年4月28日 BPO(放送倫理・番組向上機構)放送倫理検証委員会決定

「NHK教育テレビ『ETV2001 シリーズ 戦争をどう裁くか』第2回「問われる戦時性暴力」に関する意見」 (放送は2001年1月30日)
 東京高裁判決(07年1月29日)

「松尾と野島が相手方(国会議員等)の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、その結果、そのような形にすべく本件番組について直接指示、修正を繰り返して改編が行なわれたものと認められる」「NHK幹部の行為は編集権の濫用であり、憲法で認められた編集の自由を自ら放棄するに等しい」

※論点(1) NHKの公式見解は現在まで変わっていない。いまこの見解をどう見るか



番組の制作経過

1、企画過程 (2000年8月~11月)

 8月初旬 NHKエンタープライズ21(以下NEPという)の林勝彦プロデューサー、同年12月に東京で民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(以下「女性法廷」という)が開催されることを知り、番組で取り上げることを企図、企画書の作成を、制作会社ドキュメンタリ・ージャパン(以下DJ)の坂上香ディレクターに依頼。

 9月   DJ作成の企画書が、NEPを通じNHK教養番組部永田浩三チーフプロデューサー、長井暁(さとる)デスクに提出される。

 10月24日 DJ坂上氏らが、女性法廷の主催団体、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネットジャパン)に番組趣旨を説明。バウネットは取材を受けることを承諾。当該番組は、NEPが委託を受け、DJに再委託することが前提とされていた。(企画採択後に正式に委託されている)

11月21日 番組制作局の部長会で、番組企画が正式に採択。
 教養番組部は、女性法廷の企画と並行して進んでいた「人道に対する罪」を問う番組企画を合体させ、「ETV2001・戦争をどう裁くか」という4夜連続の番組として企画を提出した。女性法廷を扱うのは第2夜の「問われる戦時性暴力」と位置づけられた。

資料1、「ETV2001」シリーズ「戦争をどう裁くか」企画  (2000年11月21日採択)

 「20世紀に起きた戦争や民族紛争の中で行われたさまざまな犯罪を検証し、和解を目指す取り組みが世界的な規模で進められている。それは、ナチスドイツによるホロコースト、南アフリカのアパルトヘイト、ユーゴスラビアによる民族浄化などの過程で起きた悲劇を、「人道に対する罪」という国際法の枠組みの中で検証し、真相の解明、公的な謝罪と補償を促すことで、和解を実現しようとするものである。

 こうした流れは、第二次世界大戦における自国の戦争犯罪の真相の解明、謝罪、補償などを十分に行ってこなかった日本にも波及しようとしている。今年の12月には従軍慰安婦問題を中心に、日本軍による戦時下性暴力に検証する「女性国際戦犯法廷」が東京で開かれる。シリーズでは、世界的な規模で進められている和解への取り組みの実情と、東京で行われている国際法廷の模様を軸に、21世紀に同じ過ちを繰り返さないために、20世紀をどのように成算すればよいのかを探っていく。
 第1回(1/29)「問われる戦争犯罪」(略)
 第2回(1/30)「問われる戦時性暴力」
 今年12月、日本では、第二次大戦中の日本軍による性暴力の実情を明らかにし、その責任を問う国際法廷が、日本とアジア諸国のNGOと、国際諮問委員会によって開かれる。法廷は各国の法律家によって作成された「法廷憲章」に基づいて、被害にあった各国の法律家10名からなる検事団が起訴状を書き、南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アジア、アフリカを代表する5名の裁判官によって、日本政府や軍の高官に対し審判を下す。
 法廷ではアジア各国の元従軍慰安婦など50名の被害者が証言することになっている。この法廷はあくまでも民間法廷であり法的拘束力は持たないが、そのことがかえって思想的な意味での正当性と普遍性をもたらし、かつてベトナムにおけるアメリカ軍の犯罪を裁いたラッセル法廷のように、国際世論に大きな影響を与えるものになると考えられている。この国際法廷を東京裁判以来の歴史の中に位置付け、戦時性暴力を裁くことの難しさを明らかにするとともに、日本とアジア諸国の被害者が、どのようなプロセスで和解を目指すべきなのかを考える。
 第3回(2/1)「いまも続く戦時性暴力」(略)
 第4回(2/2)「人類の和解のために」 (略)

※論点(2) この番組企画について、振り返ってみてどう評価できるか

2、女性法廷取材から幹部の介入前まで 2000年12月~01年1月26日】

 12月8~12日 女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷)開催(九段会館)DJ、法廷撮影、取材。第2夜の担当は甲斐亜咲子ディレクター

 12月27日 第2夜のスタジオ収録。出演者は東大助教授高橋哲哉氏、カリフォルニア大学準教授米山リサ氏。司会町永俊雄アナウンサー

2001年
 1月19日 教養番組部の吉岡民夫部長立会いで、番組の編集テープ試写。吉岡部長この内容を激しく批判、DJと教養番組部永田プロデューサー、長井デスクは再編集の作業に入る。

 1月24日 第2回の吉岡部長の試写。吉岡部長はなお内容を変えるよう指示、この時点でDJはこの番組の編集方針が変わったと判断し、編集から離脱を表明。このころ右翼のNHKへの抗議活動が激しさを増す。現場はこの日の試写版が、1月19日の吉岡部長試写以降では企画意図をもっともよく実現していた、と評価。

※論点(3) 委託された制作会社が番組制作から離脱した、という事態をどう見るか。なぜそのようなことが起こったのか。政治の圧力と関係があったのか。

3、幹部の介入・改変命令 2001年1月26日~29日、
1月中旬から下旬、右翼や、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の政治家からの圧力が強まった。

資料2 NHK「編集過程を含む事実関係の詳細」(05年7月20日 以下「説明文書」という)「・・・同月25日から26日ころ、NHK総合企画室の担当者が古屋圭司議員など、自民党総務部会所属の複数の議員を訪れた際に、「『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』所属の議員らが昨年12月に行われた『女性国際戦犯法廷』を話題にしている」「予算説明に行った際にはかならず話題にされるだろうから、きちんと説明できるように用意しておいたほうが良い」といった趣旨の示唆を与えられた。」

 1月25~26日 この頃。伊東番組制作局長は、永田プロデューサーに対し、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編の書籍「歴史教科書への疑問」の末尾にある議員リストを示し「言ってきているのはこの人たちよ」と言ったと永田氏は証言伊東氏は、書籍を見せたことは認めたが、発言については否定。また見せたのは放送後だった、と当初の陳述内容を変更した。

※論点(4) 「歴史教科書への疑問」提示に関する伊東局長の陳述をどうみるか

 1月26日 松尾武放送総局長 伊東律子番組制作局長 国会担当の総合企画室野島直樹担当局長の異例の試写が行なわれる。伊東局長から女性法廷に批判的な人物を入れるよう指示。の異例の試写が行なわれる。
 伊東局長から女性法廷に批判的な人物を入れるよう指示。

 1月28日 高橋助教授と町永敏雄アナウンサーのスタジオ部分の撮りなおしが行なわれる。同日深夜、再編集による44分版の編集が完成。吉岡部長が了承。

 1月29日 午後、松尾総局長と野島国会担当局長が、安倍晋三官房副長官を訪ねて番組について説明した。
 この日、自民党中川昭一議員とも会ったと報道されたが、中川氏は会ったのは放送後だったと主張した。帰局した二人と、伊東番組制作局長、吉岡部長、永田プロデューサー、長井デスクで夕方から試写が行なわれた。
 長井デスクが試写の行なわれる番組制作局長室に入ったとき、伊東局長は「この時期、政治とは戦えないのよ」と長井氏に言った。(東京高裁長井証言) 伊東氏は、この発言は番組について言ったのではなく、一般的にNHKは予算時期は大変、という趣旨だったと陳述書で述べている。

※論点(5)「この時期政治とは戦えない」という発言をどうみるか

資料3  NHK「編集過程を含む事実関係の詳細」より
 29日午後4時ころ、野島および松岡が松尾を伴い安倍議員のもとを訪れ、予算説明を行なった。(中略)その後松尾が安倍議員に対して、一部で噂されているように本件番組が女性法廷を4夜連続で取り上げるものではないこと等についての説明を行った。安倍議員は慰安婦問題の難しさや歴史認識問題と外交の関係など持論を語った上で、こうした問題をNHKが扱うのであれば公平公正な番組であるべきだとの意見を述べた。

資料4、 中川昭一議員へのインタビューの内容 (朝日新聞05年7月25日)一部省略あり)
 記者「1月29日に、野島、松尾氏に会ったのか。」
 中川「会った、会った。議員会館で」
 記者「何と言ったのか」
 中川「番組が変更していると言った。何をやろうと勝手だが、偏向した内容を    公共放送のNHKが流すのは放送法上の公正の面から言っておかしい。それでだめだと」
 記者「放送中止を求めたのか」

  中川「まあそりゃそうだ」
  記者「NHKの予算は通さないと言ったのか」
  中川「予算の時期だと言った。自民党の部会でもこんなNHKの予算は通すべきではないと堂々と言っている」  

 試写後、野島担当局長は「これではぜんぜんだめだ」と発言。幹部による検討のあと、野島担当局長が永田プロデューサーに大幅な改編、削除等を直接指示した。その結果番組は43分と通常より1分短くなった。

資料5 NHK「編集過程を含む事実関係の詳細」より

同日、松尾、伊東、野島、吉岡、永田、長井(番組デスク)らが立ち会って、44分になった番組試写を行った。検討の結果①日本国及び天皇に責任があったとする女性法廷の判決内容を削除、②町永アナ、高橋助教授、米山準教授らの発言のうち、女性法廷をラッセル法廷と同等の存在のように評価する部分を削除、③海外メディアの反応のうち判決内容や日本政府の責任にふれているものを削除、④ナレーションのうち、日本政府の関与を断定的に述べている部分等を客観的な表現に変更、⑤マクドナルド裁判長のインタビューを追加、などの変更が決められた。
 これらの変更個所を、番組制作局長室前で待機していた永田に対して、野島が伝えた。永田はこれでは番組が短くなってしまうと野島に告げると、野島は秦教授のインタビューを足せばよい、と述べた。

長くなった秦郁彦教授のコメントの骨子

① 問題はBC級裁判ですでに裁かれている
②(慰安婦)本人だけの証言で、裏付ける証人がいない
③弁護人がいない ④慰安婦については当時売春は合法的だった
⑤自分が調べた例でいえばこれは商行為である。

資料6 東京高裁での永田証言(2006年3月22日) ~29日の改変命令のポイント~
 「一つめは、慰安婦、慰安所のワーディングを含めて、存在をできるだけ薄くすること。二つ目は、戦後の日本政府の対応についてできる限り取り除くこと。それから、女性国際戦犯法廷を肯定的に評価しているゲストの証言や我々のコメントについて、できるだけ取り除くこと。四つ目は、日本政府及び天皇の責任について認定しているくだりと、それの根拠に当たる国際法の専門家の証言について取り除くこと。大きく言えばその四点だったと思います。」

資料7 東京高裁での長井証言(2005年12月21日) ~29日の改変命令のポイント~「その内容は、私の意見ですが、一つは慰安婦の存在を消す、もう一つは慰安所制度に対する日本軍及び日本政府の組織的な関与を消す。法廷が日本政府及び昭和天皇の責任を認定したという判決部分を消す、あと戦後の日本政府の関与や責任、対応の部分を消すというようなことだったんではないかと思っております。」

資料8 編集過程でのナレーション原稿の変化の一例女性法廷で証言した人びとについてのナレーション

当初の内容
 「今回の試みでは、日本軍による「慰安所」制度や性暴力が問われました。『慰安所』は日本軍が占領した多くの地域に設置され、女性たちがいわゆる「慰安婦」として、被害を受けたとされています」

書き変え後の内容、
 「戦争中女性たちが「慰安婦」にされた経緯は、様々だったと言われています。強圧的に連れ出され、慰安所に監禁された人の他、自発的な応募者、あるいは親が現金などを受け取り、引き渡した例などもありました。しかし、証言台に立った女性たちは、自らの意思に反して性的被害を受けたと主張する人達ばかりです。」

歴史家の吉見義明中央大学教授が紹介した資料についてのナレーション

当初の内容
 今回の民間法廷では、歴史の専門家が呼ばれ、「慰安所」制度への軍の関与を示す文書が提出されました」

書き変え後の内容、
 「これは民間の手で『慰安婦』を集める時のトラブルを無くすことを目的に、軍が関与したことを示す資料です。」

資料9 BPO放送倫理検証委員会の質問に対するNHKの回答(09年3月)より「国会担当の担当局長がチーフプロデューサーに変更を指示したということについてですが、この指示とは、担当局長が試写の後の放送総局長、番組制作局長、教養番組部長の話し合いの結果を伝えたもので、問題はなかったと考えています。その後の編集作業は、教養番組部長のもとで行なわれました。」

※論点(6) 野島氏の改変指示の内容の本質、性格をどうみるか

※論点(7) なぜ番組制作セクションの責任者ではない野島氏が現場プロデューサーに改変指示するような事態が起こったのか。改変経過における国会担当幹部の果たした役割をどうみるか

4、幹部の介入・改変命令 放送当日(2001年1月30日)

 1月30日  修正された43分版の完成のためのスタジオ作業が夕方まで行なわれた。
 一方、同日午後、伊東番組制作局長が会長室から呼ばれ、海老沢勝二会長と話し合った。その後、伊東番組制作局長は放送総局長と台本を検討、スタジオにいた吉岡部長を呼んで、さらに3分間の削除を命じた。このとき伊東局長は「自民党は甘くなかったわよ」と発言した。永田プロデューサーは、急きょスタジオから放送総局長室を訪れ、「やっていいことと悪いことがある、これではNHKが深手を負う」など激しく抗議したが容れられなかった。 
 22時、通常より4分短い40分という異例の内容時間でこの番組が放送された。

資料10 放送直前に削除された内容 概要

 ①(中国山西省で抗日運動に参加し、繰り返し強姦、拷問を受けた万愛花(ワン・アイホア)さんの証言「・・・日本人はひどいことをしたんです。謝ってほしい」「放して。私の五十年を返して!」(万さんは証言中倒れ、担架で運ばれる)


     東チモールで日本兵に連行され慰安婦にさせられたエスメラルダ・ボエさんほかの証言。「日中は農場で、夜は慰安所で働かされた。一日中動物のようにこき使われた。日本人兵士は次々に私たちを強姦した。行かなければ両親を殺すと脅された。」
 
 ③日本軍兵士の証言
「一個大隊が駐屯するところには、必ず2軒以上の慰安所があり、それは皆朝鮮の人たちでした。日本軍の軍医が、週に一回、かならず身体検査をやっておりました。それは性病の検査でした。」
「戦場では強姦は付き物でした。絶対抵抗できない人たちを勝手にむやみに強姦をして、しかも、逆らえば殺したというのが、これが実情であったと思います。
 この問題を抜きにしたら、戦争の本質は出てこない。戦争の実態を残さなければならないと思い、恥を忍んで証言しました」

資料11、NHK「編集過程を含む事実関係の詳細」より

 30日午前中から吉岡、永田、長井らはナレーション、音入れ作業などを開始した。

 同日4時ころ(中略)伊東に会長室から電話が入り(中略)、伊東は会長室を訪ねた。伊東は会長に対し(中略)議論が分かれる難しいテーマなので慎重にやっていることを伝えた。これに対し会長からはとくに指示はなかった。(中略)
 伊東は吉岡から聞いていた懸念事項などをふまえて考えてみると、本当に昨日の編集で問題がなくなったのか再度気にかかり、伊東と松尾はもう一度番組を確認しておこうと考え、台本を読み合わせた。伊東と松尾は、伊東が従前より気になっていた元日本兵の証言シーンについて、再度考え直した結果、やはり元日本兵の証言について独自の調査をしていないのであれば、削除しておいた方が安全なのではないかと思い直すに至った。また、元慰安婦とされる女性の証言シーンについても、証言者が泣いたり、失神したりする部分については印象が強すぎるのではないかと考えるに至った。
 
 松尾と伊東で話し合った結果、この修正を吉岡に相談しようと決め、吉岡に総局長室に来るよう内線で連絡をした。(中略)
 吉岡は今から削除するのは時間的に難しいと一旦は難色を示したが、松尾および伊東の強い要望を受け、最終的にはこれを了承した。
 吉岡が永田に対してこれらのシーンを削除する旨を告げると、永田自身も吉岡同様この段階からの編集に疑問を感じたため、松尾と伊東のもとを訪れ、残してはどうかとの意見を述べたが、松尾から「今回はこれでいきたい」「従軍慰安婦を扱う番組はこれで終わりではない」「今度はしっかりとした取材に基づいて番組を作ればよい」などと言われ、最終的に永田も納得した。(中略)この段階で本件番組は約40分となった。」

※論点(8) NHKの説明文書は放送当日の削除の状況を正確に伝えているか。 放送直前の3分の削除が意味するものは何か

資料12 東京高裁での永田証言(2006年3月22日) ~放送当日の削除にたいする抗議~
 「慰安婦の証言を切ったり、加害兵士の証言を切ることは、番組制作者の基本にかかわる作業だということで、私は激しく抗議しました。」「私はとにかくこの期に及んでこういうものを削除するということはあり得ないし、慰安婦の方の証言だけは何とか残してもらえないかということで申しました。松尾さんは、放送の責任を取るのは自分だと、自分が納得する形で放送させてほしいというふうに言われました。私は、ここでそういう形で放送すれば、NHKが深手を負いかねませんし、何とか考え直してもらえませんかというふうに申しました。」

永田氏の東京高裁での証言 続き

「放送に携わる人間を律しているルールというのは幾つかあるんですけれども、もし2つ挙げるとすれば、真実を希求する不断の努力ということ。(中略)もう1つ、やはり声を挙げられない人のことを我々は大事にして、放送という形でそれを紹介していくと、立場の弱い人のために放送はあるんだというふうにずっと信じてきましたので、彼らが言っていることが信憑性がないという判断でしたけれども、それを(カットを命じた人が)ご本人の前で本当に今でも言えるのか、ということをむしろ、申し上げたい。やはり、弱い人の立場にたってやる仕事というのを、根本的に毀損する判断だったんじゃないでしょうか」

資料13 東京高裁での長井証言(2005年12月21日) ~放送当日の行動について~
 「私は、永田さんを送り出した後、組合の放送系列の委員長に電話をしました。私は当時まだ組合員でしたので、組合の放送系列の委員長に電話をし、こういう事態になっていると、何とか松尾総局長に組合からも働きかけてほしいというふうに要請しました。」
 「しばらくして、ちょっと系列の委員長が中央にもいろいろ話に行ってくれたみたいですが、とにかくそれまで全く情報をもらっていなかったので、今すぐ動くことは難しいという回答がございました。」

 「・・作業を拒否して放送を中止するという方法も確かにあったと思います。だけれども、そういう判断は、当時、私の下に3人新たにディレクターが入っていましたので、デスクがそれを要請すれば、担当ディレクターたちも音響効果の人たちも全員作業は拒否したと思いますけれども、技術の人たちもですね。まあ、恐らくそれは私だけじゃなくて、彼らもやっぱり処分の対象になるだろう、というふうに考えました。

※論点(9) NHKは、編集の結果として、番組の企画意図の変更はなく、取材対象者への説明は必ずしも必要ではなかったとしている。この態度は正しいか。

資料14 BPO放送倫理検証委員会の質問に対するNHKの回答(09年3月)より「番組は一般的に、放送の直前まで編集作業が続けられ、放送する内容が取材時点の見通しとある程度異なるものになることがあるのは、一般的に理解されていると考えています。
 こうしたことを踏まえて、新放送ガイドラインでも「番組のねらい」、つまり番組の趣旨や大きな枠組みが変更される場合に限って、取材相手に充分に説明することをルールとしているのです。(中略)

 NHKは、最高裁判決も踏まえ、「番組のねらい」に変更はなかった、と考えています。従いまして、新放送ガイドライン(あるいは当時の放送ガイドライン)に照らして問題はなかったと考えています。」

5、放送後の動き  (2001年2月~)

 01年2月9日  自民党総務部会 海老沢会長が、自民議員からこの番組で批判を浴びる

 〃 7月24日 バウネットがNHK、NEP、DJを相手どり東京地裁に提訴

 02年1月~ 「放送レポート」(メディア総合研究所)174号175号「歪められた『改編』の真実」坂上香 

 04年3月24日 東京地裁判決 DJのみに損害賠償責任を認め、NHK、NEPに対する請求を棄却。

 05年1月12日 朝日新聞が、安倍晋三、中川昭一氏らが、放送前にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していた、と報道

 〃 1月13日 当時のデスクだった長井暁氏が、記者会見で内部告発

 06年3月30日 参議院総務委員会。自民党の山本順三議員。永田氏の名前をあげ、東京高裁での証言がNHKの公式発表と違うことを理由に、事実上人事処分を要求。NHK会長「人事上の扱いは適切に対処したい」と答弁。(永田氏の証言は「安倍官房副長官には呼ばれたのではなく、こちらからから説明に行ったことにしよう」という「口裏あわせ」の会議があったと教養番組部長から聞いた、というもの)

 〃  6月5日 定期の人事異動 永田氏:衛星放送局ハイビジョン編集長からライツアーカイブスセンター、エグゼクティブディレクターへ。長井氏は番組制作局教育番組センターチーフプロデューサーから放送文化研究所主任研究員へ

 07年1月29日 東京高裁判決。原告勝訴。「政治家の意図を忖度して改編」などの判断示す

 08年6月12日 最高裁判決。原告敗訴。政治家の圧力などの事実については判断せず。

 〃  9月8日  NHK内部有志とOBが、放送企業の第三者機関BPO(放送倫理番組向上機構)放送倫理検証委員会にこの事件の検証を要請。

 〃 10月4日「NHK番組改変事件は終わらない」と題した第19回「放送を語る集い」で放送を語る会が、市民によるBPOへの申し入れを提案。10月9日申し入れ実行

参考資料

○「消された裁き」(VAWW-NETジャパン編 凱風社20051010
○「番組はなぜ改ざんされたか」(メキキネット編 一葉社2006130
○「編集過程を含む事実関係の詳細」(NHK 2005720 NHKホームページに掲載中)
「NHK教育テレビ『ETV2001 シリーズ 戦争をどう裁くか』第2回「問われる戦時性暴力」に関する意見」(BPO放送倫理検証委員会 2009・4・28 BPOホームページ掲載中)


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