放送を語る会

NHK「ETV2001事件」裁判証言者に対する人事異動についての見解

2006年6月11日
放送を語る会

 NHKは、5月26日に行った管理職の定期異動人事の内示で、「ETV2001事件」裁判で証言した永田浩三氏と長井暁氏を配置転換すると発表し、6月5日、正式にこの人事を発令しました。
 この結果、永田氏は、衛星放送局統括担当部長(ハイビジョン放送編集長)から、新しく出来た「ライツ・アーカイブスセンター」エグゼクティブ・ディレクターへ、長井氏は番組制作局教育番組センター、チーフプロデューサーから放送文化研究所主任研究員へ、それぞれ異動することになりました。

いずれも番組制作現場から、事務・管理・研究部門への異動ということになります。
 当会では、この人事について、各方面からの情報を収集してきましたが、これが客観的にみて、通常の人事異動の外見のもとに行われた懲罰的色彩をもつ人事であり、明らかに報復的な配置転換であるとの認識に立つに至りました。
 「公共放送」を標榜するわが国最大の放送企業NHKで、このような人権侵害の疑いが強い人事異動が行われたことは、NHKの自主・自律が改めて問われると同時に、広く国民の市民的権利の問題としても見過ごすことのできない事態だと考えます。

自民党の「処分要求」質疑

 本年330日、参議院総務委員会でNHK事業計画及び予算の審議が行われましたが、その際、番組「ETV2001」への政治介入の事実が争われている「NHK裁判」に関し、自民党山本順三議員とNHKとの間でつぎのような質疑応答がありました。
 山本議員は、この「NHK裁判」で、永田浩三NHKチーフプロデューサー(当時)が、NHKの公式見解と違うことを伝聞によって証言したのは由々しいことだ、と指摘、「どのようなケジメをつけるのか」とNHKにせまりました。
 このあとの質問で「ETV2001」問題を取材した朝日新聞の記者が現場から外された例をあげていることから、山本議員の発言が永田氏の処分を求めていることは明白でした。

これに対し、橋本会長は、「永田証言は根拠がなく遺憾」と応じた上で、処分要求には「この職員についての人事上の扱いについては適切に対処したい」と答えています。
 この会長の答弁は、事実上何らかの処分を行う、と約束したに等しいものではないか、と憂慮した当会では、直ちにNHK宛に、永田・長井氏らに不利益な取り扱いをしないよう要望する文書を送りました。しかし、その懸念が残念ながら適中する結果となりました。

異動は「適材適所」か

 NHKは、今回の異動が「適材適所」の判断に基づくものだと説明しています。
 NHK内部では、放送現場から事務・管理・研究部門への異動は、決して異例でも不自然なことでもありません。また、今回の異動は職階級上の降格を伴うものではなく、手続き的に瑕疵(かし)があるというものでもありません。したがって、形式的には問題ない、という外見をとっています。
 しかし、当事者の経歴、実績、職種に対する希望、職場での評価、といった、当事者にかかわる個別具体的な事実の流れの中で、形式的には「適法」な人事異動が懲罰的な意味を持つことは充分ありうることです。

いうまでもなく、不当配転という場合、配転先の職場、今回のアーカイブスセンターや、放送文化研究所の業務を、制作現場の業務より低くみる、というものではありません。あくまで当事者にとってどうか、という問題として捉える必要があります。
 永田氏や長井氏に近い信頼すべき筋からの情報では、二人とも番組制作現場から外れたいという意向はまったくなかったとのことです。 とくに、永田氏は、異動まで、NHKのハイビジョン番組の取りまとめ役を担当し、数々のハイビジョンの意欲的な番組をコーディネートして、世に送り出しています。
 その永田氏が、番組資料の事務的な処理をする部門に配転され、経営管理職である担当部長から専門職に身分を変更されました。内示の段階では、永田氏の仕事の内容も明確ではなく、専用の机もなかった、との情報もあります。

 長井氏の場合も、番組制作のプロデューサーである氏が、放送文化研究所の研究職に異動する必然性は疑わしいと受け止められています。 現場のディレクターやプロデューサーが、研究職への異動を希望することは皆無ではありません。その方が自分の適性に合っていると考える職員もいます。放送研究のような専門的な業務は、そのような本人の意欲によって行われるのが普通で、長井氏のように本人も希望しない研究職への異動は普通ではありません。
 1981年の「NC9」ロッキード事件特集では、放送中止を命じた報道局長に、政治部、社会部の現場は激しく抵抗しました。その年の夏の異動で、大規模な報復人事が行われ、先頭に立った政治部のデスクが放送文化研究所に配転になりました。今回の人事も、この報復人事の歴史を想起させるものです。

自民党議員の処分要求があり、それに応じるかのような会長の答弁の内容、そして異動の具体的な実態を見るとき、今回の人事が懲罰的、報復的な性格のものであったことはほぼまちがいないと考えられます。

法廷での証言への報復 市民的権利の侵害

今回の懲戒的な人事には次の三つの重大な問題点があります。
 第一に、この人事が行われた理由が、経緯からみると、「ETV2001事件」の裁判での証言や、この番組への政治的圧力に関する内部告発である以外には考えられないという点です。
 永田氏や長井氏は、番組「ETV2001・問われる戦時性暴力」に、自民党の政治家からの圧力を示唆する上司の声を聞いた、と、自らの記憶に基づいて証言しました。 この証言は「政治的圧力はなかった」というNHKの公式見解とは対立し、さきの国会質疑で、会長は「永田証言は根拠がない。人事上適切に対処する」と答弁しました。

 法廷での証言は、良心に従って真実を述べる、という宣誓によって始まります。もし証言者の属する企業が、証言内容を理由に本人に不利益な取り扱いをするようなことがあれば、証言者の内心の自由、良心の自由は侵害され、重大な人権侵害となります。そればかりか、真実を追求する裁判の進行を妨害する結果を招きます。
 NHKが、「思想および良心の自由は、これを侵してはならない」という憲法第19条に違反し、ほかならぬ「公共放送」が人権を侵害することになりかねません。

NHKの自主・自律の侵害、制作者への威嚇効果

第二に、政権与党の議員が、とくに犯罪を犯したわけでもない職員、しかも番組制作に従事する職員の処分を、自律的であるべき報道機関に要求したことにたいし、あたかもそれに応じるかのような人事異動を行ったことは、NHKのあり方にかかわる重大な問題を提起しています。
 このような事態は、「平成18年度~20年度経営計画」に書かれた、「NHKは、何人からの圧力や働きかけにも左右されることのないジャーナリズムとして、いかなる場合でも放送の自主自律を貫きます」という約束に反するものであり、NHKがやはり政権政党の方へ向いているという批判をあらためて招くものです。

第三に、この人事が、局内の制作者に与える威嚇効果が大きいという点です。裁判で証言した永田、長井両氏にたいする処遇は、局内外から注目されていました。局内では、みんなが見ている中でここまでやるか、という反応があるといいます。
 良心的な制作者に対して、この人事異動がもつ威嚇的な影響は無視できません。経営にタテつくとどうなるか、ということをこの人事は示したと受け取られているのです。 このような経営の姿勢は、物言わぬ制作者を拡大し、職場の閉塞状況をさらに深刻なものにする、という指摘が局内から伝えられています。

 放送法は、法の目的を定めるにあたって、「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義に資するようにする」という原則をあげています。放送に健全な民主主義に資することが要請されるなら、放送を担う人びとに対しても民主的権利が保障されなければならないのは当然でしょう。
 番組やニュースの制作は、制作者が不当な圧力にさらされることなく、自由な精神に基づいて進められることが何より重要であり、この現場の自主、自律こそ「公共放送」NHKの自主、自律を現実化するものです。しかし、今回の人事異動は、放送局内での制作者の内心の自由にとって重大な圧力となる危険があり、ひいてはNHKの自主・自律にたいする脅威になりかねません。

不当な人事異動、配転に注視と抗議を

当会は、視聴者団体のひとつとして、NHKが、放送において公共性を貫き、自立した放送機関として国民の信頼をかちとることを願っています。その立場から、今回の永田、長井両氏に対して行われた人事に対し、以上のような問題点を指摘するとともに、NHKに対し懸念と抗議の意思を表明するものです。
 同時に、多くの人びとが、今回の人事を「公共放送」NHKのあり方の根本にかかわる問題として注視し、関心を持っていただくよう呼びかけるものです。


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