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誤植にショック

岡村 淳



  先号の連載で、次回は「アマゾンの大逆流・ポロロッカ」の体験についてお話しすると予告しました。しかし出来上がった第13号の拙稿をみて、またしても恐れていた誤植がいくつもあり、ショックのため執筆意欲がなえてしまいました。(※編者註 No.13「あこがれのアマゾン航路」内の誤植は訂正済みです)

  ご承知のように、われらが「Bumba」誌は次号がいつ頃に発行されるのか、常に見当がつきません。
  編集長のおっしゃる発行予定時期に合わせて、その頃のトピックに合わせたネタの原稿を書いても、実際の発行が何ヶ月も遅れることが「恒例」になってしまいました。巷では「え、あの雑誌、まだあったの?」などと言われることが多く、執筆者はさながら「生きている化石」のような気になってしまいます。
  昨今、日本やブラジルで私のビデオの 上映会や講演会がしばしば開かれています。その際、主催者から岡村の関連グッズとして「Bumba」を会場で販売しましょうというお申し出をよくいただいています。
  営業活動のいまひとつヘタな編集部に代わって雑誌を売りさばくまではいいのですが、お客さんから「この雑誌を定期購読したいんですが……」などとおっしゃっていただくと、正直なところ少しうろたえてしまいます。雑誌の後ろにもいつも「定期購読のお知らせ」がありますが、定期に発行されない雑誌をどうやって定期購読できるのか、ナゾは深まるばかりです。

  じゃあなんでそんな雑誌に連載なんかするの? という質問がおありでしょう。
  まず最初に、あくまでも編集部の方からぜひにと頼まれており、読者の方々からの強い要望もあるとのことで書かせていただいていることを言明させていただきます。
  すると高額の原稿料? トンデモナイ、無償どころか、編集部とイラストの森田さんにお渡しする原稿のコピー代、編集部に通う交通費など小額とはいえ持ち出しのボランティア執筆です。
  となると「美人編集長」へのスケベ心? いえいえ、生まれながらにして戦後日本の諸々の化学物質に侵されている私あたりにはその方面の元気はありませんし、「たかが」誤植ごときにチマチマこだわるようでは先方に嫌われる一方でしょう。
  それでも「Bumba」に書いてきたのは、移民の、そして物書きの大先輩である橋本梧郎先生や故・中隅哲郎さんが私と同じような不満を抱きながらも連載を続けてこられたのと同じ考えだと思います。
  良きにつけ悪しきにつけ、この「Bumba」はおそらくブラジル日系社会で日本語新聞を除いた最後の日本語の紙メディアになるでしょう。そして私の場合は微力ですが、最後に関わる以上、少しでもよいものにしておきたいという思いがあり、それが祖国からこの地に渡った二十五万の同邦に対して「書く」という術を持つ者の役割だと考えるのです。
  そんな執筆者の思いを、当の編集部のメンバーはどのように受け止めているのか……。先号の「中隅哲郎さん追悼特集」では編集長自らが「ちょっと、あの間違いは、ひどすぎるなあ。」という中隅さんの「Bumba」批判発言で追悼文を書き始めながら、記事のなかにいくつも誤植があるのですから、かなり末期的かもしれません。

  そもそも雑誌の編集者の大きな仕事は、それが手書きの原稿であれ、パソコンのフロッピーに入力されたものであれ、書き手の誤字・脱字や意味不明の箇所、事実関係の誤認などをチェックすることです。ところが本誌の場合は、まともに書いてある原稿を誤植してくれたり変換ミスをしてくれるのです。
  校正刷りを筆者に届けて校正をしてもらうというのは出版界の常識ですが、「Bumba」の場合は、執筆者が再三お願いしてようやく校正刷りが送られてきます。執筆者が校正をした後でも、校正刷りの際にはレイアウトが間に合わずに空白になっていた原稿のタイトルを誤植してくれたりするのですから、イヤハヤです。
  趣味の同好誌ならいざ知らず(かえってこんないいかげんなことはないかもしれませんが)、仮にも広告主から金銭をちょうだいして、読者からもお金をいただいている商業ベースのプロの仕事のはずです。
 「Bumba」編集部の宣伝に「日本語の仕事ならブンバ!」とあるのは悪質な自嘲のジョークでしょうか?

  そんな愛想も尽きがちな「Bumba」が神々しく輝いてみえる事態がありました。
  やはりサンパウロで発行されているレジャーと観光を歌い文句にする日本語情報紙の編集長から、顔を合わせる度に「ウチにもゼヒ書いて下さいよ」と頼まれ続け、ついに拙宅にお願いの電話までかかってくるようになりました。私も本業の映像製作と家事とでけっこう取込んでおり、時間は喰うがカネにもならない連載を二本も抱えるわけにはいきません。
 「『Bumba』がつぶれたら考えますよ」と答えていたものの、当の「Bumba」の方が半年近く発刊される気配がなく、しかも度重なる誤植等を改めようとする意欲もうかがえずにウンザリしていた時でしたので、浮気を試みたことがあります。それでも「Bumba」とは重複しないネタを選んで「美人編集長」にも事前に了承を得るという義理固さでした。
  その情報紙の内情について複数の人に聞いてみましたが、あまりかんばしくありません。写真を返却しないなどのトラブルもあり「写真だけは借さない方がいいですヨ」といったアドバイスをもらいました。
  執筆の条件として「事前に校正させること」と編集長に確約させたものの、発行予定日がせまっても何の音沙汰もありません。私の方は署名入りで書いていますので、誤植の類があれば一般の読者には書き手の無知といいかげんさと受け取られてしまいます。
  何度も編集部に電話を入れて、ようやく校正刷りがファックスで送られてきたのですが――これが日本語の体をなしていないのです。「てにをは」から送りがな、句読点に至るまで全面を赤字でリライトせざるを得ませんでした。いいかげんにワープロ入力しただけで、読み返しもせずに送りつけてきたのが明らかです。
  そして案の上、発行されても完成品を執筆者に郵送してくるどころか連絡もなし。編集部まで参上して、ようやく現物をちょうだいする栄誉にあずかりました。
  今度はページを開いてみてビックリ。激しい嫌悪感です。私は視覚的効果、読みやすさも考慮して原稿を仕上げているつもりなのですが、そんな気配りはいっさい無視されて筆者でさえ目を通す気のおきないほどの窮屈な割付にされています。ブラジルのある国立公園の取材体験記を書いたのですが、編集部の方で写真を用意するというのを信用したところ、印刷ミスのように不鮮明で意味不明の写真を、写真提供を拒んだ私へのあてつけのように載せているではありませんか。
  浮気の相手を間違えると、とんでもない目にあわされるものです。

  私も最近の拙稿で何度か書きましたが、昨今の「日本本国」の日本人のブラジル人およびブラジル日系人に対する軽視・蔑視には目に余るものがあります。
  日本の小学生にも笑われるような誤植を繰り返していては、そうした風潮を助長するばかりです。「Bumba」編集部の緒姉兄にも、日本本国から依頼の来るほどの日本語の仕事をしていただきたいものと願っています。

〈付録・笑える誤植の練習問題〉
1.わかるかな? 中級誤植を探せ!
  私が先号に書いた中隅さんへの追悼文の誤植です。
 「ブラジル日本移民九十年の時は、記念式典に背を向けてパラナ州に車を走らせた。そして日本人一世の老人が指導する土地なし農民たちの共同農場で、戦没同胞をしのんでいた。」
  編集者が文意をフォローしていれば、漢字変換ミスを十分防げたでしょう。「戦没」とは何の戦いでしょう? そうです。正解は「先没」です。
2.「文学的」誤植群
 「Bumba」の前身といえる「オーパ!」誌でタイトルまでまちがえられたことがあります。
  私のつけたタイトルは「熱帯林の白昼夢」。われながら気に入ったタイトルでした。ところが出来上がりは「熱帯夜の白昼夢」。これでは形容矛盾もいいところ、しかも執筆者も読者も編集部が記事のタイトルまでまちがえるとは思わないでしょうし……。
  最近中隅さんのご夫人からショッキングな誤植の話をうかがいました。中隅さんの遺稿のタイトルはご存じ「風土のブラジル」。それが「風上のブラジル」となっていたというのです。「カザカミにもおけない誤植」というシャレでしょうか?
  この「文学的な」までの誤植を受けて、いずれ「風下のブラジル」というタイトルで中隅さんの追悼文を書こうと思うぐらいです。
3.校正には虫メガネを!
  ブラジル移住後に初めて訪日した老一世たちの座談会を記事にしたことがあります。日本のパレンチ(親類)を訪ねた時の諸エピソードを「パレンチの血」という小見出しでまとめてみました。
  ところが完成版では「パレンチの皿」。ファックスで校正のやり取りをしていた時には、ここまで見抜けませんでした。編集者と違って深く文章を読み込んで下さる読者の方をさぞ悩ませたことでしょう。
4.ナゾの誤植群の恐怖
  これもファックスの校正刷りでは見抜けなかった誤植です。
 「取材」が「取村」となっていたのです。「取村」などとはどんな漢字変換をしたとしてもありえない誤植です。
  なぜこんな誤植が生じたのか、編集部は明らかにしてくれませんでした。考えられるのは、手書き原稿のワープロ打ちに際して、日本語の一語一語を記号として識別できても、熟語として理解しえない日系二〜三世あたりに莫大な時間をかけさせて作業させておき、チェックを怠ったといったところでしょうか。

  さて今回はどんな楽しい誤植に出会えるのか? そもそも「日本語の仕事なら」の「Bumba」さんがこの原稿を掲載するや否や、「ボランティア仕事」の楽しみは増えるばかりです。

Bumba No.14 2001年

岡村さんへのメールは
e-mail:okamura@brasil-ya.com