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風                         作:sei

 ふわっと暖かい風が頬をくすぐります。かすかに、夏の緑が匂う季節になりました。
 (あの子は今、何しているんだろう)
風がふくたびに頭の上の枝が揺れ、桜の花びらが散りこぼれてきます。
(まださよならも言ってないのに・・・もう、会えないんだろうか・・・)
ユカはまた、あの子のことを思い出していました。
 あれは、梅のつぼみのほころぶころでした。
うす茶色の髪をさらさらと風になびかせ、あの子はひとり、梅の木を見あげて立っていました。見慣れない子の姿に、ユカは思わず声をかけていました。
「あなたなん組の子?転校してきたの?」

 「あたしは、海の近くで生まれたの。」
泥団子をつくりながら、あの子はそんなことを言いました。
「ほんと!海って、どんなところ?」
するとあの子はズボンのポケットから、巻貝をひとつ取り出しました。
「耳にあててみて。海の音が聞こえるから。」
ひんやりと冷たいその巻貝を、ユカはそっと耳にあてました。
すると・・・
ザザーン
ピチャピチャピチャ
ザザーン
ピチャピチャピチャ
ザザーン・・・
ああ本当に、波の音がするのでした。潮のにおいがするのでした。うちよせてはひきかえし、うちよせてはひきかえす波の、白い泡が見え、やわらかな砂浜に、フスフスと足がしずんでゆくのでした。
 巻貝をかえしてからも、ユカは耳の奥で、波が鳴るような気がしました。鼻の奥で、潮がかおるような気がしました。
 菜の花が咲いたのを、いちばんはじめに教えてくれたのも、あの子でした。
「ねぇ、知ってる?」
あるとき、あの子は言いました。
「菜の花ってね、旅をするのよ。」
「旅?」
「そう。何日も何日もかけてね、ずぅっと遠くの街から、ここにやってくるの。」
 あの子が話すと、どんな景色も、目の前にうかんでくるようでした。どんなにおいも、どんな味も、はっきりと感じられるのです。ユカは、黄色いワンピースをはためかせ、かけてゆく菜の花の少女達を見ました。食べたことのないよもぎ団子の、青々とした香りをかぎました。ふっくらとした生地と、甘いあんこが、すぅっと鼻腔をぬけてゆくようで、不思議なさわやかさでした。
 そうして桜の花の散りはじめたころ、あの子はふっと、消えてしまったのです。
 
 (そういえば、あの子の名前も知らないんだった。どうして、聞いておかなかったんだろう。)
そのときひときわ強い風が吹いて、桜の枝をざわざわゆらしました。花びらが、ざんざんこぼれました。
「桜の花びらを三枚つかむと、願いごとが叶うんだよ・・・」
ふと、あの子の声が聞こえたような気がしました。
 思わずのばしたユカの手には、はらりとうす桃色の花びらが三枚、のっていました。
「バイバイ、またね!」
気がつくと、ユカはさけんでいました。つぎつぎに木々をゆらしながら、風は吹きすぎてゆきます。
「バイバイ」
遠くかすかで、そんな声がしたようでした。