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ビー玉                           作:sei

 はじめは、そんなつもりじゃなかったの。でも、みんながいなくなって、教室にいるのはあたし一人だとわかったとき・・・思わず、手を出してしまったの。
 それは、とってもきれいなビー玉だった。アイちゃんが、お父さんからもらったんだって。特別なおもちゃ屋さんで買ってもらったのか、外国のおみやげだったか、もう忘れてしまったけど。透明だけど、完全に透明ではなくて、うっすら黄色がかっているの。ううん、黄色ではなくて、緑だったかもしれない。とにかく、不思議なビー玉だった。特別なものだってことは、アイちゃんが話してくれる前からわかってた。
 それでも、みんながいたころはよかったのよ。ただ、羨ましいなぁと、思っただけ。でも、学校を出て少しして、忘れ物に気づいてとりにもどったとき、誰もいない教室に、そのビー玉だけがあるのを見たら・・・もうだめだった。
 かえそう、かえそう、と思いながら、あたしはとうとう、家までそのビー玉を持ってきちゃった。さんざん悩んで、迷って、それでもとうとう、あたしはビー玉をかえそうと、決心した。それで、最後にせめてもう一目見ようと思って、右手を開いたの。何しろ帰ってくる間中、それこそ割れるんじゃないかってくらい、あたしはビー玉をにぎりしめていたから。
 大きくて、まん丸で、薄暗い光をたたえたものが、あたしを見つめていた。まるで、生きているみたいに。
―ああ、だめだ
と、あたしは思った。そのときだった。ビー玉が突然、あたしの手から転がり落ちた。割れる!と思ったけれど、幸い、ビー玉は割れなかった。でも、そのまま床の上を転がっていって、たんすの下に入ってしまった。あたしはあわてて、懐中電灯で照らしてみた。でも、そこには真っ暗な闇が広がっているだけ。ぴかり、ともしない。あたしはとうとう、たんすをどかして調べてみたけれど、ビー玉は見つからなかった。
 その夜。あたしは水が飲みたくなって、目が覚めた。台所へ行く途中、ずっとだれかに見られてる気がして、落ち着かなかった。それで、ふっと部屋の中を見てみたら、大きな丸い目が二つ、あたしを見ているのに気が付いた。猫だった。黒い猫。あたしの家は、マンションの五階だから、猫が入ってくるはずはないのに。
 黒い体は闇に溶けて、まるで目だけがうかんでいるみたいだった。透明とも、黄色とも、緑ともつかない、不思議な目。あのビー玉のようで、一瞬ドキッとした。のぞきこむと、その瞳の奥で、光がゆらゆらまわっていた。底へ底へ、どんどん続いているようだった。
 その猫の目が、なんだかあたしを責めているような気がして、あたしは顔をあげた。猫は、じっと、あたしを見つめていた。怒っているような、挑戦するような、そんな目・・・。不思議と、こわくはなかった。でも、あたしはその目を見ていられなかった。顔をそむけても、まだ猫があたしを見ているのがわかった。あたしはとうとう、逃げ出した。自分の部屋にかけこんで、ふとんに入ってからも、あの目は鮮やかに、くっきりと、頭の中にうかんでいた。目を閉じると、瞼の裏に、あの瞳があって、あたしを見下ろしているようだった・・・。
 あれから何度か、家じゅう探してみたけれど、結局、ビー玉は見つからなかった。もう何年も前の、あたしが小さかったころのはなし。