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菜の花電車                     作:せい

 大沢さんは、菜の花電車の運転手をしていました。もう五十年もこの仕事をやっていますが、五年前に村の北側に、大きな鉄道が開通してからというもの、大沢さんの電車に乗るお客さんは、すっかり減ってしまったのでした。
 辺りが一面黄色に染まる、菜の花のころでした。もうじき終わりを迎える菜の花達は、今、精一杯の花盛りなのでした。
 (はぁ、今日もお客さんはなし、か。)
大沢さんは腕時計を見ながら思いました。お客さんがいなくても、菜の花電車は各駅に、二分づつ、停車することになっているのです。その二分が、もうじき終わろうとしていました。
「はぁ・・・。」
大沢さんは溜息をついて、駅のホームを見上げました。誰もいない、さみしいホーム。コンクリートの割れ目からは、いく輪かの菜の花が、きゅうくつそうに咲いています。この菜の花が、みんな人間のお客さんだったら・・・と、大沢さんは思うのです。
 「電車が、発車します。」
大沢さんは、誰もいないホームに向かって、声を張り上げました。そして、発車レバーに手をかけた・・・そのとき。
「運転手さーん、ちょっと待ってくださーい!」
不意に、声がしたのです。春風のようにやわらかな、少女の声でした。見ると、向こうの菜の花畑の中から、黄色いワンピースを着て、黄色い帽子をかぶった少女が、一心にかけてくるところでした。少女は軽やかにホームの階段をかけ上ると、息をはずませながら、大沢さんに切符を差し出しました。
「海ノ町まで、お願いします。」
その切符は、ずっと少女ににぎられていたのでしょう、ほんのり、温かでした。そして、なつかしい、菜の花電車の切符なのでした。大沢さんはこぼれそうになる涙をおさえながら、運転室にかけもどると、再び、叫んだのでした。
「電車が、発車します!」
 「え〜、桜木〜、桜木で〜す。」
大沢さんはそう言いながら、あれ?と思いました。ホームに、五、六人のお客さんが立っています。しかも、そのお客というのが、みんな、黄色い少女なのです。そう、ついさっき電車に乗せた少女と、全く同じ格好の、少女達なのです。
(最近は、黄色い服が流行ってるのかなあ。)
大沢さんはそう思って、首をかしげました。
 次の駅も。そのまた次の駅でも、黄色い少女達が待っていました。そうしていつか、大沢さんの電車の中は、黄色い少女達でいっぱいになっていました。
(おれはひょっとして、山の獣に化かされているんじゃ、なかろうか。)
大沢さんはそう思って、背筋がゾクリと寒くなりました。それに、こんなにたくさん汗をかくなんて、おかしなことです。まるで、陽のあたる野原にいるように、大沢さんの額からは、拭いても拭いても、汗がふきだしてくるのでした。
 「海ノ町〜、海ノ町〜、終点です。車内にお忘れものなどなさいませんよう、お気をつけください。」
大沢さんはそうアナウンスしながら、内心ホッとしていました。ああ、これでやっと、黄色い少女達から解放される・・・と。ところが。一分待っても、二分待っても、少女達は誰一人として、降りようとしないのでした。とうとう大沢さんは、運転室を出て行って、少女達に呼びかけました。
「君達、ここは終点だよ。どうしたんだい。」
すると、一人の少女が口を開きました。
「運転手さん、わたし達、海ノ町まで行きたいんです。」
「海ノ町って。だからここが海ノ・・・。」
そう言いかけて、大沢さんはハッとしました。
「もしかして・・・君達、海のある町に行きたいのかい?」
「そうです。」
「そうです。」
少女達は嬉しそうに、コクコクとうなずきました。両肩にたれている、真っ直ぐな茶色の髪が、風にふかれるように、サラサラとゆれました。
「そんな、ばかな!」
大沢さんは、すっかりあきれて叫びました。
「海までは、大きな山を、三つも四つも越えなきゃならないんだぞ。それに第一、線路がないじゃないか。」
「ありますよ、線路なら。ほら。」
一人の少女が、細い指を上げました。大沢さんもつられて、その指の先を見てみると・・・。
「ほっ!」
何と、この海ノ町駅で終わりだったはずの線路が、まだ続いているのです。ずーっと、ずっと、はてしなく遠くまで・・・。
「ねっ、だから、海の町までお願いします。」
「海の町まで。」
「海の町まで。」
少女達のざわめきは、だんだんと広がってゆき、大沢さんの耳に、野をふく風のようになって、ひびきました。
「分かった、分かったよ!」
とうとう、大沢さんは声を上げました。少女達の声を聞いていると、何だか、頭がクラクラします。
「でも、ものすごく時間がかかるからね。」
そうして、大沢さんは運転室にもどり、レバーを引いたのでした。
 ビュンッ!ビュンッ!
辺りの景色が、混ぜ合わせた絵の具のようになって、後ろへ飛び過ぎてゆきます。今、電車はこれまでにないくらいのスピードで、走っているらしいのでした。

(ああ、気持ちいいなぁ・・・。)
大沢さんは、ほぉーっと、息をつきました。景色と一緒に、心の中のもやもやしたものが、どんどん飛んでゆくようなのです。そしてだんだんと、心も体もすきとおって、スーッと軽くなるような気がするのです。
(風になったんだ。)
 ふと、大沢さんは思いました。するともう、ずっと昔から自分は風だったような気がしてきて、もう人間にはもどりたくないとさえ、思えてくるのでした。
 ヒューッ、ガッタン。
突然、電車が止まりました。大沢さんはハッと我に帰り、それから目を見張りました。目の前に、海があったのです。青くて、深くて、真っ平らな海が・・・。
「運転手さん、さようなら。」
耳元でふと、そんな声がしました。
「あっ!」
大沢さんはあわてて立ち上がり、運転室をとび出しました。けれど、もう、そこには、少女達の姿はありませんでした。大沢さんは、外へかけ出しました。
「おーい、君達ー!これから、どこへ行くんだねー!」
はるか遠くの水平線に向かって、いくつもの黄色い点が、ゆらめきながら、かけてゆきます。それはまるで、散ってゆく、花びらのように見えました。
「知らないところー。」
「知らないところー。」
風に乗って、そんな声が聞こえます。
「走れるだけ走って、疲れたら、そこで眠るの。そうして、来年の春がくるまで、そこで眠っているの。」
ああ、そうだったのか。大沢さんは胸の中に、不思議ななつかしさがこみ上げてくるのを、感じました。
「そうかー。君達は、菜の花の子供だったんだねー。来年もきっと、来ておくれよー。」
最後の黄色い点が、うなずくようにゆれて、消えました。
辺りにはまだ、少女達の、
「さようならー。」
「さようならー。」
という声が、かすかに残っているように、思われました。

あとがき
 予定よりも早く完成したので、よかったです。次は、大沢さんのおくさんの物語を、書いてみようと思っています。