大人になると
                          古山 明男

 ある少年が私のところに来て、自分の身の振りようについて「親がうるさくてしょうがないのだが、どうしたらいいだろう」と尋ねた。
 私から尋ねた。どういう状況なのか、まず教えておくれ。親は何を望んでいるのか、君は何を望んでいるのか、現在考えている対処法はどのようなものなのか。
 彼からは、良く整理された答えが返ってきた。
 しかし、対処法はあまり効果的なものとは思えなかった。彼は、親の対応のせいで自分がおかしくなってしまったということを親にみせつけてやりたいと思っていた。
「髪、思いっきり染めてとがらせるとか、急に一生懸命勉強して、いったいどうしたんだろうと思わせるとか」
 それについて私は言った。
「親は君の訴えたいことに気がつかないんじゃないか。髪を変えれば、またあいつしょうがねえな、と思いそうだ。勉強をすれば、やっとあいつもまともになった、と思うんじゃないか」
 彼はそれに同意した。どちらも彼にとって耐え難いことだった。彼が何を訴えても、いつも親の枠組みで物事を捉えられてしまい、彼の訴えは届かないのだ。
「親にオレのこと認めてもらいたいんだよ」
と彼は言った。彼の家庭は学歴に高い価値を置いているが、きょうだいのうちで彼だけ、ドロップアウトしていた。

 「ねえ、オレも大人になったら、あんな風になるのかな」
と彼が親のことを言った。あんな風に型にはまった考えしか出来なくなるのか、という意味だった。
「必ずしもそうではない。もし君が充分に注意深ければ」と私は答えた。
「もし君が充分に注意深ければ」は、私は希望を込めて言ったつもりだったが、彼は難しさとして受け取ったような顔つきだった。私は説明をおぎなった。
 「もしも君が、親に認められようと一生懸命勉強してうまくいったとするだろう。そうすると君は勉強こそが大事だと信じる。君は自分の子供に勉強を強いるだろう。そんな風にして勉強をやらせるのが伝わっていくのさ。
 いつの時代でも、大多数の人は自分もしなきゃならなかったんだと言って、同じ事を子どもにやらせるようになる。自分が嫌だったことを、『乗り越えろ』と言うようになる。
 でも、自分がされて嫌だったことをちゃんと覚えていて、それを他人にしないようにする人たちが、少数だけど必ずいるんだ。」
「どうしたら、オレ、覚えていられるかなあ。嫌なことあってもじきに忘れちゃうよ」と彼が言った。
「いったん言葉にすると、けっこう覚えているもんだよ」と私が言うと
「オレ、日記つけてるから、書くようにするよ」
 もしも、子どもの感じ方を覚えている人間が一人でも増えたら、この世の中はそのぶんだけ確実によくなる。

 ある小学生が私に尋ねた。「みんな学校がいやなはずなのに、どうして大人になるとみんな学校に行け行けって言うの」
 私は「ううん」とうなって考え込んだ。それは私が探ってきたテーマだ。思い浮かぶことはいくらでもあった。しかし、小学生に通じるような言い方は持っていなかった。とりあえず
「みんな、大人になると子供の時のことを忘れてしまうんだよ」と、私は言った。
 その子は「ふうん」と納得してしまった。あまりに希望のないことを植え付けてしまったような気がした。私は言葉を続けた。
「でもね、世界中には本当に子供のことを考えた人たちがいたんだよ。たとえば、このホルトって人は、学校にいかせるよりも家にいた方がよく育つって言って、いまそれをやっている人たちが何十万人もいるんだ。」
 私は、ジョン・ホルトの本を取りだした。「それからこのシュタイナーって人は、試験のない学校を作ったんだ。その学校は今、世界中に広がりつつあるんだ」とシュタイナーの本を取り出した。さてシュタイナーの厖大な教育思想を小学生にいったいどう説明したものかと考えあぐねていると、その子はシュタイナーの「ュ」を指で隠して「したいなあ」と言った。私も
「うん、そうだね。アハハハハ」
と笑って、我々の話はケリがついた。私はモンテッソーリのことも、自由学校の創始者ニールのことも言いたかったのだけれど。


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