風はどこから
                                                                       古山明男

 甥と電車に乗っていた。反対方向から来る電車とすれ違うときに、窓ががたんと揺れた。
「ねえ、どうしてすれ違うときに、窓が揺れるの?」
と尋ねられた。
「走る乗り物の周りに風ができているんだよ。こうやってね‥‥」
と電車が進むとき、空気を押しのけてそれが風になる様子を手でやってみせました。すると、
「どうして、風ができるの?」

「ううん‥‥」
 私はうなりこんでしまった。そもそもと、気圧の話から説き起こすには、ここではちょっと道具もないし、紙に絵を描くこともできない。とりあえず、台風の仕組みをかんたんに説明した。でも、甥はまったく違うことを考えてらしい。 「風って、電車や自動車でできるんじゃないの?」
 ははあ、そうだったのか。電車や自動車が走って、それでできた風がたまって、世界の風になっているんだと、考えが浮かんようだ。これを聞いて嬉しかった。ほんとうに自分で世界を組み立てようとしている。 「そうだとすると、電車や自動車がなかった時代には、風はどうだろう?」
 私が聞くと、甥はそれで考え込んでいた。後から考えれば、私はバカな質問をした。イメージをいっしょに楽しんでいればそれでいいのに。そのときちょうど、電車が目的地に着いて、話は終わりになった。

 「世界の風のもとは乗り物の動き」というイメージを思い浮かべると、すごいイメージだな、いいなあと思う。科学としても一面の事実はついているし、詩としては最高。甥は、自動車が大好きだ。

 たぶん、どこの家庭でも子どもとのこんな会話はあるだろう。少なくとも、子どもが小さいうちはあっただろう。子どものいろんな発想とつき合うのは、とても楽しい。
 私の方から質問をしかけるときもある。でも適切な状況で発しないと、どうもなんか、学校のテストみたいになってしまいやすい。子どもの方から尋ねてきたときの方が、話がおもしろくなることが多い。

 子どもは子どもなりに世界はこういうものだと組み立てて納得しようとしている。誰に言われなくても、子どもはその仕事をしている。しかし、多くの子はいつのまにかやらなくなる。それは子どもが成長したのではなく、諦めてしまっただけだと思う。自分にとってわけの分からないことを強いられ続けるためだ。「深く考えずにつきあっていた方が楽」なものだ。

 子供の「なぜ、どうやって」を引き出し、それに肉付けして教えようとするのは、すべての先生の目指す理想である。大学の教員養成課程は、子供の疑問と創意工夫を引き出す授業を作れる先生を育てようとしている。しかし、そんな授業がどれだけ行われているだろうか。現実には非常に少ないだろう。「巧みな授業でクラス全員から引き出してくる」を強制教育の当たり前にするのは、原理的に無理があると思う。もちろん、より良い授業を目指す努力は大切だが、子どもがもともとは関心を持っていないことを、なんとか興味を湧かせ、本気で取り組ませるなんて、簡単にいくはずがない。

 通行人を強制的に捕まえて寄席に連れて行って「この落語で笑ってくれ」と言っても、笑ってくれるものじゃないのと同じだ。それを笑わせられたらよほどの名人落語家に違いない。

 研究熱心で子どもの感じることや考えることを上手に引き出す先生たちもいる。こういう人たちは、種々の制約の中でよくやっている。でも、そういう先生になるには、よほどの天分があるか、かなりの研鑽を積まなければならない。

 で、現実はさまざまな脅しや恐怖に訴えて、無理矢理授業を聞かせ、修得させている。その脅しや恐怖は洗練されていて、じんわりと不安や恥に働きかける。子どもは「どうすれば叱れらないですむか。どうすれば恥をかかないですむか。どうすれば目をかけてもらえるか」に全力をあげてしまっていて、物事に意欲的に取り組もうとはしない。取り組もうとしないから、強制する。強制するから、いっそう取り組まなくなる。この悪循環が延々と続く。

 最近20年くらいの間に、アメリカでホームスクールが爆発的といっていいくらい増えた。1960年代後半のアメリカで、公教育に対する疑問がわき起こってきて、さまざまな試みがなされたが、その中で、もっとも拡大したのがホームスクールだった。少なくとも子供の数では圧倒的に多い。100万人をはるかに越していて、就学人口の1.5%くらいいると言われてる。チャータースクールより多い。
 どうしてこんなにひろっがったのか、理由はいくつかあると思うが、やっている家庭の立場からすると、充実感だと思う。子どもが家にいればなにかと手間はかかる。手間はかかるけれども、子どもと関わっているのは面白い、成長を見るのは嬉しい。やらせる教育観から抜け出すと、実に気持ちのいい世界がある。

 強制するので子どもに関心がない、関心がないから強制する、の悪循環は断ち切ることができる。それは、第何年次には何を習得すること、という枠の中では不可能だ。
 親が授業をしているタイプのホームスクールもあるし、子どもの興味関心を親が支援しているタイプもあるが、いずれも親子にいい信頼が育っているところが多い。

 この背景に、しっかりした教育哲学がうちたてられていたことが大きい。60〜70年代のアメリカに、強靭な教育思想家が何人も出てきた。ジョン・ホルト、ムーア夫妻、パット・モンゴメリーなどの人たちだ。こういう人たちは「子どもはどういうときに良く学ぶか、どういうときに学ばないか」を先入観なしに探っていた。イワン・イリッチなどは、「教育が、学校に行くことや、卒業証書にすりかえられてる」と批判して、脱学校を説く。

 その結論が「子どもだけを強制的に一カ所に集めて、皆に同じ事を注入しようとするのが、そもそも無理。恐怖や不安に訴えていては子どもは学ばない。ほんとうの学びはどこでも可能」というようなことだった。そこからホームスクールの大波が出てきた。そのまた背景には、デューイの教育思想があっただろうと思っているが、これはまだ十分に研究していない。

 現在アメリカでは、さまざまな支援団体、教材提供の会社、家庭同士のネットワークサークルができ、お好みに合わせてよりどり見取りという状況になっている。いつのまにか、すべての州で合法になった。

 甥は、平日は私のところにいて、週末は実家に戻っていた。私によくなついていたが、私が全面的に両親の替わりになることは不可能だし、甥の住んでいるところが田舎なので、近所の目を避けたかった。近所は、「あそこは教育熱心なので、子どもを都会に行かせた」と思っていたらしい。そのうち、甥は実家に帰らなくなった。こちらに友人がたくさんできて、その世界で生きているためだ。

 甥は自動車が好きで、プラモデルの会社によって出来具合がどう違うとか、色のうまい塗り方だとかをよく説明してくれる。この伯父も模型作りが大好きだった。「模型作りとは、知性と意志と美意識の統合である」と大見得を切って、今でもときたま作る。


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