授業は必要か
                             古山明男

 キルクハニティスクールはスコットランド南西部の田舎にある独立のフリースクールである。
 はじめてここを訪れたとき、校長のJ.エイケンヘッド氏がスコットランド民族衣装のスカートをはいて応対に出てきた。ここにいた日本人の生徒が紹介してくれたので、フリースクールをする知人3人と一緒に訪ねたもの。

 「お手紙を差し上げてあった、日本から来た者ですが」
 と言うと、氏は手でポンと額を叩いて、しまった、しまったの仕草をし、「日にちを間違えていて、きょうとは思わなかった」。国籍、人種、年齢などにいっさいとらわれない態度だった。
 氏はすでに80歳を越した高齢だったが、きさくな感じで歩き回り、年齢の高い生徒に、どことどこを見せて上げるようにと指示してくれた。

 子どもたちが、外来者が来たというので、好奇心を燃やして物陰から我々を見ている。でも、はにかんで近寄ってはこない。これを見て「ここはほんとうに子どもを大事にしているところだ」と思った。
 広い敷地内に池があり、そこで生徒たちと一人の先生が黙々とこのあずまやを作っている。子供たちが黙々と集中してきちんと物事をやっている。まったくキャピキャピしていない。

 エイケンヘッド氏は、自室に案内してくれて、我々を暖炉の前に座らせてくれた。
 ニイルの理想に引かれて、ボランティアとしてサマーヒル校に参じたこと。スコットランドの地にフリースクールを開いたとき、生徒がたくさんやってきたが、二次大戦が終ると一気に減った。実は、疎開のためにやってきていたのだった、と笑いながら話す。人柄全体から、温かみを発散している人だ。この人がやっているなら子どもはよく育つ。

 あとで、野外に出ると、さっきはにかんでいた子どもたちが、徒党を組み、なにか棒を持ち、はしゃぎながら冒険に出て行くところだった。

 3年後、また、この学校を訪ねたいと思った。私も小さなフリースクールをやっているが、どうしても足りないものがあった。理屈ではない、ある重要な部分だった。スタッフと生徒ぐるみいっしょに、キルクハニティスクールに匂いを嗅ぎにいって、その重要な部分を移植したかった。どうせ、私のところは、たいした人数ではない。

 手紙を出すと、すでに閉校したとのことだった。それでも行くかどうしたものか、結局出かけた。校内を見せてもらい、氏に接するだけでも意味があるだろう。私の生徒が二人ついてきた。

 スコットランドに着き、奥さんに電話すると、エイケンヘッド氏の健康状態がすぐれないとのこと。しかし、まあ、大丈夫だから明日予定通りにいらっしゃいとのことで行ってみました。敷地内に池があって、三年前に来たときに作っていたあずまやがその池の中央にある。

 エイケンヘッド氏に再会できたのはなによりの喜びだったが、氏は歩くこともやっとこせの状態だった。耳と目もかなり弱くなっていて大声で話さないと通じない。また、スコットランドアクセントまじりにもごもごと話されると、私の英語力では分からない。

 娘さんらの解説も交えて理解できたのが、ブレア政権になって、独立系の学校が登録を義務づけられ、授業の強制がその登録の条件になったので、それは本校の方針の根幹に関わると昨年閉校したとのこと。

 氏とは手紙でやりとりをしていた。その中で私は、
「子供は教え込む必要があるだろうか?」と尋ねた。その問に対して氏の答は
「大事なことはnourish(養う、育てる、養分を与える)することだ。教育は受胎したときから始まっているのであり父親や母親との関係が、その後の社会的教育の基盤になっていく」
 イエスでもノーでもない答。
 さらに、
「教える人の人格が決定的なのだ。それで子供が何を学びとるか決まるのだ」とも。
 このnourish の実行のために、なさってきたすべてを学ばせていただきたい、というのが私の思いだったが、氏の健康上の理由のため、多くを聞けない。

 のちに、日本人の他の生徒から、キルクハニティ校では、低学年には授業を必修としていたということを聞いた。強制はしないが、授業に出るように促していた。
 私も、フリースクールとホームスクールをやってきた。「すること」も「しないこと」も試した。低学年には授業をするという感覚はわかる。大人が深く関わっていたほうがいい。

 授業をしないと子どもは知的に伸びないということが日本で信じられている。それは、違う。逆に、授業をすると子どもの自主性を損なうということも信じられている。それも、違う。
 問題は、その次元にはない。
 Nourish。その通りだ。
 ブラジルの教育家、ウテ・クレーマーさんは「暖かさと光」と言っていた。
 教育で何事かを為した人たちは、教育の要点について尋ねられると漠然としか語らない。どうしてもそうなる。言葉で語り難い領域を扱っているのだ。決して、不可解なことや深遠なことではない。誰にでもわかることだ。しかし、言葉にし難い。言葉は大人のためにできているからだろう。

 スコットランドから帰って4ヶ月後に、エイケンヘッド氏の訃報に接した。そう言えば、あの町を発つときに、なぜか涙がこぼれて止まなかった。理由は、自分でもよくわからなかった。


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