「目的と意味」(2)

廊下を走る足音に気付いて、颯斗は鍵盤の上で踊る指を止める。
程無くして勢い良く音楽室の扉が開くと、見慣れた顔触れが揃っていた。
 「みなさん、どうされたんですか?」
驚いて目を丸くする颯斗を、息の上がった三人が見返している。
 「どうしたじゃねーよ。颯斗こそ、こんな時間に何をやってるんだ」
 「すみません。寝付けなかったので、気分を落ち着かせようと
 ピアノを弾きに来てしまいました。
 そうですね。もう遅いですから、これでお終いにします」
一樹の言葉に、颯斗は鍵盤の蓋を閉めて立ち上がった。
 「待って!! 少しだけなら大丈夫ですよね、一樹会長。
 私、颯斗くんのピアノ、もう少し聞いていたい。前に一度聞かせてもらった時、
 また聞かせてねって言ったけど。それ、今じゃダメ?」
先ほどまで聞こえていた淋しげな音色。
寝付けないという言葉に、月子はこのまま颯斗を帰してはいけないような気がした。
 「僕は構いませんが……」
困ったように微笑むと、視線を一樹に向ける。その視線を追って、月子も一樹を見る。
そしてもちろん翼も。三人の視線を受けた一樹は、諦めを悟って盛大に息を吐き出した。
 「判ったよ。後少しだけだからな」
 「やったー。俺もそらそらのピアノ、傍で聞いてみたかったんだ」
翼がはしゃいだ声を上げると、颯斗はまた鍵盤の蓋を持ち上げた。
 「では、もう少しだけ」
傍にあった椅子に一樹を挟んで三人が座るのを確認すると、颯斗はピアノを引き始める。
廊下まで聞こえていたのと同じ綺麗な旋律。けれどそこには、もう淋しさを感じない。
流れる音色には温かみが含まれていた。
暫くの間ピアノの音と戯れていた颯斗は、今度こそお終いにしようと鍵盤から指を離す。
 「ふふっ」
静かな観客たちに視線を向けると、つい笑い声が漏れてしまった。
 「ん? どした?」
 「いえ。すっかりお父さんだな、って思ったんです」
両脇に座った月子と翼が、一樹に凭れ掛かるようにして眠っている。
 「手の掛かる子供ばっかりで、父ちゃんは大変だ」
軽口を叩く一樹の顔は嬉しそうだった。それから急に、真面目な顔に戻る。
 「だがな。手の掛かる子供ほど可愛い、って言うだろ。
 颯斗も俺にとっては可愛い子供の一人なんだ。何か悩み事があるなら俺に話せ。
 眠れなくてピアノに縋るなんて、あんまり淋しいこと言うなよ。俺はいつだって話を聞くぞ」
 「……悩み事なんて特にないですよ。本当に、お話する程のことなんて」
そう首を横に振って、完璧な笑顔を浮かべる。
その完璧さが、颯斗の言葉が嘘であると、一樹には判っていた。
 「言いたくないなら良いさ。ただ、話を聞いてくれる奴が傍にいる。それだけは忘れるなよ」
 「ありがとうございます。……あの、会長」
一樹の力強い言葉に、完璧な笑顔が揺らぐ。抱えている不安を吐露したくなる。
 「なんだ?」
 「僕は、一樹会長のようにはなれません。僕なんかには、生徒会長なんて
 到底務まるとは思えないんです」
 「眠れない理由は、それか」
卒業を控えている一樹は、近々生徒会長の任を辞することになっている。
生徒会長選挙は実施されるが、副会長である颯斗がそれを引き継いでくれることを、
一樹はずっと願ってきた。そのことに颯斗も気付いていたはずだ。
それが現実として近付いてきたことが、颯斗にプレッシャーを与えてしまったのかも知れない。
一樹は小さく息を吐き出すと、諭すようにゆっくりと語り始めた。
 「あのな、颯斗。俺が俺でしかないように、颯斗は颯斗でしかない。
 だから俺になる必要なんてないんだ。颯斗が颯斗として、颯斗にしか出来ないことをやる。
 目的が同じなら、その手段なんて違っていて良いんだよ」
 「目的が同じなら……」
 「あぁ、そうだ。生徒の為に。星月学園が良くなる為に。生徒会長として何が出来るか。
 それを自分なりのやり方で、模索していけば良いんだ。
 生徒会長になるとはどういうことなのか。その意味を間違えるなよ」
生徒会長になる意味。その目的。一樹の言葉が、颯斗の心に棘のように刺さる。
颯斗が生徒会に入った目的。それは家族に認められること。
行く行くは生徒会長になって、家族の一員としての居場所を作る。
颯斗にとって、生徒会も生徒会長の座も、それだけの意味でしかなかった。
……生徒会に入った当初は。では、今はどうなのだろう?
颯斗は、自分の気持ちが判らなくなっていた。
 「……ん。あれ? 私、眠っちゃてたんですね。ごめんなさい。
 颯斗くんのピアノが聞きたいって言ったの、私なのに。ピアノの音が気持ち良くて、つい」
話し声が聞こえたのか、一樹に凭れて眠っていた月子が目を覚ました。
ピアノを引き終えている颯斗を見て、慌てて謝罪の言葉を口にする。
 「良いんですよ。それだけ僕のピアノが、リラックスさせてあげられたということですから」
恐縮する月子に、颯斗は微笑みながら言葉を返す。
その笑顔には繕った完璧さはなく、自然と溢れた笑みだった。
それを確認して、一樹は安堵の息を吐き出した。
 「おい、月子。謝罪は颯斗にだけか? 俺はずっとお前の重さに耐えてたんだぞ」
 「きゃっ、ごめんなさい。忘れてました」
 「ったく、お前って奴は。ほら、翼も起きろ。そろそろ帰るぞ」
 「まだ眠い。……ぬーぬー」
 「寝ーるーなー」
月子と翼が目を覚まし、またいつもの賑やかな雰囲気が戻ってくる。
その光景を眺めて、颯斗はまた一樹の言葉を自問する。
生徒会長になる意味。生徒会長として成し遂げる目的。
それは一樹会長が目指してきたものと、果たして同じものなのだろうか。
不安が一気に増していく。それはもう、ピアノを弾くだけでは拭い去れない程に。
颯斗は何とか気持ちを振り切ろうと、また完璧な笑顔を作ってみせる。
 「一樹会長。話を聞いてくださって、ありがとうございます」
 「颯斗の話なら、俺はいつでも聞くぞ。まだ時間はある。よく考えろ。
 お前はちゃんとやれる。それは俺が保証してやるから自信を持て」
 「……はい」
先に廊下へ出た月子と翼を追って、一樹が前を歩いて行く。
その大きな背中に向けて、颯斗は小な返事を返すしか出来なかった。

完(2012.01.22)  
 
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