「好奇心」(2)

そして放課後。
どうせ部活を始めるなら、何か身体を動かす方が良い。
主に星の分析や観察について学ぶことが多い天文科は、
宇宙科と違って身体を使うカリキュラムが少ない。
ずっと座ってばかりでは、身体が鈍ってしまう。少しは動かさないと。
そう思って、幾つかの運動部を見学して回った。
 「うーん。どれもピンッと来ないなぁ。……あれ、あんな処に建物なんてあったっけ?」
体育館から出てきた月子は、運動場の片隅に立っている小さな建物を見付けた。
 「星月学園弓道場」
建物の入口に描かれている立て札を読み上げると、月子は興味深げに中の様子を伺った。
重い木の扉をそっと開けると、先輩と思しき背の高い男子生徒が、たった一人で弓を引いていた。
邪魔をしないよう極力物音を立てずに、道場の中へと滑りこむ。
月子が入ってきたのに気付かないのか、新しい矢を手に取ると、静かに的と対峙している。
的を見つめて弓を構える仕草は、とても涼やかで凛とした姿だった。
月子は、その動作の一つ一つに魅了される。
 「あっ、当たった。それも、真ん中に!!」
男子生徒が放った矢は、正確な弧を描いて飛ぶと、的の中心に刺さる。
思わず漏らしてしまった声に、男子生徒が驚いて振り向いた。
 「人が居たなんて気付かなかったよ。君は見学の人?
 でも、覚えておいてね。弓を放っている時の私語は、厳禁なんだ。
 弓道は精神競技だから、心を乱したまま矢を放つと、危険が伴う場合があるからね」
 「す、すみません」
男子生徒の言葉に、素直に頭を下げる。
恐る恐る顔を上げてみると、男子生徒はとても優しそうな微笑を浮かべて、見下ろしていた。
 「ううん、厳しいことを言ってごめんね。せっかく弓道に興味を持ってもらえたのに、
 これで嫌いにはならないで欲しいな。あぁ、僕は2年の金久保誉。弓道部の副部長です」
 「私は一年の夜久月子って言います。あの、弓道って、とても綺麗ですね」
先程見た一連の動作を思い返しながら、その時に感じたことを言葉にして伝える。
 「それ、僕の射形のこと? だったら嬉しいな。こんな可愛い子に、そう思ってもらえたのならね」
 「えっ」
今、可愛いって言ったの? ううん、空耳だよね?
驚きの声を上げた月子は、ニコニコと微笑む誉と目が合うと、恥ずかしくなって俯いてしまった。
 「よろしくお願いします」
誉に見下ろされてモジモジしていると、道場の扉が開いて、部員の一人が入ってくる。
 「あぁ、宮地君。よろしくお願いします」
 「副部長、よろしくお願いします。おい、そこに居るのは、夜久か?」
 「あっ、宮地君。もしかして、宮地君も弓道部なの?」
声を掛けられて振り向くと、扉を背にして立っていたのは、同じ一年生の宮地龍之介。
学科は違うけれど、共通科目の授業では一緒になることがある。
授業中に積極的に発言することも多い龍之介のことは、よく覚えていた。
 「あぁ、入学してすぐに入った。まさか、夜久が弓道に興味があるとはな」
 「うん……っと、たまたまって言うか、その……」
弓道場に惹かれて入ってきたのは事実だけれど、初めから弓道に興味があったわけではない。
この切っ掛けを、どう伝えて良いのか迷っていると、誉が助け舟を出してくれる。
 「もっと弓道を知ってもらうために、今日は見学して行ってもらおうと思うんだけど。良いよね、宮地君」
 「俺は、それで構いません」
誉の言葉に、龍之介も首を縦に振る。
いつも厳しい顔をしている龍之介が受け入れてくれたことに、月子は安堵した。
 「宮地君も一年生ってことは、入部したばかりなんだよね。
 私も今から始めたら、あんなに綺麗な矢が引けるようになるかな」
誉の凛とした姿勢を思い出して、自分もあれができるようになれたら素敵だと、
憧れの気持ちを龍之介に尋ねる。けれど、その思いはあっさりと否定されてしまった。
 「副部長の弓を見たのか? だが、お前にはムリだ。副部長の弓は……」
 「それって、私に弓道は向いてないってこと? そんな言い方って、酷くない?
 まだ始めてもいないのに。向いているかどうかなんて、やってみなくちゃ判らないでしょ」
 「俺はそういう意味で言ったんじゃ……」
ムッとした表情で言い返してくる月子に、龍之介は慌て始める。
教室で見掛ける月子は、同級生の男子に囲まれて、大人しそうに笑っている印象しかない。
こんな風にクルクルと表情を変えて向かってくることが、龍之介にとっては意外な発見だった。
 「宮地君は言葉が足りないだけだよ。だから、勘弁してあげて。
 弓道の射形はね、人それぞれだったりするんだ。僕には僕の、宮地君には宮地君のね。
 だから、夜久さんには夜久さんらしい射形が、きっとある。
 憧れや目標は大切だけど、自分らしさを見付けるのも、弓道の楽しみの一つなんだよ。
 そう言いたかったんだよね、宮地君」
 「俺は別に……。道場の掃除、始めます」
言いたかったことをすべて誉に代弁されてしまった龍之介は、二の句が継げなくなる。
ニコニコと微笑んで見つめる誉に、居た堪れなさを感じて、早々にその場を離れることにした。
 「宮地君、照れてるのかな。あぁ、そうだ。道場の掃除は一年生の担当なんだ。
 夜久さんも入部したら、やってもらうことになるけど、大丈夫かな?」
 「はい。お掃除、嫌いじゃないんです。それに、ピカピカの道場で弓を引いた方が、
 きっと気持ち良いと思います」
 「うん、そうだね。そういう考え方、僕は好きだな」
 「あっ、ありがとうございます」
自分自身のことを言われた訳ではないのに、『好きだ』と言う言葉に反応して、
顔がどんどん赤くなっていくのを、月子はどうすることもできずにいた。
 「ふふっ。もしかして、君も照れてるの?」
揶揄うような微笑を向ける誉に、益々顔が赤くなる。
 「よろしくお願いします」
その後、次々と部員がやってきて、道場内は賑やかになっていく。
道場の隅で見学をさせてもらうことになった月子は、羨ましそうな顔でそれを眺めていた。
綺麗な矢を引く先輩や口下手な同級生がいる弓道部。
練習を続けていけば、いつかきっと、自分らしい弓が引けるようになる。
それはとても楽しそうだ。帰ったら入部届けを書こう。月子は、そう心に決めた。

完(2011.05.08)  
 
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