「前夜祭」(1)

学園中がざわざわと浮き足立っているのが、肌を通して実感できる。
校舎の中も外も、忙しそうに動きまわる生徒たちで溢れ返っていて、活気が違う。
彼らの顔はみんな、いつもより楽しげに輝いていた。
 「あっ、あんな処に居た。でも、何をやっているんだろう?」
教室へ行くと、お目当ての人は食堂に居るはずだと教えられた。
その教え通りに食堂へやって来ると、一番逢いたかった人をすぐに見付ける。
ずっとずっと逢いたかった女性。夜久月子を。
 「いったーい!!」
テーブルの一角を陣取って、月子は布と格闘している。
 「大丈夫か、月子? ムリそうなら、俺が代わろうか?」
 「大丈夫だよ、錫也。それに、今回は錫也の方が忙しいでしょ」
別のテーブルの前に立って、泡だて器を振るっていた東月錫也が、
慌てたように月子に声を掛けると、痛めた指を咥えながら月子が笑う。
錫也の横に立っていた七海哉太が、そんな月子を覗き込みながら、
揶揄うように囃し立てた。
 「所詮、不器用な月子に裁縫なんて、ムリだったんだよ。
 クラスの連中も、見る目ないよな。明らかな人選ミス。
 そんな絆創膏だらけの指。もう貼る処なんてないじゃんか。
 俺が代わってやるから、それ貸せよ」
 「なによ、哉太だって不器用じゃない。錫也を手伝うって張り切ってたくせに、
 何回も包丁で指を切って、絆創膏だらけなのは私と一緒でしょ」
揶揄われていることにムッとして、月子も言い返す。
そんな二人の間に入るように、錫也が執り成しの声を上げた。
 「はいはい、二人共、そこまで。月子、絆創膏要る? 貼る処くらい、まだあるだろ?
 それに哉太も、月子が心配で代わってやりたいのは判るけど、こっちも大変なんだ。
 手伝ってくれる、って言ったの、哉太だよね?」
 「お、俺は別に、こいつを心配したとかじゃ……。ただ、指に傷の痕が残ったら可哀想
 だと思って……。それに!! 錫也の手伝いだったら、こいつだって」
 「哉太、ホントにそう思うか? 月子に料理を任せても大丈夫だって」
 「いや、それこそ無謀な人選ミス、だよな?」
 「二人共、酷い!!」
面倒見の良い錫也。照れ屋で意地っ張りの哉太。
そんな二人に囲まれて、楽しそうに笑う月子。
その光景があまりにも変わっていなくて、ずっと見ていたいと思う。
そして、ずっと見ていられなかったことを、とても淋しく感じる。
その想いに気付いて軽く苦笑いを浮かべると、ゆっくりとした足取りで、
彼らの傍へと歩き出した。
 「それなら僕がやるよ。月子の代わりが出来るのは、僕しかいないでしょ」
ただいまという言葉を笑顔に変えて、真っ直ぐな瞳を月子に向ける。
 「羊くん!!」
 「羊、ホントに羊なのか?」
 「お前、俺達に逢えなくて、淋しくなって戻ってきちまったのか?」
予想通りの反応に満足すると、土萌羊は戻ってきたんだと、改めて実感する。
 「Bonjour. 月子、錫也。しょうがないから哉太にも言ってあげる。ただいま。
 だけど、淋しくなったから戻ってきたわけじゃないよ。勘違いしないでよね」
いつもの憎まれ口を利くことで、さっきまで遠巻きに眺めていた場所に、
自分が居られることを嬉しく思っていた。
 「でも、どうして羊くんが?」
 「うん。月子が学園祭があるって教えてくれたでしょ。その話を父さんにしたら、
 行ってこい、って。高校生らしいことも、少しはしないとダメだ、って言ってくれたんだ」
不思議そうな顔で見つめる月子に、羊は嬉しそうに説明する。
その嬉しさが他の三人にも移ったように、それぞれの顔に笑顔が浮かんでいる。
 「そっか、良かったな、羊」
 「ありがとう、錫也。ところで、うちのクラスは何をやるの?」
錫也と哉太の前に広げられている食材や食器。作りかけのクッキー生地や、
ケーキ用のスポンジがところ狭しと並んでいる。
横のテーブルに視線を向けると、月子が布を抱えて座っている姿があった。
 「聞いて驚け。俺達のクラスは、錫也シェフが腕を振るう、自慢の喫茶店だ」
 「そんなの、普通過ぎて全然驚かないよ。それに、喫茶店にシェフは居ないと思う。
 でも、そっか。錫也が腕を振るうってことは、お菓子を作るんだよね。
 ねぇ、タルトタタンも作る? 前に作ってもらったの、すっごく美味しかった。
 僕、また食べたい」
胸を張って自慢する哉太を軽くあしらうと、錫也に貰ったお菓子の味を思い出して、
はしゃいだ声を漏らす。
 「羊の食欲は、相変わらずだな。うん、作るよ。だから、楽しみにしてて」
 「うん。……喫茶店のメニューの下ごしらえを、錫也と、邪魔してるようにしか
 見えないけど哉太がやってる、ってのは判るんだけど。
 月子は、それ、何をしてるの?」
テーブルの上に視線を彷徨わせた後、月子の手元を凝視する。
とても不釣合いな組み合わせに、羊は首を撚るしかできなかった。
 「邪魔って何だよ、邪魔って。俺だって一生懸命……」
 「はいはい、判ったよ。指に絆創膏を貼るくらい、頑張ってるんだよね。
 もう、ほんっと哉太は煩いんだから。僕は今、月子と話してるのに」
 「羊は、少しも変わらないね」
ボソリと呟く錫也の声に、羊は嬉しそうに笑う。
 
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