「ただのヤキモチだから」(1)

春から夏へと季節が移り、見上げる空の星たちも、その姿を変化させていた。
陽が落ちると纏わり付いてきた肌寒さも、最近では心地良さに変わってきている。
 「ごめんね、遅くなっちゃって」
屋上庭園で一人、暮れていく空を見上げていた東月錫也は、
傍に立つ幼馴染みで恋人の夜久月子に、優しい笑顔を向けた。
 「気にしなくて良いよ。俺も、さっき来た処なんだ。それに、太陽が沈まないと、
 星がよく見えないだろう。これからは、観測会も時間を遅らせた方が良いかな」
 「随分と日が延びたもんね。あれ? ねぇ、錫也。哉太はまだ来てないの?」
周囲を見回しながら尋ねる月子は、その言葉を耳にした途端、
錫也が少し淋しそうな表情を浮かべた事に、気付いていない。
 「哉太、今日は来ないよ。他に予定があるんだって。あいつに何か用事?」
月子に気取られないように気持ちを切り替えると、いつもと変わらない声を出す。
 「ううん、そうじゃないけど。星好きの哉太が観測会に来ないなんて珍しいから。
 また体調を崩して寝込んでるんじゃないか、って思ったの」
 「あぁ、そっか。うん、でもホント、ただのヤボ用だって。
 だから、そんなに心配しなくて大丈夫だよ」
もう一人の幼馴染み七海哉太は、子供の頃から持病を抱えていた。
同じ高校に入学した後も、体調を崩しては、何度も保健室に運ばれている。
そんな哉太をいつも心配している月子の優しさを、幼馴染みとして嬉しく思う反面、
その優しさが自分だけに向けられていないことに、恋人としての不満も持ち合わせていた。
錫也はそんな気持ちを溜め息と共に吐き出すと、早々に話題を変えることにする。
 「それより月子。部活はどうだった?
 嬉しそうな顔してるけど、何か良いことでもあった?」
 「私、そんなに嬉しそうな顔してる? うーん、錫也には判っちゃうのかな」
 「そんな顔してたら、誰にでも判るよ。まぁ、俺だから、ってことにしておいて欲しいけど。
 で、何があったの?」
来た時からずっと、満面の笑みを浮かべている月子に、錫也も嬉しそうな顔で先を促す。
ほんの少し芽生えた不満が消えていることに気付き、
月子が笑っているだけで幸せなのだと、改めて実感した。
 「あのね、今日は久し振りに絶好調だったの。いつもより集中できた、って感じだし。
 ちょっとズレちゃったけど、ほぼ皆中だったんだよ。
 そしたらね、宮地君が褒めてくれたの。あの宮地君が褒めるなんて、珍しいでしょ。
 やっぱり部長に射形を見てもらったのが良かったのかな」
弓道部に所属する月子は、好調だった練習を振り返って、はしゃいだ声を出す。
その声が耳に心地良くて、もっと聞いていたい。
錫也はそう思うと、月子から言葉を引き出すために、更に話し掛けた。
 「そっか。金久保先輩も宮地君も、弓道は熱心だもんね。月子も調子が良いみたいだし。
 インターハイの前にある予選会、もうすぐだったよな」
 「うん。それに向けて、みんな頑張ってるんだよ。それに、新しく一年生が入部してね。
 梓君って言うんだけど、すごく弓道が上手いの。私も、まだまだ頑張らなくっちゃ」
 「梓君……って言うんだ。その新入部員」
月子が口にする『梓君』という名前に、錫也の心臓が跳ね上がる。
得体の知れない闇が、心を塗り潰していく感覚を味わう。
そんな錫也の変化に気付かないのか、月子は笑顔を崩さない。
そのことですら、錫也の気持ちが塞がっていくことに拍車を掛けていく。
 「そう。宇宙科の一年生。木ノ瀬梓君。錫也、梓君を知ってるの?」
錫也の問いに、月子が無邪気な笑顔を向ける。
そんな月子を見ているのが辛くて、錫也はそっと視線を逸らした。
 「いや、多分知らない。何でそう思うの」
答えた声が硬くなる。
 「何か気にしてるみたいだから。あっ、それより詰まらなかったよね。
 私ばっかり話してて。嬉しかったからつい」
不機嫌そうな錫也の声に、漸く月子も気が付いた。
でも、その理由についてまでは、判っていない。
 「良いよ、月子の話を聞いているのは好きだから。ただ……」
 「ただ、何?」
教えて? と首を傾げながら、錫也の顔を覗き込む。
不安そうな顔をする月子を見て、錫也は小さく息を吐き出すと、
観念したように口を開いた。
 
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