「アイタイ」(2)
寮に帰ってきてからも、月子の気持ちは晴れなかった。
窓の外から聞こえてくる雨の音は、帰ってきた時よりも強くなっている。
『付き合い始めて間もないってのに、さっさと遠距離を決めちまうような奴だ。
あっちでヨロシクやってるかも知れないし……』
一人で部屋にいると、部活中に聞いた犬飼の言葉が脳裏に蘇ってくる。
そのたびに、月子は大きな溜め息を吐き出していた。
「羊君に限って、そんなことないよね」
転校してきた当初の羊は、月子以外の人との関わりを拒んでいた。
けれど、月子の幼馴染でクラスメイトだった東月錫也や七海哉太と行動を共にするように
なってから、人との関わりも悪くないと思い始めるようになっていた。
今の羊なら、アメリカでもたくさんの人と仲良くすることだってできるはず。
もちろん、その中には女性だっている。
月子の知らない羊の世界があることを、ずっと不安に思っていた。
犬飼の言葉は、そんな月子の不安を代弁していたに過ぎない。
「今からこれでどうするのよ!!」
自分を奮起させるように呟くと、テーブルの上に置いていた携帯電話に手を伸ばす。
いつもは、その日にあった出来事や、錫也や哉太と交わした会話など、
取り留めのない内容を送りあっているメール。
けれど今日は、そんな明るい話題が一つも思い浮かばずにいた。
『羊君に逢いたい』
送信画面に入力した文字を、暫く眺めていた月子は、
送信ボタンではなくクリアボタンを押して、そのままメールを破棄してしまった。
アメリカに渡った羊は、念願だった天文の研究を始めたばかり。
慣れない場所での生活は、今が一番大事な時期。
恋人である自分が、そんな羊に甘えてはいけない。
そう心に言い聞かせてみるが、溢れる想いをどうすることもできなかった。
「やっぱり逢いたいよ。羊君」
メールに書いた同じ言葉を、涙声で呟いてしまう。
その時、まるで月子の言葉に応えるように、携帯電話が鳴り出した。
「メール? ……羊君からだ」
送信者の名前を確認すると、急いで送られてきたメールを開く。
『月子。今日も元気にしてた?
僕は、研究の区切りが付かなくて、徹夜しちゃった。だから、少し眠い。
そうだ。この間、錫也からもらったメールに、月子がインターハイに向けて、
毎日遅くまで練習してるって書いてあったよ。ねぇ、疲れてない?
月子はすぐに無理をするから心配だよ。練習も大事だけど、程々にしてね。
月子の試合、僕も行きたかったな。傍で応援できないのが、ちょっと悔しい。
でも、仕方ない。この距離が恨めしいけど、空に向かってキミにエールを送るね。
その代わり、傍での応援は錫也と哉太に任せることにする。
あっ、でもね。今度、父さんが日本の学会に出席するかも知れないんだ。
そうなったら、僕も絶対着いていけるようにお願いするつもり。
日程を調整して、月子に逢いに行く。少しでも月子に逢いたいからね。
でも、錫也や哉太には内緒だよ。せっかくの二人の時間、邪魔されたくないから』
「ふふっ。そんなこと言って、絶対二人にも逢いたいくせに」
羊のメールを読みながら、月子は楽しそうに笑い声を漏らす。
さっきまでの不安が消えて、少しだけ心が軽くなっていた。
そしてまた、メールの続きを読み始める。
『ねぇ、月子。淋しくない? ホント言うとね。
こっちは最近、ずっと雨なんだ。星があまり見えない。
哉太は空は続いてるって言ったけど、星空じゃないと、とても距離を感じるよ。
振り続く雨が、キミの涙のように思えて不安になるんだ。
もし月子が辛くて泣いてるなら、お願いだから、僕にちゃんと伝えて。
月子が甘えられるのは、僕だけなんだからね。
月子を支えられるように、僕は強い男なるって決めたんだ。
僕は月子に逢いたいよ。星が見えないと、余計にその想いが募る。
月子もそう思っていてくれたら嬉しい。キミの心の中に、僕が居る証拠だからね。
暫くは淋しい思いをさせちゃうけど、もう少しだけ我慢してもらえる?
月子に相応しい強い男になって、ちゃんと迎えに行く。その時まで、もう少しだけ。
じゃあ、その時を楽しみにしてて。bonne nuit. Je t'aime.』
何度もメールを読み返した後、送信画面を表示させる。
真っ直ぐに月子への思いを伝えてくれた羊への返事を書くために。
心を偽ることを、羊は許してくれない。そして偽らない想いを、きちんと受け止めてくれる。
月子は素直な気持ちを綴ると、今度こそ躊躇うことなく送信ボタンを押した。
『私も羊君に逢いたい……』
窓の外から聞こえていた雨の音は、いつの間にか止んでいる。
見上げればきっと、空には綺麗な星が瞬いている。
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