「外灯の下で」(1)

パタパタと勢い良く駆けてきたけれど、真っ暗な校舎を目の前にした処で、
夜久月子は躊躇するように立ち止まってしまった。
校舎の外は、外灯と満天の星空で意外と明るい。
けれど一歩校舎に入ってしまうと、真っ暗な廊下が続いている。
暗い場所が苦手な月子は、消灯時間が過ぎてしまった暗い校舎の中を、
一人で教室まで行く勇気が出せずにいた。
 「うーん、仕方ない。援軍を呼ぼう」
景気付けに軽い口調でそう言うと、ポケットから携帯電話を取り出す。
呼び出しボタンを押すと、数コールの後に、受話器の向こうから声が聞こえてくる。
 『もしもし、月子?』
声の主は、東月錫也。
 「ごめん、錫也。もしかして、もう寝ちゃってた?」
門限はとうに過ぎている。
部屋で寛いでいるのを、邪魔してしまったかも知れない。
申し訳なさそうな声を出す月子に、錫也はあっさりと否定する。
 『まだ大丈夫だよ。って言うより、今、屋上庭園にいるんだ』
 「えっ? どうして?」
予想外の答えに、月子は驚きの声を出す。
屋上庭園なら、月子がいる校舎前まですぐの場所だ。
 『観測会。哉太や羊もいるよ。今日は、星がすごく綺麗だからさ』
 「ずるーい!! どうして私も呼んでくれないの?」
頬を膨らませて文句を言う月子に、受話器の向こうから、
錫也の可笑しそうな笑い声が聞こえてくる。
 『ごめん、ごめん。そんなにむくれないでよ。
 さっき急に哉太が言い出してさ。羊は月子も呼ぼうって言ったんだけど、
 まさかお前に、門限破りをさせるわけにはいかないだろう。
 月子こそ、こんな時間にどうしたの? 俺に何か用事だった?』
 「あっ、そうだ。あのね、私も今、校舎の前に居るんだけど」
 『校舎前だって!! 月子、一人? 何でそんな……あっ、おい、哉太!!』
錫也の言葉を耳にしたのだろう。
電話の向こうで、走りだす七海哉太の足音と、扉の開閉する音がしている。
 『哉太、ずるいよ。一人で月子を迎えに行くつもり!! 僕も絶対行くからね』
更に、それを追いかけるようにして聞こえてくる、土萌羊の声も。
 『あーあ、二人とも行っちゃったよ。月子、今の聞こえた?』
 「うん、聞こえた。じゃあ、私も二人を迎えに……」
二人の様子が目に浮かんで、思わずクスクスと笑い声をあげる。
 『それはダメ。月子はそこにいなさい』
きっと今頃、喧嘩をしながら走っているに違いない。
早く二人に合流しようと口にした言葉を、錫也に止められてしまった。
 『そこなら外灯があるから明るいだろ。
 行き違いになったら、迎えに行った意味がなくなる。
 そもそも、こんな暗くなってから一人で歩くのが危険だって、
 充分自覚した方が良い。二人が行くまで、そこを動かないこと。判った?』
 「はーい」
錫也の心配を理解して、月子は素直に従う事にする。
屋上庭園まで行くには、校舎の中に入らなければならない。
消灯時間の過ぎた真っ暗な廊下を怖がっていた月子には、
それは多少の勇気が必要だった。
それでも、向こうから哉太と羊が来てくれるのなら、
その勇気だって奮い起こせそうな気がしていた。
それに……。
 『うん、良い返事だ。
 じゃあ、あの二人が着くまで、こうして俺と電話で話していようよ』
 「良いの?」
 『もちろん。いくら明るいからって、一人で待ってるの、本当は怖いんだろ?』
 「どうして判ったの?」
外灯の灯りがあっても、誰もいない校舎前に一人で立っている事は、
正直怖くもある。風で木が揺れているだけでも、驚いてしまうくらいに。
同じ怖い思いをするなら、早く二人に合流する方が良い。
月子はそう思って、迎えに行くことを選択しようとした。
どうやらそれは、錫也にはお見通しだったらしい。
 『何年一緒にいると思ってるんだ。そんなの、すぐに判るよ。
 じゃあ、ほら、空を見上げて。星、見える?』
 「うん、よく見えるよ。あっ、アークトゥルス、見っけ」
錫也に言われた通り、星空を見上げる。
満天の星空に、一番明るく輝く星を見付けた。
 『月子はいつも、最初はそれだね。じゃあ、星座を見付けながら、話をしよう。
 ……それで、どうしてこんな時間に、校舎前になんていたの?』
錫也と話しているお陰で、月子は一人で佇んでいる事も怖くなくなっていた。
そして、言われた通りに、指で星座を辿り始める。
 「課題をやるの、忘れちゃってたの。急いでやらなきゃ、って思ったら、
 課題のプリント、教室に置いてきちゃってて。慌てて取りに来たんだけど」
 『暗くて校舎に入れなかった』
 「正解です」
 『まったく、昔から慌てん坊だよなぁ。全然変わってない』
 「毎度、お世話掛けます」
 『良いよ。お前の世話を焼くのが、俺達の役目なんだから』
暫く錫也と電話で話をしていると、走ってくる足音と話し声が聞こえてきた。
 「哉太、ちょっと待ってよ」
 「へっへーんだ、羊のノロマー」
 「煩いなー。僕は全力で走ってないだけだよ。
 哉太みたいに、思いっ切り走って汗掻いてる姿なんて、冗談じゃない。
 汗臭い男なんて、嫌われるだけだよ」
 「えっ、そうなのか? 俺、汗臭い? ヤベー、どうしよう」
 「哉太って、ホント、単純だよね」
いつもの掛け合い漫才のような会話を交わしながら、
哉太と羊が月子の方へと走ってくる。
 「あっ、二人とも、着いたみたい」
それに気付いて、月子も錫也にそう報告する。
 『そっか。じゃあ、月子の事は二人に任せよう。
 俺も用事を済ませたら屋上庭園に戻るから、後で合流しよう』
 「あれ、錫也。屋上庭園にいるんじゃないの?」
 『違うよ。俺は食堂へ向かってるんだ。
 月子が来るなら、夜食を作ろうと思ってね。羊だけなら、黙らせとくんだけど』
じゃあ、後で。そう言って、錫也との電話を終わらせた。
 
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