「お菓子作り」(1)

星月学園の食堂の端に設けられた調理場。
そこに、学園唯一の女子生徒でもある夜久月子が、真剣な顔で立ち尽くしていた。
他に誰もいない調理場で、クッキングブックを覗き込みながら、並べられた食材と照らし合わせている。
 「この材料で、何を作ろう。本に載っているのは、どれも美味しそうだから、迷っちゃうよね。
 でも、女の子らしさをアピールするには、やっぱりまずはお菓子作りでしょ」
そう言って、持っていた本をパラパラと捲る。
 『料理初心者なら、簡単なクッキーとか、せいぜいマドレーヌあたりが良いと思うわよ』
調理場と食材を貸して欲しいと頼んだ時に、食堂のおばちゃん達からも、そうアドバイスを貰っていた。
 「クッキーかぁ。錫也のクッキーには、絶対に勝てる気しないんだよね」
本を調理台に置くと、バターを湯煎するため、水を張った薬缶をコンロに乗せる。
 「俺が、どうかした?」
 「きゃっ。……熱っ」
静まり返った調理場で、自分以外の声に驚いた月子は、コンロの火に手が触れてしまった。
 「月子!!」
声を掛けた東月錫也は、月子の悲鳴に慌てた様子で、彼女をシンクの前まで連れて行く。
水道の蛇口を捻ると、赤くなった月子の手を水で冷やし始める。
 「ごめん、月子。急に声を掛けたから、驚いたよな。
 お前の手に痕が残るような事になったら、俺は自分を許せそうにない」
 「大袈裟だよ、錫也。本当は驚いただけで、あんまり熱くなかったの」
心配そうな顔で覗き込む錫也に、月子は安心させるように微笑んだ。
 「俺に嘘は効かないよ。何年一緒にいると思ってるんだ。
 それに、俺だって料理中に火傷をする事だってある。
 あんなに赤くなるのは、相当熱かった時だよ」
充分に水で冷やされた月子の手を確認しながら、過去の経験を思い返していた。
月子の手にあった火傷の痕が薄くなっているのを見て、漸く錫也の顔にも安堵の色が浮かぶ。
しかし、月子は自分の手の事よりも、錫也の言葉の方が気になっていた。
 「えっ? 錫也でも、料理中に火傷なんてするの?」
料理上手な錫也は、いつも手際が良い。包丁さばきも、フライパンの扱いも、それは見事にこなしている。
そんな錫也が、料理中に火傷をするなんて、月子には信じられなかった。
 「さすがに、今はそんなに無いかな。でも、子供の頃は、しょっちゅうだったよ。
 なぁ、本当にもう、痛まないのか? 俺に遠慮は必要ないから、ちゃんと言うんだぞ」
 「もぉ、錫也は心配性なんだから。本当に何とも無いから、大丈夫だよ」
さっきまでしていたチリチリとした痛みも、水で冷やされたお陰で、もうしなくなっている。
月子はそれを伝えるように、錫也に微笑んでみせた。
 「相手がお前じゃなかったら、こんなに心配なんかしないよ」
錫也はそう言って月子の頭を軽く撫でると、話題を変えるように視線を調理台へと向けた。
 「ところでさ、月子。これ、いったい何をしていたの? もしかして、お腹空いちゃった?
 言ってくれたら、俺が何か作ったのに」
調理台の上に並べられている食材を眺めながら、錫也が不思議そうな声を上げる。
 「違うの、錫也。お腹は空いてないから大丈夫。そう言うんじゃないから」
錫也の声に反応して、調理台に放り出してあったクッキングブックを手に取ると、
慌てたように背中に隠した。
 「バターに小麦粉。それからバニラエッセンス。後は……。
 うーん。この材料なら、お菓子作りだよね。クッキーかな? どう、当たった?」
 「……当たり」
置かれている食材から、あっさりお菓子作りを当てられてしまった月子は、仕方なさそうに肯定する。
まだ、何を作るかさえ決めていなかったのに……。
 
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