「貸しておいてやる」(2)

月子に頼まれたので、暫くは大人しく飾り付けの手伝いをしていた。
 「あー、もう疲れた。保健室へ戻って不味いお茶が飲みたい」
 「星月先生のお陰で、大分飾り付けも進みました。ありがとうございます」
琥太郎の言葉に、月子もぺこんっと頭を下げてお礼を口にする。
 「だけど、一樹会長にこの場所を頼まれてますし。保健室へ行ってお茶を入れるのは……」
 「それなら大丈夫だ。青空が来た。ここはアイツに頼めば良い」
 「えっ、でも」
作業の進捗状況を確認しながら、生徒会副会長の青空颯斗がツリーの傍までやってくる。
 「青空、悪けど夜久を借りて良いか。保健係の仕事を頼みたい」
 「ええ、どうぞ。僕の方は手が空きましたから、こちらは僕が見ているので大丈夫です。
 でも星月先生。それでなくても彼女は忙しい身なのですから、あまりこき使わないでくださいね」
 「判ってるよ。すぐに返す」
 「颯斗くん、ごめんね。私の分、戻ってきたらちゃんとやるから」
後ろ髪を引かれるような顔で颯斗を気にする月子を伴って、琥太郎は足早に体育館を出た。
 「もう、星月先生は強引なんだから。保健係の仕事なんて言って、お茶を入れるだけなのに」
少し唇を尖らせて不満を漏らす月子を連れて、保健室まで戻ってくる。
 「それも立派な係の仕事だ。それに……」
 「それに? あっ、今、電気点けますね」
真っ暗な保健室へ先に入った月子が、スイッチに手を伸ばす。
その後姿を追って、琥太郎が月子の身体を背後から抱きしめる。
 「点けなくて良い」
 「星月先生?」
驚いて身体を固くする月子も、抱きしめているのが琥太郎だと判ると、力を抜いて身を任せる。
 「外はもう暗い。電気を点けたら、こちら側が丸見えになるぞ。それでも良いか?」
 「うっ……良くないです」
 「暗いままだと、顔を赤くして照れているオマエを見られないのが、つまらないけどな」
揶揄い口調でそう言うと、一度腕から離して、月子をこちら側に向かせる。
廊下から差し込む薄明かりに目が慣れてくると、真っ赤な顔で恥ずかしそうに微笑んでいる
月子が見えた。その途端、抑えていた理性が吹き飛んだ。
何度も唇を奪う。強く抱きしめる。時間の感覚すら、なくなっていく。
 「ほし・・・づき・・・先生。……苦しい……です」
腕の中で荒く息を吐きながら、琥太郎の名前を呟く。
その声を耳にして、漸くまた理性が戻ってくる。
 「悪いな。オマエに触れるのは久し振りだから、感情が抑えられなかった。
 オマエはいつも忙しすぎて、俺の傍にはいてくれないからな」
謝罪を口にしても、月子を腕から離す気にはなれない。
また暫くは、こうして月子を腕に閉じ込めることが叶わないのだから。
 「それは星月先生も一緒ですよ。保健室に顔を出しても、いない事の方が多いです。
 今日だって、殆ど居なかったですよね」
同じ様に淋しい思いをしていた月子も、琥太郎の背中に回していた腕に力を入れる。
月子の淋しさに気付いて、琥太郎は小さく息を吐き出した。
 「確かに、最近は理事の仕事が増えてきて、保健室に居る時間が減っていたからな。
 俺も同罪ってことか。なら、オマエにばかり罰を与えるのはフェアじゃないか」
 「罰?」
 「ああ。オマエの唇を奪って、俺の心を満たすという罰だ。
 今度はオマエが俺に罰を与えて良いぞ。どうして欲しい。俺が何でも望みを叶えてやる」
 「それなら……。同じ罰を……」
 「苦しいって言ってたくせに」
言われた通り同じ罰を与えるために、軽く唇に触れる。
 「手加減できないから、苦しくなったらちゃんと言えよ」
そしてまた、深く深く落ちていく。心がすべてを満たすまで続いていく。
だけれどそれは、ほんの短い時間。
琥太郎にも月子にも、それぞれやるべきことが他にもある。それは充分に判っていた。
 「そうだ。もう一つ、良いですか?」
唇を離し、お互いの体温だけを感じあっていた二人の間に、
月子の言葉が時間の流れを取り戻させる。
 「欲張りだな。まぁ、良い。きっと俺の方が淋しい思いをさせているんだろうからな。何だ?」
 「さっきの、“それに”の続きを教えてください」
保健室へ戻ってきた時に琥太郎が言いかけた言葉。
それがずっと気になっていた月子は、聞かずにはいられなかった。
 「そのことか。青空との会話で、俺が飲み込んだ言葉だ。“借りる”も“返す”もない。
 夜久は俺のなんだからな。保健係も生徒会も関係ない。オマエは俺の傍にいればいい」
続く言葉が淋しいものでなかったことに、月子もホッとした表情を浮かべる。
そして、琥太郎が聞きたいと思っていた言葉を、伝えてくれた。
 「ずっと……傍にいます」
その時、近付いてくる足音が廊下に響く。
 「あれー? 保健室、真っ暗だ。月子は係の仕事をしてるって、そらそらに聞いたのに。
 何処へ行っちゃっただろう? おーい、月子ー」
保健室の電気が消えていることを不信に思った天羽翼が、廊下の外で月子を探している。
中まで探す気はないようで、声が少し遠ざかった。
 「翼くん、買い物から戻ってきたんだ」
 「ずっと傍にってわけにはいかないか。仕方ない。もう暫くアイツらに貸しておいてやる。
 もう行って良いぞ」
名残惜しそうに月子を腕から解放する。
腕の中から温もりが消えて行くのを感じて、また淋しくなった。
月子が卒業するまでは、この繰り返しなのだろう。
覚悟を決めていたはずなのに、実際に腕の中に収めてしまうと、気持ちまでもが我儘になる。
 「でもまだお茶を入れてません」
 「さっきのキスで、充分癒されたよ。でもすぐに疲れるから、その時はまた癒しに来てくれ」
 「もちろんです。でも、たまには私のことも癒してくださいね」
 「あぁ、同じもので良かったらな」
琥太郎の言葉に照れる月子を、保健室の外まで見送る。
見えなくなった翼を追い掛けて走り去る月子の背中に、聞こえないと知りながら声に出して言う。
 「アイツらには貸してやるだけだ。それを忘れるなよ」
まるで自分に言い聞かせているみたいだと、琥太郎は自嘲気味に微笑んだ。

完(2012.03.18)  
 
BACK  ◆  HOME