「居場所」(2)
声が聞こえた方を振り向くと、満面の笑顔を向けて大きく手を振りながら、
小走りに走ってくる天宮椿の姿があった。
「狐邑くーん。・・・あっ」
祐一の傍に見知らぬ男が立っている事に気付いた椿は、走っていた足を止める。
「邪魔しちゃってごめーん。この間の写真。出来たから、サークル室に置いておくね。
暇があったら、今度見に来て」
その場でもう一度大きく手を振ると、くるりと祐一に背を向けた。
「天宮さん!!」
走り去ろうとする椿の背中に、祐一は慌てて声を掛けて呼び止めた。
「ふぅーん。あれがサークルの・・・。先輩には見えないけどね」
傍に立つ芦屋の声が耳に届いたが、そのまま聞き流すと、
立ち止まった椿の傍へと歩き出していた。
「良いの?」
祐一に声を掛けた椿は、視線を祐一の背後に向ける。
そこには、いつの間に着いて来たのか、芦屋が立っていた。
「話はもう終わった。それで良いですよね、芦屋さん」
「はいはい。おじさんはもう帰りますよ。狐邑くんは、お嬢さんに返そう」
椿を身体で隠すように立っている祐一に、芦屋はそう答えると、
そのまま二人を追い抜いていく。
通り過ぎる際に、ポンっと、椿の頭に軽く手を乗せた。
「伝言、ありがとうございました。また、村のみんなに逢うことがあったら、
俺は元気でやっていると、伝えてください」
「判った。近々、多家良に遣いを頼もうと思ってたんだ。伝えておくよ」
背中越しに声を掛けた祐一に、芦屋は振り向きもせず、軽く手を振ってみせた。
二人から離れた処で、芦屋は一度足を止める。
振り向くと、先程と同じ場所に、楽しそうに笑い合う二人がいた。
「狐の恋、か。まぁ、せいぜい楽しむことだ。
時間は限られている。そう長くは続かないよ。
キミはまた、戦いの場へ身を置くことになる。今度こそ、生きて戻れる保証はない。
悔やまないためにも、思い残すことがないように、しっかりと今を生きると良い」
芦屋の顔には、薄ら笑いも揶揄いもなく、真剣な眼差しと悲しげな表情が浮かんでいた。
「何か、面白い人だね。
あの人、見たことないけど、狐邑くんの学部の教授・・・って年齢でもなさそうだから、
准教授あたりかな」
通り過ぎた芦屋を気にするように、椿は去って行った方向を眺めながら呟いた。
「いや、大学とは関係ない。ただの、郷里の知り合いだ。
俺は一人でこっちに出てきたから、郷里の者が心配してると伝えに来てくれた。
・・・面白い?どんな処が?」
一瞬すれ違っただけの芦屋の、何処が面白かったと言うのだろう?
椿の言葉に引っかかった祐一は、もの問いげな表情で見返した。
「うーん、ほら、男性の残り香って、煙草の香りとか、珈琲の香りとかって、
よく言われるじゃない。だけどあの人、お煎餅の香りがしたんだよ。
そう言うの珍しいから、面白いな、って」
そう言ってにこにこと笑う椿に、祐一はホッとしたような微笑を浮かべる。
そして、 何時になく饒舌に、芦屋の素性を語って聞かせた。
「あぁ、そうだな。確かに男にしては珍しい残り香とも言える。
禁煙して煙草を吸わない代わりに、煎餅を食べるようになったそうだ。
さっきも、俺と話をしながら、ずっと煎餅を齧っていた」
郷里の村に、美味しい煎餅屋があったことを思い出すと、
『多家良に遣いを頼む』と言った芦屋の言葉に合点がいった。
「・・・残り香。俺にもあったりするのか?」
「狐邑くんはね、炎、かな。見た目のイメージとは、ちょっと違うよね」
何気なく呟いた祐一の独り言に、椿は一瞬考えた後、そう答えを返す。
椿が口にした『炎』の言葉に、己の持つ異能の力を言い当てられたような気がして、
祐一は愕然としてしまう。
炎と幻術を自由に操ること。それが、祐一の持つ異能の力。
郷里の村を離れてから、異能の力を使ったことは一度もないが、
知らず知らずの内に、身体に纏っている力が外へ漏れ出しているというのか。
異能の力を知られることは、この場所を追われるということ。
そして何より、傍で笑っている椿を、失ってしまうことに他ならない。
祐一は、そんな不安に囚われて、心が震えていることに気が付いた。
「炎って言っても、劫火とは違うけどね。うーん、蝋燭に近いかなぁ。
ちょっと頼りない炎に感じるけど、誰かの支えにはちゃんとなってる。
そんな暖かい炎だよ。ほら、明るい処だとよく判らないけど、
周りが暗いと、遠くにいてもその明るさは見えるじゃない。それって、すごく心強い。
うん、こっちの方が、狐邑くんのイメージにピッタリだね」
椿は、にっこりと微笑むと、自信満々に頷いてみせた。
その笑顔が、更に祐一を不安にさせる。失うことへの恐怖が、心を満たしていく。
恐怖に押し潰されそうになった祐一は、自分の抱える不安を口にしそうになる。
すべてを終わりにしてしまった方が、良いのではないのか?
「もし・・・、その炎が・・・」
「ん?何?」
「いや、何でもない」
そう言って首を振る祐一を、椿は不思議そうな顔で見返していた。
話したくなさそうにしている祐一に、椿は気付かない振りをして、早々に話題を変える。
「そうだ、狐邑くん。もしかして、お昼、まだ食べてない?
それなら、久し振りに食堂へ行こうよ。いつもベンチでお稲荷さんも良いけど、
食堂のランチだって、意外に美味しんだよ。どうかな?」
「さっき言っていた写真。サークル室ではなく、そこで見せてもらえるなら」
明るい声で提案する椿に、祐一はホッとしたように頷いてみせる。
楽しかった思い出を、二人だけで共有したいと、そう告げた。
「うん、もちろん」
嬉しそうに笑う椿を連れ立って、祐一は食堂へと歩き出す。
与えられた時間が僅かなら、もう少しの間だけ、彼女の傍に・・・。
祐一は、心の中でそう願い続けた。
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