「桜と青年」(2)

遥か昔、この土地がまだ山々に囲まれ、畑と畦道が続く長閑な風景を保っていた頃のお話。
村はずれにある小高い丘には、不思議な桜の木が植えられていた。
度重なる厄災に見舞われても、逃れられない戦火が降り注いでも、桜の木には何も影響がない。
ただ雄々しく佇み、桜の花を咲かせ続ける。
そんな桜の木は、いつしか村人たちにとって、守り神のような存在となっていた。
日照りが続けば雨が降るよう懇願し、雨季が続けば川の水が氾濫しないよう祈願する。
村人の祈りは桜の木に届き、それらすべてが叶えられた。
いつしか、不思議な桜の木に祈れば、叶えられないことはなくなっていた。
そして、村人の望みがすべて叶えられると、桜の木に祈りを捧げる者など居なくなる。
それから長い月日が経ち、人々の記憶から桜の木の存在が薄れ始めた頃。
桜の木の下で、一人の青年の姿が、たびたび目撃されるようになった。
木漏れ日を浴び、吹き抜ける風を楽しむように、桜の木の下に座る青年。
その姿は、桜の木に語りかけているようにも見えた。
そんなある夜、打ち拉がれた様子の青年が、桜の木を尋ねてやってくる。
 『丘を更地にして、民家を建てることが決まった。明日にも、お前は切り倒される』
そして、悲しそうな声で、何度も謝罪の言葉を繰り返す。
 『守ってやれなくて、ごめんな』
翌日、村人たちがその手に斧を携えて丘までやってくると、枯れて朽ち果てた桜の木を
目の当たりにする。
それはまるで、潔く自らの生を終わらせたかのように、最後まで雄々しい姿をしていた。
その日を境に、青年の姿を見掛けることもなくなった。
青年と桜の木が消えてから、村では災が続くことになる。
永遠とも思えるほどの日照りが続き、漸く降った雨は川を氾濫させ、村を一つ飲み込んだ。
それから幾年が過ぎた頃、近くの村に泊っていた御坊様が、丘の突端で朽ち果てた桜を見付け、
祠に祀ったところ、その周辺の村落に続いていた災が、ピタリと止んだという。

 「これがね、あの祠の伝説。川に沈んだ村って言うのが、この辺り一帯なんだよ」
 「よく知っているな」
椿が語る話を聴き終えると、祐一は素直に感心する。
祠の伝説についての文献は、紅陵学院の図書室には置かれていなかった。
ただ、祠に意識を集中させれば、微かにカミの力を感じることができる。
あながち想像上の物語ではなさそうだと、祐一は確信した。
 「こういう話、嫌いじゃないんだ、私。それに、ほら。狐邑くんに似てない?
 桜の木の下に通っていた、っていう青年とさ」
祐一が笑わずに話を聞いてくれていたことに、気分を良くした椿は、
祠の傍でいつも本を読んでいる祐一を、伝説の中に出てくる青年のイメージに
重ねていたことを、正直に白状する。
 「その男のことは見たことがないから、俺にはよく判らないな」
 「あー、もう。だから、イメージだよ、イメージ。見たことなら、私だってないもん」
祐一の言葉に、椿は頬を膨らませて、恨めしそうな目で見返している。
どうやら、また怒らせてしまったようだな。
先程から口を開くたびに怒られている気がして、何と言って謝ったら良いのか、
口下手な祐一は、言葉選びに悩んでしまう。
突然会話が途切れると、隣に座っていた椿が急に立ち上がった。
 「私、そろそろ、もう行くね」
その声は、怒っても、呆れてもいない。表情にも、いつもの微笑が浮かんでいる。
それを見た祐一は、再び口を開くことを許された気がして、安心した。
 「今日もサークル室へ?」
 「うん。だけど、今日は友達のところに、顔出すつもり。
 そうだ。狐邑くんも一緒に行く?アートサークルだけど」
祐一の問いに、椿は意地悪そうな笑顔を浮かべる。
さっきまで揶揄われていたことへの、仕返しのつもりらしい。
 「一緒に行くと、モデルをさせられるのか?」
椿の友人から、祐一をモデルに絵を描かせて欲しいと、何度か頼まれていた。
いつもは『興味ない』という一言で、アートサークルへ足を向けることはなかったが、
椿に着いていくということは、友人以外からも同じことを頼まれる可能性が高い。
椿ともう少し一緒にいたい気持ちはあるけれど、モデルをさせられるのは苦手だ。
そんな困った表情を浮かべる祐一に、椿は早々と白旗を上げる。
 「多分ね。でも、何か特別にポーズを取れとかは、言われないよ。
 座って本を読んでても良いし、誰かとしゃべってても良いし。
 普通にしてるところを、メンバーが勝手に作品にしていくだけだから」
そう助け舟を出すと、祐一は明らかにホッとした顔をする。
それを見た椿は、人見知りらしい祐一をムリに誘ってしまったことを、後悔した。
 「なんてね。どっちにしろ、狐邑くん向きじゃないかも。じゃあ、私、もう行くから」
多分一緒には行かないだろうと、手を振って歩き出すことにする。
すると、祐一の口から、意外な言葉が返って来た。
 「その会話の相手を、天宮さんがしてくれるなら、行っても良い」
 「ホントに?うわっ、するする。会話なんて、いっくらでも。みんな、喜んでくれるよぉ」
予想外の答えに、椿は慌てて祐一の隣に戻ってくる。
その言葉が余程嬉しかったのか、椿の顔には満面の笑みが広がっていた。
どうやら機嫌は治ったようだ。
他の誰が喜ぼうと、祐一にはどうでも良かった。
ただ、目の前の椿が嬉しそうに笑っているのを見れただけで、満足していたのだから。

完(2010.12.25)  
 
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