「はじまりの予感」(6)

 「私ね、御神躰の前で拾われたの」
少女は視線を遠くへ向けると、自分の生い立ちについて語り始める。

寒い冬の日の朝。
昨晩から降り続いて積もった雪を掻こうと、御神体の前にやってきた神主が、それを発見した。
御神体の前に放置されたように置かれた籠。
その籠の周囲にだけ、大きな輪が囲っていたように、雪が消えている。
不審に思った神主が傍に近付いていき、その籠の中を覗き込んで見ると、
まるで思い出したかのように、赤子が声を上げて泣き出した。

 「その時の赤ん坊が私。
 見付けてくれた神主さんの話だと、私がそこに置かれたのは、夜の内らしいんだよ。
 一晩中、雪の中にいたはずなのに、凍えることもなく元気に泣いていたんだって。
 だからきっと、御神体である狐様が、私を守ってくれてたんだ、って思うの。
 籠の周りに雪がなかったのも、九つの尾で温めてくれてたに違いない、って。
 そう信じてるんだよ」
 「だから、母親だと?」
 「まさか、父親だったとは思わなかったなぁ。母性愛の方が、それっぽいのに」
先程までの真剣な口調とは打って変わって、茶化した言い方をする。
そして、照れくさそうに笑っていた。
 「まぁ、そんな訳で、これは九尾神社で売られているキーホルダー。
 私のお母さんの像。ん?お父さん?」
目の前に、祐一から返されたキーホルダーを掲げてみせる。
 「お母さんで良い」
いちいち訂正する少女に、祐一が言葉を挟む。
 「うん。じゃあ、お母さんの像。そして私の守り神。これを持ってるとね。
 不思議と悪いことが起こらないんだよ」
揺ぎ無い言葉で少女が確信めいた言葉を口にする。
キーホルダーからは特に霊的な要素は感じ取られない。もちろん少女も、普通の人間だ。
神が幼い赤子に力を貸すことなど、祐一にとっては充分有り得る話で、今更驚く部類でもない。
少女に悪いことが起こっていないのは、キーホルダーの不思議な力などではなく、
彼女の性格によるものだ。きっと持ち前の明るさで、マイナスもプラスに変えているのだろう。
少女の生い立ちを聞き終えた祐一は、そう納得していた。

 「あーっ!!もしかして、お昼休み、もう終わる?」
話し終えた事に満足そうにしていた少女が、不意に叫び声を上げた。
 「ああ、そろそろ終わる時刻だな」
腕時計で時間を確認すると、昼休み終了まで10分もない。
 「忘れてた。私、サークル室へ行く途中だったんだ」
そう言って、慌てたように立ち上がる。
少女はサークル棟へ行く途中、ここを経由していただけにすぎない。
昨日までなら、少女を探して、祐一はこのベンチにはいなかった。
きっと今日もそうだと、思っていたのだろう。
 「引き止めてすまなかった。サークルと言うのは、この間言っていたアートサークルのことか?」
少女がモデルの話をしていたことを、祐一は思い出していた。
 「ううん、それは友達が入ってるサークルだよ。私も、時々は顔を出してるけどね。
 私が入ってるのは天文サークル。もうすぐ流星群が来るの、知ってる?
 その準備を、お昼休みにする予定だったんだよ」
 「星が好きなのか?」
 「うん。私の育った村ではね。周りに何にもなくて、夜は真っ暗なんだ。
 空を見上げると、星が降ってくるみたいに綺麗なの。良かったら、狐邑くんも見においでよ。
 ・・・もちろん、興味があったら、だけどね」
『興味がない』。祐一がサークルの勧誘を断る時に使っていた常套句。
それを思い出したのか、少女はそう言葉を付け加えると、手を振って立ち去っていく。
向けられた彼女の笑顔が、何故か脳裏から離れなかった。
満天の星空。それなら、祐一が住む季封村も負けてはいない。
星が好きなら、あの空もきっと気に入るだろう。いつか、あの少女にも見せてやれたら良い。
そう思っている自分に気付いた祐一は、この感情の変化に戸惑いを覚えていた。
ただ、沸き上がってくるこの気持ちが何なのか、その理由を確かめてみたいとも、思い始めていた。
 「興味、か。なくもないな」
そう呟いて、祐一はベンチから立ち上がる。そして、彼女が向かったサークル棟へと歩き出した。

ベンチで微睡む青年を見詰めていた少女は、嬉しそうに微笑んでいた。
先を歩く友人に促されると、漸く彼女達に追い付くように駈け出す。
 「ねぇ、さっきのベンチの人。誰か知ってる人、いない?」
 「あぁ、あの一年生。んー、どうだろう。
 サークルに入った一年生に聞けば、判るんじゃない?聞いてあげよっか?」
 「うん、お願い」
 「おやぁ、あんた、あーいうのがタイプだったの?」
 「そういうんじゃ、ないよ。ただ、彼と友達になりたいの」
友人の誂いの言葉を軽く交わして、少女はキッパリとそう口にする。
その手には、小さな白い狐の飾りが付いたキーホルダーが握られていた。

完(2010.10.17)  
 
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